小澤征爾の思い出2024/02/10 23:59

昨日の小澤征爾氏の訃報に接し、まずは心より哀悼の意を表します。
まだまだこれからという時に、というわけでもなく、とうとうこの時がきたか、という思いではあります。

自分がクラシック音楽を聴き始めたとき、すでに大スターでした。特に日本では、カラヤン、バーンスタインと肩を並べる三大巨頭として、クラシックが趣味ではない人にも名が知れ渡る人気ぶりでした。

実演を聴くことができたのは2回しかありません。

最初は1981年10月のボストン響との来日公演初日、大阪フェスティバルホールでの「田園」と「春の祭典」という濃いカップリング(これがAプログラム)。正直、細部はよく覚えていませんが、初めて聴いた海外一流オケの圧倒的パワー(特にヴィック・ファース氏の強烈なティンパニ)に感銘を受けました。このとき、田園のスコア表紙に書いてもらった小澤氏と、さらにコンマスのシルヴァースタイン氏のサインは生涯の宝物です。さらには、このときのBプログラムであるウェーベルン「5つの小品」、シューベルト「未完成」、バルトーク「オーケストラのための協奏曲」が、権利にうるさいアメリカのオケとしては珍しくNHK-FMで生中継されており、そのエアチェックのカセットテープも後生大事に持っています。ここで聴いたオケコンがあまりに刺激的で、私のバルトーク好きを決定づける原点となりました。余談ですが、この演奏会では小澤氏が「短い曲なのでもう1回聴いていただきたい」と言ってウェーベルンを2回繰り返すという異例のハプニングも、生放送なのでそのまま放送されていました。


2回目は、長年の因縁と紆余曲折を経て、演奏家へのチャリティーという名目で1995年に実現した32年ぶりのN響との共演。N響との確執はリアルタイムでは知らないので特に関心も感慨もなかったのですが、何より小澤のオケコンが聴ける、というその一点で必死にチケット取りました。演奏会当日の直前に発生した阪神淡路大震災の追悼に「G線上のアリア」が最初に演奏され、ロストロポーヴィチによるアンコールの「サラバンド」が同じく追悼で演奏された後、全員で黙祷し、拍手のないまま散会という異例づくしの演奏会でした。オケ側に固さとミスは多少あったものの、スリリングな緊張感を保った小澤のオケコンは期待通りの感動で、ハイテンションのまま帰路についたのを覚えています。


世が世なら3回目としてチケットを取っていたのが、2012年のフィレンツェ五月祭劇場のバルトーク「中国の不思議な役人」「青ひげ公の城」ダブルビル。前年のサイトウ・キネン・フェスティバルで初演されたノイズム振付・演出のプロダクションをそのまま持ってくる予定だったのですが、小澤氏はこの直前から病気治療のため長期休養に入ることになり指揮をキャンセル。仕方がないとは言え肩透かしを喰らいました。

レコードで好きだったのは、やはり一番アブラが乗っていた1970年代後半から80年代にかけてのドイツ・グラモフォンへの録音で、マーラー「巨人」、プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」、バルトーク「役人」も素晴らしかったですが、特にレスピーギ「ローマ三部作」とファリャ「三角帽子」の完成度は、今なお自分の中のリファレンスになっています。

入手困難だった廃盤や自主制作盤が、これを機に再発してくれたら、とは切に思います。その個人的筆頭はボストン響との「青ひげ公の城」1980年ライブ。サイトウ・キネン・フェスティバルの「中国の不思議な役人」「青ひげ公の城」は当時NHK-BSで放送されていたようなので、その再放送もやってくれたらたいへん嬉しいのですが。

読響/山田和樹:小澤征爾先生に捧げる「ノヴェンバー・ステップス」2024/02/09 23:59

2024.02.09 サントリーホール (東京)
山田和樹 / 読売日本交響楽団
藤原道山 (尺八-2), 友吉鶴心 (琵琶-2)
1. バルトーク: 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽
2. 武満徹: ノヴェンバー・ステップス
3. ベートーヴェン: 交響曲第2番ニ長調

本日の演目は、弦チェレは10年ぶり(前回は大野/都響)、ノヴェンバー・ステップスは11年ぶり(大野/BBC響)、ベト2は14年ぶり(アントニーニ/ベルリンフィル)と、どれも非常に久々に聴くものです。尺八、琵琶のお弟子さん筋なのか、お客はいつもより和服の人が多かったです。

本日のステージは円形の雛壇が組んであり、弦楽器の後方が普段より高いところに位置していました。ちょっと奮発してストール席を取ったのですが、前方の際の方だったので肝心の打楽器、チェレスタが弦奏者に遮られて見えにくい。なぜこのような配置なっているかというと、弦チェレと武満がどちらもスコアで左右対称な対向配置になるよう指定されているためで、想定しておくべきでした、残念…。

1曲目の弦チェレはバルトークの代表作ですが、特殊な編成になるので演奏会のプログラムに乗ることが意外と少ないです。ヤマカズさんは昨年の都響で三善晃「反戦三部作」を聴いて以来です。それに比べると今日の演目はリラックスして聴けるので、実際ヤマカズも飛んだり跳ねたり、本来の明るいキャラクターで千手観音のような指揮ぶりでした。オケの配置の特徴から指揮者のバトンさばきも、指揮棒を持たずに右手と左手が左右対称で動くか、あるいはシンクロした動きになるかで、「ダンス度」が非常に高い、見ていて飽きないものでした。一方でこの配置と雛壇のおかげで、音がいったん上に飛んでから降りてくるため左右の微妙なズレが強調され(真正面で聴いていた人は違うのかもしれませんが)、また音の重心が高く、低音が腹の底から来ないところがちょっと不満ではありました。演奏そのものはメリハリが効き、ゆさぶりも大きくライブ感溢れる好演だったと思いますが、細部の仕上がりがちょっと雑だった印象です。第1楽章が消え入るように終わるところで大きなくしゃみをやらかした輩がいましたが、コロナ禍もすっかり明けて聴衆はまた緩んできていますかなー。

ここで休憩ですが、演目の編成を考えると武満までやってから休憩にしたほうがいいのにな、と思いました。メインがベト2だと軽いとかバランス悪いという理由なら、いっそ1曲目をベト2にする手もありますし。大昔聴いた京大オケ、外山雄三指揮の演奏会がそんな感じでした。ベト2で始まり、ドヴォルザークのチェロコンと続き、最後は「三角帽子」第2組曲で締めるという(しかも「三角帽子」の終曲を再度アンコールでやるという効率の良さ)。

