ロンドンフィル/マッツォーラ:似て非なる、イタリアとスペインの夜の音楽 ― 2013/02/09 23:59

2013.02.09 Royal Festival Hall (London)
Enrique Mazzola / London Philharmonic Orchestra
Javier Perianes (piano-2), Maria Luigia Borsi (soprano-3)
1. Respighi: Fontane di Roma
2. Falla: Noches en los Jardines de España
3. Respighi: Il Tramonto (The Sunset) for mezzo-soprano & strings
4. Ravel: Pavane pour une infante défunte
5. Ravel: Rapsodie espagnole
去年のイースターにグラナダのファリャの家を訪れた後、ファリャの音楽を無性に聴きたくなって買ったチケットです。ずいぶんと時間が経ってしまって、待たされた気分。それによく見ると、スペインの曲と言えるのは2曲しかなくてしかもその一つはラヴェルですが。
今日がロンドンフィルデビューのエンリケ・マッツォーラは1968年スペインはバルセロナ生まれですが、イタリア人のようです。本人の公式HPにはスペイン生まれとしか書いてないし、Wikipediaにはスペイン人指揮者とありましたが、当日のプログラムではイタリア人と書いてあり、本人が演奏前のトークで「自分はイタリア人だ」とはっきり言ってたので、人種的にはイタリア人で間違いないんでしょう。実際、つるっぱげ頭ながらこだわりの赤ブチ眼鏡に、垢抜けたシャツを途中で着替えたりして、伊達男ぶりはイタリア人ですね。
まずは「ローマの噴水」でスタート。一聴してわかったのは、この人はオケの交通整理が上手く、繊細さを犠牲にしても各楽器を際立たせ、すっきりと見通しの良い音楽作りをする人だなあということ。今回の選曲は夜を思わせる曲ばかり並んでいるので(少なくとも昼の陽射しが似合う曲は一つもない)、この一貫した透明感はどれにもよくマッチしていました。反面、特に「トレヴィの泉」あたりだと弱い金管と相まってスケール感の欠如が如実に。大仰な音楽作りはキャラクターに合わないのかもしれません。
「スペインの庭の夜」は、いかにもスペインっぽいメロディ満載の印象主義的な曲。特に1曲目のアルハンブラ宮殿離宮ヘネラリフェは、極彩色の花壇と品の良い噴水の情景を思い出して、ノスタルジーを誘いました。協奏曲的でありながらピアノは終始控えめで、ペリアネスの力量はよくわからんかったというのが正直なところ。アンコールでもファリャのピアノ小曲を弾いてましたが、国外ではスペインもののスペシャリストとして振る舞わなければならないのでかえって窮屈なのかも。逆にスペイン国内ではベートーヴェンとか堂々と弾いてたりして、そっちのほうが面白いかもしれません。
休憩後、レスピーギの歌曲「黄昏」は、ソプラノのマリア・ルイギア・ボルシには音域があまり合わないのか、黄昏というより夜の帳が下り切ったようなローテンション。初めて聴く曲でしたし、ボケッとしている間に終わってしまった感じです、すいません。この人本職はオペラ歌手のようなので、個性的なお顔立ちもあって、是非オペラで聴いてみたいものです。
残りはラヴェルが2曲。「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、冒頭のホルンにもうちょっと味があればなお良かったと思いますが、音をきっちりと整理し、全体的に透明度の高いハーモニーが心地よい、なかなかの名演でした。「スペイン狂詩曲」は大管弦楽ながらもうるさい部分はちょっとしかなく、効率の悪い曲ですが、ここに至るまで抑えに抑えて溜め込んだエネルギーを最後に開放させ、オケが自発的に鳴りまくるままにしていました。今日のプログラムで派手にジャンと終わるのはこの曲だけだったので、ここまでちょっと醒めていた聴衆もようやく盛り上がって、やんやの大喝采に終わりました。
本日はセカンドヴァイオリンのトップにゲストプリンシパルとして船津たかねさんが座っていました。一昨年フィルハーモニア管で見て以来です。しかしそれよりも今日一番驚いたのは、ホルンにLSOトップのデヴィッド・パイアットが座っていたこと。プログラムを見ると確かに彼の名前が2番目のプリンシパルとして書かれてありました。道理で最近バービカンでは見かけないなと思っていたら、いつのまに移籍したのかなー。でも後でLSOのサイトを見てみたらまだ彼の名前も残ってたりして、本当にごく最近移ったんでしょうかね。今日の演奏でもホルンが弱いと思った「ローマの噴水」と「パヴァーヌ」は、パイアットは降り番でした。今後のLPOブラスセクションは大いに期待ができるかもしれません。
Enrique Mazzola / London Philharmonic Orchestra
Javier Perianes (piano-2), Maria Luigia Borsi (soprano-3)
1. Respighi: Fontane di Roma
2. Falla: Noches en los Jardines de España
3. Respighi: Il Tramonto (The Sunset) for mezzo-soprano & strings
4. Ravel: Pavane pour une infante défunte
5. Ravel: Rapsodie espagnole
去年のイースターにグラナダのファリャの家を訪れた後、ファリャの音楽を無性に聴きたくなって買ったチケットです。ずいぶんと時間が経ってしまって、待たされた気分。それによく見ると、スペインの曲と言えるのは2曲しかなくてしかもその一つはラヴェルですが。
今日がロンドンフィルデビューのエンリケ・マッツォーラは1968年スペインはバルセロナ生まれですが、イタリア人のようです。本人の公式HPにはスペイン生まれとしか書いてないし、Wikipediaにはスペイン人指揮者とありましたが、当日のプログラムではイタリア人と書いてあり、本人が演奏前のトークで「自分はイタリア人だ」とはっきり言ってたので、人種的にはイタリア人で間違いないんでしょう。実際、つるっぱげ頭ながらこだわりの赤ブチ眼鏡に、垢抜けたシャツを途中で着替えたりして、伊達男ぶりはイタリア人ですね。
まずは「ローマの噴水」でスタート。一聴してわかったのは、この人はオケの交通整理が上手く、繊細さを犠牲にしても各楽器を際立たせ、すっきりと見通しの良い音楽作りをする人だなあということ。今回の選曲は夜を思わせる曲ばかり並んでいるので(少なくとも昼の陽射しが似合う曲は一つもない)、この一貫した透明感はどれにもよくマッチしていました。反面、特に「トレヴィの泉」あたりだと弱い金管と相まってスケール感の欠如が如実に。大仰な音楽作りはキャラクターに合わないのかもしれません。
「スペインの庭の夜」は、いかにもスペインっぽいメロディ満載の印象主義的な曲。特に1曲目のアルハンブラ宮殿離宮ヘネラリフェは、極彩色の花壇と品の良い噴水の情景を思い出して、ノスタルジーを誘いました。協奏曲的でありながらピアノは終始控えめで、ペリアネスの力量はよくわからんかったというのが正直なところ。アンコールでもファリャのピアノ小曲を弾いてましたが、国外ではスペインもののスペシャリストとして振る舞わなければならないのでかえって窮屈なのかも。逆にスペイン国内ではベートーヴェンとか堂々と弾いてたりして、そっちのほうが面白いかもしれません。
休憩後、レスピーギの歌曲「黄昏」は、ソプラノのマリア・ルイギア・ボルシには音域があまり合わないのか、黄昏というより夜の帳が下り切ったようなローテンション。初めて聴く曲でしたし、ボケッとしている間に終わってしまった感じです、すいません。この人本職はオペラ歌手のようなので、個性的なお顔立ちもあって、是非オペラで聴いてみたいものです。
残りはラヴェルが2曲。「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、冒頭のホルンにもうちょっと味があればなお良かったと思いますが、音をきっちりと整理し、全体的に透明度の高いハーモニーが心地よい、なかなかの名演でした。「スペイン狂詩曲」は大管弦楽ながらもうるさい部分はちょっとしかなく、効率の悪い曲ですが、ここに至るまで抑えに抑えて溜め込んだエネルギーを最後に開放させ、オケが自発的に鳴りまくるままにしていました。今日のプログラムで派手にジャンと終わるのはこの曲だけだったので、ここまでちょっと醒めていた聴衆もようやく盛り上がって、やんやの大喝采に終わりました。
本日はセカンドヴァイオリンのトップにゲストプリンシパルとして船津たかねさんが座っていました。一昨年フィルハーモニア管で見て以来です。しかしそれよりも今日一番驚いたのは、ホルンにLSOトップのデヴィッド・パイアットが座っていたこと。プログラムを見ると確かに彼の名前が2番目のプリンシパルとして書かれてありました。道理で最近バービカンでは見かけないなと思っていたら、いつのまに移籍したのかなー。でも後でLSOのサイトを見てみたらまだ彼の名前も残ってたりして、本当にごく最近移ったんでしょうかね。今日の演奏でもホルンが弱いと思った「ローマの噴水」と「パヴァーヌ」は、パイアットは降り番でした。今後のLPOブラスセクションは大いに期待ができるかもしれません。
LPO/ユロフスキ:ホロコーストと、「運命」と ― 2012/11/28 23:59
2012.11.28 Royal Festival Hall (London)
Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra
Annabel Arden (director)
Robert Hayward (reciter-2, narrator-3)
Omar Ebrahim (Fučík-4)
Malcolm Sinclair (voice-4)
Gentlemen of the London Philharmonic Choir
1. Beethoven: Overture, Fidelio
2. Schoenberg: Ode to Napoleon Bonaparte, Op. 41
