小澤征爾の思い出2024/02/10 23:59

昨日の小澤征爾氏の訃報に接し、まずは心より哀悼の意を表します。
まだまだこれからという時に、というわけでもなく、とうとうこの時がきたか、という思いではあります。

自分がクラシック音楽を聴き始めたとき、すでに大スターでした。特に日本では、カラヤン、バーンスタインと肩を並べる三大巨頭として、クラシックが趣味ではない人にも名が知れ渡る人気ぶりでした。

実演を聴くことができたのは2回しかありません。

最初は1981年10月のボストン響との来日公演初日、大阪フェスティバルホールでの「田園」と「春の祭典」という濃いカップリング(これがAプログラム)。正直、細部はよく覚えていませんが、初めて聴いた海外一流オケの圧倒的パワー(特にヴィック・ファース氏の強烈なティンパニ)に感銘を受けました。このとき、田園のスコア表紙に書いてもらった小澤氏と、さらにコンマスのシルヴァースタイン氏のサインは生涯の宝物です。さらには、このときのBプログラムであるウェーベルン「5つの小品」、シューベルト「未完成」、バルトーク「オーケストラのための協奏曲」が、権利にうるさいアメリカのオケとしては珍しくNHK-FMで生中継されており、そのエアチェックのカセットテープも後生大事に持っています。ここで聴いたオケコンがあまりに刺激的で、私のバルトーク好きを決定づける原点となりました。余談ですが、この演奏会では小澤氏が「短い曲なのでもう1回聴いていただきたい」と言ってウェーベルンを2回繰り返すという異例のハプニングも、生放送なのでそのまま放送されていました。


2回目は、長年の因縁と紆余曲折を経て、演奏家へのチャリティーという名目で1995年に実現した32年ぶりのN響との共演。N響との確執はリアルタイムでは知らないので特に関心も感慨もなかったのですが、何より小澤のオケコンが聴ける、というその一点で必死にチケット取りました。演奏会当日の直前に発生した阪神淡路大震災の追悼に「G線上のアリア」が最初に演奏され、ロストロポーヴィチによるアンコールの「サラバンド」が同じく追悼で演奏された後、全員で黙祷し、拍手のないまま散会という異例づくしの演奏会でした。オケ側に固さとミスは多少あったものの、スリリングな緊張感を保った小澤のオケコンは期待通りの感動で、ハイテンションのまま帰路についたのを覚えています。


世が世なら3回目としてチケットを取っていたのが、2012年のフィレンツェ五月祭劇場のバルトーク「中国の不思議な役人」「青ひげ公の城」ダブルビル。前年のサイトウ・キネン・フェスティバルで初演されたノイズム振付・演出のプロダクションをそのまま持ってくる予定だったのですが、小澤氏はこの直前から病気治療のため長期休養に入ることになり指揮をキャンセル。仕方がないとは言え肩透かしを喰らいました。

レコードで好きだったのは、やはり一番アブラが乗っていた1970年代後半から80年代にかけてのドイツ・グラモフォンへの録音で、マーラー「巨人」、プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」、バルトーク「役人」も素晴らしかったですが、特にレスピーギ「ローマ三部作」とファリャ「三角帽子」の完成度は、今なお自分の中のリファレンスになっています。

入手困難だった廃盤や自主制作盤が、これを機に再発してくれたら、とは切に思います。その個人的筆頭はボストン響との「青ひげ公の城」1980年ライブ。サイトウ・キネン・フェスティバルの「中国の不思議な役人」「青ひげ公の城」は当時NHK-BSで放送されていたようなので、その再放送もやってくれたらたいへん嬉しいのですが。

読響/山田和樹:小澤征爾先生に捧げる「ノヴェンバー・ステップス」2024/02/09 23:59

2024.02.09 サントリーホール (東京)
山田和樹 / 読売日本交響楽団
藤原道山 (尺八-2), 友吉鶴心 (琵琶-2)
1. バルトーク: 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽
2. 武満徹: ノヴェンバー・ステップス
3. ベートーヴェン: 交響曲第2番ニ長調

本日の演目は、弦チェレは10年ぶり(前回は大野/都響)、ノヴェンバー・ステップスは11年ぶり(大野/BBC響)、ベト2は14年ぶり(アントニーニ/ベルリンフィル)と、どれも非常に久々に聴くものです。尺八、琵琶のお弟子さん筋なのか、お客はいつもより和服の人が多かったです。

本日のステージは円形の雛壇が組んであり、弦楽器の後方が普段より高いところに位置していました。ちょっと奮発してストール席を取ったのですが、前方の際の方だったので肝心の打楽器、チェレスタが弦奏者に遮られて見えにくい。なぜこのような配置なっているかというと、弦チェレと武満がどちらもスコアで左右対称な対向配置になるよう指定されているためで、想定しておくべきでした、残念…。