後半最初の「ノヴェンバー・ステップス」は、武満のみならず全ての邦人現代音楽の中でも突出した代表的作品。実演は2013年にロンドンBBC響の「Sound from Japan」で聴いて以来(このときは意外にも英国初演だったそう)の2回目です。ソリストを携えずマイクを手に一人で登場したヤマカズ氏から告げられたのは、「小澤征爾先生が亡くなられました」という訃報。場内「えっ」というどよめき。亡くなったのは2月6日だったそうですが、発表は9日の夜7時過ぎで、当然ほとんどの人は訃報を知らず。くしくも本日の演目は小澤征爾とゆかりが深い曲ばかりで、特に「ノヴェンバー・ステップス」は小澤の推薦によりNYPの創立125周年記念委嘱作品として世に生まれ出た曲です。しかも小澤指揮のNYPで1967年に初演された際、カップリングされたのがベートーヴェンの第2番という、偶然というにはあまりに揃いすぎているこのプログラム。ヤマカズ氏は、演奏会で暗い気持ちにさせるのは先生の本意ではないはずなので、黙祷はせず、この演奏を先生に捧げます、とのこと。

この曲のリファレンスとしては、小澤/トロント響、ハイティンク/コンセルトヘボウ、若杉/東京都響の3種のレコーディング(ソリストはいずれも初演者の横山勝也と鶴田錦史)と、前回実演で聴いた大野/BBC響の演奏をBBC Radio 3で放送した際エアチェックした音声データが手持ちのライブラリにありましたが、そのどれともまた違う個性的な演奏でした。まず私は純邦楽の知識も素養もほぼ何もないただの素人リスナーであることをお断りしておくとして、一見シュッとした若手イケメンに見えるものの実はそんなに若くない藤原道山の尺八が素晴らしかったです。今まで聴いたことがない澄み切った音色の尺八で、まるで美声の詩吟のように朗々とした唄がホールに響き渡ります。もちろん尺八特有のノイジーな奏法もふんだんに使われていますが、無理に力強さを出そうとせず、一貫して透明感をキープ。西洋の機能的な木管楽器寄りのアプローチで、一歩後ろに下がったオケの前に君臨する圧倒的ソリストという図式は伝統的なクラシック音楽との垣根を感じさせませんが、これを近代フルートではなく尺八で実現させているところが凄いです。一方の琵琶師、友吉鶴心は初演者鶴田錦史の直系弟子で、こちらは師匠譲りの力強いインパクトがありました。西洋クラシック音楽の伝統から見たら調律の狂ったノイズでしかない、もはや音とも音楽とも言えないような薩摩琵琶の様々な奏法が孤軍奮闘でオーケストラさらには尺八と対峙します。楽器と音自体はしなびた感じですが、バルトーク・ピチカートを思わせる弦を胴体にバチンと打ち付ける撥弦奏法(何て呼ぶのかわかりません)のキレは抜群。オケは協奏的な伴奏というより合いの手に徹し、あくまで後方に下がってソリストを支えますが、トランペットなどはもうちょっと繊細に対処してもらいたかったという不満はちょい残るものの、ヤマカズ氏の最初の言葉通り、渾身、入魂の「ノヴェンバー・ステップス」だったと思います。最後に断末魔のように息切れた尺八のあと、ずいぶんと長く静寂を引っ張ったのは、まさに小澤先生への哀悼の思いがあったのでしょう。タクトを下ろしたあとは、聴衆皆それぞれの追悼の意を込めて盛大な拍手が続きました。

この後のベートーヴェンのために配置を変えるのでけっこう時間を取っていて、やっぱり休憩の位置が間違っていたのでは、との思いは消えず。最後のベト2ではさすがに普通の対向配置に戻すのではと思っていたら、二つの弦楽群を完全に左右対向に分けた配置は踏襲したまま演奏を始めました。ヴァイオリンの第1を左、第2を右という伝統的な対向配置ではなくて、第1、第2がどちらも均等に左右に分かれているのは、私は初めての経験で、結論から先に言うと目的とか効果が最後までよくわかりませんでした。左右で均等に鳴っている弦楽群(さらにはそのせいで倍に補強されている管楽群も含め)は、勢いは確かにあるのですが、学校の運動会を連想させるスピード感と落ち着きのなさで、何だかわちゃわちゃしてアンサンブル精度の悪い演奏に聴こえました。よく見ていると対向配置といっても、第2楽章冒頭はヴァイオリンとヴィオラのトップだけにしてみたり、第3楽章のトリオ部では左群のオケだけ鳴らしてみたりとか、スコアの改変に近い仕掛けもあり、細部に何か意図はありそうですが、まあそんな繊細な話は抜きにしてもヤマカズ氏はここでも大熱演。思いが強烈に伝わるダイナミックな指揮ぶりで、この特別な日に特別な演奏会に遭遇できたことをたいへん感慨深く思います。

東京シティ・フィル/高関:話題のカーゲル「ティンパニ協奏曲」は是非実演で聴くべき2024/01/27 23:59



2024.01.27 ティアラこうとう 大ホール (東京)
高関健 / 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
目等貴士 (timpani-2)
1. モーツァルト: 交響曲第32番ト長調 K.318
2. カーゲル: ティンパニとオーケストラのための協奏曲
3. R. シュトラウス: 交響詩「ドン・ファン」
4. R. シュトラウス: 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

在京各オーケストラのシーズンプログラムは出たら一通りチェックをしているのですが、2022年の11月、あまり聴きに行くことがないシティフィルの2023-2024シーズンラインナップを見ていて、最後のほうにマウリシオ・カーゲルのティンパニ協奏曲を見つけて思わずのけぞりました。噂のあの曲が生で聴ける(見れる)とは、1年以上先の話ですがずっと楽しみにしておりました。しかし今年に入って、神奈川フィルでもこの曲をやることがわかり、二度びっくり。しかもシティフィルよりも1ヶ月早く。こちらも聴きに行きたかったところですが、あいにく都合が合わず断念。それにしても、こんなマイナーな曲が同じシーズンで「偶然カブる」なんてことがあるんでしょうか?神奈川フィルのほうはリアルタイムでプログラム公開を追っていたわけではないので確信はないのですが、例年神奈川フィルの定期演奏会プログラムはシティフィルよりも前に公表されているものの、「華麗なるコンチェルトシリーズ」の内容は逆に数ヶ月遅れで出ているようなので、神奈川フィルのほうが後追いだったのではないかと怪しんでいます。まあ、別にどちらのかたを持つわけでもないのですが、シーズンラインナップでさらっと発表し、直前のチラシでもネタバレなしで節度を守ったシティフィルに対して、神奈川フィルはチラシのオモテに「ティンパニに頭から突っ込む人」のいらすとや画像を大きく載せて壮大にネタバレしていたり、ソリストの篠崎史門氏(主席奏者、N響の名物コンマス「まろ」さんの息子ですね)が「ひるおび」にビデオ出演して何度も実演して見せたり、慎みのないハシャギようにちょっと閉口していました。

