東京春祭ワーグナーシリーズ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」ベックメッサーに乾杯!する日が来ようとは2023/04/09 23:59



2023.04.09 東京文化会館 大ホール (東京)
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 14
Marek Janowski / NHK交響楽団
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Egils Silins (Hans Sachs/bass-baritone)
Adrian Eröd (Sixtus Beckmesser/baritone)
David Butt Philip (Walther von Stolzing/tenor)
Johanni Van Oostrum (Eva/soprano)
Katrin Wundsam (Magdalene/mezzo-soprano)
Daniel Behle (David/tenor)
Andreas Bauer Kanabas (Veit Pogner/Ein Nachtwächter/bass)
Josef Wagner (Fritz Kothner/bass-baritone)
木下紀章 (Kunz Vogelgesang/tenor)
小林啓倫 (Konrad Nachtigal/baritone)
大槻孝志 (Balthasar Zorn/tenor)
下村将太 (Ulrich Eisslinger/tenor)
髙梨英次郎 (Augustin Moser/tenor)
山田大智 (Hermann Ortel/bass-baritone)
金子慧一 (Hans Schwarz/bass)
後藤春馬 (Hans Foltz/bass-baritone)
東京オペラシンガーズ
1. ワーグナー:楽劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》(全3幕)

4年ぶりの東京春祭ワーグナー・シリーズです。リングシリーズのときと同じく、マレク・ヤノフスキ指揮のN響、ゲストコンマスにライナー・キュッヒルという最強布陣。外来歌手陣は春祭常連のエギルス・シリンス以外、記憶にない名前ばかりだったので少々不安でしたが、やはりこのシリーズの仕掛人の耳は確かで、今回も安定の粒揃いでした。

聴衆の誰もが認める本日のエースは、ベックメッサー役のアドリアン・エレート。初めて聴く人でしたが、バイロイトを含む欧州各地を渡り歩いている現役バリバリのベックメッサーのようで、調べると2013年東京春祭の前回「マイスタージンガー」にも出演していたようです。演奏会形式なので、他の歌手が皆自分の楽譜を持ち歩き、譜面台に置いて歌っていたのに対し、彼だけは完全暗譜でオペラさながらの小芝居を交え、完璧なベックメッサーを演じていました。

突出したパフォーマンスで観衆を大いに沸かせたエレートは別格としても、他の主要キャストの人々も立派な歌唱で盛り立てます。春祭のワーグナー「リング」シリーズでヴォータンを歌っていたシリンスは、ザックス役は今回がほぼ初めてだった様子で、相変わらず存在感のある美声ながら、歌唱は終始固めで、途中詰まったような箇所もあり、暖かい人間味が滲み出るような熟れ感はありませんでした。

ヴァルター役のデイヴィッド・バット・フィリップは、備忘録を辿るとロイヤルオペラで2012年「バスティアンとバスティエンヌ」と2013年「ナブッコ」に出ていたのを見ていますが、その当時はジェット・パーカー・プログラムを卒業したばかりの若手で、特に鮮烈な印象はなく。今日も最初は声が弱く終始オケに負けていましたし、歌の響かせ方も工夫がない(ずっと同じ方向を見て歌っているので反対側の聴衆はずっと聴きづらい)感じでしたが、幕を追うごとに調子を上げ、第3幕のクライマックスにピークを持ってきてヴァルターの成長を表現するという、これを狙ってやっているのだとしたらまさに成長の証、老獪なワザを身につけたものだと感心します。

オケもいつも以上に安定した演奏で、毎度ながらキュッヒル様様です。なお、リングシリーズとは違い、今回は映像による補完はなく、照明のみの簡素な舞台演出でした。

しかしこのマイスタージンガーは、舞台上に人わらわらの人海戦術が効くオペラだけに、演奏会形式だとちょっと辛い箇所がちらほらと。特にラストのクライマックスは、ザックスが「マイスターを舐めないで!」と歌いヴァルターをたしなめた後は、演者の動きだけで大円団が表現されているため、演奏会形式だと話が全然解決しないまま宙ぶらりん感を残して終わってしまいます。やはりこいつは劇場で見たかったものです。それにしてもこのオペラ、ヒトラーも愛しただけあって、ドイツ芸術とドイツ人万歳が結論の、本当に古き良き時代の国威発揚芸術ですね。これが今日までドイツ以外でも世界中で上演され続けているのは、ひとえにワーグナーの音楽が持つ、普遍的でとてつもない価値の賜物でしょう。これがもし、プーチンが愛するロシア皇帝万々歳のオペラだとしたら、それでも芸術的価値が高ければ、やはり今年も上演され続けているのだろうか、などという邪念が演奏中もふとよぎってしまいました。