1曲目の弦チェレはバルトークの代表作ですが、特殊な編成になるので演奏会のプログラムに乗ることが意外と少ないです。ヤマカズさんは昨年の都響で三善晃「反戦三部作」を聴いて以来です。それに比べると今日の演目はリラックスして聴けるので、実際ヤマカズも飛んだり跳ねたり、本来の明るいキャラクターで千手観音のような指揮ぶりでした。オケの配置の特徴から指揮者のバトンさばきも、指揮棒を持たずに右手と左手が左右対称で動くか、あるいはシンクロした動きになるかで、「ダンス度」が非常に高い、見ていて飽きないものでした。一方でこの配置と雛壇のおかげで、音がいったん上に飛んでから降りてくるため左右の微妙なズレが強調され(真正面で聴いていた人は違うのかもしれませんが)、また音の重心が高く、低音が腹の底から来ないところがちょっと不満ではありました。演奏そのものはメリハリが効き、ゆさぶりも大きくライブ感溢れる好演だったと思いますが、細部の仕上がりがちょっと雑だった印象です。第1楽章が消え入るように終わるところで大きなくしゃみをやらかした輩がいましたが、コロナ禍もすっかり明けて聴衆はまた緩んできていますかなー。

ここで休憩ですが、演目の編成を考えると武満までやってから休憩にしたほうがいいのにな、と思いました。メインがベト2だと軽いとかバランス悪いという理由なら、いっそ1曲目をベト2にする手もありますし。大昔聴いた京大オケ、外山雄三指揮の演奏会がそんな感じでした。ベト2で始まり、ドヴォルザークのチェロコンと続き、最後は「三角帽子」第2組曲で締めるという(しかも「三角帽子」の終曲を再度アンコールでやるという効率の良さ)。

後半最初の「ノヴェンバー・ステップス」は、武満のみならず全ての邦人現代音楽の中でも突出した代表的作品。実演は2013年にロンドンBBC響の「Sound from Japan」で聴いて以来(このときは意外にも英国初演だったそう)の2回目です。ソリストを携えずマイクを手に一人で登場したヤマカズ氏から告げられたのは、「小澤征爾先生が亡くなられました」という訃報。場内「えっ」というどよめき。亡くなったのは2月6日だったそうですが、発表は9日の夜7時過ぎで、当然ほとんどの人は訃報を知らず。くしくも本日の演目は小澤征爾とゆかりが深い曲ばかりで、特に「ノヴェンバー・ステップス」は小澤の推薦によりNYPの創立125周年記念委嘱作品として世に生まれ出た曲です。しかも小澤指揮のNYPで1967年に初演された際、カップリングされたのがベートーヴェンの第2番という、偶然というにはあまりに揃いすぎているこのプログラム。ヤマカズ氏は、演奏会で暗い気持ちにさせるのは先生の本意ではないはずなので、黙祷はせず、この演奏を先生に捧げます、とのこと。

この曲のリファレンスとしては、小澤/トロント響、ハイティンク/コンセルトヘボウ、若杉/東京都響の3種のレコーディング(ソリストはいずれも初演者の横山勝也と鶴田錦史)と、前回実演で聴いた大野/BBC響の演奏をBBC Radio 3で放送した際エアチェックした音声データが手持ちのライブラリにありましたが、そのどれともまた違う個性的な演奏でした。まず私は純邦楽の知識も素養もほぼ何もないただの素人リスナーであることをお断りしておくとして、一見シュッとした若手イケメンに見えるものの実はそんなに若くない藤原道山の尺八が素晴らしかったです。今まで聴いたことがない澄み切った音色の尺八で、まるで美声の詩吟のように朗々とした唄がホールに響き渡ります。もちろん尺八特有のノイジーな奏法もふんだんに使われていますが、無理に力強さを出そうとせず、一貫して透明感をキープ。西洋の機能的な木管楽器寄りのアプローチで、一歩後ろに下がったオケの前に君臨する圧倒的ソリストという図式は伝統的なクラシック音楽との垣根を感じさせませんが、これを近代フルートではなく尺八で実現させているところが凄いです。一方の琵琶師、友吉鶴心は初演者鶴田錦史の直系弟子で、こちらは師匠譲りの力強いインパクトがありました。西洋クラシック音楽の伝統から見たら調律の狂ったノイズでしかない、もはや音とも音楽とも言えないような薩摩琵琶の様々な奏法が孤軍奮闘でオーケストラさらには尺八と対峙します。楽器と音自体はしなびた感じですが、バルトーク・ピチカートを思わせる弦を胴体にバチンと打ち付ける撥弦奏法(何て呼ぶのかわかりません)のキレは抜群。オケは協奏的な伴奏というより合いの手に徹し、あくまで後方に下がってソリストを支えますが、トランペットなどはもうちょっと繊細に対処してもらいたかったという不満はちょい残るものの、ヤマカズ氏の最初の言葉通り、渾身、入魂の「ノヴェンバー・ステップス」だったと思います。最後に断末魔のように息切れた尺八のあと、ずいぶんと長く静寂を引っ張ったのは、まさに小澤先生への哀悼の思いがあったのでしょう。タクトを下ろしたあとは、聴衆皆それぞれの追悼の意を込めて盛大な拍手が続きました。

