インバル/都響:バーンスタイン「カディッシュ」は政治プロパガンダの道具にあらず2016/03/24 23:59

2016.03.24 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
Judith Pisar, Leah Pisar (speakers-2)
Pavla Vykopalová (soprano-2)
二期会合唱団
東京少年少女合唱隊
1. ブリテン: シンフォニア・ダ・レクイエム Op.20
2. バーンスタイン: 交響曲第3番《カディッシュ》

昨年の夏以来だから、久々の都響です。巨匠インバルによる「レクイエム変化球」特集。嗚呼しかし、年度末のバタバタで最近心体共にお疲れ気味で、1曲目の「鎮魂交響曲」はほぼ完落ち。皇紀2600年の奉祝曲なので襟を正して聴くべきでしたが、気がつけば終わってました…。

気を取り直して、本日のお目当てのバーンスタイン「カディッシュ」。CDは2種の自作自演を持っていますが、なかなか演奏会で取り上げられる機会がないので、生では初めて。数あるバーンスタイン作品の中でも特にシリアスなもので、オリジナルのテキストによる語り手と、ソプラノ独唱、混声合唱、児童合唱が付いた壮大な交響作品です。今回の演奏は、語りのテキストが米国の外交官・作家のサミュエル・ピサールによる改変版で、当初ピサール本人が語り手をやる予定が、昨年夏に急死してしまったため、フランス人俳優のランベール・ウィルソンが代役を務めることになり、その後ピサール版テキストの使用が氏の死後は遺族の朗読に限るとされたため、未亡人のジュディスおよび娘のリアが語り手をすることで落ち着きました。

この曲は細部が指摘できるほど聴き込んでいないので大雑把なことしか言えないですが、まず、インバル率いる都響は相変わらずのキレを容赦なく発揮するプロ集団でした。指揮者の導く通りにぐんぐんと音楽が推進されていく、その心地よさ。当たり前のようで、インバル/都響の組み合わせ以外でそれを体感できるのは在京オケではめったにありません。白装束の子供と黒装束の大人という演出をしたコーラスも、定評のある合唱団だけに一貫して澄んだ歌声は素晴らしいものでした。ソプラノはちょっと不安定ながらも要所は締めていました。

一方、個人的に気に入らなかったのはナレーション。そもそも、作者の死後に第三者がリブレットをそっくり入れ替えるという行為は、いくら生前に作曲者と親交があったとはいえ、いかがなものかと思いますし、ましてや極めて政治色の強いものをこういう形で織り込むべきではないと主張したい。オリジナルのテキストが批評にさらされ、バーンスタイン自身も気に入ってなかったのは事実のようで、同様に作者の死後、実娘のジェレミー・バーンスタインもテキストを書き直して自ら朗読したりもしていますが、ピサール版で実体験に基づくホロコーストの描写に加え、作曲の経緯と全く関係がない広島・長崎まで持ち出すのは、芸術作品を陳腐な政治プロパガンダに貶めてしまう危うさを孕んでいます。

加えて、オーケストラと並行して終始語られるナレーションは、相当の「上手さ」が求められるはずですが、今日の朗読に引き込まれるものが私にはありませんでした。逆に、ナレーションがうるさくて音楽への集中を妨げられると感じる場面が多数。いくら遺言とはいえ遺族が朗読に長けているとは限らないわけで、プロフェッショナルな語りがあってこそオケの熱演も活きるのになあと、残念さが残りました。

ガードナー/都響:「管弦楽入門」と「惑星」でイギリスを懐かしむ2015/08/02 23:59

2015.08.02 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Edward Gardner / 東京都交響楽団
東京混声合唱団 (女声合唱-2)
1. ブリテン: 青少年のための管弦楽入門(パーセルの主題による変奏曲とフーガ)
2. ホルスト: 組曲《惑星》

夏休みの日曜日マチネ、しかも娘の好きな「惑星」ということで、家族でGO!まあこの選曲ですから、他にも家族連れを多数見かけました。そんな子供向けクラシックの典型と見られがちな「青少年のための管弦楽入門」ですが、大編成管弦楽フェチの私にしてみればたいへんシビレる垂涎曲なのに、通常のコンサートプログラムに乗る機会が非常に少ないのは残念。生演で聴くのは多分これで生涯3回目です。英国若手指揮者の雄(とは言えもう40歳)ガードナーは2011年のBBCプロムス・ラストナイトでもこの曲を披露、当時その生中継をロンドンの自宅で家族と一緒に見ていたのを懐かしく思い出します。

