N響/ブロムシュテット:97歳の現役最高齢マエストロはまだまだ衰えない2024/10/19 23:59



2024.10.19 NHKホール (東京)
Herbert Blomstedt / NHK交響楽団
1. オネゲル: 交響曲第3番「典礼風」
2. ブラームス: 交響曲第4番 ホ短調

10月後半とは思えない蒸し暑さの中、代々木公園のアジアンフェスの雑踏をかき分けてNHKホールへ。原宿駅では大きくて重そうな銅鑼(ソフトケース入り、キャスター付き)を引いてる女性がいらっしゃって、今日の奏者かなと思ったら、やっぱりそうでした。

さて、現役最高齢ながらもヨーロッパ各地で精力的に客演を続けているブロムシュテット翁。N響とは長い付き合いで、桂冠名誉指揮者の称号を得て、ここ20年くらいはほぼ毎年来日されているのですが、一昨年は直前に転倒して怪我をしたにも関わらず無事来日、しかし、買っていたマーラー9番のチケットはやむを得ない事情で聴きに行けませんでした。昨年、リベンジと意気込んでシベリウス2番のチケットを買ったら、感染症のため公演直前で来日キャンセル。もう日本で見ることは叶わないのではとの噂もありつつ、半信半疑で今年はこの日のチケットをとりあえずゲット。欧州でも健康状態悪化でキャンセルを連発しているようだったので、さすがに97歳の超高齢者を長距離フライトに乗せるのはもう無理か、昨年同様来日キャンセルのアナウンスは直前まで引っ張るのかななどと思っていたら、前週のB公演には無事来日して元気に振っていたということで一安心。それでも、当日会場に来てみるまでは「もしかしたら」との危機感が拭えませんでした。

楽団員と一緒にコンマスに手を引かれてゆっくりゆっくり登場したブロム翁に、会場は割れんばかりの拍手、早速ブラヴォー叫ぶ人もおりました。過去に生演を聴いたのは1回だけ、2010年のBBCプロムスでオケはマーラーユーゲントでしたが、その当時ですでに83歳ながらも年齢を感じさせない若々しさが印象に残っていました。それから14年、さすがに足腰が衰えたマエストロは、指揮台上の長椅子に座り、指揮棒は持たずに両手の人差し指を巧みに使い、上半身だけ動かす省エネ指揮です。腕はもちろん大振りではないものの、必要十分な可動域でキビキビと動きます。それより、眼鏡なしでオネゲルの複雑そうなスコアをちゃんと追ってたのが驚きでした。97歳という年齢を考えると視力も聴力もかなり衰えていて当たり前と思いますが、前週の評判通り、足腰以外はシャキッと冴えている様子でした。1曲目のオネゲル3番「典礼風」は、第二次大戦末期から終戦直後にかけて作曲された、「戦争交響曲」とでも呼ぶべき性質の重苦しい作品で、実演を聴ける機会は貴重です。コストミニマムな指揮に対して、オケのほうは仕上がりがまだちょっと未完成という感じでした。木管はまだ良かったですが、金管は音色まで気を配る余裕がなかったもよう。全体的に、道筋がわかって進んでいるのかがよくわからない手探り感が出てしまっていたと思いますが、まあ統制が弱いときのN響はこんなもんです。と思ったら、今日のコンマスは就任したばかりのゲストコンマスの方でした。

休憩後のブラームス4番は、ブラームスの交響曲自体、それを目当てに演奏会に行くということがないので、この前に聴いたのは7年前にウィーンでウィーンフィル、出かけた先でたまたまやってたので聴いたというわけです。こちらはブロム翁、譜面台のスコアは終始閉じたまま暗譜で振っていたので、知り尽くしたレパートリーなんでしょう。冒頭から彫りが深いフレージングが意外だったので指揮をよく見ていると、もちろん練習で叩き込んでもいるのでしょうが、微妙な指の動きながらもちゃんと指揮でリードしていて、二重に驚き。オネゲルと比べるとオケが曲に慣れている分、反応が良く一体感もありました。必要最小限に要所を締める、動きの小さい指揮でしたが、中音域をしっかりと響かせる骨太なドイツ伝統系のブラームスで、決して枯れたり、ましてやボケたりしていない、生命力がみなぎる好演でした。ブロム翁は、足腰を除けば十分に冴えていて、怪我さえしなければまだまだ活動は衰えない感じです。老人の歩行も、気持ちは前のめりでスイスイ歩こうとしていたのが、かえって怖いかも、と思ってしまいました。来年も元気な姿を見せてくれますように。


N響/沖澤まどか:実は苦手だったのか、フランス印象主義2024/06/14 23:59



2024.06.14 NHKホール (東京)
沖澤のどか / NHK交響楽団
Denis Kozhukhin (piano-2)
東京混声合唱団 (3)
1. イベール: 寄港地
2. ラヴェル: 左手のためのピアノ協奏曲
3. ドビュッシー: 夜想曲

