ブダペスト祝祭管/タカーチ=ナジ:1770年代と、その百年後の世界2018/11/10 23:59



2018.11.10 Liszt Academy of Music (Zeneakadémia) (Budapest)
Gábor Takács-Nagy / Budapest Festival Orchestra
Dávid Bereczky (French horn-3)
1. Mozart: Divertimento in D major, K. 136
2. Mozart: Symphony No. 32 in G major, K. 318
3. R. Strauss: Horn Concerto No. 1 in E-flat major, Op. 11
4. Haydn: The Desert Island – Overture, Hob. XXVIII:9
5. Haydn: Symphony No. 52 in C minor, Hob. I:52

5年ぶりのブダペスト、5年ぶりの祝祭管、11年ぶりのリスト音楽院になります。何もかも、皆、懐かしい…。普段ならまず聴きに行くことがない演目ばかりですが、ブダペストに立ち寄る日にタイミングよくあったこの演奏会、もちろん行かない手はありません。

指揮者のタカーチ=ナジは、タカーチSQの創始者としてハンガリーでは今でもファンが多く、客席は年配の聴衆を中心に満員御礼状態です。ヴァイオリン奏者としては一度だけ、12年前にミクロコスモスSQで聴いたことがありますが、指揮者としては初めてです。お顔の造作といい頭のハゲ具合といい、後姿はイヴァーン・フィッシャーとよく似ています。

まずは本日の選曲ですが、有名なディヴェルティメントの他は比較的マニアックな曲が並び、個人的に全く知らない曲ばかりです。このコンセプトは何だろうと思い、作曲年代と作曲者の年齢を調べてみると、以下の通りとなりました。

1. モーツァルト:ディヴェルティメント →1772年(16歳)
2. モーツァルト:交響曲第32番 →1779年(23歳)
3. R.シュトラウス:ホルン協奏曲第1番 →1882年(18歳)
4. ハイドン:歌劇「無人島」序曲 →1779年(47歳)
5. ハイドン:交響曲第52番 →1771年頃(39歳)

まず、真ん中のR.シュトラウスを除き、全て1770年代に作曲されています。ピンポイントの同時代といって良いでしょう。モーツァルトはウィーンへ出る前の、青年とも言えないくらいの若年時代。ハイドンはエステルハージ家に仕えており、生活が安定し創作も充実していた時代。二人に親交ができるのはこの直後の話です。そのちょうど百年後に作曲されたR.シュトラウスを加え、シンメトリーを描くように配置されたこの5曲のラインナップは、その統一感というか、流れにギャップがないのに驚かされます。また別の見方によれば、天才肌のモーツァルトとR.シュトラウスが20歳前後で若書きした曲に、ベテランハイドンの同時代曲を添えた、とも解釈できます。しかし、1770年代縛りをするにしても、モーツァルトには交響曲第25番とか第31番「パリ」といった著名作もありますし、ハイドンも第45番「告別」という傑作を残している中、あえてそういう名曲ラインナップにせず、前半を長調、後半を短調で雰囲気を変えるなど、いずれにしても相当考え込まれたプログラムと見ました。

ちなみに、11年前の最後のリスト音楽院は何だったろうかと記録を探すと、同じブダペスト祝祭管で、しかもR.シュトラウスのホルン協奏曲(第2番ですが)を聴いていたのでした。歴史はゆるーく、でも確実に繋がっています。

肝心の演奏の方は、なにぶん聴き慣れない曲ばかりにつき細部の論評は無理ということですいません。普段の半分以下の小編成で、テンポ速めに進みますが、ピリオドアプローチの匂いはなく、角が取れてしなやかに流れる演奏です。元々弦楽四重奏のために作曲されたディヴェルティメントを筆頭に、アンサンブルの一体感が凄くて、非常に統制のとれた弦はさすがです。

ホルン協奏曲のソリストは、オケのトップ奏者。どんな一流奏者でも音が潰れたり外したりはしょっちゅうのホルンという楽器において、コンチェルトのソリストをやろうなんてのは、相当に勇気がないとできない仕事だと私は常々感服しております。概ね立派なソロだったと思うのですが、音が決まらない箇所が多少あったのは、地方公演含めて同じ演目をこの日で三日連続吹いているため、少々お疲れ気味だった様子です。こういうとき、特に管楽器の場合は、初日が一番良かったりします。

久々に聴いた愛すべきブダペスト祝祭管、選曲からしてブラスの馬力は堪能できませんでしたが、世界屈指のオーケストラであることは今も変わらず、安心しました。また、久々のゼネアカデミア、不変の骨董品的な雰囲気と、芳醇な音響は相変わらず素晴らしかったものの、椅子が固くて尻と腰が痛くなるのも昔のまま。何もかも、皆、懐かしい…。

余談ですが、ブダペストの中心地オクタゴンで、その4角のうち3つの屋上広告が極東系(ファーウェイ、サムスン、中國銀行)に支配されていたのは、軽く衝撃でした。


コメント

_ 守屋 ― 2018/12/01 01:24

こんにちは。

 プログラムの構成の考察、凄いですね。その深い考察を、現地のファンはしたのかどうか。

 旧共産圏の中欧各国は、最近何かときな臭く、ますます、行くことはなさそうです。

_ Miklos ― 2018/12/10 22:59

反応遅くてすいません。前半若書きの曲を集めたというのはわかるのですが、作曲年代がここまで近いとは、調べてみて驚きました。こういうひとクセありそうなプログラムが、ここ日本の演奏会ではまず見られないのは寂しいというか、商業主義が行き過ぎてると思うところです。

うーむ、中欧諸国の人は、政治のきな臭さについて、英国にだけは言われたくないと、今は思っているでしょうね。(-_-)

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