リガ(ラトヴィア)2013/03/02 23:59

これも昨年末の記録です。一度は行ってみたいと思っていたバルト三国、できれば夏に行きたかったです…。緯度で言うとイギリスではアバディーンあたりですか。さすがにロンドンとは気候が違い、着いた日は猛吹雪でした。


雪が落ち着いたのでホテル周辺の旧市街を散策。大聖堂前のクリスマスマーケットも人通りはまばらです。


木彫りのオジサン達が寒い中なんとかマーケットを賑わしてい…ませんね、これでは。


右がハンザ同盟の本拠地ブラックヘッド会館、左が聖ペテロ教会。


聖ペテロ教会の展望台は開いてましたので、上ってみました。一面の雪景色ですが、夏ならオレンジの屋根がもっと奇麗なんでしょうねえ。



ラトヴィアはマリス・ヤンソンス、ギドン・クレーメル、エリーナ・ガランチャ、ミッシャ・マイスキーなどけっこう有名な音楽家を輩出してます。夜にクレーメル率いるクレメラータ・バルティカの演奏会をやっていたので当日券を探しましたが、残念ながらソールドアウトで買えず。バルトの宝石と呼ばれるリガ、次は冬以外に来てみたいものです。


おまけ、ホテルの壁に描いてあった悪趣味なアート。ネズミは嫌いだ…。

ベオグラード(セルビア)2013/03/01 23:59

初のセルビアです。去年の話ですが、なかなか書けず放置してました。セルビアは、バルカン諸国が次々と分離独立する中、最後まで「ユーゴスラヴィア連邦」に留まっていましたが、ユーゴ紛争が落ち着いた後の2003年に「セルビア・モンテネグロ」に移行し、結局はこれも分裂して、今のセルビアになりました。

首都ベオグラードは東欧の空気をまだ色濃く残す町でした。特に夜になると暗い街灯にぼうっと浮かび上がる落書きだらけの煤けたビル壁が、いかにも東欧。初めて行った頃のブダペストを思い出しました。


ブランコ橋の上から臨むベオグラードの旧市街。下を流れるサヴァ川はこのすぐ先でドナウ川と合流します。そう、ドナウ川はベオグラードも通っていたのです。


これといった観光名所はあまりなさそうでした。これは大聖堂のように見えて、実は国会議事堂。


セルビアの宗教はカトリックともプロテスタントとも違い、セルビア正教会です。これは聖マルコ協会。中は禅宗のお寺のごとく質素で寡黙、とても写真を撮る雰囲気ではありませんでした。


町を歩いていると廃墟のようなビルがけっこうたくさんあります。これなどはまだましなほうですが、ユーゴ紛争の際NATOに爆撃されたビルをそのまま残しているところもあるそうです。


壁一面に描かれたアーティスティックな落書き?も、東欧ならではという感じがします。


これもよく描けてます。


これなどは全く落書きでしょうけど、ここまでやると、行政も消すのがもったいないのかな、と思ってしまいます。

ハンガリー国立バレエ:懐かしい、古き良き「くるみ割り人形」2012/12/24 23:59


2012.12.24 Hungarian State Opera House (Budapest)
Vaszilij Vajnonen (choreography, libretto after Hoffmann)
Gusztáv Oláh (set & costume design), András Déri (conductor)
Adrienn Pap (Princess Maria), Denys Cherevychko (Prince Nutcracker)
Blanka Katona (Marika/child Maria), Gyula Sárközi (child Nutcracker)
Csaba Solti (Drosselmeier), Jurij Kekalo (Mouse King)
1. Tchaikovsky: The Nutcracker

