読響/ヴァイグレ/テツラフ(vn):欧州ツアー直前、充実のブラームスとラフマニノフ2024/10/09 23:59

2024.10.09 サントリーホール (東京)
Sebastian Weigle / 読売日本交響楽団
Christian Tetzlaff (violin-2)
1. 伊福部昭: 舞踊曲「サロメ」から「7つのヴェールの踊り」
2. ブラームス: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
3. ラフマニノフ: 交響曲第2番 ホ短調

翌週からテツラフと藤田真央を引き連れてヨーロッパツアーに出かけるヴァイグレ/読響の壮行演奏会になります。客席は満員御礼。

1曲目の伊福部版「サロメ」は初めて聴く曲。欧州ツアー向きに何か日本物を1曲、ということでの選曲でしょうか。ツアーのプログラムを見ると他に武満の曲をやる日もあるようです。「7つのヴェールの踊り」と言えば、リヒャルト・シュトラウスの楽劇「サロメ」の劇中舞曲があまりにも有名ですが、同じ原作でありながら伊福部のバレエ音楽は全くテイストが異なるのが面白いです。旋律、リズム、構成どれをとっても全くの伊福部節で、純和風というよりは、東宝の怪獣映画音楽風。変拍子の複雑なリズムを低音をしっかり聴かせつつ小気味よく進めていったヴァイグレさん、曲への思い入れなどは特にないであろうに、劇場キャリアの職人技を垣間見ました。

続くブラームスのコンチェルトは、一昨日ソロリサイタルを聴いたばかりのテツラフがもちろん目当てです。曲自体は好んで聴く曲じゃないので、過去に実演を聴いたのが10年前のイザベル・ファウスト(オケはハーディング/新日本フィル)1回だけという体たらく。しかしテツラフは期待通りの孤高の演奏で、雑なワイルドタッチから、この上なく綺麗に響かせるメロディまで、表現の幅がえげつなく広く、かつ全てが自然に鳴り響き、まるで弓を動かさなくても音が湧き出てくるかのよう。ちょっとハンガリー舞曲を彷彿とさせる終楽章では、一昨日のソロとはまた全く違う情熱的なアプローチで挑み、全くこの人の懐の深さは格別です。アンコールは一昨日も聴いた、バッハのソナタ第3番から「ラルゴ」でやんやの喝采。最近は毎年来日してくれるので、日本での人気も定着している様子です。

東ベルリン出身のヴァイグレはロシアものも得意分野のようですが、メインのラフマニノフ2番は、ある意味それらしい、弱音欠如型のおおらかな演奏。オケはまるでブラームスのように分厚い音作りで、金管を筆頭によく鳴ってはいるものの、抑制が効いた柔らかな響きにしっかりコントロールされています。第1楽章の最後はティンパニの一撃ありバージョン。第2楽章第2主題のポルタメントは軽く効かせて節度ある甘さを演出。有名な第3楽章も焦らず、昂らずにじっくりと盛り上げていきます。最終楽章はここまで貯めたエネルギーを全てを解放するかのような爆演。全体的にツボを抑えた見事なリードで、これなら本場欧州と言えども、どこに出しても恥ずかしくないクオリティと言えるでしょう。個人的にはいろいろあってちょっと荒んだ心も癒される、良い演奏会でした。

今だからこそ「祈り」の音楽:読響/カンブルラン/金川真弓(vn)2024/04/05 23:59



2024.04.05 サントリーホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
金川真弓 (vn-2)
1. マルティヌー: リディツェへの追悼
2. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番
3. メシアン: キリストの昇天

今シーズンの読響でカンブルランが来るのはこの日だけのようなので、何はともあれ買ったチケットです。バルトーク以外は馴染みがなかったものの、カンブルランらしい東欧とフランスを取り混ぜたプチ玄人好みのプログラム。客入りはちょっと空席が目立つ感じでした。

1曲目はナチスドイツから逃れて米国に亡命したマルティヌーが、ドイツ軍が起こしたチェコ(ボヘミア)の小村リディツェの虐殺事件を題材に書いた小曲で、タイトルからして初めて聴く曲です。亡命チェコ政府に将校を暗殺されたことに激怒したヒトラーが、犯人を匿った(とされた)リディツェの掃討を命じ、男性200人は銃殺、女性と子供300人は強制収容所送りとなって、村が壊滅したという酷い話です。この時期、あえてこの曲をプログラムに乗せるのはいろいろと含みがあるでしょう。重苦しく始まり、途中でベートーヴェンの「運命の動機」が鳴り響いたりもしますが、悲痛な音を続けるわけではなく、どちらかというと祈りと癒しのような音楽でした。

バルトークのコンチェルトは最も頻繁に聴きに行く曲の一つで、前回は2022年の都響でした。金川真弓さんは1994年生まれの米国籍、現在はベルリン在住の若手ヴァイオリニストで、チラシで時々名前が目に入りますが、演奏は初めて聴きます。この曲は奏者によってガラリと表情が違ったりして聴き比べが非常に楽しいのですが、金川さんはゆっくりとしたテンポで非常に端正に弾くスタイル。音色は終始綺麗で澄んでいて、あえて荒っぽくワイルドに弾きたがる人も多い中で、先生の模範のような演奏でした。カンブルランも小細工なしでソリストにぴったり合わせてきます。過去に聴いた中では、ジェームズ・エーネスが近いスタイルでしょうか。民族色などあえて考えずにスコアと真摯に向き合うことで、この曲に内在する自然の力強さが逆に浮き彫りになってくるのが面白く、真の名曲だとあらためて思いました。