この後のベートーヴェンのために配置を変えるのでけっこう時間を取っていて、やっぱり休憩の位置が間違っていたのでは、との思いは消えず。最後のベト2ではさすがに普通の対向配置に戻すのではと思っていたら、二つの弦楽群を完全に左右対向に分けた配置は踏襲したまま演奏を始めました。ヴァイオリンの第1を左、第2を右という伝統的な対向配置ではなくて、第1、第2がどちらも均等に左右に分かれているのは、私は初めての経験で、結論から先に言うと目的とか効果が最後までよくわかりませんでした。左右で均等に鳴っている弦楽群(さらにはそのせいで倍に補強されている管楽群も含め)は、勢いは確かにあるのですが、学校の運動会を連想させるスピード感と落ち着きのなさで、何だかわちゃわちゃしてアンサンブル精度の悪い演奏に聴こえました。よく見ていると対向配置といっても、第2楽章冒頭はヴァイオリンとヴィオラのトップだけにしてみたり、第3楽章のトリオ部では左群のオケだけ鳴らしてみたりとか、スコアの改変に近い仕掛けもあり、細部に何か意図はありそうですが、まあそんな繊細な話は抜きにしてもヤマカズ氏はここでも大熱演。思いが強烈に伝わるダイナミックな指揮ぶりで、この特別な日に特別な演奏会に遭遇できたことをたいへん感慨深く思います。

N響/マダラシュ:ハーリ・ヤーノシュ他、充実のハンガリアン・ナイト2023/11/10 23:59



2023.11.10 NHKホール (東京)
Gergely Madaras / NHK交響楽団
阪田知樹 (piano-2)
1. バルトーク: ハンガリーの風景
2. リスト: ハンガリー幻想曲
3. コダーイ: 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」

小雨の中、NHKホールへ。雨降りには一番嫌なホールです。それでも、このところ続いている「念願の選曲を落穂拾いする演奏会」なので気分はハイです。「ハーリ・ヤーノシュ」は昔から大好きな曲で、ハンガリーに住んでいたころ全曲版の舞台を1回見ることができたのはラッキーでしたが、ハンガリーにいてさえ滅多にやってくれない演目です。コダーイはバルトークと並び立つハンガリーの2大巨塔とはいえ、やはりレパートリーの人気度ではバルトークとの落差を感じずにはおれません。「ハーリ・ヤーノシュ」の組曲も、もしプログラムに見つけたら万難を廃して聴きに行ってるはずですが、曲の知名度に比してなかなか演目には乗らない曲。前回組曲版を実演で聴いたのは40年以上前、山田一雄指揮の京大オケまで遡ります。

今回N響には初登場のマダラシュは、昨年都響で聴いて以来です。土着のネチっこさとスタイリッシュさを兼ね備えた、今どきのハンガリアンという印象。1曲目「ハンガリーの風景」はバルトークが自らのピアノ曲を寄せ集めて管弦楽に編曲し直したもので、個人的にもよく聴く曲ですが、実演は意外と初めて。マダラシュはキレの良いリズムの中に、ハンガリー民謡の独特の節回しを一所懸命伝えようと奮闘し、オケも若い指揮者に喰らいついて行こうと頑張る姿がN響らしくなく微笑ましいです。譜面台にはポケットスコアを置いていましたが、ほとんど見てない。そう言えば、ハンガリー出身の指揮者は古今東西沢山いらっしゃいますが、日本のオケを振っている姿はあまり目に浮かんでこないので、本場もののハンガリーは意外とレアケースなのかも。

次のリストの「ハンガリー幻想曲」は、一転して民謡色が薄れ、リストが捉えたハンガリーの音楽であるロマ色が濃くなっています。全く知らない曲でしたが、リストらしいヴィルトゥオーソの嵐。風貌からはもう少し年長に見える(失礼!)阪田知樹はまだ20代の人気の若手ピアニスト。長身で手が長くゴツい印象で、ラフマニノフのようです。力強いタッチと正確によく回る指は、もちろん教育と鍛錬もハンパじゃないとは思いますが、恵まれた体格が天賦のモノを感じました。個人的には、長髪は昭和臭が漂うのでやめた方がよいと思います。技巧的なリストを弾ききったあとは、アンコールでバルトーク「3つのチーク県の民謡」をサラッと弾いてくれてラッキー。ブダペストのリスト国際コンクールで優勝しただけあって、このあたりがオハコなんですね。

さて、メインイベントの「ハーリ・ヤーノシュ」。只々、感動です。舞台が遠かったので音量はオケに負けていましたが、それでもツィンバロンの響きが非常に懐かしい。そんなに長い曲ではないのですが、N響からは大曲に取り組むような気合が感じられ、集中力を一段高めた管楽器のソロはどれも概ね素晴らしい仕上がりでした。マダラシュもこの老獪なオケを実に器用にコントロールして、ハンガリー民謡の節回しをたっぷりと歌わせ、何より指揮者も奏者も皆とても楽しそうに演奏しているのがたいへん良かったです。「ハーリ・ヤーノシュ」、演奏難易度が高く、ツィンバロンもあったりして、なかなか簡単にはプログラムに乗せられない演目かもしれませんが、もっともっと演奏されても良いのになあ、とあらためて思いました。

