デュッセルドルフ響/A・フィッシャー/ファウスト(vn):ハンガリー三昧 ― 2026/02/22 23:59

2026.02.22 Tonhalle Mendelssohn-Saal (Düsseldorf)
Adam Fischer / Düsseldorfer Symphoniker
Isabelle Faust (violin-2,3)
Lisztes Jenő (cimbalom-4)
1. Bartók: Romanian Folk Dances for Small Orchestra
2. Kurtág: Signs, Games and Messages (excerpts)
Hommage à J.S.B. / für den, der heimlich lauschet / féerie d'automne / In Nomine – all'ongherese
3. Bartók: Concerto for Violin and Orchestra No. 2
4. Kodáy: Seven movements from »Háry János«
デュッセルドルフは以前出張で何度も来ているのですが、演奏会には一度も行く機会がありませんでした。初めて訪れるトーンハレは旧市街のちょっと外れにありますが、中央駅から地下鉄で10分程度とアクセスは非常に良いです。この建物は元々プラネタリウムだったそうで、完全な円形が特徴。中に入ると古代ローマの円形劇場のようなロビーを取り囲むようにクローク、カフェ、バー、CDショップがあり、メンデルスゾーン・ホールはその頭上に作られています。ホール内もロイヤル・アルバート・ホールを小ぶりにしたような完全円形で、どこからでもステージがよく見えそう。本日は幸いかぶりつき席が取れたので、先月のコパチンスカヤのときと同様、奏者と自分の間に遮る物は何もありません。


デュッセルドルフ響を聴くのは全く初めてで、多分CDでもラジオでも聴いたことはなかったかと。諸説あるものの、ドイツの中でも5本の指に入る長い歴史を誇るオーケストラで、古くはメンデルスゾーンやシューマンも音楽監督を勤めています。2015年からアダム・フィッシャーが首席指揮者に就任しており、契約はアダムが80歳になる2030年まで延長されたそうで、非常に良好な関係にあることが伺えます。実を言うと、アダムの指揮を聴くのはこれで3回目。元々同じ指揮者を集中的に聴くよりも、いろんな人を幅広く聴きに行くタチなのですが、弟のイヴァーンを18回(これは自分の中では最多)聴いているのに対して、アダム兄さんの3回は、自身で振り返っても驚くほど少ないです。アダムがハンガリー国外での活動が中心で、自分が住んでいたブダペストやロンドンに来ることがそもそも少なく(ハンガリー国立歌劇場の音楽監督もオルバーン政権との対立ですぐに辞めてしまったし)、巡り合わせが悪かったからだと思います。今回はたまたまデュッセルドルフに用事があり、ついでに何か演奏会はないかと探したところ、まさに自分の好みドンピシャのプログラム、しかもアダムとイザベル・ファウストの共演という垂涎のコンサートがあるのを発見、喜び勇んでチケットを取りました。今年はトーンハレの開設100周年記念イヤーですが、それに加えて「ハーリ・ヤーノシュ」が初演から100年、さらにはクルターグ・ジェルジュが先の2月19日で100歳を迎えたという、やや無理矢理めな数字の符合が強調されていました。ハンガリー現代音楽の巨匠クルターグ、まだ存命とは認識していましたが、100歳とは驚きです。
本日のプログラムはハンガリー音楽でも知名度の高い、かつ玄人受けもする、ある意味「王道」の選曲です。オンラインのプログラム冊子を英訳しつつ読んでいてまず意外に思ったのが、「ルーマニア民族舞曲」と「ハーリ・ヤーノシュ」はデュッセルドルフ響として初の演奏、ヴァイオリンコンチェルトも前回演奏は1988年まで遡る(ソリストは往年の巨匠ギトリス)という事実。アダムにとって得意中の得意であるはずのこれらレパートリーが首席に就いてからの10年間で一度も取り上げられなかった、ということをたいへん興味深く感じました。確かにアダムの専門性について世界の認識は、まずはオペラ、次にハイドンであって、「ハンガリー音楽の伝道師」というイメージはイヴァーンと比べても薄いですし、祖国との関係が良好と言えないだけに、ハンガリー音楽に対するモチベーションが下がっているのかもしれません。
1曲目の「ルーマニア民族舞曲」は、意外と実演で聴くのは2回目、前回は2013年のカンブルラン/読響でした。この曲は元々ピアノ曲ですが、バルトーク自身による管弦楽版は弦が中心の小編成オケ用で、ピアノ版とは同じ曲ながらもずいぶん雰囲気が違います。笑顔で登場したアダム、前回見た2013年と比べると髪はすっかり白くなりましたが、弟と違い、まだふさっとしてます。デュッセルドルフ響の弦は太くてちょっと田舎臭い音。譜面台は置いてあっても全く楽譜に目を向けず、暗譜でハンガリーの呼吸を丁寧に仕込むアダム兄さんでした。舞曲の勢いでツッコミ気味に走るのを抑え、民謡のアクセントを慎重に紡ぐことに重きを置いた感じです。
続いて登場したイザベル・ファウスト、見るのは2014年の新日本フィル(指揮はハーディング)でブラームスのコンチェルトを聴いて以来の3回目です。まずはイザベルのソロで、クルターグの「サイン、ゲームとメッセージ」から4曲を抜粋。この曲は一昨年のクリスティアン・テツラフの無伴奏ヴァイオリン演奏会で聴いて以来ですが、テツラフの選曲とは「J.S.B.へのオマージュ」のみカブっていました。2回聴いたくらいで理解できる曲では到底ありませんが、この至近距離で聴くつかみどころのないヴァイオリンは、それ全体がバルトークへのオマージュとして書かれているようにも感じられ、露払いとして最適でした。ただ、100周年と100歳のマリアージュとして無理矢理プログラムに入れてみた感はあり、意外と長かったし、普段ならこの時間は別になくても良かったのでは、とも思いました。
拍手の隙もなく間髪入れずにハープのメジャーコードが鳴り、私の大好物、コンチェルト第2番に続きます。先月コパチンスカヤの衝撃的な快演ならぬ怪演を聴いたばかりですが、レパートリーは結構似ていても個性がまるで違うイザベルはあくまで正統ど真ん中を目指します。音がしっかりと太く男性的で、わざとらしい掠れ音とか一切なく全てにわたってちゃんと音を鳴らす、予想通りストレートに理想的な演奏でした。一歩一歩時間をかけて丁寧に前に進めるスタイルはアダムと相性良いかもしれません。メリハリも大事な要素なのでダイナミックレンジを広く取ることを忘れず、そのためか時間を追うごとにどんどん音がいい感じに荒れてきて、こういう「魔法の粉」みたいなものが音符に練り込まれているのもこの曲のユニークな魅力です。アダムもここでは流石にスコアをめくりながらの指揮で、常にヴァイオリンが引き立つよう縁の下の力持ちに徹していました。充実度の高い演奏はやんやの喝采で、アンコールでは後半から登場のはずのツィンバロンを呼んできてデュオの曲(これもたぶんクルターグ)を披露。そういえばコパチンスカヤもアンコールはクルターグでした。
