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2022.11.19 NHKホール (東京)
Leonard Stlakin / NHK交響楽団
1. コープランド: バレエ音楽「アパラチアの春」(全曲)
2. コープランド: バレエ音楽「ロデオ」(全曲)
N響を聴くのは実に5年ぶりになります。元々は先月のブロムシュテットが久々のN響、ということになる予定が、事情があって聴けませんでした。実はスラットキンは初の生演になります。また、コープランドの代表2作品も実演で聴くのは初めてという「初モノづくし」なのでした。「アパラチアの春」は数多くの録音が残されている著名曲ですし、「ロデオ」もELPがカバーするくらいメジャーな曲なので、もっとシーズンプログラムに乗る機会があってもいいんではと思います。日本人が好むメイン曲(正統派交響曲が多い)と組み合わせるのが難しいんでしょうかね。
アメリカ出身のスラットキンはもっと若いと思っていたら78歳で、マイケル・ティルソン・トーマス、エトヴェシュ・ペーテル、レイフ・セーゲルスタムといった人々と同い年、バレンボイム、ポリーニよりは少し下の年代に当たります。写真からは巨漢の強面というイメージを勝手に持っていたのですが、確かに筋肉質には見えるものの、コンマスのマロさんよりも小柄。指揮棒を使わず、しなやかで無駄のない手さばきで、しっかりとオケをリード。N響への客演も多いので、お互い勝手知ったる信頼感が感じられました。
1曲目「アパラチアの春」は、珍しいバレエ全曲版での演奏。組曲版が20分強くらいに対し、全曲版は35分程度の演奏時間で、微妙な差ですが、この程度なら全曲版がもっと普及してもよいのかも。ただ、私は実はこの曲が昔からどうも退屈で苦手。CD聴くときもだいたい飛ばしてしまいます。久しぶりにあらためて聴いてみると、雄大な自然に恵まれた古き良きアメリカのノスタルジーに溢れた、密度の濃い作品であると認識しました。コーダの静寂にグロッケンがかすかに響くところなんかもなかなか秀逸です。しかしやっぱり、冗長に感じる時間も多く、組曲版があったからこそこの曲がここまでメジャーになれたという効用があったのだと思いました。ちょうどバルトークの「中国の不思議な役人」の全曲と組曲の関係と似ているかも。N響は破綻もなく終始丁寧な演奏で、しっとりと美しい好演でした。
コロナ禍以降の慣例で、休憩なしに今度は「ロデオ」の全曲版。コントラバスが4本から8本に倍増し、編成がぐっと大きくなります。「ロデオ」も組曲版が圧倒的に普及していますが、「アパラチアの春」とは違ってこちらはほとんど差がなく、2曲目と3曲目の間に短い「宿舎でのパーティ」という曲が挿入されるだけで、これなら逆に何でわざわざ組曲版で演奏するんだろうと。実際に聴いてみてその答えがわかりました。「宿舎のパーティ」は調律の狂ったアップライトのホンキートンクピアノのソロから始まるので、このピアノを調達するのが多分クラシック演奏会の普通のロジでは難しいんだと思いました。次の「土曜の夜のワルツ」は切れ目なしに繋がるので、レコーディングなら全曲版がもっと普及してもよいのになとは思います。
「ロデオ」はかつて部活で演奏したことがあり、個人的にはたいへん懐かしい時間でした。最後の「ホーダウン」で聴き慣れない部分に気づき、組曲版でカットされた部分がここにも少しありました。「ロデオ」は「アパラチアの春」とは打って変わって陽気で賑やかな曲で、後腐れなしで楽しく聴き流せます。普通のオーケストラでは使わない打楽器が出てくるのも楽しみで、「アパラチアの春」でもサンドペーパーやクラベス(洋風拍子木)が地味に使われていましたが、「ロデオ」ではスラップスティック(むちの音を模した、細長い平板を蝶番で繋げた打楽器)やウッドブロックが派手に活躍します。おどけた金管ソロも楽しみの一つで、ちょっと危うい箇所もありましたが何とか無難にクリア、さすがプロです(この曲は見かけよりもずっと演奏難易度が高く、アマチュアにはなかなか手に負えないシロモノでした・・・)。
N響は今シーズンから演奏終了後のカーテンコールは写真撮影OKになったので、記念に1枚。さすがに3階席からだとピシッとは撮れてませんが。
晴天に恵まれた週末の代々木公園は、コロナ前のように賑わいが戻っていました。
東京・春・音楽祭:ここでしか聴けないハイレベル、「さまよえるオランダ人」 ― 2019/04/07 23:59
フェドセーエフ/N響/ベレゾフスキー(p):ロシア名曲集@昼下がりのミューザ ― 2017/05/25 23:59
明電舎創業120周年記念 N響午後のクラシック
Vladimir Fedoseyev / NHK交響楽団
Boris Berezovsky (piano-2)
ショスタコーヴィチ: 祝典序曲
チャイコフスキー: ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
リムスキー・コルサコフ: スペイン奇想曲
チャイコフスキー: 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」
