東京春祭ワーグナーシリーズ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」ベックメッサーに乾杯!する日が来ようとは2023/04/09 23:59



2023.04.09 東京文化会館 大ホール (東京)
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 14
Marek Janowski / NHK交響楽団
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Egils Silins (Hans Sachs/bass-baritone)
Adrian Eröd (Sixtus Beckmesser/baritone)
David Butt Philip (Walther von Stolzing/tenor)
Johanni Van Oostrum (Eva/soprano)
Katrin Wundsam (Magdalene/mezzo-soprano)
Daniel Behle (David/tenor)
Andreas Bauer Kanabas (Veit Pogner/Ein Nachtwächter/bass)
Josef Wagner (Fritz Kothner/bass-baritone)
木下紀章 (Kunz Vogelgesang/tenor)
小林啓倫 (Konrad Nachtigal/baritone)
大槻孝志 (Balthasar Zorn/tenor)
下村将太 (Ulrich Eisslinger/tenor)
髙梨英次郎 (Augustin Moser/tenor)
山田大智 (Hermann Ortel/bass-baritone)
金子慧一 (Hans Schwarz/bass)
後藤春馬 (Hans Foltz/bass-baritone)
東京オペラシンガーズ
1. ワーグナー:楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》(全3幕)

4年ぶりの東京春祭ワーグナー・シリーズです。リングシリーズのときと同じく、マレク・ヤノフスキ指揮のN響、ゲストコンマスにライナー・キュッヒルという最強布陣。外来歌手陣は春祭常連のエギルス・シリンス以外、記憶にない名前ばかりだったので少々不安でしたが、やはりこのシリーズの仕掛人の耳は確かで、今回も安定の粒揃いでした。

聴衆の誰もが認める本日のエースは、ベックメッサー役のアドリアン・エレート。初めて聴く人でしたが、バイロイトを含む欧州各地を渡り歩いている現役バリバリのベックメッサーのようで、調べると2013年東京春祭の前回「マイスタージンガー」にも出演していたようです。演奏会形式なので、他の歌手が皆自分の楽譜を持ち歩き、譜面台に置いて歌っていたのに対し、彼だけは完全暗譜でオペラさながらの小芝居を交え、完璧なベックメッサーを演じていました。

突出したパフォーマンスで観衆を大いに沸かせたエレートは別格としても、他の主要キャストの人々も立派な歌唱で盛り立てます。春祭のワーグナー「リング」シリーズでヴォータンを歌っていたシリンスは、ザックス役は今回がほぼ初めてだった様子で、相変わらず存在感のある美声ながら、歌唱は終始固めで、途中詰まったような箇所もあり、暖かい人間味が滲み出るような熟れ感はありませんでした。

ヴァルター役のデイヴィッド・バット・フィリップは、備忘録を辿るとロイヤルオペラで2012年「バスティアンとバスティエンヌ」と2013年「ナブッコ」に出ていたのを見ていますが、その当時はジェット・パーカー・プログラムを卒業したばかりの若手で、特に鮮烈な印象はなく。今日も最初は声が弱く終始オケに負けていましたし、歌の響かせ方も工夫がない(ずっと同じ方向を見て歌っているので反対側の聴衆はずっと聴きづらい)感じでしたが、幕を追うごとに調子を上げ、第3幕のクライマックスにピークを持ってきてヴァルターの成長を表現するという、これを狙ってやっているのだとしたらまさに成長の証、老獪なワザを身につけたものだと感心します。

オケもいつも以上に安定した演奏で、毎度ながらキュッヒル様様です。なお、リングシリーズとは違い、今回は映像による補完はなく、照明のみの簡素な舞台演出でした。

しかしこのマイスタージンガーは、舞台上に人わらわらの人海戦術が効くオペラだけに、演奏会形式だとちょっと辛い箇所がちらほらと。特にラストのクライマックスは、ザックスが「マイスターを舐めないで!」と歌いヴァルターをたしなめた後は、演者の動きだけで大円団が表現されているため、演奏会形式だと話が全然解決しないまま宙ぶらりん感を残して終わってしまいます。やはりこいつは劇場で見たかったものです。それにしてもこのオペラ、ヒトラーも愛しただけあって、ドイツ芸術とドイツ人万歳が結論の、本当に古き良き時代の国威発揚芸術ですね。これが今日までドイツ以外でも世界中で上演され続けているのは、ひとえにワーグナーの音楽が持つ、普遍的でとてつもない価値の賜物でしょう。これがもし、プーチンが愛するロシア皇帝万々歳のオペラだとしたら、それでも芸術的価値が高ければ、やはり今年も上演され続けているのだろうか、などという邪念が演奏中もふとよぎってしまいました。