休憩後はメインの「ハーリ・ヤーノシュ」組曲ですが、コダーイ自身がセレクトした6曲に、元のオペラでは第3幕終盤のクライマックスで歌われる「募兵の歌」を加えた7曲構成になっているのが珍しいです。確かにメインとしてはちょっと短いので1曲足しただけなのかもしれませんが、そのコンセプトや、誰の発案か、合唱のない管弦楽用編曲は誰がやったのか、などの詳細はプログラムにも書かれておらず、真相は謎です。個人的には、「募兵の歌」はいかにもなハンガリー民謡調アンセムっぽい歌で、ツィンバロンも入って盛り上がる一方、やはり元の組曲構成が染み付いているので、どうしても浮いた感じが否めないです。それはさておき、アダムはもう譜面台も置かず、当たり前のようにこの複雑なスコアを暗譜で指揮します。幼少期からみっちり叩き込まれて、また自分自身でも繰り返し吟味・研究してきたのだろうと思います。アダムはここでも決して急がないテンポで、今更気を衒う必要もないナチュラルなハンガリー魂を粘っこく聴かせてくれます。また、ここにきて確信したのですが、このデュッセルドルフ響の演奏が実に頼もしく、高度に磨き上げられています。管楽器の音が綺麗かつ馬力があり、弦も何層にも厚みがあり、さらにソロを取るトップ奏者の技量も一流プロフェッショナルで(特にこの曲ではチェロが素晴らしい)初演奏とは思えない充実ぶり。オケの年齢層は若いメンバーとベテランが程よく同居しており、デュッセルドルフという土地柄か、日本人奏者も何人か見られました。終演後は控えめにガッツポーズを作り、オケを上から目線ではなくフレンドリーに鼓舞するその姿は、まさにアダムの人柄が出ていたと思います。少なくともアダムが率いるこのオケは、安定した好演を期待できると認識したので、機会があれば是非ともまた、何度でも聴きたいと思いました。
by Miklos [オーケストラ] [バルトーク] [ドイツ] [コメント(0)|トラックバック(0)]
ロンドン響/チャン:バルトークとラフマニノフでダンス・ダンス・ダンス ― 2026/02/08 23:59
2026.02.08 Barbican Hall (London)
Elim Chan / London Symphony Orchestra
Olivier Stankiewicz (oboe-2)
1. Bartók: Dance Suite
2. Colin Matthews: Oboe Concerto (world premiere, LSO commission)
3. Rachmaninov: Symphonic Dances
バルトーク続きの連チャンとなってしまいましたが、週末だったので体力的にはまだ何とか維持できました。今日はしかし、真後ろに座った白人高齢男女集団のおかげで楽しみも半減でした。演奏開始のギリギリのタイミングで5、6人がどかどかと入場してきて、もう演奏が始まっているのにガサガサとコートを脱ぎ、ゴホゴホと咳をして、べちゃくちゃ話しながらバッグのファスナーをチーと開け閉めして飴を出す狼藉ぶり。見かねた他の客が「シーッ」と注意すると、「シャラップ!」と声を上げて逆ギレする始末。お前がシャラップじゃ!あまりの厚顔無恥に、こっちも思わず哀れみの目で睨んでしまいました。その後も演奏中に物を落としたり、持っていたドリンクの缶をペコっと鳴らしたり、幼児以下の邪魔なことこの上ない迷惑集団。コンサートホールまでわざわざ何をしにきたのかさっぱりわからない、老害の現場を久々に垣間見ました。
昨年夏のBBC Promsではラストナイトを任された香港出身のエリム・チャンは、今売り出し中の若手女性指揮者で、いろんなオケで名前を見るので一度聴きたいと思っていました。1曲目のバルトーク「舞踏組曲」は、著名な曲なわりに巡り合わせがなく、2011年の記念イヤーでサロネン/フィルハーモニア管で聴いて以来になります。あらためて聴くと、なかなかの難曲。チャンはいかにも一所懸命な若者の初々しさでキビキビとタクトを振るも、オケのウォーミングアップはイマイチ。若手の東洋人だからナメてるんでしょうか、LSOは時々これがあるので、ベルリンフィルやコンセルトヘボウと比べて、自身の品格を下げていると思います。そういえば今日のコンマスはいつものシモヴィッチさんではなく、最近コンマスになったアンドレイ・パワーという人でした。チャンは特に低音域の弦を強調したリードで、弦の厚みは半端なかったものの、全体的には破綻はないが舞踏に乗り切れていない腹六分目の演奏でした。
続く、もうすぐ80歳の誕生日を迎えるコリン・マシューズのオーボエ協奏曲はLSOの委嘱作品でここが世界初演。コリン・マシューズというと、自分の認識としては、まずはホルスト「惑星」の追加として「冥王星」を作曲した人であり、古くはマーラー交響曲10番のデリック・クック補筆完全版の完成に協力した一人であり、さらにはドビュッシーの前奏曲集のオーケストレーションを果敢に手がけた人であって、マシューズ自身の作品を聴いたことはありませんでした。備忘録を手繰ると、前奏曲集の管弦楽版の一部は2010年〜2012年にかけて3度も聴いています。このオーボエ協奏曲は本日のソリストであるLSOの首席奏者オリヴィエ・スタンキエーヴィチ(ポーランド系の名前ですがフランス出身)のために書かれた、出来立てほやほやの曲です。ソロ楽器の音量限界を考慮してかオケは小ぶりな小編成ですが、ティンパニを欠きながらもマリンバ、ヴィブラフォーン、スラップスティックといったオーケストラではあまり使われない打楽器がチョイスされており、独特の色彩感の源になっています。あと、やっぱりオーボエ協奏曲の伴奏にはオーボエはない代わりに、1本のコールアングレがソリストに絡みつく仕掛けになっていました。全体的な曲調は、無調ではあるが耳に優しい音楽で、オーボエという楽器の性質から、飛び跳ねたと思ったらしっとりと歌ってみたり、変幻自在な音楽だったという印象です。ただ、オケは少人数だったもののやはりオーボエのソロだけでオケに対抗して響かせるのは厳しいものがあり、ちょっと遠めの席だとソリストの音が満足に届いてこないのも仕方がない事実で、今後のLSOの定期で繰り返し取り上げる曲でもないんじゃないかなという気がします。演奏後、聴きに来ていたマシューズ本人が登壇し、拍手喝采を受けていました。
休憩後のメインは、ラフマニノフ最後の作品である「交響的舞曲」。最近は日本語でも「シンフォニック・ダンス」と呼んだほうが通りがよいのでしょうか。過去実演を聴いたのは2011年のBBC Promsでデュトワ/フィラデルフィア管の1回だけでした。ラフマニノフの実質的には交響曲系譜の最終地点(第4番)とも言われる傑作ですが、プログラムに乗せられる機会はそんなに多くないという印象で、理由を想像するに、メイン曲に相応しいボリュームと演奏時間でありながら、そのタイトルのせいで、メインに据えるにはちょっと軽く見られがちな曲なのではないでしょうか。LSOはここにきてやっと目が覚めたのか、そんな誤解など払拭するような、迫力満点本気の演奏でした。ホルンがちょっと弱かった他は文句なしの音圧と躍動感。ここでもチャンは大きな身振りでオケを一気に解放し、この上なく太い弦の厚みをこれでもかと強調、それに負けない金管の咆哮と暴力的なティンパニ。おそらく狙い通りの爆演で、やはり後腐れなく鳴らし切るのがこの曲の正解だと確信しました。

by Miklos [ロンドン交響楽団] [バルトーク] [コメント(0)|トラックバック(0)]
ロンドンフィル/ガードナー:東欧三カ国の隠れた名曲路線 ― 2026/02/07 23:59
