ロンドン響/エトヴェシュ/テツラフ(vn):7時半だョ!全員集合2012/04/29 23:59


2012.04.29 Barbican Hall (London)
Peter Eötvös / London Symphony Orchestra
Ladies of the London Symphony Chorus
Christian Tetzlaff (Vn-2)
1. Debussy: Three Nocturnes
2. Szymanowski: Violin Concerto No. 1
3. Scriabin: Symphony No. 4 (‘Poem of Ecstasy’)

元々はブーレーズが振るはずだったこの演奏会、代役がエトヴェシュと聴いてがっかりしてしまったのは前に書いた通りです。やはりブログ仲間でもブーレーズ目当てでチケットを買った人は多く、dognorahさん、かんとくさん、Voyage2Artさん、feliz2さんと、演奏会志向の人々は全員集合状態でした。お目にはかかりませんでしたが、つるびねったさんも絶対いらしたに違いない。

本日の選曲コンセプトは多分「極彩色」。フランス、ポーランド、ロシアと国際色豊かに、色彩感豊かな派手な曲が並びます。feliz2さんは「大人向けの夜の音楽特集」とおっしゃってましたが、確かに言われてみるとその通りですね。それにしても、「目が悪い」という理由でキャンセルしたブーレーズ、この選曲なら目を瞑ってても指揮できるだろうに、何とか出てきて欲しかったですなー、と、しつこく愚痴ります。

1曲目「3つの夜想曲」は、第1曲こそ縦の線が思いっきりズレ気味であれっと思ったのですが、さすがLSOですからすぐに持ち直し、第2曲以降は圧巻のカラフルサウンドがこれでもかと響き渡ってました。元々エトヴェシュはどの楽器もくっきりと鳴らして曲の仕組みを浮き彫りにするタイプの人で、その一方で繊細な弱音にはあまり執着がないのですが、今日の演奏もそんな感じでした。ただ、第3曲の女性コーラスは雑でイマイチ。ここはもうちょっと細やかなコントロールが欲しいところでした。しかし今日の新発見は、ハンガリー時代から何度か聴いてきたエトヴェシュが、意外と「熱い」演奏をやるんだなーということ。大編成のオケをガンガン鳴らしていても、現代作曲家らしくもっとクールに徹した印象がありましたが、それはひとえに自作自演の演奏ばかり聴いてきたからかもしれない。今回のブーレーズの代役ではフランス遠征も一緒に引き受けていますので、ちょっと気合が入ってるのもあるかもしれません。

次のシマノフスキは、何と言ってもテツラフの凄さに尽きました。この人は相変わらず上手過ぎです。先日見たヴェンゲーロフとは相当違い、全身を無駄なく使って、息をするように、歌うように、踊るように、あるいは歩くように、食事をするように、本当に楽器と身体が一体となって、音楽が澱みなく自然と湧き出てきます。低音から高音まで一点の曇りもなく音が澄み切っており、それでいて至高の純米大吟醸酒のごとく一本芯の通った力強い音。かすかに震える最弱音から、フル編成で鳴らし放題のLSOにも全然負けてない最強音まで、信じられないくらいに広いダイナミクス。ほとんど馴染みのないシマノフスキのコンチェルトを聴いてさえ、とてつもない吸引力に眠くなるヒマもなく圧倒されっぱなしでした。聴くたびにそんな超越レベルの演奏を聴かせてくれて、プロの中のプロとは正にこの人のことを指すのだな、と。

アンコールはバルトークの無伴奏ソナタから「メロディア」(と、後で教えてもらいました。無伴奏ソナタは2種類CDを持っているのに、あまり聴いてないのがバレバレ…)。アンコールでやるには長い曲ですが、超々弱音から瞑想的に始まり、途中弱音器を付け外したりの小技はあるものの、名人芸的なパッセージなど一つもないのに、素人が息を呑み続ける極度の緊張感と圧迫感。この人だからこそ達し得た高みの演奏に心を洗われ、今日はかぶりつき席を買っておいて本当に良かったと、しみじみ。テツラフはバリバリ現役ヴァイオリニストの中でも、最も聴きにいく価値がある奏者の間違いなく筆頭でしょう。今後も、チャンスがある限り逃さず聴きたいです。

休憩後の「法悦の詩」は有名曲ですが、20分程度なのでメインとしてちょっと短いような。実演で聴くのは学生時代以来ですから相当久しぶり。前聴いたときのシチュエーションはよく覚えていますが(ええ、デートでした、ええ、上手く行きませんでしたとも)、それは本題ではないとして。ここまで天下のLSOをよく鳴らしてきたエトヴェシュさん、最後はホルン8本、トランペット5本、打楽器盛り沢山の大編成オケをさらに惜しみなく鳴り響かせ、高揚感溢れる圧巻の「エクスタシー」を形作っていました。私、世間で言われるほどこの曲に「えっち」なものを感じることはできず、確かにエモーショナルではあるけど、もっと普遍的で根源的な芸術の高揚と理解しています。この曲で「えっち」な想像をする人は、ジュゴンを見てトップレスの人魚と錯覚するようなもんじゃないのかな。それとも、私の想像力が乏しいんでしょうか…。

と、話がシモのほうにちょっと下りてしまったところで、かんとくさんお気にのミナ嬢は今日はお休み。他に誰か(誰が?)いないかと見渡したところ、第1ヴァイオリンの末尾に座っていた二人の若い女性奏者のうち一方は、Erzsebet Raczというハンガリー人ですが、記憶のある名前だと思ったら、昨年10月に見た王立音楽大学のオケでコンミスやってた人ですね。LSOのExperience Schemeというトレーニングプログラムで今年からずっとエキストラ参加しているようですが、今日初めて気付きました。昨年聴いたときには天賦のソリストの音を持った人だと感じたので、経験を積んで是非ステップアップしていって欲しいですね。

