アンダルシア (6):スペイン料理2012/04/08 23:59

スペインは料理が美味しいのでも有名です。実は私、魚と貝は大丈夫なんですがエビ・カニ・イカ・タコがダメで、スペイン料理は大の苦手でした。大学の頃、研究室のコンパをスペイン料理屋でやった際に、マッシュルームのガーリック焼き以外、何も食べられなかった記憶があります(その分飲んだので割り勘負けはしませんでしたが)。しかしその後人生経験を積み、別にエビ・イカだけがスペイン料理じゃない、というのがわかってきて、今ではタパスなど好んで行くほうです。

今回も食事は非常に楽しみにしていましたが、グラナダではなかなか良い店に当たらず、残念でした。やっぱり地元の人の手引きがないと、美味しいお店を見つけるのはそう簡単ではないですね。


セビリア旧市街のタパスは、それなりに美味しかったんですが、どの店もメニューがだいたい同じで個性がありませんでした。だいたい毎食、私はイベリコ豚の生ハムを食し、妻と娘は、私が苦手なんで家の食卓では出さないイカのフライを、ここぞとばかりに食べまくっていました。


生ハムも店によって様々で、やっぱり注文を受けてから切ってくれるお店がいいですね(そうじゃない店もけっこうあったので)。


これもタパス飯ですが、意外とイケた、そら豆とイベリコハムのオーブン焼き。ロンドンはそら豆が手に入るし、家庭でもアレンジが出来そうな一品です。


スペインのデザート、フラン。要はカスタードプディング、日本で言うプリンです。


マラガの町中では、Calle Strachan、Calle de Marín Garcíaといった通り沿いにレストラン、タパスが立ち並んでいます。スペインの標準として、レストランは8時にならないと開きません。


これはアンコウのマラガソース。娘がアンコウを気に入り、アンコウがあればそればかり注文していました。贅沢なやっちゃ…。全般的にさすがはスペイン、魚介類は新鮮な材料を使っていて、魚の鮮度にうるさい日本人にも十分満足のできるものでした。


レストランで食べる機会がなかったので、スペイン名物「ウナギの稚魚」の缶詰をデパートで買ってみました。そのまま食べれるかと思ったらどうもそうではなさそうで、パッケージの写真を真似て、ニンニクスライスと一緒にオリーブオイルで炒めてみました。


うーむ、見た目は寄生虫のようで何ともグロい…。妻は飛んで逃げて行きました。が、味は良かったです(ウナギの稚魚なのでそんなヘンなものにはなりようもない)。缶詰じゃないちゃんとしたフレッシュなやつを、いつか食べてみたいと思いました。


日本の成城石井などではよくスペイン産のアンキモの缶詰を売っていましたので、デパートで探したのですが、残念ながら見つからず。悔しいので代わりに、タラの肝の缶詰と、マテ貝の缶詰を買いました。まだ開封していません…。

以上、アンダルシアシリーズはこれでおしまいです。

アンダルシア (5):マラガ2012/04/07 23:59

今回のアンダルシア旅行はロンドンLCY発マラガ行きの直行便を使ったので、最後はマラガに戻って来ないといけません。セビリアの交通封鎖で懲りたため、午前のうちにマラガまで移動しました。ホテルの近くに大きいデパートがあったので、昼食、夜食、ワインとお土産物(カラスミ等)を買い込み、腹ごしらえをしたあと、日のあるうちに高台のヒブラルファロ城へゴー。入場チケットを買おうとしたら、小銭がなくて50ユーロ札しかなかったので発券機は受け付けてくれず、近くの売店で崩そうとしても大きい札は受け付けてくれなかったので(店員の態度には非常にむかついたが)、途方に暮れていたら、お城の受付のおばちゃんが、じゃあいいわよ入りなさいと、タダで中に入れてくれました。頭に来ることの多かった今回の旅行で、一番人の親切に感謝した瞬間です。



お城から見下ろすマラガの町並みは絶景でした。ここも3000年以上前から人が住んでいる古い都市で、予想外の大きさに驚きました。


とんねるずが番組でロケをしていたという闘牛場もばっちり見えました。闘牛は残念ながら今回見ることはかなわず。


夕食を目指して町中に下りると、まだ日は高く、大聖堂も西日を浴びて燦々とそびえておりました。

翌日、セマナ・サンタの最終日は昼の時間帯に最後の巡行がありました。逆に町のど真ん中に行かなかったのが良かったのでしょう、行列を至近距離で見ることができてたいへんラッキーでした。グラナダやセビリアでは近づくこともできなかったので。


