カスプシク/読響/クレーメル(vn):超爆演系タコ4と、円熟のヴァインベルク2017/09/06 23:59

2017.09.06 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Jacek Kaspszyk / 読売日本交響楽団
Gidon Kremer (vn-1)
1. ヴァインベルク: ヴァイオリン協奏曲 ト短調 作品67(日本初演)
2. ショスタコーヴィチ: 交響曲第4番 ハ短調 作品43

5日前に続き、クレーメル客演の第2弾です。前回のグラスに続き、今日のヴァインベルクも日本初演曲ということで、硬派なプログラムに敬意を表します。ヴァインベルクはポーランド生まれのユダヤ人で、ナチスから逃れてソ連に亡命し、そのソ連でもジダーノフ批判の流れで弾圧されたという波乱の人生を送った人ですが、正直、今まで名前すら意識して記憶にとどめたことがなかった作曲家でした。もちろんこのヴァイオリン協奏曲も初めて聴く曲でしたが、それでもクレーメルの凄みは十分に伝わってきました。齢70歳にして、パガニーニとチャイコフスキーの両国際コンクールを制したその技巧は衰えず、それでいて、円熟味溢れるというのか、深い奥行きを感じさせる豊かな表現力。うーむ、もっと至近距離で聴きたかった。カスプシクは相変わらずオケをよく鳴らすも、重心の低い音作りに終始し、ソリストとのバランスが完璧に保たれている、何と上手い指揮者かと感心しました。アンコールは同じくヴァインベルクのプレリュードから2曲。音と音の間の「間」が独特の雰囲気を出している静かな曲で、俳句のようだと感じました。

さてメインのタコ4ですが、前に実演を聴いたのは7年前のネルソンス/バーミンガム市立響でした。その時は音響の洪水に圧倒されましたが、本日のカスプシク/読響も負けず劣らずの超爆音系。ホルン8、フルート4、ピッコロ2といった、元々まるでマーラーのような大編成シンフォニーではありますが、こういう曲をやると日本のオケはたいがい途中で息切れするところ、最後まで鳴らし切った引率力はたいしたものです。打楽器もパワー全開で、特にセカンドティンパニはヘッドが破れないか心配になるくらいの爆叩き。一方で、ブラスは全般に頑張っていた中、ホルンのトップにいつものキレがなかったのはちょっと残念。全体を通しては、この曲のメタリックな肌触りを生々しく表出させた、非常に尖った演奏と言えるでしょう。ショスタコの最高傑作と称える人も多い、ということのも、こういう切実な演奏を聴くと大いに納得できます。

カスプシク/読響/クレーメル(vn):爆演系「展覧会の絵」と、グラスの「二重協奏曲」2017/09/01 23:59

2017.09.01 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Jacek Kaspszyk / 読売日本交響楽団
Gidon Kremer (vn-2), Giedre Dirvanauskaite (vc-2)
1. ヴァインベルク: ポーランドのメロディ 作品47 no.2
2. フィリップ・グラス: ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 (日本初演)
3. ムソルグスキー(ラヴェル編): 組曲「展覧会の絵」

けっこういろんな演奏家を広く浅く聴けてきた中で、ギドン・クレーメルは「まだ見ぬ巨匠」の筆頭でしたので、今シーズンのプログラムを見たとき、この演奏会は最高優先度でピックアップしました。5年ほど前出張でリガを訪れた際、夜にちょうどクレーメルのアンサンブル、クレメラータ・バルティカの演奏会があり、チャンスとばかりに当日券を求めたのですが、残念ながらソールドアウトでした。

1曲目の「ポーランドのメロディ」は、民謡を素材とした4曲から成る小組曲。もちろん初めて聴く曲でしたが、ポルカとかマズルカを取り混ぜた素朴な民謡曲で、カスプシクも軽い小手調といった感じです。ここのホルントップは相変わらず若いのにしっかりとしていて好感が持てます。

2曲目は待望のクレーメルと、クレメラータ・バルティカのチェリスト、ディルヴァナウスカイテによる、フィリップ・グラスの二重協奏曲。日本初演だそうで、こちらも初めて聴く曲ですが、言われなくても作曲者がわかる、典型的なグラス節。正直、演奏はクレーメルでなくてもよいようなミニマルミュージックで、これをもってクレーメルを語ることはちょっと無理です。ただ、遠路はるばるこの日本くんだりまで来てくれて、ありふれたメンコンやチャイコンではないチャレンジングな選曲でその技巧を聴かせてくれるのは得難い機会です。アンコールは「ラグ・ギドン・タイム」という洒落た小曲。