LSO/ビシュコフ/ストーティン(ms):圧巻最高のマーラー3番2012/04/01 23:59


2012.04.01 Barbican Hall (London)
Semyon Bychkov / London Symphony Orchestra
Christianne Stotijn (Ms)
Ladies of the London Symphony Chorus
Tiffin Boys' Choir
1. Mahler: Symphony No. 3

ビシュコフのマーラー3番は2004年にブダペストで聴いて以来ですので、実に8年ぶりです。そのときのオケだったケルン放送響と録音したCDは当時評判になっていましたし(確か賞も取ったはず)、当時の手兵ケルン放送響とのアジアツアーや、その他のオケへの客演でもマーラー3番を好んで取り上げていて、指揮者急病の代打でもよく呼ばれているようで、よっぽどオハコなんでしょうね。

今日はストールのE列だったのですが、いつもよりステージが張り出していて、何と最前列でした。オケが下手だったりバランスが悪かったりするとこの曲をこの至近距離で聴くのは苦痛にもなりかねないのですが、流石にLSOだとはそんな心配は無用で、極上のオーケストラサウンドを大迫力の音響で十二分に堪能できました。ビシュコフのマーラーは強弱のコントラストが大きく、よく歌い、よく泣き、大爆発する、極めてドラマチックな音楽です。大地を隆起させるような冒頭のホルンに、決して外さず炸裂するトランペット、盤石なLSOブラスセクションにはもう降参するしかありません。鋭く叩き込む打楽器群は、今までこの曲を聴いたどのオケよりも衝撃的です。もちろん弦も木管もほぼパーフェクト、穴がない演奏集団を従えて、ビシュコフも自信たっぷりに「俺のマラ3」を紡いで行きます。途中、ぐっとテンポを落として「タメる」箇所で、わずかにオケが追従できず前のめりになってしまう瞬間もあったりしましたが、圧巻の第1楽章が終った時点で、もう本日終了でもいいくらいの満足感。実際拍手がパラパラ起こっていましたが、思わず拍手したくなる気持ちは私も同感でした。

今日の少年合唱は昨年のマゼール/フィルハーモニア管のときと同じティフィン少年合唱団でした。舞台袖ではなく後方のオルガン下の扉から登場、最初から舞台に出ていたので待機時間が長く気の毒でした。少年合唱も女声合唱も昨年より人数が少なめだったので、オケの音量に比べて終始負け気味でした。ストーティンは昨年のマゼールチクルスでも最初クレジットされていたものの、急病でキャンセル(代役はセイラ・コノリー)。彼女のマーラー3番は初めて聴きましたが、昨年の穴埋めをして余りある堂々とした歌唱でした。

終楽章の一番最後はふわりと着地するように終りますが、待ちきれず即効で拍手が起こったのは、まあ仕方がないですかなー。終演後の歓声の盛り上がりは相当なものでした。例えばブーレーズのようなマーラーをリファレンスにしている人が聴けば「何故にここまで劇的にやらなきゃならんのか」「外見立派だが中身がない」「カラヤン的」と蔑むような演奏かもしれません。ですが、夏の休暇中にアルプスの大自然を散策し、作曲のインスプレーションを得たマーラーが頭に思い描いたのは、対象の中に自ら飛び込むようなビシュコフの演奏のほうではないか、と私は確信します。

最前列かぶりつきだったので奏者の顔はあまり見えなかったのですが、かんとくさんお気に入りの「ミナ嬢」ことMinat Lyonsさんがちょうど正面に見えて、じっくりと鑑賞することができました。確かに黒髪のエキゾチックな美人で、ほのかに紅潮した頬が色っぽいです。この人はまた、豊かな表情がたいへんキュート。演奏中も隣りの奏者と目が合えばニコっと微笑み、出番のない箇所でコンマスのヴァイオリンソロを聴き入って「ああっ、何て素晴らしいのっ」とでも言いたげな表情でなんとも官能的にかぶりを振ったり、音楽に没頭して本当に楽しそうに弾いているので、見ていて飽きません。しかーし、第4楽章の前にストーティンが入ってきたとき、第1ヴァイオリン奏者の椅子の位置が変わってしまって彼女の姿をブロック、以降最後まで人影になって見えませんでした(大粒涙)。写真もロクなのが撮れず。次回以降、またチャレンジです(何を?)。


花束をもらうストーティン。ビシュコフはいったん指揮台を下りた後は、ずっと人の影だったので写真撮れませんでした。

LSO/ゲルギエフ/チャン(vn):アドレナリンVnと、意外と正統派の「悲愴」2012/02/23 23:59


2012.02.23 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
Sarah Chang (Vn-2)
1. Britten: Four Sea Interludes from ‘Peter Grimes’
2. Shostakovich: Violin Concerto No. 1
3. Tchaikovsky: Symphony No. 6 (‘Pathétique’)

昨シーズンから続いたゲルギー/LSOのチャイコフスキーシリーズもこれで最終です。「4つの海の前奏曲」は出だしこそちょっと乱れたものの、後はさすがの緻密なアンサンブルを聴かせてくれました。無国籍・モダン・明朗快活というオケのキャラクターは先日のNYPとだいぶ共通点がありますが、LSOは音がでかいのが魅力です。