コロナ禍以降、休憩なしの時間短縮演奏会だったN響の「Cプログラム」は、開始が遅くて料金も安かったので結構お気に入りだったのですが、来シーズンから通常モードに戻るためこれが最後のCプロです。ブザンソン指揮者コンクールの2019年度覇者、沖澤さんをまだ聴いたことがなかったし、最近多めになっている「念願の選曲を落穂拾いする演奏会」でもありますので、チケット買ってみました。

本日のプログラムは一言でまとめると「フランス印象主義」でありますが、年代的にも最初期の「夜想曲」から、もはや脱印象主義となったラヴェルの協奏曲まで、その歴史をコンパクトに辿る旅になっています。このあたりのフランス音楽は打楽器が多くカラフルで、絶対的に好みで間違いないのですが、記録を見るとそれほど多数聴いてないことに気づきました。イベールの代表作「寄港地」も実演は30年以上ぶりになります。前回は学生時代に初めてロンドンを訪れた際、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでデュトワ/モントリオール響を聴いた時以来です。

沖澤さんはアー写で見ると顔に圧があって、もっと男勝りな印象でしたが、実際は小柄で華奢、雰囲気も女性らしい柔らかさがありました。昨年から京都市交響楽団の常任指揮者になった先入観からか、確かに公家さんっぽい雰囲気があるなと思ったのですが、生まれ育ちは青森とのこと。指揮は至って真面目なスタイルで、動きに無駄がなくスムース、ちょっと悪く言うと遊びのスキが全くない感じです。フランス印象主義の管弦楽は楽器が多い割にローカロリーな曲が多く、ダイナミックレンジをいかに広く取れるかが一つの命綱だと思っていますが、その点はちゃんとオケを統率する力を持っていると思いました。終曲のリズムもキレとタメがバランス良く、緩急の変化も難なく振りこなせる感じです。ブザンソン優勝は単なる登竜門に過ぎず、その後いろんなマスタークラスを受講して研鑽を積んできただけあって、テクニックは確かなものだと感心しました。

次のラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」は、実演で聴くのは初めてです。もう一つの両手のピアノ協奏曲と比べてCDを聴く回数も少ないですし、正直何が凄いのかがもう一つわからない曲だったのですが、実演を見ると、何よりこれを左手一本で演奏しているのが凄いのだということがよくわかりました。ソロパートが貧弱にならないよう鍵盤の端から端まで縦横無尽に音を使い、おかげで腕の跳躍がハンパないので、視覚的にも見応えがあります。両手が健常なピアニストがこればかり演奏したら身体壊しそう。当然ながらこの曲を両手で演奏するのは反則なわけで、右手はやることありません(楽譜を置いていればそれをめくるくらいの役には立ちそうですが)。手持ち無沙汰な右手で何度も髪を掻き上げる仕草をしていたのが印象的でした。今日のソリスト、ロシア人のデニス・コジュヒンは沖澤さんと同い年だそうで、指揮者ならまだまだ若手の年齢でもピアニストだともうバリバリの中堅で、レコーディングもそれなりにあり、日本では山田和樹/スイス・ロマンドとの同曲ディスクで知られていますが、メジャーにはなりきれていない立ち位置。アンコールでは、ヒマな右手にずいぶんフラストレーションが溜まっただろうに、どれだけのテクニックを見せびらかしてくれるのかと期待したら、チャイコフスキーの「子どものアルバム」から「教会にて」という静かな小品だったので拍子抜けしました。リストやショパンではなかったのは、一つのロシア人の矜持でしょうか。

最後は女性合唱が加わっての「夜想曲」。曲を追うごとに打楽器が少なくなっていき、色彩感が落ち着いてきます。この曲を実演で聴くのは、記録を見ると3回目なのですが、過去2回(2006年ハンガリー国立フィル、2012年ロンドン響)の記憶がほぼない。確かにだいぶ苦手な部類というか、かなりの確率で寝てしまう曲なので、果たして今日はというと、やっぱり終曲まで持ちませんでした、すいません。朧げな感覚ながら、女性合唱は神秘的というには粒立ちがありすぎたし、ダイナミックレンジの点でも最後の方はちょっと力尽きている気がしました。ただ一つ、N響の木管はどのパートもソロが素晴らしく、今たいへん充実しているのではないかと思います。あと、前から気になっているチェロ最後列の女優のような美人さんはたいへん目が安らぎます…。


マエストロ・ルイージとN響による「ローマ三部作」は予想を超えた凄演2024/05/12 23:59

2024.05.12 NHKホール (東京)
Fabio Luisi / NHK交響楽団
1. パンフィリ: 戦いに生きて[日本初演]
2. レスピーギ: 交響詩「ローマの松」
3. レスピーギ: 交響詩「ローマの噴水」
4. レスピーギ: 交響詩「ローマの祭り」

大管弦楽の作品が何よりも好物な私に取って、レスピーギのローマ三部作は正真正銘のど真ん中なのですが、毎年どこかでやってる、三部作を全部やってしまう演奏会には今まで食指が動いたことはありませんでした。理由は二つあって、一つ目は、このように安直な名曲プログラムを振る(振らされる?)人はたいがい「一流の指揮者」には見えないから、二つ目は、パワープレイが苦手な日本のオケにこの3曲を一晩でやり切る体力があるとは思えないからでした(バテバテの「祭り」なんて聴きたくない!)。ですので、一昨年N響の主席指揮者に就任したばかりの「マエストロ」ルイージをまだ生で聴いてなかったこともあり、お国モノのローマ三部作を惜しみなく一気にやってくれるというこの演奏会は千載一遇のチャンス。