「あまり聴きに行くことがないシティフィル」と書きましたが、単独の演奏会を聴くのは多分初めてです。会場のティアラこうとうホールもお初にやって来ました。1300席ほどでシューボックス型のコンパクトなホールで、ステージが近く、自然に柔らかい感じの程良い音響です。座席がちょっと窮屈なのが玉に瑕。1曲目のモーツァルト32番は、演奏頻度の少ないマイナー曲ですが、モーツァルトは苦手な私もたまたま5年前にブダペスト祝祭管で聴いて以来の2回目です。3楽章構成ですが切れ目がなく、通しでも10分に満たない序曲のようなショートピースで、実際「序曲」という副題で呼ばれることもあります。高関さんは昨年のN響でブロムシュテットの代役で登場したのを聴いて以来。カリスマとかスケール感というよりは下町のおっちゃん風の距離の近さが持ち味と思うので、この江東公会堂はちょうど良い箱かもしれません(悪口ではなく)。アンサンブルはしっかり鍛錬されている様子ですが、音が雑味を含み垢抜けなく、ホルンがちと弱い感じです。まあ、こんなもんかなというモダンなモーツァルト。

本日のお目当て、2曲目のカーゲルですが、これはやはり実演を見れて本当に良かったです。私が見た限り、この曲の動画はYoutubeに2種類上がっており、全曲聴けるのはカンブルラン指揮ポルト国立管のライブ映像ですが、正直これを聴く限り、ティンパニの様々な特殊奏法はパーカッショニストの端くれとしてたいへん興味深いものの、曲としてはあまり面白いと思えませんでした。しかし実演で聴くと(見ると)印象はだいぶ変わり、4管編成で打楽器多数のカラフルな大オーケストラが作り出す音響空間とティンパニの乾いた打音の掛け合いがこの曲の醍醐味だとわかりました。またティンパニを様々な撥を持ち替え叩くだけでは飽き足らず、マラカスで叩く、ミュートの上から叩く、小太鼓のスティックでロールする、しなやかな竹の撥を革の上でびよよよーんと弾く、さらにはメガホンで声をケトルに共鳴させるなど特殊奏法のオンパレードは、音だけではない視覚効果が付いて初めて完成するパフォーマンスだと悟りました。これらは実演でないと絶対味わえず、是非生で見るべき、聴くべき曲だと心底思った次第です。

ソリストの目等(もくひと)氏はシティ・フィルの主席奏者で、短髪に剃り込み、薄い眉に傷、丸メガネといった風貌がいかにも「やんちゃ系の人」で、クラシック奏者には見えません。腕前がどうかも、こんな変な曲では全く判断はができないのですが、理想的な姿勢で、音の粒はクリアに揃っていて、しっかりとした基本を持っている人だと思いました。最後に突っ込むダミーのティンパニは客席から見えやすいように指揮者からは一番遠い側に置くことになるのですが、目等さんは他のティンパニがドイツ式配列(右手が低音)だったので、最後に最低音のティンパニのロールでグリスダウンしていき、ストップしたら向きを変え、しっかり溜めて大見えを切ってからダミーティンパニに頭を突っ込むその一連の動作が、ダイナミックで実にカッコよかったです。上半身がすっぽり埋め込まれた姿勢もまさに楽譜指定の通り理想的なものでした。YouTubeのポルト国立管の人は配列がアメリカ式で逆(左手が低音)だったせいで、最後の突入が隣のティンパニに急に突っ込むので唐突感がありました。しかし、ふと思ったのですがティンパニというのは、オーケストラの要でありながらも、普通の弦楽器、管楽器やピアノと違ってヴィルトゥオーソが成立しないというか、格別な超絶技巧をひけらかす楽器ではないので、協奏曲やソロ曲になるとどうしても奇抜な奏法に走ってしまうしかないのだなあと。同じ打楽器でも、ヴィブラフォン、マリンバ、はたまたドラムス(ドラムセット)だったら凡人は真似できない超絶技巧の演奏が世の中には多々ある一方、やっぱりティンパニ協奏曲という発想自体がそもそも無理筋なのではないかと思えてきました(だからこそチャレンジし甲斐があるのかもしれませんが)。

後半はリヒャルト・シュトラウスの著名な交響詩2曲。聴きたくなくても聴かされてしまう定番曲だけに、どちらかというと避けていたのですが、気がつけばドン・ファンは10年ぶり、ティルに至っては17年ぶりの実演です。前半のインパクトに比べるとちょっとまた粗に目が行くというか、キレが悪い雑なところが気にはなったものの、全体的には熱のこもった好演でした。精緻なアンサンブル、輝かしい音色、迫力ある音圧は望めないものの、まずは気合いで勝負のオケと見受けました。ホルンが命のシュトラウスですが、やはり気合いが入っていたのか、最初に感じた弱さほどホルンは悪くなかったです。また、さっきの目等氏がスーツに着替えて普通にティンパニ叩いてました。ソリストの派手なパフォーマンスとは異なり、至って普通に控えめなティンパニでした。シェフの高関氏は、うーん、まだちょっとよくわからない。おおらかなスケール感よりも精緻な組み立てを目指す人のように思えますが、オケも含めてこれが高関だ!という色が見えず。もっといろんなオケで聴いてみたいものです。


読響/カンブルラン/エマール:スタイリッシュな「東欧の20世紀」2023/12/05 23:59

2023.12.05 サントリーホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
Pierre-Laurent Aimard (piano-2)
1. ヤナーチェク: バラード「ヴァイオリン弾きの子供」
2. リゲティ: ピアノ協奏曲
3. ヤナーチェク: 序曲「嫉妬」
4. ルトスワフスキ: 管弦楽のための協奏曲

多分今年最後の演奏会になるのは、「東欧の20世紀」と題した、そそる一夜。とは言えヤナーチェクの「嫉妬」はギリ19世紀の作品ですが。国もチェコ、ハンガリー、ポーランドと、各々は「十把一絡げにしてくれるな」と怒りそうな、ナショナルアイデンティティの強い国ばかりの寄せ集めになってます。もちろん、それぞれどれも好物の私はこういう企画大歓迎です。なお、今年は生誕100年の記念イヤーであるリゲティを筆頭に、ちょっと苦しいですが、ルトスワフスキは生誕110年で来年没後30年、ヤナーチェクは来年生誕170年というこじつけっぽい記念イヤーの上塗りも可能なプログラムとなっております。