メインの「展覧会の絵」は重厚な音作りで、カスプシクの傾向がわかってきました。重心が低く芯のある弦、崩れず鳴らしきる管、相当力の入った演奏で、ラヴェル編曲のフレンチものよりも、完全にロシアものとして捉えています。読響からここまでの馬力を引き出すとは、オケの鳴らし方が上手い指揮者だと思いました。元々好んで聴くほうの曲ではなかったのですが、今日は退屈せずに最後まで聴き通せました。ということで、今日は前哨戦として、本チャンは5日後のもう一つの演奏会。選曲が重厚な分、期待は高まってしまうのでした。

カンブルラン/読響:「青ひげ公の城」が透けて見える!2017/04/15 23:59


2017.04.15 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
Bálint Szabó (Bluebeard/bass-3), Iris Vermillion (Judith/mezzo-soprano-3)
1. メシアン: 忘れられた捧げもの
2. ドビュッシー: 〈聖セバスティアンの殉教〉交響的断章
3. バルトーク: 歌劇〈青ひげ公の城〉(演奏会形式)

正直、マイナーとは言わないまでも、このカンブルランならではの渋すぎるプログラムに、ここまで客が入るとは驚きでした。今回の選曲は、バルトークとドビュッシーが共に1911年の作曲で、1曲目のメシアンだけ1930年作曲と、時代が遅れておりますが、むしろメシアンが一番調性寄りの穏やかな音楽に感じてしまいました。「忘れられた捧げもの」は初めて聴く曲でしたが、カンブルランは全てを熟知したようなコントロールで、レガートをきかせてひたすら美しく流れると思いきや、唐突に大きな音で驚かせたりと、素人はなすすべなく遊ばれました。2曲目のドビュッシーも、実演では初めて聴きますが、いかにもというつかみどころのない曲。今日はファンファーレ付きの演奏でした。弦を中心とした精緻な音作りは、他の指揮者のときとはやはり集中力が違いました。

本日のメインイベントはもちろん久々に聴く「青ひげ公の城」。実演は一昨年以来ですが、帰国してからすでに4つ目のオケですから(東フィル、都響、新日フィル、読響)、日本でもやっと定番レパートリーの地位を得たのであればたいへん喜ばしい限りです。今回の歌手陣はどちらも初めて聴く人でした。青ひげ公役のサボー・バーリントは以前も聴いたような気がしていたのですが、いろいろと記録を辿ると、I・フィッシャー/コンセルトヘボウの映像配信で歌っているのを見ていただけで、その直後に同じ指揮者で実演を聴いたブダペスト祝祭管と共演していたコヴァーチ・イシュトヴァーンと、どうも記憶が混同していたようですが、それはさておき。

欧州では演奏会形式でも前口上までちゃんとやるのが昨今の主流ですが、現行のペーテル・バルトーク編完全版スコアで用意されているのはハンガリー語と英語だけなので、日本では前口上なしで済ますのが普通になっていて寂しいです。今日はさらに、第1の扉の前などで聞こえてくる「うめき声」も省略されていて、あくまで純粋音楽としてのアプローチでした。カンブルランのちょっとフレンチなバルトークは、ハンガリー民謡のタメなどはほとんど気にせず淡々と進行し、和声の構造を裏側までくっきり際立たせる見通しの良い演奏で、ここまで徹底したのはありそうであまりなかった、非常に新鮮な響きでした。ただしオケは途中から熱が入りすぎて歌をかき消す音量になってしまったので、大部分はもうちょっと抑え気味でも良かったのでは。ユディットはドイツ人のフェルミリオンで、レパートリーとしてはまだ日が浅いのか、この曲を楽譜を立てて歌っている人は初めて見ました。歌は激情型で悪くはなかったのですが、ハンガリー語が不明瞭だったのが気になりました。対するサボーはハンガリー語を母国語とするトランシルヴァニア(現ルーマニア領)出身のバスなので、二重の意味でこの曲はもちろん十八番。席が遠かったので声があまり届いてこなかったのが残念でしたが、多分近距離正面で聴けば渋さが鈍く光る貫禄の青ひげ公だったのだろうと感じました。やっぱり歌ものはなるべく近くの正面で聴きたいものです(が、良席はすでに完売でした・・・)。