3. Schoenberg: A Survivor from Warsaw, Op. 46
4. Nono: Julius Fučík (UK premiere)
5. Beethoven: Symphony No. 5 in C minor
先の五嶋みどりと同じくベートーヴェンと20世紀モノの組み合わせですが、こちらはあからさまにコンセプチュアルです。政治犯の解放がテーマの「フィデリオ」、ナチスから逃れてアメリカに亡命したシェーンベルク、著名なジャーナリストにしてホロコーストの犠牲者であるフーチク、最後は言わずと知れた「運命」。まず最初にユロフスキがマイクを取り、コンセプトの説明がありました。プログラムの5曲を通して一つのメッセージとして聴いて欲しいことと、どんな逆境にあろうとも不滅なものは人間の魂、というような話でした。
言い訳にはなりませんが、寝不足だったため前半はもう眠くてしょうがなく、「フィデリオ」はよく知っている曲と油断してたらほとんど沈没してしまいました。次の「ナポレオンへの頌歌」はイギリスの詩人バイロンが独裁者ナポレオンを批判するために書いた詩がテキストになっており、1942年という作曲年から見ても当然ヒトラー批判の暗喩となっています。朗読のヘイワードはれっきとしたバリトン歌手ですが、シュプレヒシュティンメも上手い。曲が曲だけに途中眠気を誘いましたが、この膨大なテキストにひたすら熱弁をふるう姿が強く印象に残りました。
前半最後の「ワルシャワの生き残り」も、タイトルは有名ながら実は初めて聴く曲です。ホロコーストから生還した男の体験を綴ったもので、ナレーション(と言っても音楽に合わせたシュプレヒシュティンメ)は引き続きヘイワードが担当しました。大編成オケに男性合唱が加わり、短い曲ながらもインパクトは大。12音技法特有の突き放した感じはなく、不協和音、無調音楽の中にも感情が溢れていて、かえって聴き易い。現代モノがあまり得意とは思えないロンドンフィルですが、今日は集中力の高い演奏で最後をきっちり決め、大喝采を受けていました。
後半のノーノ「ユリウス・フチーク」は、チェコスロヴァキアの指導的共産主義者ジャーナリストであったフチークがユダヤ人収容所で書き残した手記がテキストです。1951年に構想された際は完成を見ず、結局オーケストラの部分だけ「管弦楽のための作品第1」として発表されましたが、作曲者の死後16年経った2006年に、ようやく朗読付きのオリジナルの姿が復元され、初演されました。休憩時間中にスクリーンでフチークの写真とプロファイルが紹介され、場内の照明を落として演奏が始まると、さっきのシェーンベルクよりもさらに激しい金管の咆哮に、打ち鳴らされる打楽器群。看守の怒鳴り声が響く中、舞台下を駆け抜けたフチークはすぐに捕らえられるとピアノ椅子に座らされます。スポットライトの強い光で顔を照らされて、シルエットがいつのまにか収容所の殺風景な写真に代わっているスクリーンに大写しになり、異常な圧迫感を与えます。音楽に加えてこういった演出の効果も重要なポイントでした。スクリーンに映し出された、家族へ宛てた最後の手記に「ベートーヴェンの主題で示される歓喜は決して奪われることはない」というような記述があり、なるほどそういう繋がりかと膝を打つ間もなく、間髪いれずに「ジャジャジャジャーン」と「運命の動機」。
だがちょっと待て。ベートーヴェンの歓喜の主題と言えば、どう考えても「第九」なのでは。まあ、交響曲第5番を「運命」と呼ぶのはほとんど日本だけだそうですが、このモチーフは少なくとも歓喜を表しているようには思えないので、ちょっとコジツケを感じてしまいました。ともかく、非常に速いテンポで曲が進み、フレージングが上滑り気味で、意図してのことかどうか、正に何かに急き立てられる感じです。第2楽章では打って変わってノンビブラートのヴィオラ、チェロがゆったりと澄んだ響きを奏で、その後は比較的素直な「運命」でした。超難曲揃いの今回のプログラムで、最後にやり慣れた「運命」が来ると一気に気が抜けそうなものですが、今日のロンドンフィルはそういうこともなく最後まで高い密度を保っていたのが立派です。ただ、こういったコンセプトものに組み入れられた「運命」は、何か型に嵌められてしまった窮屈さをちょっと感じてしまったのも事実。本来は、人類の罪とか何とかを超越し、心を無にしてひたむきに聴くだけで十分に心打たれる音楽なので、意図的な色付けはかえって邪魔な場合もあります。
Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra
Annabel Arden (director)
Robert Hayward (reciter-2, narrator-3)
Omar Ebrahim (Fučík-4)
Malcolm Sinclair (voice-4)
Gentlemen of the London Philharmonic Choir
1. Beethoven: Overture, Fidelio
2. Schoenberg: Ode to Napoleon Bonaparte, Op. 41
3. Schoenberg: A Survivor from Warsaw, Op. 46
4. Nono: Julius Fučík (UK premiere)
5. Beethoven: Symphony No. 5 in C minor
先の五嶋みどりと同じくベートーヴェンと20世紀モノの組み合わせですが、こちらはあからさまにコンセプチュアルです。政治犯の解放がテーマの「フィデリオ」、ナチスから逃れてアメリカに亡命したシェーンベルク、著名なジャーナリストにしてホロコーストの犠牲者であるフーチク、最後は言わずと知れた「運命」。まず最初にユロフスキがマイクを取り、コンセプトの説明がありました。プログラムの5曲を通して一つのメッセージとして聴いて欲しいことと、どんな逆境にあろうとも不滅なものは人間の魂、というような話でした。
言い訳にはなりませんが、寝不足だったため前半はもう眠くてしょうがなく、「フィデリオ」はよく知っている曲と油断してたらほとんど沈没してしまいました。次の「ナポレオンへの頌歌」はイギリスの詩人バイロンが独裁者ナポレオンを批判するために書いた詩がテキストになっており、1942年という作曲年から見ても当然ヒトラー批判の暗喩となっています。朗読のヘイワードはれっきとしたバリトン歌手ですが、シュプレヒシュティンメも上手い。曲が曲だけに途中眠気を誘いましたが、この膨大なテキストにひたすら熱弁をふるう姿が強く印象に残りました。
前半最後の「ワルシャワの生き残り」も、タイトルは有名ながら実は初めて聴く曲です。ホロコーストから生還した男の体験を綴ったもので、ナレーション(と言っても音楽に合わせたシュプレヒシュティンメ)は引き続きヘイワードが担当しました。大編成オケに男性合唱が加わり、短い曲ながらもインパクトは大。12音技法特有の突き放した感じはなく、不協和音、無調音楽の中にも感情が溢れていて、かえって聴き易い。現代モノがあまり得意とは思えないロンドンフィルですが、今日は集中力の高い演奏で最後をきっちり決め、大喝采を受けていました。
後半のノーノ「ユリウス・フチーク」は、チェコスロヴァキアの指導的共産主義者ジャーナリストであったフチークがユダヤ人収容所で書き残した手記がテキストです。1951年に構想された際は完成を見ず、結局オーケストラの部分だけ「管弦楽のための作品第1」として発表されましたが、作曲者の死後16年経った2006年に、ようやく朗読付きのオリジナルの姿が復元され、初演されました。休憩時間中にスクリーンでフチークの写真とプロファイルが紹介され、場内の照明を落として演奏が始まると、さっきのシェーンベルクよりもさらに激しい金管の咆哮に、打ち鳴らされる打楽器群。看守の怒鳴り声が響く中、舞台下を駆け抜けたフチークはすぐに捕らえられるとピアノ椅子に座らされます。スポットライトの強い光で顔を照らされて、シルエットがいつのまにか収容所の殺風景な写真に代わっているスクリーンに大写しになり、異常な圧迫感を与えます。音楽に加えてこういった演出の効果も重要なポイントでした。スクリーンに映し出された、家族へ宛てた最後の手記に「ベートーヴェンの主題で示される歓喜は決して奪われることはない」というような記述があり、なるほどそういう繋がりかと膝を打つ間もなく、間髪いれずに「ジャジャジャジャーン」と「運命の動機」。
だがちょっと待て。ベートーヴェンの歓喜の主題と言えば、どう考えても「第九」なのでは。まあ、交響曲第5番を「運命」と呼ぶのはほとんど日本だけだそうですが、このモチーフは少なくとも歓喜を表しているようには思えないので、ちょっとコジツケを感じてしまいました。ともかく、非常に速いテンポで曲が進み、フレージングが上滑り気味で、意図してのことかどうか、正に何かに急き立てられる感じです。第2楽章では打って変わってノンビブラートのヴィオラ、チェロがゆったりと澄んだ響きを奏で、その後は比較的素直な「運命」でした。超難曲揃いの今回のプログラムで、最後にやり慣れた「運命」が来ると一気に気が抜けそうなものですが、今日のロンドンフィルはそういうこともなく最後まで高い密度を保っていたのが立派です。ただ、こういったコンセプトものに組み入れられた「運命」は、何か型に嵌められてしまった窮屈さをちょっと感じてしまったのも事実。本来は、人類の罪とか何とかを超越し、心を無にしてひたむきに聴くだけで十分に心打たれる音楽なので、意図的な色付けはかえって邪魔な場合もあります。
LPO/N.ヤルヴィ/ギルトバーグ(p):My Lonely Valentine ― 2012/02/14 23:59
2012.02.14 Royal Festival Hall (London)
Neeme Järvi / London Philharmonic Orchestra
Boris Giltburg (P-1)
1. Rachmaninov: Piano Concerto No. 2
2. Kreisler (arr. Rachmaninov, orch. Leytush): Liebesleid (European premiere)
3. Rachmaninov: Symphony No. 2