カンブルランは5年ぶりになります。もちろん、少なくない指揮者、演奏家は4年以上ぶりになるわけですが、カンブルランはわりと毎年聴いていたので、コロナ禍がなければ、その間もコンスタントに聴いていたことでしょう。やっている音楽のわりには気難しさはあまりなく、しかし芸術家の気品と風格が滲み出ている現代のカリスマだと思います。今回のヤナーチェクの2曲は、他人が取り上げない曲をあえて持ってくる、彼らしいこだわりが見えました。だって、ただでさえリゲティとルトスワフスキとくれば、せめてヤナーチェクは「シンフォニエッタ」を選びたくなるのが人情というもの。1曲目「ヴァイオリン弾きの子供」は全く初めて聞く曲で、家にあるヤナーチェク管弦楽曲集にも入っていませんでした。ストーリーのある親しみやすい交響詩で、本日のゲストコンマス(コンミス)日下紗矢子さんのソロが冴えていました。

2曲目のリゲティのピアノ協奏曲も、記念イヤーで今年CDを買うまでは聴いたことがなかった曲。元々リゲティは、ハンガリーに住んでいたころからもっと聴いていてもよかったはずですが、何故かほとんど接点がありませんでした。ポリリズムを駆使した複雑なリズムを醸し出す曲で、リゲティらしさとしては、オカリナ、スライドホイッスル、ハーモニカといった、普段オーケストラでは出てこないので打楽器奏者の担当となりがちな「変な笛類」がふんだんに登場します。小編成なところも含めて、3月に聴いたヴァイオリン協奏曲とよく似ていますが、内容はいっそうシリアスで、カタブツな変態という感じでしょうか。こういった変態曲を得意とするエマールは、もっと聴いたかと思っていたのですが、実演を聞くのは2006年以来、17年ぶりでした。何せ簡単に飲み込める曲ではないので深いことは何も言えませんが、複雑な地図を見失わないようなキレの良いリズムのピアノに、オケもぴったしと寄り添っていく引き締まった演奏でした。エマールのキャラは小難しい理屈屋とは真逆で、基本的に明るいエンターティナーの人とお見受けしました。アンコールは「もちろんリゲティ」と言って、民謡を基調とした親しみやすい小曲を2曲披露してくれました(「ムジカ・リチェルカータ」の第7、8曲だそうです)。

休憩後は再びヤナーチェクのマイナー曲。序曲「嫉妬」は、元々は代表作の歌劇「イェヌーファ」用に書かれたが自ら棄却したものだそうで、そのためにあまり日の目を見られることがない不幸な曲になってしまいました。この曲はうちにあったマッケラス/チェコフィルのCDに入ってましたが、どうしてどうして、ティンパニが終始活躍するカッコいい曲で、短い中にも展開が凝縮された佳曲だと思います。カンブルランはここでも力強くリズムを刻み、けっこうわかりやすい演出でこの隠れた名曲をドラマチックに披露します。

最後のルトスワフスキは、世に数ある「管弦楽のための協奏曲」の中ではおそらくバルトークの次に有名な曲。と言ってもかなり大差がある2位ですが。3位は多分コダーイで、この形式は東欧の作曲家と相性が良いようです。それ以外は、知名度において足元にも及びません。それでこのルトスワフスキですが、実演は10年前の生誕100年記念イヤーでパッパーノ/LSOで聴いて以来の2度目になります。民謡を素材として展開させる手法はバルトークと同様ですが、ソ連共産圏の支配下にあった1950年代の作曲なので、バルトークのようなカラフルさや遊び心はあまり見られず、形式を重んじた硬派一筋の音楽に思えます。いかにも厳しい圧制下に書かれた重苦しい曲として演奏することもできそうですが、カンブルランはそういう小細工なしに、重厚さは失わずともすっきりスタイリッシュに、実にカッコ良い音楽としてすっと聴かせてくれました。7人の打楽器は皆さん渾身の集中力で、金管のリズムが少しもたり気味の感はあったものの、全体的に音圧もバランスも説得力十分。やはりカンブルランにハズレなし、来年も聴きに行こうと意を決したのですが、シーズンプログラムの速報を見ると、来年は1回しか来てくれないんですね…。

日本フィル/カーチュン・ウォン/福間洸太朗(p):「フラブラトラップ」も何のその、「木挽歌」と「悲愴」2023/11/25 23:59

2023.11.25 みなとみらいホール (横浜)
Kahchun WONG / 日本フィルハーモニー交響楽団
福間洸太朗 (piano-2)
1. 小山清茂: 管弦楽のための木挽歌
2. プロコフィエフ: ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 op.26
3. チャイコフスキー: 交響曲第6番《悲愴》 ロ短調 op.74

このところ「念願の選曲を落穂拾いする演奏会」が続きます。今日のお目当ては「管弦楽のための木挽歌」、この一択でわざわざ横浜までやってきました。元々この演奏会はラザレフが振る予定が来日中止になり、首席指揮者のカーチュン・ウォンが尻拭いを買って出た経緯があって、メインの「悲愴」以外の演目を差し替えた中になんと「木挽歌」が入っているのに気づくのが遅れてしまい、26日の東京芸術劇場はすでに別の予定を入れてしまっていたため断念、しゃーないのーと、6年ぶりに横浜みなとみらいホールへやってきたのでした。

シンガポール華僑出身のウォンは、2016年のマーラー国際コンクールで優勝した実力者の若手。来シーズンから英国ハレ管の首席指揮者も兼務するそうです。日フィルでは申し訳程度に武満を数曲演奏するだけではなく、それ以外の日本人作曲家も積極的に取り上げてくれているのがナイスです。今日の「木挽歌」も、昔はともかく、今は日本の指揮者ですら滅多に演目に上がらないのが非常に残念。

「木挽歌」は、9月に聴いた外山雄三「管弦楽のためのラプソディ」と同じく、大昔に部活のオケで演奏した思い出深い曲になります。レコードは3種類持っていますが、実演は一度も聴く機会がありませんでした。この曲は多彩な打楽器が使われる「ラプソディ」と違って、登場する和楽器は締太鼓と櫓太鼓のみ。演奏した当時の自分の担当は櫓太鼓でした。太い撥を持って、皮と枠を叩きつつ日本の祭のリズムを奏でていきますが、皮と枠がそれぞれ別々なので一人でやるのはけっこう大変。さてプロのお手前はと思って見ていたら、何と太鼓の両側から二人がかりで、一人は皮、一人は胴に専念して叩いてました。そうか、そうするものだったのか。一人でも演奏不可能ではないのですが、皮面を片手だけで連打するなど、和太鼓奏法としてはあまり見栄えがよろしくないので、今更ながらの発見です。後輩の指導もあって打楽器パートは全て自ら演奏できるよう叩き込んだので、大昔なのに今でも隅々まで頭に残っており、ティンパニ5台を使ったけっこう長尺の豪快なソロ(高々10小節ですがティンパニが主旋律でここまで引っ張るのはなかなか他にない)も含め、懐かしさはひとしおでした。


