新日本フィル/佐渡裕:もはやレニーチルドレンではない、淡白なマーラー9番 ― 2025/01/25 23:59
2025.01.25 すみだトリフォニーホール (東京)
佐渡裕 / 新日本フィルハーモニー交響楽団
1. マーラー: 交響曲第9番 ニ長調
今年最初の演奏会は、佐渡裕のマーラー9番。佐渡さんお得意のマーラーは、1990年代前半のころに1番、3番、4番を聴いたはずですが、それ以降はご無沙汰です。佐渡さんを見るのも何と12年ぶり、前回はパリ管@サル・プレイエルでした。新日本フィルの音楽監督になってから、演目が面白くないのでちょっと避けていたかも。マーラーの9番を聴くのもえらい久しぶりだなと思ったら、前回は7年前の読響/カンブルラン、まあコロナ禍のおかげでたいがいのものは「久しぶり」になりますね。
さて、その1990年代頃の佐渡裕は、「レニーの弟子」を看板に、熱気あふれる汗ムンムン演奏というイメージがあり、実際、テンポや間の取り方がバーンスタインのレコードと基本同じだったりして、その分安心して聴ける指揮者ではあったのですが、フランスでのちょっと長めのキャリアの後、ベルリン、ウィーンと渡り歩く過程で、ずいぶんと垢抜けてスタイリッシュな演奏をするようになったなあという印象です。
開演前に佐渡さんの解説というよりミニトークがあり、バーンスタインのマーラーについての少年時代の思い出話を披露。ほどなく始まった第1楽章は、冒頭の弦のフレージングなどレニーばりに粘った部分もありつつも、テンポは遅めで慎重に進んでいく端正なマーラー像。個人的には山場で感情的な盛り上がりに欠けるのはちょっと退屈しました。第2楽章は素朴なレントラーで、特に仕掛けなし。第3楽章、開始のトランペットが惜しく、周囲では多くの人がビクッと反応していました。最後のコーダに向けて加速していく狂乱はなかなかのもので、ここはレニーを超える激しさでした。終楽章は止まりそうに遅いテンポこそ晩年のレニー風でしたが、他の人があまりやらない執拗なポルタメントをかけ、独自の境地を切り開いていたと思います。もはやレニーチルドレンではない佐渡裕をあらためて認識しました。
オケはヘロヘロにならず、最後までよく鳴っていたのでその頑張りに拍手。ただ、欲を言えば、いちいち惚れ惚れするようなソロパートを聴かせてくれたロンドン響やNYフィルの演奏をまた聴きたいなあという思いがふつふつと…。
ノット/新日本フィル:ミッチー欠場で生まれた一期一会、マーラー「夜の歌」 ― 2024/08/02 23:59
2024.08.02 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2024
Jonathan Nott / 新日本フィルハーモニー交響楽団
1. マーラー: 交響曲第7番ホ短調『夜の歌』
ミューザ川崎のホールに来るのは6年前のサマーミューザ以来です。元々はこの演奏会、「道義Forever〜ラスト・サマーミューザ〜」と称し、今年限りで引退を表明した井上道義氏が各オケに客演しお別れ公演を行なっている引退ロードの一環だったのですが、本番3日前になって急性腎盂腎炎のためキャンセルになり、ジョナサン・ノットが代役で振ることがアナウンスされました。個人的には、引退ロードのチケットはこれしか取っていなかったのでミッチー最後の勇姿を是非拝みたかったところですが、誤解を恐れずに言えば、大方の聴衆の不満を払拭する「格上」の代役を充てることができた運営の調整力に敬意を表したいと思います。サマーミューザはホールの主催公演で、ノットはこのホールを本拠地とする東京交響楽団の音楽監督であり話を通しやすかったということと、7/27にサマーミューザのオープニングコンサートを振った後に少し滞在を伸ばしてもらうことで万が一に備えていたのだとは思います。結果的にノットと新日フィルの初顔合わせという話題性も生まれて、平日昼間のコンサートにも関わらず、今年の一番人気で早々に完売していた聴衆は、ほとんどキャンセルすることなく満員御礼の客入りでした。
マーラー大好きの私ですが、7番は聴く頻度が最も低く、のめり込める部分もほとんどないのが正直なところ。陰々滅々で退屈な第1楽章をどう乗り切って、「夜の歌」である第2楽章と第4楽章では繊細にメリハリを効かせ、最後の第5楽章は後腐れなくいかにパッションを全開するか、などというミッチー節を想定した聴きどころのプランを持ってはいたのですが、急場の代役でしかも初対面というハンデがありながらも、ノット指揮下の新日フィルは、パニクることなく、注意深く引き締まった演奏を聴かせてくれました。切れない集中力で金管のソロなどもほぼ完璧に切り抜け、すぐにバテてしまう新日フィルの印象を覆す、最後まで馬力を維持した好演だったと思います。弦楽器はチェロ、コントラバスを左に置く対向配置で、自分の席からは低弦がよく響き、重心の低い音場になっていたのは良かったのですが、その分ヴァイオリン、ヴィオラは馬力不足に感じました。またその分、第2、第4楽章できらきらしたメリハリはうまく出ず、全体的に重い感じが残りました。