妻娘が揃って風邪でダウン、おっさん一人で「バレンタインコンサート」に行くことになってしまいました。このベタベタにロマンチックな選曲、やはり客層は若い人、いかにも普段演奏会には行かなさそうな人が多かったです。楽章が終わるごとに拍手する人々、演奏中にカツカツとハイヒールの音を立てつつ外に出て行く女性、演奏中にボリボリ物を食べるガキなど…。
1曲目は超メジャーなピアノ協奏曲第2番、ライブで聴くのはすごく久しぶりです。6年前聴いたときのソリスト、ラン・ランは今週末バービカンにやってきますが、それはさておき。ボリス・ギルトバーグは今年28歳になるユダヤ系ロシア人の若手ピアニスト。昨年のチャイコフスキーコンクールに出たもののラウンド2に残れなかったようです。風邪でもひいているのか、右の鼻穴にティッシュを詰めて出てきました。別段どうということはないピアノだったので、論評に困ります。どうも音があまり澄んでない(はっきり言うと濁っている)ように聴こえるのは、ピアノの調律のせいかもしれないし、私の耳がおかしいのかもしれませんが、よく観察していると細かいミスタッチが多く、しかも後半になるほど増えていってました。まあ、本当に体調は悪かったのかも。ヤルヴィお父ちゃんは初めて聴きますが、巨匠の風格溢れる体格の通り、低音を効かせて堂々とした進行です。ニュアンスというものは薄く、その代わりに弦の音は磨き上げられ、弦と木管のハーモニーが実に美しく溶け合っていました。こういうのは厳格なリハーサルとベテランのワザがあってこその結果ですよね。ただし、一番重要なはずのクラリネットは、音は綺麗なんですが木で鼻をくくったような何とも味のないソロで、私は感心しませんでした。
1楽章が終わったところで大量のレイトカマーを入れたため、この人達がどやどやといつまでも騒々しく、ヤルヴィもいったん指揮を始めようとしたもののあまりにうるさくて断念し、結局ノイズが収まるまで長い時間仏頂面で待っていました。せっかくのテンションに水を注されたかっこうで、これは会場のマネージメントが悪いです。
続くクライスラーの「愛の悲しみ」は、欧州初演というふれこみでプログラムにクレジットされていたものの、これは本来ならアンコールという取り扱いですよね。拍手がほとんど消えかかっていたにもかかわらず、ボリス君はもう1曲アンコールで子犬のワルツのようなコロコロとした小曲(曲名不明)を弾いてくれました。こういう軽めのアルペジオな曲のほうがこの人の本来の持ち味が生きるように思いました。
メインのラフマニノフ第2番はここ数年マイブームなので、実演の機会があればできるだけ聴きに行ってます。ここでもヤルヴィはすっきりと見通し良く音を整理しながら、ストレート、質実剛健に歩んで行きます。LPOはいつになく上手いし、リタルダンドやポルタメントはきっちりやってますが、情緒こもったロマンチックにはなり切れない歯がゆさがありました。あまりスケール感はなく、意外と小さくまとまっている印象です。1楽章ラストのティンパニの一撃は無し。ヤルヴィは打楽器奏者出身なのでガツンとやってくれるかと期待したのですが。
ロマンチックの極み、第3楽章ではまたしてもクラリネットが「木偶の坊」(「マグロ」と書いて、下品なのでやめました。って、結局書いてますが)。ここまで徹底しているということは、これは指揮者の解釈か、奏者のこだわりなんでしょう。終楽章は金管打楽器を思いっきり解放し、熱く盛り上げて行きました。なかなか上手いドライブで、LPOもハマるとここまで馬力が持続するんだ、と見直しました。だいぶ遅い時間だったので終楽章の途中で帰る人もいれば、少なからぬ人が終演と同時に席を立ちましたが、拍手はけっこう盛り上がっていました。私もコーダの迫力と疾走感は、ヤルヴィの統率力に感心しました。
大勢の人がすでに帰った中、トドメのアンコールはもちろん「ヴォカリーズ」でロマンチックに閉めました。時刻はすでに夜10時、長い演奏会でした。何となく物足りなくて、昨年のBBC響/山田和樹の演奏会録音(膝上ではありません、BBC Radio 3から)をiPodで聴きつつ帰りましたが、艶やかな音の膨らみ、情感溢れる弦の旋律、切々と歌うクラリネット、やっぱこの曲はええわー。これは悪いけど正直、BBC響の圧勝でした。
Neeme Järvi / London Philharmonic Orchestra
Boris Giltburg (P-1)
1. Rachmaninov: Piano Concerto No. 2
2. Kreisler (arr. Rachmaninov, orch. Leytush): Liebesleid (European premiere)
3. Rachmaninov: Symphony No. 2
妻娘が揃って風邪でダウン、おっさん一人で「バレンタインコンサート」に行くことになってしまいました。このベタベタにロマンチックな選曲、やはり客層は若い人、いかにも普段演奏会には行かなさそうな人が多かったです。楽章が終わるごとに拍手する人々、演奏中にカツカツとハイヒールの音を立てつつ外に出て行く女性、演奏中にボリボリ物を食べるガキなど…。
1曲目は超メジャーなピアノ協奏曲第2番、ライブで聴くのはすごく久しぶりです。6年前聴いたときのソリスト、ラン・ランは今週末バービカンにやってきますが、それはさておき。ボリス・ギルトバーグは今年28歳になるユダヤ系ロシア人の若手ピアニスト。昨年のチャイコフスキーコンクールに出たもののラウンド2に残れなかったようです。風邪でもひいているのか、右の鼻穴にティッシュを詰めて出てきました。別段どうということはないピアノだったので、論評に困ります。どうも音があまり澄んでない(はっきり言うと濁っている)ように聴こえるのは、ピアノの調律のせいかもしれないし、私の耳がおかしいのかもしれませんが、よく観察していると細かいミスタッチが多く、しかも後半になるほど増えていってました。まあ、本当に体調は悪かったのかも。ヤルヴィお父ちゃんは初めて聴きますが、巨匠の風格溢れる体格の通り、低音を効かせて堂々とした進行です。ニュアンスというものは薄く、その代わりに弦の音は磨き上げられ、弦と木管のハーモニーが実に美しく溶け合っていました。こういうのは厳格なリハーサルとベテランのワザがあってこその結果ですよね。ただし、一番重要なはずのクラリネットは、音は綺麗なんですが木で鼻をくくったような何とも味のないソロで、私は感心しませんでした。
1楽章が終わったところで大量のレイトカマーを入れたため、この人達がどやどやといつまでも騒々しく、ヤルヴィもいったん指揮を始めようとしたもののあまりにうるさくて断念し、結局ノイズが収まるまで長い時間仏頂面で待っていました。せっかくのテンションに水を注されたかっこうで、これは会場のマネージメントが悪いです。
続くクライスラーの「愛の悲しみ」は、欧州初演というふれこみでプログラムにクレジットされていたものの、これは本来ならアンコールという取り扱いですよね。拍手がほとんど消えかかっていたにもかかわらず、ボリス君はもう1曲アンコールで子犬のワルツのようなコロコロとした小曲(曲名不明)を弾いてくれました。こういう軽めのアルペジオな曲のほうがこの人の本来の持ち味が生きるように思いました。
メインのラフマニノフ第2番はここ数年マイブームなので、実演の機会があればできるだけ聴きに行ってます。ここでもヤルヴィはすっきりと見通し良く音を整理しながら、ストレート、質実剛健に歩んで行きます。LPOはいつになく上手いし、リタルダンドやポルタメントはきっちりやってますが、情緒こもったロマンチックにはなり切れない歯がゆさがありました。あまりスケール感はなく、意外と小さくまとまっている印象です。1楽章ラストのティンパニの一撃は無し。ヤルヴィは打楽器奏者出身なのでガツンとやってくれるかと期待したのですが。
ロマンチックの極み、第3楽章ではまたしてもクラリネットが「木偶の坊」(「マグロ」と書いて、下品なのでやめました。って、結局書いてますが)。ここまで徹底しているということは、これは指揮者の解釈か、奏者のこだわりなんでしょう。終楽章は金管打楽器を思いっきり解放し、熱く盛り上げて行きました。なかなか上手いドライブで、LPOもハマるとここまで馬力が持続するんだ、と見直しました。だいぶ遅い時間だったので終楽章の途中で帰る人もいれば、少なからぬ人が終演と同時に席を立ちましたが、拍手はけっこう盛り上がっていました。私もコーダの迫力と疾走感は、ヤルヴィの統率力に感心しました。
大勢の人がすでに帰った中、トドメのアンコールはもちろん「ヴォカリーズ」でロマンチックに閉めました。時刻はすでに夜10時、長い演奏会でした。何となく物足りなくて、昨年のBBC響/山田和樹の演奏会録音(膝上ではありません、BBC Radio 3から)をiPodで聴きつつ帰りましたが、艶やかな音の膨らみ、情感溢れる弦の旋律、切々と歌うクラリネット、やっぱこの曲はええわー。これは悪いけど正直、BBC響の圧勝でした。
ロンドンフィル/ヴェデルニコフ/石坂(vc):プロコフィエフの夕べ ― 2012/01/13 23:59
2012.01.13 Royal Festival Hall (London)
Alexander Vedernikov / London Philharmonic Orchestra
Danjulo Ishizaka (Vc-2)
1. Prokofiev: Lieutenant Kijé Suite
2. Prokofiev: Cello Concerto in E minor, Op.58
3. Prokofiev: Symphony No. 7 in C sharp minor
調べてみたら、私はロンドンフィル、フィルハーモニア管、ロンドン響をちょうど1:2:3くらいの比率で聴いてるんですね。ということで、ロンドンフィルは聴きたい曲があるときだけチケット買ってます。このコンサートは、娘が以前LSOのファミリーコンサートに行った際に「キージェ中尉」をいたく気に入っていたのと(つくづく変わった子だ…)、石坂団十郎を一度聴いてみたかったので、勢いで買いました。
指揮者のヴェデルニコフは初めて聴きますが、ボリショイ劇場の音楽監督を長く勤めていたという経歴の何だか良くない面が前に出ている感じの人で、速めのテンポでさっさと進んで行くにしては音楽は一向に盛り上がらず、火力不足で煮え切らない演奏に終始していました。オケの反応もイマイチで、「キージェ中尉」の1曲目途中で急にテンポを上げてみたら早速振り落とされてしまい、こりゃいかんと指揮者が早々に「お仕事モード」に入ってしまったのは、鶏と玉子のどちらが先か、という世界ですね。ところでうちにあるこの曲のCDはバリトン独唱付きのオリジナルバージョンなので、それを聴き慣れているとオケ用編曲で低弦やサックスのソロが歌に取って代わるのは、やっぱり違和感があります。これは歌曲だったんやなあ、ということがひしひしと再認識されました。