天候も良くタイフェスティバルで大盛況の代々木公園の喧騒を掻き分け、NHKホールに到着。日曜マチネだったので客層が比較的若く、満員御礼でした。1曲目のパンフィリ「戦いに生きて」は2017年のまさに同時代の作品で、初演の指揮者は他ならぬルイージ。解説を読むと、「ベートーヴェンとヴェルディを結ぶ《戦い》をイメージ」したと、ちょっと意味不明なことが書かれておりましたが、実際に聴いた印象も、ベートーヴェンとヴェルディを結ぶ線上のどこにも当てはまらない、もっと先の時代のレスピーギを連想させる、派手な色彩感が特徴の曲でした。ここはまあ、日本初演ということもあり、軽くジャブ。

続く「ローマの松」は、出だしからしてルイージのマジックが炸裂して、非常に見通しのよい音場をホール最上階にまで届けます。低弦からヴァイオリン、さらに木管、金管と目まぐるしく推移していく音列がくっきりと重奏的に響き、ぐしゃっと混ざった濁りが全くありません。これが終始一貫続くのでたいへんに心地よく、ルイージが巨大オケの整理に極めて優れているのはすぐにわかりました。「ジャニコロの松」エンドの鳥の鳴き声は、明らかにスピーカーではない方向からこれまた非常に立体的に聴こえてくるので「レコードもここまで進化したのか」と思ったら、奏者は見えませんでしたが客席で鳥笛を吹いていたとのこと。

それにしてもこの日のN響の集中力の高さは特筆もので、「松」だけでなく「噴水」「祭り」まで一貫して、数多くの難所が待ち受ける管楽器のソロを皆が皆、ほとんど外すことなく吹き切ったのには驚きました。バンダ(多分ゲスト)がたくさんいたのでその効果もあるのでしょうが、普段なら必ず途中でヘタってしまう金管も全く破綻せず、凄みのある音圧を最後までキープ。こんなに気合の入ったN響は聴いたことがなく、他にはキュッヒルがコンマスの時の東京春祭「ワーグナー・シリーズ」くらいです。三部作はどれも良く知っている曲なのでむしろ細かいところなどもうどうでもよく、予想を良い意味で裏切り、これだけ上質の音響空間をホールに終始満たしてくれたことに感謝です。

今日の収穫として、ルイージ/N響は「当たり」の期待値がたいへん大きいと感じました。来シーズンもマーラーを中心にぜひチケットをゲットしたいと思います。こんなことなら昨年末の「千人の交響曲」も無理して聴きに行けばよかった…。


小澤征爾の思い出2024/02/10 23:59

昨日の小澤征爾氏の訃報に接し、まずは心より哀悼の意を表します。
まだまだこれからという時に、というわけでもなく、とうとうこの時がきたか、という思いではあります。

自分がクラシック音楽を聴き始めたとき、すでに大スターでした。特に日本では、カラヤン、バーンスタインと肩を並べる三大巨頭として、クラシックが趣味ではない人にも名が知れ渡る人気ぶりでした。

実演を聴くことができたのは2回しかありません。

最初は1981年10月のボストン響との来日公演初日、大阪フェスティバルホールでの「田園」と「春の祭典」という濃いカップリング(これがAプログラム)。正直、細部はよく覚えていませんが、初めて聴いた海外一流オケの圧倒的パワー(特にヴィック・ファース氏の強烈なティンパニ)に感銘を受けました。このとき、田園のスコア表紙に書いてもらった小澤氏と、さらにコンマスのシルヴァースタイン氏のサインは生涯の宝物です。さらには、このときのBプログラムであるウェーベルン「5つの小品」、シューベルト「未完成」、バルトーク「オーケストラのための協奏曲」が、権利にうるさいアメリカのオケとしては珍しくNHK-FMで生中継されており、そのエアチェックのカセットテープも後生大事に持っています。ここで聴いたオケコンがあまりに刺激的で、私のバルトーク好きを決定づける原点となりました。余談ですが、この演奏会では小澤氏が「短い曲なのでもう1回聴いていただきたい」と言ってウェーベルンを2回繰り返すという異例のハプニングも、生放送なのでそのまま放送されていました。


2回目は、長年の因縁と紆余曲折を経て、演奏家へのチャリティーという名目で1995年に実現した32年ぶりのN響との共演。N響との確執はリアルタイムでは知らないので特に関心も感慨もなかったのですが、何より小澤のオケコンが聴ける、というその一点で必死にチケット取りました。演奏会当日の直前に発生した阪神淡路大震災の追悼に「G線上のアリア」が最初に演奏され、ロストロポーヴィチによるアンコールの「サラバンド」が同じく追悼で演奏された後、全員で黙祷し、拍手のないまま散会という異例づくしの演奏会でした。オケ側に固さとミスは多少あったものの、スリリングな緊張感を保った小澤のオケコンは期待通りの感動で、ハイテンションのまま帰路についたのを覚えています。


