OAE/ラトル:古楽器集団とは思えない音圧のベルリオーズ「ハロルド」「幻想」 ― 2026/06/10 23:59

2026.06.10 Royal Festival Hall (London)
Sir Simon Rattle / Orchestra of the Age of Enlightenment
Timothy Ridout (viola-1)
1. Berlioz: Harold in Italy
2: Berlioz: Symphonie fantastique
フィルハーモニア管が今年で創立80年なら、OAEはその半分、創立40年の記念イヤーだそうです。去年の5月に出張のおり聴いてから1年ぶりになります。今日はサー・サイモンが客演指揮なのでソールドアウト、かと思ったらそうでもなく、リアストールにごそっと空席があったのは団体のキャンセルでもあったのでしょうか。
OAEは本来古楽器の演奏集団なので、バロック期からせいぜいハイドン、モーツァルトくらいまでの古典期の管弦楽を小編成で演奏するのが通常モードなのですが、その固定観念に収まらない企画や共演も毎シーズンたくさん行っているところがユニークで、ラトルは頻繁に客演していますし、ベルリオーズは時代考証的にはそんなにターゲットから外れてはいないものの、やはり今シーズン随一の刺激的なプログラムです。幻想交響曲の古楽器演奏は、ガーディナー/ORR、ロト/ル・シエクルのレコーディングが有名ですが、元祖を辿ると1988年のノリントン/ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ(LCP)が一番最初のはずです。そのLCPはOAEに吸収されて今はもうありませんので、今日のOAEは元祖の血脈を引き継ぐ演奏と言えるでしょうか。
その前に、1曲目はヴィオラ独奏を伴う交響曲「イタリアのハロルド」。実は生演で聴くのは初めてでした。ステージを見て、このオケでは見たことない大人数が乗っていてびっくり。正規の団員だけでこの人数が集められるとは到底思えないのですが、普通のオケと異なり、特に管楽器は楽器自体が違うからエキストラを呼んでくるのも相当たいへんなのではないかと心配しました。最初、ラトルが一人で出てきたので「あれっ」と思ったら、演奏が始まってからソリストが上手から静かに登場、木管と打楽器の間をゆっくりと歩いていき、ハープの横でヴィオラソロを弾き始めました。しかしそこが定位置ではなく、演奏中にうろうろと舞台上を動き回り、いろんなところでソロを弾きます。OAEのオケメンバーが基本ノン・ビブラート奏法なのに対し、ソリストのリダウトは普通にビブラートをかけていて、あくまで素朴で優しい音色のオケの上にロマンチックなヴィオラソロが乗っていく、そのコントラストが今日の場合は非常に良かったです。弱冠31歳の若手、リダウトは舞台上を歩き回りながらも終始無表情で、協奏曲で自分のソロを聴かせるというよりは、ハロルドという役に入り切っている役者のようでした。
この曲はヴィオラ協奏曲のような形をしていながら、ヴィオラの出番がどんどん少なくなっていって、最後は殺されて退場してしまうのが特徴というか、この曲が滅多に演奏されず、さほどの人気もない理由になっていますが、はたして終楽章の途中、リダウトはずいぶんと早めにステージ下手から出ていってしまい、このあとどうするんだろうかと訝っていたら、最後はGreenサイド(上手側)のボックス席まで行って弾いていました(ちょうど頭上だったので姿は全く見えず)。その後のクライマックスは、このオケでは珍しいほどの音圧を感じる熱気でフィナーレを迎え、やんやの喝采。やはりラトルは何か仕掛けてきますが、良いパフォーマンスだったと思います。放送や録音はなさそうだったのが残念。

