ラベック姉妹+カラカン:4本腕の凄腕ピアニスト?2013/02/17 17:59


2013.02.17 Queen Elizabeth Hall (London)
Katia & Marielle Labèque (pianos)
Kalakan Trio (percussion-4)
1. Debussy: "Nuages" and "Fêtes" from Nocturnes (transc. Ravel for piano duo)
2. Ravel: Rapsodie espagnole (for piano duo)
3. Ravel: Ma mère l'oye (Mother Goose), suite for piano duet
4. Ravel: Boléro (arr. for piano duo & percussion trio)

一昨年のOAEで初めて生を見たラベック姉妹。そのときはバロックピアノ(フォルテピアノ)でしたが、今回は普通のモダンピアノデュオを最前列かぶりつきで観賞です。お姉さんのカティアは赤、妹のマリエルは黒というコントラストの衣装で登場(ですよね?この姉妹は双子のようによく似ているので見分けにくいです)。姉妹デュオでの活動に年季が入っているので、さすがに息がぴったり。音も同質でお互い溶け合っており、「4本の腕を持つ凄腕ピアニスト」とでも表現できそうです。その分、姉妹のキャラ分けと弾き方はけっこう対照的。職人肌系きっちりピアニストのマリエルに対して、カティアは全くの芸術爆発系。激しいアクションに、きついフレーズで自然とこぼれる野獣のうなり声。最後の音を手のひらでふわっと包み込んで温めるような仕草(もちろん鍵盤から手を離した後のそんな動作が音に影響するわけはなく、完全に気持ちの問題ですが)など、エモーショナルな弾き方がビジュアル的にも面白かったです。

前半は、先週オケで聴いたばかりの「スペイン狂詩曲」が圧巻でした。ラヴェル自身のトランスクリプションかどうかは確認できていないですが、骨組みだけみたいなこのピアノ版を聴くと、この巨大なオーケストレーションの構造と仕組みが見えて(と言えるまでの素養はないですが、少なくとも感じ取れて)きました。後半の「マ・メール・ロワ」は連弾なので、横並びで身を寄せ合ってあまり動けないせいか、多少大人しめの演奏でした。最後の「ボレロ」はバスクの民族打楽器トリオKalakanと共演。ボレロをただピアノだけで延々とやってもつまらない(やるほうも聴くほうも多分苦痛)ので打楽器で色付けするという趣向だと思いますが、ピアノはすっかり脇役でした。ただし正直な感想を言わせてもらえれば、このボレロに限っては打楽器も退屈でしたけど。あと3、4人笛系と弦系の民族楽器が加わればもっと多彩で面白くなったんじゃないかな。アンコールはKalakanのみで、拍子木の曲とアカペラ2曲を披露しました。その間ラベック姉妹は舞台脇にべたっと座りリラックスして鑑賞。拍子木は曲芸みたいなもんでしたが、アカペラは結構上手でした。


ボレロの小太鼓はこんなんでした。


大太鼓と、何だかよくわからない木琴のような拍子木のような打楽器。



五嶋みどり/オズガー・アイディン:ベートーヴェン、ヴェーベルン、クラム2012/11/25 23:59

2012.11.25 Wigmore Hall (London)
Midori (violin) / Özgür Aydin (piano)
1. Beethoven: Violin Sonata No. 2 in A Op. 12-2
2. Webern: Four Pieces Op. 7
3. Beethoven: Violin Sonata No. 6 in A Op. 30-1
4. George Crumb: Four Nocturnes (Night Music II)
5. Beethoven: Violin Sonata No. 9 in A Op. 47 ‘Kreutzer’

この日はビシュコフ/LSOでマーラー1番があったのですが、後からこの五嶋みどりの演奏会に気付き、迷った挙句LSOはリターンしてしまいました。

2年ぶりの五嶋みどりさんですが、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタという、普段の私からは最も縁遠い世界の曲目なので、スマートなレビューなど元々できるはずもなく、それは最初にお断りしておくとして、やっぱりこの人の上手さは群を抜いてます。最初のソナタ第2番は最初から最後まで音が澄み切っており、豊かな表現力に細かい語り口は寸分の穴もなくスムースで、トップクラスのアスリートが全身を駆使して記録を出すような、全てにおいて美しい演奏でした。過去に聴いたのはコンチェルトばかりでしたが、目を閉じて修行僧のような寡黙さで演奏に没入する姿が印象に残っていたので、ここまで内田光子ばりに表情豊かな人だったとは、全く意外でした。