ガードナーは記録を見てみると、イングリッシュ・ナショナル・オペラの「青ひげ公の城」で過去一度だけ聴いていますが、あれえ、2、3度は聴いてなかったっけ?どうも他の若手と記憶がごっちゃになっているようです。それはともかく、小気味よくキビキビとした指揮は気持ちの良いもので、とにかくオケを鳴らす鳴らす。日本のオケからここまでの音圧を引き出すのは大した統率力です。都響のほうも、それだけの音を破綻せず出せる力量が元々あってのことで、うまい具合に乗せられてしまったという感じ。

メインの「惑星」は、早めのテンポながら、あっさりサクサク進むというよりは、旋律にはいちいち細かくニュアンスを付けていく歌重視の演奏。打楽器は遠慮なく叩きまくり、オルガンの重低音は腹にずんずん響いて、金管も欧米オケにも引けを取らない鳴らしっぷりで、これまた爽快な演奏でした。危なっかしいところはなくて、普通にワールドクラスの好演。このままCDにできるでしょう。ガードナーはバランス良いアンサンブルに気を配り、鳴らすところはとことん鳴らし、旋律はしっかり歌わせ、スコアからその曲の理想像をつまびらかに引き出す、欲張りな正統派と言えましょうか。短めのプログラムだったので何かアンコールはやってほしかったなあと思うけど、「惑星」のリハを細かくやりすぎて、アンコールまで仕込む余裕がなかったんじゃないかと、なんとなく想像できました。またチャンスがあれば是非聴きたい指揮者です。

リットン/都響:ほぼ同い年なのにこの隔絶、ラフマニノフとシェーンベルク2015/06/15 23:59

2015.06.15 サントリーホール (東京)
Andrew Litton / 東京都交響楽団
William Wolfram (piano-1)
1. シェーンベルク: ピアノ協奏曲 Op.42
2. ラフマニノフ: 交響曲第2番ホ短調 Op.27

シェーンベルクとラフマニノフとは、一見超異質な取り合わせで、実際聴いてみてもその隔絶感はハンパなかったのですが、この二人はたった1歳違いの、正に同世代の人なんですね。1873年生まれのラフマニノフより前の世代で前衛的な作曲家というと、思い浮かぶのはツェムリンスキー、スクリャービンくらい。一方、1874年生まれのシェーンベルクと同い年はホルスト、アイヴズ、シュミット、その一つ下はラヴェル、ケテルビー、クライスラーなど。その後ウェーベルンの生年1883年までの間に生まれた作曲家には、ファリャ、レスピーギ、バルトーク、コダーイ、ストラヴィンスキー、シマノフスキ、ヴァレーズといった大御所がズラリと並び、このあたりが正に自分のストライクゾーンなのだなとあらためて認識しました。

と、長々と前置きを書いたわりに、やっぱり私には、このシェーンベルクのピアノ協奏曲はよくわからん曲です。音列は「20世紀の遺物」12音技法を駆使したものではあるけれども、オーケストレーションはゴタゴタした後期ロマン派の域を出ず、その中途半端さを補って余りある着想があるかというと、私の安物の琴線ではそれを感じ取ることが未だできないようです。そもそも、突き抜けた透明感のウェーベルン、無調を意識させない天才的音列のベルクと比較して、シェーンベルクで「これ好きかも」と思えた曲は一つたりともないのは事実。ちょっと今回は、選曲のコンセプトは評価するものの、演奏の論評は控えたいです。終演後にブラヴォーだか何だか言葉にならない絶叫をひたすらしていた男が謎でした。

さてメインのラフマニノフ2番、もちろん今日はこちらを聴きに来たわけですが、もうのっけからベタベタのロマンチスト演奏に参りました。初めて聴くリットン、彼がこの曲に深い思い入れがあるのはよくわかりました。楽譜に指定のないところまで全編これポルタメントやレガートをきかせまくり、第1楽章ラストは(控え目ながらも)ティンパニの一発を入れたり、最初はちょっと呆れたというか、ブログのネタができたと喜んでもいたのですが、そのうちに、この曲を聴くためにわざわざ演奏会に足を運んでいるのは、ある意味、まさにこういう演奏が聴きたかったからかも、と思い直し始めました。とするとこれは、決して悪口ではなく、愛すべき「B級名演」。終演後にはたいへん満足して帰路につく自分がおりました。都響は指揮者によくついて行ったと思います。和をもって貴しとなす弦に、無理をさせない管。日本のオケ向きの曲なんだなということも再認識しました。