メインの「キリストの昇天」は、メシアン初期の代表作だけあって有名ですが、メシアンはあまり自分のカバー範囲ではないので、ほぼ初めて聴く曲でした。メシアンが独自に見出した「移調の限られた旋法」に基づいて作られており、いわゆる現代音楽とは一線を画する独特の音響感があります。フルの3管編成のオケながら、全員で演奏する時間は極めて短い、コスパの悪い曲。第1楽章の金管コラールからして、いちいちアタックがブレる上に音も濁り気味で、ブラスが弱い日本のオケにはなかなか厳しいものがありました。弦楽器は前半暇で、後半やっと出番が増えたかと思いきや、終楽章は弱音器を付けて、一部の奏者のみでミニマルでストイックな音楽に終始します。うーん、奏者には苦行のような曲で、達成感なさそう。しかしよく考えると、神に捧げる音楽に俗世の達成感は関係ないでしょうから、邪念にまみれた自分を恥じ入りました。

ということで、演奏よりも曲自体の感想に終始してしまいましたが、選曲にも、演奏のクオリティにも、さすがカンブルランの演奏会にハズレはありません。次のシーズンはもうちょっと来てくれたら良いなと。

読響/山田和樹:小澤征爾先生に捧げる「ノヴェンバー・ステップス」2024/02/09 23:59

2024.02.09 サントリーホール (東京)
山田和樹 / 読売日本交響楽団
藤原道山 (尺八-2), 友吉鶴心 (琵琶-2)
1. バルトーク: 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽
2. 武満徹: ノヴェンバー・ステップス
3. ベートーヴェン: 交響曲第2番ニ長調

本日の演目は、弦チェレは10年ぶり(前回は大野/都響)、ノヴェンバー・ステップスは11年ぶり(大野/BBC響)、ベト2は14年ぶり(アントニーニ/ベルリンフィル)と、どれも非常に久々に聴くものです。尺八、琵琶のお弟子さん筋なのか、お客はいつもより和服の人が多かったです。

本日のステージは円形の雛壇が組んであり、弦楽器の後方が普段より高いところに位置していました。ちょっと奮発してストール席を取ったのですが、前方の際の方だったので肝心の打楽器、チェレスタが弦奏者に遮られて見えにくい。なぜこのような配置なっているかというと、弦チェレと武満がどちらもスコアで左右対称な対向配置になるよう指定されているためで、想定しておくべきでした、残念…。

1曲目の弦チェレはバルトークの代表作ですが、特殊な編成になるので演奏会のプログラムに乗ることが意外と少ないです。ヤマカズさんは昨年の都響で三善晃「反戦三部作」を聴いて以来です。それに比べると今日の演目はリラックスして聴けるので、実際ヤマカズも飛んだり跳ねたり、本来の明るいキャラクターで千手観音のような指揮ぶりでした。オケの配置の特徴から指揮者のバトンさばきも、指揮棒を持たずに右手と左手が左右対称で動くか、あるいはシンクロした動きになるかで、「ダンス度」が非常に高い、見ていて飽きないものでした。一方でこの配置と雛壇のおかげで、音がいったん上に飛んでから降りてくるため左右の微妙なズレが強調され(真正面で聴いていた人は違うのかもしれませんが)、また音の重心が高く、低音が腹の底から来ないところがちょっと不満ではありました。演奏そのものはメリハリが効き、ゆさぶりも大きくライブ感溢れる好演だったと思いますが、細部の仕上がりがちょっと雑だった印象です。第1楽章が消え入るように終わるところで大きなくしゃみをやらかした輩がいましたが、コロナ禍もすっかり明けて聴衆はまた緩んできていますかなー。

ここで休憩ですが、演目の編成を考えると武満までやってから休憩にしたほうがいいのにな、と思いました。メインがベト2だと軽いとかバランス悪いという理由なら、いっそ1曲目をベト2にする手もありますし。大昔聴いた京大オケ、外山雄三指揮の演奏会がそんな感じでした。ベト2で始まり、ドヴォルザークのチェロコンと続き、最後は「三角帽子」第2組曲で締めるという(しかも「三角帽子」の終曲を再度アンコールでやるという効率の良さ)。

後半最初の「ノヴェンバー・ステップス」は、武満のみならず全ての邦人現代音楽の中でも突出した代表的作品。実演は2013年にロンドンBBC響の「Sound from Japan」で聴いて以来(このときは意外にも英国初演だったそう)の2回目です。ソリストを携えずマイクを手に一人で登場したヤマカズ氏から告げられたのは、「小澤征爾先生が亡くなられました」という訃報。場内「えっ」というどよめき。亡くなったのは2月6日だったそうですが、発表は9日の夜7時過ぎで、当然ほとんどの人は訃報を知らず。くしくも本日の演目は小澤征爾とゆかりが深い曲ばかりで、特に「ノヴェンバー・ステップス」は小澤の推薦によりNYPの創立125周年記念委嘱作品として世に生まれ出た曲です。しかも小澤指揮のNYPで1967年に初演された際、カップリングされたのがベートーヴェンの第2番という、偶然というにはあまりに揃いすぎているこのプログラム。ヤマカズ氏は、演奏会で暗い気持ちにさせるのは先生の本意ではないはずなので、黙祷はせず、この演奏を先生に捧げます、とのこと。

