ヴォルコフ/読響:「不安の時代」と「革命」とレニーへのオマージュ2018/05/30 23:59

2018.05.30 サントリーホール (東京)
Ilan Volkov / 読売日本交響楽団
河村尚子 (piano-2)
1. プロコフィエフ: アメリカ序曲
2. バーンスタイン: 交響曲第2番「不安の時代」
3. ショスタコーヴィチ: 交響曲第5番ニ短調

悪くないプログラムと思うのですが、客入りはもう一つで空席が目立ちました。そのおかげか、超久々にサントリーホールの最前列が取れましたが。

イスラエル人なのに名がイランとはこれいかに、というヴォルコフですが、写真から想像する以上に瘦せ型で学者のような風貌。音もさぞ学究的かと思いきや、意外とエモーショナル。というか、理知的と情緒的のバランスがほど良い感じです。1曲目のプロコフィエフはほぼ初めて聴くなので、よくわかりませんが、プロコとしてはよそ行き顔の上品な仕上がり。

続く「不安の時代」は、バーンスタインの交響曲の中では唯一声楽が入らないので、比較的演奏会のプログラムに乗りやすい曲ですが、何故かこれまで縁がなく、全曲通しての実演は初めてです(「仮面舞踏会」だけはヤングピープルズコンサートで聴いたことあり)。そもそもバーンスタインの交響曲は3曲いずれも、ウエストサイド物語やキャンディードのようなエンターテインメントの明るさはなく、クソ真面目に小難しく地味な曲という印象を持たざるをえませんが、この第2番は特に分裂症的で、第2部中間部のジャズピース「仮面舞踏会」だけが奇妙に浮いています。読響もここに来るとやけにノリノリでリズミカルに演奏していましたが、スイング感はいま二つくらい。ピアノの河村さん、運指は完璧と思いましたが、とりあえず楽譜を音にしました、という以上のものは伝わらず。この曲だけではよくわからんです。ピアノの配置が普通のコンチェルトと違って正面を向いていたので、逆に演奏中のお顔は見られませんでしたが、見た目可愛らしい人で、オケの人々からも愛されているのがよくわかりました。

そもそもこの「不安の時代」と「タコ5」というプログラムは、バーンスタインがソ連ツアーの直前にザルツブルク音楽祭に出演した際のプログラムと同じとのことで(パンフの中川右介氏の解説で初めて知りました)、その因縁深いメインのタコ5の演奏が、終楽章のコーダの前までは、ほぼまんまレニーへのオマージュだったので驚きました。細かいニュアンスがいちいちレニーで、音楽の喜びにあふれています。オケもヘタれずがんばりました。この曲の解釈として、今となっては正統派とは言えないのかもしれませんが、単純に、いいものを聴かせてもらったという満足感でいっぱいです。どうせオマージュならば、最後までレニー解釈(コーダ前からスコア指示の倍速で突っ走り、最後の最後で強烈なリタルダンドをかける)を貫いて欲しかったです。

カンブルラン/読響:終着点の「マーラー9番」2018/04/20 23:59

2018.04.20 サントリーホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
1. アイヴズ: ニューイングランドの3つの場所
2. マーラー: 交響曲第9番ニ長調

カンブルランはこのシーズンが読響常任指揮者として最後とのこと。読響の演奏を他の指揮者の時と比べれば、カンブルランの統率力は文句の余地がなく、選曲も相対的に私好みで、充実したものでした。どこのオケを振ろうとも安心してチケットが買える指揮者として、今後も贔屓にさせていただきます。

1曲目はほぼ初めて聴く曲でしたが、まさに「アイヴズ」サウンド。私の好きな「宵闇のセントラルパーク」や「答えのない質問」とも通じるものをビシビシと感じましたが、後で調べれば、マーラー9番を含め、作曲時期はけっこうカブってますね。アイヴズもマーラー同様、曲の途中で唐突に民謡や流行歌を挟み込んでくる人ですが、マーラー9番のほうはそういう引用の箇所がいくつかあっても、もはやそれがわからないくらい自然に溶け込んでいるのに対し、アイヴズは依然としてゴツゴツとした境界面を楽しむ作りとなっているのが、ほぼ同時期に作曲された曲の対比として興味深かったです。