今日のプログラムでちょっと気になったのは、「フライング・ブラヴォー・トラップ」(と私が勝手に命名)が二つもある、ということ。「悲愴」の第3楽章は特に頻度が高く、盛り上がってダダダダンと終わった直後に思わず拍手、あまつさえブラヴォーを叫ぶ人もいたりする有名な「トラップ」ですが、マイナーながら「木挽歌」の終曲にも同様のトラップがあります。ウォンは最後うまい具合に音圧を頂点に持っていき、fffの全奏の後、一人だけffffのドラの響きが余韻として残る中、いつのまにか入ってきた低弦の上でバスクラリネットが静かに主題を回想するコーダが、今日は拍手に邪魔されることなく完璧に仕事を終えていました。自分の過去の経験では三度くらい人前で演奏したうち、毎回必ずバスクラソロの前で拍手喝采が起こっておりましたが、さすがに日フィルの定期演奏会、しかもソワレでは皆さんちゃんとマナーをわきまえていらして、フライング拍手は杞憂でした。ウォンの巧みなバランスコントロールと、「悲愴」で使うのとは別の小ぶりなドラを(多分わざわざ)用意したことも功を奏したのではないかと思います。何より、この曲をようやく生演奏で聴けたのが、本当に良かった。ウォンはなぜか、指揮者用の大判スコア表紙を終演後に何度も客席に掲げていて、彼自身もよほど気に入った曲なのでしょうか。

続くプロコフィエフのピアノ協奏曲は、特に避けていたわけでもないのですが、5曲もあるのに過去に聴いたのは第2番を1回だけでした。おそらく一番演奏されているであろうこの第3番は、ロシア革命を避けてアメリカへの亡命途上に滞在した日本で、芸者遊びをしていた際に聴いた長唄が第3楽章主題のヒントになったというエピソードが有名です。ただしこの小ネタは日本でだけ有名なんだそうで、実際に聴いた印象でも特にジャポニズムを感じるわけでもなく、それよりも快活でメカニカルなヴィルトゥオーソピアノと、最後のほうのフィリップ・グラスをちょっと彷彿とさせるミニマルミュージックっぽい展開が印象に残ります。福間洸太朗は初めて聴くピアニストですが、シュッとしたイケメン(年齢的にはイケオジか)タイプで女性人気が高そう。ピアノはあまりパワーを感じない軽めのテクニシャンという印象で、モーツァルトのほうがハマるんじゃないでしょうか。しかし、ウォンは見た限りこの複雑なスコアを乗りこなすことに腐心し、あまりソリストのほうを気にしていないようにも見えました。ちょっとピアノが浮いているように思えたのはそのせいかもしれません。

メインの「悲愴」はあらためて申すことはない著名曲ですが、気づけばインバル/都響で聴いて以来の5年ぶりです。この曲は指揮台を立てずに暗譜で、第3楽章まではいたって普通というか、オケのバランスには細心の注意を払いつつも、気を衒わないオーソドックスな進行。心配した「フライング・ブラヴォー・トラップ」も、「木挽歌」を切り抜けた今日の聴衆が引っかかるはずもなく、何事もなく最終楽章へ。ウォンはここで急にモードを変え、小柄な体格を目一杯動かして感情を表現し、全身でオケに揺さぶりをかけます。この曲はそもそもがそういう曲なので、ある意味これが正統派の解釈とも言えます。総じてクオリティの高い「悲愴」だったと思いますが、こういう超有名曲ならもっとクセのある演奏で聴けた方が個人的には楽しめるかなと。ウォンはバランス感覚に優れ、オケとの連帯感も感じられたので、良い人を連れてきたものだと思います。まだ若いし、じっくり腰を据えてくれたらよいのですが、いろいろ掛け持ちをしているので、引き留めるのは難しいのかもしれません。


N響/マダラシュ:ハーリ・ヤーノシュ他、充実のハンガリアン・ナイト2023/11/10 23:59



2023.11.10 NHKホール (東京)
Gergely Madaras / NHK交響楽団
阪田知樹 (piano-2)
1. バルトーク: ハンガリーの風景
2. リスト: ハンガリー幻想曲
3. コダーイ: 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」

小雨の中、NHKホールへ。雨降りには一番嫌なホールです。それでも、このところ続いている「念願の選曲を落穂拾いする演奏会」なので気分はハイです。「ハーリ・ヤーノシュ」は昔から大好きな曲で、ハンガリーに住んでいたころ全曲版の舞台を1回見ることができたのはラッキーでしたが、ハンガリーにいてさえ滅多にやってくれない演目です。コダーイはバルトークと並び立つハンガリーの2大巨塔とはいえ、やはりレパートリーの人気度ではバルトークとの落差を感じずにはおれません。「ハーリ・ヤーノシュ」の組曲も、もしプログラムに見つけたら万難を廃して聴きに行ってるはずですが、曲の知名度に比してなかなか演目には乗らない曲。前回組曲版を実演で聴いたのは40年以上前、山田一雄指揮の京大オケまで遡ります。

今回N響には初登場のマダラシュは、昨年都響で聴いて以来です。土着のネチっこさとスタイリッシュさを兼ね備えた、今どきのハンガリアンという印象。1曲目「ハンガリーの風景」はバルトークが自らのピアノ曲を寄せ集めて管弦楽に編曲し直したもので、個人的にもよく聴く曲ですが、実演は意外と初めて。マダラシュはキレの良いリズムの中に、ハンガリー民謡の独特の節回しを一所懸命伝えようと奮闘し、オケも若い指揮者に喰らいついて行こうと頑張る姿がN響らしくなく微笑ましいです。譜面台にはポケットスコアを置いていましたが、ほとんど見てない。そう言えば、ハンガリー出身の指揮者は古今東西沢山いらっしゃいますが、日本のオケを振っている姿はあまり目に浮かんでこないので、本場もののハンガリーは意外とレアケースなのかも。

次のリストの「ハンガリー幻想曲」は、一転して民謡色が薄れ、リストが捉えたハンガリーの音楽であるロマ色が濃くなっています。全く知らない曲でしたが、リストらしいヴィルトゥオーソの嵐。風貌からはもう少し年長に見える(失礼!)阪田知樹はまだ20代の人気の若手ピアニスト。長身で手が長くゴツい印象で、ラフマニノフのようです。力強いタッチと正確によく回る指は、もちろん教育と鍛錬もハンパじゃないとは思いますが、恵まれた体格が天賦のモノを感じました。個人的には、長髪は昭和臭が漂うのでやめた方がよいと思います。技巧的なリストを弾ききったあとは、アンコールでバルトーク「3つのチーク県の民謡」をサラッと弾いてくれてラッキー。ブダペストのリスト国際コンクールで優勝しただけあって、このあたりがオハコなんですね。