本日の客入りは上の方の階だと3分の1くらいでちょっと寂しいものでした。またこのプログラムのボリューム感は、本来Cプロでやるのはもったいない気がしました。個人的には、チェロの一番後ろで弾かれていた女優ばりの超美人奏者にずっと目がクギ付けでした・・・。


マダラシュ/都響/シュパチェク(vn):ハンガリー × チェコ = コバケン?2022/10/08 23:59

2022.10.08 サントリーホール (東京)
Gergely MADARAS / 東京都交響楽団
Josef ŠPAČEK (violin-2)
1. リスト (ミュラー=ベルクハウス編): ハンガリー狂詩曲第2番
2. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番 (第2稿)
3. ドヴォルザーク: 交響曲第8番 ト長調

何やかんやで間隔が空き、半年ぶりの演奏会。都響は2年8ヶ月ぶり、バルトークのコンチェルトは5年ぶり、ドボ8は好きな曲なのに何故か巡り合わせが悪く、何と18年ぶりの生演です。今日の演目はちょっと不思議で、ハンガリー人指揮者とチェコ人ソリストの組み合わせながら、協奏曲がハンガリーの曲でメインがチェコの曲というねじれ関係にあります。ありがちな選曲パターンだと、協奏曲はドヴォルザークかマルティヌーで、メインはオケコン、ということになりそうですが、個人的にはそうならなくて良かったです。

マダラシュ・ゲルゲイはハンガリー出身の若手指揮者。同じハンガリーにマダラス・ゲルゲイというテニス選手がいるのでGoogle検索では紛らわしいですが、指揮者はMadaras、テニスはMadarászで、苗字が違いました(語源は多分同じですが)。地元のサヴァリア交響楽団から出発し、現在ベルギー王立リエージュ・フィルの音楽監督。日本では広島響、京都市響への客演を経て東京都響が今回初共演だそう。欧州各所でオペラも振り、地味でも地道にキャリアを積み上げている人のようです。1曲目のハンガリー狂詩曲は出だしの呼吸が少し乱れて、おそらくリハの時間が十分ではなかったのかと思いますが、その後のテンポの揺さぶりを難なく乗りこなしていく百戦錬磨のリーダーシップが頼もしく感じられました。初めて聴くミュラー=ベルクハウス版のハンガリー狂詩曲第2番は、重厚で色彩的が豊かになった分、ピアノ曲の面影はさらに薄まっている気がします。

2曲目、元チェコフィルのコンマスであるシュパチェクの奏でるバルトークは、最初は適度に荒れた質感で、まさにチェコフィルの弦という飾り気のないナチュラルな音。2011〜2019年の間コンマスをやっていたとのことなので、多分その当時にも聴いたことがあるかもしれません。澄み切った美しい高音を響かせたかと思うと、速いパッセージも難なく高速で弾き切り、なかなかのテクニシャンぶりを発揮。長身でシュッとしたイケメンですが、イメージは素朴な東欧の兄ちゃん。変幻自在に楽器を操りながらも演奏に派手さや押しの強さはほとんどなく、しみじみと染み入るタイプのバルトークです。この曲を弾く西側のヴァイオリニストはけっこう派手系の人が多い印象ですが、原点に帰ってこういうバルトークも良いものです。オケのほうはあまり見栄を切らずに大人しめで、ソリストを際立たせる意図があったんではないかと、メインを聴いた後で思いました。アンコールは「母がよく聴かせてくれた故郷モラビアの小曲です」と言って、独奏曲にもなっていない、本当に素朴な民謡を静かに奏でました。多分予定外に何度もカーテンコールで呼び出されたために急遽その場でやったのかと思います。

メインのドボ8は、また元に戻って随所でテンポを(あえて?)田舎臭く揺さぶり、大見栄を切った演奏で、ふと思い出したのがコバケンこと小林研一郎。18年前に聴いたドボ8はコバケン指揮のブダペストフィルだったのですが、まさにこんな演奏だったように思います。ハンガリーでは知らぬ人がいない有名人で、チェコフィルとも縁が深いコバケンですから、もしかしたら若かりしマダラシュも私と同じ演奏会を聴いていて感銘を受け、同じ方向性を目指したのかなとちょっと妄想しました。いや、決してくさしているわけではなく、マーラーやブルックナーではないからオケも破綻することなくしっかりと音が前に出ていて、たいへん良い演奏でした。それと同時に、コバケンのドヴォルザークをまた聴いてみたくなりました。