続くヴェーベルンは初期の小品(と言っても彼の作曲はほとんどが小品ですが)で、音列技法に取り組む前の無調音楽です。一見、沈黙をわずかな音で紡いでいくようなローカロリーな曲ですが、音符の背後にあるとてつもない緊張感が心を揺り動かします。特に2曲目は突如怨念を爆発させたような激しい演奏で、ヴェーベルンとは思えないくらい、人の血の通った音楽でした。

休憩後、マイクを持ったおじさんが出てきたので何事かと思えば、予定されていたクルターグ「3つの断章(Tre pezzi)」の代わりに誰それの「ノクターン」を演奏します、とのこと。ピアニストが持って出てきた楽譜の表紙をオペラグラスで見て、作曲者はジョージ・クラムと確認。どのみち初めて聴く曲ですが、クルターグはハンガリー人作曲家としてもちろん名前はよく知っていますが、クラムは名前すら初めて聞きました。後でみどりさんの公式ページを見ると、この秋のアイディンとのツアーではどの日も同じ演目で、クルターグではなくクラムがすでにエントリーされていましたので、ならば逆にウィグモアホールが何故ギリギリまで曲目変更のアナウンスをせず、無料プログラムも誤った情報のまま刷ってしまったのか不思議です。それはともかく、ヴェーベルンよりもさらに繊細な弱音のヴァイオリンの後ろで、ピアノの弦を直接指で弾いたり引っかいたりする内部奏法を多用した、いわゆるゲンダイオンガクでありました。後で調べたところ、けっこういろんな人がレパートリーにしている著名曲のようでしたが、1回聴いただけで飲み込める曲ではありませんわ。ピアノに目を取られているうちに、ヴァイオリンが何をやっていたかあまり印象に残らなかったのが残念なのと、曲が静かな分、客の無遠慮な咳やコートをガサゴソする音が気になってしょうがなかったです。

最後の「クロイツェル・ソナタ」はもちろん超有名曲のはずですが、聴いた記憶がありませんでした。前半のソナタとはアプローチが変わって、美しく整えるよりももっと情念を前面に押し出した、雄雄しいとも言える激しい演奏で、みどりさんの幅広い芸風に脱帽です。アンコールは「亜麻色の髪の乙女」とクライスラー(曲名聞き取れず)の2曲もサービスしてくれました。プログラムがもうちょっと自分好み寄りの選曲ならなお良かったですが、ともあれLSOをキャンセルして聴きにきた甲斐は十分ありました。


ホールの写真がないので、代わりにボンドストリートのイルミネーションを。

クリスティアン・テツラフ(vn):バッハ「シャコンヌ」は、ひとり地球交響楽2012/09/19 23:59


2012.09.19 Wigmore Hall (London)
Christian Tetzlaff (Vn)
1. Sonata No. 2 in A minor for solo violin BWV1003
2. Partita No. 2 in D minor for solo violin BWV1004
3. Sonata No. 3 in C major for solo violin BWV1005
4. Partita No. 3 in E major for solo violin BWV1006

プロムスも終わり、2012/2013シーズンの幕開けです。今年の初っ端は自分でも意外なことに、昨年に引き続き室内楽。ロンドンに来てからすっかりお気に入り、クリスティアン・テツラフのソロヴァイオリン演奏会です。普段はめったに聴かないバッハです。しかも今日は、ロンドン在住3年を超えて、何と初のウィグモアホール。評判通り、大きさ、音響、客層、アクセス、どれを取っても小編成の楽隊には願ってもないホールでしょう。

今まで聴いた、コンチェルトを弾いているときのテツラフの印象は、技術は穴なく完璧で、呼吸をするかのように自然な(わざとらしさが一切ない)ヴァイオリンを弾く人だったのですが、ピアノ伴奏すらないソロのリサイタルを至近距離で聴くと、乗ってくれば意外と音は荒いし、音程も時々ビミョーに揺らぐ、人間らしい奏者なのだなあというのが新鮮な発見でした。元々この人は、もちろんめちゃめちゃ上手いので毎回舌を巻くのですが、決して技術の完璧さで勝負はしていません。全身を上下左右に揺らしつつ、雄弁に語るヴァイオリンの説得力と表現力は群を抜いているし、しかもたいへんユニークです。