キリスト受難の山車。やはりハードワークなのでしょう、ちょっと進んでは休憩、の繰り返しなので、なかなか進みません。




教会、宗派によって衣装の色が違うようで、みなさん競って色とりどりです。小さい子供も借り出されていて、特にかわいかった三兄弟は観光客のカメラの的になっていました。



キリスト受難と嘆きのマリアはセットです。楽隊は地元の中学・高校生のブラスバンドが動員され、やっとアンダルシアらしい快晴がやってきて25℃くらいの気温の中、汗をかきかきがんばっていました。

アンダルシア (4):セビリア2012/04/06 23:59

グラナダをあとにして、セビリアへ。スペインは治安に不安があるので、できるだけ夜歩かなくて済むようにと町中ど真ん中のホテルを予約したら、これが裏目。セマナ・サンタが最も盛り上がるセビリアでもまさにピークの日だったため、旧市街は交通が完全に封鎖され、車でホテルに近づくことすら不可能なのでした。仕方がないので離れた場所の公共駐車場へ行くも、すでに満車。自分の前に並んでいる車の家族は、運転手だけを残してみんな駐車場横のタパスで飲み食いしております。列に並ぶこと1時間半、途中、無法なガイキチ野郎が無茶な割り込みで順番抜かしてさっさと入って行ったりもしましたが(誰か取り締まらんのか)、何とか地下駐車場に入り、狭苦しいスペースに苦労して駐車。石畳の上をガラガラと荷物を引いて、やっとのことでホテルに到着。

教訓:「セマナ・サンタのセビリアは車で行くべからず」


セビリアに着いても、天気は相変わらず不安定です。これは町のシンボル、大聖堂とヒラルダの塔。アンダルシアはいつも青い空じゃなかったんか〜。この日の夜の山車巡行は、雨のため結局中止になってましたが、交通規制とけんもほろろの対応でムカついていた私は、ちょっと「ざまあみろ」気分。


翌朝はようやく抜けるような快晴となり、ここぞとばかりに観光レッツゴー。午後の予報は依然として雨、今のうちにと、大聖堂にも長蛇の列です。


どこまでも青い空が広がると、ガイドブックに書いてあった通りのスペイン広場を見れて感動です。


いわゆる「カルメンのタバコ工場」。現在は大学のキャンパスで、通常は閉鎖されています。バラの花を加えてポーズをとろうと思ったのですが、肝心の花屋が見当たりませんでした。


さて、時は聖週間のセマナ・サンタ。町中にはKKKのようなとんがり帽子の人がよく歩いています。


教会・宗派によって衣装の色が違うそうで、皆さん、どうだ見たかというように堂々と町中を跋扈しております。でも、結局雨に降られ、とんがり帽子がへしょんと萎れてトボトボ帰る様は、ちょっと物悲しいものがありました。


雨もあって、この日の巡行は結局深夜の12を過ぎてから。大聖堂から出てきた集団を見るために、大聖堂前広場は真夜中にもかかわらず大勢の観光客で賑わっていました。


私はもう疲れたので、山車を遠目に確認したらすぐに撤収しました…。

アンダルシア (3):グラナダのフラメンコ・ショー2012/04/05 23:59

せっかくアンダルシアまで来たのだから本場のフラメンコを見てみたいと、Los Tarantosという有名なタプラオに行ってみました。ホテルへの送迎と夜の旧市街アルバイシン散策ツアー付き、1ドリンク込みのフラメンコショーの値段は28ユーロ/人。夜9時15分にホテルに迎えのバスが来て、乗り込むとすでに十数名のツアー客が。あといくつかのホテルを廻ってからお店に向かうとのことでしたが、くしくもこの日はセマナ・サンタで市街地は通行止めと交通渋滞の嵐。ようやくアルバイシンに着いたら時刻はすでに10時30分を回っていて、やはり子連れでフラメンコを見に来るのは無理があったかと後悔。どれだけ待たせるんだとすでに怒り出している人もいました。


お店に行く前に、まずは夜のアルバイシン散策。ツアーは結局バス2台分、20数名になっていました。夜中でも人通りの多い旧市街を、はぐれないように皆でぞろぞろと着いて行きます。


サン・ニコラス展望台から見るアルハンブラ宮殿の夜景は、確かに見応えがありました。この近くに宿泊でもしない限り、夜中に自力でここまではなかなか来れないので、よいものが見れました。