この曲のリファレンスとしては、小澤/トロント響、ハイティンク/コンセルトヘボウ、若杉/東京都響の3種のレコーディング(ソリストはいずれも初演者の横山勝也と鶴田錦史)と、前回実演で聴いた大野/BBC響の演奏をBBC Radio 3で放送した際エアチェックした音声データが手持ちのライブラリにありましたが、そのどれともまた違う個性的な演奏でした。まず私は純邦楽の知識も素養もほぼ何もないただの素人リスナーであることをお断りしておくとして、一見シュッとした若手イケメンに見えるものの実はそんなに若くない藤原道山の尺八が素晴らしかったです。今まで聴いたことがない澄み切った音色の尺八で、まるで美声の詩吟のように朗々とした唄がホールに響き渡ります。もちろん尺八特有のノイジーな奏法もふんだんに使われていますが、無理に力強さを出そうとせず、一貫して透明感をキープ。西洋の機能的な木管楽器寄りのアプローチで、一歩後ろに下がったオケの前に君臨する圧倒的ソリストという図式は伝統的なクラシック音楽との垣根を感じさせませんが、これを近代フルートではなく尺八で実現させているところが凄いです。一方の琵琶師、友吉鶴心は初演者鶴田錦史の直系弟子で、こちらは師匠譲りの力強いインパクトがありました。西洋クラシック音楽の伝統から見たら調律の狂ったノイズでしかない、もはや音とも音楽とも言えないような薩摩琵琶の様々な奏法が孤軍奮闘でオーケストラさらには尺八と対峙します。楽器と音自体はしなびた感じですが、バルトーク・ピチカートを思わせる弦を胴体にバチンと打ち付ける撥弦奏法(何て呼ぶのかわかりません)のキレは抜群。オケは協奏的な伴奏というより合いの手に徹し、あくまで後方に下がってソリストを支えますが、トランペットなどはもうちょっと繊細に対処してもらいたかったという不満はちょい残るものの、ヤマカズ氏の最初の言葉通り、渾身、入魂の「ノヴェンバー・ステップス」だったと思います。最後に断末魔のように息切れた尺八のあと、ずいぶんと長く静寂を引っ張ったのは、まさに小澤先生への哀悼の思いがあったのでしょう。タクトを下ろしたあとは、聴衆皆それぞれの追悼の意を込めて盛大な拍手が続きました。

この後のベートーヴェンのために配置を変えるのでけっこう時間を取っていて、やっぱり休憩の位置が間違っていたのでは、との思いは消えず。最後のベト2ではさすがに普通の対向配置に戻すのではと思っていたら、二つの弦楽群を完全に左右対向に分けた配置は踏襲したまま演奏を始めました。ヴァイオリンの第1を左、第2を右という伝統的な対向配置ではなくて、第1、第2がどちらも均等に左右に分かれているのは、私は初めての経験で、結論から先に言うと目的とか効果が最後までよくわかりませんでした。左右で均等に鳴っている弦楽群(さらにはそのせいで倍に補強されている管楽群も含め)は、勢いは確かにあるのですが、学校の運動会を連想させるスピード感と落ち着きのなさで、何だかわちゃわちゃしてアンサンブル精度の悪い演奏に聴こえました。よく見ていると対向配置といっても、第2楽章冒頭はヴァイオリンとヴィオラのトップだけにしてみたり、第3楽章のトリオ部では左群のオケだけ鳴らしてみたりとか、スコアの改変に近い仕掛けもあり、細部に何か意図はありそうですが、まあそんな繊細な話は抜きにしてもヤマカズ氏はここでも大熱演。思いが強烈に伝わるダイナミックな指揮ぶりで、この特別な日に特別な演奏会に遭遇できたことをたいへん感慨深く思います。

読響/カンブルラン/エマール:スタイリッシュな「東欧の20世紀」2023/12/05 23:59

2023.12.05 サントリーホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
Pierre-Laurent Aimard (piano-2)
1. ヤナーチェク: バラード「ヴァイオリン弾きの子供」
2. リゲティ: ピアノ協奏曲
3. ヤナーチェク: 序曲「嫉妬」
4. ルトスワフスキ: 管弦楽のための協奏曲

多分今年最後の演奏会になるのは、「東欧の20世紀」と題した、そそる一夜。とは言えヤナーチェクの「嫉妬」はギリ19世紀の作品ですが。国もチェコ、ハンガリー、ポーランドと、各々は「十把一絡げにしてくれるな」と怒りそうな、ナショナルアイデンティティの強い国ばかりの寄せ集めになってます。もちろん、それぞれどれも好物の私はこういう企画大歓迎です。なお、今年は生誕100年の記念イヤーであるリゲティを筆頭に、ちょっと苦しいですが、ルトスワフスキは生誕110年で来年没後30年、ヤナーチェクは来年生誕170年というこじつけっぽい記念イヤーの上塗りも可能なプログラムとなっております。