東京春祭ディスカヴァリー・シリーズ:パウル・ヒンデミット2022/04/17 23:59



2022.04.17 飛行船シアター (旧上野学園石橋メモリアルホール) (東京)
東京春祭ディスカヴァリー・シリーズ vol.8: パウル・ヒンデミット
三又治彦, 猶井悠樹 (vn-1)
佐々木亮 (va-1, 2, 3)
小畠幸法 (vc-1)
冨平安希子 (soprano-4, 6)
小林啓倫 (baritone-4)
有吉亮治(piano-2, 3, 5), 冨平恭平 (piano-4, 6)
中村仁 (解説)
1. ヒンデミット: 朝7時に湯治場で二流のオーケストラによって初見で演奏された《さまよえるオランダ人》序曲
2. ヒンデミット: ヴィオラ・ソナタ op.11-4
3. ヒンデミット: 瞑想曲
4. ヒンデミット: 歌劇《画家マティス》より 第6場1景 
5. ヒンデミット: 組曲《1922年》 op.26 より 第1曲 行進曲、第3曲 夜曲
6. ヒンデミット: 歌曲集《マリアの生涯》 op.27 より 第7曲 キリストの降誕、第9曲 カナの婚宴

ふと思い立って聴きに出かけました。2020年、2021年は多くの公演が中止になってしまったので、東京春祭に出かけるのは実に3年ぶり。とは言ってもメインの文化会館ではなく、初めて訪れる旧上野学園石橋メモリアルホール。座席数500ほどの規模で、立派なパイプオルガンを有するチャペルのような品格が誇りの小コンサートホールだったそうですが、昨年ゲーム会社のブシロードに売却され、今年から多目的の「飛行船シアター」としてリニューアルオープンしたばかりです。オルガンは撤去され、無機質の白壁に演劇用の天井の照明、かつてのファンの落胆が目に浮かぶようです。ただ、以前のを聴いてないので何ともわからないのですが、改装後のホールでも通りがよい十分立派な音響でした。

「東京春祭ディスカヴァリー・シリーズ」は毎年一人の作曲家にフォーカスし、N響メンバーを中心に、あまり演奏機会のない曲なども取り上げて生涯と作風を深堀りしていく企画ですが、今年のお題はパウル・ヒンデミット。著名ながらも普段からほとんど聴くことがない作曲家で、過去の演奏会聴講記録を辿ると2010年プロムスで交響曲「画家マティス」を1回聴いただけでした。

1曲目は「やたらと長く、ふざけたタイトルのクラシック曲」としてクイズネタにもなったりする弦楽四重奏曲。タイトルから分かる通りワーグナーの「さまよえるオランダ人」序曲をモチーフにしたパロディ音楽ですが、IMSLPにスコアがあったので見てみると、スコアはけっこう真面目に書き込まれてます。これを如何に調子外れに、下手くそに聴かせるかが逆にすごく難しいのではないかと。今日はこの曲を実演で聴きたいがために来たようなものです。

追加で配られたチラシを読むと、「そのまま演奏しても良かったのですが」「音楽の特徴と登場人物の心境をマッチングさせ」「オペラのように音楽を創り上げました」とのこと。開演後、いったん舞台が暗転し、スウェット寝衣姿のチェロが登場すると暗がりの中で神経質そうに練習を始めますが、すぐに煮詰まって、横に置いてあった枕とタオルケットで寝てしまいます。朝になりヴィオラがパリッと正装で登場するもチェロは起きず、するとヴァイオリンの2人がはだけた服装にネクタイハチマキの徹飲み明けの出立ちで肩を組んでわしゃわしゃと登場。おもむろに冒頭のトレモロを弾き出すとチェロが飛び起きて合わせていきます。演出と呼べるものはここまでで、後は何とか「二流」の味を出そうとわざとらしい振りで調子外れっぽく弾いていきますが、始まってしまうとオケ奏者のサガというか、真面目さが隠しきれない。ヴァイオリンの2人など終始ボウイングが揃っていて、音もしっかりしているし、上手いのを隠すのが下手。あえて演出を入れたかった理由がよくわかりました。しかし、なかなか珍しく面白いものが聴けました。