さて、メインイベントの「ハーリ・ヤーノシュ」。只々、感動です。舞台が遠かったので音量はオケに負けていましたが、それでもツィンバロンの響きが非常に懐かしい。そんなに長い曲ではないのですが、N響からは大曲に取り組むような気合が感じられ、集中力を一段高めた管楽器のソロはどれも概ね素晴らしい仕上がりでした。マダラシュもこの老獪なオケを実に器用にコントロールして、ハンガリー民謡の節回しをたっぷりと歌わせ、何より指揮者も奏者も皆とても楽しそうに演奏しているのがたいへん良かったです。「ハーリ・ヤーノシュ」、演奏難易度が高く、ツィンバロンもあったりして、なかなか簡単にはプログラムに乗せられない演目かもしれませんが、もっともっと演奏されても良いのになあ、とあらためて思いました。

本日の客入りは上の方の階だと3分の1くらいでちょっと寂しいものでした。またこのプログラムのボリューム感は、本来Cプロでやるのはもったいない気がしました。個人的には、チェロの一番後ろで弾かれていた女優ばりの超美人奏者にずっと目がクギ付けでした・・・。


超久々に「ガープの世界」を35ミリフィルムの映画館で2023/10/31 23:59



「ガープの世界」<35ミリで蘇るワーナーフィルムコレクション>
Bunkamura ル・シネマ宮下坂下

先日オーチャードホールに行った際に置いてあったチラシで知った映画イベントです。1968年のスティーブ・マックイーン主演「ブリット」から2011年の「ラブ・アゲイン」までの幅広い年代から計15作品をピックアップし、35ミリフィルムで上映します。この中に私の大好きな「ガープの世界」を発見し、大スクリーンで見る機会はもうないだろうと思い、ハロウィンで大騒ぎの渋谷まで出かけました。

Bunkamuraの映画館ル・シネマは再開発のため今年4月から閉鎖され、宮下坂下の渋谷東映プラザに移転しています。7階のスクリーンは268席と、前のル・シネマと比べるとずいぶんゆったりとした空間で、座席も心地よく快適。今時の映画館はほぼ全てデジタル上映なので、35ミリフィルムの傷と揺れ、パチパチノイズ、独特の字体で手書きの大きな字幕など、何十年の間忘れていた、昔の洋画の懐かしい感覚が蘇りました。もちろんフィルムの状態もあって、一部聴きづらい箇所や見にくい字幕がありましたが、鑑賞の妨げにはなりませんでした。

この「ガープの世界」は1982年のジョージ・ロイ・ヒル監督作品、原作ジョン・アーヴィングで、主演のロビン・ウィリアムズの出世作になりました。私がこの映画を知ったきっかけは同じくアーヴィング原作の「ホテル・ニューハンプシャー」(1984)をたまたまテレビで見て非常に気に入り、遡ってレンタルビデオで「ガープの世界」も借りて鑑賞し、結局どちらもセルVHSを買ってのめり込んだものです。しかし名画座などの映画館で見たことはなく、今回の機会に感謝です。それにしても、「ホテル・ニューハンプシャー」は今でもたまにテレビでやってたりしますが、「ガープの世界」のほうは地上波でもBSでもテレビでやってるのをみたことがありません。ビートルズの曲を使ってしまっているので、テレビはいろいろ権利関係が面倒なのかなと思っていました。

そんなわけで、たいへん久しぶりに「ガープの世界」を見たのですが、長大な原作からエピソードをばっさりと刈り込み、この複雑でヘンテコな話をテンポよく進めていくヒル監督の熟練があらためて素晴らしいと思いました。今更気づいたのですが、ジェニーの両親役のヒューム・クローニンとジェシカ・タンディは、実生活でも夫婦ですね。「フライド・グリーン・トマト」も大好きな映画なのに、ジェシカ・タンディがこっちにも出ていたのを全く忘れていました。このご夫婦と、ヒル監督、そしてロビン・ウィリアムズが故人で、調べるとアーヴィングも含めてあとは概ねご存命なので、返す返すもウィリアムズが鬼籍のほうに入っているのは残念です。

今回の密かなお目当ては、かつてとっても大好きだった女優、クッシー役のジェニー・ライトの瑞々しい美しさを大スクリーンで再び見れたこと。このあと「ピンク・フロイド/ザ・ウォール」「セント・エルモズ・ファイア」「ヤング・ガン2」「バーチャル・ウォーズ」などいくつかの作品で爪痕を残していますが、しかしそこそこの中堅若手からブレークすることはなく、気がつけばピークを過ぎて見ることがなくなってしまいました。登場時間は短かったものの、やはりクッシーのインパクトが最高です。

ハチ公広場が封鎖されていたので、宮下坂下に人が溜まっていました。

読響/ヴァイグレ/宮田大(vc):心がちょっとざわざわする、ロシア音楽の夕べ2023/10/27 23:59

2023.10.27 サントリーホール (東京)
Sebastian Weigle / 読売日本交響楽団
宮田大 (vc-1)
1. プロコフィエフ: 交響的協奏曲 ホ短調 作品125
2. ハチャトゥリアン: バレエ音楽「ガイーヌ」より
 ゴパック/剣の舞/アイシャの踊り/バラの乙女の踊り/子守歌/レズギンカ
3. ストラヴィンスキー: バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)

昨年あたりから、実演で聴きたいとずっと思っていてまだ聴いたことがない曲(長らく聴けていない曲も含む)を目当てに、落穂拾いのように行く演奏会が多いような気がしていますが、今日もその一つ。

1曲目の「シンフォニア・コンチェルタンテ」はプロコフィエフの最晩年に、チェロ協奏曲第1番を大幅に書き直す形で作曲され、ロストロポーヴィチに捧げられた曲。ほぼ馴染みがない曲です。第1番の方もずっと以前に聴きましたが、とっつきにくい難曲でした。果たしてこの曲も、チェロが技巧の限りを尽くして奮闘するのはわかるのですが、展開が早過ぎというか複雑で、どうにも捉えどころがわからない。そんなわけで演奏解釈などの論評はお手上げで、ひたすら演奏家の様子を観察しておりました。