2026.02.07 Royal Festival Hall (London)
Edward Gardner / London Philharmonic Orchestra
Juliana Grigoryan (soprano-2,3)
Agnieszka Rehlis (mezzo-soprano-2)
Kostas Smoriginas (bass-2)
London Philharmonic Choir
1. Vítězslava Kaprálová: Rustic Suite
2. Szymanowski: Stabat Mater
3. Vítězslava Kaprálová: Waving Farewell
4. Bartók: The Wooden Prince
2週間ぶりのLPO。今シーズンようやく、首席指揮者のガードナーを拝めました。カリスマ的人気のあったウラディーミル・ユロフスキの後を継いで2021年からLPOの首席に就任しています。かつてイングリッシュ・ナショナル・オペラの音楽監督に就いていたころ、「青ひげ公の城」英語版の上演を観たのが最初で、その後日本で都響に客演した公演と合わせて過去2回聴いていますが、当時はまだ若手イケメン枠の中で、スマートでスタイリッシュなビジュアルに、ストレートに真面目な音楽作りという、クセがなくあまり印象に残らない中道中庸路線の人というイメージでした。カリスマ的人気のあったユロフスキの後釜としてLPOも逆張りで生粋のイギリス人を選んだようにも思えましたが、ガードナーもその後のキャリア的にはイギリス路線一直線というよりノルウェーでの活動が多かったり、また東欧系の音楽にも傾倒している印象で、今日のプログラムもチェコ、ポーランド、ハンガリーというまさにその路線です。
1曲目は、実を言うとこの演奏会の前には不勉強にもその名前を知らなかった、ヴィーチェスラヴァ・カプラーロヴァーという早逝の天才女子の作品です。演奏前にガードナーがマイクを取り、少し説明をしていました。わずか25歳で結核のために亡くなってしまうのですが、作品番号付きが25曲しかなく、知る人ぞ知る女流作曲家とのこと。近年のBBC Promsのプログラムを見ていても、音楽史に埋もれてきた女性作曲家への再注目がトレンドになっているようです。1曲目は作品番号19、23歳のときの作品で、直訳すると「田舎風組曲」になりますでしょうか。基本的には同じモラヴィア出身の巨匠ヤナーチェクのフォロワーに聴こえますが、途中でスラブ舞曲みたいにあからさまな民謡調になったかと思えば、打楽器などはペダルティンパニを駆使したけっこうモダンな使い方で(ただしティンパニは奏者が勝手に楽譜を超えたチューニングをやってる可能性もありますが)、優等生的なステレオタイプの習作ではない成熟を感じる、完成度の高い曲でした。久々に見るガーディナーは相変わらずのダンディ伊達男で、佇まいからしてカッコいいの一言。
次はポーランドの巨匠シマノフスキの「スターバト・マーテル」、悲しみの聖母を題材とした宗教曲ですが、ポーランド語翻訳版のテキストを使い、ポーランドの民俗音楽も取り入れた土着性の高い曲になっています。アルメニア出身のソプラノ、ジュリアナ・グリゴリアンはまだ20代の若さで既にMET等で活躍する新星で、その美形と魅惑のプロポーションが何と言っても神が与えた武器です。シースルーのドレスで登場したら、どうしてもバストに目が釘付けになります・・・(かたじけない)。肝心の声はというと、一聴してカウンターテナーかと思ったほどの男声的な太さがあり、ソプラノよりはメゾソプラノの声質に思いました。実際、高音域の箇所では少し弱さが見えたものの、透き通る良い声です。リトアニア出身バス・バリトンのコスタス・スモリギナスは45歳というアブラの乗り切った年齢で、すでにLPOやロイヤルオペラの舞台で活躍の様子。ただこの人は埋没しがちな声質で、正面の席から聴くとまた違ったのかもしれませんが、合唱団が歌い出すとノイズキャンセリングにかかったかのように声がかき消されてしまい、ほとんど聴こえてこなかったのが残念でした。メゾのアグニエシュカ・レーリスは楽譜を持たず、本国ポーランド出身なので余裕で暗譜歌唱なのかと思いきや、譜面台に楽譜を映したタブレットが置いてありました。ソリスト、指揮者を問わず、「譜めくり」の世界はまだアナログの紙の楽譜が圧倒的で、使いこなしたら圧倒的に便利とは思いつつ、実際にタブレットデバイスを使う音楽家はまだ少数派です。
3曲目は再びカプラーロヴァーに戻り、作品番号14の歌曲、「手を振ってお別れ」とでも訳するんでしょうか、弱冠22歳の時の作曲ですが、管弦楽伴奏版はその翌年に作られました。歌詞はチェコの詩人ヴィーチェスラフ・ネズヴァルの著名な詩だそうで、当然チェコ語。先ほどのシマノフスキはポーランド語で、イタリア語、ドイツ語、フランス語、英語、スペイン語に加えて、ハンガリー語も含め、こういった中東欧の言語もマスターしなければならない歌手の人たちは本当に頭が下がります。もちろん初めて聴く曲であり、正しいのかどうか判断できませんが、グリゴリアンは先ほどとは歌い方を変え、固さが取れた感傷的な歌唱になっていました。ここでも低音域を含んだよく通る声で、さらにはルックスもピカイチで、大いに聴衆を魅了。トップクラスの人気歌手になれる素質に恵まれながらも、このまま順調にキャリアを積み上げていけるかどうか、声量に少し難がある気がしました。
休憩後はメインの「かかし王子」バレエ全曲版です。バルトークの劇場向け作品三部作のうち、残る「青ひげ公の城」と「中国の不思議な役人」と比較すると相対的にマイナーで、演奏会プログラムにも滅多に上がらず、認知度が低いです。バルトーク好きを自認する私も、実演で聴いたのは過去3回のみ。ただし3回目は組曲版で、2011年の生誕130年記念イヤーでのサロネン指揮フィルハーモニア管でした。その前の2回は2006年、生誕125年を記念したハンガリー国立歌劇場の「バルトーク・トリプルビル」という、今から思うと二度とない垂涎の企画でした。どちらも微妙に半端な記念イヤーだったのは、2006年のほうはモーツァルトの生誕250年と重なっていたので「モーツァルト250+バルトーク125」みたいな抱き合わせ企画になっていたためで、2011年はマーラーの没後100年記念の全曲演奏会の指揮をマゼールに譲ったフィルハーモニア管首席のサロネンが、独自路線で打ち出した対抗企画がバルトーク(+コダーイ+ストラヴィンスキー)だった、という事情があったわけです。
脱線から戻すと、本日の「かかし王子」はバレエ音楽の全曲版ですが、悲しいかな、聴き込みが足らないために、原典版での演奏だったのか、そこから作曲者自らの手で多数のカットが施された最終版なのか、区別がよくわかりませんでした。短い演奏時間を考えるとカットあり版なのかなと思いますが、確信は持てません。大筋としては、かつて見たバレエの舞台をおぼろげに思い出してストーリーを想像しながらの鑑賞でした。あらすじが字幕で投影されていたものの、それだけだと結局よくわからんです。オケは全体的にエッジの効いたメリハリ、クラリネットを筆頭とするソロもいちいち堅牢で、たいへん良かったです。ガードナーも基本的には中道堅実路線でクセが凄くない部類の人ですが、時々オケを煽ってみるものの、オケ側は急なブーストについていけないアドリブ力の限界も見えました。