メインの「幻想交響曲」は、去年の11月にここでパヤーレ/フィルハーモニア管の演奏会を聴いて以来です。もちろん、指揮者はラトルだし、オケは古楽器集団のOAEだし、位置付けはずいぶんと違います。今日はトラも含めて大人数がステージに乗っており、元々そんなに精緻なアンサンブルを売りにしていたオケでもないので、縦の線はだいぶ甘かったです。第1楽章、譜面を立てずに暗譜で臨むラトルは、オケを振り落としても我が道を行く揺さぶりモード。古楽器だからとか客演だからとか、全く関係ありません。一方のOAEは古楽器ゆえの機能性の悪さがあり、実際、危うい場面はいくつもあり、崩壊しなかったのは奇跡でした。なお、古典的フォーマルを重視し、テーマのリピートはしっかりやっていました。
第2楽章はコルネットありのバージョン。ただ、自分席からは見えず(泣)。4台のハープが圧巻でした。終盤でオーボエが静々と上手に消えていき、第3楽章のコーラングレとのかけ合いは舞台袖から吹いていましたが、最後のほうにはいつのまにか戻ってきていました。テンポを頻繁に揺さぶるラトルのタクトで終始描写的に緩急をつけて盛り上げ、このともすればお眠りタイムになりがちな楽章を飽きさせないのはさすが。終盤のティンパニ四重奏はただでさえ小さい手回しティンパニを前に打楽器の女性奏者2名を加えてところ狭しと立ち、硬質のバチで落雷効果をバランスよく演出していました。
古楽器という特質でもあるのか、音が荒れてきていたのでここでラトルは一旦指揮台を下り、全体のチューニングを確認。気を取り直して第4楽章、けっこう早めのテンポでしたが冒頭のティンパニは基本に忠実に片手6連符で叩いていました。ここから登場するシンバルは小ぶりながら非常に澄んだ良い音。大太鼓も口径は小ぶりで胴が深い櫓太鼓のような外見で、こちらは腹に響いてくるような低音は出ない代わりにアタックの鋭い弾丸系の音でした。一方のラストの小太鼓2台はどちらもスコアに忠実に、通常のスネアドラムではなく深銅のミリタリードラムを使用。この楽章は特に4人のファゴットがめちゃきつそうで、ラトルも容赦なくアクセルをかけるものだからほとんど振り落とされる寸前でした。
終楽章も古楽器だからというよそ行き顔はなく、ラトルならではのメリハリの効いた、我が道を行く演奏でした。特に最後の畳み掛けは見事というしかなかったです。舞台裏から聴こえる鐘(チャイム)はなぜかタイミングが合わず、何度もずれていましたが、モニタがなかったんですかね?クラリネットがキツさのあまりヤケクソ気味にサバトのロンドを吹いていたのは猟奇的な感じがして良かったです。終盤に弓の裏の木で弦を叩くコル・レーニョ奏法は、ちゃんとやらずに弓の先の方で弾くのでごまかしていましたが、うーむ、高価な弦楽器が痛むのを避けたかったんですかねえ。なお、今はチューバで代用するのが普通のオフィクレイドは自分の席から見えず確認ができませんでした。
ベルリンフィル/ペトレンコ/G.カピュソン:引き締まった至高のアンサンブル ― 2026/05/02 23:59

2026.05.02 Musikverein, Grosser Saal (Vienna)
Kirill Petrenko / Berliner Philharmoniker
Gautier Capuçon (cello-2)
1. Stravinsky: Pulcinella Suite
2. Tchaikovsky: Variations on a Rococo Theme
3. Beethoven: Symphony No. 2 in D major, op. 36
同じ日にウィーンフィルとベルリンフィルを連続して、しかも楽友協会で聴くという究極のダブルヘッダー。マチネのマーラー3番がウィーンフィル渾身のパワープレイだとすれば、こちらは引き締まった編成と機能性で聴かせるプログラム。ベルリンフィルは前日の5月1日にエステルハージ宮(アイゼンシュタット)のハイドン・ホールで恒例のヨーロッパ・コンサートを行っており、その勢いのままウィーンへ乗り込んできた形になります。何より、ようやくペトレンコ指揮の新生ベルリンフィルを生で聴けるのが嬉しい。
1曲目「プルチネッラ」組曲は、好きな曲ですが実演で聴ける機会が珍しく、2年前のパシフィックフィル東京でようやく聴けて以来ですが、まさかベルリンフィルで聴けることになるとは夢にも思わず。オーボエ、フルート、ファゴット、ホルンが各2、トランペットとトロンボーンが各1にヴァイオリン3プルトの弦五部というミニマムな2管編成は、アンサンブルの精度は言うまでもなく、磨き抜かれたベルリンフィルの上澄みだけを掬い取ったような極上シルキーの響き。管楽器のソロは一つ一つが驚くほど巧く、フレーズの仕舞い方、音の立ち上がり、ちょっとしたニュアンスまでいちいち神経が行き届いており、小編成だからこそ個々の技量が際立っていました。ただ、トップ奏者の上澄みだけで勝負するなら他の一流オケもそこそこ負けていない気はするので、この段階ではまだ「ペトレンコの仕事」がどこにあるのかは掴みきれず。
続く「ロココ変奏曲」ではヴァイオリンが4プルトに少し増えました。チェロ独奏のゴーティエ・カピュソンは、著名なヴィルトゥオーソ・ヴァイオリニスト、ルノー・カピュソンの6歳下の弟。ルノーは2012年にロンドンで一度聴いていますが、ゴーティエは初めてです。見るからに伊達男然としたイケメンですが、外見だけではもちろん終わりません。チェロの音色が素晴らしいうえに、舞台後方のバルコニー席にも驚くほどよく届きました。繊細に歌う瞬間から、芯の強いフレーズを大きく描く場面まで、変幻自在の表現力。最前列にいた母子連れが、幸福そうな笑みを浮かべながら食い入るように見つめていたのが印象的でした。まさに色気ダダ漏れの「女殺し」チェロ。