大野和士/都響:プレ就任記念に新音楽監督が選んだのは、バルトークとシュミット2014/12/08 23:59

2014.12.08 東京文化会館 大ホール (東京)
大野和士 / 東京都交響楽団
1. バルトーク: 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106
2. フランツ・シュミット: 交響曲第4番ハ長調

来年4月から新音楽監督に就任する予定の大野和士がプレお披露目として始動。記録を見ると前回大野さんを聴いたのは2013年2月のBBC響「Sound from Japan」で、遥か昔の印象があったのに、実はまだ「去年」の出来事だったんですね。それにしても、今更「運命」「未完成」「新世界」でもないでしょうが、お披露目でこの選曲は渋すぎます。

最初の弦チェレは、第3楽章がちょっと猟奇的演出が過ぎる気もしましたが、全体的にかっちりと生真面目な演奏。まあ、バルトークはこれでいいんですよ。弦合奏のレベル高し。しかしピアノがちょっと投げやりで足を引っ張っていたような。緻密だけど淡白で引っ掛かりがないのは、ある意味面白みに欠けますが、大野さんのキャラはこんなもんでしょうか。

フランツ・シュミットの曲自体、多分初めて聴きますが、バルトークとほぼ同世代、しかも同郷(当時は同じオーストリア・ハンガリー二重帝国)の作曲家ということも初めて知りました。冒頭のアイヴズを連想させる調性不安定なトランペットソロは、他の楽章にも出てきて一種の循環形式になっています。けっこうモダンな作りか、と思わせておいて、途中はけっこうベタな後期ロマン派の音楽で、バルトークとは作風が相当違います。また、全曲通して50分という長大さに加え、第3楽章のスケルツォ以外は全て抒情楽章というさらなる体感時間引き延ばし工作には、普通なら悶絶するところですが、意外と最後まで聴けました。確かに冗長ではあるが上手い具合にメリハリが付けられており、不思議と眠くなりませんでした。まあ、人気がブレークしそうな予感もないですけどね。大野さんの生真面目さはここでも活きたと思います。出だしは上々でしょう。

曲人気でも雲泥の差がありそうな「弦チェレ」と「シュミット4番」、ほぼ同時期に書かれたこれら2曲の対比がまた面白い一夜でした。

都響/ブラビンズ/ハンスリップ(vn):今さら英国音楽その22014/11/04 23:59

2014.11.04 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Martyn Brabbins / 東京都交響楽団
Chloë Hanslip (violin-2)
1. ヴォーン・ウィリアムズ: ノーフォーク狂詩曲第2番 ニ短調(ホッガー補完版)
2. ディーリアス: ヴァイオリン協奏曲
3. ウォルトン: 交響曲第1番

2週間ほど前のサントリーホールに続く都響の英国音楽特集第二弾。最初のノーフォーク狂詩曲第2番は、作曲者の死後に復刻、補筆完成された曰くつきの曲です。日本初演はおろか、これが英国以外では初の演奏会だそう。「ウィリアム・テル」序曲を思わせるチェロの出だしからして第1番とはだいぶ空気が違います。民謡に取材していながらも、旋律的にはかなり甘めのロマンティックな作りで、まるで映画音楽のような箇所もあり。受け入れられる要素をたくさん持っている力作で、埋もれてしまうには惜しい佳曲と思いました。

続いて、クロエ・ハンスリップは2010年にウィーンでウォルトンの協奏曲を聴いて以来の2度目です。4年ぶりですが、それでもまだ27歳、若い!けど外見はさらに「肝っ玉母さん」化していました。さてディーリアス自体ほとんど聴いたことがない私は、もちろんこのヴァイオリン協奏曲も初耳。ハンスリップは楽譜を立てて演奏してましたから、彼女にとってもチャレンジなんでしょう。想像していた通り、叙情的な曲想がずっと続く癒し系の曲で、仕事帰りに聴くにはさすがに眠かった。ですので、ようわかりまへん、すいません。ハンスリップは、前に聴いた印象よりはだいぶ角が取れ丸くなったような気がしました。と思ったら、アンコールはラトヴィアの作曲家プラキディスの「2つのキリギリスの踊り」という不気味な小ピース。やっぱりちょっと尖った人のようです。

