チョン・ミョンフン/東京フィル:チャイコフスキーの作品35&36番2016/07/27 23:59

2016.07.27 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
Myung-Whun Chung / 東京フィルハーモニー交響楽団
Clara-Jumi Kang (violin-1)
1. チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.35
2. チャイコフスキー: 交響曲第4番へ短調 Op.36

職場が川崎に変わり、いまだかつてない程コンサートホールに近い環境で働いているにもかかわらず、ミューザ川崎って平日夜にはほとんど演奏会をやってないので、会社帰りに演奏会三昧などという淡い期待はそもそも妄想でした。とは言え、まったくゼロというわけではなく、7〜8月に行われる音楽祭「フェスタサマーミューザ」は貴重な狙い目。チョン・ミョンフンはまだ実演を聴いたことがない巨匠の一人でしたので、渡りに船、一石二鳥でした。

チャイコフスキーの作品番号が連続した著名2曲というプログラムのせいもあってか、客席はほぼ満員。1曲目のヴァイオリン協奏曲、ソリストは指揮者と同じく韓国系のクララ・ジュミ・カン。まあ所謂「韓流美人」ではありますが、脱色のきつい茶髪のオールバックは品位に欠け、28歳という年齢にしてはババ臭く見えるので、ちょっと考えたほうがいいと思います。演奏のほうは、4階席にも充分届くしっかりした音量でありながら、どこにも押し付けがましいところはなく、それどころか無味無臭の、蒸留水のようなヴァイオリン。テクニックは非の打ちどころなく上手いと思いましたが、何せ色がない。上手いなと感心させるその上手さがことごとくメカニカルな部分のみで、奏者としてはもうあまり伸びしろがないように思われました。指揮者が全体をコントロールしていて、「ミョンフンワールド」のチャイコンは完成度重視、ソリストは指揮者と闘うでもなく、ひたすらノーミスの仕事を心がけるかのようでした。天才ヴァイオリニストを姉に持つミョンフンと協演する人は誰もが萎縮してしまうのもいたしかたないですか。のっけの協奏曲から完全暗譜で臨むミョンフンは、終始前のめりで追い込むタイプで、オケもしっかり食らいついており、「え、これが東フィル?」と最初驚いたくらいヨーロピアン調のまろやかな音が心地よかったです。アンコールはバッハのラルゴ。

メインのチャイ4も、もちろんミョンフンは全暗譜。この人のオケのドライブは半端なく、決して反応が良いとは言えない東フィルを自由自在にゆさぶります。弦のフレーズは音符を並べただけではない「うねり」があり、管楽器にはアタック音を丁寧に取り除いた柔らかさがあります。金管のキズもほとんどなく、一貫して集中力の高いプロの仕事。初めて、東フィルを上手いと感じました。ミョンフンの統率力あってのことでしょうが、この組み合わせが良好な信頼関係を長年築けている証なんだろうと思います。終楽章は、最近の人はなかなか無茶をしないのですが、限界に挑戦するムラヴィンスキーばりの高速を責任持って引っ張り、ラストのアチェレランドのかけ方も圧巻。あまり期待してなかった分、たいへん納得できたチャイ4でした。正直言うと、顔が芸術っぽくないという全く幼稚な偏見で、あまり興味も持たなかった指揮者だったのですが、今日で認識が一変しました。この人はさすがに世界の一流です。

新国立劇場:松村禎三「沈黙」2015/06/28 23:59


2015.06.28 新国立劇場 オペラ劇場 (東京)
下野竜也 / 東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団, 世田谷ジュニア合唱団
小原啓楼 (ロドリゴ), 小森輝彦 (フェレイラ)
大沼徹 (ヴァリニャーノ), 桝貴志 (キチジロー)
鈴木准 (モキチ), 石橋栄実 (オハル)
増田弥生 (おまつ), 小林由佳 (少年)
大久保眞 (じさま), 大久保光哉 (老人)
加茂下稔 (チョウキチ), 三戸大久 (井上筑後守)
町英和 (通辞), 峰茂樹 (役人/番人)
宮田慶子 (演出), 遠藤周作 (原作)
1. 松村禎三: 歌劇「沈黙」

このオペラは1993年の日生劇場での初演と、2000年の新国立劇場・二期会共催上演を見て以来ですので、15年ぶりの3回目になります。新国立劇場に足を運ぶのもえらい久しぶりで、前回来たのは2007年の「くるみ割り人形」でしたが、その年の夏に松村禎三氏は亡くなっていたのでした。

「沈黙」は日本のオペラの中では上演機会に恵まれているほうで、この宮田慶子版(2012年プレミエ)は3つ目のプロダクションのはずです。詳細はよく憶えていないものの、前にここで見たときの演出は、ひたすら暗かったのに、最後だけはまるで「白鳥の湖」のラストシーンかと思うくらい、取って付けたような天光が差してきて、分かりやすく神の救いを表現するというベタな演出でした。