カンブルラン/読響/五嶋みどり(vn):渾身のコルンゴルト2016/10/19 23:59

2016.10.19 サントリーホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
五嶋みどり (violin-2,3)
1. シューベルト(ウェーベルン編): 6つのドイツ舞曲 D820
2. コルンゴルト: ヴァイオリン協奏曲ニ長調
3. シュタウト: ヴァイオリン協奏曲「オスカー」(日本初演)
4. デュティユー: 交響曲第2番「ル・ドゥーブル」

こんなマニアックなプログラムでも、さすがに五嶋みどりの人気はハンパなく、一般発売日であっという間に完売したプラチナチケットです。当然、読響シンフォニックライブの収録が入っており、いつの間にかAKB48を卒業していた司会の松井咲子がロビーにいたのですが、別段ファンに囲まれるでもなし、普通にスタッフと談笑してらっしゃいました。

1曲目はウェーベルン編曲のシューベルト「ドイツ舞曲」。今年都響のプログラムにも乗っていた気がするし、そこそこメジャーな曲です。ブーレーズの名高い「ウェーベルン全集」(CBS)には作曲者自身の指揮による歴史的演奏がボーナストラックとして入っていました。贅肉をそぎ落とした可愛らしさが命のこの編曲にしては、音がずいぶん濁っているのが気になりました。磨き上げが足らない感じです。練習時間を贅沢に割けないなら、弦を極限まで減らしてトップ奏者のみの上澄みで臨むべき。

次のコルンゴルトが私的には今日のメインイベントで、何と言っても、五嶋みどりの同曲レコーディングはまだないはずなので、たいへん貴重な機会です。4年ほど前に、ロンドンでズヴェーデン/ダラス響との共演でこの曲を演奏するはずだったので「おおっ!」と思ってチェックしていたのに、ダラス響の公演自体がキャンセルになってしまって肩透かしを喰らいました。ようやく巡ってきたこの体験は、絶対にハマるはずという私の予想通りに、繊細と大胆を両立させる、素晴らしい演奏でした。ストイックな堅牢さと豊潤な歌い回しを曲によって巧みに使い分ける五嶋みどりの懐の深さからすると、今日の演奏はどちらかと言えば豊潤寄り。ちょっと舌足らずになる箇所も含め、計算され尽くした完璧な作り込みで、圧倒されました。演奏が終わった途端、何よりまず(聴衆への愛想もそこそこに)団員が全員拍手でソリストを讃えていたのが印象的でした。

後半は正直乗れない曲ばかりで、辛かった。オーストリアの新進気鋭シュタウト作曲の「オスカー」は、2年前のルツェルン音楽祭で初演され、独奏者の五嶋みどりにそのまま献呈されたそうです。当然初めて聴く曲なので予習の機会もなく、全く生真面目なコンテンポラリーという印象で、苦手な部類です。最後のデュティユーも、複合的な大編成オケ構成は、最初は興味深く面白がれるものの、曲としてのつかみどころはさっぱりわからない「疲れ曲」。どちらも、一度聴いただけでは心にすっと溶けこむ縁が見出せなかったので心苦しいのですが、でも二度目を聴きたいともあんまり思わないわなあ。

ロジェストヴェンスキー/読響:なぜか不機嫌なショスタコ三昧2016/09/26 23:59

2016.09.26 サントリーホール (東京)
Gennady Rozhdestvensky / 読売日本交響楽団
Viktoria Postnikova (piano-2)
1. ショスタコーヴィチ: バレエ組曲「黄金時代」
2. ショスタコーヴィチ: ピアノ協奏曲第1番ハ短調
3. ショスタコーヴィチ: 交響曲第10番ホ短調

たいへん失礼ながらまだご存命とは思っていなかったロジェベン翁、生を聴ける機会があるとは感動です。同じ旧ソ連のフェドセーエフとほぼ同年齢ながら、フェドさんのデビューがだいぶ遅咲きだったから、フェド=新進気鋭、ロジェベン=大御所という印象がずっと抜けてませんでした。