終楽章冒頭で、ドイツ式配置のティンパニから叩き出されるアクセントの効いた硬質なソロは迫力満点。見た目ずいぶんと若い奏者でしたが、マレットをこまめに持ち替え、音色豊かなプレイが好感持てました。あとこの曲は、第1楽章冒頭のテナーホルン(一見ワグナーチューバかと思いましたが)や、マンドリン、ギターなど、長大な曲の中で少ししか出番がない奏者が何人もいて、ステージ上でずっと暇そうに待っているのは、お仕事とは言えちょっと気の毒に感じますね。
ノットの指揮は2015年に一度、バルトークやベートーヴェンを聴いていて、その時の印象は、唸り声が多くて、リズムの切れ味は鋭利とは言えず普通で、ちょっと前時代的な「遅れてきた巨匠」タイプの人かなと思っていましたが、概ね同じ印象でした。ただ、今日のようなマーラーの大作のほうが、大らかなフォルムの中でいろいろ仕掛けを打つことができて、持ち味が活きる面白い演奏になるんじゃないかと思いました。新日フィルとは初顔合わせだったのでどうしても慎重に探り合うような空気が一部あり、煽ってもオケが着いてこないような局面もいくつかあったように感じましたが、最後まで何十年来の相棒に対するタクトかのように引っ張り続けたのは、さずが百戦錬磨のベテラン。手兵の東響だともうちょっとスムースに一体感が出たのかもしれませんが、お初ならではの緊張感も、これはこれで良かったのでしょう。
緊張が解けてやっとノリが良くなってきた終楽章、最後のトゥッティが鳴り終わらないうちに、酷いフライング・ブラヴォーがありましたが、まあ、盛り上がっていたからいいか。しかし、演奏中からそわそわとタイミングを図り、絶対に誰よりも先んじてブラヴォーを叫ぶんだというその奇特なモチベーションは、私には理解不能ですが。ともあれ、満場の温かい拍手に包まれて、ノットもオケも一仕事終えた充実感を味わったことと思います。もちろん一般参賀あり。今回は、ミッチー欠場の大穴をその存在感で見事に埋めたノットに感謝ですね。
雛壇を上り奏者を称えるノット氏。
都響/ギルバート:迫力のハンマー3発、マーラー「悲劇的」 ― 2019/12/14 23:59
2019.12.14 サントリーホール (東京)
Alan Gilbert / 東京都交響楽団
1. マーラー: 交響曲第6番 イ短調《悲劇的》
マーラー6番はかつてはほぼ毎年のように聴いていた気がしますが、最近はご無沙汰で、3年前の山田和樹の全交響曲演奏会(3年がかりでしたが)以来です。今年からNDRエルプフィルの首席に就任したアラン・ギルバートは、昨年から都響の首席客演指揮者の契約もしております。前回聴いたのは2012年でNYPとのマーラー9番他でしたが、当時の備忘録を読み返すと、奇を衒わず自然な流れに任せる部分と、繊細に細部を作り込む部分が混在した、説得力あるマーラーの音楽作りが特徴でした。今回も印象はまさにその通りで、ただ流すだけでなく、明確にストーリーがある没入型マーラー。ただし繊細なオケのコントロールという点ではオケの限界はあったようで、特にホルンは息切れが激しく、前回聴いたブル9と同じくもう少し安定感が欲しいところ。
中間楽章の曲順はアンダンテ→スケルツォ。終楽章のハンマーは、3回目を初演時の正しい箇所で叩いたのがちょっと意外(が、プログラムにはすでに3回叩く旨が書いてありました…)。ハンマー奏者が見えない席でしたが、ガツンと非常によく聴こえました。エンディングのトゥッティは今まで聴いた中でもダントツにビシッと揃っていて、溜飲を下げました。
2003年以降の記録で、マーラー6番は11回聴いていますが、うちハンマーを3回叩いたのは2人目です(もう一人はインキネン)。中間楽章の順は、指揮者別で言うと、「アンダンテが先」派が4人、「スケルツォが先」派が6人と、若干「スケルツォが先」に分があるようです。
参考:マーラー交響曲第6番演奏会記録
年 演奏者 第2楽章 ハンマー
2019 ギルバート/都響 アンダンテ 3回
2016 山田/日フィル スケルツォ 2回
2014 インキネン/日フィル スケルツォ 3回