一方今回の演出では、螺旋形で緩やかに上がっていく木製の回転ステージには巨大な十字架が刺さっており、シンプルながらも光と影を効果的に使ったシンボリックな舞台は、プロットがすっと身体に入ってきて好感が持てるものでした。音楽を邪魔しないというか、音楽の力が素直に引き立つよう作られており、一見根暗で前衛的なこのオペラが、そもそもいかにもオペラらしい劇的表現の宝庫かということがよくわかりました。不協和音の連続のようで、そこかしこに散りばめられる民謡、賛美歌、ムード歌謡まで、なんでもありのごった煮の世界。松村氏の他の作品と比べてサービス精神が突出しており、エンターテインメント志向が強い異色作です。見終わった後、晴れやかに劇場を出て行く、というものではなく、むしろ「どよーん」とした空気が何とも言えない作品ではありますが。

歌手陣は皆歌いなれた人たちで、危なげない歌唱で安心して聴いていられました。下野竜也と東フィルの演奏も穴がなく実に立派なものでした。演奏にどうしても熱が入ってしまうのか、頑張りすぎて時々歌をかき消していましたが。

日本を代表するオペラ作品だし、東西文化の衝突は題材としても海外向き。是非どんどん輸出して欲しいものです。ハンガリー語、チェコ語、ポーランド語のオペラ上演が欧米の主要劇場でちゃんと成立しているのだから、人口でははるかに多い日本語オペラの上演があっても不思議ではないですよね。まあ、日本人歌手をもっと輸出することが先決かもしれません…。

東フィル/井上/コヴァーチ(bs)/メラート(ms):青ひげ公の城(コンサートオペラ)2013/09/13 23:59


2013.09.13 東京芸術劇場コンサートホール
東京芸術劇場コンサートオペラ vol. 1
井上道義 (指揮・企画演出) / 東京フィルハーモニー交響楽団
Kovács István (Kékszakállú/bass-2)
Meláth Andrea (Judith/mezzosoprano-2)
仲代達矢 (吟遊詩人-2)
1. オッフェンバック (ロザンタール編): バレエ音楽「パリの喜び」より抜粋
2. バルトーク: 歌劇「青ひげ公の城」

多少涼しくはなっても蒸し暑さはまだまだ続く熱帯ニッポンですが、毎日3枚のタオルを常備して汗をふきふき、何とか生きてます。

さて、新生活も徐々に慣れてきて、やっと帰国後初の演奏会に行けたこともあって、ぼちぼちブログを再開しようと思います。もう住んでないのに「ロンドンの退屈な日々」もなかろうと、タイトルを思いつきで「Mind The Goat Cheese」に変えました。

東京芸術劇場のコンサートオペラシリーズ第1弾「青ひげ公の城」。芸術劇場の主催公演なので東フィルのWebサイトには情報が全然載ってなくて、ホールのサイトをたまたま見に行って見つけたのはラッキーでした。それにしても日本で早速「青ひげ公の城」を聴けるとは。思えば、以前ハンガリーから日本に帰って最初に行った演奏会はラ・フォル・ジュルネでバルトークでした。その後ロンドンに引越し、最初に聴いたのもプロムスでバルトーク。節目にはやっぱりバルトークですね。

東京芸術劇場は駅の真ん前にあって、どの席からもステージが見やすい作りなので割と好きなホールでしたが、もう10数年ぶりですか。改装のためここ数年閉鎖されていたようです。シンボルだった、一気に最上階まで上がる直線エレベータがなくなっていたのは驚きました。トイレに行こうとしてふと目に止まったのが、ブダペストのドナウ川沿いにあるものと同じ「小公女」の像。こんなのがあるとは知りませんでしたが、前にここに来た時はまだブダペストのことなど何も知らない時期でしたから、致し方なし。ともあれ、この「小公女」との思いがけない再会で、開演前から気分はもうハンガリーです。


芸術劇場の「小公女」像。作者はMarton Laszloです。


こちらは同じ作者による本家本元の「小公女」像。ブダペストの観光シンボルにもなってます。

1曲目「パリの喜び」は、まあ埋め草のようなもので、どうでもよかったんですが、まずは長過ぎるホールの残響に面食らいました。音が直線的なロンドンのホールに耳が慣れ切ってしまったんでしょうか、かなり前のほうで聴いたにもかかわらず彼方響いてくるような分離の悪さ。まあ、これはすぐに耳が慣れましたが、演奏自体は何ともテンションの低いもの。井上さんも小気味良く振り込んではいますが、何となくお仕事モードで強引にペースに引き込む気概はなかったようです。破綻はないので、まあバレエの伴奏にはROHのオケよりナンボかマシかも。