世が世なら3回目としてチケットを取っていたのが、2012年のフィレンツェ五月祭劇場のバルトーク「中国の不思議な役人」「青ひげ公の城」ダブルビル。前年のサイトウ・キネン・フェスティバルで初演されたノイズム振付・演出のプロダクションをそのまま持ってくる予定だったのですが、小澤氏はこの直前から病気治療のため長期休養に入ることになり指揮をキャンセル。仕方がないとは言え肩透かしを喰らいました。

レコードで好きだったのは、やはり一番アブラが乗っていた1970年代後半から80年代にかけてのドイツ・グラモフォンへの録音で、マーラー「巨人」、プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」、バルトーク「役人」も素晴らしかったですが、特にレスピーギ「ローマ三部作」とファリャ「三角帽子」の完成度は、今なお自分の中のリファレンスになっています。

入手困難だった廃盤や自主制作盤が、これを機に再発してくれたら、とは切に思います。その個人的筆頭はボストン響との「青ひげ公の城」1980年ライブ。サイトウ・キネン・フェスティバルの「中国の不思議な役人」「青ひげ公の城」は当時NHK-BSで放送されていたようなので、その再放送もやってくれたらたいへん嬉しいのですが。

N響/マダラシュ:ハーリ・ヤーノシュ他、充実のハンガリアン・ナイト2023/11/10 23:59



2023.11.10 NHKホール (東京)
Gergely Madaras / NHK交響楽団
阪田知樹 (piano-2)
1. バルトーク: ハンガリーの風景
2. リスト: ハンガリー幻想曲
3. コダーイ: 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」

小雨の中、NHKホールへ。雨降りには一番嫌なホールです。それでも、このところ続いている「念願の選曲を落穂拾いする演奏会」なので気分はハイです。「ハーリ・ヤーノシュ」は昔から大好きな曲で、ハンガリーに住んでいたころ全曲版の舞台を1回見ることができたのはラッキーでしたが、ハンガリーにいてさえ滅多にやってくれない演目です。コダーイはバルトークと並び立つハンガリーの2大巨塔とはいえ、やはりレパートリーの人気度ではバルトークとの落差を感じずにはおれません。「ハーリ・ヤーノシュ」の組曲も、もしプログラムに見つけたら万難を廃して聴きに行ってるはずですが、曲の知名度に比してなかなか演目には乗らない曲。前回組曲版を実演で聴いたのは40年以上前、山田一雄指揮の京大オケまで遡ります。

今回N響には初登場のマダラシュは、昨年都響で聴いて以来です。土着のネチっこさとスタイリッシュさを兼ね備えた、今どきのハンガリアンという印象。1曲目「ハンガリーの風景」はバルトークが自らのピアノ曲を寄せ集めて管弦楽に編曲し直したもので、個人的にもよく聴く曲ですが、実演は意外と初めて。マダラシュはキレの良いリズムの中に、ハンガリー民謡の独特の節回しを一所懸命伝えようと奮闘し、オケも若い指揮者に喰らいついて行こうと頑張る姿がN響らしくなく微笑ましいです。譜面台にはポケットスコアを置いていましたが、ほとんど見てない。そう言えば、ハンガリー出身の指揮者は古今東西沢山いらっしゃいますが、日本のオケを振っている姿はあまり目に浮かんでこないので、本場もののハンガリーは意外とレアケースなのかも。

次のリストの「ハンガリー幻想曲」は、一転して民謡色が薄れ、リストが捉えたハンガリーの音楽であるロマ色が濃くなっています。全く知らない曲でしたが、リストらしいヴィルトゥオーソの嵐。風貌からはもう少し年長に見える(失礼!)阪田知樹はまだ20代の人気の若手ピアニスト。長身で手が長くゴツい印象で、ラフマニノフのようです。力強いタッチと正確によく回る指は、もちろん教育と鍛錬もハンパじゃないとは思いますが、恵まれた体格が天賦のモノを感じました。個人的には、長髪は昭和臭が漂うのでやめた方がよいと思います。技巧的なリストを弾ききったあとは、アンコールでバルトーク「3つのチーク県の民謡」をサラッと弾いてくれてラッキー。ブダペストのリスト国際コンクールで優勝しただけあって、このあたりがオハコなんですね。

さて、メインイベントの「ハーリ・ヤーノシュ」。只々、感動です。舞台が遠かったので音量はオケに負けていましたが、それでもツィンバロンの響きが非常に懐かしい。そんなに長い曲ではないのですが、N響からは大曲に取り組むような気合が感じられ、集中力を一段高めた管楽器のソロはどれも概ね素晴らしい仕上がりでした。マダラシュもこの老獪なオケを実に器用にコントロールして、ハンガリー民謡の節回しをたっぷりと歌わせ、何より指揮者も奏者も皆とても楽しそうに演奏しているのがたいへん良かったです。「ハーリ・ヤーノシュ」、演奏難易度が高く、ツィンバロンもあったりして、なかなか簡単にはプログラムに乗せられない演目かもしれませんが、もっともっと演奏されても良いのになあ、とあらためて思いました。