2曲目のチェロ協奏曲は音源を持っておらず、全く初めて聴く曲でした。同時期に作曲していた「ロメオとジュリエット」のフレーズ流用がありましたが、それは些細なことで、全体的には難解な曲の部類でしょう。一回聴いたくらいではつかみ所がまるでわかりませんでした。純和風な名前ながらドイツ人ハーフの石坂団十郎は、黒ぶち眼鏡で前髪をきっちりと分け、レトロな雰囲気のハンサムボーイです。調子はちょっと悪かったのか、季節がら風邪をひいたかのようにかすれた高音が気になりました。多分上手いんだろうけど、曲がよくわからん曲だったこともあって、残念ながら心に残る「出会い」ではありませんでした。生真面目すぎるし、音に官能がありません。プロコフィエフよりも、次はバッハとかハイドンで聴いてみるべきかもと思いました。
メインの交響曲第7番も、実演で聴くのは初めて。副題の「青春」は青少年に向けて書いた曲という意味であって、涙も汗もレッツビギンもありません。「古典交響曲」ほど徹底はしてないにしても全編擬古典的で、最後はやっぱりここに戻ってくるのね、という微笑ましさを感じる楽しい曲です。こちらは途中「シンデレラ」っぽい箇所が出てきます。プロコフィエフもけっこう素材の使い回しをやってるんですね。ヴェデルニコフさん、最後までオケから火事場の馬鹿力を引き出すことは出来ず、いつものそれなりのLPOでした。燃料不足を象徴するかのように、2種類あるエンディングのうち、当然のように静かに終わるほうを選択していました。最後まで聴き通すと、このクールさ、ローカロリーさが実はこの人の持ち味だったのかと納得。私の好みには合いませんが。
Alexander Vedernikov / London Philharmonic Orchestra
Danjulo Ishizaka (Vc-2)
1. Prokofiev: Lieutenant Kijé Suite
2. Prokofiev: Cello Concerto in E minor, Op.58
3. Prokofiev: Symphony No. 7 in C sharp minor
調べてみたら、私はロンドンフィル、フィルハーモニア管、ロンドン響をちょうど1:2:3くらいの比率で聴いてるんですね。ということで、ロンドンフィルは聴きたい曲があるときだけチケット買ってます。このコンサートは、娘が以前LSOのファミリーコンサートに行った際に「キージェ中尉」をいたく気に入っていたのと(つくづく変わった子だ…)、石坂団十郎を一度聴いてみたかったので、勢いで買いました。
指揮者のヴェデルニコフは初めて聴きますが、ボリショイ劇場の音楽監督を長く勤めていたという経歴の何だか良くない面が前に出ている感じの人で、速めのテンポでさっさと進んで行くにしては音楽は一向に盛り上がらず、火力不足で煮え切らない演奏に終始していました。オケの反応もイマイチで、「キージェ中尉」の1曲目途中で急にテンポを上げてみたら早速振り落とされてしまい、こりゃいかんと指揮者が早々に「お仕事モード」に入ってしまったのは、鶏と玉子のどちらが先か、という世界ですね。ところでうちにあるこの曲のCDはバリトン独唱付きのオリジナルバージョンなので、それを聴き慣れているとオケ用編曲で低弦やサックスのソロが歌に取って代わるのは、やっぱり違和感があります。これは歌曲だったんやなあ、ということがひしひしと再認識されました。
2曲目のチェロ協奏曲は音源を持っておらず、全く初めて聴く曲でした。同時期に作曲していた「ロメオとジュリエット」のフレーズ流用がありましたが、それは些細なことで、全体的には難解な曲の部類でしょう。一回聴いたくらいではつかみ所がまるでわかりませんでした。純和風な名前ながらドイツ人ハーフの石坂団十郎は、黒ぶち眼鏡で前髪をきっちりと分け、レトロな雰囲気のハンサムボーイです。調子はちょっと悪かったのか、季節がら風邪をひいたかのようにかすれた高音が気になりました。多分上手いんだろうけど、曲がよくわからん曲だったこともあって、残念ながら心に残る「出会い」ではありませんでした。生真面目すぎるし、音に官能がありません。プロコフィエフよりも、次はバッハとかハイドンで聴いてみるべきかもと思いました。
メインの交響曲第7番も、実演で聴くのは初めて。副題の「青春」は青少年に向けて書いた曲という意味であって、涙も汗もレッツビギンもありません。「古典交響曲」ほど徹底はしてないにしても全編擬古典的で、最後はやっぱりここに戻ってくるのね、という微笑ましさを感じる楽しい曲です。こちらは途中「シンデレラ」っぽい箇所が出てきます。プロコフィエフもけっこう素材の使い回しをやってるんですね。ヴェデルニコフさん、最後までオケから火事場の馬鹿力を引き出すことは出来ず、いつものそれなりのLPOでした。燃料不足を象徴するかのように、2種類あるエンディングのうち、当然のように静かに終わるほうを選択していました。最後まで聴き通すと、このクールさ、ローカロリーさが実はこの人の持ち味だったのかと納得。私の好みには合いませんが。
LPO/ポルタル/オグデン(g):アランフェスと三角帽子 ― 2011/11/25 23:59
2011.11.25 Royal Festival Hall (London)
Eduardo Portal / London Philharmonic Orchestra
Craig Ogden (Guitar-2)
1. Antonio José: Suite from 'El mozo de mulas' (The Muleteer)
2. Rodrigo: Concierto de Aranjuez for guitar & orchestra
3. Falla: The Three-cornered Hat, Suite No. 1
4. Falla: The Three-cornered Hat, Suite No. 2
5. Mussorgsky: Pictures at an Exhibition (orch. Ravel)
連夜の演奏会。未だ時差ぼけ抜け切らぬ体調のためけっこう辛いです。今夜の目当ては「三角帽子」ほぼオンリー。昔から大好きな曲なのですが実演で聴ける機会が少ないので、目に止まれば極力聴きに行くことにしています。
1曲目はアントニオ・ホセの歌劇「らば飼いの少年」からの組曲。ホセは名前からして初めて聴く作曲家でした。Wikipediaで調べるとラヴェルやダリと親交があり、次世代のスペイン楽壇を担う逸材として期待されていたにもかかわらず、スペイン内戦に巻き込まれて何と34歳の若さで処刑されてしまったそうです。指揮者のポルタルは見た目さらに若そうなハンサムボーイで、今年LPOの副指揮者をやっているようで、やせぎすの長身と鬼のような形相から巧みな棒さばきでオケをリードする、と思いきや、オケの反応がイマイチ。慣れない曲なので練習不足なんでしょうか。
気を取り直して2曲目は、第2楽章だけ超有名な「アランフェス協奏曲」。独奏は、名前だけは聞いたことがある人気ギタリスト、クレイグ・オグデン。この演奏会、最終的にはほぼ満員だったのですが、なるほど理由がわかりました(オグデンが出ると知らずにチケット買いました)。オケは中編成ながら音を刈り込んだ室内楽的アプローチだったので、脇の席でしたがギターはよく聴こえました。しゃらんしゃらんとメタリックな音は華やかでいいな、コールアングレのソロはいい音でがんばってるな、などと考えながら、意識は睡魔に飲まれていってました。すいません。
待望の「三角帽子」は小気味よいティンパニのリズムで景気よく始まりました。指揮者はオケに「スペインの旋律」を歌わせ、「スペインのリズム」を刻ませるべく孤軍奮闘し、オケ側もできる限りこの若者のリードに応えようと温かく接していたように見えましたが、どうもギクシャクしていたのはリハ不足と指揮者の経験不足なんでしょう。第1組曲の「粉屋の女房の踊り」で極端に粘ったファンダンゴのリズムに最初は「おおっ」と思わせたものの、フレーズを繰り返すに従い粘りは薄れていき、やりたいことはわかるがとにかくオケが着いていってない印象でした。他にも、第1組曲が終わったところで間をおいたので拍手が起き、一旦オケを立たせるような素振りを見せたのに誰も立たなかったり(そりゃそうだ、と思いました)、チグハグなことをやっていたのがいかにも手慣れていない感じで、初々しいやら、痛々しいやら。終曲のラスト、盛大なカスタネットに続く最後の一撃も前のめりで終わってしまって、だいぶ消化不良感が残りました。
ここでようやく休憩。短い曲が多いとは言え、前半にちょっと詰め込みすぎではないかなあ。休憩後の「展覧会の絵」は、バスク系のラヴェル編曲ということで辛うじてスペイン繋がりのプログラムと言えますが、やっぱりちょっと無理がある。これをやめて、むしろ「三角帽子」を全曲版でやったほうがすっきりとしたプログラムになったのではないかと。それはともかく、この「展覧会」でもギクシャク感は消えず、どうにも思い切りの悪い演奏になっていました。やっぱり慣れの問題でしょうか、曲の間にいちいち休止を入れるから、この季節はすかさず咳のオンパレードになってしまい、間合いも開くし、集中力が殺がれる結果になります。棒振りそのものは長身もあってずいぶんとさまになっているので、後は何とか場数を踏んで、先発投手が「試合を作る」技量をもっと磨いてくれれば、ですかなー。
Eduardo Portal / London Philharmonic Orchestra
Craig Ogden (Guitar-2)
1. Antonio José: Suite from 'El mozo de mulas' (The Muleteer)
2. Rodrigo: Concierto de Aranjuez for guitar & orchestra
3. Falla: The Three-cornered Hat, Suite No. 1
4. Falla: The Three-cornered Hat, Suite No. 2
5. Mussorgsky: Pictures at an Exhibition (orch. Ravel)