メインのマーラー9番は好んで聴きに行く曲ですが、プロオケで聴くのは4年前のインバル/都響以来。カンブルランのマーラー(4番)を前回聴いたのもちょうどそのころでした。もっとサックリとした演奏を想像していたら、第1楽章の、遅めのテンポで重層的な響きを保ちつつ、非常に濃厚な表情付けがたいへん意外でした。バーンスタインのごとく「横の線」のフレーズ単位でいちいち粘るようなユダヤ系の味付けではなく、「縦の線」に熱を伝達するべくアイロンを押し付けているような(うまく伝わっている気がしませんが…)、カンブルランらしからぬ熱のこもった演奏でした。実際長めの演奏時間でしたが、実測値以上に「遅さ」を感じさせる、濃いい演奏。中間の第2、第3楽章は、依然として遅めのテンポながら、角の取れたフレンチスタイル。特に第3楽章はもっと激しく揺さぶる流れにもできたでしょうに、クライマックスは終楽章に取っておくモダンな戦略がニクいです。そして、終楽章のホルンには感服いたしました。もちろん、この演奏がマーラー9番のベストかと問われたらそうではありませんが、読響のホルンは都響やN響と比べて充実度が数段上だと常々感じております(もっと言うと、ホルンに関しては日本のオケでワールドクラスで戦える可能性があるのは読響くらいと思います…)。

マテウス/読響/ピーター・アースキン(ds):打楽器ドンパチを上手にさばいたエル・システマの新星2017/12/02 23:59

2017.12.02 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Diego Matheuz / 読売日本交響楽団
Peter Erskine (drums-2)
1. バーンスタイン: 「キャンディード」序曲
2. ターネジ: ドラムス協奏曲「アースキン」(日本初演)
3. ガーシュイン: パリのアメリカ人
4. ラヴェル: ボレロ

ちょうど1年前の今シーズンプログラムの発表から、ずっと楽しみにしていたコンサートです。5月には前哨戦としてコットンクラブにピーター・アースキン・ニュートリオのライブも見に行きました。ステージ奥の一番高いところに置かれたTAMAのドラムセットは多分そのときと同じものですが、メロタムとスプラッシュシンバルが増えて、若干フュージョン仕様になっているような。キックくらいはマイクで拾っているでしょうが、他は特にマイクやピックアップをセットしているようには見えませんでした。


ディエゴ・マテウスはベネズエラの有名なエル・システマ出身で、N響やサイトウキネンには過去何度か客演していますが、読響はこれが初登場とのこと。振り姿もサマになる、いかにもラテン系の若いイケメンで、まずは小手調べと披露した明るく快活な「キャンディード」序曲。モタらず、ノリが良く、この前のめりな指揮にオケがちゃんとついて行っているのが良い意味で予想を裏切り、なかなかの統率力をいきなりさらっと見せました。

続く「ドラムセットとオーケストラのための協奏曲《アースキン》」は2013年にピーター・アースキンのために作曲された作品。3本のサックスに大量の打楽器を含む大編成オケと、もちろんドラムセット、さらにエレキベース(意外と地味でしたが)まであり、ステージ上はお祭りの賑やかさです。作曲者のターネジは、前にも聞いた名前だなと思ったら、私は見に行けませんでしたが、2011年に英国ロイヤルオペラでの初演が物議を醸した「アンナ・ニコル」の作者でした。4つの楽章はそれぞれ以下のような表題があり、1は娘さんと息子さん、2は奥さん(ムツコさん)の名前から由来しています。

 1. Maya and Taichi’s Stomp(マヤとタイチの刻印)
 2. Mutsy’s Habanera(ムッツィーのハバネラ)
 3. Erskine’s Blues(アースキンのブルース)
 4. Fugal Frenzy(フーガの熱狂)

1回しか聴いていない印象としては、曲がちょっと固いかなと。確かに、ドラムセット以外にも打楽器満載で、ラテンやブルースのリズムを取り入れ、派手な色彩の曲に仕上がっていますが、バーンスタインのように突き抜けた明るさがなく、どことなく影が見えます。また、ドラムの取り扱いが思ったほど協奏的ではなくて、普通にドラムソロです。アースキンはさすがに上手いし、安定したリズム感はさすがですが、インプロヴィゼーションの要素がほとんど感じられず、やはりクラシックの舞台では「よそ行き顔」なんだなと感じてしまいました。嫌いなほうではないのですが、単なる「打楽器の多い曲」という印象で、期待したスリリングな「協奏曲」とはちょっと違いました。またやる機会があれば、是非聴きたいと思います。