前半はこの後ヴィオラとピアノのデュオ曲が2曲続いて、休憩。前半と後半で1回ずつヒンデミットの研究家、中村仁氏によるスライドを使った解説がありました。あらためて年表で見てみると、2つの大戦を直に経験し、最後は(ユダヤ人ではなかったけれども)ナチス政権から逃れて亡命し、戦争に翻弄された人生だったことがわかります。同じ1890年代生まれの著名作曲家はプロコフィエフ、オネゲル、オルフに加えてグローフェ、ガーシュウィン、コルンゴルドなどがいて、その中に並べるとヒンデミットは即物主義の前衛的イメージにも見えますが、時代はすでにバルトーク、ストラヴィンスキー、ヴァレーズ、ウェーベルン、ベルクが登場した後なので、立ち位置がちょっと中途半端に見られてしまうのは仕方がないかと思います(作曲家本人は「立ち位置」など全く気にしてないでしょうけど)。休憩後の初めて聴く歌曲とピアノ曲に接してみても、その印象は変わりませんでした。尖った曲が聴きたい気分だとしても、あえて「画家マティス」を選ぶ理由がない。そうかそれで自分は今までヒンデミットに触れる機会が少なかったんだと思い当たった次第です。

コロナ以降、だいぶ演奏会から遠ざかっていますが、今年もぜひ行きたいとそそられるプログラムの演奏会が少なく、寂しい限りです。演奏者で選んでも来日キャンセルリスクがまだ大きい以上、チケットを買うのに躊躇します。

東京・春・音楽祭:ここでしか聴けないハイレベル、「さまよえるオランダ人」2019/04/07 23:59

2019.04.07 東京文化会館 大ホール (東京)
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 10
David Afkham / NHK交響楽団
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Bryn Terfel (Der Holländer/bass-baritone)
Jens-Erik Aasbo (Daland/bass, Ain Angerの代役)
Ricarda Merbeth (Senta/soprano)
Peter Seiffert (Erik/tenor)
Aura Twarowska (Mary/mezzo-soprano)
Cosmin Ifrim (Der Steuermann Dalands/tenor)
東京オペラシンガーズ
中野一幸 (video)
1. ワーグナー: 歌劇《さまよえるオランダ人》(演奏会形式・字幕映像付)

昨年の「ローエングリン」は見送ってしまったので、2年ぶりの東京春祭ワーグナーです。満開のピークは過ぎましたが、まだ花見客で溢れかえる上野公園を横目に、久しぶりの文化会館へ。

まずは記録をたどってみると、「オランダ人」は2011年にロイヤルオペラで観て以来の2回目。ブリン・ターフェルも実はそんなに見てなくて、やはり2011年のロイヤルオペラ「トスカ」スカルピア役で聴いたのと、シモン・ボリバル響のロンドン公演アンコールでサプライズ登場したのを目の前かぶりつきで見たのが全て。他は初めての人ばかり、かと思いきや、舵手役テナーのコスミン・イフリムは、2006年に観たウィーン国立歌劇場ルーフテラスの「子供のためのオペラ」で、「バスティアンとバスティエンヌ」に出演していました。当時はまだ研究生くらいのキャリアだったでしょうか。

指揮者のダーヴィト・アフカムはドイツ出身、弱冠36歳の新進指揮者で、名前や顔立ちから推察される通り中東系ハーフ(お父さんがイラン人)とのこと。2008年のドナテッラ・フリック指揮者コンクールで優勝したのをきっかけに、ゲルギエフやハイティンクのアシスタントを務めながらキャリアを積み上げてきた人のようです。そういえば、2012年のドナテッラ・フリック指揮者コンクール最終選考をバービカンで見たことを懐かしく思い出しました。

この業界では全く「若造」のアフカム相手に、N響がナメた演奏をしないかとちょっと心配でしたが、今年もゲストコンマスに座ってくれたキュッヒルが睨みを利かせるこのシリーズでは、さすがにそんなことは杞憂でした。出だしの序曲から鋭く引き締まった弦、日本のオケとは思えない馬力の金管、メリハリの効いた演奏を最後まで集中力切らさず、相変わらずの高クオリティで聴かせてくれました。毎回書いてますが、今年もキュッヒル様様です。

このシリーズ、あらためて書くまでもないですが、オケのクオリティに加え、歌手陣が充実しているのも特長で、トータルでここまでのハイレベルは海外の有名歌劇場でもほとんどチャンスはないと思います。ターフェルのオランダ人が別格に素晴らしいのは言うまでもないとして、バイロイトでもゼンタを歌っているメルベートは、エキセントリックながらも浮つかないどっしりとした歌唱が貫禄十分。大御所ペーター・ザイフェルトは多分このシリーズ初登場で、65歳(ルチア・ポップのWidowerだからもっと歳食ってるかと思ったけど、15歳も年下の夫だったんですね)とは思えぬ伸びのある美声を披露。このトリプルスターに交じって、急病のアイン・アンガーの代役で呼ばれたノルウェー人バスのオースボーも、負けることなく堂々と渡り合っていましたので、知名度はまだまだかもしれませんが大した実力者です。主役4人が皆、体格も良く、一様に素晴らしいシンガーだったので、舵手役のイフリムは小柄さ(この人もぼっちゃり系ですけどね)と声の線細さ、不安定さが対比されてしまって気の毒でした。ただ、この役はこのくらい「若い」ほうがむしろ良いかもしれません。マリー役は、うーむ、ほとんど印象に残っていない…。