小泉/都響/イブラギモヴァ(vn):とっても個性的なバルトークと、とっても普通のフランク2017/10/24 23:59

2017.10.24 サントリーホール (東京)
小泉和裕 / 東京都交響楽団
Alina Ibragimova (vn-1)
1. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番 Sz.112
2. フランク: 交響曲ニ短調

ロンドンでは結局1回しか聴けなかったアリーナ・イブラギモヴァ。そのアリーナが待望の来日、しかもバルトークの2番、これは聴き逃す手はありません。ふと振り返ると、昨年はバルトークの曲自体、1回も聴きに行けておらず、ヴァイオリン協奏曲第2番も一昨年のN響/サラステ(独奏はバラーティ)以来。

アリーナも日本でそこまでの集客力はないのか、もっと盛況かと思いきや、結構空席が目立っていました。田畑智子似のちょっと個性的なキューティは、三十路を超えても健在でした。さてバルトークの出だし、第一印象は「うわっ、雑」。音程が上ずっているし、音色も汚い。しかしどうやら狙ってやってるっぽい。この曲をことさらワイルドに弾こうとする人は多いですが、その中でも特に個性的な音楽作りです。ステレオタイプなわざとらしさは感じないし、不思議な説得力があるといえば、ある。ちょうど耳が慣れてきたところでの第1楽章のカデンツは絶品でした。繰り返し聴いてみたくなったのですが、録音がないのが残念。オケはホルンが足を引っ張っり気味で、小泉さんの指揮も棒立ちの棒振りで完全お仕事モード、どうにも面白みがない。ただし、終楽章は多分ソリストの意向だと思いますが、かなり舞踊性を強調した演奏で、オケもそれに引っ張られていい感じのノリが最後にようやく出ていました。エンディングは初稿版を採用していましたが、せっかくの見せ場なのにブラスに迫力がなく、アリーナはすでに弾くのをやめているし、物足りなさが残りました。どちらかというと私はヴァイオリンが最後まで弾き切る改訂版の方が好きです。

メインのフランク。好きな曲なんですが、最後に実演を聴いたのはもう11年も前の佐渡裕/パリ管でした。小泉さん、今度は暗譜で、さっきと全然違うしなやかな棒振り。ダイナミックレンジが広くない弱音欠如型でしたが、力まず、オルガンっぽい音の厚みがよく再現されている、普通に良い演奏でした。小泉和裕は、初めてではないと思いますが、ここ20年(もしかしたら30年)は聴いた記憶がありません。仕事は手堅いとは思いますが、やっぱり、小泉目当てで足を運ぶことは、多分この先もないなと感じます。

カンブルラン/読響:「青ひげ公の城」が透けて見える!2017/04/15 23:59


2017.04.15 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
Bálint Szabó (Bluebeard/bass-3), Iris Vermillion (Judith/mezzo-soprano-3)
1. メシアン: 忘れられた捧げもの
2. ドビュッシー: 〈聖セバスティアンの殉教〉交響的断章
3. バルトーク: 歌劇〈青ひげ公の城〉(演奏会形式)

正直、マイナーとは言わないまでも、このカンブルランならではの渋すぎるプログラムに、ここまで客が入るとは驚きでした。今回の選曲は、バルトークとドビュッシーが共に1911年の作曲で、1曲目のメシアンだけ1930年作曲と、時代が遅れておりますが、むしろメシアンが一番調性寄りの穏やかな音楽に感じてしまいました。「忘れられた捧げもの」は初めて聴く曲でしたが、カンブルランは全てを熟知したようなコントロールで、レガートをきかせてひたすら美しく流れると思いきや、唐突に大きな音で驚かせたりと、素人はなすすべなく遊ばれました。2曲目のドビュッシーも、実演では初めて聴きますが、いかにもというつかみどころのない曲。今日はファンファーレ付きの演奏でした。弦を中心とした精緻な音作りは、他の指揮者のときとはやはり集中力が違いました。

本日のメインイベントはもちろん久々に聴く「青ひげ公の城」。実演は一昨年以来ですが、帰国してからすでに4つ目のオケですから(東フィル、都響、新日フィル、読響)、日本でもやっと定番レパートリーの地位を得たのであればたいへん喜ばしい限りです。今回の歌手陣はどちらも初めて聴く人でした。青ひげ公役のサボー・バーリントは以前も聴いたような気がしていたのですが、いろいろと記録を辿ると、I・フィッシャー/コンセルトヘボウの映像配信で歌っているのを見ていただけで、その直後に同じ指揮者で実演を聴いたブダペスト祝祭管と共演していたコヴァーチ・イシュトヴァーンと、どうも記憶が混同していたようですが、それはさておき。