連夜の演奏会。未だ時差ぼけ抜け切らぬ体調のためけっこう辛いです。今夜の目当ては「三角帽子」ほぼオンリー。昔から大好きな曲なのですが実演で聴ける機会が少ないので、目に止まれば極力聴きに行くことにしています。
1曲目はアントニオ・ホセの歌劇「らば飼いの少年」からの組曲。ホセは名前からして初めて聴く作曲家でした。Wikipediaで調べるとラヴェルやダリと親交があり、次世代のスペイン楽壇を担う逸材として期待されていたにもかかわらず、スペイン内戦に巻き込まれて何と34歳の若さで処刑されてしまったそうです。指揮者のポルタルは見た目さらに若そうなハンサムボーイで、今年LPOの副指揮者をやっているようで、やせぎすの長身と鬼のような形相から巧みな棒さばきでオケをリードする、と思いきや、オケの反応がイマイチ。慣れない曲なので練習不足なんでしょうか。
気を取り直して2曲目は、第2楽章だけ超有名な「アランフェス協奏曲」。独奏は、名前だけは聞いたことがある人気ギタリスト、クレイグ・オグデン。この演奏会、最終的にはほぼ満員だったのですが、なるほど理由がわかりました(オグデンが出ると知らずにチケット買いました)。オケは中編成ながら音を刈り込んだ室内楽的アプローチだったので、脇の席でしたがギターはよく聴こえました。しゃらんしゃらんとメタリックな音は華やかでいいな、コールアングレのソロはいい音でがんばってるな、などと考えながら、意識は睡魔に飲まれていってました。すいません。
待望の「三角帽子」は小気味よいティンパニのリズムで景気よく始まりました。指揮者はオケに「スペインの旋律」を歌わせ、「スペインのリズム」を刻ませるべく孤軍奮闘し、オケ側もできる限りこの若者のリードに応えようと温かく接していたように見えましたが、どうもギクシャクしていたのはリハ不足と指揮者の経験不足なんでしょう。第1組曲の「粉屋の女房の踊り」で極端に粘ったファンダンゴのリズムに最初は「おおっ」と思わせたものの、フレーズを繰り返すに従い粘りは薄れていき、やりたいことはわかるがとにかくオケが着いていってない印象でした。他にも、第1組曲が終わったところで間をおいたので拍手が起き、一旦オケを立たせるような素振りを見せたのに誰も立たなかったり(そりゃそうだ、と思いました)、チグハグなことをやっていたのがいかにも手慣れていない感じで、初々しいやら、痛々しいやら。終曲のラスト、盛大なカスタネットに続く最後の一撃も前のめりで終わってしまって、だいぶ消化不良感が残りました。
ここでようやく休憩。短い曲が多いとは言え、前半にちょっと詰め込みすぎではないかなあ。休憩後の「展覧会の絵」は、バスク系のラヴェル編曲ということで辛うじてスペイン繋がりのプログラムと言えますが、やっぱりちょっと無理がある。これをやめて、むしろ「三角帽子」を全曲版でやったほうがすっきりとしたプログラムになったのではないかと。それはともかく、この「展覧会」でもギクシャク感は消えず、どうにも思い切りの悪い演奏になっていました。やっぱり慣れの問題でしょうか、曲の間にいちいち休止を入れるから、この季節はすかさず咳のオンパレードになってしまい、間合いも開くし、集中力が殺がれる結果になります。棒振りそのものは長身もあってずいぶんとさまになっているので、後は何とか場数を踏んで、先発投手が「試合を作る」技量をもっと磨いてくれれば、ですかなー。
ロンドンフィル:ファンハーモニクス・ファミリーコンサート「チック・タック」 ― 2011/05/15 17:00

2011.05.15 Royal Festival Hall (London)
FUNharmonics family concert "Tick Tock"
Stuart Stratford / London Philharmonic Orchestra
Chris Jarvis (Presenter)
1. Kodály: The Viennese Musical Clock from 'Háry János' Suite
2. Prokofiev: Waltz and Midnight from 'Cinderella' Suite No. 1
3. Haydn: Symphony No. 101 (The Clock): 2nd movement
4. McNeff: Suite for Orchestra from the opera 'Clockwork'
5. Beethoven: Symphony No. 8: 2nd movement
6. Grainer/Gold: Doctor Who Theme (arr. McEwan)
7. Johann Strauss II: Perpetuum mobile
8. Ponchielli: Dance of the Hours from 'La Gioconda'
久々のファミリーコンサート。ロンドンフィルのはこれで2回目です。娘はもう大人の演奏会に普通に連れて行ってますし、ファミリーコンサートの子供向けイベントにも興味がなくなってきた様子なので、もう卒業してもよいかと思っていましたが、今回は選曲がなかなか面白かったので、これを最後のつもりで行ってみました。
会場はほぼ満員。子供の年齢層は乳児から小学校低学年までが多いです。もちろんほとんどの子供は1時間の演奏会にじっとしていられるはずもなく、立ったり座ったり終始落ち着かない子供、途中でトレイに行きたいとせがむ子供、子供用クッションをバンバン叩く子供、ぐずって泣き出す子供等々、会場は絶えず騒がしいです。それは織り込み済みですが、見ていると子供をなすがままに放置している親が多く、演奏会でのマナーを子供に教える絶好の機会と捉えている人は少数派の様子。子供に少しでもクラシック音楽に興味を持ってもらう機会、という意義もありますので捉え方は人それぞれですが、イギリスのたいていの子供は知っている「ドクター・フーのテーマ」になるとみんなとたんに静かになって耳を傾けたのを見るに、クラシックリスナーの裾野を広げるにはあまり成功していないのかな、とも感じました。何にせよ、ファミリーコンサートの常連になって、あのざわざわを普通のものだと思い込んでしまう子供が大量生産されたら、その弊害がむしろ大きいんじゃないかと思ってしまいます。
オケは見る限り通常のLPOのメンバーで、演奏はたいへんしっかりしたものでした。コンマスはVesselin Gellevさんですね。この人、顔立ちからてっきりイタリア人かと思っていたら、意外にもブルガリア人でした。今日は席が遠かったので、美人奏者探しは不発に終りました。フィオナちゃんクラスの人はやっぱりそうそういませんなー。第2ヴァイオリンとパーカッションに良い感じの人を見つけましたが、もうちょっと近くで観察しないと何とも言えません。(何をしに行ってるんだか)
FUNharmonics family concert "Tick Tock"
Stuart Stratford / London Philharmonic Orchestra
Chris Jarvis (Presenter)
1. Kodály: The Viennese Musical Clock from 'Háry János' Suite
2. Prokofiev: Waltz and Midnight from 'Cinderella' Suite No. 1
3. Haydn: Symphony No. 101 (The Clock): 2nd movement
4. McNeff: Suite for Orchestra from the opera 'Clockwork'
5. Beethoven: Symphony No. 8: 2nd movement
6. Grainer/Gold: Doctor Who Theme (arr. McEwan)
7. Johann Strauss II: Perpetuum mobile
8. Ponchielli: Dance of the Hours from 'La Gioconda'
久々のファミリーコンサート。ロンドンフィルのはこれで2回目です。娘はもう大人の演奏会に普通に連れて行ってますし、ファミリーコンサートの子供向けイベントにも興味がなくなってきた様子なので、もう卒業してもよいかと思っていましたが、今回は選曲がなかなか面白かったので、これを最後のつもりで行ってみました。
会場はほぼ満員。子供の年齢層は乳児から小学校低学年までが多いです。もちろんほとんどの子供は1時間の演奏会にじっとしていられるはずもなく、立ったり座ったり終始落ち着かない子供、途中でトレイに行きたいとせがむ子供、子供用クッションをバンバン叩く子供、ぐずって泣き出す子供等々、会場は絶えず騒がしいです。それは織り込み済みですが、見ていると子供をなすがままに放置している親が多く、演奏会でのマナーを子供に教える絶好の機会と捉えている人は少数派の様子。子供に少しでもクラシック音楽に興味を持ってもらう機会、という意義もありますので捉え方は人それぞれですが、イギリスのたいていの子供は知っている「ドクター・フーのテーマ」になるとみんなとたんに静かになって耳を傾けたのを見るに、クラシックリスナーの裾野を広げるにはあまり成功していないのかな、とも感じました。何にせよ、ファミリーコンサートの常連になって、あのざわざわを普通のものだと思い込んでしまう子供が大量生産されたら、その弊害がむしろ大きいんじゃないかと思ってしまいます。
オケは見る限り通常のLPOのメンバーで、演奏はたいへんしっかりしたものでした。コンマスはVesselin Gellevさんですね。この人、顔立ちからてっきりイタリア人かと思っていたら、意外にもブルガリア人でした。今日は席が遠かったので、美人奏者探しは不発に終りました。フィオナちゃんクラスの人はやっぱりそうそういませんなー。第2ヴァイオリンとパーカッションに良い感じの人を見つけましたが、もうちょっと近くで観察しないと何とも言えません。(何をしに行ってるんだか)
ロンドンフィル/マズア/ムター(vn)/ミュラー=ショット(vc):美男美女の競演に、指揮者の仕事は? ― 2011/02/04 23:59
2011.02.04 Royal Festival Hall (London)
Kurt Masur / London Philharmonic Orchestra
Anne-Sophie Mutter (Vn-1), Daniel Müller-Schott (Vc-1)