ウォルトンの交響曲第1番は難曲として知られていますが、これも全編通してちゃんと聴いたのは初めてで、頭にあったイメージとは随分違って驚きました。もちろん演奏難易度は非常に高そうですが、曲調は決して難解ではなく、むしろハリウッド超大作のようにハイカロリーで派手な曲。終楽章など、そのままハリーポッターのエンドクレジットで流れていても違和感ない感じです。この曲は、理屈抜きにカッコいい。もちろん、ブラビンスのツボを押さえた聴かせ方あってのことなんでしょう。オケは前回同様よく鳴っていたし、ことウォルトンに関しては、曲の魅力が十分に伝わりました。こういう演奏会に巡り合ったときは、本当に、指揮者とオケに感謝です。この日は客もノリノリで、終演後も満場の拍手。疲れの溜まった時期だったのですが、無理をしてでも聴きに行って良かったと思います。

都響/ブラビンズ/オズボーン(p):今さら英国音楽その12014/10/20 23:59

2014.10.20 サントリーホール (東京)
Martyn Brabbins / 東京都交響楽団
Steven Osborne (piano-2)
1. ヴォーン・ウィリアムズ: ノーフォーク狂詩曲第1番 ホ短調
2. ブリテン: ピアノ協奏曲 op.13(1945年改訂版)
3. ウォルトン: 交響曲第2番

都響の英国音楽特集。今更のようですが、かえってロンドンでは英国音楽を聴く機会がほとんどなかったので、どの曲も初めて聴く曲ばかりです。ブラビンズもイギリスの中堅指揮者のようですが、ロンドン在住時、オーケストラの演奏会情報には隈なく目を通していたはずなのに、その名前にどうも記憶がありません。Wikipediaを見てみると、2011年のBBCプロムスでブライアン「ゴシック交響曲」を指揮とあって、そうかこの人か。この演奏会はアルバートホールには行けなかったけど、Radio 3で聴いたのを思い出しました。

初めての曲ばかりなので、まあさらりと感想を。ノーフォーク狂詩曲は、いかにもといった民謡調の曲ですが、これがまたさらりと聴き流してしまう、引っかかりのない曲です。英国音楽のこの「無表情な素朴さ」が、どうも苦手かもしれない。ヴィオラが重要な役割を負っているのに、ちょっと弱いかも。ブリテンのピアノ協奏曲は、4楽章構成の長大でごった煮のような曲でした。うーむ、よくわからんかったのは承知の上で、以前同じブリテンの「チェロ交響曲」や「パゴダの王子」を聴いた時に覚えた逃げ場のない冗長感がぶり返し、この曲を好きになるにはそうとうハードルが高そうかなあと。オズボーンのピアノは、飛び跳ねて、叩く叩く。この人の元気の良さだけやたらと印象に残りました。なお、アンコールはドビュッシーの何かを弾きました(後で調べたら、前奏曲集第2巻の「カノープ」だそうです)。

ウォルトンのシンフォニーを一度ちゃんと聴いてみようというのが、この英国音楽特集2夜を聴きに来たほぼ唯一の動機でした。その点は幸い、ブラビンズはさすが十八番だったようで、実に手慣れた棒さばき。オケは安心して着いて行き、最後までヘタレず、この曲の実像を余すところなく見せ切ったと言えるのではないでしょうか。意欲作だけに決して耳に優しい曲ではないですが、初めて聴くのに展開がいちいち腑に落ちるのは、文脈をちゃんと心得ているからでしょう。ノーマークでしたが大した職人です。次も俄然楽しみになりました。

都響/インバル:集大成、マーラー/クック編の第10番2014/07/20 23:59

2014.07.20 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
1. マーラー: 交響曲第10番嬰へ長調(クック補完版)

インバルは今年の4月から桂冠指揮者に退いたので、大野和士が正式着任する来年4月まで都響の音楽監督は空位なんですね。それはともかく、今日(と明日)の演奏会は、インバル/都響が2012年から取り組んできた第2次マーラー・チクルスの番外編で、「ありがとうインバル」の送別的意味合いが強いです。