前半の最後、パルティータ第2番終曲の有名な「シャコンヌ」は、とりわけ劇的としか言いようがない一大叙事詩。暗く悲痛な叫びで始まり、激しくひとしきり燃え上がった後は、焼け野原からオーラが立ち上り、人間の営みがまた復興して行く様が目の前にまざまざと広がりました。言うなれば、ひとり地球交響楽(ガイア・シンフォニー)。冗談抜きで、是非テツラフにはこの希望を与える音楽を震災被災地の人に生で聴かせてあげて欲しい、と思いました。

後半は明るく軽めに、卓越した技術を惜しげもなく披露し、速いパッセージはとことん速く、肩の力を抜いた演奏。ソナタ第3番のフーガなんかも、分身の術のように見事に弾ける人は他にもいるはずですが、テツラフは曲芸に走らず、男の筋を通すかのように「一奏者」にこだわった演奏。休憩はさんで2時間、こんだけ弾いたらさすがのテツラフでも披露困憊で、アンコール無しでした。



おまけ、Selfridgesデパートの入り口にそびえ立つ草間彌生。


LSO室内楽アンサンブル/ゲルギエフ:狐/兵士の物語2012/05/13 23:59

2012.05.13 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / LSO Chamber Ensemble
Alexander Timchenko (T-1), Dmitry Voropaev (T-1)
Andrey Serov (Bs-1), Ilya Bannik (Bs-1)
Simon Callow (Narrator-2)
1. Stravinsky: Renard
2. Stravinsky: The Soldier’s Tale

3日連続、今週4回目のバービカン。今日はLSOの室内楽アンサンブルで曲目も渋かったためか、サークル、バルコニーは閉鎖されていましたが、それでもストールにも空席が目立ちました。

今日の驚きは、すでにROHの人気者となったヴィットリオ・グリゴーロ君が聴きに来ていたことです。LSOとあまり接点がなさそうなので、意外でした。派手な顔立ちの女性、老紳士と連れ立ってE列に座っていましたが、どうも「狐」に出演した歌手の一人がお友達のご様子。休憩後には消えていたので先に帰ったのかと思いきや、終演後、お連れの人と一緒に駐車場で車に乗り込むところを見たので、別室でお友達と盛り上がっていたんでしょうか。

1曲目の「狐」は男声4人とツィンバロンを含む15人の小管弦楽による、一種のバレエ作品。15分くらいの短い曲です。今日は演奏会形式なので踊りは無し。ストーリーは、鶏が狐に襲われて食べられそうになるが、猫と山羊に助けを求めて狐を撃退する、という単純な話です。男声4人は各々登場キャラクターの鶏、狐、猫、山羊に割り当てられており、そういう先入観で見ると、歌手の皆さんの風貌がまさに各々のキャラクターそっくりに見えてきて、可笑しかったです。ほとんど始めて聴いたのですが(それがこの演奏会に来た理由でもあります)、聴きやすくて楽しい曲です。是非バレエでも見てみたいです。


左から鶏、狐、猫、山羊です。特に右端のバンニクは、まさに山羊(笑)。

メインは「兵士の物語」。ストラヴィンスキーの代表作でかなり有名かと思いますが、こちらも実は聴いたことがありませんでした。7名の奏者とナレーターによる、朗読・演劇・バレエを融合した舞台作品、とのことで、様式的にはごった煮ながらも、わかりやすくて極めて魅力的な音楽です。ブレーク無しで1時間の長丁場を全く飽きることなく楽しめました。ストーリーは、兵役から故郷に帰る途中のヴァイオリン弾きジョゼフが悪魔に騙されて楽器と本を交換し、道草を食っている間に故郷の婚約者は別の男と結婚、当てもなく旅に出たジョゼフは病床のお姫様を悪魔から取り返したヴァイオリンで癒し、手に手を取って城から出て行くが、国境を越えたとたんに悪魔の手に落ち地獄行き、というお話(朗読は早くて途中着いていけなかったので、あらすじは後で調べました)。サイモン・キャロウ(映画「アマデウス」でシカネーダー役の人)の熱演もさることながら、LSOのトップ奏者が集った七重奏は、まさに粒が際立った至高のアンサンブル。ヴァイオリンのシモヴィッチはいつものごとく音楽に全く身を委ね、本当に楽しそうに弾いているのが、見ているこちらも幸せな気分になってきます。トランペットのコッブは対照的にクールに澄ました顔で、難しいフレーズも一点のキズなく吹きこなしてました。めちゃめちゃ贅沢な「兵士の物語」だったんではないでしょうか。


ゲルギーさん、いつものように爪楊枝を掴んで繊細なんだか無骨なんだかよくわからない指揮をしていました。今日はさすがに最後の拍手の際も、自分は脇に立って終始奏者を称えていました。