後半戦は、管楽器のトップには試練の選曲が続きます。2曲とも1928年に作曲、初演されたという「繋がり」がミソ。「パリのアメリカ人」の実演は5年ぶりに聴きますが、管楽器のソロが粒ぞろいで驚きました。日本のオケで、ソロの妙技に感心する日が来ようとは。マテウスの指揮も全体を見通したもので、散漫になりがちなこの曲の流れを上手くまとめていました。ただし、ジャジーなスイング感はイマイチ。ラテンの人がジャズも得意とは限りません。

「ボレロ」の実演を聴くのはさらに久々で、7年ぶりでした。「ボレロ」が入っていると名曲寄せ集めプログラムになってしまうことが多いから、あえて避けてきた結果とも言えます。ここでも管のソロはそれぞれ敢闘賞をあげたいくらいのがんばりで(まあ、トロンボーンがちょっとコケたのはご愛嬌)、世界の一流オケが安全運転で演奏するよりも、かえって熱気があり良かったのではと思います。マテウスはこの曲でも若さに似合わぬ老獪さを発揮し、クレッシェンドを適切にコントロール。バランス感覚に優れている指揮者と思いました。このエル・システマの新星は、あくまで明るいラテン系のキャラですが、実力は本物だと確信しました。今後の活躍に期待です。

カスプシク/読響/クレーメル(vn):超爆演系タコ4と、円熟のヴァインベルク2017/09/06 23:59

2017.09.06 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Jacek Kaspszyk / 読売日本交響楽団
Gidon Kremer (vn-1)
1. ヴァインベルク: ヴァイオリン協奏曲 ト短調 作品67(日本初演)
2. ショスタコーヴィチ: 交響曲第4番 ハ短調 作品43

5日前に続き、クレーメル客演の第2弾です。前回のグラスに続き、今日のヴァインベルクも日本初演曲ということで、硬派なプログラムに敬意を表します。ヴァインベルクはポーランド生まれのユダヤ人で、ナチスから逃れてソ連に亡命し、そのソ連でもジダーノフ批判の流れで弾圧されたという波乱の人生を送った人ですが、正直、今まで名前すら意識して記憶にとどめたことがなかった作曲家でした。もちろんこのヴァイオリン協奏曲も初めて聴く曲でしたが、それでもクレーメルの凄みは十分に伝わってきました。齢70歳にして、パガニーニとチャイコフスキーの両国際コンクールを制したその技巧は衰えず、それでいて、円熟味溢れるというのか、深い奥行きを感じさせる豊かな表現力。うーむ、もっと至近距離で聴きたかった。カスプシクは相変わらずオケをよく鳴らすも、重心の低い音作りに終始し、ソリストとのバランスが完璧に保たれている、何と上手い指揮者かと感心しました。アンコールは同じくヴァインベルクのプレリュードから2曲。音と音の間の「間」が独特の雰囲気を出している静かな曲で、俳句のようだと感じました。

さてメインのタコ4ですが、前に実演を聴いたのは7年前のネルソンス/バーミンガム市立響でした。その時は音響の洪水に圧倒されましたが、本日のカスプシク/読響も負けず劣らずの超爆音系。ホルン8、フルート4、ピッコロ2といった、元々まるでマーラーのような大編成シンフォニーではありますが、こういう曲をやると日本のオケはたいがい途中で息切れするところ、最後まで鳴らし切った引率力はたいしたものです。打楽器もパワー全開で、特にセカンドティンパニはヘッドが破れないか心配になるくらいの爆叩き。一方で、ブラスは全般に頑張っていた中、ホルンのトップにいつものキレがなかったのはちょっと残念。全体を通しては、この曲のメタリックな肌触りを生々しく表出させた、非常に尖った演奏と言えるでしょう。ショスタコの最高傑作と称える人も多い、ということのも、こういう切実な演奏を聴くと大いに納得できます。

カスプシク/読響/クレーメル(vn):爆演系「展覧会の絵」と、グラスの「二重協奏曲」2017/09/01 23:59

2017.09.01 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Jacek Kaspszyk / 読売日本交響楽団
Gidon Kremer (vn-2), Giedre Dirvanauskaite (vc-2)
1. ヴァインベルク: ポーランドのメロディ 作品47 no.2
2. フィリップ・グラス: ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 (日本初演)
3. ムソルグスキー(ラヴェル編): 組曲「展覧会の絵」