アンコールではベルリンフィルのチェリスト4人を従え、祈りを思わせる静かな小品を演奏。スマホの翻訳機能を使ってたどたどしくドイツ語で曲の説明をしていたのですが、もちろん聞き取れず。前日のヨーロッパ・コンサートと同じだとすれば、カタルーニャ民謡「エル・カント・デル・オセルス」をパブロ・カザルスがチェロ合奏用に編曲したバージョンのようです。なおアンコールの最中にパルテレ席で倒れた人が出て、6人がかりほどで運び出される騒ぎがあってちょっと騒然としました。
後半のベートーヴェンではヴァイオリンが5プルトと、編成が徐々に増えました。以前一度だけ本拠地のフィルハーモニーでベルリンフィルを聴いた際の演目が同じ交響曲第2番で、不思議と縁があります。演奏は実にキビキビとして質実剛健。高速テンポでも全く乱れないベルリン・フィルの弦の強さを堪能しました。ピリオド奏法寄りではないものの、贅肉を徹底的に削ぎ落としたスマートなベートーヴェン。この曲でようやくティンパニが登場。若い奏者が手巻き式の楽器を硬いウッドのバチで鋭く叩き込む、その音が実に痛快でした。
見る限り、ペトレンコは終始にこやかな表情で指揮をしているのですが、そこから出てくる音楽は極めてストイック。どこか鬼軍曹のような緊張感があり、オーケストラを一切緩ませない凄みを感じました。今年の1月には、今日のプログラムとは対極とも言えるマーラー「千人の交響曲」を取り上げていて、一体どんな演奏だったのだろうかと非常に気になっております…。夏にはBBCプロムスに出演するので、ロンドンでまた聴ける機会を楽しみにしております。


ウィーンフィル/ネルソンス:渾身のパワープレイ、マーラー交響曲第3番 ― 2026/05/02 23:59

2026.05.02 Musikverein, Grosser Saal (Vienna)
Andris Nelsons / Wiener Philharmoniker
Wiebke Lehmkuhl (alt)
Damen des Singvereins der Gesellschaft der Musikfreunde in Wien
Wiener Sängerknaben
1. Mahler: Symphony No. 3
この「ベートーヴェンの散歩道」音楽祭にはサイモン・ラトル、パーヴォ・ヤルヴィ、藤田真央、ロウヴァリ、パッパーノ/LSOなど多彩な顔ぶれが出演していましたが、この日のウィーンフィル&ベルリンフィル・ダブルヘッダーがおそらく一番の目玉だったかと思います。折しもゴールデンウィークなので、楽友協会のロビーには日本人の姿が目立ちました。自分自身ここへ来るのも随分久しぶりで、2012年のちょうど今ごろ、ウィーン家族旅行のついでにリンツ・ブルックナー管を聴いたのが最後です。ウィーンフィルを前回聴いたのは2017年ですが、このときの会場はコンツェルトハウスのほうでした。楽友協会ホールでウィーンフィルを聴いた機会となると、2003年のヤンソンスまで遡らないとなりません。

冒頭、9人のホルンによるユニゾンが鳴った瞬間に、もう完全に持っていかれました。滑らかで艶のある響き、豊かな音量と圧力感、それでいて決して粗くならない音。楽友協会の残響も相まって、「これぞウィーンフィル」と言いたくなる世界が、最初の一撃で現れました。金管がとにかく素晴らしかったです。トランペットのトップは若い奏者でしたが、技術的な不安など微塵も感じさせない完璧な吹奏。トロンボーンも単に豪快なだけではなく余裕をもって歌っているのがニクい。第3楽章の舞台裏からのポストホルンも見事で、終演後のカーテンコールで姿が見えなかった気がしますが、今日イチ拍手ものでした。弦もまた圧巻で、繊細極まりない弱音のコントロールから、全奏で最大音量まで達しても決して崩れない統率感まで、まさに極上のアンサンブルでした。その中でもコンサートマスターの音は突出して輝いており、アンサンブルの中から自然に浮かび上がるソロが至極でした。
ネルソンスの指揮は、師匠のヤンソンス譲りと思わせる、オーケストラに余計な細工を施すのではなく、とびきり上質な楽器を大らかに、存分に鳴らし切る方向の音楽作り。その一方で、この巨大な曲を最後まで弛緩させず、最大音量へ向かうペース配分とバランス感覚はさすがでした。特別に遅いテンポという印象はありませんでしたが、気がつくと演奏時間は優に100分を超えていました。
メゾソプラノのレームクールは2016年の東京・春・音楽祭「ジークフリート」でエルダを歌っていました。野太いが決して濁らない美声で、ホールの隅々までよく届いていました。楽友協会合唱団の女声合唱も舞台後方からオーケストラに美しく溶け込み、響きに自然な厚みを与えていました。一方のウィーン少年合唱団はオルガン前に配置。よく考えると、ウィーン少年合唱団は新婚旅行でミサを見に行ったとき以来かもしれない。今のメンバーは半分近くがアジア系の子どもたちに見え、時代の変化を感じます。対照的に女声合唱のほうはほとんど白人系でした。
全体を通して、腐すところが全く見当たらない好演。ウィーンフィルが本気で繰り出すパワープレイを真正面から浴びた感覚でした。しかし終演後のフライングブラヴォーは、もうちょっと待てないものかねえ。ネルソンスとウィーンフィルはマーラーの交響曲全曲録音を進行中で、この日もいっぱいマイクが立っていましたので、録音が発売されるならぜひ手元に置いておきたいです。
ロンドン響/パッパーノ:チャイコフスキーとRVWのマリアージュ ― 2025/12/07 23:59