2012 シャイー/ゲヴァントハウス アンダンテ 2回
2011 ビシュコフ/BBC響 スケルツォ 2回
2011 マゼール/フィルハーモニア スケルツォ 2回
2011 ビエロフラーヴェク/BBC響 アンダンテ 2回
2011 ヴィルトナー/ロンドンフィル スケルツォ 2回
2009 ハーディング/ロンドン響 アンダンテ 2回
2008 ハーディング/東フィル アンダンテ 2回
2004 ハイティンク/ロンドン響 スケルツォ 2回
2019年は結局演奏会5回に止まり、充実とは程遠い音楽ライフでした。来年はもうちょっとがんばりたいと思います。
カンブルラン/読響:終着点の「マーラー9番」 ― 2018/04/20 23:59
2018.04.20 サントリーホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
1. アイヴズ: ニューイングランドの3つの場所
2. マーラー: 交響曲第9番ニ長調
カンブルランはこのシーズンが読響常任指揮者として最後とのこと。読響の演奏を他の指揮者の時と比べれば、カンブルランの統率力は文句の余地がなく、選曲も相対的に私好みで、充実したものでした。どこのオケを振ろうとも安心してチケットが買える指揮者として、今後も贔屓にさせていただきます。
1曲目はほぼ初めて聴く曲でしたが、まさに「アイヴズ」サウンド。私の好きな「宵闇のセントラルパーク」や「答えのない質問」とも通じるものをビシビシと感じましたが、後で調べれば、マーラー9番を含め、作曲時期はけっこうカブってますね。アイヴズもマーラー同様、曲の途中で唐突に民謡や流行歌を挟み込んでくる人ですが、マーラー9番のほうはそういう引用の箇所がいくつかあっても、もはやそれがわからないくらい自然に溶け込んでいるのに対し、アイヴズは依然としてゴツゴツとした境界面を楽しむ作りとなっているのが、ほぼ同時期に作曲された曲の対比として興味深かったです。
メインのマーラー9番は好んで聴きに行く曲ですが、プロオケで聴くのは4年前のインバル/都響以来。カンブルランのマーラー(4番)を前回聴いたのもちょうどそのころでした。もっとサックリとした演奏を想像していたら、第1楽章の、遅めのテンポで重層的な響きを保ちつつ、非常に濃厚な表情付けがたいへん意外でした。バーンスタインのごとく「横の線」のフレーズ単位でいちいち粘るようなユダヤ系の味付けではなく、「縦の線」に熱を伝達するべくアイロンを押し付けているような(うまく伝わっている気がしませんが…)、カンブルランらしからぬ熱のこもった演奏でした。実際長めの演奏時間でしたが、実測値以上に「遅さ」を感じさせる、濃いい演奏。中間の第2、第3楽章は、依然として遅めのテンポながら、角の取れたフレンチスタイル。特に第3楽章はもっと激しく揺さぶる流れにもできたでしょうに、クライマックスは終楽章に取っておくモダンな戦略がニクいです。そして、終楽章のホルンには感服いたしました。もちろん、この演奏がマーラー9番のベストかと問われたらそうではありませんが、読響のホルンは都響やN響と比べて充実度が数段上だと常々感じております(もっと言うと、ホルンに関しては日本のオケでワールドクラスで戦える可能性があるのは読響くらいと思います…)。
インバル/都響:真夏の盛りに、熱い「大地の歌」 ― 2017/07/17 23:59
2017.07.17 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
Anna Larsson (contralto-2), Daniel Kirch (tenor-2)
1. マーラー: 交響詩「葬礼」
2. マーラー: 交響曲「大地の歌」
インバル/都響のマーラーは、2014年に9番と10番クック版を聴いて以来。どちらも素晴らしかったので、「遺作」交響曲シリーズとして期待は高まります。
まず1曲目は「復活」の第1楽章の原型である、交響詩「葬礼」。実演で聴けるのは貴重です。楽器編成とスコアの細部はいろいろと違うものの、曲想としてはほぼ同一と言ってよいでしょう。個人的には、「復活」のスコアで言うと練習番号15番(244小節目)からのテーマ再現部、弦の「ジャカジャカジャ」に続く、やけくそのような打楽器群の「グシャーン」という合の手がないのは寂しいです。コンミスが線細なのがちょっと気になったものの、全体的に弦のコントロールがきめ細かくて表現力に富み、都響の金管もインバルの指揮だと何故か穴がなく説得力のある音を出すから不思議です。