けっこういろんな演奏家を広く浅く聴けてきた中で、ギドン・クレーメルは「まだ見ぬ巨匠」の筆頭でしたので、今シーズンのプログラムを見たとき、この演奏会は最高優先度でピックアップしました。5年ほど前出張でリガを訪れた際、夜にちょうどクレーメルのアンサンブル、クレメラータ・バルティカの演奏会があり、チャンスとばかりに当日券を求めたのですが、残念ながらソールドアウトでした。

1曲目の「ポーランドのメロディ」は、民謡を素材とした4曲から成る小組曲。もちろん初めて聴く曲でしたが、ポルカとかマズルカを取り混ぜた素朴な民謡曲で、カスプシクも軽い小手調といった感じです。ここのホルントップは相変わらず若いのにしっかりとしていて好感が持てます。

2曲目は待望のクレーメルと、クレメラータ・バルティカのチェリスト、ディルヴァナウスカイテによる、フィリップ・グラスの二重協奏曲。日本初演だそうで、こちらも初めて聴く曲ですが、言われなくても作曲者がわかる、典型的なグラス節。正直、演奏はクレーメルでなくてもよいようなミニマルミュージックで、これをもってクレーメルを語ることはちょっと無理です。ただ、遠路はるばるこの日本くんだりまで来てくれて、ありふれたメンコンやチャイコンではないチャレンジングな選曲でその技巧を聴かせてくれるのは得難い機会です。アンコールは「ラグ・ギドン・タイム」という洒落た小曲。

メインの「展覧会の絵」は重厚な音作りで、カスプシクの傾向がわかってきました。重心が低く芯のある弦、崩れず鳴らしきる管、相当力の入った演奏で、ラヴェル編曲のフレンチものよりも、完全にロシアものとして捉えています。読響からここまでの馬力を引き出すとは、オケの鳴らし方が上手い指揮者だと思いました。元々好んで聴くほうの曲ではなかったのですが、今日は退屈せずに最後まで聴き通せました。ということで、今日は前哨戦として、本チャンは5日後のもう一つの演奏会。選曲が重厚な分、期待は高まってしまうのでした。

カンブルラン/読響:「青ひげ公の城」が透けて見える!2017/04/15 23:59


2017.04.15 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
Bálint Szabó (Bluebeard/bass-3), Iris Vermillion (Judith/mezzo-soprano-3)
1. メシアン: 忘れられた捧げもの
2. ドビュッシー: 〈聖セバスティアンの殉教〉交響的断章
3. バルトーク: 歌劇〈青ひげ公の城〉(演奏会形式)

正直、マイナーとは言わないまでも、このカンブルランならではの渋すぎるプログラムに、ここまで客が入るとは驚きでした。今回の選曲は、バルトークとドビュッシーが共に1911年の作曲で、1曲目のメシアンだけ1930年作曲と、時代が遅れておりますが、むしろメシアンが一番調性寄りの穏やかな音楽に感じてしまいました。「忘れられた捧げもの」は初めて聴く曲でしたが、カンブルランは全てを熟知したようなコントロールで、レガートをきかせてひたすら美しく流れると思いきや、唐突に大きな音で驚かせたりと、素人はなすすべなく遊ばれました。2曲目のドビュッシーも、実演では初めて聴きますが、いかにもというつかみどころのない曲。今日はファンファーレ付きの演奏でした。弦を中心とした精緻な音作りは、他の指揮者のときとはやはり集中力が違いました。

本日のメインイベントはもちろん久々に聴く「青ひげ公の城」。実演は一昨年以来ですが、帰国してからすでに4つ目のオケですから(東フィル、都響、新日フィル、読響)、日本でもやっと定番レパートリーの地位を得たのであればたいへん喜ばしい限りです。今回の歌手陣はどちらも初めて聴く人でした。青ひげ公役のサボー・バーリントは以前も聴いたような気がしていたのですが、いろいろと記録を辿ると、I・フィッシャー/コンセルトヘボウの映像配信で歌っているのを見ていただけで、その直後に同じ指揮者で実演を聴いたブダペスト祝祭管と共演していたコヴァーチ・イシュトヴァーンと、どうも記憶が混同していたようですが、それはさておき。