韓国系アメリカ人の人気若手ヴァイオリニスト、サラ・チャンを見るのは初めてです。キラキラブルーの派手な胸開きドレスでオペラ歌手のようにふっくらとした人がヴァイオリンを持って入ってきたので、あれっ、独奏者が変更になったのかなと一瞬疑いました。プロモーションで使われていたジャケット写真(上)と比べたらtotally differentと言わざるを得ない(笑)。興に乗ってくると大きく仰け反ったり、空間をキックしつつ前後に動いたり、演奏のほうも見かけ通り派手でした。音は非常にしっかりしており、繊細さや際立った個性は今ひとつ感じなかったのも事実ですが、終楽章のスポーティな超高速パッセージをアドレナリン噴出しながら弾き切ったのは一見の価値ありでした。サラ・チャンの名前はよく聞いていたものの今まで特に聴きに行かなかったのは、しょせん韓流アイドル系かと実はちょっとナメていたからなんですが、これは是非かぶりつきで聴くべきだったと後悔しました。


終演後、サイン会をやってたサラ・チャン。スタッフがしっかりしているのか、今日は地階、1階の両方で珍しくCDの即売会もやってました。

昨シーズン、ゲルギーのチャイコは結局一つも聴けなかったのですが、4番、5番、この「悲愴」と、後期3大交響曲は何とか全部聴けました。ここまでは極めて個性的な「俺のチャイコ」を聴かせてくれたゲルギーさんですが、この「悲愴」は曲自体が破天荒な分、今までで一番普通の演奏に聴こえました。ナイジェルさんの「ティンパニ自由自在」も、4番、5番と比べたら非常に控えめな音程変更でした。細かいところで型破りなギミックをいろいろ入れても、曲にすっと馴染み溶け込んでしまうんですね。晩年のバーンスタインみたいに唯我独尊の「悲愴」もちょっと期待したんですが、意外と「正統派」な演奏でした。今日はクラリネット、オーボエ、ファゴット、フルート各々の木管の音色が非常に素晴らしかったです。金管は逆に咆哮せず、必要にして十分な音量で節度ある「嗚咽」が表現されていました。NYPも技術の高いオケでしたが、やっぱりLSOも余裕で上手かったです。あー何と幸せな日々よのお。

LSO/ティルソン=トーマス/フレイレ(p):木を見て森も見る「幻想交響曲」2012/01/24 23:59

2012.01.24 Barbican Hall (London)
Michael Tilson Thomas / London Symphony Orchestra
Nelson Freire (P-2)
1. Debussy: Selected Préludes (orch. Colin Matthews)
 1) Voiles (Sails); Book 1 - #2
 2) Le vent dans la plaine (The wind in the plain); Book 1 - #3
 3) La cathédrale engloutie (The submerged cathedral); Book 1 - #10
 4) Ce qu'a vu le vent d'Ouest (What the West Wind saw); Book 1 - #7
2. Debussy: Fantasy for Piano and Orchestra
3. Berlioz: Symphonie fantastique

「まだ見ぬ強豪」の一人、マイケル・ティルソン・トーマスは昨シーズンのLSOのチケットを買っていたのですが、よくわからない理由のキャンセルでフラれてしまい、今日が念願の初生演です。登場したマイケルさんは思ったより小柄で、本当に人の良さそうな笑顔を浮かべ、品の良いおじいちゃんという感じです。

最初はマシューズ編曲のドビュッシー前奏曲集。以前はこの編曲の存在すら知らなかったのに、やはり「ご当地物」の一種だからでしょうか、ロンドンに来てから実演で聴くのはこれで3回目です。今回は第1集のみから緩-急-緩-急と変化をつけた4曲の選曲で、原曲にさほど馴染んでいるわけではない私は、マイケルさんのきめ細かく色鮮やかな演出にひたすら感心するしかありませんでした。プログラムでは有名な「沈める寺」が最後でしたが、「緩」ながら壮大なスケールで盛り上がるこの曲をラス前に持ってくるという入れ換えは、大正解だったと思います。

続く「ピアノと管弦楽のための幻想曲」は初期の作品で、初演で第1楽章のみが演奏されようとしたことに立腹して楽譜を差し止めてしまったためお蔵入りし、結局ドビュッシーの死後始めて演奏されたという曰く付きの曲です。確かに若書きだけあって、後の「海」や「映像」で境地に達した交響詩の世界が原石のように垣間見えるものの、まだドイツ的後期ロマン派の色が濃く、スタイルの確立にまだ試行錯誤しているような印象を受ける曲です。フレイレは9月にブラームスの協奏曲2番を聴いています。そのときは軽いフランス物のほうが合っているのでは思ったのですが、結局印象は変わらず、やっぱり生徒にお手本を弾いて聴かせるようなくっきりかっちりとした演奏。フランスらしい柔らかさも印象派的なオブラートも一切ありません。多分運指はめちゃくちゃ上手くて、ピアノをやっている人ならまた聴き方が違うんだろうけど、私には引っかかるものがありませんでした。

そしてメインの「幻想交響曲」、これは実に素晴らしい演奏でした。大好きな曲ですが、本当にクスリをキメてるかのように尋常でないテンションで突き進むミュンシュ/パリ管のレコーディングが自分にとってのリファレンスで、それを凌ぐ演奏はなかなかあり得ないので、ここまで感動的な実演に巡り会ったのは殆ど初めてかもしれない。冒頭の木管からゆっくりと実に丁寧な語り口で、フレーズの繋ぎ一つも疎かにせず組み立てる「作り込み型」の演奏は、まさに私の好み。長い序奏が終ってやっとテーマが出てくると、大胆にギアチェンジして快速に飛ばします。これが予想外に熱い演奏で、ティルソン・トーマスというとクールで学究肌の指揮者だとCDを聴く限りの印象で決めつけていたので、そうかこの人はバーンスタインの愛弟子だったんだ、と思い出しました。そう思って後ろから見ると、白髪混じりの髪型とチラリとのぞく鷲鼻がまさにバーンスタインを彷彿とさせる気がしてきました。