展望台から人ごみをかき分けつつ10分くらい歩き、ようやくお店に到着。とにかく人が多い。


洞窟住居を改装した店内にはショーを行う細長い部屋がいくつかあるようで、早速音楽が聴こえてきます。ぎゅうぎゅう詰めの廊下で長らく待たされた後、やっと一つの部屋に通されました。ウェイターが一人一人ドリンクの注文を取り、皆にドリンクが配られてから、女性ダンサー2名(思ったより若く、エキゾチック美人)、男性ダンサー1名(ハゲ)、女性の歌い手1名(いかにもジプシー)、ギタリスト1名(生まれてこのかた裏社会しか生きてこなかったかのような、実に味のある顔をしたおっさん)が入ってきて、ようやくお待ちかねのフラメンコショーがスタート。時刻はすでに午前0時を回っています。


フラメンコをちゃんと見るのは、実は生まれて初めてです。歌とギターを伴奏に、最初は女性、次に男性が踊りを披露して行きます。カスタネットなどは使わず、フィンガースナップとタップだけの激しくフィジカルなダンスです。メンバーが一通り踊った後、別の男性ダンサーが外から入ってきて、一段とレベルの高いタップを披露しました。この人が真打ちなんでしょう、ハゲの兄ちゃんもけっこう上手いと思いましたが、真打ちはタップの速さと鋭さの次元が違いました。一度見ただけでフラメンコの真髄など語れるはずもないですが、私が見た限りこれは所詮、こけおどし系タップダンスの競い合い、なのではないかと。ギタリストと歌手が気もそぞろにずっと部屋の外を見て、心ここにあらずだったのも気になりました。

ショーが30分くらい続いた後、少し間を置いて、メンバー総入れ替えで次のショーが始まりました。今度は意外とあっさり終り、時間も時間だけに、お客はそろそろ帰りたくてそわそわしていると、ウェイターがやってきて「まだ終わりではありません」。タクシーも入って来れない深い旧市街ではこちらも帰りの足がないと困るので、仕方なく待っていると、さっきと同じメンバーが入ってきて、今度は年配の(というか老齢の)女性ダンサーがカスタネットを持ってやる気のなさそうな踊りをしつつ、お客を誘って一緒に踊ろうとします。そういうのもいいけど、それはフラメンコじゃないだろうと思っていたら、今度はさらに短時間で終って、メンバー撤収。取り残されたツアー客はさすがにしびれを切らし、立ち上がって出口に向かい、ツアコンを探しますが、入り口付近が人であふれかえっていてとても外に出られない状況であるのに気付きました。セマナ・サンタの山車巡行が、まさにこのお店の前を通過しようとしているところで、人ごみは朝の山手線状態。そんな中でも同じツアーに参加していた中国人グループは傍若無人にぐいぐいと人を押しながら前に出て行ったから、たいしたもんです。


せめて同じホテルに帰る人々とははぐれないようにと気をつけつつ、もうこうなりゃヤケよ、山車が見れてラッキーと、十字架に磷り付けられたキリストの山車は足の部分だけ何とか見えました。


それに続く嘆きのマリアの山車はちゃんと顔が見えて、元々見るのを諦めていただけに、まあラッキー。後で気付いたのですが、ジプシーの歌を歌っていたおばちゃん達は、お客もそっちのけでいち早く外に出て、山車に対する奉納の歌を外で歌っていたようで、それであんなにソワソワしていたのかと、納得。

山車の一行が通過して、ようやく動けるようになったら、ツアコンが皆を引率して(でも人数確認もしてないし、はぐれた人は絶対いると思う)元のバスが駐車してある場所まで歩き、帰路につきました。ホテルに着いたら時刻はすでに2時を回っていて、長い一日でしたが、何はともあれ無事帰れたし、普通じゃできない体験だったので、まあ旅のよい想い出ですかな。

教訓は、「聖週間のグラナダでフラメンコツアーは控えるべし」。

そもそも、日本人がアンダルシアへ旅行するなら聖週間は避けたほうが無難かも…。

アンダルシア (2):ファリャの家2012/04/04 23:59

グラナダには私の大好きな作曲家、マヌエル・デ・ファリャが亡命前の晩年住んでいた家が博物館として残されています。アルハンブラ宮殿へ向かう細い坂道を延々と上って行くと、


ありましたありました。道がちょっとわかりにくいですが、この看板が目印です。


扉には怪しげなノックが。


開館時間中は扉が開いているので中に入り、呼び鈴を鳴らすと係員がすぐに出てきてくれます。他のグループをガイド中であってもともかく顔は出して「5分待って」などと言いますが、実際は20分くらい待たされました。