Brahms: Double Concerto for Violin and Cello
Brahms: Symphony No. 1
ムターは昨年10月のLSOで聴くはずが仕事の都合で行けなくなり、リベンジとしてこの演奏会をチェックしていましたが、チケットはずいぶん前からほぼソールドアウト状態で、半ば諦めかけていたところ、好みのかぶりつき席ではないもののそれに準ずる好席が前日になって1枚リターンで出ているのを発見、即ポチで買いました。らっきー。
ブラームスの二重協奏曲を前回聴いたのは約6年前。そのときの独奏はケレメン・バルナバーシュとペレーニ・ミクローシュというハンガリーの超スター共演でしたが、席がオケ後方だったので独奏者がよく見えず聴こえずで、印象に残っているのは二人の後ろ姿のみ。今から思うと耳の穴をかっぽじって脳にもっとしっかりと刻み込んでおけなかったものかと悔しく思うことしきりです。
マズアはもう83歳ですか、5年前に見たときよりさらに老人さが増し、足取りが弱々しく、目もしょぼしょぼとして、左手は中風で常にブルブルと震えています。彼が何者か知らなければ、足下のおぼつかないただの後期高齢者にしか見えないでしょう。それでも指揮台に上ると40分ずっと立ったまま指揮棒も使わず腕を降り続けているのですから、たいしたものです(さすがにカクシャクとは行きませんが)。チェロのミュラー=ショットは若くてイケメン、チェロの音が伸びやかで瑞々しいです。多少音が弱いと感じるところもあったものの、正統派のテクニシャンと思います。念願の初生ムターは、鮮やかな緑のドレスに身を包み、さすがスターのオーラが出ています。ビジュアル的にはカラヤンと共演してたころとか、プレヴィンと結婚したころとかのイメージが強いので、もちろん美人には違いないのですが、すっかり中年女性になっちゃったんだなーと、しみじみ。この二重協奏曲はどちらかというとチェロの方が主役に私には聴こえるし、派手なカデンツァがあるわけでもないので、ムターを聴いたという実感がもう一つ湧いて来なかったのが正直なところです。もちろん美男美女ペアには華がありましたが、この曲のチェロとヴァイオリンは男女の愛ではなくて哲学者同士の対話のような音楽ですから、華やかなスターの競演だけでは済まない渋みがあります。それはともかく、ムターのヴァイオリンから特にハッとする音はついぞ聴かれなかったし、弾いているときの表情がずっとしかめっ面で変化に乏しく、私の好みのヴァイオリンではなかったかな。特にヴァイオリンの場合は、楽器と一緒に呼吸するような弾き方をする人が自分の好みだったんだとあらためて気付きました。当然1曲だけでうかつな判断は禁物なので、また次回聴く機会があればと思います。このコンビは来年2月にプレヴィンを加えたトリオで室内楽演奏会をやるようですね。室内楽は正直好んで聴くほうではないのですが、プレヴィンの曲(ジャズなのかな?)もやるみたいなので、要チェックですね。
メインのブラ1は前回もロンドンフィルで1年くらい前に聴いています(指揮はサラステ)。マズア爺さん、相変わらずよぼよぼと登場しましたが、衣装をブラウンから黒に着替えたもよう、実はお洒落な人なのかも。曲は普通に始まり、早めのテンポですいすいと進んで行きます。提示部の反復はあっさりと無視、あれ、前回のロンドンフィルもそうだったような。最近の演奏はみんな楽譜の繰り返し指定は律儀にやるものだと思っていたので前回も「ほー」と思った箇所でした。しかし聴き進むうち、繰り返し云々に限らずこれって前回のロンドンフィルの演奏とどこに違いが?と思い始めてきました。ブラ1は定番レパートリーですからオケのほうもそれこそ指揮者なしでも完奏可能な曲だと思いますが、それにしてもマズアならではのこだわりやゆさぶりが何も見えて来ず、実はこの指揮者、仕事をしてないんでは、との疑念が晴れないまま、結局コーダまで行き曲は終ってしまいました。これが中庸を行く王道のブラームス解釈なのかもしれませんが、前回サラステが作り上げたブラ1像に、何だかそのまま乗っかっただけのような気もしてなりません。ホルンを筆頭にオケの集中力がイマイチだった分、今回の方がなお悪いかも。両方の録音が手元にあって聴き比べできればいいんですけどねえ、それは無理ですし…。何度か拍手に応えたあと、最後はチェロトップの金髪お姉さん2人の手を握って引き上げるそぶりを見せ、なかなか好々爺ぶりを発揮していたマズアさんでした。
Kurt Masur / London Philharmonic Orchestra
Anne-Sophie Mutter (Vn-1), Daniel Müller-Schott (Vc-1)
Brahms: Double Concerto for Violin and Cello
Brahms: Symphony No. 1
ムターは昨年10月のLSOで聴くはずが仕事の都合で行けなくなり、リベンジとしてこの演奏会をチェックしていましたが、チケットはずいぶん前からほぼソールドアウト状態で、半ば諦めかけていたところ、好みのかぶりつき席ではないもののそれに準ずる好席が前日になって1枚リターンで出ているのを発見、即ポチで買いました。らっきー。
ブラームスの二重協奏曲を前回聴いたのは約6年前。そのときの独奏はケレメン・バルナバーシュとペレーニ・ミクローシュというハンガリーの超スター共演でしたが、席がオケ後方だったので独奏者がよく見えず聴こえずで、印象に残っているのは二人の後ろ姿のみ。今から思うと耳の穴をかっぽじって脳にもっとしっかりと刻み込んでおけなかったものかと悔しく思うことしきりです。
マズアはもう83歳ですか、5年前に見たときよりさらに老人さが増し、足取りが弱々しく、目もしょぼしょぼとして、左手は中風で常にブルブルと震えています。彼が何者か知らなければ、足下のおぼつかないただの後期高齢者にしか見えないでしょう。それでも指揮台に上ると40分ずっと立ったまま指揮棒も使わず腕を降り続けているのですから、たいしたものです(さすがにカクシャクとは行きませんが)。チェロのミュラー=ショットは若くてイケメン、チェロの音が伸びやかで瑞々しいです。多少音が弱いと感じるところもあったものの、正統派のテクニシャンと思います。念願の初生ムターは、鮮やかな緑のドレスに身を包み、さすがスターのオーラが出ています。ビジュアル的にはカラヤンと共演してたころとか、プレヴィンと結婚したころとかのイメージが強いので、もちろん美人には違いないのですが、すっかり中年女性になっちゃったんだなーと、しみじみ。この二重協奏曲はどちらかというとチェロの方が主役に私には聴こえるし、派手なカデンツァがあるわけでもないので、ムターを聴いたという実感がもう一つ湧いて来なかったのが正直なところです。もちろん美男美女ペアには華がありましたが、この曲のチェロとヴァイオリンは男女の愛ではなくて哲学者同士の対話のような音楽ですから、華やかなスターの競演だけでは済まない渋みがあります。それはともかく、ムターのヴァイオリンから特にハッとする音はついぞ聴かれなかったし、弾いているときの表情がずっとしかめっ面で変化に乏しく、私の好みのヴァイオリンではなかったかな。特にヴァイオリンの場合は、楽器と一緒に呼吸するような弾き方をする人が自分の好みだったんだとあらためて気付きました。当然1曲だけでうかつな判断は禁物なので、また次回聴く機会があればと思います。このコンビは来年2月にプレヴィンを加えたトリオで室内楽演奏会をやるようですね。室内楽は正直好んで聴くほうではないのですが、プレヴィンの曲(ジャズなのかな?)もやるみたいなので、要チェックですね。
メインのブラ1は前回もロンドンフィルで1年くらい前に聴いています(指揮はサラステ)。マズア爺さん、相変わらずよぼよぼと登場しましたが、衣装をブラウンから黒に着替えたもよう、実はお洒落な人なのかも。曲は普通に始まり、早めのテンポですいすいと進んで行きます。提示部の反復はあっさりと無視、あれ、前回のロンドンフィルもそうだったような。最近の演奏はみんな楽譜の繰り返し指定は律儀にやるものだと思っていたので前回も「ほー」と思った箇所でした。しかし聴き進むうち、繰り返し云々に限らずこれって前回のロンドンフィルの演奏とどこに違いが?と思い始めてきました。ブラ1は定番レパートリーですからオケのほうもそれこそ指揮者なしでも完奏可能な曲だと思いますが、それにしてもマズアならではのこだわりやゆさぶりが何も見えて来ず、実はこの指揮者、仕事をしてないんでは、との疑念が晴れないまま、結局コーダまで行き曲は終ってしまいました。これが中庸を行く王道のブラームス解釈なのかもしれませんが、前回サラステが作り上げたブラ1像に、何だかそのまま乗っかっただけのような気もしてなりません。ホルンを筆頭にオケの集中力がイマイチだった分、今回の方がなお悪いかも。両方の録音が手元にあって聴き比べできればいいんですけどねえ、それは無理ですし…。何度か拍手に応えたあと、最後はチェロトップの金髪お姉さん2人の手を握って引き上げるそぶりを見せ、なかなか好々爺ぶりを発揮していたマズアさんでした。
ロンドンフィル/ヴィルトナー/カヴァコス(vn):マーラー6番とシマノフスキ ― 2011/01/14 23:59
2011.01.14 Royal Festival Hall (London)
Johannes Wildner / London Philharmonic Orchestra
Leonidas Kavakos (Vn-1)
1. Szymanowski: Violin Concerto No. 2
2. Mahler: Symphony No. 6
昨年の生誕150年に続き、今年は没後100年のマーラーイヤー第二弾。年初からさっそくマーラーです。今日は元々ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンが指揮者のはずがドタキャン、急きょ代役としてヨハネス・ヴィルトナーが招集されました。ズヴェーデンも初めて聴くはずだったのですが、ヴィルトナーは名前からして初めて聴きます。配布されていた小チラシで経歴を見ると、オーストリア出身、ウィーンフィルでヴァイオリンを弾いていて、指揮者に転向後はずっとオペラ畑中心に地道に活動してきた人のようです。偶然でしょうが、コンセルトヘボウのコンマスだったズヴェーデンと経歴が似ていますね。