また、「ラインの黄金」を彷彿とさせる冒頭から、色彩感に富み、複雑なリズムを刻みながらも滑稽なダンス、最後は冒頭に戻ってくる対称構造の構成力、あらためてこの曲はマイナーと埋もれてしまうには惜しい派手さとわかりやすさを持った曲で、もっと聴き込むべき曲だと再認識しました。やはりバレエの舞台も久々に見てみたいと思い、各国の演目予定をチェックする毎日です。

by Miklos [ロンドン・フィルハーモニー] [バルトーク] [コメント(0)|トラックバック(0)]
ロンドン響/ラトル/コパチンスカヤ(vn):至高の一夜、バルトークとファリャ ― 2026/01/18 23:59
2026.01.18 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / London Symphony Orchestra
Patricia Kopatchinskaja (violin-1)
Rinat Shaham (mezzo-soprano-2,3)
1. Bartók: Violin Concerto No. 2
2. Bartók: Five Hungarian Folksongs for Voice and Orchestra
3. Falla: The Three Cornered Hat – Ballet
何度でも生で聴きたくなる大好きなクラシック曲という意味では自分の中でトップ中のトップであるバルトークのヴァイオリンコンチェルトとファリャ「三角帽子」の組み合わせという、最初は目を疑った、願ってもないプログラム。しかも演奏はラトル/LSOにコパチンスカヤという豪華さ。間違いなく今シーズンのメインイベントなので、ここは躊躇せず久々の超かぶりつき席をゲットしました。しかし、こういったいわゆる民族楽派の音楽はラトルが得意とするところですが、ファリャまでレパートリーにしているとは知りませんでした。
バルトークのコンチェルトも三角帽子全曲版も、見つけたら積極的に聴きに行く曲ですので、前回はどちらも2年前と、そんなに久しぶりというわけではありません。コパチンスカヤはもう3年前になってしまいますが、大野和士/都響との協演でリゲティのアバンギャルドなコンチェルトを聴いて以来です。
さてコパチンスカヤは、トレードマークの裸足に加えて、今日はボロ切れで雑に作ったようなスカーレット色の変なコートを纏って登場。そのユニークな出立ちだけでなく、のっけからすごい音でカマしてくれます。これまで聴いた誰よりも芝居がかり力の籠った入りで、ここまでガツンとやられると逆に有無を言わさぬ説得力がありました。大小硬軟を自由自在に飛び越える色彩豊かな音色で、右足指と左かかとでリズム取っていたかと思いきや、興じてくるとピョンピョン飛び跳ね、ドシドシ足踏みしながらの余計な効果音まで入った熱烈なヴァイオリンは、まさに唯一無二。譜割やニュアンスは完全に我流で、四分音の取り方もわざと甘めで、正統派の端正なアプローチから見たら邪道でしかない超個性的なバルトーク。過去に聴いた中ではイブラギモヴァが方向性は近い感じでしたが、それよりはるかに突き抜けています。自己プロデュースの戦略もあるでしょうが、覚悟を持ってここまで極端を貫けるこの人だからこそ芸として許されるのであって、凡人が決して真似してはいけない境地です。前にリゲティのコンチェルトを聴いたときは音がちょっと雑だと感じたのですが、今日のように最前列かぶりつきで、自分と奏者の間に何も遮る物がない状態でその生音を聴くと、ラフに聴こえる箇所でも音色と音程は完全にコントロールされているのがよくわかりました。上手すぎる完璧な技術がまずあって、さらにその一段上の境地であえて自由に崩すという、まさにこの人しかできない芸当に、感服するよりほかありません。カデンツァの途中でばらけた弓のヒゲを切っていたのは、さすがに自由過ぎるだろと思いましたが。アンコールは自ら解説をして、クルターグ「カフカ断章」の超短いヴォイス付きの曲を披露。最後までブレない自由人でした。

後半1曲目は、あまり演奏されることがないバルトークの歌曲集。自分も初めて聴きます。登場したリナート・シャハムは、どこかで見た顔だと思ったら、昨年発売されたカネラキス指揮オランダ放送フィルハーモニー管の「青ひげ公の城」でユディットを歌ってた人ですね。この人も確かな技術に裏付けされた技巧的なメゾソプラノで、素晴らしい歌唱でした。スペイン人ですがハンガリー語も自然で、さすがユディット歌手です。

最後、メインの「三角帽子」ではシャハムは後列に移動。出番は少ないですが第一部の冒頭と第二部中間の重要な場面で要所を占めます。ラトルは元来細かいところで奇をてらった仕掛けをしてくる人ですが、ファリャについてはそのような形跡はなく、それよりもオケを解放して鳴らし切り、メンバー個々の卓越した名人芸を引き出すことに徹しているように見えました。アンサンブルはあえて整えないで、わざと乱れを残して、いかにもスペインの祭りらしい荒々しさを表現。ラトルの指揮なのでオケはもちろん本気度が高く、極上のLSOサウンドを享受する「三角帽子」は、次聴く機会はもうないかもしれないと感慨もひとしおでした。ただ肝心の終曲で二点、大太鼓の入魂の一発が落ちてしまったことと、ラストのカスタネット(元々スコアにはないが追加する指揮者は多い)が思い出したかのように遅れて入ってきたこと、打楽器でリハ不足かと思われるミスがあったのは残念でした。
ともあれ今日この演奏会をこのかぶりつき良席で聴く/観ることができた幸せを噛み締めると共に、この演奏会はBBC Radio 3で中継されていたので音源を手元に残すことができたのは重ね重ねラッキーでした。
by Miklos [ロンドン交響楽団] [バルトーク] [コメント(0)|トラックバック(0)]
日本フィル/タカーチ=ナジ:巨匠の生真面目なハーリ・ヤーノシュ ― 2025/05/31 23:59
2025.05.31 みなとみらいホール (横浜)
Gábor Takács-Nagy / 日本フィルハーモニー交響楽団
三浦謙司 (piano-2)
安達真理 (viola-3) ※客演首席奏者
1. シューベルト: 交響曲第7番《未完成》 ロ短調 D759
2. モーツァルト: ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K.467
3. コダーイ: 組曲《ハーリ・ヤーノシュ》 op.15
ハンガリーの巨匠タカーチ=ナジ・ガーボルさんが来るとあって、しかも曲は「ハーリ・ヤーノシュ」、躊躇なく横浜まで馳せ参じました。
1曲目の「未完成」。まず驚いたのが、譜面台上のスコアをオペラグラスで覗くと、赤青黄の蛍光ペンでびっしりとマーキングしてあり、ところどころに付箋まで付いてました。指揮者の生真面目さが伺えます。そこまで分析し尽くしているだけあって、冒頭からおっと思わせる繊細な出だしにまず引き込まれます。元々ヴァイオリンの名手だけあって、弦のコントロールが実にスムース。ボウイング含めたアンサンブル、ニュアンス、バランス、どれを取ってもしっかりと指示を根付かせているのが凄い。管楽器もクリアにくっきりと響かせ、指揮ぶりはリズムをしっかりとキープしつつ細かい指示を出しまくる、まさに職人気質の堅実な指揮者でした。派手さやクセの強さはないものの、安定したクオリティを客演でもしっかりと導き出せる安心感は、世界中で好まれることでしょう。と言いながらもこの曲が超苦手な私は、後半はいつものごとく意識を失ってました…。
