ロンドン響/エトヴェシュ/テツラフ(vn):7時半だョ!全員集合2012/04/29 23:59


2012.04.29 Barbican Hall (London)
Peter Eötvös / London Symphony Orchestra
Ladies of the London Symphony Chorus
Christian Tetzlaff (Vn-2)
1. Debussy: Three Nocturnes
2. Szymanowski: Violin Concerto No. 1
3. Scriabin: Symphony No. 4 (‘Poem of Ecstasy’)

元々はブーレーズが振るはずだったこの演奏会、代役がエトヴェシュと聴いてがっかりしてしまったのは前に書いた通りです。やはりブログ仲間でもブーレーズ目当てでチケットを買った人は多く、dognorahさん、かんとくさん、Voyage2Artさん、feliz2さんと、演奏会志向の人々は全員集合状態でした。お目にはかかりませんでしたが、つるびねったさんも絶対いらしたに違いない。

本日の選曲コンセプトは多分「極彩色」。フランス、ポーランド、ロシアと国際色豊かに、色彩感豊かな派手な曲が並びます。feliz2さんは「大人向けの夜の音楽特集」とおっしゃってましたが、確かに言われてみるとその通りですね。それにしても、「目が悪い」という理由でキャンセルしたブーレーズ、この選曲なら目を瞑ってても指揮できるだろうに、何とか出てきて欲しかったですなー、と、しつこく愚痴ります。

1曲目「3つの夜想曲」は、第1曲こそ縦の線が思いっきりズレ気味であれっと思ったのですが、さすがLSOですからすぐに持ち直し、第2曲以降は圧巻のカラフルサウンドがこれでもかと響き渡ってました。元々エトヴェシュはどの楽器もくっきりと鳴らして曲の仕組みを浮き彫りにするタイプの人で、その一方で繊細な弱音にはあまり執着がないのですが、今日の演奏もそんな感じでした。ただ、第3曲の女性コーラスは雑でイマイチ。ここはもうちょっと細やかなコントロールが欲しいところでした。しかし今日の新発見は、ハンガリー時代から何度か聴いてきたエトヴェシュが、意外と「熱い」演奏をやるんだなーということ。大編成のオケをガンガン鳴らしていても、現代作曲家らしくもっとクールに徹した印象がありましたが、それはひとえに自作自演の演奏ばかり聴いてきたからかもしれない。今回のブーレーズの代役ではフランス遠征も一緒に引き受けていますので、ちょっと気合が入ってるのもあるかもしれません。

次のシマノフスキは、何と言ってもテツラフの凄さに尽きました。この人は相変わらず上手過ぎです。先日見たヴェンゲーロフとは相当違い、全身を無駄なく使って、息をするように、歌うように、踊るように、あるいは歩くように、食事をするように、本当に楽器と身体が一体となって、音楽が澱みなく自然と湧き出てきます。低音から高音まで一点の曇りもなく音が澄み切っており、それでいて至高の純米大吟醸酒のごとく一本芯の通った力強い音。かすかに震える最弱音から、フル編成で鳴らし放題のLSOにも全然負けてない最強音まで、信じられないくらいに広いダイナミクス。ほとんど馴染みのないシマノフスキのコンチェルトを聴いてさえ、とてつもない吸引力に眠くなるヒマもなく圧倒されっぱなしでした。聴くたびにそんな超越レベルの演奏を聴かせてくれて、プロの中のプロとは正にこの人のことを指すのだな、と。

アンコールはバルトークの無伴奏ソナタから「メロディア」(と、後で教えてもらいました。無伴奏ソナタは2種類CDを持っているのに、あまり聴いてないのがバレバレ…)。アンコールでやるには長い曲ですが、超々弱音から瞑想的に始まり、途中弱音器を付け外したりの小技はあるものの、名人芸的なパッセージなど一つもないのに、素人が息を呑み続ける極度の緊張感と圧迫感。この人だからこそ達し得た高みの演奏に心を洗われ、今日はかぶりつき席を買っておいて本当に良かったと、しみじみ。テツラフはバリバリ現役ヴァイオリニストの中でも、最も聴きにいく価値がある奏者の間違いなく筆頭でしょう。今後も、チャンスがある限り逃さず聴きたいです。

休憩後の「法悦の詩」は有名曲ですが、20分程度なのでメインとしてちょっと短いような。実演で聴くのは学生時代以来ですから相当久しぶり。前聴いたときのシチュエーションはよく覚えていますが(ええ、デートでした、ええ、上手く行きませんでしたとも)、それは本題ではないとして。ここまで天下のLSOをよく鳴らしてきたエトヴェシュさん、最後はホルン8本、トランペット5本、打楽器盛り沢山の大編成オケをさらに惜しみなく鳴り響かせ、高揚感溢れる圧巻の「エクスタシー」を形作っていました。私、世間で言われるほどこの曲に「えっち」なものを感じることはできず、確かにエモーショナルではあるけど、もっと普遍的で根源的な芸術の高揚と理解しています。この曲で「えっち」な想像をする人は、ジュゴンを見てトップレスの人魚と錯覚するようなもんじゃないのかな。それとも、私の想像力が乏しいんでしょうか…。

と、話がシモのほうにちょっと下りてしまったところで、かんとくさんお気にのミナ嬢は今日はお休み。他に誰か(誰が?)いないかと見渡したところ、第1ヴァイオリンの末尾に座っていた二人の若い女性奏者のうち一方は、Erzsebet Raczというハンガリー人ですが、記憶のある名前だと思ったら、昨年10月に見た王立音楽大学のオケでコンミスやってた人ですね。LSOのExperience Schemeというトレーニングプログラムで今年からずっとエキストラ参加しているようですが、今日初めて気付きました。昨年聴いたときには天賦のソリストの音を持った人だと感じたので、経験を積んで是非ステップアップしていって欲しいですね。