カンブルランは5年ぶりになります。もちろん、少なくない指揮者、演奏家は4年以上ぶりになるわけですが、カンブルランはわりと毎年聴いていたので、コロナ禍がなければ、その間もコンスタントに聴いていたことでしょう。やっている音楽のわりには気難しさはあまりなく、しかし芸術家の気品と風格が滲み出ている現代のカリスマだと思います。今回のヤナーチェクの2曲は、他人が取り上げない曲をあえて持ってくる、彼らしいこだわりが見えました。だって、ただでさえリゲティとルトスワフスキとくれば、せめてヤナーチェクは「シンフォニエッタ」を選びたくなるのが人情というもの。1曲目「ヴァイオリン弾きの子供」は全く初めて聞く曲で、家にあるヤナーチェク管弦楽曲集にも入っていませんでした。ストーリーのある親しみやすい交響詩で、本日のゲストコンマス(コンミス)日下紗矢子さんのソロが冴えていました。

2曲目のリゲティのピアノ協奏曲も、記念イヤーで今年CDを買うまでは聴いたことがなかった曲。元々リゲティは、ハンガリーに住んでいたころからもっと聴いていてもよかったはずですが、何故かほとんど接点がありませんでした。ポリリズムを駆使した複雑なリズムを醸し出す曲で、リゲティらしさとしては、オカリナ、スライドホイッスル、ハーモニカといった、普段オーケストラでは出てこないので打楽器奏者の担当となりがちな「変な笛類」がふんだんに登場します。小編成なところも含めて、3月に聴いたヴァイオリン協奏曲とよく似ていますが、内容はいっそうシリアスで、カタブツな変態という感じでしょうか。こういった変態曲を得意とするエマールは、もっと聴いたかと思っていたのですが、実演を聞くのは2006年以来、17年ぶりでした。何せ簡単に飲み込める曲ではないので深いことは何も言えませんが、複雑な地図を見失わないようなキレの良いリズムのピアノに、オケもぴったしと寄り添っていく引き締まった演奏でした。エマールのキャラは小難しい理屈屋とは真逆で、基本的に明るいエンターティナーの人とお見受けしました。アンコールは「もちろんリゲティ」と言って、民謡を基調とした親しみやすい小曲を2曲披露してくれました(「ムジカ・リチェルカータ」の第7、8曲だそうです)。

休憩後は再びヤナーチェクのマイナー曲。序曲「嫉妬」は、元々は代表作の歌劇「イェヌーファ」用に書かれたが自ら棄却したものだそうで、そのためにあまり日の目を見られることがない不幸な曲になってしまいました。この曲はうちにあったマッケラス/チェコフィルのCDに入ってましたが、どうしてどうして、ティンパニが終始活躍するカッコいい曲で、短い中にも展開が凝縮された佳曲だと思います。カンブルランはここでも力強くリズムを刻み、けっこうわかりやすい演出でこの隠れた名曲をドラマチックに披露します。

最後のルトスワフスキは、世に数ある「管弦楽のための協奏曲」の中ではおそらくバルトークの次に有名な曲。と言ってもかなり大差がある2位ですが。3位は多分コダーイで、この形式は東欧の作曲家と相性が良いようです。それ以外は、知名度において足元にも及びません。それでこのルトスワフスキですが、実演は10年前の生誕100年記念イヤーでパッパーノ/LSOで聴いて以来の2度目になります。民謡を素材として展開させる手法はバルトークと同様ですが、ソ連共産圏の支配下にあった1950年代の作曲なので、バルトークのようなカラフルさや遊び心はあまり見られず、形式を重んじた硬派一筋の音楽に思えます。いかにも厳しい圧制下に書かれた重苦しい曲として演奏することもできそうですが、カンブルランはそういう小細工なしに、重厚さは失わずともすっきりスタイリッシュに、実にカッコ良い音楽としてすっと聴かせてくれました。7人の打楽器は皆さん渾身の集中力で、金管のリズムが少しもたり気味の感はあったものの、全体的に音圧もバランスも説得力十分。やはりカンブルランにハズレなし、来年も聴きに行こうと意を決したのですが、シーズンプログラムの速報を見ると、来年は1回しか来てくれないんですね…。

読響/ヴァイグレ/宮田大(vc):心がちょっとざわざわする、ロシア音楽の夕べ2023/10/27 23:59

2023.10.27 サントリーホール (東京)
Sebastian Weigle / 読売日本交響楽団
宮田大 (vc-1)
1. プロコフィエフ: 交響的協奏曲 ホ短調 作品125
2. ハチャトゥリアン: バレエ音楽「ガイーヌ」より
 ゴパック/剣の舞/アイシャの踊り/バラの乙女の踊り/子守歌/レズギンカ
3. ストラヴィンスキー: バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)

昨年あたりから、実演で聴きたいとずっと思っていてまだ聴いたことがない曲(長らく聴けていない曲も含む)を目当てに、落穂拾いのように行く演奏会が多いような気がしていますが、今日もその一つ。

1曲目の「シンフォニア・コンチェルタンテ」はプロコフィエフの最晩年に、チェロ協奏曲第1番を大幅に書き直す形で作曲され、ロストロポーヴィチに捧げられた曲。ほぼ馴染みがない曲です。第1番の方もずっと以前に聴きましたが、とっつきにくい難曲でした。果たしてこの曲も、チェロが技巧の限りを尽くして奮闘するのはわかるのですが、展開が早過ぎというか複雑で、どうにも捉えどころがわからない。そんなわけで演奏解釈などの論評はお手上げで、ひたすら演奏家の様子を観察しておりました。