さて、登場したヴィルトナーは恰幅のよい巨漢で終始にこやか、ズヴェーデンのコワモテ(生で見ていないので私の勝手な印象ですが)からはほど遠く、明るいキャラクターのようです。1曲目はシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第2番、CDはありましたが、正直、馴染みのない曲です。カヴァコスを聴くのはこれで5回目、この人は本当にどんな難曲でも易々と弾くし、ヴァイオリンの音がでかい。Webで調べると、最近前のストラディヴァリを売って、別のストラディヴァリを買ったようですね。今度の楽器もたいへんよく鳴っています。この人のヴァイオリンは技術的にはもの凄いものだと思いますが、低弦のほうの音が終始濁っていたのがひっかかりました。ポーランド民謡を取り入れた民族派に属する曲という解釈だったのかもしれませんが、協奏曲ながらまるでソナタのように音響がすっきりと作られている曲なので、あえてワイルドさを演出する必要もないのでは。それと、この人のスタイルはけっこう朴訥というか、表情、表現というものが演奏にほとんど現れて来ないので、けっこうあっさり系です。最近聴いた中では、テツラフの役者ぶりや五嶋みどりの情念のほうが後を引き、気になってます。しかし何にせよ、カヴァコスをかぶりつきで聴けるというその体験自体、贅沢な至福の時間であることに間違いはありません。なお、オケ伴奏は手堅すぎて印象に残っていませんが、途中もうちょっとバックで盛り上げてダイナミックレンジを広く取ればいいのにと思った箇所はありました。
さてメインのマーラー。前述のチラシには、「ヴィルトナーは、交響曲第6番の楽章配置はプログラムの記載通り演奏しますが、終楽章のハンマーは2回というオプションを選択しました」というようなことがわざわざ書いてありました。プログラムを買ってないのでこれはどういうことかと推測するに、ズヴェーデンは元々ハンマーをおそらく3回(以上)叩かせる練習をしていたということになり、すると中間楽章の順は昔ながらのスケルツォ→アンダンテに違いあるまい(昨今はすっかり正統派の地位を築いたアンダンテ→スケルツォの順で演奏する人が、ハンマーを2回を超えて叩かせるのは理論上考えにくい)と結論付けましたが、果たして実際に、演奏はスケルツォ→アンダンテの順でした。
「ハンマー2回」を選択した、とあえて強調するということは、楽章の順はプログラムとの齟齬に配慮して(不本意ながら?)ズヴェーデンに従ったものの、本来は最新の研究結果を尊重する理知的スタイルの指揮者なんだろうか、と思って聴き始めたら、のっけから予測は大外れ。ポルタメントを効かせたベタベタに甘い表現とテンポの揺らし方はまるでバーンスタインのようです。こういう耽溺スタイルのマーラーは21世紀になってすっかり廃れてしまったように思いますが、私はけっこう好きです。代役ということもあるのでしょう、大きめの身振りで型通りに拍子を振って、明確すぎるくらい明確に指示を出していきます。オケも管楽器はずらりと人数を揃え、スタミナが切れることなく果敢に攻めてきます。LPOはあまり聴かないのですが、いつも以上にがんばりが見えました。第1楽章はコーダの畳み掛けもぴったし決まって出色の出来、スケルツォでも集中力は切れず、アンダンテで少しほっと力を抜いて(カウベルはちょっとやかまし過ぎましたが)、複雑な終楽章は耽美派らしく、ヘタに組み立てなど考えず、来る球来る球を全力で打ちに行くのみです。オケは最後まで破綻せず、終始よく鳴っていました。ラストの衝撃的なフォルティシモは、インテンポで意外とあっさり流してしまったので、どうせなら最後まで耽溺系でねっとりと締めくくって欲しかったです。
もちろん今日は急きょ代役で指揮台に立ち、崩壊させずにここまでLPOを鳴らし切るべくリードできたのですから、十二分に成功でしょう。終演後は汗が滴り落ち、顔は真っ赤に紅潮して、相当血圧が上がっていた感じです。高揚して何度もコンマスや奏者に握手を求め、「また呼んでくれよな」とセールスするかのよう。フェアな評価として、非常に立派な好演だったと思います。しかし今日の演奏、どこまでズヴェーデンの解釈の名残があって、どこまでがヴィルトナーのオリジナルなのか、興味深いところです。ズヴェーデンの硬質(であろう)演奏も、またどこかで聴いてみたいものです。
Johannes Wildner / London Philharmonic Orchestra
Leonidas Kavakos (Vn-1)
1. Szymanowski: Violin Concerto No. 2
2. Mahler: Symphony No. 6
昨年の生誕150年に続き、今年は没後100年のマーラーイヤー第二弾。年初からさっそくマーラーです。今日は元々ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンが指揮者のはずがドタキャン、急きょ代役としてヨハネス・ヴィルトナーが招集されました。ズヴェーデンも初めて聴くはずだったのですが、ヴィルトナーは名前からして初めて聴きます。配布されていた小チラシで経歴を見ると、オーストリア出身、ウィーンフィルでヴァイオリンを弾いていて、指揮者に転向後はずっとオペラ畑中心に地道に活動してきた人のようです。偶然でしょうが、コンセルトヘボウのコンマスだったズヴェーデンと経歴が似ていますね。
さて、登場したヴィルトナーは恰幅のよい巨漢で終始にこやか、ズヴェーデンのコワモテ(生で見ていないので私の勝手な印象ですが)からはほど遠く、明るいキャラクターのようです。1曲目はシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第2番、CDはありましたが、正直、馴染みのない曲です。カヴァコスを聴くのはこれで5回目、この人は本当にどんな難曲でも易々と弾くし、ヴァイオリンの音がでかい。Webで調べると、最近前のストラディヴァリを売って、別のストラディヴァリを買ったようですね。今度の楽器もたいへんよく鳴っています。この人のヴァイオリンは技術的にはもの凄いものだと思いますが、低弦のほうの音が終始濁っていたのがひっかかりました。ポーランド民謡を取り入れた民族派に属する曲という解釈だったのかもしれませんが、協奏曲ながらまるでソナタのように音響がすっきりと作られている曲なので、あえてワイルドさを演出する必要もないのでは。それと、この人のスタイルはけっこう朴訥というか、表情、表現というものが演奏にほとんど現れて来ないので、けっこうあっさり系です。最近聴いた中では、テツラフの役者ぶりや五嶋みどりの情念のほうが後を引き、気になってます。しかし何にせよ、カヴァコスをかぶりつきで聴けるというその体験自体、贅沢な至福の時間であることに間違いはありません。なお、オケ伴奏は手堅すぎて印象に残っていませんが、途中もうちょっとバックで盛り上げてダイナミックレンジを広く取ればいいのにと思った箇所はありました。
さてメインのマーラー。前述のチラシには、「ヴィルトナーは、交響曲第6番の楽章配置はプログラムの記載通り演奏しますが、終楽章のハンマーは2回というオプションを選択しました」というようなことがわざわざ書いてありました。プログラムを買ってないのでこれはどういうことかと推測するに、ズヴェーデンは元々ハンマーをおそらく3回(以上)叩かせる練習をしていたということになり、すると中間楽章の順は昔ながらのスケルツォ→アンダンテに違いあるまい(昨今はすっかり正統派の地位を築いたアンダンテ→スケルツォの順で演奏する人が、ハンマーを2回を超えて叩かせるのは理論上考えにくい)と結論付けましたが、果たして実際に、演奏はスケルツォ→アンダンテの順でした。
「ハンマー2回」を選択した、とあえて強調するということは、楽章の順はプログラムとの齟齬に配慮して(不本意ながら?)ズヴェーデンに従ったものの、本来は最新の研究結果を尊重する理知的スタイルの指揮者なんだろうか、と思って聴き始めたら、のっけから予測は大外れ。ポルタメントを効かせたベタベタに甘い表現とテンポの揺らし方はまるでバーンスタインのようです。こういう耽溺スタイルのマーラーは21世紀になってすっかり廃れてしまったように思いますが、私はけっこう好きです。代役ということもあるのでしょう、大きめの身振りで型通りに拍子を振って、明確すぎるくらい明確に指示を出していきます。オケも管楽器はずらりと人数を揃え、スタミナが切れることなく果敢に攻めてきます。LPOはあまり聴かないのですが、いつも以上にがんばりが見えました。第1楽章はコーダの畳み掛けもぴったし決まって出色の出来、スケルツォでも集中力は切れず、アンダンテで少しほっと力を抜いて(カウベルはちょっとやかまし過ぎましたが)、複雑な終楽章は耽美派らしく、ヘタに組み立てなど考えず、来る球来る球を全力で打ちに行くのみです。オケは最後まで破綻せず、終始よく鳴っていました。ラストの衝撃的なフォルティシモは、インテンポで意外とあっさり流してしまったので、どうせなら最後まで耽溺系でねっとりと締めくくって欲しかったです。
もちろん今日は急きょ代役で指揮台に立ち、崩壊させずにここまでLPOを鳴らし切るべくリードできたのですから、十二分に成功でしょう。終演後は汗が滴り落ち、顔は真っ赤に紅潮して、相当血圧が上がっていた感じです。高揚して何度もコンマスや奏者に握手を求め、「また呼んでくれよな」とセールスするかのよう。フェアな評価として、非常に立派な好演だったと思います。しかし今日の演奏、どこまでズヴェーデンの解釈の名残があって、どこまでがヴィルトナーのオリジナルなのか、興味深いところです。ズヴェーデンの硬質(であろう)演奏も、またどこかで聴いてみたいものです。
ロンドンフィル/ユロフスキ:ようやく聴けたシェーファーの美声 ― 2010/12/01 23:59

2010.12.01 Royal Festival Hall (London)
Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra
Christine Schaefer (S-2,3)
1. Debussy (orch. Matthews): Three Preludes
(1) Des pas sur la neige
(2) La cathedrale engloutie
(3) Feux d’artifice
2. Britten: Les Illuminations
3. Mahler: Symphony No. 4