メインの「大地の歌」は、著名曲でありながらマーラーの中ではプログラムに載る頻度が相対的に低く、この曲だけ日本で生演を聴いていなかったので、帰国後のささやかなコンプリートが、これでまた一つかないました。ソリストはどちらも初めて聴く人でしたが、マーラー歌手として評判の高いらしいアンナ・ラーションは、エモーショナルかつ老獪な、期待を裏切らない完成度。一方のちょっと若そうなテナーのダニエル・キルヒは、最初から飛ばし気味で駆け引き無縁のストレートな熱唱を聴かせてくれましたが、案の定、張り切り過ぎで途中で息切れしていました。
インバルのリードはいつも通り説得力があり、流れは澱みなく、奏者の息もよく合っているので、全体的に引き締まった印象でした。その分壮大なスケール感には欠けていたかもしれませんが、爆演が似合う曲でも元々ないだろうし。ソロではオーボエとホルンが特に良かったです。インバル/都響は、今後もインバルが来日してくれる限り、できるだけライブを聴きに行きたいと思いました。
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
Anna Larsson (contralto-2), Daniel Kirch (tenor-2)
1. マーラー: 交響詩「葬礼」
2. マーラー: 交響曲「大地の歌」
インバル/都響のマーラーは、2014年に9番と10番クック版を聴いて以来。どちらも素晴らしかったので、「遺作」交響曲シリーズとして期待は高まります。
まず1曲目は「復活」の第1楽章の原型である、交響詩「葬礼」。実演で聴けるのは貴重です。楽器編成とスコアの細部はいろいろと違うものの、曲想としてはほぼ同一と言ってよいでしょう。個人的には、「復活」のスコアで言うと練習番号15番(244小節目)からのテーマ再現部、弦の「ジャカジャカジャ」に続く、やけくそのような打楽器群の「グシャーン」という合の手がないのは寂しいです。コンミスが線細なのがちょっと気になったものの、全体的に弦のコントロールがきめ細かくて表現力に富み、都響の金管もインバルの指揮だと何故か穴がなく説得力のある音を出すから不思議です。
メインの「大地の歌」は、著名曲でありながらマーラーの中ではプログラムに載る頻度が相対的に低く、この曲だけ日本で生演を聴いていなかったので、帰国後のささやかなコンプリートが、これでまた一つかないました。ソリストはどちらも初めて聴く人でしたが、マーラー歌手として評判の高いらしいアンナ・ラーションは、エモーショナルかつ老獪な、期待を裏切らない完成度。一方のちょっと若そうなテナーのダニエル・キルヒは、最初から飛ばし気味で駆け引き無縁のストレートな熱唱を聴かせてくれましたが、案の定、張り切り過ぎで途中で息切れしていました。
インバルのリードはいつも通り説得力があり、流れは澱みなく、奏者の息もよく合っているので、全体的に引き締まった印象でした。その分壮大なスケール感には欠けていたかもしれませんが、爆演が似合う曲でも元々ないだろうし。ソロではオーボエとホルンが特に良かったです。インバル/都響は、今後もインバルが来日してくれる限り、できるだけライブを聴きに行きたいと思いました。
慶應ワグネルソサイエティオーケストラ:マーラー9番 ― 2017/03/10 23:59
2017.03.10 みなとみらいホール (横浜)
大河内雅彦 / 慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ
1. シューベルト: 劇音楽「ロザムンデ」序曲
2. ワーグナー: 歌劇「リエンツィ」序曲
3. マーラー: 交響曲第9番ニ長調
今年に入ってアマオケばかりですが、慶應ワグネルを聴くのはちょうど3年ぶり。前回もマーラー(7番)でしたが、今回は9番。頻度高いのではと思い過去の演奏履歴を見てみると、例えば京大オケがマーラーを取り上げるのが5年に1度くらいに対して、ワグネルは2年に1度くらいで、確かに多いです。
さすがは慶應というか、出演者も客層も、ナチュラルな富裕層感がそこかしこに漂っています。オケの方は、3年前とほぼ同じ感想ばかりなのですが、前座の序曲とメインでメンバーがガラっと入れ替わっても演奏レベルが極端に変わらないので、自己責任の放任主義ではではなく、コストをかけてきちんとトレーニングされている感じがします。特に弦は全体的にハイレベルだったのですが、第二ヴァイオリンとヴィオラがしっかりしているので安心して聴いていられます。アマオケとは思えない終楽章の重層感は感動的でした。管ではトランペットがアタックもまろやかで、丁寧な仕事がたいへん良かったです。