トランペットのフィリップ・コッブを称えるゲルギーさん。


ナレーターのサイモン・キャロウ。味わいの深いおじさんです。

プレヴィン(p)/ムター(vn)/ミュラー=ショット(vc):三世代競演?2012/02/20 23:59


2012.02.20 Barbican Hall (London)
Anne-Sophie Mutter (Vn), André Previn (P), Daniel Müller-Schott (Vc)
1. Mozart: Piano Trio No. 2 in B-flat major
2. André Previn: Trio No. 1
3. Mendelssohn: Piano Trio No. 1 in D minor

めったに行かない室内楽です。これはLSOのシーズン枠の一つで、前夜のLSOにも登場したプレヴィン、ムターの元夫婦に、弟子のミュラー=ショットを加えてのピアノトリオ。一度はムターをかぶりつきで見る(聴く)、というのがチケット買った動機のほぼ全てです。ムターとミュラー=ショットはちょうど1年前のLPOで二重協奏曲を聴いていますし、ミュラー=ショットはその後プラハでも聴きました。プレヴィンは、20年前に初めてウィーンを旅行した際、楽友協会でウィーンフィルを指揮したのを当日券で聴いて以来ですが、そのときは舞台後方打楽器の真後ろの席だったので指揮者が全く見えず、せっかくの初ウィーンフィルも打楽器の生音ばかりが聴こえてきたという、今となっては微笑ましい記憶です。一昨年のLSOでアルプス交響曲を振る演奏会を楽しみにしていたのですが、体調が原因でキャンセルになり、そのときは曲目も変更になったのでチケットをリターンしました。

ピアノと椅子が3つだけだと、バービカンの舞台もずいぶんと広々と感じられます。譜めくりの女性に支えられつつ登場したプレヴィンは、もう歩くのがやっとこさのヨボヨボ老人。数年前にN響を指揮した映像をテレビで見たとき、ずいぶんと老け込んだんだ姿に驚きましたが、実物の衰え方はそれ以上でした。楽屋口からステージに上る階段は珍しく衝立でカバーされていましたが、これはプレヴィンが長く歩かなくても済むようにという配慮だったのかも。方やムターは上下黒づくめの肩開きドレスに、結び目の大きいショッキングピンクの腰帯を合わせ、よく見るとヒールの靴底も同じショッキングピンク色だったのがオシャレでした。ハンサムボーイ、ダニエル君は普通にグレーのスーツ姿。

定位置につくと、せーのと呼吸を合わせるでもなく早速ピアノが始まりました。さすがは老いても名ピアニスト、先ほどのヨボヨボぶりがウソのようにサラサラと弾くのですが、よく聴くとやっぱりピアノは相当危なっかしい。音は外すは、止まりそうになるは、それでいて音楽はちゃんと途切れず進行しているのだからたいしたもんです。他の二人はピアノに何とかついて行き、包み込むようサポートするのに徹していました。間近で見るムターは、みけんのしわが半端じゃなく凄い。ほとんどアブドーラ・ザ・ブッチャーかブルーザー・ブロディの世界でした。彼女はいつもしかめっ面で演奏する癖があるみたいなので、もう職業病ですね。私は楽しそうに、幸せそうに演奏する人のほうが好みですが。また、スレンダーな身体ながらも肩の筋肉(三角筋)だけ異形に盛り上がっていたのにはプロの宿命を感じました。ただし演奏のほうはというと、音程が手探りだったり、音がかすれたりと、あまり調子が上がっていない様子。こんなもんだったかなあ、ムターも今や昔の名前だけで売ってる人なのかと、ちょっとがっかりしました。一方のダニエル君が対照的に脂の乗り切った艶やかな音で全体をしっかり支えていたので、いっそう差が引き立ちました。

2曲目のプレヴィン作曲ピアノトリオは2009年の新作で、ジャズっぽい曲を期待していたら全然そういうテイストの曲ではなく、「現代音楽」というほどモダンでもないですが、不協和音満載の硬質で暗い曲調だったので意表を突かれました。ストラヴィンスキーの室内楽作品みたいな感じです。1回聴いたくらいではちょっとよくわからなかったので、パス。