2004年から年末には「くるみ割り人形」を見にいくのを家族の恒例行事としておりますが、今年はクリスマス休暇旅行のおり、久しぶりにハンガリー国立バレエを見ることにしました。ここの演出はワイノーネン振付けの初版がベースで、主人公の少女の名はクララではなくマリア。にわか勉強によると、ドイツ人であるホフマンの原作では少女マリーが両親からもらう人形の名前がクララという設定だったのですが、初演のプティパ/イワーノフ版では少女の名前がクララに変えられており、ロイヤルバレエのピーター・ライト版などではこれを踏襲しています。一方のワイノーネン版では原作にならい少女の名はロシア語でマーシャに戻され、ハンガリー語ではマリアとなるわけです。また、イワーノフ版では他の子供と同様少女クララは子役が踊り、踊りの主役はあくまで第2幕に登場するお菓子の国の王子・王女であるのに対し、通常のワイノーネン版は主人公マーシャを最初から大人のダンサーが演じ、くるみ割り人形の王子と共におもちゃの国の王子・王女として迎えられるのが特徴でありながら、このワイノーネン初版では第1幕で子役ダンサーがマーシャとくるみ割り人形の王子を踊り、夢の世界に来たところから大人のダンサーに入れ替わります(ここのトリックが見所ですが)。最後は夢から覚めて、再び子役のマーシャがベッドで目を覚まし傍らのくるみ割り人形を抱きしめるところで幕となる、いわゆる「夢オチ」。私は最初に見たのがこのワイノーネン初版なので、「くるみ割り人形」というのは夢オチが基本だと擦り込まれてしまっておりましたが、原作はそんな単純ではないらしいし、バレエも演出によってお菓子の国で大団円を迎えておしまいというのもあれば、ライト版は最初から大人のダンサーが少女クララを踊り(他の子役と一緒に大人が子供のフリをして踊るのが、私がライト版に最も違和感を感じるところです)、お菓子の国ではただ見てるだけじゃなくて各国の踊りを一緒に踊ったり(昔のロイヤルバレエDVDを見ると一緒に踊るのはないので、近年付け加えられた演出だと思いますが)したあとに、最後は呪いの解けたくるみ割り人形(実はドロッセルマイヤーの息子)と一緒に現実の世界に戻る、というユニークな展開になっていて、本当に様々なパターンがあるようです。あとは細かいことですが、このハンガリー国立バレエの演出では元々の第1幕がパーティーが引けて夜になるところで分割されて休憩が入るので、全部で3幕になってます。


口裂け女みたいなアゴがちょっと気持ち悪い、ハンガリーのくるみ割り人形。

6年ぶりに見るこの「くるみ割り人形」は、ただただ懐かしかったです。極めてオーソドックスな演出に素朴な振付けは古き良き時代の絵本のようで、まさに子供に見せたいバレエでした。第1幕で開けられる子供たちへのプレゼント人形は、アルルカン、バレリーナ、ムーア人。ロイヤルバレエではアルルカン、コロンビーヌ、男女の兵隊ですが、やっぱり最後は土人がくるくる回って子供が興奮するのでなきゃー物足りない、と思ってしまいます。昨今では自主規制が働いていろいろと難しいのかもしれませんが。相変わらず子役で出てくる女の子は皆人形のようにかわいらしい白人のお嬢さんばかりで、見惚れてしまいます。

一方で、自分の目が肥えてしまったのでしょうか、ロイヤルバレエと比べてどうも動きが大らかというか、大味な気がしてならない。アクロバティックな技が少ないし、主役も脇役もちょっと間があくと突っ立っているだけの瞬間が多々あり、スポットを浴びていない間でも小芝居を打つようなきめ細かさがないように思えました。体操のように飛び跳ねればよいってものではありませんが、ダンサーがその力量の幅を目一杯使って表現しているようにも見えなかった。これはやはり、世界のトップクラスに君臨し、世界中から猛者が集まりしのぎを削るカンパニーと、そうでないところのレベルの差なんでしょうかね。

あと気付いたのは、女性は出るところが出たというか、短く言うと巨乳系の人がけっこういました。走り回るとゆっさゆっさ揺れて、めちゃ踊りにくそう(苦笑)。逆にアラビアの踊りなんかは、ガリガリの人が踊るよりはそれらしい雰囲気が出ていて良かったです。ロイヤルバレエはペッタンコの人ばかり(失礼)ですが、他と比べて規律が厳しく消費カロリー(練習量)が多い、ということなんかな。

王子役の人は知りませんでしたが、マリア役のパップ・アドリエンは昔何度か見たことがありました。当時は学校を出たてくらいの若さながら、「白雪姫」や「かかし王子」のお姫様役を堂々と演じていました。今ではすっかり貫禄のソリストですが、まだまだ若いんだから、ちょっと落ち着き過ぎかも。ほぼ全員が東欧系白人顔の中、群舞の中に一人日本人らしき顔を発見、後で調べてみると2010年から入団しているAsai Yukaさんという人みたいです。

オケは、かつては特にバレエの時にひどい演奏をさんざ聴かされたものでしたが、そのときの記憶からしたら、思った以上にしっかりとした演奏で感心しました。速いパッセージでアンサンブルの乱れは多々ありましたが、金管は最後まで持ちこたえていましたし、花のワルツでの妖艶なうねりはなかなかのものでした。