みなとみらいホールも平日夜ならこうやってふらっと聴きに行けるのになあ、と思って年間スケジュールをチェックしましたが、ここもミューザ川崎と同様、平日は基本的に演奏会やってないんですね。残念。
大河内雅彦 / 慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ
1. シューベルト: 劇音楽「ロザムンデ」序曲
2. ワーグナー: 歌劇「リエンツィ」序曲
3. マーラー: 交響曲第9番ニ長調
今年に入ってアマオケばかりですが、慶應ワグネルを聴くのはちょうど3年ぶり。前回もマーラー(7番)でしたが、今回は9番。頻度高いのではと思い過去の演奏履歴を見てみると、例えば京大オケがマーラーを取り上げるのが5年に1度くらいに対して、ワグネルは2年に1度くらいで、確かに多いです。
さすがは慶應というか、出演者も客層も、ナチュラルな富裕層感がそこかしこに漂っています。オケの方は、3年前とほぼ同じ感想ばかりなのですが、前座の序曲とメインでメンバーがガラっと入れ替わっても演奏レベルが極端に変わらないので、自己責任の放任主義ではではなく、コストをかけてきちんとトレーニングされている感じがします。特に弦は全体的にハイレベルだったのですが、第二ヴァイオリンとヴィオラがしっかりしているので安心して聴いていられます。アマオケとは思えない終楽章の重層感は感動的でした。管ではトランペットがアタックもまろやかで、丁寧な仕事がたいへん良かったです。
みなとみらいホールも平日夜ならこうやってふらっと聴きに行けるのになあ、と思って年間スケジュールをチェックしましたが、ここもミューザ川崎と同様、平日は基本的に演奏会やってないんですね。残念。
京都大学交響楽団100周年記念公演:マーラー「復活」 ― 2017/01/22 23:59
2017.01.22 サントリーホール (東京)
京都大学交響楽団創立100周年記念特別公演
十束尚宏 / 京都大学交響楽団
井岡潤子 (soprano-2), 児玉祐子 (alto-2)
京都大学交響楽団第200回定期演奏会記念『復活』合唱団
1. ブラームス: 大学祝典序曲ハ短調 作品80
2. マーラー: 交響曲第2番ハ短調『復活』
前回京大オケを聴いたのは1997年の東京公演@オーチャードホールだから、実に20年ぶり。京大オケが初めて「復活」を演奏した1981年の演奏会を聴いて以降、マーラーの音楽の破壊力と浸透力にすっかり虜になってしまった私としては、いろんな意味で感慨深い演奏会です。
1曲目は記念演奏会に相応しい「大学祝典序曲」。自分の記憶にある30数年前と比べたらもちろんのこと、奏者の女性比率がえらい高くて、あと誤解を恐れずに言うと、京大生も時代は変わったというか、イマドキの可愛らしい女の子ばかり。まあ、若い人がとにかく可愛く見える、単なるおじさん現象かもしれません。この曲と「マイスタージンガー前奏曲」は大学オケなら何かにつけて演奏しているだろうから、世代を問わないおハコかもしれませんが、若手中心と思われるメンバーにして予想以上にしっかりとした演奏に驚いたと同時に、非常に懐かしくもありました。このハイクオリティこそ京大オケ。今はどうだか知りませんが、かつての京大オケは学外からも参加可能の上、年齢制限もなく、留年してでも音楽に命をかけていたような「ヤバい人」が多かったので、そりゃー演奏レベルはハンパなく、京響、大フィルといった関西の軟弱プロオケよりもむしろ上では、とすら時折思ったものです。
メインの「復活」は京大オケとして3回目だそう。さすがにこの大曲は難物で、特に金管は苦しさがストレートに出ており、前半は全体的に浮き足立った感が否めませんでした。3日前の京都公演が実質上のクライマックスで、東京公演は5年に一度のおまけみたいなものだから、ちょっと集中力を切らしてしまったのかもしれません。そうは言ってもやっぱり並の大学オケのレベルじゃありません。良かったのはコンミス嬢のプロ顔負けに艶やかなソロと、全般的に安定していたオーボエとフルート、それに音圧凄まじい打楽器陣。アマチュアならではのパッションはこの曲には絶対にプラスに働き、コーダの盛り上がりは近年聴いた在京プロオケにも勝るものでした。36年前の感動が蘇った瞬間を家族とともに体験できた感慨もあり、ちょっとウルっときてしまいました。京大オケ、東京だと5年に1度しか聴けないのが何とも残念です。
京都大学交響楽団創立100周年記念特別公演
十束尚宏 / 京都大学交響楽団