休憩後のメンデルスゾーンはムターも調子を取り戻したようで、ダニエル君とタメを張る力強い演奏。馴染みのない曲なので細かいところはよくわかりませんが、非常にしなやかで粘りのある彫りの深いヴァイオリンで、なるほどこの卓越した表現力で長年第一線を張ってきた人なのだなと、ようやく本来のムターを聴けた気がしました。プレヴィンのピアノは相変わらずですが、足取りのおぼつかなさとは段違いの推進力があり、あくまでサラサラと彼岸のピアノを弾いていました。アンサンブル命の正統派ピアノトリオとは全く言いがたいでしょうが、何だか良いものを聴かせてもらったと満足して帰路につけました。娘も妻も、メインはまあまあ楽しんでいたようなので、良かったです。演奏が終れば、まるで年老いた祖父をいたわるかのようにプレヴィンをケアしていたムター。とてもこの人達が数年前まで夫婦だったとは信じられません。ダニエル君は童顔だし、祖父・母・息子の三世代競演と言われても信じてしまいそうですね。


タカーチ・カルテット:バルトーク弦楽四重奏曲コンプリート2011/10/19 23:59


2011.10.18 Queen Elizabeth Hall (London)
Takács Quartet: The Complete Bartók String Quartets I
Edward Dusinberre (1st Vn), Károly Schranz (2nd Vn)
Geraldine Walther (Va), András Fejér (Vc)
1. Bartók: String Quartet No. 1
2. Bartók: String Quartet No. 3
3. Bartók: String Quartet No. 5

2011.10.19 Queen Elizabeth Hall (London)
Takács Quartet: The Complete Bartók String Quartets II
1. Bartók: String Quartet No. 2
2. Bartók: String Quartet No. 4
3. Bartók: String Quartet No. 6

マーラーシリーズが一段落し、しばらくバルトーク続きになります。私としては珍しく、弦楽四重奏の演奏会。他ならぬタカーチSQがバルトークの全曲演奏会をやるというせっかくの機会なので、ぬかりなく全部聴きに行くことにしました。

断るまでもなく弦四は全く私の守備範囲外なのですが、にわか座学でちょいと楽団の歴史をば。タカーチSQは1975年にブダペストで結成、メンバーは当時全員がリスト音楽院の学生でした。楽団名は第1ヴァイオリンのタカーチ=ナジ・ガーボルが由来ですが、そのタカーチさんは1993年に脱退、英国人のエドワード・ドゥシンベルが代わりに加入します。翌94年にはヴィオラのオルマイ・ガーボルが健康上の理由(95年死去)でやはり英国人のロジャー・タッピングと交代、英洪半々の楽団となってからメジャーレーベルへの録音が増えていきます(それ以前もハンガリーのHungarotonレーベルへ多数の録音がありますが)。特にバルトークとベートーヴェンの全集は高い評価を得て、世界トップクラスのカルテットとして一躍名声を馳せました。2005年に引退したタッピングと入れ代わったのは、サンフランシスコ響のヴィオラ主席を30年勤めていた米国人女性奏者、ジェラルディン・ウォルサー。さらにインターナショナルになったタカーチSQは活動拠点を米国コロラドに移し、タカーチさんはすでにおらず、ハンガリー人率は半分になり、ハンガリーで演奏することすらめったになくなったので、もはやハンガリーの団体とは本人たちも思ってないかもしれません。

バルトークの弦楽四重奏曲は全部で6曲あり、初日は奇数番号、二日目は偶数番号を、各々番号の順に演奏していきます。DECCA盤(2枚組)も同じ分け方ですね。余談ですが、オリジナルメンバーによるHungarotonの旧盤は3枚組で、ブダペストのCD屋ではかつてよく見かけました。私もコンパクトなDECCA盤のほうをつい買ってしまったのですが、今や稀少価値となった旧盤のほうを買っておけばよかったと少し後悔しています。

初日、登場したメンバーを見て、第2ヴァイオリンのシュランツ・カーロイとチェロのフェイェール・アンドラーシの二人がいかにも「ハンガリー人顔」なので、思わずニンマリ。4人並べてどれがハンガリー人かと聞かれたら、予備知識なしでも楽勝でわかるでしょう。一方のリーダーのドゥシンベルは長身ですがあまりイングリッシュ然としてなく、ちょっと国籍不明ぽい。むさい男どもに挟まれて紅一点のウォルサーは、こちらはいかにもアングロサクソンで、身のこなしがとっても女性らしいチャーミングな人でした。しかし、見た感じからはそう思わなかったのですが、一番新しいメンバーのウォルサーさんが実は一番年上だったんですね。