若手の人気チェリスト宮田大を聴くのは初めてでしたが、彼の華々しい経歴とストラディヴァリの楽器をもってしても、この難曲はいかにも手に余る感じが見て取れました。厳しい高音域のフレーズが続き、余裕を見せる余裕は全くなさそうで、ずっと苦しく不安定な空気が支配します。ちょうど斜め後方から見る席だったのでオペラグラスで楽譜を覗き込んだら、通常のA版/B版よりも縦長の楽譜には赤ペンでびっしりと書き込み。自分で譜めくりしなければならない事情を考慮してか、最多で4ページ分を見開きで譜面台に置けるように作ってありました。指揮者の譜面台に目を向けると、こちらも同様の縦長サイズのスコアがリングファイルになっていて、書き込みはほとんどないものの、ところどころ黄色の蛍光ペンでハイライトしてあります。どちらも手作り感満載で、生真面目な人たちなんだなということはよくわかりました。アンコールはチェロ独奏でラフマニノフの「ヴォカリーズ」。いやはや、先ほどの苦しさ不安定さは何処へやら、非常にのびのびと素晴らしい演奏でした。

休憩後の「ガイーヌ」が本日のお目当てです。ここ20年に渡る演奏会備忘録の中で、超有名な「剣の舞」のみ、バレエガラで1回、ファミリーコンサートで1回それぞれ聴いただけで、著名曲なのにノーマルな演奏会プログラムに乗ることが非常に珍しいのは、やはり扱いやすいコンパクトな組曲がないからなのでしょう。最初の原典版作曲ののち、ほぼ全ての曲を再構成した3つの組曲がありますが、第1組曲の抜粋に第3組曲の「剣の舞」と「ゴパック」を加えた構成で演奏されることが多いようで、今日の選曲もそのようになっています。ただ順番はストーリーを完全に無視し、バレエでは終了間際に出てくる「ゴパック」と「剣の舞」をあえて最初にもってくる曲順でしたが、これが驚くほどにしっくりとくる組曲編成になっていました。どうせなら多分「剣の舞」に次いで有名な「ガイーヌのアダージョ」も組み入れて欲しかったところですが。演奏は、金管がちょっとピリッとしない箇所はありましたが、リズミカルで小気味良くまとまった、完成度の高い演奏でした。「剣の舞」の高速裏打ちとか、少しの綻びも許されない緊張感がありますが、隙なくしっかりとまとめ上げたのは指揮者の統率力だと思います。終演後、最初に木琴奏者と小太鼓奏者が立たされるのは、この曲ならではですね。(そういえばどの曲でもチェレスタ奏者が立たされていましたが、全曲チェレスタ入りのプログラムというのも、結構特殊ですか。)

最後の「火の鳥」。全曲版はバレエの舞台も含めてよく聴きましたが、組曲盤は意外と実演ではあまり聴いておらず、おそらくこの曲が含まれるのは所謂「名曲プログラム」になってしまう場合が多く、避けていたからだと思いました。あらためて落ち着いて組曲を聴くと、2管編成に縮小されながらも充分以上の音圧を保ち、ストーリーに沿ってコンパクトに凝縮された、たいへんよくできた組曲だなあと感心しました。見かけがいかにもドイツ紳士で、芸術家というよりも大会社の社長のようなヴァイグレさん、ドイツ人らしい手堅さで破綻なくかっちりとまとめられた演奏でした。ただ後半を通して思ったのは、どの曲も申し分ない立派な演奏だったのですが、あんまり印象が後に残らない。すっと聴けてすっと流れていく、感情を捉える引っ掛かりをあえて作っていないように私には思えました。

このご時世、ロシアの音楽は敬遠されるどころか、何ならむしろ前よりも演奏会に乗る機会が増えている気がしてならないのですが、完全にニュートラルな立ち位置で無垢に音楽と向き合うことができなくなっているのかもしれないと気づきました。このオールロシアンプログラムを組んだ人々、それを演奏する人々、わざわざ聴きにくる人々、それらに何かしらの「意味」を求めてしまっている自分がいます。元々は、前半厳しく、後半楽しく、後腐れなく能天気に聴き流せるプログラムという以外、意味はなかったのかもしれません。複雑な邪念に悩まされることなく音楽を楽しめる平和な時間が、一日も早く取り戻せますように祈るのみです。

読売日響/上岡敏之/ヴィルサラーゼ(p):個性的なシューマンとニールセン2023/05/31 23:59

2023.05.31 サントリーホール (東京)
上岡敏之 / 読売日本交響楽団
Elisso Virsaladze (piano-2)
1. シベリウス: 交響詩「エン・サガ」
2. シューマン: ピアノ協奏曲 イ短調
3. ニールセン: 交響曲第5番

1年前に亡くなったラドゥ・ルプーを偲んでCDを聴き込んだのがきっかけで、それ以降シューマンのピアノ協奏曲がマイブームになり、いろんな演奏を聴き漁っておりました。かつては何度も聴いた曲なのに、いざ実演を聴きたいと思った時にはかえって機会がないもので、ようやく見つけたこの演奏会は迷いなく「買い」でした。