井岡潤子 (soprano-2), 児玉祐子 (alto-2)
京都大学交響楽団第200回定期演奏会記念『復活』合唱団
1. ブラームス: 大学祝典序曲ハ短調 作品80
2. マーラー: 交響曲第2番ハ短調『復活』
前回京大オケを聴いたのは1997年の東京公演@オーチャードホールだから、実に20年ぶり。京大オケが初めて「復活」を演奏した1981年の演奏会を聴いて以降、マーラーの音楽の破壊力と浸透力にすっかり虜になってしまった私としては、いろんな意味で感慨深い演奏会です。
1曲目は記念演奏会に相応しい「大学祝典序曲」。自分の記憶にある30数年前と比べたらもちろんのこと、奏者の女性比率がえらい高くて、あと誤解を恐れずに言うと、京大生も時代は変わったというか、イマドキの可愛らしい女の子ばかり。まあ、若い人がとにかく可愛く見える、単なるおじさん現象かもしれません。この曲と「マイスタージンガー前奏曲」は大学オケなら何かにつけて演奏しているだろうから、世代を問わないおハコかもしれませんが、若手中心と思われるメンバーにして予想以上にしっかりとした演奏に驚いたと同時に、非常に懐かしくもありました。このハイクオリティこそ京大オケ。今はどうだか知りませんが、かつての京大オケは学外からも参加可能の上、年齢制限もなく、留年してでも音楽に命をかけていたような「ヤバい人」が多かったので、そりゃー演奏レベルはハンパなく、京響、大フィルといった関西の軟弱プロオケよりもむしろ上では、とすら時折思ったものです。
メインの「復活」は京大オケとして3回目だそう。さすがにこの大曲は難物で、特に金管は苦しさがストレートに出ており、前半は全体的に浮き足立った感が否めませんでした。3日前の京都公演が実質上のクライマックスで、東京公演は5年に一度のおまけみたいなものだから、ちょっと集中力を切らしてしまったのかもしれません。そうは言ってもやっぱり並の大学オケのレベルじゃありません。良かったのはコンミス嬢のプロ顔負けに艶やかなソロと、全般的に安定していたオーボエとフルート、それに音圧凄まじい打楽器陣。アマチュアならではのパッションはこの曲には絶対にプラスに働き、コーダの盛り上がりは近年聴いた在京プロオケにも勝るものでした。36年前の感動が蘇った瞬間を家族とともに体験できた感慨もあり、ちょっとウルっときてしまいました。京大オケ、東京だと5年に1度しか聴けないのが何とも残念です。
ハーディング/新日フィル:さよならは「千人の交響曲」 ― 2016/07/01 23:59
2016.07.01 すみだトリフォニーホール (東京)
Daniel Harding / 新日本フィルハーモニー交響楽団
Emily Magee (soprano/罪深き女)
Juliane Banse (soprano/懺悔する女)
市原愛 (soprano/栄光の聖母)
加納悦子 (alto/サマリアの女)
中島郁子 (alto/エジプトのマリア)
Simon O'Neill (tenor/マリア崇敬の博士)
Michael Nagy (baritone/法悦の教父)
Shenyang (bass/瞑想する教父)
栗友会合唱団
東京少年少女合唱隊
1. マーラー: 交響曲第8番変ホ長調 『千人の交響曲』
2010年から新日フィルのミュージックパートナーを務めていたハーディングの、契約最後の演奏会はビッグイベントにふさわしく「千人の交響曲」ということになりました。ところが、来日直前にウィーンフィル欧州ツアーの代役指揮(ダニエレ・ガッティの病欠)を引き受けたため、6/28のフィレンツェ公演を振った後にギリギリの来日という強行スケジュールになり、当然予定されていたリハは吹っ飛んで、特に初日の今日はほとんどぶっつけ本番のような状態でこの大曲に臨むことになったそうな。まあ、何はともあれキャンセルじゃなくてよかったです。
ハーディングの最後の勇姿ということで、普段は空席が目立つ金曜日の公演ながら、客席はほぼ満員。舞台上はと言うと、オケがバンダも含めて約120人、合唱はざっと女声90人、男声60人、児童50人の合計200人ほどで、指揮者、独唱、オルガンを合わせても総勢330人という、私が過去にこの曲を聴いた中では最も少人数の布陣でした。このへんは解釈次第のところもあって、初演が行われた万博会場で「大宇宙」が響いたかのごとくグダグダの音響が生む比類なきスケール感を求める人もいれば、複雑なポリフォニーを立体的に「見える化」し、構造を紐解くようなマーラー演奏をする人もいる中で、今日のハーディングは明らかに後者のスタンス。第二部前半の実に抑制的なオケは、新日フィルにありがちな雑で投げやりなところがほとんどなく、いつにない集中力を持続していました。マンドリンもくっきり聴こえたし。ぶっつけ本番でこれができたのなら大したものですが、あるいはぶっつけ本番が生んだ奇跡的な集中力だったのかも。合唱団の数は、増やしたくとも増やせないステージキャパの事情もありそうですが、これ以上合唱が厚くなれば多分オケの非力がもっと気になってしまうだろうから、結果的にちょうどよいバランスだったと言えるかもしれません。