欧州では演奏会形式でも前口上までちゃんとやるのが昨今の主流ですが、現行のペーテル・バルトーク編完全版スコアで用意されているのはハンガリー語と英語だけなので、日本では前口上なしで済ますのが普通になっていて寂しいです。今日はさらに、第1の扉の前などで聞こえてくる「うめき声」も省略されていて、あくまで純粋音楽としてのアプローチでした。カンブルランのちょっとフレンチなバルトークは、ハンガリー民謡のタメなどはほとんど気にせず淡々と進行し、和声の構造を裏側までくっきり際立たせる見通しの良い演奏で、ここまで徹底したのはありそうであまりなかった、非常に新鮮な響きでした。ただしオケは途中から熱が入りすぎて歌をかき消す音量になってしまったので、大部分はもうちょっと抑え気味でも良かったのでは。ユディットはドイツ人のフェルミリオンで、レパートリーとしてはまだ日が浅いのか、この曲を楽譜を立てて歌っている人は初めて見ました。歌は激情型で悪くはなかったのですが、ハンガリー語が不明瞭だったのが気になりました。対するサボーはハンガリー語を母国語とするトランシルヴァニア(現ルーマニア領)出身のバスなので、二重の意味でこの曲はもちろん十八番。席が遠かったので声があまり届いてこなかったのが残念でしたが、多分近距離正面で聴けば渋さが鈍く光る貫禄の青ひげ公だったのだろうと感じました。やっぱり歌ものはなるべく近くの正面で聴きたいものです(が、良席はすでに完売でした・・・)。

カンブルラン/読響/五嶋みどり(vn):渾身のコルンゴルト2016/10/19 23:59

2016.10.19 サントリーホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
五嶋みどり (violin-2,3)
1. シューベルト(ウェーベルン編): 6つのドイツ舞曲 D820
2. コルンゴルト: ヴァイオリン協奏曲ニ長調
3. シュタウト: ヴァイオリン協奏曲「オスカー」(日本初演)
4. デュティユー: 交響曲第2番「ル・ドゥーブル」

こんなマニアックなプログラムでも、さすがに五嶋みどりの人気はハンパなく、一般発売日であっという間に完売したプラチナチケットです。当然、読響シンフォニックライブの収録が入っており、いつの間にかAKB48を卒業していた司会の松井咲子がロビーにいたのですが、別段ファンに囲まれるでもなし、普通にスタッフと談笑してらっしゃいました。

1曲目はウェーベルン編曲のシューベルト「ドイツ舞曲」。今年都響のプログラムにも乗っていた気がするし、そこそこメジャーな曲です。ブーレーズの名高い「ウェーベルン全集」(CBS)には作曲者自身の指揮による歴史的演奏がボーナストラックとして入っていました。贅肉をそぎ落とした可愛らしさが命のこの編曲にしては、音がずいぶん濁っているのが気になりました。磨き上げが足らない感じです。練習時間を贅沢に割けないなら、弦を極限まで減らしてトップ奏者のみの上澄みで臨むべき。

次のコルンゴルトが私的には今日のメインイベントで、何と言っても、五嶋みどりの同曲レコーディングはまだないはずなので、たいへん貴重な機会です。4年ほど前に、ロンドンでズヴェーデン/ダラス響との共演でこの曲を演奏するはずだったので「おおっ!」と思ってチェックしていたのに、ダラス響の公演自体がキャンセルになってしまって肩透かしを喰らいました。ようやく巡ってきたこの体験は、絶対にハマるはずという私の予想通りに、繊細と大胆を両立させる、素晴らしい演奏でした。ストイックな堅牢さと豊潤な歌い回しを曲によって巧みに使い分ける五嶋みどりの懐の深さからすると、今日の演奏はどちらかと言えば豊潤寄り。ちょっと舌足らずになる箇所も含め、計算され尽くした完璧な作り込みで、圧倒されました。演奏が終わった途端、何よりまず(聴衆への愛想もそこそこに)団員が全員拍手でソリストを讃えていたのが印象的でした。