上岡敏之はドイツでキャリアを積み上げた逆輸入の鬼才との触込みですが、欧州に住んでいたころその名前を聞いた記憶がなく、新日フィルの音楽監督になったときも「誰?」状態で、結局生演に触れる機会もありませんでした(まあ、コロナもあったので仕方がないですが)。新日フィルとは喧嘩別れしたようなこともネットで書かれており、今日の読響は完全に客演で逆にリラックスして臨んだようにも感じられました。

1曲目の「エン・サガ」、私には捉えどころのない難曲です。読響はちょうど5年ぶりですが、のっけから音の濁りが気に障ります。あれ、ホルンこんなに弱かったっけなあ…。初めて見る上岡のバトンテクは非常にサマになっていて、「ザ・指揮者」という感じ。ただし私は経験上、いちいち棒で嬉々として指図する上部パフォーマータイプよりも、本番ではほとんど何もしないのに出てくる音が完璧なむっつりスケベタイプのほうが聴き手としては信用できるので、ちょっと最初から眉に唾つけて聴いてしまいました。しかし聴き進むうちに、霧の中から突出して上手いクラリネットが顔を出すに至り、この濁り気味の色彩感も実は狙い通りなのかと思い直しました。

猜疑心がまだ残りつつも、続く本日のお目当てのシューマン。ヴィルサラーぜは初めて聴くピアニストですが、ジョージア(グルジア)出身、1966年のシューマン国際コンクール優勝者、ソ連・ロシアでキャリアを築いたという経歴から、このご時世、一筋縄ではいかない複雑性を感じます。80歳とピアニストにしては高齢ですが、ヨボヨボ感は全くなく、キリッと粒が立って即物的なピアノでした。教育者だけあって技術は確かです。あっさり目でキャンキャンと響くピアノを前に、オケは逆に角が取れて柔らかに伴奏に徹します。ソリストは指揮者ではなくオケに直接アイコンタクトをしつつ曲を引っ張っていきますが、2楽章でもまだ即物的な感じだったピアノが、終楽章後半でようやくオケとトーンを合わせて柔軟路線に急に舵を切ります。好きな演奏かと問われればちょっと違うのですが、面白いマリアージュを見た、という感じです。

メインのニールセン第5番は、ロンドンで一度聴いた気になっていたんですが、記録を調べると実演で聴くのは今日が初めてです。多分LSO Liveの自主制作CD(コリン・デイヴィス指揮の4、5番のカップリングで、4番は確かに実演も聴いた)を買ってよく聴いていた記憶とごっちゃになっていたんでしょう。この曲を得意とするらしい上岡さん、前2曲とはまたガラッと変わり、集中力高くダイナミックレンジの広い演奏。クラリネットは相変わらず冴えています。スネアドラムも超繊細な入りから迫力のマーチングまで、硬質なティンパニと相まって、この曲のキーとなる軍靴を連想させる打楽器隊が圧巻でした。スネア奏者はバックステージからの演奏も自らこなし、ステージ上に居ない間のスネアはタンバリン奏者が代理で入るというやりくり采配。しかしスネア奏者は、若く見えましたがそれだけの価値ある演奏でした。全体的にも上岡の作り出すスケール感が生きた演奏で、最後の一音まで集中力を切らさず、拍手の前の静寂が聴衆の満足を物語っていました。

個性は好きなタイプの指揮者とは違う気がしますが、読響からこのクオリティを引き出してくれるのであれば、次も聴きたいものだと思いました。

ヴォルコフ/読響:「不安の時代」と「革命」とレニーへのオマージュ2018/05/30 23:59

2018.05.30 サントリーホール (東京)
Ilan Volkov / 読売日本交響楽団
河村尚子 (piano-2)
1. プロコフィエフ: アメリカ序曲
2. バーンスタイン: 交響曲第2番「不安の時代」
3. ショスタコーヴィチ: 交響曲第5番ニ短調

悪くないプログラムと思うのですが、客入りはもう一つで空席が目立ちました。そのおかげか、超久々にサントリーホールの最前列が取れましたが。

イスラエル人なのに名がイランとはこれいかに、というヴォルコフですが、写真から想像する以上に瘦せ型で学者のような風貌。音もさぞ学究的かと思いきや、意外とエモーショナル。というか、理知的と情緒的のバランスがほど良い感じです。1曲目のプロコフィエフはほぼ初めて聴くなので、よくわかりませんが、プロコとしてはよそ行き顔の上品な仕上がり。

続く「不安の時代」は、バーンスタインの交響曲の中では唯一声楽が入らないので、比較的演奏会のプログラムに乗りやすい曲ですが、何故かこれまで縁がなく、全曲通しての実演は初めてです(「仮面舞踏会」だけはヤングピープルズコンサートで聴いたことあり)。そもそもバーンスタインの交響曲は3曲いずれも、ウエストサイド物語やキャンディードのようなエンターテインメントの明るさはなく、クソ真面目に小難しく地味な曲という印象を持たざるをえませんが、この第2番は特に分裂症的で、第2部中間部のジャズピース「仮面舞踏会」だけが奇妙に浮いています。読響もここに来るとやけにノリノリでリズミカルに演奏していましたが、スイング感はいま二つくらい。ピアノの河村さん、運指は完璧と思いましたが、とりあえず楽譜を音にしました、という以上のものは伝わらず。この曲だけではよくわからんです。ピアノの配置が普通のコンチェルトと違って正面を向いていたので、逆に演奏中のお顔は見られませんでしたが、見た目可愛らしい人で、オケの人々からも愛されているのがよくわかりました。