ビデオは、CGがどうしてもゲームっぽい感じになってしまうので最初は抵抗があったのですが、今回の「オランダ人」は奇をてらわず、ストーリーを分かりやすくトレースしていて、ただでさえ長ったらしいワーグナーのオペラをコンサート形式で鑑賞するにはこれもアリかなと、今は肯定派に傾いています。前にロンドンで観たときのシンボリックな演出よりはよっぽどいい。あと、今回あらためて思いましたが、登場人物がみんな自分勝手な人たちばかりで、最後の昇天のシーンも鼻白むというか、共感できるところがほとんどない寓話だなと。

さて来年は何が来るか、いつ発表になるのか知りませんが、初期の作品を除くともう残すは「トリスタンとイゾルデ」しかないので、それを有終の美として、このワーグナーシリーズもフィナーレ、となるのでしょうか。どんな歌手を揃えるのか、来年も期待大ですね。

気がつけば昨年は演奏会に行く数が激減していて、今年も目ぼしいものがまだ見つけられていないので、さらに激減する予感が…。ブログの更新もこんな感じになりそうです。


東京・春・音楽祭:何とか有終の美、「神々の黄昏」2017/04/01 23:59

2017.04.01 東京文化会館 大ホール (東京)
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 8
Marek Janowski / NHK交響楽団
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Thomas Lausmann (music preparation), 田尾下哲 (video)
Arnold Bezuyen (Siegfried/tenor, Robert Dean Smithの代役)
Rebecca Teem (Brünnhilde/soprano, Christiane Liborの代役)
Markus Eiche (Gunther/bariton)
Ain Anger (Hagen/bass)
Tomasz Konieczny (Alberich/bass-bariton)
Regine Hangler (Gutrune/soprano)
Elisabeth Kulman (Waltraute/mezzo-soprano)
金子美香 (Erste Norn, Flosshilde/alto)
秋本悠希 (Zweite Norn, Wellgunde/mezzo-soprano)
藤谷佳奈枝 (Dritte Norn/soprano)
小川里美 (Woglinde/soprano)
東京オペラシンガーズ
1. ワーグナー: 舞台祝祭劇 『ニーベルングの指環』 第3日 《神々の黄昏》(演奏会形式・字幕映像付)

3月21日に東京の開花宣言が出たときは、エイプリルフールの頃には上野公園の桜もさぞ麗しかろうと思っていたのに、予想外の冷え込みのせいで開花はまださっぱりでした…。そんなこんなで迎えた東京春祭「リング」の最終年は、直前で主役級2人の降板という、それこそ「エイプリルフールでしょ?」と思いたくなるような波乱含みで、のっけから嫌な予感。「出演者変更のお知らせ」のチラシには、来日してリハーサルをやっていたが急な体調不良で、とわざわざ書いてあったので、まあダブルブッキングとかの理由ではないんでしょう。開演前のアナウンスでは、代役の二人は3月29日に来日したばかりなので、と最初から言い訳モード。これまで世界クラスの歌手陣で質の高い演奏を聴かせてくれたシリーズだっただけに、最後にこれはちと残念じゃのー、まあせいぜいおきばりやす、と期待薄で臨んだところ、ジークフリートを除いて概ね今年も満足度の高いパフォーマンスだったので、良かったです。

ブリュンヒルデのティームは、出だしこそ不安定さを見せたものの、すぐにエンジンがかかり、多少粗っぽくはあるものの、堂々とした迫力あふれる歌唱で、この日最大級のブラヴォーを浴びていました。もう一方のベズイエンは割りを食ったというか、気の毒なくらいに自信なさげで、声もオケに負け続けで、このパフォーマンスだけを聴く限り、ジークフリートとしてはあまりに力量不足。この人は最初の「ラインの黄金」でローゲを歌っていて、そのときは曲者ぶりがなかなか似合っていたのですが、ヘルデンテナーは元々キャラじゃないように思います。とは言え、調整不足と時差ぼけの中、この超長丁場を歌い切って、とにもかくにも舞台を成立させてくれたのだから、最後は聴衆の優しい拍手に迎えられてだいぶホッとした表情に見えました。予定通りロバート・ディーン・スミスが歌っていたら格段に良かったのかというと、それも微妙かなと思いますし。