歌手陣で良かったと思えるのはマギーくらいで、あとはちょっと・・・。この中で過去聴いたことがあるのはサイモン・オニールだけでしたが、彼には調子の良いときに当たったことがなくって、図体でかい割には声に迫力がないチキンテナーという印象でした。今日も、見たところ一人だけ余裕綽々で親分風を吹かせる様子でしたが、歌の方はまだエンジンがかかっていない感じ。身体的な不調という感じはしなかったので、これはおそらく日を追うごとに調子を上げて行くのでしょうが、初日しか聴かない人だって多いんですよ・・・。
オケはもとより過大な期待していませんが、ハーディングとの共演も最後ということでいつもより気合はあったと思います。ホルン以外の金管、木管の音が汚いのにはちょいと興ざめ。ただ、合唱が入るとちょうど良い具合にオケがかき消されて溶け込んでしまうので、曲とシチュエーションに救われた感じです。来シーズンは上岡音楽監督の時代が始まりますが、プログラム的には私の好みからすると二歩も三歩も後退したので、当分新日フィルを聴きに行く予定はありません。
Daniel Harding / 新日本フィルハーモニー交響楽団
Emily Magee (soprano/罪深き女)
Juliane Banse (soprano/懺悔する女)
市原愛 (soprano/栄光の聖母)
加納悦子 (alto/サマリアの女)
中島郁子 (alto/エジプトのマリア)
Simon O'Neill (tenor/マリア崇敬の博士)
Michael Nagy (baritone/法悦の教父)
Shenyang (bass/瞑想する教父)
栗友会合唱団
東京少年少女合唱隊
1. マーラー: 交響曲第8番変ホ長調 『千人の交響曲』
2010年から新日フィルのミュージックパートナーを務めていたハーディングの、契約最後の演奏会はビッグイベントにふさわしく「千人の交響曲」ということになりました。ところが、来日直前にウィーンフィル欧州ツアーの代役指揮(ダニエレ・ガッティの病欠)を引き受けたため、6/28のフィレンツェ公演を振った後にギリギリの来日という強行スケジュールになり、当然予定されていたリハは吹っ飛んで、特に初日の今日はほとんどぶっつけ本番のような状態でこの大曲に臨むことになったそうな。まあ、何はともあれキャンセルじゃなくてよかったです。
ハーディングの最後の勇姿ということで、普段は空席が目立つ金曜日の公演ながら、客席はほぼ満員。舞台上はと言うと、オケがバンダも含めて約120人、合唱はざっと女声90人、男声60人、児童50人の合計200人ほどで、指揮者、独唱、オルガンを合わせても総勢330人という、私が過去にこの曲を聴いた中では最も少人数の布陣でした。このへんは解釈次第のところもあって、初演が行われた万博会場で「大宇宙」が響いたかのごとくグダグダの音響が生む比類なきスケール感を求める人もいれば、複雑なポリフォニーを立体的に「見える化」し、構造を紐解くようなマーラー演奏をする人もいる中で、今日のハーディングは明らかに後者のスタンス。第二部前半の実に抑制的なオケは、新日フィルにありがちな雑で投げやりなところがほとんどなく、いつにない集中力を持続していました。マンドリンもくっきり聴こえたし。ぶっつけ本番でこれができたのなら大したものですが、あるいはぶっつけ本番が生んだ奇跡的な集中力だったのかも。合唱団の数は、増やしたくとも増やせないステージキャパの事情もありそうですが、これ以上合唱が厚くなれば多分オケの非力がもっと気になってしまうだろうから、結果的にちょうどよいバランスだったと言えるかもしれません。
歌手陣で良かったと思えるのはマギーくらいで、あとはちょっと・・・。この中で過去聴いたことがあるのはサイモン・オニールだけでしたが、彼には調子の良いときに当たったことがなくって、図体でかい割には声に迫力がないチキンテナーという印象でした。今日も、見たところ一人だけ余裕綽々で親分風を吹かせる様子でしたが、歌の方はまだエンジンがかかっていない感じ。身体的な不調という感じはしなかったので、これはおそらく日を追うごとに調子を上げて行くのでしょうが、初日しか聴かない人だって多いんですよ・・・。