7月以来の久しぶり、今シーズン初のRFHです。気温は0℃くらいですが風が強いので体感気温は確実にマイナスの寒さでした。テムズ川沿いのクリスマスマーケットもいつにも増して寒々としています。
私は特にLPOひいきではなく、聴きに行く回数はLSOよりずっと少ないのですが、去年のLSOではドタキャンでフラレてしまったシェーファーのマーラー4番を聴きたい(見たい)がためにチケットを取りました。シェーファーは来年2月のベルリンフィルでも同曲を歌うことになっていますが、昨年のLSOに続き、今年ヒラリー・ハーンとのプロジェクトもキャンセルしているし、キャンセル癖のある人なんかなと、ちょっといぶかっております。
ユロフスキは、弟のディミトリ、お父さんのミハイルと今年立て続けに聴き、長男ウラディーミルが最後になってしまいました。記録によると11年前バスティーユ・オペラ座で「スペードの女王」を見たときの指揮者がウラディーミルだったはずなのですが、超モダンな演出のみがインパクトとして残っていて演奏はほとんど覚えておりません。
まず、コリン・マシューズ編曲のドビュッシー前奏曲集から「雪の上の足跡」「沈める寺」「花火」の3曲。ピアノの原曲と比べてどれも明るい色彩の編曲になっており、ドビュッシー本人の他の管弦楽曲と比較してもずいぶんと趣きが変わってしまっているなあという印象を持ちました。和声をすっきりと整理し、各楽器の音色が分離して際立つようにちりばめられています。ピアノは一見モノクロームなようでいて、奏者の指先一つでずいぶん幅広いカラーを出せる楽器なのだと今更ながら気付かされました。管弦楽版にしてしまうと色彩感が固定されてしまい、奏者のできる仕事が減ってしまうのは両刃の剣ですね。3曲の中では「花火」が一番ドビュッシーらしい編曲だったと思います。
次のブリテン「イリュミナシオン」は全く初めて聴く曲で、歌曲とも思っていなかったので、ホクロがチャーミングなシェーファーがいきなり登場してきたのに驚きました。あーでも、今日は歌ってくれるのね、と一安心。シェーファーは、まずその美声に感銘を受けました。細い身体ながら、ソプラノにあるまじき芯の太さと粘りのある伸びの声は比類なく、神の恵み、天性のものだと思いました。やはり生で聴けて良かったです。ただ、あまり歌い慣れていない曲なのか(そりゃそうかも)、ずっと楽譜を見ながら歌っていたのと、この日は調子が万全ではなかったようで、息継ぎが短くギクシャクした箇所も多少ありました。
さて、メイン。マーラーのシンフォニーでマイベスト3を選ぶなら「4,6,9」という答えは長年変わっていません。20年以上前だったら「1,2,3」などと答えていた時期もありました。それはともかく、4番は自分の結婚披露宴でBGMに選んだくらいお気に入りの曲。シェーファーの中性的な美声はこの曲にどう作用するか、期待大です。
まず気付いたのは、休憩前と楽器の配置が変わっていること。弦楽器は最初ドイツ式(向かって左から1st Vn、2nd Vn、Vc、Va)だったのが、マーラーでは2nd VnとVaの位置が入れ替わっていました。古典的両翼配置とも少し違う変則配置で、指揮者のこだわりがあったと思います。コンバスは後ろの最上段横一列で、そのためか私のかぶりつき席にはあまり低弦の音が響いて来ませんでしたが、この曲に限ってはあまり重厚にならないほうがよいこともあります。
印象は一言で言うとかなり個性的なマーラーでした。細部までいじくり倒して造形しているわりにはフレーズごとの後処理がルーズというか、ブツブツと切れてどうも呼吸が違うという感じです。冒頭含め何度も登場する鈴の音は、もうちょっと細やかな神経が欲しいところでした。しかし全体を通してオケに破綻はなく、ホルンなどこの日は相当上手かったです。LPOは名手揃いではないですが、ユロフスキ監督の下、しっかりトレーニングされているのはよくわかりました。大編成のオケをそのまま鳴らし切るのではなく、室内楽的なアプローチでポリフォニーを透かし見せる意図は成功していたと思います。
私の捉え方ではこの曲は長大な序奏付きの歌曲のようなもので、終楽章がうまくなければそれまでの積み重ねも水泡に帰することになりかねません。第3楽章終盤のトゥッティのところで静々とシェーファーが登場。やはり本調子ではなさそうで、終楽章は歌の出だしから音が上がり切らずちょっと苦しい展開です。しっかり歌うところは本当にほれぼれする歌唱ですが、ユロフスキの揺さぶりに押されてか、息が長く続かず、何カ所か変なところで息継ぎが入ってました。また、弱音では声がかすれ、音程も微妙に怪しくなっていましたが、全体としては問題になるようなレベルではなく、十分に立派な歌唱でした。美人だし、このような素晴らしいソプラノと巡り会えたのは至福でした。ただ、本人は終演後、不本意そうな複雑な顔をしていましたが。2月のベルリンフィルは、是非万全の体調で帰ってきて欲しいと思います。
Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra
Christine Schaefer (S-2,3)
1. Debussy (orch. Matthews): Three Preludes
(1) Des pas sur la neige
(2) La cathedrale engloutie
(3) Feux d’artifice
2. Britten: Les Illuminations
3. Mahler: Symphony No. 4
7月以来の久しぶり、今シーズン初のRFHです。気温は0℃くらいですが風が強いので体感気温は確実にマイナスの寒さでした。テムズ川沿いのクリスマスマーケットもいつにも増して寒々としています。
私は特にLPOひいきではなく、聴きに行く回数はLSOよりずっと少ないのですが、去年のLSOではドタキャンでフラレてしまったシェーファーのマーラー4番を聴きたい(見たい)がためにチケットを取りました。シェーファーは来年2月のベルリンフィルでも同曲を歌うことになっていますが、昨年のLSOに続き、今年ヒラリー・ハーンとのプロジェクトもキャンセルしているし、キャンセル癖のある人なんかなと、ちょっといぶかっております。
ユロフスキは、弟のディミトリ、お父さんのミハイルと今年立て続けに聴き、長男ウラディーミルが最後になってしまいました。記録によると11年前バスティーユ・オペラ座で「スペードの女王」を見たときの指揮者がウラディーミルだったはずなのですが、超モダンな演出のみがインパクトとして残っていて演奏はほとんど覚えておりません。
まず、コリン・マシューズ編曲のドビュッシー前奏曲集から「雪の上の足跡」「沈める寺」「花火」の3曲。ピアノの原曲と比べてどれも明るい色彩の編曲になっており、ドビュッシー本人の他の管弦楽曲と比較してもずいぶんと趣きが変わってしまっているなあという印象を持ちました。和声をすっきりと整理し、各楽器の音色が分離して際立つようにちりばめられています。ピアノは一見モノクロームなようでいて、奏者の指先一つでずいぶん幅広いカラーを出せる楽器なのだと今更ながら気付かされました。管弦楽版にしてしまうと色彩感が固定されてしまい、奏者のできる仕事が減ってしまうのは両刃の剣ですね。3曲の中では「花火」が一番ドビュッシーらしい編曲だったと思います。
次のブリテン「イリュミナシオン」は全く初めて聴く曲で、歌曲とも思っていなかったので、ホクロがチャーミングなシェーファーがいきなり登場してきたのに驚きました。あーでも、今日は歌ってくれるのね、と一安心。シェーファーは、まずその美声に感銘を受けました。細い身体ながら、ソプラノにあるまじき芯の太さと粘りのある伸びの声は比類なく、神の恵み、天性のものだと思いました。やはり生で聴けて良かったです。ただ、あまり歌い慣れていない曲なのか(そりゃそうかも)、ずっと楽譜を見ながら歌っていたのと、この日は調子が万全ではなかったようで、息継ぎが短くギクシャクした箇所も多少ありました。
さて、メイン。マーラーのシンフォニーでマイベスト3を選ぶなら「4,6,9」という答えは長年変わっていません。20年以上前だったら「1,2,3」などと答えていた時期もありました。それはともかく、4番は自分の結婚披露宴でBGMに選んだくらいお気に入りの曲。シェーファーの中性的な美声はこの曲にどう作用するか、期待大です。
まず気付いたのは、休憩前と楽器の配置が変わっていること。弦楽器は最初ドイツ式(向かって左から1st Vn、2nd Vn、Vc、Va)だったのが、マーラーでは2nd VnとVaの位置が入れ替わっていました。古典的両翼配置とも少し違う変則配置で、指揮者のこだわりがあったと思います。コンバスは後ろの最上段横一列で、そのためか私のかぶりつき席にはあまり低弦の音が響いて来ませんでしたが、この曲に限ってはあまり重厚にならないほうがよいこともあります。
印象は一言で言うとかなり個性的なマーラーでした。細部までいじくり倒して造形しているわりにはフレーズごとの後処理がルーズというか、ブツブツと切れてどうも呼吸が違うという感じです。冒頭含め何度も登場する鈴の音は、もうちょっと細やかな神経が欲しいところでした。しかし全体を通してオケに破綻はなく、ホルンなどこの日は相当上手かったです。LPOは名手揃いではないですが、ユロフスキ監督の下、しっかりトレーニングされているのはよくわかりました。大編成のオケをそのまま鳴らし切るのではなく、室内楽的なアプローチでポリフォニーを透かし見せる意図は成功していたと思います。
私の捉え方ではこの曲は長大な序奏付きの歌曲のようなもので、終楽章がうまくなければそれまでの積み重ねも水泡に帰することになりかねません。第3楽章終盤のトゥッティのところで静々とシェーファーが登場。やはり本調子ではなさそうで、終楽章は歌の出だしから音が上がり切らずちょっと苦しい展開です。しっかり歌うところは本当にほれぼれする歌唱ですが、ユロフスキの揺さぶりに押されてか、息が長く続かず、何カ所か変なところで息継ぎが入ってました。また、弱音では声がかすれ、音程も微妙に怪しくなっていましたが、全体としては問題になるようなレベルではなく、十分に立派な歌唱でした。美人だし、このような素晴らしいソプラノと巡り会えたのは至福でした。ただ、本人は終演後、不本意そうな複雑な顔をしていましたが。2月のベルリンフィルは、是非万全の体調で帰ってきて欲しいと思います。
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