敬老の9月にゆっくり登場したロジェベンは、笑顔のかわいい好々爺。よく見ると、長身というわけでもないのに指揮台がなく、やたらと長い指揮棒が特徴的。生演は初めて聴きますが、登壇時のヨタヨタがフェイクかと思えるくらい、85歳らしからぬ切れ味鋭い凄演にのっけから驚き、確かにこの人は爆演系で有名な人だったのを思い出しました。「黄金時代」は、私の記憶の中で鳴り響いていたのが思い違いの別曲で、初めて聴く曲だったので、細かい部分はよくわかりませんが、一人だけ異色な雰囲気を発散していたオールバックの男前サックスの奏でる、クラシックらしからぬ遊び人っぽいソロがたいへん印象的でした。

2曲目のコンチェルトのソリストは、長年連れ添っている奥さんのポストニコワ。すいません、全く初めて聞く名前だったので予備知識ゼロですが、いかにもロシアのお母さんという感じの風貌とは裏腹に、年齢を感じさせない、肩の力が抜けた屈託ない無邪気さがこれまた意外。軽妙なソロトランペットもソツなくピアノを盛り立て、ご満悦のロシア母さんでした。

軽い感じの選曲だった前半とは打って変わり、メインはほぼ11年ぶりに聴くタコ10。ハープ、チェレスタ、ピアノ等の飛び道具弦楽器を使わないオーソドックスな3管編成は、それだけで格調高く重々しい雰囲気を醸し出してますが、さらにロジェベン翁は長大な第1楽章の冗長さを隠そうともしない直球勝負で、荒廃した荒野が広がります。読響金管は、ロシアのオケっぽくアタックの強い直線音圧系でよくがんばっておりました。全体の中では比較的軽い第2楽章も重厚に鳴らし、事故かもしれませんが、終了直後に指揮棒でスコアをピシャッと一発叩いたため、奏者と聴衆に一瞬緊張が広がりました。全体を通して演奏中は何故だか不機嫌そうに見え、楽章間の雑音を嫌うようなそぶりも見せていました。

第3楽章も、まあ長いこと。結論よりもプロセスを重視する進め方は、後から思うとメリハリがよくつかめず、見通しにくい演奏だったのかなと。大御所の棒の下、読響にしては驚異的によく鳴っており、一体感のある好演奏だったと思います。終楽章の終演直後、スコアをバサッと乱暴に閉じて不機嫌を隠そうともしないロジェベン翁は、一旦引っ込んだ後にはもうキュートな笑顔のおじいちゃんに戻っていました。しかし良い演奏だったのに、何が気に食わなかったのだろう…。

テミルカーノフ/読響:ヘンタイになり損ねたマーラー3番2015/06/05 23:59

2015.06.5 サントリーホール (東京)
Yuri Temirkanov / 読売日本交響楽団
新国立劇場合唱団, NHK東京児童合唱団
小山由美 (mezzo-soprano)
1. マーラー: 交響曲第3番ニ短調

第3番はとても久しぶりな気がして、記録を見ると前回聴いたのは2012年4月のビシュコフ/LSOですから、もう3年ぶり。テミルカーノフを初めて聴いたのもちょうどそのころでした。

先日のコバケン/読響の「復活」が期待外れだったので、ロシア最後の巨匠テミルカーノフのタクトに読響がどこまでくらいつけるか、期待と不安相半ばでしたが、結果はまずまず良い方向にころびました。9本に補強したホルンが「この曲の要は我々」と意識し、最後までコケずに踏ん張ったのが良かったと思います。第1楽章は冒頭からしてゆったりと濃厚な味付けで、まるでマゼール先生級のヘンタイ演奏。のっけからこれでは、後半のオケの息切れが心配です。

結構燃え尽きてしまった第1楽章を終え、軽くチューニングを直してから始まった第2楽章が、これまたロマンチックなハイカロリー表現。第3楽章では舞台裏のポストホルンを含め、管楽器のソロはもうちょっとしっかりして欲しいと思った今日このごろ。オケが最後まで持たないと見たのか、このあたりからテミル翁がギアチェンジしてくるのを感じ取りました。