若手の人気チェリスト宮田大を聴くのは初めてでしたが、彼の華々しい経歴とストラディヴァリの楽器をもってしても、この難曲はいかにも手に余る感じが見て取れました。厳しい高音域のフレーズが続き、余裕を見せる余裕は全くなさそうで、ずっと苦しく不安定な空気が支配します。ちょうど斜め後方から見る席だったのでオペラグラスで楽譜を覗き込んだら、通常のA版/B版よりも縦長の楽譜には赤ペンでびっしりと書き込み。自分で譜めくりしなければならない事情を考慮してか、最多で4ページ分を見開きで譜面台に置けるように作ってありました。指揮者の譜面台に目を向けると、こちらも同様の縦長サイズのスコアがリングファイルになっていて、書き込みはほとんどないものの、ところどころ黄色の蛍光ペンでハイライトしてあります。どちらも手作り感満載で、生真面目な人たちなんだなということはよくわかりました。アンコールはチェロ独奏でラフマニノフの「ヴォカリーズ」。いやはや、先ほどの苦しさ不安定さは何処へやら、非常にのびのびと素晴らしい演奏でした。

休憩後の「ガイーヌ」が本日のお目当てです。ここ20年に渡る演奏会備忘録の中で、超有名な「剣の舞」のみ、バレエガラで1回、ファミリーコンサートで1回それぞれ聴いただけで、著名曲なのにノーマルな演奏会プログラムに乗ることが非常に珍しいのは、やはり扱いやすいコンパクトな組曲がないからなのでしょう。最初の原典版作曲ののち、ほぼ全ての曲を再構成した3つの組曲がありますが、第1組曲の抜粋に第3組曲の「剣の舞」と「ゴパック」を加えた構成で演奏されることが多いようで、今日の選曲もそのようになっています。ただ順番はストーリーを完全に無視し、バレエでは終了間際に出てくる「ゴパック」と「剣の舞」をあえて最初にもってくる曲順でしたが、これが驚くほどにしっくりとくる組曲編成になっていました。どうせなら多分「剣の舞」に次いで有名な「ガイーヌのアダージョ」も組み入れて欲しかったところですが。演奏は、金管がちょっとピリッとしない箇所はありましたが、リズミカルで小気味良くまとまった、完成度の高い演奏でした。「剣の舞」の高速裏打ちとか、少しの綻びも許されない緊張感がありますが、隙なくしっかりとまとめ上げたのは指揮者の統率力だと思います。終演後、最初に木琴奏者と小太鼓奏者が立たされるのは、この曲ならではですね。(そういえばどの曲でもチェレスタ奏者が立たされていましたが、全曲チェレスタ入りのプログラムというのも、結構特殊ですか。)

最後の「火の鳥」。全曲版はバレエの舞台も含めてよく聴きましたが、組曲盤は意外と実演ではあまり聴いておらず、おそらくこの曲が含まれるのは所謂「名曲プログラム」になってしまう場合が多く、避けていたからだと思いました。あらためて落ち着いて組曲を聴くと、2管編成に縮小されながらも充分以上の音圧を保ち、ストーリーに沿ってコンパクトに凝縮された、たいへんよくできた組曲だなあと感心しました。見かけがいかにもドイツ紳士で、芸術家というよりも大会社の社長のようなヴァイグレさん、ドイツ人らしい手堅さで破綻なくかっちりとまとめられた演奏でした。ただ後半を通して思ったのは、どの曲も申し分ない立派な演奏だったのですが、あんまり印象が後に残らない。すっと聴けてすっと流れていく、感情を捉える引っ掛かりをあえて作っていないように私には思えました。

このご時世、ロシアの音楽は敬遠されるどころか、何ならむしろ前よりも演奏会に乗る機会が増えている気がしてならないのですが、完全にニュートラルな立ち位置で無垢に音楽と向き合うことができなくなっているのかもしれないと気づきました。このオールロシアンプログラムを組んだ人々、それを演奏する人々、わざわざ聴きにくる人々、それらに何かしらの「意味」を求めてしまっている自分がいます。元々は、前半厳しく、後半楽しく、後腐れなく能天気に聴き流せるプログラムという以外、意味はなかったのかもしれません。複雑な邪念に悩まされることなく音楽を楽しめる平和な時間が、一日も早く取り戻せますように祈るのみです。

N響/高関:アラジン組曲、シベリウス2番(ブロム翁リベンジならず…)2023/10/20 23:59



2023.10.20 NHKホール (東京)
高関健 / NHK交響楽団
1. ニールセン: 「アラジン組曲」より
 祝祭行進曲/ヒンドゥーの踊り/イスファハンの市場/黒人の踊り
2. シベリウス: 交響曲第2番ニ長調

この演奏会、私に限らずチケットを買った人の大多数はブロムシュテット翁が目当てだったはずですが、10月に入ってから健康上の理由で来日キャンセル、Aプログラム(ブルックナー5番)は演奏会自体が中止とのこと。アンスネスがソリストで来日するBプログラムはともかくとして、このCプログラムも中止になるんじゃないかなと思っていたら、直前になってBプロが尾高忠明、Cプロが高関健が代役で指揮台に立つ(ので公演中止はせず払い戻しもなし)という連絡がメールに加えてわざわざ葉書でも届きました。シベ2が聴きたかったわけでもアラジン組曲が聴きたかったわけでもなくて、昨年聴きそびれてしまったブロムシュテットを今年は何とか見に行きたい一心だったので、正直なところがっかりというしかありませんでした。代役を引き受けてくださったマエストロたちへの敬意から、多分賞賛の声が多数派になるかと思われますので、私はあえて大人げなく小市民の本音ベースで書こうと思いました。例えが適切ではないのは承知の上ですが、例えばブリン・ターフェルが歌うオペラアリアの夜みたいな演奏会で、ターフェルが来日中止になりましたが日本人の代役立てて演奏会は行います公演中止ではないので払い戻しは一切ありません、と言われてモヤモヤしない人はいないのではないかと。

と自分勝手な愚痴をこぼしてはみましたが、指揮者、ソリストの不本意な交代は、演奏会通いをしている中ではままある話、想定範囲内と言わざるを得ません。諏訪内晶子の代役でヒラリー・ハーン、スクロヴァチェフスキの代役でロジェストヴェンスキー、マリア・ジョアン・ピレシュの代役でデジュー・ラーンキ、くらいに「文句ないだろ」的な交代は、やはり滅多に遭遇できないものですね。

N響のCプログラムは、コロナ以降、休憩なしの1時間程度の演奏時間になっています。会場入りがギリギリになってしまいましたが何とか間に合い、客席を見渡すと、やはり空席はちらほら見えましたが、来るのをやめた人は思ったほど多くない様子。1曲目の「アラジン組曲」は、交響曲第4番と第5番の間という円熟期に書かれた劇音楽で、学究的な東洋音楽、民族音楽ではなく雰囲気重視、あくまで異国風の味付けに留まっています。しかし作曲技法的には、「イスファハンの市場」では4群に分かれたオーケストラが別々の音楽を奏でるといった多調とポリリズムの試みがなされていて、交響曲第5番で他の楽器を無視したリズムで小太鼓を叩きまくるという前衛性に通じるものがあります(脱線しますが、同様の実験をやっているアイヴズの「宵闇のセントラルパーク」は1906年作曲、アラジン組曲の1919年よりも早かった!)。何でトライアングルとドラをわざわざ木管の両脇に配置するのだろうと最初思いましたが、なるほど、打楽器もグループ分けされていたのね、と納得。高関さんは多分初めて聴く人で、予備知識がなかったのですが、キャリアを調べてみるとシベリウス先駆者の渡邉暁雄の弟子で、デンマーク、ノルウェーなど北欧のオケへ客演も多かったようで、北欧系の音楽は得意分野かもしれません。この難しいポリモードの音楽を破綻することなく上手く捌いていました。