オケはもとより過大な期待していませんが、ハーディングとの共演も最後ということでいつもより気合はあったと思います。ホルン以外の金管、木管の音が汚いのにはちょいと興ざめ。ただ、合唱が入るとちょうど良い具合にオケがかき消されて溶け込んでしまうので、曲とシチュエーションに救われた感じです。来シーズンは上岡音楽監督の時代が始まりますが、プログラム的には私の好みからすると二歩も三歩も後退したので、当分新日フィルを聴きに行く予定はありません。
山田和樹/日フィル:マーラー「悲劇的」は、刺激的でも喜劇的でもなく ― 2016/03/26 23:59
2016.03.26 Bunkamura オーチャードホール (東京)
山田和樹 / 日本フィルハーモニー交響楽団
扇谷泰朋 (violin-1)
1. 武満徹: ノスタルジア
2. マーラー: 交響曲第6番イ短調「悲劇的」
山田和樹マーラーチクルス第2期の最終。前回お休みだったコンマスの扇谷氏が復活し、1曲目の「ノスタルギア」で実に眠たいソロを聴かせてくれました…。寝不足で聴くにはなかなかキツい曲でした、すみません。
一方、マーラー6番は個人的にもお気に入りで、生演奏の機会はできる限り出かけていくことにしていましたが、最近はちょっとご無沙汰、前に行ったのは2年前のインキネン/日フィルでした。4番、5番が「笛吹けど踊らず」系で練習不足にも見えた今回のチクルスですが、6番は少し気合を入れてネジを巻き直した様子がうかがえました。冒頭から軍靴の音をくっきりと刻むかのような行進で、続くアルマのテーマもこれ見よがしに劇的な表現。5番のときとは打って変わり、弦は芯のある音で頑張っていました。一方、管は相変わらず貧弱。まあ、トランペットは崩壊してなかったし、要所ではヤケクソ気味に音圧を張り上げていたので、それなりに迫力は出ていました。
全般的に反応が鈍いのは前と同じで、終始後乗りのもモタリ気味演奏。終楽章ではティンパニ等が振り落とされる事故も起こっていました。別に事故はあってもいいのですが、鬼気迫るドライブの代償として、ならばまだ感動もひとしおなれど、そんな演奏だったかというと…。
なお中間楽章の順序は、インキネンと同じく伝統的なスケルツォ→アンダンテの順。プレトークではハンマーを何回叩くかは聴いてのお楽しみと気を持たせていましたが、結局普通に2回だけでした。
来年はいよいよチクルス第3期の7、8、9番ですが、シリーズ買いする気は失せてしまいました。9番くらいは単発で聴きに行きたいですが。
山田和樹 / 日本フィルハーモニー交響楽団
扇谷泰朋 (violin-1)
1. 武満徹: ノスタルジア
2. マーラー: 交響曲第6番イ短調「悲劇的」
山田和樹マーラーチクルス第2期の最終。前回お休みだったコンマスの扇谷氏が復活し、1曲目の「ノスタルギア」で実に眠たいソロを聴かせてくれました…。寝不足で聴くにはなかなかキツい曲でした、すみません。
一方、マーラー6番は個人的にもお気に入りで、生演奏の機会はできる限り出かけていくことにしていましたが、最近はちょっとご無沙汰、前に行ったのは2年前のインキネン/日フィルでした。4番、5番が「笛吹けど踊らず」系で練習不足にも見えた今回のチクルスですが、6番は少し気合を入れてネジを巻き直した様子がうかがえました。冒頭から軍靴の音をくっきりと刻むかのような行進で、続くアルマのテーマもこれ見よがしに劇的な表現。5番のときとは打って変わり、弦は芯のある音で頑張っていました。一方、管は相変わらず貧弱。まあ、トランペットは崩壊してなかったし、要所ではヤケクソ気味に音圧を張り上げていたので、それなりに迫力は出ていました。
全般的に反応が鈍いのは前と同じで、終始後乗りのもモタリ気味演奏。終楽章ではティンパニ等が振り落とされる事故も起こっていました。別に事故はあってもいいのですが、鬼気迫るドライブの代償として、ならばまだ感動もひとしおなれど、そんな演奏だったかというと…。
なお中間楽章の順序は、インキネンと同じく伝統的なスケルツォ→アンダンテの順。プレトークではハンマーを何回叩くかは聴いてのお楽しみと気を持たせていましたが、結局普通に2回だけでした。
来年はいよいよチクルス第3期の7、8、9番ですが、シリーズ買いする気は失せてしまいました。9番くらいは単発で聴きに行きたいですが。
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