2曲目のモーツァルトのピアノ協奏曲、ソリストは三浦謙司という初めて聞く人。ロン・ティボー国際コンクールの2019年ピアノ部門優勝者という受賞歴を持つ、まだ30代前半の若者です。余談ですがこのロン・ティボー国際コンクールは、近年は財政難で開催自体がスポンサー次第という不安定な状況のようですが、古くはサンソン・フランソワ、アルド・チッコリーニ、フィリップ・アントルモン、パスカル・ロジェなどの巨匠を輩出し、スタニスラフ・ブーニンもショパンコンクール優勝の前にこのコンクールを当時の最年少で優勝しています。とはいえ、三浦氏のピアノはそういったフレンチテイストの巨匠タイプとは異なり、遊びの少ない生真面目タイプに映りましたが、もちろん、不得意のモーツァルトでもあり、この1曲だけでは何ともわかりません。ただ、同タイプの職人ガーボルさんとの組み合わせは非常にやりやすかったのではないかと思います。アンコールはシューマンの「3つのロマンス」第2番をしっとりと。
さて、ガーボルさんの指揮を今まで聴いたのは、ブダペスト祝祭管を含めてどれも比較的小編成の古典曲ばかりだったので、元々がタカーチ・カルテットで名を馳せた人ということもあり、音楽がミクロの方向に向かっていく傾向にあるのかなと感じていました。ここで一気に大編成になる「ハーリ・ヤーノシュ」はどう攻めるのだろうと思っていたら、やっぱりとことん細かく刻み込む演奏でした。相変わらず蛍光ペンでびっしりと書き込まれたスコアを手に、速めのテンポであまり粘らずにグイグイと進んで行きます。一昨年聴いたマダラシュ/N響がおおらかなスケール感を出していたのとは対照的。オケは金管中心にキズが多く、曲を楽しむよりも必死な感じが奏者それぞれの顔に出ています。ここらへんはN響と地力の差が見えたでしょうか。ツィンバロン、サックス、ヴィオラといったゲストは、飲まれることなくプロの仕事をこなし、しっかりと要所を締めていました。ツィンバロンの斉藤浩さんは一昨年のマダラシュ/N響でも素晴らしい演奏を披露されており、今の大河ドラマ「べらぼう」のテーマ曲にもソロで参加されている、日本ツィンバロン界(というものがあるのかどうか)の第一人者ですね。
終曲はオケも気合みなぎって大いに盛り上がり、ガーボルさん思わずガッツポーズ。アンコールではメモを持って登場、日本語で紹介した曲は「ルーマニア民族舞曲」。思えば今回の来日プログラムにバルトークがなかったので、思いがけないラッキープレゼントでした。
by Miklos [日本フィルハーモニー] [バルトーク] [ハンガリー] [コメント(0)|トラックバック(0)]
洗練の極み、クリスティアン・テツラフのソロ・リサイタル ― 2024/10/07 23:59
2024.10.07 紀尾井ホール (東京)
Christian Tetzlaff (violin)
1. J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 二短調 BWV1004
2. J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 ハ長調 BWV1005
3. クルターグ: 「サイン、ゲームとメッセージ」から
J.S.B.へのオマージュ
タマーシュ・ブルムの思い出
無窮動
カレンツァ・ジグ
悲しみ
半音階の論争
4. バルトーク: 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Sz.117
元々は翌々日の読響のチケットを先に買っていたのですが、ソロリサイタルもやるに違いないと探したところ、チケットぴあのサイトで見つけました。紀尾井ホール主催公演ではなかったので販売はぴあ、イープラス等のチケット専門サイトのみ。サイトそれぞれで手配できる席が違うのが面倒くさいうえに、慣れないので決済のタイミングがわかりにくく、結局意図とは違う席を買ってしまったのですがそれはさておき。
テツラフのソロは、2012年にロンドンのウィグモアホールで聴いて以来の2回目です。そのときはバッハのソナタ&パルティータの2番、3番というちょっとヘビーなオール・バッハ・プログラムだったので、今日の前半は前回との比較というか、どのくらい印象が変わるのだろうかというのが観賞ポイントです。
昨年同様、近年のスタイルである殉教者のような風貌で登場したテツラフ。この人の演奏スタイルは以前からずっと変わらず、独特の間合いで、まるで息をするかのように自然に音を奏でます。「奏でる」という人為的な行為の表現よりも、「溢れ出る」と言った方が適切かもしれません。前回ソロで聴いたのは12年も前ですが、そのときの細部はともかく感動はしっかり記憶に残っており、備忘録で書き残したことも頼りにしつつ書き連ねると、パルティータ第2番のクライマックス「シャコンヌ」は、以前の一大叙事詩のような劇的表現から生々しさが消え、浄化された響きになっていたのが意外でした。当たり前ですが12年前と全く同じことはやっておらず、枯れた味わいの一歩手前くらい、絶妙な程度で熱量を残しながらも余計なものを削ぎ落としたところに、キャリアを重ねた進化を見ました。
休憩後の後半は、クルターグとバルトークの近現代ハンガリープログラム。「サイン、ゲームとメッセージ」は、YouTubeには多数動画が上がっていて、レコーディングも複数あるわりには、調べても全容がよくわからない謎の曲で、50年以上に渡って継ぎ足されてきた私的な小曲集のようなのですが、楽器もヴァイオリンだったりヴィオラだったり、曲によっては歌が入っていたり、管楽器の合奏だったりと、つかみどころがありません。今日の演奏はソロヴァイオリン・バージョンの全29曲からバッハへのオマージュ曲を含む6曲の抜粋になっており、1、2分の短い曲ばかりなのであっという間に終わりました。馴染みのない曲なので演奏解釈まで論評できないですが、印象としては、先ほどのバッハがゼロ点から表現を足していくような音楽作りだったのに対し、こちらはゼロ点を中心に時にはマイナスに引き、より鋭く、振れ幅の広い表現に少しギアを切り替えていた感じでしょうか。うまく言えませんが。
最後のバルトークの無伴奏ソナタは、完成品としては最後の作品になる晩年の傑作で、レコーディングも多数ある現代の定番曲ではありますが、全曲通して生で聴くのは初めてです。部分的には、12年前のロンドン響演奏会(ブーレーズが体調不良でキャンセルし、エトヴェシュが代役)でソリストだった他ならぬテツラフが、アンコールで第3曲「メロディア」を弾いたのを聴いていますが、この時の演奏が凄まじく良かった(と、備忘録を読んで思い出した次第)。はたして本日のバルトーク全曲も、記憶に違わぬ緻密で繊細な表現に加え、やはりここでも徹底的に洗練を追求した贅肉のない演奏。それでいて冷たかったり枯れた印象にならないのは、ずっとトッププレイヤーで走ってきた円熟のなせる技ではないかと。ソロコンサートに挑むときのテツラフは、もちろん曲ごとの解釈と表現はあれど、バッハでもバルトークでも、その個性的でナチュラルな息づかいをとことん研ぎ澄ました、まさにテツラフだけの世界を体現してくれるのが素晴らしいです。アンコールは、今日演奏しなかったバッハのソナタ第2番から「アンダンテ」。最後にオヤスミを囁くような短いフレーズを弾いて、お開き。