第2、第3楽章と続いても全編これニュアンスの権化のようにきめ細かく音楽を作り込んでいきますが、決してわざとらしくなく、一貫して情熱に溢れています。途中わずかにアンサンブルがずれたり、金管が外したりの事故はありましたが、全編通して縦の線はきびきびと揃っており、舌を巻く統率力です。かつて(1995年まで)首席指揮者を勤めていて、現在も首席客演指揮者の地位にあるとは言え、普段から練習時間を豊富にもらっているわけではないでしょうから、よっぽどリハーサルの効率が良いのと、バトンテクに優れているのでしょう。月並みですが、魔術師、という言葉が浮かびました。一つだけあれっと思ったのは、終楽章でヴァイオリンがちゃんとコル・レーニョ(弓の裏で弦を叩く)をやってなかったことですが、ニコニコ動画にアップされていたサンフランシスコ響とのライブ映像を後で見てみると、そこでもやっぱりコル・レーニョは(少なくとも弓を完全に反転させるようには)やってないっぽく、ここは指揮者の解釈なのでしょう。何故だかはわかりませんが。もちろんそんなことは些末で、最後は金管を思う存分解放して、とてつもない迫力のうちに駆け抜けました。細部のニュアンスにも全体のフォルムにも両方目が行き届いた、たいへん充実した演奏でした。熱烈なスタンディングオヴェーションも納得です。5月のマーラーが非常に楽しみになってきました。


ところでプログラムをパラパラと読んでいて一つショッキングなことが。トランペットのNigel Gommさん、最近名前を見ないなと思っていたら、昨年10月に病気で亡くなっていたんですね。知らなかったです。May his soul rest in peace。

LSO/パッパーノ:新任ナイトによる英国音楽の夕べ2012/01/10 23:59

2012.01.10 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra
Antoine Tamestit (Va-2)
1. Thomas Adès: Dances from ‘Powder her Face’
2. Walton: Viola Concerto
3. Elgar: Symphony No. 1

正月のROHに引き続き、パッパーノ。もちろんナイト付与が発表されてから最初のLSOの指揮台なので、パッパーノが登場するや会場は早速大歓声に包まれました。しかも今日は、最初からこの日のために仕組まれたかのようなオール英国プログラム。普段なら地味な選曲ですが、今日はバルコニーに人を入れてなかった分、ストールとサークルはほぼ席が埋まっていました。

1曲目の「パウダー・ハー・フェイス」は一昨年、同じくLSOに作曲者自身の指揮で聴いていますが、怪しい雰囲気はあるものの前衛ではなくわりと聴きやすい曲です。パッパーノはオペラのときと同じく、楽章間でも聴衆の咳など気にせずさっさと次に進みます。アデスが指揮したときはリズムにメリハリを付けてもっとワルツらしい演奏だった気がしますが、パッパーノは大胆にテンポを揺らして世紀末的な猥雑さを強調していました(確かに、この曲は20世紀末の作曲です)。

2曲目、ウォルトンのヴァイオリン協奏曲は何度か聴いていますが、ヴィオラ協奏曲は初めてです。中音域でつぶやくような導入から始まり、時折感情の高ぶりを見せながらもまたすぐに静まるというのを何度か繰り返す煮え切らない第1楽章、変拍子多用の複雑なリズムでたたみかけるように進行する第2楽章、ユーモラスなファゴットで開始し、美しくも物悲しいクライマックスを迎えた後は悲壮感を引きずったまま静かに終わる終楽章。英国らしいというか、節度を感じる理知的な曲でした。演奏の良し悪しは、うーん、ヴィオラは綺麗な音でよく響いていましたし、とは言え「俺が俺が」の自己主張があまりないのはやっぱりヴィオラ奏者の特質ですかね。

さてメインはエルガーの交響曲第1番。ご当地モノの代表格です。実はこれもほとんど聴いたことがない曲ですが、Wikipediaによるとイギリスやアメリカでは人気の高い曲だそうです。日本だと、エルガーといえばやっぱり「威風堂々」とせいぜい「エニグマ変奏曲」で止まってしまいますもんねえ。まるで国歌斉唱みたいに壮大で格調高い序奏はいかにもエルガーという感じですが、続く短調の主題とその展開は、ブラームス的なドイツ交響曲の王道に則った、ちょっと「よそ行き」の顔に思えました。万人が口ずさめる大衆的な旋律だっていくらでも書けちゃうのに、あえて窮屈な主題を選び、それを無理矢理に展開して行ってるような。しかしその展開がつまらないなと思えてしまう箇所も多く、冗長に感じたのが正直なところです。1時間も引っ張る曲じゃないだろうと。比較的リラックスした雰囲気の中間2楽章が、むしろ好ましく思えました。

それはともかく、パッパーノ大将の導く演奏は予想に反してオペラチックな演出ではなく、カンツォーネ的歌謡曲でもなく、形式張った曲想に波長を合わせた節度のあるものでした。とは言えクライマックスではオケを盛大に鳴らし、終始鋭いアクセントを叩き込んでいたティンパニを筆頭に、よくぞここまでというくらいの音量、音圧を引き出して、さすがに起伏を作るのは上手い人です。終演後の拍手が盛り上がったことと言ったら!イギリス人は自国のものにはけっこう冷淡という印象も持っているんですが、やっぱり皆さん、エルガーは大好きなんですねえ。