第4楽章が始まる前に後ろ扉から合唱団が入場しましたが、何故かメゾソプラノ小山さんは演奏が始まってから静々と歩いてくるという、意味がよくわからない演出。しかも、正直な感想を申しますれば、歌はちょっといただけない。ドイツ在住のワーグナー歌いとのフレコミですが、わざわざドイツから呼んでくる値打ちはあったんでしょうか。オケの方はポルタメントなしのあっさり表現でサクサク進んでいきます。第5楽章は女声と少年少女合唱による天使の歌ですが、見たところ少年は4人だけで残りは全て女性。これが意外にもオケを食うくらいのしっかりしたコーラスで、ロンドンにそのまま持って行っても十分通用するハイレベル。終楽章も前半のヘンタイがウソのように、引っかかりなく淡白な味付け。

全体として一定のバランスをとった演奏と言えますが、第1楽章の調子で最後まで行ってくれたら、オケは破綻していたかもしれませんが、怖いもの見たさというか、それはそれで面白かったのにとは思いました。しかし、細かいことを除けば、久々に納得感のある演奏会に満足しつつ会場をあとにしました。やっぱりテミル翁はこのような大曲が似合います。

小林/読響:「炎のコバケン」オケに点火せず2015/04/24 23:59

2015.04.24 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
小林研一郎 / 読売日本交響楽団
小川里美 (soprano), Anne-Theresa Møller (mezzo-soprano)
東京音楽大学合唱団
1. マーラー: 交響曲第2番ハ短調「復活」

2月のヤマカズ/日フィルがチケット買っていたのに結局用事でいけなかったので、そのリベンジで聴いてみました。ハンガリーでは最も有名な日本人であるコバケンを前回聴いたのは、もう10年も前になりますなー。

東欧では熱狂的に支持されていても日本のクラヲタにはどうもウケが悪い「炎のコバケン」さん、エモーショナルに盛り上げてスケールの大きい音楽を作るスタイルは決して嫌いじゃないのですが、オケが雑になりがちなのが、いつも残念。楽器の音を研ぎ澄ますということにはほとんど関心がないんだろうかと思います。今日も危惧していた通り、私の好みから言えば、オケの音が汚なすぎ。普段聴く読響の木管や弦は、もうちょっとスマートな音を出していたはず。ホルン、トランペットも思いっきり弱さを露呈して、長丁場聴くのは痛々しかった。終楽章の舞台裏バンダは当然舞台上の人々を超えるレベルではなく、最後にはその人たちも舞台に出てきてホルン、ペットが各々11本という大部隊になってましたが、音の「迫力」というのは決して楽器の数じゃないんだな、というのを再認識しました。コーラスが音大生のアマチュアながら、生真面目でしっかりと声の出た良い合唱だっただけに、オケがピリッとせず、残念でした。

譜面を立てず、自らの信じるままに音楽を揺さぶるコバケン流「俺のマーラー」は、結果が伴えば、凡百の演奏には及びもつかない感動を呼び起こす音楽になりえるかもしれませんが、その期待に応えてくれるオケには巡り合えるのでしょうか。コバケンが80歳を超えてもまだかくしゃくと活躍していたとして、突如ベルリンフィルに招かれ人気を博し、その後死ぬまで「巨匠」として崇められるという、ヴァントのような晩年を送ってくれる世界は来ないかなと、楽しい妄想をしてしまいました。

読響/カンブルラン/メンケマイヤー(va):答えのない新世界2015/02/15 23:59

2015.02.15 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
Nils Mönkemeyer (viola-2)
1. 武満徹: 鳥は星形の庭に降りる
2. バルトーク: ヴィオラ協奏曲(シェルイによる補筆版)
3. アイヴズ: 答えのない質問
4. ドヴォルザーク: 交響曲第9番ホ短調「新世界から」

3月前半欧州ツアーに出かける読響ですが、これはツアーのAプロに当たる演奏会です(ちなみにBプロは12月定期でやってたトゥーランガリラ交響曲)。ツアーでは1週間でベルリン、ワルシャワ、ケルン、ユトレヒト、ブリュッセルを足早に回りますが、カンブルランの故郷フランスには立ち寄らないようです。それにしてもこのプログラム、一見脈絡ない選曲にも思えますが、どれもアメリカと関係が深い楽曲ということになってます。それを何故カンブルラン/読響が欧州ツアーで演奏するのか、というのはやっぱり脈絡がわかりませんが。