そもそもこの「不安の時代」と「タコ5」というプログラムは、バーンスタインがソ連ツアーの直前にザルツブルク音楽祭に出演した際のプログラムと同じとのことで(パンフの中川右介氏の解説で初めて知りました)、その因縁深いメインのタコ5の演奏が、終楽章のコーダの前までは、ほぼまんまレニーへのオマージュだったので驚きました。細かいニュアンスがいちいちレニーで、音楽の喜びにあふれています。オケもヘタれずがんばりました。この曲の解釈として、今となっては正統派とは言えないのかもしれませんが、単純に、いいものを聴かせてもらったという満足感でいっぱいです。どうせオマージュならば、最後までレニー解釈(コーダ前からスコア指示の倍速で突っ走り、最後の最後で強烈なリタルダンドをかける)を貫いて欲しかったです。

カンブルラン/読響:終着点の「マーラー9番」2018/04/20 23:59

2018.04.20 サントリーホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
1. アイヴズ: ニューイングランドの3つの場所
2. マーラー: 交響曲第9番ニ長調

カンブルランはこのシーズンが読響常任指揮者として最後とのこと。読響の演奏を他の指揮者の時と比べれば、カンブルランの統率力は文句の余地がなく、選曲も相対的に私好みで、充実したものでした。どこのオケを振ろうとも安心してチケットが買える指揮者として、今後も贔屓にさせていただきます。

1曲目はほぼ初めて聴く曲でしたが、まさに「アイヴズ」サウンド。私の好きな「宵闇のセントラルパーク」や「答えのない質問」とも通じるものをビシビシと感じましたが、後で調べれば、マーラー9番を含め、作曲時期はけっこうカブってますね。アイヴズもマーラー同様、曲の途中で唐突に民謡や流行歌を挟み込んでくる人ですが、マーラー9番のほうはそういう引用の箇所がいくつかあっても、もはやそれがわからないくらい自然に溶け込んでいるのに対し、アイヴズは依然としてゴツゴツとした境界面を楽しむ作りとなっているのが、ほぼ同時期に作曲された曲の対比として興味深かったです。

メインのマーラー9番は好んで聴きに行く曲ですが、プロオケで聴くのは4年前のインバル/都響以来。カンブルランのマーラー(4番)を前回聴いたのもちょうどそのころでした。もっとサックリとした演奏を想像していたら、第1楽章の、遅めのテンポで重層的な響きを保ちつつ、非常に濃厚な表情付けがたいへん意外でした。バーンスタインのごとく「横の線」のフレーズ単位でいちいち粘るようなユダヤ系の味付けではなく、「縦の線」に熱を伝達するべくアイロンを押し付けているような(うまく伝わっている気がしませんが…)、カンブルランらしからぬ熱のこもった演奏でした。実際長めの演奏時間でしたが、実測値以上に「遅さ」を感じさせる、濃いい演奏。中間の第2、第3楽章は、依然として遅めのテンポながら、角の取れたフレンチスタイル。特に第3楽章はもっと激しく揺さぶる流れにもできたでしょうに、クライマックスは終楽章に取っておくモダンな戦略がニクいです。そして、終楽章のホルンには感服いたしました。もちろん、この演奏がマーラー9番のベストかと問われたらそうではありませんが、読響のホルンは都響やN響と比べて充実度が数段上だと常々感じております(もっと言うと、ホルンに関しては日本のオケでワールドクラスで戦える可能性があるのは読響くらいと思います…)。

マテウス/読響/ピーター・アースキン(ds):打楽器ドンパチを上手にさばいたエル・システマの新星2017/12/02 23:59

2017.12.02 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Diego Matheuz / 読売日本交響楽団
Peter Erskine (drums-2)
1. バーンスタイン: 「キャンディード」序曲
2. ターネジ: ドラムス協奏曲「アースキン」(日本初演)
3. ガーシュイン: パリのアメリカ人
4. ラヴェル: ボレロ

ちょうど1年前の今シーズンプログラムの発表から、ずっと楽しみにしていたコンサートです。5月には前哨戦としてコットンクラブにピーター・アースキン・ニュートリオのライブも見に行きました。ステージ奥の一番高いところに置かれたTAMAのドラムセットは多分そのときと同じものですが、メロタムとスプラッシュシンバルが増えて、若干フュージョン仕様になっているような。キックくらいはマイクで拾っているでしょうが、他は特にマイクやピックアップをセットしているようには見えませんでした。


ディエゴ・マテウスはベネズエラの有名なエル・システマ出身で、N響やサイトウキネンには過去何度か客演していますが、読響はこれが初登場とのこと。振り姿もサマになる、いかにもラテン系の若いイケメンで、まずは小手調べと披露した明るく快活な「キャンディード」序曲。モタらず、ノリが良く、この前のめりな指揮にオケがちゃんとついて行っているのが良い意味で予想を裏切り、なかなかの統率力をいきなりさらっと見せました。