他の歌手も、ほぼ穴がないのがこのシリーズの凄いところ。3年前「ラインの黄金」のファーゾルトを歌う予定がキャンセルし、今回初登場のアイン・アンガーが、やはりピカイチの歌いっぷり。重心の低い落ち着いた演技ながらも要所でしっかりと激情を見せる懐の深い歌唱力は圧巻でした。グンターのマルクス・アイヒェはインバル/都響の「青ひげ公の城」で聴いて以来ですが、鬱屈した役柄なので多少抑え気味ながらも、誰もが引き込まれる美声が素晴らしい。初めて聴くグートルーネのハングラーは、見かけによらずリリックな声質で、振り回される乙女の弱々しさを見事に好演。シーズン通してアルベリヒを歌っているコニエチヌイの安定感は、もはや風格が漂っています。もう一人の常連組、ヴァルトラウテのクールマンも短い出番ながら余裕の存在感。一方の日本人勢は、3人のノルンのハーモニーが悪すぎで、序幕はすっかり退屈してしまいました。終幕のラインの乙女たちはまだ持ち直していましたが。

繰り返すまでもなく、普段より一段も二段も集中力が高かったN響の演奏もこのシリーズの成功要因で、N響をもう一つ信用できない私としては、キュッヒル様様です。もちろん巨匠ヤノフスキのカリスマあってのこのクオリティだと思いますが、二人とも終演後に笑顔はなかったので、出来栄えとしては気に入らなかったのかもしれません。後方スクリーン映像の演出は、元々私は不要論者でしたが、4年目にもなるともはや気にならなくなっていました。ただし演出で言うと、奏者をいちいち袖から出してホルンやアイーダトランペットで角笛やファンファーレを吹かせていたのは、完璧な演奏でバッチリ決めるのが前提でしょうね。

「リング」チクルスも終わり、来年の春祭ワーグナーは「ローエングリン」だそうです。フォークト、ラング、アンガー、シリンスと、これまた充実した顔ぶれの歌手陣で、ワーグナーは疲れたのでちょっと一休みしようかと思ったのですが、秋にはまたチケット買ってしまいそう・・・。

東京・春・音楽祭:さらに進化した圧巻の「ジークフリート」2016/04/10 23:59

2016.04.10 東京文化会館 大ホール (東京)
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 7
Marek Janowski / NHK交響楽団
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Thomas Lausmann (music preparation)
田尾下哲 (video)
Andreas Schager (Siegfried/tenor)
Erika Sunnegårdh (Brünnhilde/soprano)
Egils Silins (Wotan, wanderer/baritone)
Gerhard Siegel (Mime/tenor)
Tomasz Konieczny (Alberich/baritone)
In-sung Sim (Fafner/bass)
Wiebke Lehmkuhl (Erda/alto)
清水理恵 (woodbird/soprano)
1. ワーグナー:舞台祝祭劇 『ニーベルングの指環』 第2夜 《ジークフリート》(演奏会形式・字幕映像付)

東京春祭の「リング」サイクルもついに3年目で、念願の「ジークフリート」にたどり着きました。かつて、ブダペストのオペラ座では毎年年明けに「リング」連続上演をやるのが恒例でしたが、一年目は試しに「ラインの黄金」を見に行き、面白かったので翌年に残り3作品を連続して見る予定が、子供が急に熱を出したため「ジークフリート」だけは見に行けなかったのです。それ以降、ロンドンでも「リング」サイクルの機会はありましたが、都合が合わず行き損ねました…。

一昨年、昨年とハイレベルのパフォーマンスを聴かせてくれたこの東京春祭の「リング」、今年も非の打ちどころがないどころか、進化さえ感じられる圧巻の出来栄えで、満足度最高級の演奏会でした。今年もゲストコンマス、キュッヒルの鋭い視線が光る下、N響は最高度の集中力で演奏を維持し、虚飾のないヤノフスキの棒に直球で応えて行きます。初登場のシャーガーは、ヘルデンテナーらしからぬスマートな体型に、明るくシャープな声が持ち味。これだけ出ずっぱりでもヘタレないスタミナがあり、イノセントなジークフリートは正にはまり役でした。ミーメ役でやはり初参加のジーゲルは、記録を辿ると2006年にギーレン/南西ドイツ放送響のブダペスト公演「グレの歌」の道化クラウス役、および2010年にロイヤルオペラ「サロメ」のヘロデ王役で聴いていますが、備忘録で歌唱力は褒めているものの、正直あまり記憶がありません。今日も最初は(見かけによらずと言えば失礼か)ちょっと上品過ぎるミーメに聴こえましたが、だんだんと下卑た感じになっていく演技力が見事。まずはこのテナー二人の熱演で飽きることなく引き込まれて行きます。