本日の客入りは上の方の階だと3分の1くらいでちょっと寂しいものでした。またこのプログラムのボリューム感は、本来Cプロでやるのはもったいない気がしました。個人的には、チェロの一番後ろで弾かれていた女優ばりの超美人奏者にずっと目がクギ付けでした・・・。


N響/高関:アラジン組曲、シベリウス2番(ブロム翁リベンジならず…)2023/10/20 23:59



2023.10.20 NHKホール (東京)
高関健 / NHK交響楽団
1. ニールセン: 「アラジン組曲」より
 祝祭行進曲/ヒンドゥーの踊り/イスファハンの市場/黒人の踊り
2. シベリウス: 交響曲第2番ニ長調

この演奏会、私に限らずチケットを買った人の大多数はブロムシュテット翁が目当てだったはずですが、10月に入ってから健康上の理由で来日キャンセル、Aプログラム(ブルックナー5番)は演奏会自体が中止とのこと。アンスネスがソリストで来日するBプログラムはともかくとして、このCプログラムも中止になるんじゃないかなと思っていたら、直前になってBプロが尾高忠明、Cプロが高関健が代役で指揮台に立つ(ので公演中止はせず払い戻しもなし)という連絡がメールに加えてわざわざ葉書でも届きました。シベ2が聴きたかったわけでもアラジン組曲が聴きたかったわけでもなくて、昨年聴きそびれてしまったブロムシュテットを今年は何とか見に行きたい一心だったので、正直なところがっかりというしかありませんでした。代役を引き受けてくださったマエストロたちへの敬意から、多分賞賛の声が多数派になるかと思われますので、私はあえて大人げなく小市民の本音ベースで書こうと思いました。例えが適切ではないのは承知の上ですが、例えばブリン・ターフェルが歌うオペラアリアの夜みたいな演奏会で、ターフェルが来日中止になりましたが日本人の代役立てて演奏会は行います公演中止ではないので払い戻しは一切ありません、と言われてモヤモヤしない人はいないのではないかと。

と自分勝手な愚痴をこぼしてはみましたが、指揮者、ソリストの不本意な交代は、演奏会通いをしている中ではままある話、想定範囲内と言わざるを得ません。諏訪内晶子の代役でヒラリー・ハーン、スクロヴァチェフスキの代役でロジェストヴェンスキー、マリア・ジョアン・ピレシュの代役でデジュー・ラーンキ、くらいに「文句ないだろ」的な交代は、やはり滅多に遭遇できないものですね。

N響のCプログラムは、コロナ以降、休憩なしの1時間程度の演奏時間になっています。会場入りがギリギリになってしまいましたが何とか間に合い、客席を見渡すと、やはり空席はちらほら見えましたが、来るのをやめた人は思ったほど多くない様子。1曲目の「アラジン組曲」は、交響曲第4番と第5番の間という円熟期に書かれた劇音楽で、学究的な東洋音楽、民族音楽ではなく雰囲気重視、あくまで異国風の味付けに留まっています。しかし作曲技法的には、「イスファハンの市場」では4群に分かれたオーケストラが別々の音楽を奏でるといった多調とポリリズムの試みがなされていて、交響曲第5番で他の楽器を無視したリズムで小太鼓を叩きまくるという前衛性に通じるものがあります(脱線しますが、同様の実験をやっているアイヴズの「宵闇のセントラルパーク」は1906年作曲、アラジン組曲の1919年よりも早かった!)。何でトライアングルとドラをわざわざ木管の両脇に配置するのだろうと最初思いましたが、なるほど、打楽器もグループ分けされていたのね、と納得。高関さんは多分初めて聴く人で、予備知識がなかったのですが、キャリアを調べてみるとシベリウス先駆者の渡邉暁雄の弟子で、デンマーク、ノルウェーなど北欧のオケへ客演も多かったようで、北欧系の音楽は得意分野かもしれません。この難しいポリモードの音楽を破綻することなく上手く捌いていました。

メインのシベリウス第2番ですが、こちらはちょっと引っかかる演奏でした。急の代役だからということでもないのでしょうが、手探りの感触があり、金管もピリッとせず、終始流れの悪さを感じました。こんなにブツ切れの音楽だったかなと。この前にシベ2を聴いたのは8年前で、同じくNHKホールのN響(指揮はサラステ)でしたが、備忘録をみると感想は真逆でした。もっとも、今日はシベ2を聴きたい気分では全然なかった、という心理的要因が一番大きかったかもしれません。ということで、せっかくの初の高関健でしたが、のめり込んで聴き込むことができず、来年1月のシティ・フィル定期で再見する予定ですので、その際リベンジしたいと思います。

スラットキン/N響:素朴で雄大で陽気なアメリカ、アパラチアの春&ロデオ2022/11/19 23:59

2022.11.19 NHKホール (東京)

Leonard Stlakin / NHK交響楽団

1. コープランド: バレエ音楽「アパラチアの春」(全曲)