3月の第9番はたいへん充実した演奏でしたが、今日もまた、驚くべき完成度に仕上げてきたこの人たちには降参するしかありませんでした。特に第1楽章の集中度は、先のフルシャのときと比べても明らかにテンションが違います。もったいぶらずに冒頭から本題をサクサクと語っていくような進行で、大仰にテンポを揺らしたり、音量を極端に押さえつけたりという彫りの深い表現がなかった分、このアダージョが全く新たな大曲の開始というよりは、第9番の終楽章から繋がった音楽であることを意識させるプロローグになっていたかと思います。

第2楽章が終わると小休止を入れ、インバルはいったん引っ込みました。チューニングをやり直すと、第2楽章で多少緩んできたかに聞こえた音が、短い第3楽章のプルガトリオで再びキリっと瑞々しさを取り戻しました。その後は最後までブレークなしで緊張感を切らさず進みます。太鼓叩きとしては聞き逃せない、終楽章の大太鼓連打では、わざわざそれ専用に深銅の2台目を用意。奏者は女性でしたが、黒布をかぶせてミュートした、ドライで腹に突き刺さる強打は立派なもの。終演後、ティンパニよりも先に立たされる大太鼓奏者というのも珍しいことです。また、大太鼓強打にかぶさるフルートは、京大オケ出身の主席寺本さんが渾身の濃密ソロを聴かせてくれました。ホルンとトランペットは、若干きつい箇所もありましたが総じて素晴らしいできばえで(インバルのときは魔法のように音色が変わり、音が確実になります)、指揮者が真っ先に立たせ讃えたのも納得できる健闘ぶりでした。このように管・打楽器が光ったのも、最後まで集中力が切れなかった弦アンサンブルのリードがあってのこそ。私も正直第1楽章以外は退屈に思っていたのですが、最後まで飽きることなく聴き通せました。指揮者のタクトが下ろされた後、いつものように叫びたいだけ人のウソくさいのとは違って、心から絞り出されたようなブラヴォーがとっても印象的でした。

さて、久々に100%日本で過ごした今シーズン(欧州に倣い9月開幕でカウント)は、ライブビューイング3件を除くと結局22回の演奏会に行きました。月平均2回のペースは最盛期と比べたら3分の1以下ですが、何としてもこれを聴いておかねば、という動機付けが極端に難しくなった環境の中で、まあまあ精一杯の数字でした。在京プロオケの様子はだいたいわかったので、来シーズンはさらに厳選して通うことになりそうです。

都響/フルシャ/アンデルシェフスキ(p):ハルサイと、奔放なバルトーク2014/06/25 23:59

2014.06.25 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Jakub Hrůša / 東京都交響楽団
Piotr Anderszewski (piano-2)
1. オネゲル: 交響的楽章第1番《パシフィック231》
2. バルトーク: ピアノ協奏曲第3番 Sz.119
3. ストラヴィンスキー: バレエ音楽《春の祭典》

注目株のフルシャ/都響を聴くのは、昨年11月以来です。まず1曲目の「パシフィック231」を実演で聴くのは初めて。有名な曲ですが、あんまりプログラムに上らないかも。冒頭の甲高い汽笛の後、早速機関車が起動しますが、重々しくてキレがなく、ダラリとした走りっぷりは全く意外でした。リアリティを狙ってやってるのかもしれませんが、描写としてはリアルでも、音楽が表現したかったのは当時の人々の「衝撃」だったと私は思うので、それが伝わってこないのはオケの限界か、はたまた、演奏解釈としては弱いんじゃないかと。