演奏が始まると、民族だの性別だのは全く関係なく、評判通り完成度の高過ぎるアンサンブルを聴かせてくれました。DECCA盤CDとはメンバーも変わっているので多少アプローチが違うかなと思う箇所もありましたが、女性が入ったからメロウになったとかカラーが変わったということはなさそうで、一貫してストイックでスポーティな演奏でした。皆さん身振りが大きいわりには熱気で上ずることなく、演奏は至ってクール。音色もリズムもバルトークだからといって無理な民謡テイストの味付けをすることなく、第5番のブルガリアン・リズムも極めて純化されたものでした。バルトークの弦四はさながら特殊奏法のデパートですが、オハコだけあって皆さんさすがに上手い!いちいちお手本のような完璧さで、舌を巻きました。

印象に残ったのは二日目の第4番。以前ブダペストでこの曲を聴いたミクロコスモスSQは、他ならぬタカーチ=ナジ・ガーボルがペレーニ・ミクローシュと結成した楽団ですが(言うなれば「元祖タカーチ」?)、一体のアンサンブルというよりは、やはりこの二人の突出したソロを楽しむという聴き方になってしまっていました。一方こちらの「本家タカーチ」は、誰が突出することなくハイレベルで横並びのメンバーが絶妙のバランスで完璧な演奏を聴かせ、そうでありながらもチェロのフェイェールは、普段は地味に弾いているのに見せ場にソロになるとちゃんとソリストの音に切り替えてメリハリを見せ、総合的には一枚も二枚も上手の演奏に感銘を受けました。さすがー。二日目は初日よりも多少高揚して熱くなったところも見られたのが良かったです。

普段はあまり聴かないバルトークの弦四をこうやって連続して聴くのは、エキサイティングな体験です。音楽はどれもやっぱりハードボイルド。バルトークが管弦楽を書く時のエンターテインメント性は影をひそめ、贅肉をそぎ落とした凝縮度の高い音楽になっています。二昔くらい前の所謂「頭痛のする現代音楽」のイメージそのもの、かもしれません。そうはいっても、第6番などでは凝縮度と聴き易さが同居する、ちょうどヴァイオリン協奏曲第2番のような「円熟」が感じられたのが新たな発見でした。


初日の写真。


二日目の写真。ウォルサーさんはさすがに女性なので衣装を変えていますが、他の男性陣は全く同じ服では…。

ジョン・ケージ・ナイト:4分33秒の不安と、0分00秒の納得2011/09/13 23:59


2011.09.13 Queen Elizabeth Hall (London)
John Cage Night
performed by Apartment House:
Nancy Ruffer (Fl), Andrew Sparling (Cl)
Gordon Mackay (Vn), Hilary Sturt (Vn)
Bridget Carey (Va), Anton Lukoszevieze (Vc)
Philip Thomas (P), Simon Limbrick (Perc)
1. Cage: 4' 33" (1952)
2. Cage: Radio Music for eight performers (1956)
3. Cage: Child of Tree for solo percussion (1975)
4. Cage: Concert for piano & orchestra/Fontana Mix (1957-58)
5. Cage: String Quartet in four parts (1949-50)
6. Cage: Music for eight (1984-87)
7. Cage: 0' 00" (4' 33" No. 2) (1962)

実はワタクシ、「4分33秒」のCDなるものを持っております。ハンガリーのアマディンダ・パーカッショングループのCDを買ったら他のケージの曲と一緒に入っていたのですが、当然ながら収録されているのは4分33秒分の「無音」で、そのCDを聴くときは結局そのトラックはスキップしてしまいます…。やはりこの曲は実演を体験してこそナンボ。遠い将来、孫に「その昔、“4分33秒”という風変わりな曲があってのう…」と昔話を語ってやりたいと、ほとんどそれだけのために足を運びました。

ジョン・ケージ・ナイトと題したこの演奏会は、International Chamber Music Festival 2011/12の開幕でもあります。文字通りケージの作品(「曲」とか「音楽」とはもはや言えないものもあります)だけを初期から晩年まで網羅するプログラムで、全くの変化球とはいえ、室内楽でシーズンを開けるとは私として非常に珍しいことです。チケットはソールドアウトで、リターン待ちの行列ができていました。最初に司会の人が出てきて、シーズン開幕の挨拶と共に、この著名な作品の上演にあたって、くれぐれも携帯の電源を切るように、と念押しをして笑いを取っていました。