2. コープランド: バレエ音楽「ロデオ」(全曲)


N響を聴くのは実に5年ぶりになります。元々は先月のブロムシュテットが久々のN響、ということになる予定が、事情があって聴けませんでした。実はスラットキンは初の生演になります。また、コープランドの代表2作品も実演で聴くのは初めてという「初モノづくし」なのでした。「アパラチアの春」は数多くの録音が残されている著名曲ですし、「ロデオ」もELPがカバーするくらいメジャーな曲なので、もっとシーズンプログラムに乗る機会があってもいいんではと思います。日本人が好むメイン曲(正統派交響曲が多い)と組み合わせるのが難しいんでしょうかね。


アメリカ出身のスラットキンはもっと若いと思っていたら78歳で、マイケル・ティルソン・トーマス、エトヴェシュ・ペーテル、レイフ・セーゲルスタムといった人々と同い年、バレンボイム、ポリーニよりは少し下の年代に当たります。写真からは巨漢の強面というイメージを勝手に持っていたのですが、確かに筋肉質には見えるものの、コンマスのマロさんよりも小柄。指揮棒を使わず、しなやかで無駄のない手さばきで、しっかりとオケをリード。N響への客演も多いので、お互い勝手知ったる信頼感が感じられました。


1曲目「アパラチアの春」は、珍しいバレエ全曲版での演奏。組曲版が20分強くらいに対し、全曲版は35分程度の演奏時間で、微妙な差ですが、この程度なら全曲版がもっと普及してもよいのかも。ただ、私は実はこの曲が昔からどうも退屈で苦手。CD聴くときもだいたい飛ばしてしまいます。久しぶりにあらためて聴いてみると、雄大な自然に恵まれた古き良きアメリカのノスタルジーに溢れた、密度の濃い作品であると認識しました。コーダの静寂にグロッケンがかすかに響くところなんかもなかなか秀逸です。しかしやっぱり、冗長に感じる時間も多く、組曲版があったからこそこの曲がここまでメジャーになれたという効用があったのだと思いました。ちょうどバルトークの「中国の不思議な役人」の全曲と組曲の関係と似ているかも。N響は破綻もなく終始丁寧な演奏で、しっとりと美しい好演でした。


コロナ禍以降の慣例で、休憩なしに今度は「ロデオ」の全曲版。コントラバスが4本から8本に倍増し、編成がぐっと大きくなります。「ロデオ」も組曲版が圧倒的に普及していますが、「アパラチアの春」とは違ってこちらはほとんど差がなく、2曲目と3曲目の間に短い「宿舎でのパーティ」という曲が挿入されるだけで、これなら逆に何でわざわざ組曲版で演奏するんだろうと。実際に聴いてみてその答えがわかりました。「宿舎のパーティ」は調律の狂ったアップライトのホンキートンクピアノのソロから始まるので、このピアノを調達するのが多分クラシック演奏会の普通のロジでは難しいんだと思いました。次の「土曜の夜のワルツ」は切れ目なしに繋がるので、レコーディングなら全曲版がもっと普及してもよいのになとは思います。


「ロデオ」はかつて部活で演奏したことがあり、個人的にはたいへん懐かしい時間でした。最後の「ホーダウン」で聴き慣れない部分に気づき、組曲版でカットされた部分がここにも少しありました。「ロデオ」は「アパラチアの春」とは打って変わって陽気で賑やかな曲で、後腐れなしで楽しく聴き流せます。普通のオーケストラでは使わない打楽器が出てくるのも楽しみで、「アパラチアの春」でもサンドペーパーやクラベス(洋風拍子木)が地味に使われていましたが、「ロデオ」ではスラップスティック(むちの音を模した、細長い平板を蝶番で繋げた打楽器)やウッドブロックが派手に活躍します。おどけた金管ソロも楽しみの一つで、ちょっと危うい箇所もありましたが何とか無難にクリア、さすがプロです(この曲は見かけよりもずっと演奏難易度が高く、アマチュアにはなかなか手に負えないシロモノでした・・・)。



N響は今シーズンから演奏終了後のカーテンコールは写真撮影OKになったので、記念に1枚。さすがに3階席からだとピシッとは撮れてませんが。



晴天に恵まれた週末の代々木公園は、コロナ前のように賑わいが戻っていました。


東京・春・音楽祭:ここでしか聴けないハイレベル、「さまよえるオランダ人」2019/04/07 23:59

2019.04.07 東京文化会館 大ホール (東京)
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 10
David Afkham / NHK交響楽団
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Bryn Terfel (Der Holländer/bass-baritone)
Jens-Erik Aasbo (Daland/bass, Ain Angerの代役)
Ricarda Merbeth (Senta/soprano)
Peter Seiffert (Erik/tenor)
Aura Twarowska (Mary/mezzo-soprano)
Cosmin Ifrim (Der Steuermann Dalands/tenor)
東京オペラシンガーズ
中野一幸 (video)
1. ワーグナー: 歌劇《さまよえるオランダ人》(演奏会形式・字幕映像付)