そして、毎年出演のヴォータン役、シリンスは相変わらず堂に入った歌唱。一昨年もアルベリヒを歌っていたコニエチヌイは、明らかに対抗心むき出しの熱唱だったのがちょっと可笑しいですが、この人も歌唱力には定評があります。昨年フンディンクを歌っていた常連のシム・インスンは今年はファフナーに復帰。元々存在感のある重厚な低音に、洞窟の中から出す声はメガホンを使って変化を持たせていました。低音男声陣も各々素晴らしく、皆さん抜群の安定感と重量感でした。

女声陣の出番は少ないですが、まずはブリュンヒルデ役で初参加のズンネガルドは、ワーグナーソプラノではたいへん貴重な細身の身体で、迫力では昨年のフォスターに及ばないものの、どうしてどうして、見かけによらず余裕の声量で揺れ動く心理を感情たっぷりに歌い上げ、聴衆の心をがっちり掴んでいました。シャーガーもスリムだし、シュワルツェネッガーのようなジークフリートとマツコデラックスのようなブリュンヒルデが暑苦しく二重唱を歌う、という既成のビジュアルイメージ(?)を打ち砕く、画期的なヒーロー、ヒロイン像だったと思います。エルダ役のレームクール、森の鳥役の清水理恵も双方初登場でしたが、どちらも出番は短いながら、非の打ちどころのない歌唱。今回も総じてレベルの高い歌手陣で、毎年のことですが、これだけのメンバーを揃えた演奏も、世界中探してもなかなか他にないのでは、と思いました。これだけやったのだから、来年の最終夜ではここまでの集大成を聴かせてくれるに違いなく、とても楽しみです。

東京・春・音楽祭:期待を裏切らぬ「ワルキューレ」2015/04/04 23:59


2015.04.04 東京文化会館 大ホール (東京)
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 6
Marek Janowski / NHK交響楽団
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Thomas Lausmann (music preparation), 田尾下哲 (video)
Robert Dean Smith (Siegmund/tenor)
Waltraud Meier (Sieglinde/soprano)
In-sung Sim (Hunding/bass)
Egils Silins (Wotan/baritone)
Catherine Foster (Brünnhilde/soprano)
Elisabeth Kulman (Fricka/mezzo-soprano)
佐藤路子 (Helmwige/soprano)
小川里美 (Gerhilde/soprano)
藤谷佳奈枝 (Ortlinde/soprano)
秋本悠希 (Waltraute/mezzo-soprano)
小林紗季子 (Siegrune/mezzo-soprano)
山下未紗 (Rossweisse/mezzo-soprano)
塩崎めぐみ (Grimgerde/alto)
金子美香 (Schwertleite/alto)
1. ワーグナー: 『ニーベルングの指環』第1夜《ワルキューレ》(演奏会形式・字幕映像付)

昨年の「ラインの黄金」に引き続き、東京春祭の「リング」サイクル第2弾です。昨年同様、演奏はヤノフスキ/N響に、ゲストコンマスとしてウィーンフィルからキュッヒルを招聘。昨年から引き続きの歌手陣は、ヴォータンのエギルス・シリンス、フンディングのシム・インスン(昨年はファフナー役)、フリッカのエリーザベト・クールマン(去年はエルダ役)。今回の新顔として、まずはジークリンデ役に大御所ワルトラウト・マイヤーを招聘。さらに、ブリュンヒルデ役のキャサリン・フォスターは、近年バイロイトで同役を歌っている正に現役バリバリのブリュンヒルデ。よくぞこの人達を連れて来れたものだと思います。フォスターは看護婦・助産婦として長年働いた後に音楽を志したという、異色の経歴を持つ英国人ですが、歌手としてのキャリアはほとんどドイツの歌劇場で培ったようです。マイヤーは記録を辿ると2002年のBBCプロムス、バレンボイム指揮の「第九」で歌っていたはずですが、ロイヤルアルバートホールの3階席では、「聴いた」というより「見た」ことに意義があったかと。ジークムント役の米国人ロバート・ディーン・スミスはブダペストで2回聴いていますが(2006年の「グレの歌」と2007年の「ナクソス島のアリアドネ」)、グレの歌のときは、何だか力のないテナーだなという印象を書き残してました。