欧州では演奏会形式でも前口上までちゃんとやるのが昨今の主流ですが、現行のペーテル・バルトーク編完全版スコアで用意されているのはハンガリー語と英語だけなので、日本では前口上なしで済ますのが普通になっていて寂しいです。今日はさらに、第1の扉の前などで聞こえてくる「うめき声」も省略されていて、あくまで純粋音楽としてのアプローチでした。カンブルランのちょっとフレンチなバルトークは、ハンガリー民謡のタメなどはほとんど気にせず淡々と進行し、和声の構造を裏側までくっきり際立たせる見通しの良い演奏で、ここまで徹底したのはありそうであまりなかった、非常に新鮮な響きでした。ただしオケは途中から熱が入りすぎて歌をかき消す音量になってしまったので、大部分はもうちょっと抑え気味でも良かったのでは。ユディットはドイツ人のフェルミリオンで、レパートリーとしてはまだ日が浅いのか、この曲を楽譜を立てて歌っている人は初めて見ました。歌は激情型で悪くはなかったのですが、ハンガリー語が不明瞭だったのが気になりました。対するサボーはハンガリー語を母国語とするトランシルヴァニア(現ルーマニア領)出身のバスなので、二重の意味でこの曲はもちろん十八番。席が遠かったので声があまり届いてこなかったのが残念でしたが、多分近距離正面で聴けば渋さが鈍く光る貫禄の青ひげ公だったのだろうと感じました。やっぱり歌ものはなるべく近くの正面で聴きたいものです(が、良席はすでに完売でした・・・)。

「青ひげ公の城」ディスコグラフィーと、珍しい「日本語盤」2015/09/30 23:59


ずいぶん以前に途中まで作って放置していた、「青ひげ公の城」のディスコグラフィーを先の連休中にえいやで仕上げました。音楽ダウンロード2点、DVDソフト2点を含む、39点の所有ディスクのデータを整理してみただけですので、大したものではございません。私が認識している、まだ未所有のソフトについても分かる範囲でデータを載せており(CD-R等、非正規盤と思われるものは除外しております)、世の中に出回っている、あるいはかつて出回っていた音源については、これで結構網羅できているのではないかと思います。

これに伴い、ホームページに長らく「Under Construction」で放置していた「青ひげ公の城 8番目の扉」を仮設で開設しました(スタイルシートを使ってもうちょっとカッコよく作りたいんですが、まだ気力がなく…)。元々やりたいと思っていたのは、各ディスクのレビューと、ラップタイムの詳細な比較ですが、まずはデータベースのリストのみ公開しました。仕事が一段落したら、希望的観測では週に1枚くらいのペースでレビューを書き足して行きたいと思っていますが、さてそう上手くいくかどうか。

今回リストを仕上げるのにいろいろ調べている中で、最近になって初めて存在を知った、日本語版の「青ひげ公の城」という珍盤があり、速攻で入手しました。Naxos Music Libraryの「N響アーカイブシリーズ」として2012年にオンラインのみで配信開始されており、2014年9月からiTunes Music Storeでも売られていたようです。Amazon、Tower、HMVに出てくれば私の網にかかったはずですが、Naxos、iTunes限定とは、してやられました。

レビューはまたあらためて書くとして、「青ひげ公の城」をこれほど新鮮な気持ちで聴くのも久々で、頬が緩みっぱなしでした。1957年のN響演奏会記録を見ると、日比谷公会堂の定期演奏会でこの演目を取り上げていますが、これは放送用音源なので録音はNHKのスタジオで行われた可能性が高いです。当然録音はモノラル。しかし、この時代には珍しく、前口上付きの正当な演奏です(モノラル時代では、これ以外だとバルトークレコードのジュスキント指揮の録音だけです)。節度を守りつつも要所を押さえたオケのコントロールと、年代を考えると驚異的にも思えるN響の演奏能力の高さは、軽く衝撃的でした。ローゼンストックがいかにワールドクラスの優れた指揮者であったかは、この1枚を聴くだけで端的に分かります。ハンガリー語でも独語でも英語でも仏語でもなく、他ならぬ日本語の「青ひげ公の城」はたいへんに刺激的で、歌手陣、特にユディット役の伊藤京子さん(今年88歳でまだご存命の様子)のドラマチックな歌唱は、普通に欧米スター歌手と並べて遜色なかったです。

あと残る「珍盤」は、ロジェストヴェンスキー指揮のロシア語版。何とか聴きたいと思うのですが、LPレコードのみでCD化されてないんじゃないかと、危惧しています。しかし、日本語版があるのだから、中国語版、韓国語版、タイ語版なんてのも探せばあるのかもしれませんね。

イノウエ/新日本フィル/小菅優(p):非ハンガリー系バルトーク2015/09/04 23:59

2015.09.04 すみだトリフォニーホール (東京)
Derrick Inouye / 新日本フィルハーモニー交響楽団
小菅優 (piano-1)
Alfred Walker (bluebeard/bass-baritone-2)
Michaela Martens (Judith/mezzo-soprano-2)
1. バルトーク: ピアノ協奏曲第3番
2. バルトーク: 歌劇『青ひげ公の城』op.11 (演奏会形式)