2025.12.07 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra & Chorus
Antoine Tamestit (viola-2)
Julia Sitkovetsky (soprano-3)
Ashley Riches (bass-baritone-3)
1. Tchaikovsky: Symphony No. 4
2. Vaughan Williams: Flos Campi for Viola and Chorus
3. Vaughan Williams: Dona nobis pacem
12年ぶりにやっと聴けるLSOは、当時ロイヤルオペラの音楽監督だったパッパーノ大将が現在主席指揮者に就いています。当時から、ゲルギエフの後釜はパッパーノが適任ではないかと思っていたのですが(まさかラトルが来てくれるとは想定外だった)、その12年前にパッパーノの指揮で最後に聴いた演奏会が、くしくも同じチャイコフスキーの第4番というこの偶然。もちろんオケのメンバーはだいぶ入れ替わっているようでしたが、ダイナミックでドラマチックなパッパーノの指揮に圧倒的な演奏力で応えるLSOの組み合わせは、昔と変わらぬ充実感に溢れ、12年のギャップが一瞬で繋がりました。パッパーノは指揮棒なしの指先だけで、オペラの歌手に指示を出すかのように各楽器を操っていきます。管楽器のソロはさすがに皆上手く惚れ惚れしますが、主旋律以外もしっかり聴かせるバランスを保ち、以前「マカロニ・チャイコ」と表した、メランコリックに流れるチャイコフスキーからはだいぶ抑制的に変わってきた印象を受けました。第2楽章の中間部であえてテンポを上げて変化をつけ、第3楽章もしっかりと指揮をしてオケ任せにはせず、決してグリップを離しません。オケの演奏技術力を最大限に発揮した最終楽章は圧巻の馬力と音圧を見せつけました。まだ1曲目なのに全力投球で、ほぼ本日終了です。
そもそもこのヘヴィーなプラグラムのコンセプトがよくわからないのですが、前半のド派手な「喜びの讃歌」に対し、後半は打って変わって穏やかな音楽が続きます。馴染みのないヴォーン・ウィリアムズのマイナー曲で、しかも苦手分野の合唱曲なので後半は正直よくわからんかったです。後半最初の「野の花(Flos Campi)」は小編成室内オケとヴィオラ独奏に歌詞のないスキャットコーラスが加わる曲ですが、その編成のユニークさに比して、曲調はあくまで落ち着いて穏やか。続く「われに平和を与えたまえ(Dona nobis pacem)」ではオケが大編成になり、合唱に加えてソプラノとバリトンも加わります。ある種の「戦争音楽」になりますが、激しさはそんなにありません。ソプラノがちょっと不安定な仕上がりでハラハラしたのですが、バリトンは芯のあるたいへん良い歌唱でした。しかし最後まで聴きどころが掴めず漫然と聴き流してしまって、自分にはまだ英国スピリットを堪能できるだけの修行が足らんのだとしみじみ思いました。

フィルハーモニア/ロウヴァリ:ファジル・サイは環境ビジネスの香り ― 2025/11/30 23:59
2025.11.30 Royal Festival Hall (London)
Santtu-Matias Rouvali / The Philharmonia Orchestra
Fazil Say (piano-2)
1. Sibelius: En Saga
2. Fazil Say: Mother Earth (Piano Concerto) (UK premiere)
3. Dvorak: Symphony No. 8
2021年に若くしてフィルハーモニア管6代目の主席指揮者に就任したロウヴァリは、2014年に一度ミューザ川崎ホールにて東響を振った演奏会を聴いて以来です。1曲目、元々はファリャ「恋の魔術師」がプログラムにあったのですが、数日前にメール連絡があり、シベリウス「エン・サガ」に曲目変更とのこと。直後の韓国ツアーで取り上げる曲に寄せたようですが、個人的にはファリャを聴きたかったので、がっかり。意気消沈して寝てました。
気を取り直して、2曲目は「母なる地球」をテーマにしたファジル・サイの新作ピアノ協奏曲。昔から気になっていたピアニストですがなかなか縁がなく、見るのも聴くのも初めてです。日本では「鬼才! 天才! ファジル・サイ!」というキャッチフレーズが先行して、私も鬼才にして怪人と勝手に思っていたのですが、ちょっと思ってたのと違う印象でした。もっとアヴァンギャルドな作風にぶっとんだピアノを想像していたら、既存イメージを寄せ集めたヒーリング音楽のような曲でした。ちょっと悪口っぽく言うと、思想政治的動機があって、芸術的野心はどこにもない感じ。鳥笛、ギロ、オーシャンドラムなどの打楽器を駆使して山と海の大自然を効果音でわかりやすく表現し、また自席からはよく見えなかったのですが、ピアノにもプリペアドの細工をしていたように聴こえました。そういった「飛び道具」を使わずに自然描写をするのが過去の大作曲家たちが取り組んできたクラシック音楽の矜持だと個人的には思うので、安直な効果音頼みは興醒めです。しかしジャンルを超えた人気ピアニストだけあって、ちょっと常識に欠けるファンも多く、演奏中にも写真や動画を撮ってて怒られてる人を多数見かけました。