「4分33秒」はプログラムによると初演時の演奏時間に倣って第1楽章30秒、第2楽章2分40秒、第3楽章1分20秒とおおよその演奏時間が規定されております。ピアニストが一人で登場し、ピアノの前に座って、鍵盤にすっと手を伸ばし、音を出さずに指を軽く鍵盤に置いたままの姿勢でじっと30秒待ちます。ストップウォッチか何かで正確な時間を計っている風には見えませんでした。第1楽章が終わると一旦手を引っ込め、再び手を出して、今度は2分40秒じっと動きません。第3楽章も同様です。自分の腕時計を見ていた限り、概ねその通りの時間を守った「忠実な演奏」でした。まず感じたのは、この居心地の悪さは他にないなあ、ということ。普段の演奏会場と比べたらこれ以上はないというほどの静寂がありましたが(普段もこのくらい静かだったらなあ!)、当然のことながら完全な無音状態は実世界ではほとんどあり得ず、小さな咳の音、衣服や紙のこすれる音、ヒソヒソ声に加えて、キーンという軽い耳鳴りも絶えず体内に鳴っており、かのように世界はノイズに溢れているのに、奏者の発する音だけが何も聴こえないというこの不条理。子供のころのかくれんぼ遊びで、暗がりで声をひそめ、音も一切出さないように隠れていると、何故だか笑いがこみ上げてきてしまうあの懐かしい感覚も少し思い出しました。私は修行が足らないのでしょう、そんなこんなの邪念だらけで、静寂を無心に享受するには程遠く、気持ちの落ち着かないことと言ったらありませんでした。逆説的な意味で、近年これほど心を動かされた「演奏」もそうそうありません。ただ、また聴きたいかと言うと微妙なところ。一度体験したらもういいや、という思いと、でもちょっと病みつきになってしまいそうな麻薬性も半分感じます。これがもし「14分33秒」だったら二度と御免ですが、5分弱という時間がなかなか絶妙ではあります。

2曲目の「ラジオ音楽」は8人各々が大小さまざまなラジオを持って出てきて、(多分)楽譜の指示に従いつつチューニングを動かします。聴こえてくるのはノイズだったり、ニュースだったり、音楽だったり、演奏中にオンエアされている放送プログラムによって内容が変わる「不確定性の音楽」ですが、果たしてこれは「音楽」と言えるのかと素朴な疑問が。それを突き詰めて考えるのがすなわちケージの「音楽」なんでしょうけど。

3曲目、ソロ打楽器のための「木の子供」は、全て植物が原材料の、伝統的な楽器とはとても見なせないような様々なオブジェクトを叩いたりこすったり折ったり破いたりして、出た音をマイクで拾い拡声します。鉢植えのサボテンがチャカポコとけっこういい音がしていました。これも、いい年したおっさんが道端に落ちている木の切れ端を適当に叩いて遊んでいるのと何が違うのか、よくわかりません。


4曲目の「ピアノ協奏曲/フォンタナ・ミックス」はプリペアード・ピアノに弦楽四重奏、フルート、クラリネットという編成で、ようやく普通の楽器が出てきてほっとしました。このような曲でも(失礼!)、演奏前にちゃんとチューニングをやるんですねえ。しかし曲はやっぱり実験的要素の強い「不確定性の音楽」で、フルスコアはなく、各パートの断片をアトランダムに繋げてぶつけていくというもの。ただ楽器を演奏するだけでなく、ピアニストは横に置いたペンキ缶のようなものを叩き、他の奏者も時々掛け声のような声を出したり、足を踏み鳴らしたりと賑やかです。演奏時間は20分近くもあり、とにかく長かった。

休憩後の最初は弦楽四重奏曲。初期の作品で、これははっきりと調性・旋律の明確な音楽をベースにメタモルフォーゼしていった感じで、不協和音は多いものの、不安定さや不確定さはなく、格段に聴きやすい音楽でした。むしろ不安定だったのは音程で、ただこれも含めて楽譜に忠実だったのか、あるいはただ単に奏者の力量不足かは判断つきませんでした。

続く「8人のための音楽」は逆に最晩年の作品で、先の「ピアノ協奏曲/フォンタナ・ミックス」とコンセプトはよく似ています。ただし受ける印象はずいぶんと違っていて、多数の小物打楽器と銅鑼代わりの鉄板、床に置いたチャイナシンバル等に囲まれた打楽器奏者が絶えず何か音を出し続け、時にはうるさく叩きまくって、それが20分という長丁場で曲全体の包絡線を形作るのに役立っていました。ピアノはプリペアードではなさそうでしたが、馬のタテガミを弦に通し、引いて音を出すという、相変わらずの飛びっぷりでした。皆さん、一所懸命楽譜を見ながら演奏しておりましたが、いったいそこには何が書いてあるのか興味あります(実は何も書いてないんじゃないのか、何て…)。