私は元々長いオペラが苦手で、特に「ワルキューレ」は歌劇場で過去2回聴いて、途中どうしても「早く先に進んでくれないかな」とじれてしまう箇所がいくつかあります。今回も第1幕は、演奏会形式ということもあってよけいに変化に乏しく、華奢な身体から絞り出されるマイヤーの絶唱に感心しつつも、つい間延びしてぼんやりとしてしまいました。コンサート形式ですが、後ろの巨大スクリーンでゆるやかに場面転換を表現する演出は昨年同様でした。ただ今回は、第1幕冒頭で森を駆け抜け、フンディングの家にたどり着いて進む展開の背景が露骨に具象的で、これはもうちょっと象徴的にカッコよくできなかったもんかと思いました。

第2幕冒頭で登場したフォスターが鳥肌ものの見事な「ワルキューレの騎行」を聴かせると一気にテンションが上がり、続くクールマンも負けじと強烈な迫力のフリッカでヴォータンを圧倒、昨年影が薄かった分を取り返して余りある熱唱でした。そのヴォータンのシリンスも昨年同様堂々とした安定感で、ストーリーの主軸である彼の生き様(神様に対してそんな言い方していいのかわかりませんが)を、音楽的な核としてしっかり具現していました。総じて主要登場人物が減った分、歌手陣がいっそう粒ぞろいになり、昨年にも増して素晴らしいステージとなりました。ワルキューレの日本人女声陣のうち4名は昨年も出ていた人々で、賑やかに脇を固めていましたが、ただ立ち位置が舞台下手の深いところだったので、私の席からは影で見えず、声も届きづらかったのは残念でした。

オケの方も、キュッヒル効果は今年も健在で、N響はこの長丁場を高い集中力で最後まで弾き切りました。まあ、曲が「ワルキューレ」ですから金管にもうちょっと迫力があれば、とは思いましたが、歌劇場付きのオケは本場ヨーロッパでもけっこうショボいことが多いので、十分に上位の部類でしょう。この充実した歌手陣に、引き締まったオケ、かくしゃくとした巨匠、世界じゅう探してもこれだけのリングが聴けるところはそうそうないかと思います。東京春祭万歳。最後のフライング拍手はちょっといただけなかったけど。

おまけ:上野公園の桜。今年はいつにも増して外国人団体客の多いこと!

東京・春・音楽祭:最上品質の「ラインの黄金」2014/04/05 23:59


2014.04.05 東京文化会館 大ホール (東京)
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 5
Marek Janowski / NHK Symphony Orchestra
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Jendrik Springer (music preparation)
田尾下哲 (video)
Egils Silins (Wotan/baritone)
Boaz Daniel (Donner/baritone)
Marius Vlad Budoiu (Froh/tenor)
Arnold Bezuyen (Loge/tenor)
Tomasz Konieczny (Alberich/baritone)
Wolfgang Ablinger-Sperrhacke (Mime/tenor)
Frank van Hove (Fasolt/bass) (Ain Angerの代役)
In-Sung Sim (Fafner/bass)
Claudia Mahnke (Fricka/mezzo-soprano)
Elisabeth Kulman (Erda/alto)
藤谷佳奈枝 (Freia/soprano)
小川里美 (Woglinde/soprano)
秋本悠希 (Wellgunde/mezzo-soprano)
金子美香 (Flosshilde/alto)
1. ワーグナー: 『ニーベルングの指環』序夜《ラインの黄金》(演奏会形式・字幕映像付)

東京春祭で結構高品質のワーグナーをやってると、前から噂では聞いてたので、今年からはリングのシリーズが始まるということで楽しみにしておりました。

まず、今日はN響には珍しく、外国人のゲストコンサートマスターが出てきたのが意表を突かれました。おそらくヤノフスキが手兵のオケから連れて来たであろうこのライナー・キュッヒルばりの禿頭のコンマスは、素晴らしく音の立ったソロに加えて、オケ全体にみなぎる緊張感が実際タダモノではなく、今まで聴いたN響の中でも間違いなくダントツ最良の演奏に「これは良い日に当たったものだ」と喜んでいたのですが、その段に至っても、このコンマスがまさかキュッヒル本人だったとは、演奏中は何故か全く想像だにしませんでした。いったいどういう経緯でN響のコンマスを?こんなサプライズがあるもんなんですねえ〜。

記録を調べてみるまでは記憶が曖昧だったのですが、今日の出演者の中で過去に聴いたことがあるのは以下の4人でした。ヴォータン役のシリンスは2011年にロイヤルオペラ「さまよえるオランダ人」のタイトルロールで(急病シュトルックマンの代役として)。アルベリヒ役のコニエチヌイは2010年のBBCプロムス開幕「千人の交響曲」と、2013年のハンガリー国立歌劇場「アラベラ」のマンドリーカ役で。フリッカ役のマーンケは2007年のフィッシャー/ブダペスト祝祭管「ナクソス島のアリアドネ」(終幕のみ、演奏会形式)のドリアーデ役で。そしてエルダ役のクールマンは2012年のアーノンクール/コンセルトヘボウのロンドン公演で「ミサ・ソレムニス」を聴いて以来です。 