メインのドヴォルザーク8番は、全体的に丁寧に作り込んだ演奏で、オケと指揮者が現在最も良い関係にあることがわかります。変に緊張感を煽ることもなく、聴衆のざわつきとか全く気にも留めずとっとと演奏を始めてしまうタイプですね。2014年に聴いた際はまだ20代にも関わらず、ラトルばりに細かいところまで仕掛けを施す恐れ知らずの芸風でしたが、年月が経ってだいぶ肩の力が抜けた感じです。細部まで気を配ったリードながらもあざとい感じはなく、カラッとした都会風のドヴォルザークでした。第9番の「新世界」ではなく、第8番でもそのアプローチを取るのが最近の流行りかもしれません。最終楽章のスピードはブラス泣かせではありましたが。
ロンドンではこれが今年最後の演奏会になるため、聴衆も招待しての創立80周年記念パーティーが終演後に開催されていましたが、翌日の仕事もあり、泣く泣く帰宅の途につきました。
フィルハーモニア/パヤーレ/フローレス:ラテン系ノリノリの「幻想交響曲」 ― 2025/11/27 23:59

2025.11.27 Royal Festival Hall (London)
Rafael Payare / The Philharmonia Orchestra
Pacho Flores (trumpet-2)
1. Berlioz: Overture, Le carnaval romain
2. Gabriela Ortiz: Trumpet Concerto (Altar de Bronce) (London premiere)
3. Berlioz: Symphonie fantastique
早めにサウスバンクに着いたので、18時からの若手奏者による無料の室内楽から聴いてみました。意外とストールの客席が埋まっていたのはびっくり。演目は全く守備範囲ではないですが、ポルトガル音楽界の教祖ルイス・デ・フレイタス・ブランコ及びラヴェルの弦楽四重奏曲で、1時間近くかかった長いプレコンサートでした。ヴィオラの吉村大智君が堂々と物怖じしない演奏で、アンサンブルの軸を担っていました。

さて本日のメインイベントは、ベネズエラのエル・システマ出身ミュージシャンによるベルリオーズを中心としたプログラム。ドレッドヘアが特徴的なラファエル・パヤーレは、不勉強で名前も知らなかったのですが、ドゥダメルに続け!とのし上がりに奮闘中の若手筆頭株、かと思いきや、年齢はむしろドゥダメルよりも上(1歳だけですが)、すでにそれなりのキャリアを積んでおり、現在はサンディエゴ響とモントリオール響の音楽監督を兼任。奥さんはチェリストのアリサ・ワイラースタイン。ちょうどこの1週間前にはN響定期にも客演していて、グローバルに活躍中の人なんですね。
1曲目の「ローマの謝肉祭」はキレ良く始まり、躍動的にオケを操ってギミック満載のリズムをダイナミックに生き生きと乗り越えていきます。冒頭のツカミは充分。多分フローレス目当てかと思われますが、ブラバン楽団員と思しきラフな格好の若者集団が聴きに来ていて、地味な高齢者ばかりの普段の客層とは違う空気感がありました。
2曲目はメキシコの女性作曲家ガブリエラ・オルティスのトランペット協奏曲「青銅の祭壇」。新作なのでほとんど情報がないのですが、プログラムによるとヴァイオリン協奏曲「弦の祭壇」を作曲中に、対となるトランペット協奏曲の発想を得ていたところ、指揮者と同じくエル・システマ出身のトランペッター、パーチョ・フローレスから作曲委嘱の話があり、作曲者がライフワーク的に取り組んでいる「祭壇」シリーズの新曲として誕生したようです。
フローレスはトランペット3本、追ってパヤーレもさらに1本を手に持って登場。シモン・ボリバルやサイトウ・キネンのトップ奏者を務めた実力者だけあって、冒頭から高速パッセージを披露。ソロトランペットに木管とハープ、さらにはオケ側のトランペットも呼応して、聴いたことがないユニークな展開が続きます。フローレスは艶やかな音色に、ほとんど音を外さない完璧な技巧、見た目は陽気なラテン系、なかなか得難いキャラクターの名手です。新作なのでもちろん初めて聴く曲ですが、いわゆる「現代音楽」のテイストはなく、耳に優しい親しみ深い曲調です。後半はラテンパーカッションが大活躍のカーニバル風になり、指揮者、ソリスト、聴衆が皆ノリノリになっていく中、打楽器陣は笑顔なく生真面目な顔で黙々と叩き続けていたのが可笑しかったです。カデンツァもかなり自由に、客席を指さしてカモン、「テキーラ!」の掛け声など、聴衆を巻き込みながらのパフォーマンスにやんやの喝采を浴びていました。アンコールは、曲名は知らないものの、弦楽合奏をバックにしっとりした曲を披露。こういうのもできるんだぜ、とばかりのトランペット名手は、サックス名手に負けず劣らずのズルカッコ良さでした。