テツラフはいつ聴いても安定して最高峰の凄みを体感させてくれる、相変わらず別次元のアーティストでした。文句のない高品質のコンサートでしたが、小さいホールにも関わらずけっこう空席が目立ちました。翌々日の読響のほうはサントリーホールが完売御礼だったので、運営の不手際ではないでしょうか。チケットサイトも、もっとやる気を出さんかい。
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パシフィックフィル東京:ラヴェル、バルトーク、レスピーギ、ストラヴィンスキーの擬古典作品集 ― 2024/09/07 23:59
2024.09.07 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
パシフィックフィルハーモニア東京
Henrik Hochschild (play & lead)
1. ラヴェル: クープランの墓
2. バルトーク: ディヴェルティメント BB118
3. レスピーギ: ボッティチェッリの三連画
4. ストラヴィンスキー: バレエ音楽「プルチネッラ」組曲
「パシフィックフィルハーモニア東京」は旧称「東京ニューシティ管弦楽団」が2022年に名称変更した在京9番目のプロオケで、どっちにしろ聴くのは多分初めて。昨年、「クープランの墓」が突如マイブームになり、ピアノ原曲、オケ編曲のいろんな演奏を聴き漁るうち、やはり実演で聴かぬことには、と思い探したところ、このコンサートを見つけた次第です。
本日のコンセプトは「ドイツ音楽界の重鎮が室内学的アプローチで導く、同時代を生きた4人の作曲家が描いた、精緻で鮮やかな音楽絵巻」とのことで、ラヴェル(1875-1937)、レスピーギ(1879-1936)、バルトーク(1881-1945)、ストラヴィンスキー(1882-1971)というまさに同世代の天才たちが擬古典的な形式を取り入れた小編成の作品が並んでいます。元より打楽器が登場しない演奏会などほとんど聴きに行くことがなく、それもあって今日はどれも大好きな作曲家たちにも関わらずこれらの演目を過去にほとんど聴いたことがなかったのですが、奇しくも去年から心がけている「念願の選曲を落穂拾いする演奏会」の一環になりました。
しかし、このような趣向は個人的には高く評価するのですが、一般ウケはしないだろうなと思っていたら、案の定、客入りは半分くらいで空席が目立ちました。今日の演奏会は指揮者を立てず、特別首席コンサートマスターのヘンリック・ホッホシルト(元ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管コンマス)の「弾き振り」による演奏になるのですが、実際には指揮行為は全くやらず、それどころか合図もほとんど出さず、まさにヴァイオリンの音とジェスチャーのみで楽団を引っ張る硬派なスタイルでした。最初登場したホッホシルトは、バティック(インドネシアの正装)とおぼしきキンキラのシャツで登場し、外見からして一人だけ異色に目立っていましたが、後でプロフィールを読むと現在ジャカルタのオーケストラでも音楽顧問をやっているようで、そういうことかと納得。
1曲目の「クープランの墓」は、第一次大戦に従軍したラヴェルが、戦死した知人たちを偲んで作曲したピアノ曲を後に自身で管弦楽版に編曲したもので、バロック音楽時代の形式を模倣した舞曲組曲になっていて、一見明るく華やかな曲調の中にも所々顔を出す憂いを帯びたハーモニーに何とも惹きつけられる名曲です。備忘録を見るとちょうど10年前に都響で聴いていますが、うーむ、ほとんど覚えていない…。今日のオケは弦が8-7-6-4-3の小規模な2管編成で、指揮者がいない分、安全運転気味の進行。ちょっと表情付けに乏しい気もしましたが、ピリオド系と思えばこれはこれで良いのかも。オーボエとトランペットを中心に管奏者の腕前が確かで、意外と言ったら失礼ですが、期待以上の少数精鋭で安心して聴いていられました。
次のバルトーク「ディヴェルティメント」は一度ロンドンでロイヤルカレッジの学生オケを聴いて以来。バルトーク好きの私も、これが演目に上がっている演奏会をフル編成のオーケストラではほとんど見たことがありません。弦楽合奏のみで、形式は古典的な合奏協奏曲を倣いながらも、内容はバルトークらしい民族色の強い旋律とリズムが特徴的な曲です。小編成ながらも弦の響きがオルガンのように重層的で、さすがに弦がよく鍛えられたオケだなと感じました。こちらも指揮者なしの影響か、角が取れて淡々とした演奏に終始し、バルトーク好きとしてはもうちょっとリズムをえげつなく際立たせて欲しかったところです。
休憩を挟んで3曲目のレスピーギは初めて聴く曲でした。いずれもウフィッツィ美術館に展示されているボッティチェッリの超有名な絵画、「プリマヴェーラ」「マギの礼拝」「ヴィーナスの誕生」をモチーフに作曲された交響詩で、こちらは古典から形式ではなくフレーズをいろいろと引用しているようです。ローマ三部作のような極彩色には届きませんが、小編成ながらもピアノ、チェレスタ、ハープに、グロッケンシュピール、トライアングルの金物打楽器を加えた効果もあり、コンサート前半の曲と比べると一気に色彩感が増します。また、テンポも頻繁に動くので、指揮者がいないと本当に大変そうな曲でした。それでもほとんど乱れることなく推進する音楽に、トレーナーとしてのホッホシルトの力量を見ました。多分これが一番練習した曲ではないかな。
最後の「プルチネッラ」は、昔から大好きな曲だったのですが実演で聴くのは初めて。ここまでは本来の指揮者スペースを空けて配置していたオケが、この曲ではそのスペースを詰め、ちょうど第1ヴァイオリンのコンマス、第2バイオリン、ヴィオラ、チェロのそれぞれトップが距離をぐっと縮めて弦楽四重奏をかたち作り、その周りをオケが取り囲むかのような配置になりました。もうこの曲に至っては指揮者なしでやる方が珍しいくらい複雑なスコアになってくるので、こまめなテンポ変化はなくやはり淡々とした印象とはなりました。しかしながら、ここでも管楽器が皆さん素晴らしかった。この曲は管のソロが肝で、ヘロヘロだととても聴いていられないのですが、ほぼ完璧な仕事に脱帽しました。弦も管も想像以上にしっかりしていて、普通にプロフェッショナルなオケでした。当たり前のようで、そう思わせてくれない演奏会も正直少なくないので…。しかし、今日のコンサートにはこの芸劇ホールは広すぎる。本来なら、文化会館の小ホールとか、もっとこぢんまりとしたスペースで聴かせるのが良かったでしょうね。
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今だからこそ「祈り」の音楽:読響/カンブルラン/金川真弓(vn) ― 2024/04/05 23:59
2024.04.05 サントリーホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
金川真弓 (vn-2)
1. マルティヌー: リディツェへの追悼
2. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番