昨年の「ローエングリン」は見送ってしまったので、2年ぶりの東京春祭ワーグナーです。満開のピークは過ぎましたが、まだ花見客で溢れかえる上野公園を横目に、久しぶりの文化会館へ。

まずは記録をたどってみると、「オランダ人」は2011年にロイヤルオペラで観て以来の2回目。ブリン・ターフェルも実はそんなに見てなくて、やはり2011年のロイヤルオペラ「トスカ」スカルピア役で聴いたのと、シモン・ボリバル響のロンドン公演アンコールでサプライズ登場したのを目の前かぶりつきで見たのが全て。他は初めての人ばかり、かと思いきや、舵手役テナーのコスミン・イフリムは、2006年に観たウィーン国立歌劇場ルーフテラスの「子供のためのオペラ」で、「バスティアンとバスティエンヌ」に出演していました。当時はまだ研究生くらいのキャリアだったでしょうか。

指揮者のダーヴィト・アフカムはドイツ出身、弱冠36歳の新進指揮者で、名前や顔立ちから推察される通り中東系ハーフ(お父さんがイラン人)とのこと。2008年のドナテッラ・フリック指揮者コンクールで優勝したのをきっかけに、ゲルギエフやハイティンクのアシスタントを務めながらキャリアを積み上げてきた人のようです。そういえば、2012年のドナテッラ・フリック指揮者コンクール最終選考をバービカンで見たことを懐かしく思い出しました。

この業界では全く「若造」のアフカム相手に、N響がナメた演奏をしないかとちょっと心配でしたが、今年もゲストコンマスに座ってくれたキュッヒルが睨みを利かせるこのシリーズでは、さすがにそんなことは杞憂でした。出だしの序曲から鋭く引き締まった弦、日本のオケとは思えない馬力の金管、メリハリの効いた演奏を最後まで集中力切らさず、相変わらずの高クオリティで聴かせてくれました。毎回書いてますが、今年もキュッヒル様様です。

このシリーズ、あらためて書くまでもないですが、オケのクオリティに加え、歌手陣が充実しているのも特長で、トータルでここまでのハイレベルは海外の有名歌劇場でもほとんどチャンスはないと思います。ターフェルのオランダ人が別格に素晴らしいのは言うまでもないとして、バイロイトでもゼンタを歌っているメルベートは、エキセントリックながらも浮つかないどっしりとした歌唱が貫禄十分。大御所ペーター・ザイフェルトは多分このシリーズ初登場で、65歳(ルチア・ポップのWidowerだからもっと歳食ってるかと思ったけど、15歳も年下の夫だったんですね)とは思えぬ伸びのある美声を披露。このトリプルスターに交じって、急病のアイン・アンガーの代役で呼ばれたノルウェー人バスのオースボーも、負けることなく堂々と渡り合っていましたので、知名度はまだまだかもしれませんが大した実力者です。主役4人が皆、体格も良く、一様に素晴らしいシンガーだったので、舵手役のイフリムは小柄さ(この人もぼっちゃり系ですけどね)と声の線細さ、不安定さが対比されてしまって気の毒でした。ただ、この役はこのくらい「若い」ほうがむしろ良いかもしれません。マリー役は、うーむ、ほとんど印象に残っていない…。

ビデオは、CGがどうしてもゲームっぽい感じになってしまうので最初は抵抗があったのですが、今回の「オランダ人」は奇をてらわず、ストーリーを分かりやすくトレースしていて、ただでさえ長ったらしいワーグナーのオペラをコンサート形式で鑑賞するにはこれもアリかなと、今は肯定派に傾いています。前にロンドンで観たときのシンボリックな演出よりはよっぽどいい。あと、今回あらためて思いましたが、登場人物がみんな自分勝手な人たちばかりで、最後の昇天のシーンも鼻白むというか、共感できるところがほとんどない寓話だなと。

さて来年は何が来るか、いつ発表になるのか知りませんが、初期の作品を除くともう残すは「トリスタンとイゾルデ」しかないので、それを有終の美として、このワーグナーシリーズもフィナーレ、となるのでしょうか。どんな歌手を揃えるのか、来年も期待大ですね。

気がつけば昨年は演奏会に行く数が激減していて、今年も目ぼしいものがまだ見つけられていないので、さらに激減する予感が…。ブログの更新もこんな感じになりそうです。


フェドセーエフ/N響/ベレゾフスキー(p):ロシア名曲集@昼下がりのミューザ2017/05/25 23:59

2017.05.25 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
明電舎創業120周年記念 N響午後のクラシック
Vladimir Fedoseyev / NHK交響楽団
Boris Berezovsky (piano-2)
ショスタコーヴィチ: 祝典序曲
チャイコフスキー: ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
リムスキー・コルサコフ: スペイン奇想曲
チャイコフスキー: 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」

平日はほとんど演奏会のないミューザ川崎。地元民じゃないから週末は川崎に来ない私にとっては、スポンサーの明電舎様様です。木曜日の午後3時開始なのに、やはりシニア層が中心ですが、ほぼ満員の客入り。ほらごらん、やっぱり聴衆は平日の演奏会にとっても飢えているのではないでしょうか。