パッパーノはLSOにも定期的に客演しており相性は良く、この人気ぶりを見ると、将来はこの人が首席指揮者の椅子に座っているのかもしれないなあと、ふと思いました。イタリア系とは言ってもイギリスで生まれ育ったイギリス人ですし、レパートリーも極めてインターナショナルですし、バーンスタインばりに盛り上がる音楽が作れるし、外に取られたくない逸材なんじゃないかと。あと今日は誰もが記憶にとどめたであろう大活躍だったのがティンパニのトーマスさん。同じくパンチの効いているティンパニスト、フィルハーモニアのスミス氏が極めて個性的な音と風貌で勝負するのに対し、トーマス氏は太鼓の皮をしっかりと鳴らし切る正統派の最右翼。最近は何だか吹っ切れたように叩きまくっていて前より全然面白いので、今後もウォッチしていきます。

LSO/ガーディナー:魂の抜けた「第九」は宇宙人のシワザ?2011/12/15 23:59


2011.12.15 Barbican Hall (London)
Sir John Eliot Gardiner / London Symphony Orchestra
Rebecca Evans (S-2), Wilke te Brummelstroete (Ms-2)
Michael Spyres (T-2), Vuyani Mlinde (Bs-2)
Monteverdi Choir
1. Beethoven: Symphony No. 1
2. Beethoven: Symphony No. 9 (‘Choral’)

去年の2月ですからほぼ2年近く前に、テナーを除き全く同じ取り合わせの演奏会を聴いています。選曲まで全く同じなので、どうしようかと思ったのですが、せっかく12月に「第九」をやるのだから、日本人的にはやっぱり聴いておこうと。前回は高速テンポの中でも透明ながらも芳醇という一見背反する特質がちゃんと同居していたので、さすがはLSO世界の超一流、と感心したものでした。コーラスも少人数で十分な声量と完璧なアンサンブル、日本ではめったに聴けないであろう少数精鋭の「第九」でした。

しかしながら今回は、ずいぶんと贅肉がつき、魂のない演奏になっていたのでがっかりしました。ピリオド系演奏であることは変わりがなく、基本ノンビブラートの弦に速いテンポで突き進みますが、上辺だけ取り繕ってがちゃがちゃ弾いている印象が拭えず、前のようにきっちり丁寧に積み上げたところがなくなっていました。ピッコロは他の木管から離れてトランペットの隣りで、しかも立って演奏していましたが、ぴーぴーとうるさく、何もそこまで強調せんでもと。弦は気が抜けていて、木管はうるさく、金管は音が濁ったうえに雑、演奏しているのはいつものLSOの人々に見えますが、人知れず侵略してきた宇宙人が成り済ましているんじゃないかと思ってしまったくらいでした。そんな中でもいつもの質を保っていたのは打楽器パート。ティンパニは前回同様硬質のバチで鋭いアクセントをつけ、第1番ではバロックティンパニ2台、第9番はモダンティンパニ4台と使い分けながらも、さすがにチャイコフスキーのときのような勝手な音程変更は一切なく、黙々と仕事をこなしていました。オケがピリッとしないのはコーラスにも伝染し、前聴いたようなドライな清涼感はなく、ハーモニーに濁りが目立ちました。あまりにもおかしいなと思ってメンバー表を2年前のと見比べてみたら、コーラスは半分近くが入れ替わっているんですね。さらには独唱もパッとせず、特にソプラノ、バリトンはよれよれでした。

この演奏会はいったい何だったのでしょう。前日忘年会でもやって皆さん二日酔いなんですかね。どこをとってもあからさまにリハ不足に見えました。聴いた席も前回とほぼ同じあたりですので、席のせいではないでしょう。最初、今シーズンのプログラムでこの演奏会を見つけたとき、何も全く同じ選曲でやらなくてもよいものをと思ったのですが、日程的にリハの時間が取れないことがあらかじめわかっていたのであえて同じ曲にしたのか、と考えればいろいろと腑に落ちます。2シーズンぶりとは言え同じメンバーで前にもやったのだから、とナメてかかっていたのがこの報いです。LSOはたまにこういうのがあるからなー。後になって一歩引いて思い起こせば、そこまでひどい演奏でもなかったのかもしれませんが、こちらは2年前と同様の感動を期待していた落差がありましたので、辛い評価しか出てきません。それとも、こちらの耳が肥えてしまったのかな…。

LSO/ゲルギエフ:マーラーのようなチャイコフスキー2011/11/24 23:59

2011.11.24 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
Geir Draugsvoll (Bayan-2)
1. Prokofiev: Symphony No. 1 (‘Classical’)
2. Gubaidulina: Fachwerk (concerto for bayan, percussion and strings)
3. Tchaikovsky: Symphony No. 5

10月は結局10回演奏会を聴いて、11月序盤にもバルトークが立て続けに3回という、私としてはいつになくハイペースだったのでちょっと疲れましたが、出張のため2週間ブランクがあいてしまったら、もうずいぶんと久しぶりに音楽を聴く気がするから不思議なものです。

1曲目の「古典交響曲」は今年のプロムスでも同じ組み合わせで聴きました。フル編成、モダン配置のオケを遅めのテンポでぎこちなく操り、全然「古典」らしくないアプローチです。プロコフィエフはあくまでプロコフィエフ、と言うのでしょう。個性的な演奏でした。時差ぼけがまだ抜け切らず、この短い曲でも途中少し寝てしまいましたが、プロムスのときも眠くなったので、時差ぼけよりも好みに合わなかったのが多分眠気の要因でしょう。