私はワーグナー歌手に明るくないのですが、実際に聴いた限りで今日の歌手はともかく粒ぞろい、穴のない布陣でした。ヴォータン役のシリンスはソ連のスパイみたいなイカツい顔で、キャラクター付けがちょっと固過ぎる感じもしましたが、細身の身体に似つかない低重心の美声を振り絞って、堂々のヴォータンでした。それにも増して存在感を見せていたのはアルブレヒ役のコニエチヌイ。昨年の「アラベラ」でもその太い声ときめ細かいの表現力に感銘を受けたのですが、得意のワーグナーではさらに水が合い、八面六臂の歌唱はこの日の筆頭銘柄でした。ベズイエンのローゲ、アブリンガー=シュペルハッケのミーメはそれぞれ素晴らしく芸達者で、くせ者ぶりを存分に発揮してました。

一方、数の少ない女声陣は、フリッカ役のマーンケはバイロイトでも歌っているエース級。いかにもドイツのお母さんという風貌で、声に風格と勢いがありました。ごっつい白人達に混じって、フライア役の藤谷さんも声量で負けじと奮闘していました。ラインの川底の乙女達は声のか細さ(特に最後の三重唱)が気になりましたが、これも周囲があまりに立派だったおかげの相対的なものでしょう。演奏会形式では演技のない分、常に前を向き、歌に集中できるのも、総じて歌手が良かった要因でしょうね。

御年75歳のヤノフスキは、「青ひげ公の城」のCDを持ってるくらいで実演を聴くのは初めてでしたが、うそごまかしのないドイツ正統派の重鎮であり、オケの統率に秀でた実力者であることがよくわかりました。オケはキュッヒル効果で全編通してキリっと引き締まり、この長丁場でダレるところもなく、ヤノフスキのタクトにしっかりついて行ってました。こんなに最後まで手を抜かず音楽に集中するN響を、初めて見ました。トータルとして、今の日本で聴ける最上位クラスのワーグナーだったと思います。ただ一つ、スクリーンの画像は、この演奏には気が散って邪魔なだけ、不要でした。さて来年の「ワルキューレ」が俄然楽しみになってきましたが、皆さん元気で、どうかこのテンションが4年持続しますように。

東京・春・音楽祭:兵士の物語2014/03/16 23:59


2014.03.16 東京文化会館 小ホール (東京)
東京・春・音楽祭《兵士の物語》
長原幸太 (vn/元・大フィル首席CM)
吉田秀 (cb/N響首席)
金子平 (cl/読響首席)
吉田将 (fg/読響首席/SKO首席)
高橋敦 (tp/都響首席)
小田桐寛之 (tb/都響首席)
野本洋介 (perc/読響)
久保田昌一 (指揮)
國村隼 (語り)
1. ストラヴィンスキー: 兵士の物語

10年目を迎える東京ハルサイに行くのは初めてです。この10年ほとんど日本にいなかったので仕方がない。ワーグナーのオペラと室内楽がプログラムの中心なので、私的にはビミョーな音楽祭ですが、今回は「兵士の物語」を國村隼の日本語ナレーション付きでやるというので。

演奏はこの企画のための特別編成で、読響、都響、N響などから首席奏者が集った、日の丸精鋭アンサンブル。演奏は、個々の人は確かにそれなりにキズのない演奏をしているのだけれど、楽譜が追えたらOKの完全なお仕事モード。音を楽しみ、人を楽しませるという音楽の原点を忘れているというか。いかにも打ち解けてない感じの一体感のないアンサンブルだったし、バランスが悪くてナレーションをかき消してしまったり、果たしてやる気はどのくらいだったのか。一昨年聴いたLSOの首席陣による至高のアンサンブルとは、もちろん比べてもしょうがないのでしょうが、「プロ度」という観点では、日本のトップ達はまだまだこんなもんかと、ちょっとがっかりしました。

最近富みにテレビ・映画で見かける個性派俳優、國村隼のナレーションは出だしから飾り気なく朴訥で、淡々と進みます。後半で悪魔が激高するときに頂点を持ってきてメリハリをつけるという組み立てだったので、トータルの印象としてはテンションの低い時間が多い、眠たいものでした。この人の味は何といってもその「顔」であって声じゃないんだな、と、あらためて思いました。國村隼が声優とかラジオドラマとかDJとか、やっぱりピンと来ないもの。