3. メシアン: キリストの昇天
今シーズンの読響でカンブルランが来るのはこの日だけのようなので、何はともあれ買ったチケットです。バルトーク以外は馴染みがなかったものの、カンブルランらしい東欧とフランスを取り混ぜたプチ玄人好みのプログラム。客入りはちょっと空席が目立つ感じでした。
1曲目はナチスドイツから逃れて米国に亡命したマルティヌーが、ドイツ軍が起こしたチェコ(ボヘミア)の小村リディツェの虐殺事件を題材に書いた小曲で、タイトルからして初めて聴く曲です。亡命チェコ政府に将校を暗殺されたことに激怒したヒトラーが、犯人を匿った(とされた)リディツェの掃討を命じ、男性200人は銃殺、女性と子供300人は強制収容所送りとなって、村が壊滅したという酷い話です。この時期、あえてこの曲をプログラムに乗せるのはいろいろと含みがあるでしょう。重苦しく始まり、途中でベートーヴェンの「運命の動機」が鳴り響いたりもしますが、悲痛な音を続けるわけではなく、どちらかというと祈りと癒しのような音楽でした。
バルトークのコンチェルトは最も頻繁に聴きに行く曲の一つで、前回は2022年の都響でした。金川真弓さんは1994年生まれの米国籍、現在はベルリン在住の若手ヴァイオリニストで、チラシで時々名前が目に入りますが、演奏は初めて聴きます。この曲は奏者によってガラリと表情が違ったりして聴き比べが非常に楽しいのですが、金川さんはゆっくりとしたテンポで非常に端正に弾くスタイル。音色は終始綺麗で澄んでいて、あえて荒っぽくワイルドに弾きたがる人も多い中で、先生の模範のような演奏でした。カンブルランも小細工なしでソリストにぴったり合わせてきます。過去に聴いた中では、ジェームズ・エーネスが近いスタイルでしょうか。民族色などあえて考えずにスコアと真摯に向き合うことで、この曲に内在する自然の力強さが逆に浮き彫りになってくるのが面白く、真の名曲だとあらためて思いました。
メインの「キリストの昇天」は、メシアン初期の代表作だけあって有名ですが、メシアンはあまり自分のカバー範囲ではないので、ほぼ初めて聴く曲でした。メシアンが独自に見出した「移調の限られた旋法」に基づいて作られており、いわゆる現代音楽とは一線を画する独特の音響感があります。フルの3管編成のオケながら、全員で演奏する時間は極めて短い、コスパの悪い曲。第1楽章の金管コラールからして、いちいちアタックがブレる上に音も濁り気味で、ブラスが弱い日本のオケにはなかなか厳しいものがありました。弦楽器は前半暇で、後半やっと出番が増えたかと思いきや、終楽章は弱音器を付けて、一部の奏者のみでミニマルでストイックな音楽に終始します。うーん、奏者には苦行のような曲で、達成感なさそう。しかしよく考えると、神に捧げる音楽に俗世の達成感は関係ないでしょうから、邪念にまみれた自分を恥じ入りました。
ということで、演奏よりも曲自体の感想に終始してしまいましたが、選曲にも、演奏のクオリティにも、さすがカンブルランの演奏会にハズレはありません。次のシーズンはもうちょっと来てくれたら良いなと。
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小澤征爾の思い出 ― 2024/02/10 23:59
昨日の小澤征爾氏の訃報に接し、まずは心より哀悼の意を表します。
まだまだこれからという時に、というわけでもなく、とうとうこの時がきたか、という思いではあります。
自分がクラシック音楽を聴き始めたとき、すでに大スターでした。特に日本では、カラヤン、バーンスタインと肩を並べる三大巨頭として、クラシックが趣味ではない人にも名が知れ渡る人気ぶりでした。
実演を聴くことができたのは2回しかありません。
最初は1981年10月のボストン響との来日公演初日、大阪フェスティバルホールでの「田園」と「春の祭典」という濃いカップリング(これがAプログラム)。正直、細部はよく覚えていませんが、初めて聴いた海外一流オケの圧倒的パワー(特にヴィック・ファース氏の強烈なティンパニ)に感銘を受けました。このとき、田園のスコア表紙に書いてもらった小澤氏と、さらにコンマスのシルヴァースタイン氏のサインは生涯の宝物です。さらには、このときのBプログラムであるウェーベルン「5つの小品」、シューベルト「未完成」、バルトーク「オーケストラのための協奏曲」が、権利にうるさいアメリカのオケとしては珍しくNHK-FMで生中継されており、そのエアチェックのカセットテープも後生大事に持っています。ここで聴いたオケコンがあまりに刺激的で、私のバルトーク好きを決定づける原点となりました。余談ですが、この演奏会では小澤氏が「短い曲なのでもう1回聴いていただきたい」と言ってウェーベルンを2回繰り返すという異例のハプニングも、生放送なのでそのまま放送されていました。
2回目は、長年の因縁と紆余曲折を経て、演奏家へのチャリティーという名目で1995年に実現した32年ぶりのN響との共演。N響との確執はリアルタイムでは知らないので特に関心も感慨もなかったのですが、何より小澤のオケコンが聴ける、というその一点で必死にチケット取りました。演奏会当日の直前に発生した阪神淡路大震災の追悼に「G線上のアリア」が最初に演奏され、ロストロポーヴィチによるアンコールの「サラバンド」が同じく追悼で演奏された後、全員で黙祷し、拍手のないまま散会という異例づくしの演奏会でした。オケ側に固さとミスは多少あったものの、スリリングな緊張感を保った小澤のオケコンは期待通りの感動で、ハイテンションのまま帰路についたのを覚えています。
世が世なら3回目としてチケットを取っていたのが、2012年のフィレンツェ五月祭劇場のバルトーク「中国の不思議な役人」「青ひげ公の城」ダブルビル。前年のサイトウ・キネン・フェスティバルで初演されたノイズム振付・演出のプロダクションをそのまま持ってくる予定だったのですが、小澤氏はこの直前から病気治療のため長期休養に入ることになり指揮をキャンセル。仕方がないとは言え肩透かしを喰らいました。
レコードで好きだったのは、やはり一番アブラが乗っていた1970年代後半から80年代にかけてのドイツ・グラモフォンへの録音で、マーラー「巨人」、プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」、バルトーク「役人」も素晴らしかったですが、特にレスピーギ「ローマ三部作」とファリャ「三角帽子」の完成度は、今なお自分の中のリファレンスになっています。
入手困難だった廃盤や自主制作盤が、これを機に再発してくれたら、とは切に思います。その個人的筆頭はボストン響との「青ひげ公の城」1980年ライブ。サイトウ・キネン・フェスティバルの「中国の不思議な役人」「青ひげ公の城」は当時NHK-BSで放送されていたようなので、その再放送もやってくれたらたいへん嬉しいのですが。
by Miklos [NHK交響楽団] [マーラー] [バルトーク] [ストラヴィンスキー] [つれづれ] [コメント(0)|トラックバック(0)]
読響/山田和樹:小澤征爾先生に捧げる「ノヴェンバー・ステップス」 ― 2024/02/09 23:59
2024.02.09 サントリーホール (東京)
山田和樹 / 読売日本交響楽団
藤原道山 (尺八-2), 友吉鶴心 (琵琶-2)