新日本フィルは過去何度か聴いて幻滅するばかりだったのですが、今シーズン(日本だと9月から新シーズンとは一概に言えない気もしますが)はわりと聴きたい曲が集中していたので、マイプランで5回分のチケットを買いました。さてその万難を排してでも聴きに行くバルトーク特集の開幕コンサートですが、イノウエは日系カナダ人、ウォーカー、マーテンスはともにアメリカ人、小菅優とオケはもちろん日本人だし、何故だかハンガリー色の薄い人々ばかり。

小菅優は、前にも聴いたことがあるように思っていたのですが、どうも児玉桃と勘違いしていたようで、実際は聴くのは今日が初めてでした。新日フィルのサイトに出ていたインタビューで、このバルトーク3番は「ずっと弾きたい曲でした」と書いてあったので、レパートリーになったのはごく最近なんですかね。見た目そのまんまと言うと失礼かもしれませんが、郷愁のない健康的なピアノ。このバルトーク最後の作品には晩年のエピソードがまとわりついていて、そんなことは無視してスコアだけに真摯に向き合うというアプローチもありかとは思いますが、私の好みとして、この曲にはストーリーの味付けがないとあまり面白みがないです。アンコールはミクロコスモスの「蠅の日記より」。こちらのほうが自由奔放で良かったです。

メインの「青ひげ公の城」は、オケの後ろにステージを立てて、白いクロスをかけバラの花瓶を乗せた小テーブルを置き、その周りで2人が演技を入れながら歌います。血のモチーフが聴こえるたびにオルガンが真っ赤にライトアップされ、花畑では緑、湖は青と、照明も大忙しの活躍。シンプルさではこれとほぼ同等の舞台をブダペストの国立歌劇場で見たこともありますし、演奏会形式というより立派なsemi-staged operaですね。演出家がクレジットされていないのが気になりますが、動きが歌手のアドリブ任せとも思えないし、誰か演出はいるはずです。

吟遊詩人の前口上はなし。ウォーカーはがっしりとした体格に加え、黒スーツ、黒シャツ、黒ネクタイに身を包んだ黒人歌手でしたので、威圧感がハンパない。もうちょっと声量があればと思いましたが、安定感のある深いバスで、ハンガリー語も違和感なく、感情を押し殺しつつも堂々とした青ひげ公の歌唱でした。一方のマーテンスは、化粧っ気がなく、見た目も声もまさに「ワーグナー歌手」。すっかり忘れていましたが、プロフィールを読んでおやっと思い記録をチェックしたら、2009年にENOで青ひげ公を見たとき、ユディットを歌っていた人でした。ENOなのでそのときは英語だったのですが、今日はオリジナルのハンガリー語。「tudom」「köszönöm」といった基本単語の発音にちょいと違和感を覚えました。あとは歌い方がフェイクすると言うか、いちいち後乗りだったのが、オケがインテンポでグイグイ進む感じだったので、余計に気になりました。各論はともかく総論としては劇的な歌唱で、いかにも舞台でこの曲を歌い慣れているなという感じがしました。

なかなか良かった歌手陣の奮闘に対し、それをかき消すくらいに、オケも頑張って鳴らしていました。フルート、クラリネット、トランペットのソロは、もうちょっとしっかりして欲しいところ。イノウエの指揮は、変にタメて流れを悪くしないという意味では私的に好ましいものでしたが、個性とか上手さは特に琴線に触れるものがなく。職業オペラ指揮者(職人ではない)という感じでしょうか。今回、扉の向こうのうめき声と、扉を叩く音はシンセで作った電子音でしたが、風情がなくて私は嫌いです。なお、第5の扉のバンダは1階客席後方からペット、ボーン各4本ずつを派手に鳴らしましたが、オケ、オルガンとクロックを合わせるのはさすがに難しそうでした。

ノット/東響/ラーンキ(p):バルトークとベートーヴェン2015/07/16 23:59

2015.07.16 サントリーホール (東京)
Jonathan Nott / 東京交響楽団
Ránki Dezső (piano-2)
1. ストラヴィンスキー: 管楽器のための交響曲
2. バルトーク: ピアノ協奏曲第1番Sz.83
3. ベートーヴェン: 交響曲第5番ハ短調「運命」

台風接近で大荒れの天気が予想される中、先週痛めた足を引きずりながらも、8年ぶりのラーンキ見たさに出かけてきました(結局天気は持ちましたが)。

1曲目のストラヴィンスキーは、ほとんど聴いたことがない曲でした。手持ちのラトル/ベルリンフィル「ストラヴィンスキー交響曲集」のCDにも入ってなかった。実を言うとブラバンとかウインドの曲が苦手な私。あんまり上手くないなーと思いながらも、よくわからんのでパスです。