待っている間、庭に入って周囲を眺めます。


小さな公園のように、奇麗に整った庭。奥にはファリャの像があります。


アルハンブラ宮殿ほどではないですが、けっこう高台にあるので、庭から望むグラナダの町並みは絶景です(天気さえ良ければ…)。


前のグループが終ってようやく中に入ります。入場料(ガイド付)3ユーロ。スペイン人のグループと一緒でしたが、係員は多少英語を混ぜて解説してくれました(ただしめっちゃスペイン訛りの英語なので聞き取りにくい)。ファリャが身体の小さい人だったせいか、たいへんこじんまりとした家です。玄関すぐ横の応接間には小さな円卓があり、ロルカ、ラヴェル、ストラヴィンスキー、ピカソといった友人たちが集っていたそうです。


手回しのレコードプレイヤー。もうレコードがあったんですねえ。


ファリャがここに住んでいた1921〜1939年はほとんど隠居生活で、あまり重要な作品は生まれていませんが、作曲に使っていたピアノも当時のまま残されています。


神経質な人だったようで、寝室のベッドの脇にはおびただしい量の医薬品が常時置いてあったそうです。


ファリャが実際に収集していた浮世絵のプリントは意表をつかれました。左が歌麿、右が北斎です。

ファリャは1936年の親友ロルカの暗殺を受けて1939年にアルゼンチンに亡命し、そのまま1946年に当地にて没。家を見ていると社交的で温和な人柄が見て取れますが、必ずしも幸せな人生とは言えなかったのかもしれません。そう言えば晩年の作品って聴いたことがなかったので、俄然興味が湧きました。

アンダルシア (1):雨のアルハンブラ2012/04/03 23:59

先週休暇を取り、スペインはアンダルシア地方を旅行してきました。どこまでも続く青い空と強い日差しがデフォルトかと思ったのに、運悪く毎日の雨模様で肌寒かったです。


グラナダ大聖堂も、今にも雨が落ちてきそうな曇天です。先週スペインでは「セマナ・サンタ」という復活祭のお祭りが各都市で盛り上がっておりまして、国内外から大勢の観光客が集まります。「プロセッション」と呼ばれるキリストの受難を表す神輿を担いだパレードが毎日行われるため随所で交通規制があり、写真のように大聖堂も一時閉鎖され、前の広場は観覧席が設けられてだいぶ不便なことになっています。うちは別にセマナ・サンタが目当てだったわけではなく、イースターの連休と子供の春休みを絡めるとその週しか選択肢がなかったのですが、おかげでいろいろと、良きも悪きも忘れ難い経験をすることが出来ました。

で、グラナダと言えばまずはアルハンブラ宮殿。チケットは事前に予約しておいたほうが良いと聴いたので1ヶ月前にWebサイトを見てみたのですが、甘かった。セマナ・サンタのおかげでチケットの売れ行きが驚くほど速くて、どの日も夜7時からの最終スロットしかすでに残ってなく、それすら残り稀少という状況。普段ならそこまでひどいことはないようなのですが、もっと早くチェックを入れておくべきでした。ともあれ大慌てで夜7時から入場のチケットを購入。実際のチケットは、ダウンタウンにある宮殿のショップか、宮殿入り口のチケットカウンターで発券できます(予約時に登録したクレジットカードが必要)。夜7時入場というのは、メインの建物であるナスル宮の入り口に7時までに行けばよく、その他の庭や離宮は早めに入って見ていてもかまいません。というか、8時閉場なのでそうしないと見切れません。


夕方から降り始めた雨は強さを増し、宮殿入り口に着いた頃には絶好調の大雨。アンダルシアの青い空はどこに…。


入り口に近い離宮のヘネラリフェから先に見ます。うーむ、写真で見た通りのエキゾチックな庭園です。これで天気さえ良ければ…。


反対側の先端、アルカサバの塔に登ると絶景が広がります。雨も小康状態になり、多少持ち直してきました。


グラナダの町も一望。あー、返す返すも天気が残念だ。


アラヤネスのパティオと呼ばれる、池の水面を巧妙にあしらった美しい中庭。


イスラム様式の装飾はヨーロッパの教会とは別世界の精巧さで、圧倒されます。


著名なライオンのパティオは残念ながら改装工事中。とにもかくにも念願のアルハンブラ宮殿を無事見ることができたのは良かったですが、天候も含めてとてもベストコンディションとは言えない状況に、欲求不満は残りました。