1. バルトーク: 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽
2. 武満徹: ノヴェンバー・ステップス
3. ベートーヴェン: 交響曲第2番ニ長調
本日の演目は、弦チェレは10年ぶり(前回は大野/都響)、ノヴェンバー・ステップスは11年ぶり(大野/BBC響)、ベト2は14年ぶり(アントニーニ/ベルリンフィル)と、どれも非常に久々に聴くものです。尺八、琵琶のお弟子さん筋なのか、お客はいつもより和服の人が多かったです。
本日のステージは円形の雛壇が組んであり、弦楽器の後方が普段より高いところに位置していました。ちょっと奮発してストール席を取ったのですが、前方の際の方だったので肝心の打楽器、チェレスタが弦奏者に遮られて見えにくい。なぜこのような配置なっているかというと、弦チェレと武満がどちらもスコアで左右対称な対向配置になるよう指定されているためで、想定しておくべきでした、残念…。
1曲目の弦チェレはバルトークの代表作ですが、特殊な編成になるので演奏会のプログラムに乗ることが意外と少ないです。ヤマカズさんは昨年の都響で三善晃「反戦三部作」を聴いて以来です。それに比べると今日の演目はリラックスして聴けるので、実際ヤマカズも飛んだり跳ねたり、本来の明るいキャラクターで千手観音のような指揮ぶりでした。オケの配置の特徴から指揮者のバトンさばきも、指揮棒を持たずに右手と左手が左右対称で動くか、あるいはシンクロした動きになるかで、「ダンス度」が非常に高い、見ていて飽きないものでした。一方でこの配置と雛壇のおかげで、音がいったん上に飛んでから降りてくるため左右の微妙なズレが強調され(真正面で聴いていた人は違うのかもしれませんが)、また音の重心が高く、低音が腹の底から来ないところがちょっと不満ではありました。演奏そのものはメリハリが効き、ゆさぶりも大きくライブ感溢れる好演だったと思いますが、細部の仕上がりがちょっと雑だった印象です。第1楽章が消え入るように終わるところで大きなくしゃみをやらかした輩がいましたが、コロナ禍もすっかり明けて聴衆はまた緩んできていますかなー。
ここで休憩ですが、演目の編成を考えると武満までやってから休憩にしたほうがいいのにな、と思いました。メインがベト2だと軽いとかバランス悪いという理由なら、いっそ1曲目をベト2にする手もありますし。大昔聴いた京大オケ、外山雄三指揮の演奏会がそんな感じでした。ベト2で始まり、ドヴォルザークのチェロコンと続き、最後は「三角帽子」第2組曲で締めるという(しかも「三角帽子」の終曲を再度アンコールでやるという効率の良さ)。
後半最初の「ノヴェンバー・ステップス」は、武満のみならず全ての邦人現代音楽の中でも突出した代表的作品。実演は2013年にロンドンBBC響の「Sound from Japan」で聴いて以来(このときは意外にも英国初演だったそう)の2回目です。ソリストを携えずマイクを手に一人で登場したヤマカズ氏から告げられたのは、「小澤征爾先生が亡くなられました」という訃報。場内「えっ」というどよめき。亡くなったのは2月6日だったそうですが、発表は9日の夜7時過ぎで、当然ほとんどの人は訃報を知らず。くしくも本日の演目は小澤征爾とゆかりが深い曲ばかりで、特に「ノヴェンバー・ステップス」は小澤の推薦によりNYPの創立125周年記念委嘱作品として世に生まれ出た曲です。しかも小澤指揮のNYPで1967年に初演された際、カップリングされたのがベートーヴェンの第2番という、偶然というにはあまりに揃いすぎているこのプログラム。ヤマカズ氏は、演奏会で暗い気持ちにさせるのは先生の本意ではないはずなので、黙祷はせず、この演奏を先生に捧げます、とのこと。
この曲のリファレンスとしては、小澤/トロント響、ハイティンク/コンセルトヘボウ、若杉/東京都響の3種のレコーディング(ソリストはいずれも初演者の横山勝也と鶴田錦史)と、前回実演で聴いた大野/BBC響の演奏をBBC Radio 3で放送した際エアチェックした音声データが手持ちのライブラリにありましたが、そのどれともまた違う個性的な演奏でした。まず私は純邦楽の知識も素養もほぼ何もないただの素人リスナーであることをお断りしておくとして、一見シュッとした若手イケメンに見えるものの実はそんなに若くない藤原道山の尺八が素晴らしかったです。今まで聴いたことがない澄み切った音色の尺八で、まるで美声の詩吟のように朗々とした唄がホールに響き渡ります。もちろん尺八特有のノイジーな奏法もふんだんに使われていますが、無理に力強さを出そうとせず、一貫して透明感をキープ。西洋の機能的な木管楽器寄りのアプローチで、一歩後ろに下がったオケの前に君臨する圧倒的ソリストという図式は伝統的なクラシック音楽との垣根を感じさせませんが、これを近代フルートではなく尺八で実現させているところが凄いです。一方の琵琶師、友吉鶴心は初演者鶴田錦史の直系弟子で、こちらは師匠譲りの力強いインパクトがありました。西洋クラシック音楽の伝統から見たら調律の狂ったノイズでしかない、もはや音とも音楽とも言えないような薩摩琵琶の様々な奏法が孤軍奮闘でオーケストラさらには尺八と対峙します。楽器と音自体はしなびた感じですが、バルトーク・ピチカートを思わせる弦を胴体にバチンと打ち付ける撥弦奏法(何て呼ぶのかわかりません)のキレは抜群。オケは協奏的な伴奏というより合いの手に徹し、あくまで後方に下がってソリストを支えますが、トランペットなどはもうちょっと繊細に対処してもらいたかったという不満はちょい残るものの、ヤマカズ氏の最初の言葉通り、渾身、入魂の「ノヴェンバー・ステップス」だったと思います。最後に断末魔のように息切れた尺八のあと、ずいぶんと長く静寂を引っ張ったのは、まさに小澤先生への哀悼の思いがあったのでしょう。タクトを下ろしたあとは、聴衆皆それぞれの追悼の意を込めて盛大な拍手が続きました。
この後のベートーヴェンのために配置を変えるのでけっこう時間を取っていて、やっぱり休憩の位置が間違っていたのでは、との思いは消えず。最後のベト2ではさすがに普通の対向配置に戻すのではと思っていたら、二つの弦楽群を完全に左右対向に分けた配置は踏襲したまま演奏を始めました。ヴァイオリンの第1を左、第2を右という伝統的な対向配置ではなくて、第1、第2がどちらも均等に左右に分かれているのは、私は初めての経験で、結論から先に言うと目的とか効果が最後までよくわかりませんでした。左右で均等に鳴っている弦楽群(さらにはそのせいで倍に補強されている管楽群も含め)は、勢いは確かにあるのですが、学校の運動会を連想させるスピード感と落ち着きのなさで、何だかわちゃわちゃしてアンサンブル精度の悪い演奏に聴こえました。よく見ていると対向配置といっても、第2楽章冒頭はヴァイオリンとヴィオラのトップだけにしてみたり、第3楽章のトリオ部では左群のオケだけ鳴らしてみたりとか、スコアの改変に近い仕掛けもあり、細部に何か意図はありそうですが、まあそんな繊細な話は抜きにしてもヤマカズ氏はここでも大熱演。思いが強烈に伝わるダイナミックな指揮ぶりで、この特別な日に特別な演奏会に遭遇できたことをたいへん感慨深く思います。
by Miklos [読売日本交響楽団] [バルトーク] [コメント(0)|トラックバック(0)]





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