続いてバルトーク。ピアノの編んでるシェフ好き、じゃなくてアンデルシェフスキは1年ほど前にロンドンで1度聴いていますが、言うなれば超天然系。今日も我が道を行く、今まで聴いたことがないバルトークでした。昨今のバルトーク弾きは技術度でいうと相当に高度な人ばかりかと思うのですが、ミスタッチなど全く気にする様子がない自由奔放ぶりがたいへん新鮮だったのと同時に、スタイリッシュでピカピカした演奏にはない、東欧の空気がしっかりと流れていた気がしました。ただし、ピアノに引きずられたのか、オケにはまだキレ戻らず。拍手に気を良くしたアンデルシェフスキはピアノに座るなり弾き出したのがバルトークの「チーク県の3つの民謡」。譜面通りじゃないものをいっぱい盛り込んだ、個性的ながらも正統派の民謡アプローチ、と後から無理矢理に解釈を当てはめてはみたものの、本人はけっこう思うに任せて気ままに弾いているようにも思えました。もう1曲、知らない曲でしたがどう聴いてもバッハ(パルティータからサラバンド、らしいです)を弾いてくれて、最後まで期待を裏切らない超ユニークな演奏で楽しませてくれました。

メインの「ハルサイ」を日本のオケで聴くのはよく考えたら初めてかも。オケは良く鳴っていましたが、バーバリズムを押し出す演奏ではなくて、リズムのキレはやっぱり悪かったです。破綻とまでは言わないにせよ、トランペットとホルンはちょっと厳しかった。全体的にいっぱいいっぱいという感じで余裕がなかったです。ちょうど今朝見たサッカーW杯日本代表の試合のようなもどかしさ。まあ、一流オケの奏者でも、何度やってもこの曲を演奏するときは緊張して、個人練習に力が入ると言いますし。奏者にとって気の毒なのは、ハルサイの場合、聴衆のほうも曲を熟知しているのでごまかしようがない、ということですか。話を戻すと、若さに対して多少先入観があったのかもしれませんが、フルシャはリスクを取ってオケを振り回すようなキャラではなく、意外と老獪なセンスが持ち味の人で、ハルサイのようなヴィヴィッドな曲は案外得意じゃないのか、と思えました。

ツィガーン/都響:ローマの祭、セビーリャ交響曲、道化師の朝の歌ほか2014/05/12 23:59

2014.05.12 東京文化会館 大ホール (東京)
Eugene Tzigane / 東京都交響楽団
1. ラヴェル: 道化師の朝の歌
2. ラヴェル: 組曲《クープランの墓》
3. トゥリーナ: セビーリャ交響曲 op.23
4. レスピーギ: 交響詩《ローマの祭》

ユージン・ツィガーンは日本人の母親を持つアメリカ人指揮者ですが、名前から推測すると民族的ルーツはロマ系ハンガリーでしょうか。顔の外見は北方よりも南方、もろラテン系の感じでしたが。ユージンと言えば、まず思い出すのはピンク・フロイド、次にオーマンディ…。

さて今日は、コストパフォーマンスで定評のある東京文化会館の5階席を初体験してみました。奏者の息づかいまで聴こえるかぶりつき席が好みの私は、今までなら絶対選ばない(そこしか無いなら行くのを止める)席ですが、東京の演奏会の価格設定にはそろそろ疑念を抱いてきており、各ホールでいろんな席を試しているところです。5階席は椅子が高くて斜度が急なのに転落防止の柵もないので、ちょっと恐いです。高所恐怖症の人には向かないでしょう。天井が近いせいか、ステージとの距離があるわりには至近距離のボリューム感があります。ダイナミックレンジが広くて分離は悪くなく、大太鼓もマンドリンもよく聴こえました。演目にもよりますが、確かにコスパの良い席と認識しました。それにしてもここは、不思議なホールです。側面の壁のよくわからんオブジェとか、下に凸の天井とか、反響を複雑にしていると思うのですが、昔からどこに座っても悪い音に当たった記憶があまりありません。

本日のプログラムはフランス、スペイン、イタリアのラテン系世界遺産ごちゃまぜ風ですが、1曲目の「道化師の朝の歌」はラヴェル得意のスペイン趣味に溢れた曲なので、スペイン色が若干強いですか。個人的にはあまり聴かない曲で、前回聴いたのはもう5年も前のミュンヘンフィルですが、その遥か以前にこのホールで聴いた山田一雄の生前最後の演奏(オケは新響)がアマオケとは思えない豪演で度肝を抜かれたのをおぼろげに憶えています。ツィガーン/都響のはあまりスペインっぽくなくて、躍動感に欠けリズムに乗り切れてないせいかと思ったのですが、身体がまだ温まってなかったかも。

続く「クープランの墓」、これは実演で聴くのは初めて。こちらは擬古典的フランス風の小洒落た小品で、ぐっと絞った編成でより透明度の高い演奏になってました。しかし、全体的にもっと柔らかい音が欲しいところ。トランペットなんかちょっとヤケクソ気味で、私的にはぶち壊しでした。