メインの幻想交響曲は、これまた全力投球が気持ちいいノリノリのミュンシュ系演奏。今どきは当たり前かもしれませんが、スコア上のリピートは全て行っていても冗長に感じず、軽さと明るさが全編通して滲み出ていました。第2楽章はトランペット奏者がコルネットを持って下手に移動し演奏していましたが、コルネット付きの演奏自体、すごく久しぶりに聴いた気がします(メータ/NYPのレコード以来かも)。あとから調べたら、パヤーレがモントリオール響を振った新譜のレコーディングでもコルネット付き版を選択しているそうで、最近の傾向かもしれません。第3楽章のオーボエは舞台裏からちょっと遠目に、しかし音色はあくまで明るく鳴らして掛け合い、こういうところもミュンシュを彷彿とさせました。第4楽章はテンポを必要以上に揺さぶるわけではなく正攻法で盛り上げていましたが、ホルンのゲシュトップ奏法などスコアに書かれた演出は忠実に実行。最終楽章の弦もきっちり弱音器を使いおどろおどろしさを強調するも、鐘の音は高くてキラキラしており、やはり基本は明るいラテン系に終始していました。あまりに聴きすぎて食傷気味の「幻想」ですが、こういう若くて突き抜けた明るさも、真似しようと思ってもなかなか達成できるものではなく、良きかなと思いました。