後半は正直乗れない曲ばかりで、辛かった。オーストリアの新進気鋭シュタウト作曲の「オスカー」は、2年前のルツェルン音楽祭で初演され、独奏者の五嶋みどりにそのまま献呈されたそうです。当然初めて聴く曲なので予習の機会もなく、全く生真面目なコンテンポラリーという印象で、苦手な部類です。最後のデュティユーも、複合的な大編成オケ構成は、最初は興味深く面白がれるものの、曲としてのつかみどころはさっぱりわからない「疲れ曲」。どちらも、一度聴いただけでは心にすっと溶けこむ縁が見出せなかったので心苦しいのですが、でも二度目を聴きたいともあんまり思わないわなあ。

ロジェストヴェンスキー/読響:なぜか不機嫌なショスタコ三昧2016/09/26 23:59

2016.09.26 サントリーホール (東京)
Gennady Rozhdestvensky / 読売日本交響楽団
Viktoria Postnikova (piano-2)
1. ショスタコーヴィチ: バレエ組曲「黄金時代」
2. ショスタコーヴィチ: ピアノ協奏曲第1番ハ短調
3. ショスタコーヴィチ: 交響曲第10番ホ短調

たいへん失礼ながらまだご存命とは思っていなかったロジェベン翁、生を聴ける機会があるとは感動です。同じ旧ソ連のフェドセーエフとほぼ同年齢ながら、フェドさんのデビューがだいぶ遅咲きだったから、フェド=新進気鋭、ロジェベン=大御所という印象がずっと抜けてませんでした。

敬老の9月にゆっくり登場したロジェベンは、笑顔のかわいい好々爺。よく見ると、長身というわけでもないのに指揮台がなく、やたらと長い指揮棒が特徴的。生演は初めて聴きますが、登壇時のヨタヨタがフェイクかと思えるくらい、85歳らしからぬ切れ味鋭い凄演にのっけから驚き、確かにこの人は爆演系で有名な人だったのを思い出しました。「黄金時代」は、私の記憶の中で鳴り響いていたのが思い違いの別曲で、初めて聴く曲だったので、細かい部分はよくわかりませんが、一人だけ異色な雰囲気を発散していたオールバックの男前サックスの奏でる、クラシックらしからぬ遊び人っぽいソロがたいへん印象的でした。

2曲目のコンチェルトのソリストは、長年連れ添っている奥さんのポストニコワ。すいません、全く初めて聞く名前だったので予備知識ゼロですが、いかにもロシアのお母さんという感じの風貌とは裏腹に、年齢を感じさせない、肩の力が抜けた屈託ない無邪気さがこれまた意外。軽妙なソロトランペットもソツなくピアノを盛り立て、ご満悦のロシア母さんでした。

軽い感じの選曲だった前半とは打って変わり、メインはほぼ11年ぶりに聴くタコ10。ハープ、チェレスタ、ピアノ等の飛び道具弦楽器を使わないオーソドックスな3管編成は、それだけで格調高く重々しい雰囲気を醸し出してますが、さらにロジェベン翁は長大な第1楽章の冗長さを隠そうともしない直球勝負で、荒廃した荒野が広がります。読響金管は、ロシアのオケっぽくアタックの強い直線音圧系でよくがんばっておりました。全体の中では比較的軽い第2楽章も重厚に鳴らし、事故かもしれませんが、終了直後に指揮棒でスコアをピシャッと一発叩いたため、奏者と聴衆に一瞬緊張が広がりました。全体を通して演奏中は何故だか不機嫌そうに見え、楽章間の雑音を嫌うようなそぶりも見せていました。

第3楽章も、まあ長いこと。結論よりもプロセスを重視する進め方は、後から思うとメリハリがよくつかめず、見通しにくい演奏だったのかなと。大御所の棒の下、読響にしては驚異的によく鳴っており、一体感のある好演奏だったと思います。終楽章の終演直後、スコアをバサッと乱暴に閉じて不機嫌を隠そうともしないロジェベン翁は、一旦引っ込んだ後にはもうキュートな笑顔のおじいちゃんに戻っていました。しかし良い演奏だったのに、何が気に食わなかったのだろう…。

テミルカーノフ/読響:ヘンタイになり損ねたマーラー3番2015/06/05 23:59

2015.06.5 サントリーホール (東京)
Yuri Temirkanov / 読売日本交響楽団
新国立劇場合唱団, NHK東京児童合唱団
小山由美 (mezzo-soprano)
1. マーラー: 交響曲第3番ニ短調

第3番はとても久しぶりな気がして、記録を見ると前回聴いたのは2012年4月のビシュコフ/LSOですから、もう3年ぶり。テミルカーノフを初めて聴いたのもちょうどそのころでした。