さて本題の「青ひげ公」ですが、何度も聴いたこの曲を日本語字幕付きで見るのは新鮮な体験です。最初の吟遊詩人の前口上は、名優、仲代達矢。もちろん日本語の前口上はCDラジオ含めても初めて。完全に暗転した客席後方から誘導員の小さい灯りを頼りにトボトボと歩いてきた仲代達矢、ステージに腰掛けると早速聴衆に「暗いね」「指揮者はどこ行った」などとぶつぶつ語りかけるメタ演劇っぽい演出(元々が「旦那様方、奥樣方」と語りかける前口上なのでメタフィクションとは言えませんが)。本来のテキストはかっちり決まっていますが、今回の日本語訳は、先の楽屋オチのようなものも含め、かなり自由に創作していました。後半盛り上げて幕開けを宣言するあたりではさすが一流舞台俳優の貫禄でしたから、最初の付け足しは余計。私的には、あくまでフォーマルに通して欲しかったです。

前口上の途中ですっと出てきた、頭の禿げ具合はフィッシャー兄弟そっくりな井上さん、出だしの民謡旋律がさっきとは一転して「おっ」と思わせる繊細さだったので期待が高まったのですが、出だしだけでした。私が持っていた東フィルのイメージは相変わらずで、終始キレが悪く自信なさげな演奏は、聴衆の心を掴むには力が全然足らないんじゃないかと。第2の扉の軍隊トランペットや第4の扉のフルートなど、ソロの見せ所でことごとく真っ向勝負を避けたかのようなごまかし演奏には、贅沢言っちゃいけないとは思いつつも、脱力してしまいました。もちろんやり慣れた曲ではない上に、リハの時間も十分に取れなかったのだろうとは思いますが、だから冒頭だけは念入りに仕込んだんかな。

頼りにならないオケとは裏腹に、というより今日のほとんど全てだったのは、メラート・アンドレアとコヴァーチ・イシュトヴァーンの遥々ハンガリーから呼んできた歌手陣。どちらも別々には過去「青ひげ公」を歌ったのを聴いておりますが、このペアでは初めてです。この人達がブダペストでこの曲をオハコとしていて、安心して聴けるのはわかっており、チケットを買ったのもほとんどこの2人が目当てだったのですが、歌唱は期待以上に素晴らしいものでした。コヴァーチは若くて細身なのに低音の利いた深い声で、ブレなく丁寧に、青ひげ公の秘めたる悲哀を表現していきます。浮つかず質実剛健な青ひげ公像はハンガリー人名歌手の伝統であり、彼の師匠のポルガール・ラースローを彷彿とさせます(ポルガールの生歌で結局聴けなかったのが残念です)。今イチオシの「青ひげ公」バスと言えましょう。一方のメラート(プログラムには「メラース」と書いてましたが間違いですね)も、節度を守った模範的なユディットで、メゾでありながらも高音域も奇麗によく伸びるダイナミクスの広い歌唱。一貫した「ためらい」がつぶさに表現されており、ベテランの芸に感服しました。第5の扉で叫びがなかったのは、これはまあそういう演出でしょう。特筆すべきは2人とも、弱々しくて厚みに欠けるこのオケにはもったいないくらい、十二分にホールを揺さぶる豊かな声量。バランスが取れていて、ダイナミックレンジも申し分なく、昨年(フィレンツェ)、一昨年(ロンドン)に聴いた付焼き刃的ペアとは明らかに一線を画するものでした。やっぱりこの曲はハンガリー語を母国語とする歌手でないと出せないニュアンスがあります。ハンガリー人なら誰でもOK、というわけではもちろんありませんが。

今日のコンサートパフォーマンスは照明の演出もありまして、特徴的な造形のパイプオルガンを上手く活用しようという意図は伝わりましたが、青とか赤の原色がチカチカするばかりで物語がなく、歌手が素晴らしかった分、照明はそのうちどうでもよくなりました。

今年は何と年末にもインバル/都響が「青ひげ公」をやり、ユディットを歌いにコムローシ・イルディコがやってくるとのことで、もちろん聴きに行きますよー。青ひげ公役のマルクス・アイヒェは全然知らない人ですが、「ドイツ人」の「バリトン」というプロファイルに一抹の不安が…。

おまけ。


ユニークな造形のパイプオルガン。


青ひげ公の椅子。

休憩時間にホールの中でちょっとだけ上の写真を撮っていたら、さすがニッポン、係員が早速やってきて、「撮影の許可はお持ちですか?」と。そんなの一般市民が持ってるわけなかろうが、いやらしい言い方すんなよ、と、ちょいムカ。別に奏者を撮るつもりはないんだし、注意するならストレートに「No photo!」と言ってくだされや。