2曲目はロシア式アコーディオンのバヤンを独奏にした35分ほどの協奏曲。2009年に発表されたばかりの新作ほやほやです。グバイドゥーリナという女流作曲家は名前からして初めて聴きましたが、現代音楽の作法に寄らず、どちらかというと調性音楽寄りの作風ながら、極めて自由奔放で開放感のある音楽と感じました。バヤンは視覚的にも実にダイナミックな動きのある楽器で、弾き方によってテープ逆回しのような効果もあり、さらにいろいろと特殊奏法を駆使して、単なるアコーディオンの枠を大きくはみ出した不思議な世界でした。バックのオケは先ほどの古典交響曲よりもさらに小さな編成で、決して音がよく通るわけではないバヤンをフィーチャーするにはちょうど良いバランスでしたが、打楽器、特にタムタム(銅鑼)のロールは遠慮のかけらもなく響きまくって、カタストロフィーが全てを洗い流してしまうような終り方でした。まあ、長いし、一回聴いたくらいではようわからん曲です。

メインの「チャイ5」は部活のオケで演奏したことがあり、それこそ聴き飽きるにもほどがあるというくらい繰り返し聴いた曲なので、反動で蛇蝎のごとく敬遠するようになってしまいました。今回は、我らがLSOが先シーズンから連続してチャイコフスキーの交響曲を取り上げてきており、5番も久しく聴いてないなあとふと思って、珍しく聴いてみる気になりました。この曲がゲルギエフの十八番であり、ウィーンフィルを相手にこの曲を振ったライブCDが彼の出世作でもあることから、ゲルギーのチャイ5はさてどんなもんかのう、という興味も大いにありました。

弦楽器は対向配置に変わっていて、ちょうどコントラバスの反対にティンパニが位置します。冒頭、クラリネットが極端に暗く沈んだ音色で、すぐに弦楽器に埋もれて行くので逆に意識がそこに集中し、なかなか巧いやり方です。第1主題が始まってからは、楽譜の指示を大きく踏み外し、テンポを最大限に揺さぶるまるでマーラーのような演奏。9月のチャイ4のときも同様な感じの演奏でしたが、より激しく、イロモノ度はさらに磨きがかかっています。よくオケが振り落とされないものだと感心しましたが、それだけゲルギーとLSOは今密接な関係にあるということでしょう。しかし、そうでなくともチャイ5は甘ったるく感傷的な演奏になりがちな曲で、実際そうなっていたので、少なくとも私の好みではありませんでした。演奏上は楽譜に忠実、質実剛健に、その中でほのかに香ってくるロマンチシズムが特にチャイ5の醍醐味と考えてますので(昔レコードでよく聴いたムラヴィンスキーとか、タイプは違うけどベーム/LSOなんかは好きだったなー)。

デヴィッド・パイアットのホルンソロ(第2楽章)が素晴らしく、後で何度も指揮者に立たされていましたが、他の管楽器、特にオーボエも何気に凄かったです。アンサンブルの妙のみならず、こういった個人芸でも超一流の仕事を見せてくれるのがLSOのニクいところ。個人芸と言えばティンパニのナイジェル・トーマスさんがチャイ4同様チャイ5でも、勝手に音を変え、フレーズを変えのやりたい放題。ちょっと節操ない演奏でしたが、個人的には面白いので今後も注視していきます。

LSO/チャン/デイヴィーズ(fl):バルトークは続くよどこまでも2011/11/09 23:59


2011.11.09 Barbican Hall (London)
Xian Zhang / London Symphony Orchestra
Gareth Davies (Fl-2)
1. Bartók: The Miraculous Mandarin - Suite
2. Nielsen: Flute Concerto
3. Zemlinsky: Die Seejungfrau (The Mermaid)

ブダペスト旅行から帰ってきても、やっぱりバルトーク。とりあえずこれで一段落ですが。この演奏会のチケットを買ったのも、ひとえにバルトークが目当てでした。「中国の不思議な役人」は何度も聴いて(見て)いるお気に入りの演目ですが、そこそこ人気があるはずの組曲版を何故か実演で聴いたことがなかったのです。今日の指揮者は中国人のチャン・シエン(張弦)、女性の若手です。中国人名のカタカナ化はけっこう難しく、PMFのWebサイトでは「シャン・ザン」となっていました。小柄な身体ながら非常にわかりやすそうな指揮をする人で、変拍子も極めて明解に振っていました。ならず者たちに客を取らされている少女が道ゆく男を誘う場面のクラリネットのカデンツ風ソロまで細かく棒を操っているのには、そこまでせんでも、と思ってしまいました。しかし、この場面を含めて全体的にいかがわしさがよく出ていたし、リズムにもキレがあり、なかなか変態チックな好演でした。

2曲目のニールセンは全く初めて聴く曲でした。ちょっと変わった雰囲気の曲で、金管はトランペットを欠いてホルン2本にトロンボーン1本。クラリネットやトロンボーンがソロイスティックに活躍し、フルートにしつこく絡んでいきます。ティンパニもドカドカとうるさく、フルートの主役の座は常に脅かされており、むしろ影が薄いと言ってもよい状態。張さんはこの小編成の曲をふわりと軽めにまとめて、さっきとは違う面を見せていました。

メインはツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」という、これまたドマイナーと言ってよい選曲。冒頭はドビュッシーのように見せかけといて、実はリストからリヒャルト・シュトラウスへと繋がるドイツ交響詩の王道に乗った、聴き応え十分の力作でした。途中チャイコフスキーのような旋律も聴かれ、かなりロマンチックな曲です。アンデルセンの童話をベースにしていますが、メルヘンチックではなく複雑な響きをすっきりと整理した、見通しのよい直線道路のような演奏でした。ただ、先のニールセンもそうですが、ここまで馴染みのない曲だと演奏を論評するのもはばかられますので、どうかこのへんでご勘弁。