メインのシベリウス第2番ですが、こちらはちょっと引っかかる演奏でした。急の代役だからということでもないのでしょうが、手探りの感触があり、金管もピリッとせず、終始流れの悪さを感じました。こんなにブツ切れの音楽だったかなと。この前にシベ2を聴いたのは8年前で、同じくNHKホールのN響(指揮はサラステ)でしたが、備忘録をみると感想は真逆でした。もっとも、今日はシベ2を聴きたい気分では全然なかった、という心理的要因が一番大きかったかもしれません。ということで、せっかくの初の高関健でしたが、のめり込んで聴き込むことができず、来年1月のシティ・フィル定期で再見する予定ですので、その際リベンジしたいと思います。

プロフェッショナルなアマオケ、新交響楽団のオール・ショスタコ・プログラム2023/10/09 23:59

2023.10.09 東京芸術劇場コンサートホール (東京)

坂入健司郎 / 新交響楽団

1. ショスタコーヴィチ: バレエ組曲「黄金時代」
2. ショスタコーヴィチ: 交響曲第9番 変ホ長調
3. ショスタコーヴィチ: 交響曲第12番 ニ短調「1917年」


1956年結成の老舗アマオケにして、毎回アマチュアとは思えない、いや、むしろアマチュアだからこそ実現できるのかもしれない、アグレッシブなプログラムで年4回の定期公演をこなしている新交響楽団。チラシを見るたびに気にはなっていたのですがなかなかタイミングが合わず、やっと聴きに行くことができました。以前このオケを聴いたのは、30年以上前の学生時代に山田一雄の指揮でフランクの交響曲とか「道化師の朝の歌」を聴いた演奏会で、調べると1991年7月21日の東京文化会館、同年8月に急逝した山田氏の生前最後の演奏会だったそうです。おぼろげな記憶ですがたいへん骨太かつ躍動感あふれるプロフェッショナルな演奏で、アマオケという印象が全くなかったです。


このオケのプログラムは、(1)近現代の曲、(2)大編成の曲、(3)日本の現代音楽、をほぼ毎回積極的に取り上げるので私の好みにガッチリ合致します。プロオケだったら基本は集客とか採算とかを考えないといけないので、どのオケも毎シーズン似たり寄ったりの名曲プログラムに落ち着いてしまうのが残念な現実です。一方、多くの大学オケはリソース(人数と力量)の制約から、やはり保守的なプログラムになってしまうケースがほとんどです。しかしこのオケは、自分たちがやりたい曲を納得いくまでやり遂げるのがポリシーのようで、理念を理想で終わらず実現できる人数と実力を保持できているところが、まさに他のアマオケとは一線を画する特長だと思いました。


1曲目の「黄金時代」、すっかり忘れていましたが備忘録を確認すると2016年にロジェストヴェンスキー/読響のオールショスタコプログラムで聴いていました。やたらと長い指揮棒がトレードマークのロジェベン翁に対して、今日の指揮者、慶應大出身の新進気鋭インテリ坂入健司郎は、割り箸くらいのやけに短い指揮棒。まあ、爪楊枝サイズのゲルギエフよりは普通ですが、世の中指揮棒を持たない指揮者も多いので、ここは非常にデリケートなこだわりなんでしょうかね。若い指揮者に対してオケ団員の平均年齢は在京プロオケと比べてもずいぶんと高そうで、リタイアしたシニア層とおぼしき人が多数を占めています。その分ベテランの妙味というか、管楽器のソロはどのパートもかなりしっかりとした演奏でした。コンマスは若い女性で、この人もアマオケレベルではなく、めちゃ上手い。プロでも大変な難曲をこれだけの音圧で鳴らし切った新響は、やはり大学オケや市民オケとは同列に語れません。


次のショスタコの第9が、ほぼ今日の目当てでした。好きな曲なのですが、ここ30年以上実演で聴く機会がありませんでした。前回の記憶を辿ると、1992年に初めてロンドンを旅行した際、着いて早速「Time Out」誌を買いイベントをチェック、その日にロイヤルフェスティバルホールでデュトワ/モントリオール響の演奏会があるのを発見し、当日券で観に行ったときの演目がこれでした。元々はアルゲリッチをソリストにベートーヴェンのコンチェルトの予定だったのですが、キャンセルにより曲目変更の結果です。という昔話はもう何度か書いた気がするので本題に戻ると、ちょっとゆっくりめで入った第1楽章から、コンマスのヴァイオリンソロや木管のソロが個人技が冴え渡ります。よく聴いていると縦の線が乱れ気味で、アンサンブルが甘いところも散見され、そこは個人の力量が確かでも、プロではなくアマである限界がありそうです。しかし、全体としてプロも青ざめるハイレベルであるのは間違いないとも思いました。最終楽章の中間部で一瞬音が止まり、木管が入り損ねて入り直したような事故がありましたが、これは指揮者の指示ミスな気がします。コーダに向けてのクライマックスで、舞台後方最上段で飛び跳ねながら嬉々としてタンバリンを打つおじさん(というかほぼお爺さん)がめちゃめちゃ楽しそうでウケました。


休憩後のメインは交響曲第12番。1917年の「十月革命」を題材にしてレーニンに捧げられたというこの硬派な大作は、あまり演奏会で取り上げられることがありません。私もCDは全集で持っているものの、普段ほとんど聴くことがないお蔵入り音源です。登場したコンミスを見て、あれっ、さっきの人と違う。前半のコンミスとその隣に座っていた第1プルトの人々を探すと、第34プルトまで下がっていました。よく見るとティンパニ奏者はさっきのタンバリンおじさんです。一瞬驚いたものの、そうでした、ここはアマオケなので、トップ奏者の途中交代も日常茶飯事なんでしょうね。馴染みの薄い曲だけに細かいところは論評できませんが、曲のエネルギーを全て解き放ったような爆演系で、破綻もなく、息切れもせず、最後まで鳴らし続けた新響の人たちにはリスペクトしかありません。今後も、演目とタイミング次第ではありますが、サブスクで通ってもいいかも、と思いました。池袋がもうちょっと近ければなー