アンダルシア (2):ファリャの家 ― 2012/04/04 23:59
グラナダには私の大好きな作曲家、マヌエル・デ・ファリャが亡命前の晩年住んでいた家が博物館として残されています。アルハンブラ宮殿へ向かう細い坂道を延々と上って行くと、
ありましたありました。道がちょっとわかりにくいですが、この看板が目印です。
扉には怪しげなノックが。
開館時間中は扉が開いているので中に入り、呼び鈴を鳴らすと係員がすぐに出てきてくれます。他のグループをガイド中であってもともかく顔は出して「5分待って」などと言いますが、実際は20分くらい待たされました。
待っている間、庭に入って周囲を眺めます。
小さな公園のように、奇麗に整った庭。奥にはファリャの像があります。
アルハンブラ宮殿ほどではないですが、けっこう高台にあるので、庭から望むグラナダの町並みは絶景です(天気さえ良ければ…)。
前のグループが終ってようやく中に入ります。入場料(ガイド付)3ユーロ。スペイン人のグループと一緒でしたが、係員は多少英語を混ぜて解説してくれました(ただしめっちゃスペイン訛りの英語なので聞き取りにくい)。ファリャが身体の小さい人だったせいか、たいへんこじんまりとした家です。玄関すぐ横の応接間には小さな円卓があり、ロルカ、ラヴェル、ストラヴィンスキー、ピカソといった友人たちが集っていたそうです。
手回しのレコードプレイヤー。もうレコードがあったんですねえ。
ファリャがここに住んでいた1921〜1939年はほとんど隠居生活で、あまり重要な作品は生まれていませんが、作曲に使っていたピアノも当時のまま残されています。
神経質な人だったようで、寝室のベッドの脇にはおびただしい量の医薬品が常時置いてあったそうです。
ファリャが実際に収集していた浮世絵のプリントは意表をつかれました。左が歌麿、右が北斎です。
ファリャは1936年の親友ロルカの暗殺を受けて1939年にアルゼンチンに亡命し、そのまま1946年に当地にて没。家を見ていると社交的で温和な人柄が見て取れますが、必ずしも幸せな人生とは言えなかったのかもしれません。そう言えば晩年の作品って聴いたことがなかったので、俄然興味が湧きました。
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