3曲目のトゥリーナ「セビーリャ交響曲」は全く初めて聴く曲です。コンセプト的には「ローマ三部作」のスペイン版のような写実的交響詩ですが、これは正直言って曲がつまらない。楽想から構成から色彩感から、どこを見てもレスピーギとは比類のしようもなく、この曲がポピュラリティを獲得できなかったのもむべなるかな。

ここでやっと休憩、前半はちょっと冗長でした。後半メインの「ローマの祭」は大好きな曲ですが、この曲には深みなんかよりもっと直裁的にフィジカルなカタルシスを求めます。金管が最後までヘタレず、オケがガンガン鳴っていれば基本はOKの曲ですが、そう言う意味ではホルンもトランペットもトロンボーンも、各々に残念な箇所はあり、厳しいかもしれませんがインバル指揮のマーラーで見せたような集中力をここでも発揮してもらいたかったところです。ただし最後の畳み掛けは無理をしてでもリズムの加速優先であるべきで、そこは私の好みとも一致して、都響のプロの意地を垣間見ました。計10人の大打楽器チームも健闘しました。この曲はやっぱり生で聴くのが格別ですわ。とここで思い出した余談は、この曲を初めて生で聴いたのも山田一雄(オケは京大)だったなあと、しみじみ…。

今日のプログラムだけでは何ともわかりませんが、ツィガーンはオケのドライブはちゃんとできるし、スマートなハンサムボーイで見栄えも良いんですが、時には泣き、時には土臭く歌う情感の引出しがまだ少なそうなのと、小さくまとまっていて、カリスマ性というかオーラが足りないです。時には斧を振り回すような狂気を目指してもよいんではないでしょうか。

あとさらに余談は、上から見ていてふと目に止まった優香似の美人ピッコロ奏者。あとで調べたら、中川愛さんという、東響から都響へ昨年移籍したフルーティストだそうです。今後、都響の演奏会では要チェックです!(何を?)

都響/インバル:渾身のマーラー9番2014/03/17 23:59

2014.03.17 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
1. マーラー: 交響曲第9番ニ長調

インバルのマーラーは、4年前にロンドンでフィルハーモニア管との「復活」を聴いて以来です。その時はフェスティヴァルホールのリアストール後方席だったので、ステージが遠くて音がデッドな上に、深く覆いかぶさった二階席のおかげで最悪の音響のため全然楽しめませんでした。今日もストールの後方だったのですがそこはサントリーホール、二階席が覆いかぶると言ってもフェスティヴァルホールより全然浅く、ブラス・打楽器が直に飛び込んでくる好みの音響で安心しました。

さて全体を通しての印象は、繊細で丁寧なマーラー。解釈はくっきりとしていてわかりやすい。例えば、タメるところは聴衆に「ここはタメである」とはっきりわからせるような演奏でした。それでも軽くなったり、下品になったりしないのは、楽器バランスとダイナミックレンジが適正にコントロールされていたから。緊張感溢れる第1楽章に続き、息抜きの第2楽章は写実的な田舎風。第3楽章の前で指揮者は一度袖に引っ込み、オケは軽くチューニングし直しましたが、多少くたびれてきていた音色が一転、再び研ぎすまされて光沢が出たのには感心しました。激しい第3楽章で音量が爆発しても、金管は一貫して柔らかい音を出していたので、日本のオケでこれだけ余裕のある演奏もなかなか聴いたことがありません。第4楽章がこれまたドラマチックな入魂の熱演で、ホルンは地味ながらも頑張ったし、クライマックスで弦はボウイングなんか気にせず各人が粘る粘る。ラストの消えゆく弦の弱音は極めてデリケートで、最後まで集中力を欠かさない、たいへん上質の演奏でした。

今日のマラ9は、この曲のベストかと問われればYESと答えられないけれど、ここまで何回か都響を聴いてきて、一流の指揮者が指揮棒一つでしっかり自分の音楽を作れるだけの地力がオケにあるのだな、と思い知らされました。こんなこと、ロンドンでは当たり前だったかもしれませんが、ここらあたりじゃ全然当たり前じゃないという事実をふと思い出させる一夜でした。