客入りは今までLSOを聴きにきた中でも極端に悪く、上階の席は本当にお寒かったです。このマニアックなプログラムではいたしかたなしですか。指揮者はなかなか器用な人で、将来有望な若手であることは間違いないと感じました。調べるといつもこんな感じのマイナーなプログラム路線を猪突猛進している人みたいで、これが出来てしまうのはある意味LSOの懐の深さも凄いわけですが、ニッチ市場向けで終わってしまってはもったいない、どこかで殻を破る必要があるんじゃないかと僭越ながら思ってしまいました。


LSO/K.ヤルヴィ:スティーヴ・ライヒ75歳記念演奏会2011/10/15 23:59



2011.10.15 Barbican Hall (London)
Steve Reich at 75
Kristjan Järvi / London Symphony Orchestra
Neil Percy, Steve Reich (Handclap-1)
Synergy Vocals (Chorus-4)
1. Reich: Clapping Music (1972)
2. Reich: The Four Sections (1986-87)
3. Reich: Three Movements (1985-86)
4. Reich: The Desert Music (1982-83)

ミニマルミュージックの雄にしてテクノにも多大な影響を与えたスティーヴ・ライヒの75歳を記念した演奏会。氏の曲を実演で聴いたことがなかったのと、大管弦楽用作品をずらっと集めた演奏会も日本に帰ったらまず聴けまいと思い、家族で出かけてみました。

1曲目はLSOの首席パーカッショニスト、ニール・パーシーにライヒ自らも演奏に加わった「手拍子の音楽」。まあ露払いの余興みたいなもんです。スポットライトを浴びつつ野球帽を被ったライヒが登場。手拍子はマイクで集音しており、正直、歯切れの良い音ではなかったので正に「拍子抜け」でした。二人とも打楽器のスペシャリストではあっても、手拍子にさほどこだわりはなかったということでしょうか。

次の「4つのセクション」はもちろん4部構成で、第1部は弦、第2部は打楽器、第3部は管楽器、第4部はフルオーケストラが主体ですが、各々切れ目なく連続で演奏されます。「セクション」には「楽器群」と曲の「部分」両方の意味が込められているようです。見るからに大編成の管弦楽で、弦楽器は各パート各々が分割され左右対称に振り分けられており、指揮者の両脇にはこれまた対象に2台のピアノ、各々の上にはシンセサイザーの往年の名器YAMAHA DX7(オリジナルではなく多分7S)が置いてあります。指揮者の目の前にマリンバが4台配置され、各々譜面台を3つも並べて横長の楽譜を置いています。確かにこういったミニマル音楽は繰り返しパターンが少しずつ変化していくので音符の数や小節数はやたらと多いはずで、実際、普段は音を出す箇所が限られているトロンボーンやティンパニまで、演奏中に忙しく楽譜をめくっている姿が非常に新鮮でした。LSOはさすがに名手揃いで、木管のソロなどミニマル音楽にはオーバースペックなほど素晴らしい音色(決してミニマル音楽をくさすわけではありませんが…)。不協和音がないので曲調は一貫して耳に優しく、フルオーケストラで盛り上がる壮大な第4曲がとりわけ感動的でした。

続く「3つの楽章」ではDX7が引っ込められた代わりにエレキベースが2本登場、左右のチェロの後方であまり目立たないように弾いておりました。同じミニマルとは言っても先の曲と比べると和音のテンションがずっと多くなり、テクノ風にもジャズ風にも聴こえる複雑な曲調になっていきます。より抽象度が増し、「テクノデリック」とか、ハードテクノの頃のYMOを少し連想しました。どっぷりと身を任せ、全身で体感するしかない音楽。さらりと聴き流してしまうと本当に何も残らないが、一旦捕らわれると麻薬のようにハマって抜けられない音楽に思えました。


休憩で気を取り直して、最後のメインは「砂漠の音楽」。切れ目のない5つの楽章から成り、全部で50分もかかる大曲です。オケはまた配置が変わり、ピアノ2台が横に寄せられてその横にDX7が復活しています。弦楽器はヴァイオリン、ヴィオラが今度は各々3群に分けられて配置、ティンパニは10台を2人で演奏し、各奏者メロタム3個のオマケ付きです。他に深胴の大太鼓が2台に、指揮者の目前には相変わらずマリンバ群。さらに舞台奥にはSynergy Vocalsという10名の合唱隊が陣取り、大編成オケフェチには垂涎ものでした。前半の曲とは違って構造が全体でABCBAのアーチ形式になっています。マリンバ群による繰り返しリズムが基底にあることは変わりありませんが、曲調はまたさらに変化し、シェイカーや拍子木が活躍するせいでラテンアメリカの空気が漂ってきます。合唱は各人がマイクを持って「ダダダダダ」などのスキャットっぽい声を出し、一部意味のある歌詞の箇所もありましたが、基本的には「歌」というよりはこれも他の楽器と同じくミニマル音楽の構成要素として扱われていました。マリンバの楽譜の頁数はさらに増え、終わったものから床にばさばさと落として行ってもなかなかゴールが見えないエンドレス。奏者にとっては怖い曲です。第5楽章で最初のリズムに回帰するあたりには弦楽器にも相当疲れが見えてきて、辛うじてリズムキープをしているような、抜け殻の音楽になって行きましたが、それも含めての作曲者の狙いだったのかもしれません。