1曲目はサンフランシスコ響のために委嘱されたタケミツの代表作。Wikipediaには「小澤征爾指揮、ボストン交響楽団により初演され」とありますが、1977年エド・デ・ワールト指揮サンフランシスコ響にて初演、というのがどうも正解のようです(私はどっちが正しいかを検証するすべを持ちませんが、Wikiは時々とんでもなくテキトーなことが書いてあったりするので要注意)。私が以前この曲を聴いたのは10年前のN響のブダペスト公演だったので、日本のオケが海外ツアーする際の定番なのかもしれません。黒鍵中心の五音音階を基にモチーフを組み立ててみたり、ガリガリの前衛から路線転向した変化点と言われる曲ですが、確かに、セリーだのチャンスだの、様式の逸脱と自己満足だけに突き動かされていた20世紀の「ゲンダイオンガク」を卒業し、融合路線に回帰した21世紀の現代音楽を、ある意味先取りしていたのではないでしょうか。まあ、武満がちょっと苦手な私の感覚では、まだまだ余裕で前衛な曲ですが。すいません、演奏の良し悪しは正直判りかねますが、誰がやってもその空気は再現できそうな、完成度に優れた楽曲だとはあらためて感じました。

次は、晩年をアメリカで過ごしたバルトークの未完の遺作。パンフを読んでなるほどと思ったのですが、バルトークが最後のアメリカで作曲した管弦楽曲は、全て「協奏曲」と名付けられているんですね。実はこのヴィオラ協奏曲、バルトークファンであるはずのこの私が、実演では今日ようやく初めて聴く機会を得ました。そもそもヴィオラ協奏曲というのは、私にとってはティンパニ協奏曲よりもマイナーなジャンルにつき(と書いてから調べてみたら、ヴィオラ協奏曲は近現代で結構書かれている事実を発見…)、論評できるほど聴き込んでもおりません。「バルトークの最高傑作(になるはずだった)」と言う人もいるみたいですが、特に終楽章、魅力的な着想が断片的に出てくるものの、あっけなく終わってしまう淡白さを感じるのが、敬遠する理由だと思います。オケコンやヴァイオリン協奏曲第2番のような「天才の円熟が結実した音楽芸術」というにはどうしても消化不良感が残ります。ということで、今日のところはメンケマイヤーの中性的なヴィオラの音色を堪能したのみでご勘弁。アンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲第1番から「アルマンド」、これも聴きなれたチェロと比べて何となく生理的な違和感を覚える不思議な感覚でした。

休憩をはさんで、次も一度は実演で聴いてみたかった「答えのない質問」。穏やかなメジャーコードの弦楽合奏に乗せて、トランペットソロとフルート四重奏が禅問答のようなやり取りを繰り返します。スコアを見ると、四重奏はオーボエ、クラリネットが入っていてもよくて(実際、バーンスタインの音楽啓蒙番組「答えのない質問」ではそうなってましたね)、トランペットソロもクラリネット、オーボエ、コーラングレで代用可のようです。今回トランペットはステージ後方上階のオルガンの前に立ち、一音でも外してしまうと曲が台無しになりかねない緊張感の中で、しっかり仕事をしました。これはやっぱりオーボエやクラの代用では出せない空気があると思います。下を支える弦楽合奏も極めて抑制的で、良かったです。

今回の選曲はアメリカ繋がりということですが、パンフのカンブルランのインタビューを読んでいて、「新世界」と「答えのない質問」(オリジナル)は作曲された年が高々15年しか離れていないという指摘は非常に新鮮でした。ロマン派ど真ん中のドヴォルザークとの対比で、アイヴズの先進性は驚きです(ドヴォルザークが古いと言っているわけではもちろんありませんが)。

ということで、アイヴズから切れ目なく新世界へ突入。フルート奏者の余り2名は新世界では出番がないのでどうするのかなと思って見ていたら、第1楽章が終わるまで待って袖に引っ込みました。さてその新世界ですが、前にも思いましたが、カンブルランの音楽作りは時にとことんレガートを効かせた、まるでカラヤンのように流麗寛雅な世界に徹していきます。さすがに新世界はプロオケの皆様手慣れている様子で、第2楽章のコーラングレも美しかったし、均整のとれた職人肌の演奏。管楽器は若干バラツキがあるかなと思われる以外は、ヨーロッパに行ってもレベルの高さを示せるのではないでしょうか。アンコールは同じドヴォルザークでスラヴ舞曲第10番(第2集第2番)。せっかくのツアー用に、手頃な日本の曲は何かないものですかねえ。