先日のコバケン/読響の「復活」が期待外れだったので、ロシア最後の巨匠テミルカーノフのタクトに読響がどこまでくらいつけるか、期待と不安相半ばでしたが、結果はまずまず良い方向にころびました。9本に補強したホルンが「この曲の要は我々」と意識し、最後までコケずに踏ん張ったのが良かったと思います。第1楽章は冒頭からしてゆったりと濃厚な味付けで、まるでマゼール先生級のヘンタイ演奏。のっけからこれでは、後半のオケの息切れが心配です。

結構燃え尽きてしまった第1楽章を終え、軽くチューニングを直してから始まった第2楽章が、これまたロマンチックなハイカロリー表現。第3楽章では舞台裏のポストホルンを含め、管楽器のソロはもうちょっとしっかりして欲しいと思った今日このごろ。オケが最後まで持たないと見たのか、このあたりからテミル翁がギアチェンジしてくるのを感じ取りました。

第4楽章が始まる前に後ろ扉から合唱団が入場しましたが、何故かメゾソプラノ小山さんは演奏が始まってから静々と歩いてくるという、意味がよくわからない演出。しかも、正直な感想を申しますれば、歌はちょっといただけない。ドイツ在住のワーグナー歌いとのフレコミですが、わざわざドイツから呼んでくる値打ちはあったんでしょうか。オケの方はポルタメントなしのあっさり表現でサクサク進んでいきます。第5楽章は女声と少年少女合唱による天使の歌ですが、見たところ少年は4人だけで残りは全て女性。これが意外にもオケを食うくらいのしっかりしたコーラスで、ロンドンにそのまま持って行っても十分通用するハイレベル。終楽章も前半のヘンタイがウソのように、引っかかりなく淡白な味付け。

全体として一定のバランスをとった演奏と言えますが、第1楽章の調子で最後まで行ってくれたら、オケは破綻していたかもしれませんが、怖いもの見たさというか、それはそれで面白かったのにとは思いました。しかし、細かいことを除けば、久々に納得感のある演奏会に満足しつつ会場をあとにしました。やっぱりテミル翁はこのような大曲が似合います。

小林/読響:「炎のコバケン」オケに点火せず2015/04/24 23:59

2015.04.24 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
小林研一郎 / 読売日本交響楽団
小川里美 (soprano), Anne-Theresa Møller (mezzo-soprano)
東京音楽大学合唱団
1. マーラー: 交響曲第2番ハ短調「復活」

2月のヤマカズ/日フィルがチケット買っていたのに結局用事でいけなかったので、そのリベンジで聴いてみました。ハンガリーでは最も有名な日本人であるコバケンを前回聴いたのは、もう10年も前になりますなー。

東欧では熱狂的に支持されていても日本のクラヲタにはどうもウケが悪い「炎のコバケン」さん、エモーショナルに盛り上げてスケールの大きい音楽を作るスタイルは決して嫌いじゃないのですが、オケが雑になりがちなのが、いつも残念。楽器の音を研ぎ澄ますということにはほとんど関心がないんだろうかと思います。今日も危惧していた通り、私の好みから言えば、オケの音が汚なすぎ。普段聴く読響の木管や弦は、もうちょっとスマートな音を出していたはず。ホルン、トランペットも思いっきり弱さを露呈して、長丁場聴くのは痛々しかった。終楽章の舞台裏バンダは当然舞台上の人々を超えるレベルではなく、最後にはその人たちも舞台に出てきてホルン、ペットが各々11本という大部隊になってましたが、音の「迫力」というのは決して楽器の数じゃないんだな、というのを再認識しました。コーラスが音大生のアマチュアながら、生真面目でしっかりと声の出た良い合唱だっただけに、オケがピリッとせず、残念でした。

譜面を立てず、自らの信じるままに音楽を揺さぶるコバケン流「俺のマーラー」は、結果が伴えば、凡百の演奏には及びもつかない感動を呼び起こす音楽になりえるかもしれませんが、その期待に応えてくれるオケには巡り合えるのでしょうか。コバケンが80歳を超えてもまだかくしゃくと活躍していたとして、突如ベルリンフィルに招かれ人気を博し、その後死ぬまで「巨匠」として崇められるという、ヴァントのような晩年を送ってくれる世界は来ないかなと、楽しい妄想をしてしまいました。