ほとんど初めて聴くライヒの音楽は、古いような新しいような不思議な感覚で、あまりに長いと寝るのは必至かなと最初は思ったのですが、意外と飽きずに楽しめるものでした。ところであらためて考え込んでしまったのは、こういう曲での指揮者の役割です。クリスチャン・ヤルヴィは、ただひたすら四分音符で棒を振っていただけにも見えました。交通整理とメトロノームの役目以外に、例えば楽曲の解釈とか精神性(笑)とか、指揮者の個性を盛り込める余地はあったんでしょうか。しかしながら、交通整理とタイムキープこそがライヒの曲のキモかもしれず、気を抜けばあっという間に道を見失いかねませんので、普通の管弦楽曲以上に神経をすり減らしたのは想像に難くありません。これだけのクオリティで最後まで走りきったというのは、実は凄い演奏だったのかも。


最後にまたライヒが出てきて、指揮者の健闘をたたえました。場内総立ちになり、頭が邪魔だ〜。

LSO/ゲルギエフ/フレイレ(p):劇場型チャイコフスキー2011/09/25 23:59

2011.09.25 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
Nelson Freire (P-1)
1. Brahms: Piano Concerto No. 2
2. Tchaikovsky: Symphony No. 4

オーケストラのシーズンもいよいよ本格的に開幕です。LSOは昨年のシチェドリンと「展覧会の絵」という派手なオープニングプログラムと比べて、今年はずいぶん渋いと言うか、スタンダードにシンフォニックな取り合わせで攻めてきました。

1曲目は最初ピアノ協奏曲第1番とアナウンスされていたのですが、最近になって「ソリストの好みにより」2番に変更されていました。私はどちらもあまり聴かないし、正直どちらでもよかったのですが、1番は昨年ポリーニで聴いているので、この変更はウェルカムでした。しかし、フレイレを聴くのは初めてでしたが、何だか杓子定規の普通の演奏で、取り立ててひきつけるものがありませんでした。多分玄人好みの人なんでしょう、残念ながら私にはどこをポイントに耳をかたむければよいのか、よくわからず。一方オケはのっけから分厚い響きで地を這うようにホールを駆け巡り、重心の低い重めの演奏でした。重厚とはいえドイツ風という感じはしなくて、もっと乾いた北の大地のような響きです。第3楽章のチェロのソロは「これはチェロコンチェルトだっけ?」と思うほど、艶やかで官能的な一流ソリストの音でした。ここまでピアノはずっと食われっぱなしです。終楽章になると突如協奏曲らしい軽さが前面に出て、ようやくピアノに活力が宿ってきましたが、それまでの粘りが嘘のようにさらさらと終わってしまい、うーむ、こんなもんかな。そもそも、曲自体が尻すぼみという印象をぬぐえません。フレイレはラヴェルとか、もっと軽めの曲で聴いてみたいです。


フレイレ氏のすぐ右に見えるのがチェロのティム・ヒューさん。

メインのチャイ4は、昨シーズンから続いているゲルギー/LSOのチャイコフスキーシリーズ後半戦の初戦になります。前半戦の1〜3番を結局一つも聴けなかったので、さてゲルギーのチャイコフスキーはどんなもんかのう、と期待半ばで聴いたのですが、予想以上に面白い演奏でたいへん楽しめました。第1楽章はゆったりとしたテンポで始まり、マーラーのようにこまめにゆらし、操りながら造形を掘り出していきます。劇的ですがかなりゴツゴツして個性的なチャイコフスキー。第2楽章もさらっと流さず、木管の呼吸をあえて他とずらしてギクシャクとした進行にし、聞き手の心をその場に留めます。ちゃんと計算ずくで組み立てていましたね、これは。だいたい、指揮台の前に一応スコアは置いてありましたが、表紙が上になったままゲルギーは結局一度も触らず。

よく考えるとこの曲を前回4年前に聴いたのもLSOで、場所はブダペストのバルトークホール、指揮はコリン・デイヴィスでした。第3楽章を指揮せず弾かせるなどという洒落たマネをしていながら、全体的に「お前ら二日酔いか」と思うほどのヨレヨレ演奏に、ブダペストをなめとんかと当時は憤慨したものですが、本拠地のLSOはさすがにそんなことはなく、ゲルギーは第3楽章でもきっちり指揮をして精緻なアンサンブルを聴かせてくれました。終楽章はムラヴィンスキーばりに速い!思わず笑みがこぼれてきました。打楽器に注目すると、いつになく薄胴の大太鼓は重低音よりもくっきりしたインパクト重視でアクセントをきりっと引き締め、ティンパニはよく聴くとペダルワークを駆使して楽譜を逸脱した「旋律」を勝手に叩いています。フィルハーモニアのスミス氏だったら暴走に歯止めがかからないような気がしますが、そこはLSOのトーマス氏、お遊びはさりげない範囲にとどめ、第1楽章冒頭の再現が来た後は生真面目なスタイルに戻っていました。オケが一体となって有無を言わせず高速で畳み掛けるフィナーレは脱帽もので、LSOの超高い機能性はさすがに素晴らしかったです。それにしても、あの4年前のチャイ4はいったい何だったんだろうかなー。


最後に愚痴を。風邪の季節到来、あちこちで咳や鼻かみのうるさいこと。ブダペストに住んでたころから毎年冬になるとこぼしていますが、ヨーロッパ人てやつは本当にバカでジコチュー。どうしても咳がでるならハンカチを口に当てるという遠慮もなければ(だいたい持ち歩いてない人の多いことよ)、せめて音が大きくなるまで待ってさりげなく鼻をかむという知恵もない。そもそも、演奏中に鼻かむやつぁ始めからティッシュを鼻に詰めとけ!