読響/下野竜也/小森(マリンバ):エネルギーのないマーラー2015/01/23 23:59

2015.01.23 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
下野竜也 / 読売日本交響楽団
小森邦彦 (marimba-1)
1. 武満徹: ジティマルヤ
2. マーラー: 交響曲第5番嬰ハ短調

今年最初の演奏会です。マーラーと武満という取り合わせは、翌日から始まる山田和樹/日フィルのマーラーチクルスをちゃっかり先取りしたかのようなプログラムですが、別に今年はどちらの記念イヤーでもないし、まああまり意味なく偶然なんでしょうね。

「ジティマルヤ」はマリンバ独奏とヴァイオリンを欠く変則編成のオケによる協奏曲風の作品。初めて聴く曲でしたが、指揮者の譜面台に置かれたスコアの巨大さから、どんだけ複雑怪奇で濃いいサウンドが出てくるんだと思いきや、一貫して室内楽的な透明感。不協和音がそのうち心地よく響いてくるような不思議な突破力があります。ただ、私は打楽器奏者の端くれでありながらマリンバにはどうも魅力を感じることがないので、引き込まれることもなく。

メインのマーラー5番はほぼ2年ぶり。下野さん、昨年のブルックナーが良かったので大いに期待したのですが、ちょっと期待外れ。指揮は懇切丁寧で、致命的な破綻はないし、むしろオケは大きい音でよく鳴っていたのですが、全体を通してどこか醒めた演奏。事故なく無難にこなす以上のことをやる気がないというか、完全に守りに入っていて、音の線も細い。曲の軽さがそのまま浮き彫りになってしまった、何とも面白みに欠ける演奏でした。やはりマーラー演奏は、オケと丁々発止しながら、予定調和ではないエネルギーの発揚を引き出すことが大事なのだな、という認識を強くしました。

退屈すると、興味は美人奏者探しに走ってしまうのですが、今日はホルン、トロンボーン、打楽器、チェロ、コンバス各々に若くて可愛らしい女性を見つけました。見慣れない顔だったので(まあ私は人の顔がなかなか覚えられないのでアテになりませんが)、皆さんトラだったのかも。

読響/下野:ハイドンとブルックナーの「第九」2014/09/09 23:59

2014.09.09 サントリーホール (東京)
下野竜也 / 読売日本交響楽団
1. ハイドン: 交響曲第9番ハ長調 Hob.19­
2. ブルックナー: 交響曲第9番ニ短調 WAB.109

先週に引き続き読響。下野竜也は多分初めて聴きます。まず1曲目はハイドンの「第九」。なぜに第9番かと言えば、メインがブル9なので番号を合わせた、以上の脈絡はないと思いますが、有名どころの「交響曲第9番」はどれも大曲なので、確かに他の選択肢があるとしたらモーツァルトかショスタコーヴィチくらいですか。ハイドンの第9番は、第1番を書いた5年後くらい、作曲者30歳のときの作品なので、意外と年食ってからの曲なんですね。ちなみにモーツァルトが交響曲第9番を書いたのは16歳ごろのようです。本題に戻ると、もちろん私は全く初めて聴く曲で、3楽章形式ですが4楽章型の舞曲(メヌエット)楽章で終わるような中途半端感が残る曲でした。ハープシコードの通奏低音付きでしたが、他の楽器の演奏は見たところ普通にモダンでした。

さてメイン。先日のアルプス交響曲を聴いて、もっと金管の洪水のようなブル9が、果たしてまともに演奏できるのか不安を覚えましたが、なかなかどうして、よくまとまった演奏にほっとしました。全体的にブラスは控えめで、特にトランペットが埋もれ気味だったのはかえって良かった。バランスを考えたコントロールは間違いなく指揮者の手柄でしょう。どちらかというときびきびとした進行ながらも、メリハリがあるのでスケール感は出ていて、納得感のある演奏解釈でした。個人的にはもうちょっと低音が効いた重厚感が出ているほうが好みなのと、後半木管が上ずり気味でピッチも怪しくなったり、コーダのワーグナーチューバが厳しかったのがちょい残念ではありましたが、それはオケの力量の限界の話で、それでもこれだけの好演を引き出した下野は相当デキる奴、との認識を持ちました。是非欧米の馬力オケでこれを振って欲しいものです。