バルトークのピアノ協奏曲というと、日本で演奏されるのは3番ばかりで、1番、2番を聴ける機会は珍しく、逃すわけに参りません。ハンガリーではけっこう1番の演奏頻度が多くて、私が生で聴いた回数も1番が最多です。さらには、ラーンキは過去4回聴いていますが、そのうち2回がこの1番でした。さてその久々聴いたラーンキは、あまり老けたという感じもせず、クールで精緻なピアノは健在でした。この曲についての好みで言うと、ブロンフマンのように肩からガンガン叩き込む重戦車系が私は好きですが、このパーカッシブな難曲をサラサラとあっさり弾いてしまうラーンキも別の意味で凄いです。ところが、今日はちょっとオケの方がイマイチ。ついて行くのがせいいっぱいの様子で、リズムを忘れています。本来、ピアノと打楽器群の息を呑むようなリズムの掛け合いがエキサイティングに決まってこそ、この曲の魅力が際立つというものですが、ラーンキはラーンキで勝手に弾いてるだけ、ほとんど「協奏」してなかったです。最後の最後だけ辻褄を合わせればいいってもんじゃない。またラーンキが聴けた喜びに浸りつつも、ちょいと不満の残る演奏でした。

メインの「運命」、前に聴いたのがいつかと調べてみたら、3年ほど前ですね。それを選んでわざわざ足を運ぶ対象では決してない曲です。プロオケさんにとってはさすがにやり慣れた曲なのか、先のバルトークと比べたら随分とリラックスしていて、ノットの熱い指揮に付き合って気合を見せる余裕もありました。ノットは英国人ですが、ロンドン在住時に聴く機会がありませんでした。どちらかというと大陸のほうでキャリアを築いていった人のようです。パッション系に有りがちな唸り系の人ですが、ちょっと唸り声が多すぎるのが興ざめ。前半ヘタっていたホルンもメインでは白人のプリンシパルがしっかりと支え、別段穴があった演奏ではなかったのですが、特長もなく、古いタイプの陶酔が、かえって空虚に私には聴こえました。こちらの体調も正直良くなかったせいかもしれませんが、何とも評価に困る演奏でした。ノットと東響、今後積極的に聴きに行くかどうか、ちょっと微妙なところです。

N響/サラステ/バラーティ(vn):バルトークとシベリウス2015/05/10 23:59


2015.05.10 NHKホール (東京)
Jukka-Pekka Saraste / NHK交響楽団
Kristóf Baráti (violin-2)
1. シベリウス: 戯曲「クオレマ」の付随音楽より
 1) 鶴のいる情景 作品44-2
 2) カンツォネッタ 作品62a
 3) 悲しいワルツ 作品44-1
2. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番
3. シベリウス: 交響曲第2番ニ長調 作品43

今日はバルトーク、しかもサラステということで、普段あまり聴きに来ないN響、NHKホールに来てみました。予報に反して日中は好天に恵まれた日曜日。かつては渋谷区民だった私も、休日の原宿なんて、本当に何年(何十年?)ぶりだろうか。代々木公園も沖縄フェアで盛り上がっており、若者がうじゃうじゃで、オジサンは何だか落ち着かないです。


サラステを見るのはこれで4回目。ハンガリー、イギリス、日本の3カ国各々で聴いたアーティストは意外といなくて、サラステがまだ唯一です。一挙手一投足がいちいち颯爽と格好良く、音楽もドライブ感があって、外れがないという意味ではとても安心のできる贔屓の指揮者です。N響には11年ぶりの客演とのこと。1曲目の「クレオマ」劇音楽は、「悲しいワルツ」以外は初めて聴く曲でしたが、当然サラステにとってはオハコ中のオハコ。抑制の効いた弱音が美しく、リズムもメリハリがあり、どうだと言わんばかりの王道的演奏でした。

続くバルトークは、ほぼ毎年聴いていたのに昨年は結局1度も聴けませんでした。今日のソリストはハンガリー人若手(といっても35歳ですが)のバラーティ・クリシュトーフ。私がブダペストに住んでいたころにはすでに奏者として活躍していた人ですが、実演を聴くのは初めて。この人、確かに技術は上手いと思いますが、音が綺麗すぎて単調な印象を受けました。3階席という条件を割り引いたとしても、オケに埋没してしまっています。バルトークを弾くからには、要所でほとばしる野卑性も欲しいところ。サラステはバルトークも得意としているはずですが、淡々として盛り上がりに欠け、イマイチ流れの悪い演奏でした。なお、終楽章コーダは最後までヴァイオリンを引っ張った改訂稿のほうでした。

アンコールで弾いたいかにも難しそうなピースは、エルンストの「シューベルト「魔王」による大奇想曲」というんだそうで、わりと人気の超絶技巧曲だそうです。うむ、確かにこの人は上手いので、アンコールだけ器用、とか言われないだけのガメツさがあれば、と思いました。

メインのシベリウスは、またガラリと変わって、音楽が活き活きと息を吹き返しました。さっきとは明らかにノリが違います。バルトークも十八番とは言え、やっぱりサラステにとってシベリウスは水を得た魚。正直、思い入れのない曲で、細かいところはわからないので抽象的ですが、こまめにドライブしながらも、流れは滑らかで、淀みがありません。オケも弦は最後まで濁らず、よく応えました。シベリウスの交響曲というと第2番ばかりで食傷気味なので、生誕150年の記念イヤーには他の曲もどんどんライブで聴きに行きたいと思います。