続く「ドラムセットとオーケストラのための協奏曲《アースキン》」は2013年にピーター・アースキンのために作曲された作品。3本のサックスに大量の打楽器を含む大編成オケと、もちろんドラムセット、さらにエレキベース(意外と地味でしたが)まであり、ステージ上はお祭りの賑やかさです。作曲者のターネジは、前にも聞いた名前だなと思ったら、私は見に行けませんでしたが、2011年に英国ロイヤルオペラでの初演が物議を醸した「アンナ・ニコル」の作者でした。4つの楽章はそれぞれ以下のような表題があり、1は娘さんと息子さん、2は奥さん(ムツコさん)の名前から由来しています。

 1. Maya and Taichi’s Stomp(マヤとタイチの刻印)
 2. Mutsy’s Habanera(ムッツィーのハバネラ)
 3. Erskine’s Blues(アースキンのブルース)
 4. Fugal Frenzy(フーガの熱狂)

1回しか聴いていない印象としては、曲がちょっと固いかなと。確かに、ドラムセット以外にも打楽器満載で、ラテンやブルースのリズムを取り入れ、派手な色彩の曲に仕上がっていますが、バーンスタインのように突き抜けた明るさがなく、どことなく影が見えます。また、ドラムの取り扱いが思ったほど協奏的ではなくて、普通にドラムソロです。アースキンはさすがに上手いし、安定したリズム感はさすがですが、インプロヴィゼーションの要素がほとんど感じられず、やはりクラシックの舞台では「よそ行き顔」なんだなと感じてしまいました。嫌いなほうではないのですが、単なる「打楽器の多い曲」という印象で、期待したスリリングな「協奏曲」とはちょっと違いました。またやる機会があれば、是非聴きたいと思います。

後半戦は、管楽器のトップには試練の選曲が続きます。2曲とも1928年に作曲、初演されたという「繋がり」がミソ。「パリのアメリカ人」の実演は5年ぶりに聴きますが、管楽器のソロが粒ぞろいで驚きました。日本のオケで、ソロの妙技に感心する日が来ようとは。マテウスの指揮も全体を見通したもので、散漫になりがちなこの曲の流れを上手くまとめていました。ただし、ジャジーなスイング感はイマイチ。ラテンの人がジャズも得意とは限りません。

「ボレロ」の実演を聴くのはさらに久々で、7年ぶりでした。「ボレロ」が入っていると名曲寄せ集めプログラムになってしまうことが多いから、あえて避けてきた結果とも言えます。ここでも管のソロはそれぞれ敢闘賞をあげたいくらいのがんばりで(まあ、トロンボーンがちょっとコケたのはご愛嬌)、世界の一流オケが安全運転で演奏するよりも、かえって熱気があり良かったのではと思います。マテウスはこの曲でも若さに似合わぬ老獪さを発揮し、クレッシェンドを適切にコントロール。バランス感覚に優れている指揮者と思いました。このエル・システマの新星は、あくまで明るいラテン系のキャラですが、実力は本物だと確信しました。今後の活躍に期待です。

カスプシク/読響/クレーメル(vn):超爆演系タコ4と、円熟のヴァインベルク2017/09/06 23:59

2017.09.06 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Jacek Kaspszyk / 読売日本交響楽団
Gidon Kremer (vn-1)
1. ヴァインベルク: ヴァイオリン協奏曲 ト短調 作品67(日本初演)
2. ショスタコーヴィチ: 交響曲第4番 ハ短調 作品43

5日前に続き、クレーメル客演の第2弾です。前回のグラスに続き、今日のヴァインベルクも日本初演曲ということで、硬派なプログラムに敬意を表します。ヴァインベルクはポーランド生まれのユダヤ人で、ナチスから逃れてソ連に亡命し、そのソ連でもジダーノフ批判の流れで弾圧されたという波乱の人生を送った人ですが、正直、今まで名前すら意識して記憶にとどめたことがなかった作曲家でした。もちろんこのヴァイオリン協奏曲も初めて聴く曲でしたが、それでもクレーメルの凄みは十分に伝わってきました。齢70歳にして、パガニーニとチャイコフスキーの両国際コンクールを制したその技巧は衰えず、それでいて、円熟味溢れるというのか、深い奥行きを感じさせる豊かな表現力。うーむ、もっと至近距離で聴きたかった。カスプシクは相変わらずオケをよく鳴らすも、重心の低い音作りに終始し、ソリストとのバランスが完璧に保たれている、何と上手い指揮者かと感心しました。アンコールは同じくヴァインベルクのプレリュードから2曲。音と音の間の「間」が独特の雰囲気を出している静かな曲で、俳句のようだと感じました。

さてメインのタコ4ですが、前に実演を聴いたのは7年前のネルソンス/バーミンガム市立響でした。その時は音響の洪水に圧倒されましたが、本日のカスプシク/読響も負けず劣らずの超爆音系。ホルン8、フルート4、ピッコロ2といった、元々まるでマーラーのような大編成シンフォニーではありますが、こういう曲をやると日本のオケはたいがい途中で息切れするところ、最後まで鳴らし切った引率力はたいしたものです。打楽器もパワー全開で、特にセカンドティンパニはヘッドが破れないか心配になるくらいの爆叩き。一方で、ブラスは全般に頑張っていた中、ホルンのトップにいつものキレがなかったのはちょっと残念。全体を通しては、この曲のメタリックな肌触りを生々しく表出させた、非常に尖った演奏と言えるでしょう。ショスタコの最高傑作と称える人も多い、ということのも、こういう切実な演奏を聴くと大いに納得できます。