平日はほとんど演奏会のないミューザ川崎。地元民じゃないから週末は川崎に来ない私にとっては、スポンサーの明電舎様様です。木曜日の午後3時開始なのに、やはりシニア層が中心ですが、ほぼ満員の客入り。ほらごらん、やっぱり聴衆は平日の演奏会にとっても飢えているのではないでしょうか。
さて今日の指揮は先週聴いたばかりのフェドさん。1曲目の「祝典序曲」は、先週全般的に感じた「重さ」がまだ残り、スローテンポでフレーズをじっくり聴かせるような演奏でした。うーむ、この曲はやっぱりもっとギャロップ感が欲しいかな。それにしても、相変わらずトランペットの音が汚い。ただし今日は他の金管、特にホルンは立派なものでした。
そのホルンで始まるチャイコンは、第2楽章までは意外と淡白とした進行。ベレゾフスキーは、いつもルガンスキーと記憶がごっちゃになるので今一度記録を調べると、ブダペスト(2005年)、パリ(2013年)で聴いて以来の3回目です。テクニックひけらかし系の人だったはずですが、今日はフェドさんに付き合ったのか、ピアノが突出することなくオケの中に溶け込み、ずいぶんと落ち着いてしまった印象。と思わせといて、終楽章ではいきなりフルスロットルの高速爆演が圧巻でした。このために前半は抑え気味だったのか、と思うほど。やはりこの人の凄テクは一聴の価値ありです。
後半最初の「スペイン奇想曲」は、フェドさんここまでと打って変わって、小躍りしながら楽しそうに振っています。オケも後半でようやくエンジンが温まってきたのか、鳴りが良く、個々のソロも際立ってきました。最後の「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、正直苦手な曲だったのですが、途中飽きることなく終始ドラマチックに聴かせ通しました。アンコールはスネアドラムの人が戻ってきて、ガイーヌから「レズギンカ舞曲」。もうノリノリで、このギャロップ感が「祝典序曲」でも欲しかったところです。フェドさんは真っ先にスネア奏者を立たせただけでなく、指揮台のほうまで手を引っ張ってきて真ん中に立たせたのは、普段日の目を見ない打楽器奏者にとっては、何年に1回あるかないかの晴れ舞台だったことでしょう。全体的に、先週と比べると指揮者もオケも随分とリラックスした感じで、私はこっちのほうが断然良かったです。
フェドセーエフ/N響:まずはご健在に祝福、ボロ2とチャイ4 ― 2017/05/19 23:59
Vladimir Fedoseyev / NHK交響楽団
グリンカ: 幻想曲「カマリンスカヤ」
ボロディン: 交響曲第2番ロ短調
チャイコフスキー: 交響曲第4番ヘ短調
フェドセーエフは新婚旅行の際、ウィーンで聴いて以来です。ここ数年何度かN響に客演していたのは知っていましたが、タイミングが合わず、もういいお歳なので下手すりゃ再見できずじまいかと諦めかけておりました。悠々と登場したフェドさんは、風貌が昔とあまり変わっておらず、よぼよぼしたところも皆無だったので、とても85歳には見えず、お元気そうで何よりでした。
1曲目は初めて聴く曲ですが、そもそもグリンカというと「ルスランとリュドミラ」序曲以外の作品を知りません。しかしこれが意外と小洒落た佳曲で、短い中にもロシアの情景が穏やかに詰まっています。中間部の軽妙なクラリネットソロがたいへん上手かったです。
続くボロディンの2番は、そこそこメジャーな交響曲の名曲で、レコーディングも多数ありますが、欧州在住時代でも演奏会のプログラムに乗ったのをあまり見たことがなく、生で聴くのは初めて。「だったん人の踊り」くらいは昔どこかで聴いたと思いますが、ボロディン自体、今までなかなか演奏会で聴く機会がなかったような。さて第2番ですが、第1楽章の勇者の主題はたっぷりと重厚に聴かせ、どっしりと行くのかと思いきや、楽章を追うごとに重しが取れて、終楽章などは実にあっさりこじんまりと軽くまとめていて、ある意味小細工なく、アンバランスさも含めてあるがままの曲の姿を浮き彫りにしたと言えそう。金管の音が汚いのがちょっと興ざめです。いちいちアタックが強いのはロシア風なのか・・・。
メインのチャイ4も何だか同じ芸風で、第1楽章はリズムが死んでいて、第2楽章もスローテンポで弦を重厚に響かせ、とにかく前半が重い。切れ目なく開始した第3楽章は、極めて抑制の効いたピッツィカートがそれまでの重さを払拭してくれました。元々合間をあまり置かないフェドさんなので、終楽章もアタッカで行くのかと思いきや、ここは弦楽器が弓を持ち変えるために一息いれたのがちょっと意外。しかし、第2主題の前は一瞬パウゼを入れる演奏が多い中、スコアに忠実なフェドさんはそんなもの一切入れず、おかげで第2主題の頭が聴こえないという、曲の問題点をやはりそのまま浮き上がらせてしまいます。音が雑だなあと感じてしまうと、そんな細かいことばかりが気になってしかたがない。まあしかし、こんなオハコ中のオハコであろう曲でも常にスコアを追いながらデリケートな音楽作りをするのがフェドさんの真骨頂なれど、理想の「音色」まで引き出すような指導はしないのだなあ、ということがわかりました。チャイ4に関しては、昨年聴いたチョン・ミョンフンのほうが指導力に勝るかなと思いました。
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