さて今日の指揮は先週聴いたばかりのフェドさん。1曲目の「祝典序曲」は、先週全般的に感じた「重さ」がまだ残り、スローテンポでフレーズをじっくり聴かせるような演奏でした。うーむ、この曲はやっぱりもっとギャロップ感が欲しいかな。それにしても、相変わらずトランペットの音が汚い。ただし今日は他の金管、特にホルンは立派なものでした。

そのホルンで始まるチャイコンは、第2楽章までは意外と淡白とした進行。ベレゾフスキーは、いつもルガンスキーと記憶がごっちゃになるので今一度記録を調べると、ブダペスト(2005年)、パリ(2013年)で聴いて以来の3回目です。テクニックひけらかし系の人だったはずですが、今日はフェドさんに付き合ったのか、ピアノが突出することなくオケの中に溶け込み、ずいぶんと落ち着いてしまった印象。と思わせといて、終楽章ではいきなりフルスロットルの高速爆演が圧巻でした。このために前半は抑え気味だったのか、と思うほど。やはりこの人の凄テクは一聴の価値ありです。

後半最初の「スペイン奇想曲」は、フェドさんここまでと打って変わって、小躍りしながら楽しそうに振っています。オケも後半でようやくエンジンが温まってきたのか、鳴りが良く、個々のソロも際立ってきました。最後の「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、正直苦手な曲だったのですが、途中飽きることなく終始ドラマチックに聴かせ通しました。アンコールはスネアドラムの人が戻ってきて、ガイーヌから「レズギンカ舞曲」。もうノリノリで、このギャロップ感が「祝典序曲」でも欲しかったところです。フェドさんは真っ先にスネア奏者を立たせただけでなく、指揮台のほうまで手を引っ張ってきて真ん中に立たせたのは、普段日の目を見ない打楽器奏者にとっては、何年に1回あるかないかの晴れ舞台だったことでしょう。全体的に、先週と比べると指揮者もオケも随分とリラックスした感じで、私はこっちのほうが断然良かったです。

フェドセーエフ/N響:まずはご健在に祝福、ボロ2とチャイ42017/05/19 23:59

2017.05.19 NHKホール (東京)
Vladimir Fedoseyev / NHK交響楽団
グリンカ: 幻想曲「カマリンスカヤ」
ボロディン: 交響曲第2番ロ短調
チャイコフスキー: 交響曲第4番ヘ短調

フェドセーエフは新婚旅行の際、ウィーンで聴いて以来です。ここ数年何度かN響に客演していたのは知っていましたが、タイミングが合わず、もういいお歳なので下手すりゃ再見できずじまいかと諦めかけておりました。悠々と登場したフェドさんは、風貌が昔とあまり変わっておらず、よぼよぼしたところも皆無だったので、とても85歳には見えず、お元気そうで何よりでした。

1曲目は初めて聴く曲ですが、そもそもグリンカというと「ルスランとリュドミラ」序曲以外の作品を知りません。しかしこれが意外と小洒落た佳曲で、短い中にもロシアの情景が穏やかに詰まっています。中間部の軽妙なクラリネットソロがたいへん上手かったです。

続くボロディンの2番は、そこそこメジャーな交響曲の名曲で、レコーディングも多数ありますが、欧州在住時代でも演奏会のプログラムに乗ったのをあまり見たことがなく、生で聴くのは初めて。「だったん人の踊り」くらいは昔どこかで聴いたと思いますが、ボロディン自体、今までなかなか演奏会で聴く機会がなかったような。さて第2番ですが、第1楽章の勇者の主題はたっぷりと重厚に聴かせ、どっしりと行くのかと思いきや、楽章を追うごとに重しが取れて、終楽章などは実にあっさりこじんまりと軽くまとめていて、ある意味小細工なく、アンバランスさも含めてあるがままの曲の姿を浮き彫りにしたと言えそう。金管の音が汚いのがちょっと興ざめです。いちいちアタックが強いのはロシア風なのか・・・。

メインのチャイ4も何だか同じ芸風で、第1楽章はリズムが死んでいて、第2楽章もスローテンポで弦を重厚に響かせ、とにかく前半が重い。切れ目なく開始した第3楽章は、極めて抑制の効いたピッツィカートがそれまでの重さを払拭してくれました。元々合間をあまり置かないフェドさんなので、終楽章もアタッカで行くのかと思いきや、ここは弦楽器が弓を持ち変えるために一息いれたのがちょっと意外。しかし、第2主題の前は一瞬パウゼを入れる演奏が多い中、スコアに忠実なフェドさんはそんなもの一切入れず、おかげで第2主題の頭が聴こえないという、曲の問題点をやはりそのまま浮き上がらせてしまいます。音が雑だなあと感じてしまうと、そんな細かいことばかりが気になってしかたがない。まあしかし、こんなオハコ中のオハコであろう曲でも常にスコアを追いながらデリケートな音楽作りをするのがフェドさんの真骨頂なれど、理想の「音色」まで引き出すような指導はしないのだなあ、ということがわかりました。チャイ4に関しては、昨年聴いたチョン・ミョンフンのほうが指導力に勝るかなと思いました。