サー・アンドラーシュ・シフとOAEのシューマンとメンデルスゾーン ― 2025/05/22 23:59
2025.05.22 Royal Festival Hall (London)
Sir Andras Schiff (fortepiano-1,3) / Orchestra of the Age of Enlightenment
1. Schumann: Introduction and Allegro appassionato for piano and orchestra, Op.92
2. Mendelssohn: Excerpts from the Incidental Music to A Midsummer Night's Dream
(Overture, Intermezzo, Nocturne, Scherzo)
3. Schumann: Piano Concerto
前週に続いて出張中のオフを利用し、懐かしのサウスバンクへ。そもそも2013年に帰国して以来一度も英国を訪れる機会がなかったので、実に12年ぶりになります。中のカフェとショップはすっかり様変わりしていましたが、ホールの中は昔の通りです。
啓蒙時代の楽団、OAEを聴くのも12年ぶりなのですが、シフはハンガリーの巨匠なのに何故か巡り合わせが悪く、過去に聴いたのは2011年のBBCプロムス1回だけでした。古楽器集団のOAEに合わせたとはいえ、ブリュートナーの1859年製フォルテピアノを奏でる今夜のシフはだいぶ変化球というか「よそゆき顔」の様子となるかもしれない、と思っていたのですが、確かにちょっと勝手が変わりやりにくそうな感じは見て取れたものの、元々の理知的で奇を衒わない芸風はこのようなピリオド系アプローチと親和性は高そうでした。本日のプログラムはシューマンとメンデルスゾーンという、19世紀前半を駆け抜け、どちらも若くして亡くなったドイツの天才ペアの作品で、今日のフォルテピアノが作られたのもちょうど二人が亡くなった後くらいですが、彼らが慣れ親しんだ「ピアノ」という楽器は、まさにこのようなものだったんでしょう。
1曲目のシューマン「序奏とアレグロ・アパッショナート」は初めて聴く曲でした。久しぶりに聴くOAEの響きは、独特で新鮮。ノンビブラートの素朴な弦の上に、バロックアンサンブルのようなゴツゴツした木管が乗っかり、全体的に音に芯があって硬質ではあるがふくよかな太さも感じます。ホルンはバルブなしのナチュラルホルンで、浪漫派の曲になってくるとかなり演奏難度が上がると思うのですが、難なく完璧に吹きこなしてめちゃくちゃ上手い。後で調べると、トップのロジャー・モンゴメリーはROHでも首席奏者を勤めている英国ホルン界の第一人者だそうで、さすがと納得。対するシフのピアノは、楽器の特性上オケと音量バランスが合わない部分もあり、本当はガツンと情熱的に盛り上がりたい後半のアパッショナートも、だいぶ地味で落ち着いたものでした。多分モダンピアノにモダンオケで演奏する時はもっと揺さぶる感じになるんじゃないでしょうか。それにしても、過去に4度聴いたOAEも全てこのロイヤル・フェスティバル・ホールだったのですが、このオケのコンセプトでこのホールは広すぎで、何でいつもここでやっているのか不思議です。隣のクイーン・エリザベス・ホールや、あるいはウィグモア・ホールだとビジネス的に難しいのかもしれませんが、せめてバービカンでやってくれたほうが絶対特性に合っているのになあ、と残念に思います。
2曲目は「夏の夜の夢」の非公式「組曲」としてよく抜粋される選曲から「結婚行進曲」を除いた4曲。一番のメジャーどころを外したのは、楽器編成の都合かもしれませんが、全体的なプログラムのトーンを考えての選曲でもあったかと思います。ここではシフは指揮に専念し、個人的にあまり思い入れのない曲ということもあって、あっさりと流れ過ぎました。
休憩中のフォルテピアノ調律にこの人だかり。
休憩後のメイン、シューマンのピアノ協奏曲はゴールデンウィークのラ・フォル・ジュルネでも聴いたばかりですが、ここ近年この曲が大好きになってしまい、いろんな演奏を聴き漁っています。その中にはシフがイヴァーン・フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管と共演したBBCプロムスのYouTube動画もありましたが、やはり弾き振りで、楽器も鳴りにくいフォルテピアノになるとアプローチがだいぶ変わってきます。フレージングがより端正で抑圧的な古典アプローチになっていましたが、曲自体は明らかにロマン派の代表作なので、燃え上がり切れないもどかしさがありました。第2楽章では本来(?)の姿が垣間見え、情感を乗せた深いピアノが聴けましたが、第3楽章では再び即物的なピアノに戻り、ピアノの見せ場を作るよりもオケを快活に進めるほうに腐心している様子でした。
アンコールではピアノの小曲を弾いた後、蓋を閉じてもう終わりかと思いきや、もう一曲、序曲「フィンガルの洞窟」を指揮しました。アンコールピースにはちょっと長い曲ですが、シューマンの協奏曲だけだとメインとしては短いので、ほど良いサービスでした。オケはますます鳴らしにくそうに演奏していましたが、クラリネットはたいへん美しい音色で、満足です。
終演後もこの明るさ。ロンドンの夏がすぐそこですねえ。
聖チェチーリア音楽院管/ガッティ:至極真っ当なブルックナー9番 ― 2025/05/17 23:59
2025.05.17 Sala Santa Cecilia, Auditorium Parco della Musica Ennio Morricone (Roma)
Daniele Gatti / Orchestra e Coro dell’Accademia Nazionale di Santa Cecilia
Andrea Secchi (chorus master)
1. Brahms: Gesang der Parzen
2. Brahms: Schicksalslied
3. Bruckner: Symphony No. 9
私的「まだ見ぬ強豪」の一つ、聖チェチーリア音楽院管弦楽団は、バーンスタイン指揮でドビュッシー管弦楽曲集やプッチーニ「ラ・ボエーム」のレコーディングがあり、1990年代からガッティ、チョン・ミョンフン、パッパーノ、ハーディングといったスター指揮者が音楽監督に名を連ねるイタリアの名門オケです。ローマ出張中のオフ日にちょうど演奏会があったので、ここぞとばかり聴きに行きました。
映画音楽の巨匠モリコーニの名を冠したホールは北側郊外のちょっと不便な場所にあり、ローマ中心部からだとバスかトラムを乗り継いで行くことになります。大きい本屋を超えて奥に入ると、屋外円形劇場を取り囲むように3つの音楽ホールが階段上に位置し、どれがメインホールなのか外観だけでよくはわかりません。中には多目的のイベントスペースもあり、ジュニアオケと思しき団体がバーンスタインの「マンボ」を練習していました。