最後は「0分00秒」という、「4分33秒」の第2番という位置づけの作品。Wikipediaで調べると、初演は日本で行われたようです。ここでは演奏者が何か「日常的な行為」を行い、その音がマイクとアンプを通して拡声されるというコンセプトだそうですが、この日彼らが選んだ「日常的な行為」は何と「後片付け」。前の曲が終わって一旦引っ込み、またすぐ出てきていそいそと楽器や譜面台を片付けていくものだから、一部の人はもう演奏会が終わったものと勘違いし、席を立ってどやどや帰っていきました。しかし、片付けのノイズがちゃんとピックアップされてスピーカーで流れていましたので、これがまさに今日の「0分00秒」なのでした。一石二鳥のよいアイデアですが、一つ気になったのは、この作品では「すでに行ったことのある行為を採用してはならない」そうなので、果たしてこのアイデアは過去に一切誰もやらなかったのかな、と。まあ、演奏機会がそんなにあったとも思えないし、多分大丈夫なんでしょう。

私はケージの芸術にも、モダンアート一般にも、造詣はほとんどありませんし、お前は今日のパフォーマンスが理解できたのかと聞かれたら、多分さっぱり理解してないと答えるしかないでしょう。ただ、昨年ヴァレーズをまとめて聴いた際にはその突き放したような前衛音楽の前にあえなく討ち死にしましたが、今日も前衛ぶりではひけをとらないプログラムだったにもかかわらず、不思議と心にすんなり溶け込んでくるような「身に馴染む」感覚がありました。ケージが禅に傾倒していて、東洋的(または非西洋的)なものを探求し続けていたことが、もしかすると関係あるのかもしれません。

2011 BBC PROMS 室内楽 7:ヨーヨー・マ(vc)/キャスリン・ストット(p)2011/08/29 23:59


2011.08.29 Cadgan Hall (London)
BBC Proms 2011 Chamber Music 7
Yo-Yo Ma (Vc), Kathryn Stott (P)
1. Graham Fitkin: L (London Premiere)
2. Egberto Gismonti/Geraldo Carneiro: Bodas de prata and Quatro cantos
3. Rachmaninov: Cello Sonata in G minor

珍しく室内楽でも聴いてみようかと思ったのは、もちろんヨーヨー・マが目当てです。ロイヤルアルバートホールの演奏会でもよかったのですが、曲目がフィトキンの新作チェロ協奏曲(初演)というちょっと得体が知れないものだったのと、あのホールでは距離がありすぎて多分不満が残るだろうなとの予測の下、カドガンホールの室内楽マチネのほうを狙いました。ラフな服装のストットに、お堅いスーツ姿ながらも出てくるなり人目をはばかることなく客席の知り合いに笑顔で手を振るヨーヨー、非常にリラックスした雰囲気です。

1曲目の「L」はローマ数字で50を意味します。長年の伴奏パートナーであるストットがヨーヨー50歳の誕生日プレゼントとしてグラハム・フィトキンに委託した曲で、ストットが50歳を迎えるのを待って、もちろん二人によって初演されたそうです。変拍子バリバリでユニゾンが多い、プログレロックを思わせる曲で、呼吸ぴったりな疾走感が際立っていました。

2曲目は、ジャンルを超えたコラボを積極的に行ってきたヨーヨーが2003年に発表した「オブリガード・ブラジル」からのピース。サンバやボサノバとはまた一味違った癒し系ブラジル音楽は、美しいの一言。ヨーヨーのチェロは輝かしいばかりに華のある音で、全くブレない高音が特に素晴らしいです。

メインはラフマニノフのソナタ。チェロソナタなどほとんど聴くことがない私にはもちろん馴染みのない曲ですが、チェロもピアノも難しいので有名だそう。浪花節、もといラフマニノフ節が解放されたという感じはなく、私的にはロマンチシズムを抑えたストイックな曲に思えました。ストットの硬質なピアノは曲想によくマッチしていましたが、ヨーヨーの明るくこぶしのよく回るチェロはまた全然個性が違い、この異質な二人の演奏が息はぴったりと合っているのだから面白いものです。終演後、お互いを称え合う二人はたいへん仲良さそうで、終始リラックスした空気がとても心地よかった昼下がりのひと時でした。


ピンボケ失礼。


健闘を称え合う二人。