サンタ・チェチーリア・ホールの中は2800席と比較的広く、深い茶色で統一されたシックな内装に、なだらかな球面の天井がイタリアっぽいこだわりのオシャレです。プログラム前半は、ブラームスの「運命の女神の歌」と「運命の歌」という2曲の合唱曲。個人的にはどちらも全く初めて聴く曲ですが、プログラムにはそれぞれ過去の演奏歴が書いてあって、どちらも2010年にジョナサン・ノットの指揮で演奏して以来のようです。またガッティは「運命の歌」のほうを過去に3回も取り上げており、お気に入りなんでしょう。国立アカデミーの合唱団は80人くらい、声楽曲は元々苦手分野で細かいことはよくわからないものの、緻密なコントロールの下に人声の繊細さと迫力を感じることができました。ただし、ドイツ語の発音はちょっとイタリア寄りで、ブラームス臭いドイツっぽい匂いはしませんでした。なお、ガッティは過去2回聴いていますが、全て暗譜で臨むのがトレードマークのところ、今回も譜面台最初からなしの強気の攻めでした。
買った席がステージ真横だったのはまだよいとして、自席の周辺を見事にいかにも地元勢のおばちゃん時々おっちゃんに囲まれてしまい、開演前はべちゃくちゃ、演奏中でもひそひそとうるさいので、休憩の間に平土間の空いてそうな席に移動。やはり音的にはこっちが大正解でした。ちなみに本日は3日連続公演の最終日で、週末にも関わらず客入りはイマイチ。半分くらいしか埋まってなかったんじゃないでしょうか。もったいない限りです。
気を取り直してメインのブル9。オールイタリアンによるマカロニ・ブルックナーがどんな感じになるのか想像つかなかったのですが、ガッティもオケもさすがに世界の一流、ローカル色を封印した純度の高い正統派ブルックナーでした。まずこの人はブルックナーであろうともやっぱり暗譜で押し通しますが、前半以上に細かくタクトを操り、テンポを揺らし、非常にきめ細かく表情を付けていきます。自分の中でストーリーが完成されており、流れを大事にするためか楽章間をほぼ間髪入れず繋げます。そしてオケが優れて機能的で、応答が素晴らしく良く、何より音色が美しい。ご自慢の弦は言うまでもなく、金管も角がなく必要十分に鳴り渡り、オケが一体となって極めてナチュラルに、なめらかな盛り上がりを見せます。このようなひたすら美しい系のブルックナーが果たして王道かというと、異論もいろいろあるでしょうが、ヨーロッパの一流オケの誠実な仕事ぶりにいたく感動しました。それにしてもガッティの仕事人ぶりは相変わらずのハイレベルで、この人はとんでもなく優れたオケマイスターなのかもしれません。なお、オケメンバーは基本ヨーロッパ系の人ばかりで、第1ヴァイオリンに日本人らしき女性が一人いたのですが、プログラムを見ると韓国系の人でした。
おまけ。イタリアでも人気のようです。
大阪フィル/尾高:松村「前奏曲」とブルックナー「ロマンティック」 ― 2025/02/18 23:15
2025.02.18 サントリーホール (東京)
尾高忠明 / 大阪フィルハーモニー交響楽団
1. 松村禎三: 管弦楽のための前奏曲
2. ブルックナー: 交響曲第4番「ロマンティック」(ノヴァーク版)
記憶に間違いがなければ、大フィルを聴くのは1982年の「大阪国際フェスティバル」にて、アレクシス・ワイセンベルクがソリストでラフマニノフ2番とチャイコフスキー1番を一晩で弾くというコンチェルトの夕べ以来、実に43年ぶりです。それ以前にも朝比奈隆などの指揮で何度か聴いているはずですが、金管はよく音を外すし、正直あまりシャキッとしないオケ、という印象しかありませんでした。東京公演を毎年行っていて、近年は音楽監督である尾高忠明の指揮でブルックナーの交響曲と日本人の作品という組み合わせが定番のようですが、オケとしての優先順位は低いので、カップリングが松村禎三でなければ聴きに来ることはなかったでしょう。
サントリーホールは意外と客入りが良く、9割がた埋まっていました。さっそうと登場したのはソロコンマスのVaundy、ではなく崔文洙。チューニングが始まり、早速嫌な予感がしたのは、あまりに緊張感がなく、音が汚い。というか、安っぽい。大阪人はあまり楽器にお金をかけないのかなと。チューニング自体も、えっそれでやめちゃうの、と拙速な感じを残すものでした。はたして危惧していた通り、冒頭のオーボエは澄み切ったというには程遠い音色で、続くピッコロ6重奏も、最初からあんなにワウってたら繊細なスコアが台無しじゃー、と心で叫んでいました。こういった緩さ、おおらかさが昔から特徴というか、もしかしたら大フィルの魅力なのかもしれません。ただ自分の嗜好とは違うなあ、ということを再認識できました。
松村禎三「管弦楽のための前奏曲」を生で聴くのも超久々で、多分、CD化もされている1992年の都響定期演奏会(指揮は岩城宏之で、前奏曲、ピアノ協奏曲第2番、交響曲第1番というヴェリーベストプログラム)以来です。ついでの余談で、尾高忠明を見るのは2011年の札幌交響楽団ロンドン公演(ロイヤル・フェスティバル・ホール)以来ですが、その前に尾高さんを見たのは1998年のサントリー芸術財団主催「作曲家の個展:松村禎三」(この時は交響曲第2番の初演と、交響曲第1番、チェロ協奏曲というヘヴィープログラム)だったことを今ようやく思い出しました。話を戻すと、西洋音楽のフォーマットを使いながらも常に日本的、アジア的な文化の継承を意識し、音符ではなく古代建造物からインスピレーションを得て書かれたこの初期の傑作が、かつてほど取り上げられなくなったのは残念で、実演で聴けたのがまずは感謝です。この曲を聴くと、短すぎず長すぎない20分弱というコンパクトな時間内で巨大な伽藍が組み上げられていく様が脳裏に浮かびます。このような繊細な曲で(いやどんな曲でもそうなのですが)開始から早速ゴホゴホ遠慮なく咳をする輩があちらこちらにいて、コロナの効用で改善されたと思っていた咳マナーも、喉元過ぎればもはや風前の灯火です。
メインのブルックナー「ロマンティック」は、やはり大フィルの「あかんところ」がしっかりと出ていた演奏と思いました。この曲で特に重要なホルンは音出すだけで必死、出たら万々歳で満足の世界で、その先の「アート」が全くありません。指揮者も最初から野心を捨てている感じで、自分の音楽を淡々とこなすのみ。熱量を感じることができませんでした。第2楽章、ここはプロオケの強みで中音域の弦は充実していて厚みを増していたのですが、第3楽章のホルンはやっぱり音出しているだけの苦しい演奏。最終楽章はそもそも冗長で好きではないのですが、退屈さを凌げるだけの盛り上がりは聴けず。オケのスタミナ配分はきっちり管理していたのか、最後まで管楽器を中心にバテる様子はなく鳴らし切っていました。しかし全体を通してまた聴きたいと思う要素がなく、大フィルのブルックナーは自分のためのものではないなと。クラシックの場合、たいていの曲はどんな演奏だったとしても「実演に勝るものなし」という一面がありますが、ブルックナーだとそうもいかない、ということを悟りました。今日のような演奏を聴きに出かけるくらいなら、家でハイティンクのCDを聴いているほうがずっと心に染みました。
(単なる個人の見解ですので、気を悪くされた方がいたらすいませんです。)











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