ブダペストのハンガリー国立歌劇場は、今では数少なくなった、貴族時代のゴージャスな内装を徹底的に残している、古き良き劇場です。以下に写真を少々。


エントランスの階段。


エントランスの天井画。


ホール内の天井画。


カフェもゴージャスなままです。



吹き抜けとメインの階段。この日はマチネでしたが、ロンドンと比べて大人も子供も着飾った人が多かったです。

パリのジャパニーズラーメン二題2012/12/22 23:59

ちょっと前になりますが、パリに出かけた際、日本料理屋が並び立つピラミッド界隈でラーメン屋を2軒トライしましたのでそのお話を。

Naritake
31 rue des Perits-Champs 75001 Paris
Tel: +33 1 42 86 03 83

パリ初のこってり背脂系ラーメンとして昨年オープンした「なりたけ」は、行列の絶えない人気店としてその評判はロンドンにも漏れ聞こえてきています。津田沼の本店には行ったことがありませんが、そんなに人気のラーメンならこれは食いに行かねば、と開店時間ジャストを目指して気合い入れて出かけたのですが、祭日だったためお休み(日曜祝祭日は休業だそうです)。気を取り直して翌日再訪したところ、噂通り12時の開店前からすでに人が並び始めてました。一番乗りだったので問題なく席に着き、味玉醤油ラーメンを注文。


脂多めにしなくても十分過ぎる量の背脂が乗ってます(妻と子供は脂少なめのあっさりにしましたが、それでも背脂はそれなりに乗ってました)。久々に食べたギトギト背脂系は爽快な重量感で、たいへん美味しゅうございました。軽くちぢれた太めの麺もコシ、喉ごし共にこれぞジャパニーズラーメン。まともに美味しいラーメンがあるパリがうらやましくなりました。それにしても、私も学生のころは背脂系(も、と言うべきでしょうね)、大好きでした。ホープ軒とか白山ラーメンとか、夜中によくあんな高カロリー食を飽きもせず食べてたもんだと、恐れを知らぬ若さって、今から思うと凄いもんですねえ。


Higuma
http://www.higuma.fr/
先述の「なりたけ」が休業だった日、仕方がないので近くで他を探したところ、「大勝軒」が目に入りましたが、ここは昔入ったことがあってたいして印象に残っていないし、かんとくさんの評価も悪かったので、パス。角を曲がると目に入った「ラーメンひぐま」に行ってみました。札幌ラーメン横町の老舗で有名な「ひぐま」には高校時代に一度行ったことがりますが、多分そこと資本関係があるわけではないでしょう。こちらも昼時は行列のできる人気店で、広い店内はほぼ満員でした。


これは塩ラーメン。


これは普通の醤油ラーメン。


これはネギ醤油ラーメン。

ふむ、どれも至って普通のラーメンです。なりたけと違ってまたわざわざ来たいと思わせる要素は何もありませんが、普通にも届かないロンドンラーメンよりは全然ましなので、それなりに満足はしました。

この界隈には他にも何軒かラーメン屋がありますが、旅行者の身で全てを試すのは難しい。また次回、機会があれば探検に来てみたいです。

パリ・シャトレ座:ウエストサイド物語2012/11/01 23:59

(公式Webサイトより)

2012.11.01 Théâtre du Châtelet (Paris)
Donald Chan (musical supervisor/director)
Joey McKneely (staging/choreography)
Ben van Tienen (conductor)
Liam Tobin (Tony)
Elena Sancho-Pereg (Maria)
Yanira Marin (Anita)
Andy Jones (Riff)
Pepe Muños (Bernardo)
Maria Victoria Failla (singer of "Somewhere")
1. Leonard Bernstein: West Side Story (musical)

中学生のころ「ウエストサイド物語」の音楽に大変ハマっておりまして、それこそレコードは擦り切れるほど聴き、リバイバル上映を足しげく見に行き、全曲版のボーカルスコアを買いこみ(もちろん輸入本、当時は高かった…)、勢い余って、バーンスタインのやることならもう何でも許しちゃう、という人格が形成されてしまいました(笑)。しかし、ちゃんとしたミュージカルの舞台は結局見る機会が今の今までありませんでした。今回休暇でパリ旅行を計画した際、いつものごとく何か演奏会はないかと探してたら、シャトレ座で「ウエストサイド物語」をやってるのを発見、これだ!と即決しました。

シャトレ座はガルニエ宮より古く、対面に建つ市立劇場と一緒に1862年からオープンしています。「ペトルーシュカ」や「ダフニスとクロエ」はここで初演されたんですね。中はさすがに年季が入っており、よく言えば歴史を感じさせ、悪く言えば煤けた骨董品。特に上のほうの席は座席が固く狭かったです。まあ、もうちょっとお金をかけてリノベーションしても良いのでは。


舞台装置はバルコニーやドラッグストアを表現するための櫓が左右に組んであり、舞台奥は全面スクリーンになっていて、時々マンハッタンのセピア写真を映すほかは、役者の衣装やダンスが映えるようにあえて大胆に赤一色で塗りつぶしたりします。衣装はさすがパリ、センスが良いです。どちらも貧困層のギャングであるジェッツの労働者風ブルゾン、シャークスの派手な原色のスーツは、各々絶妙な加減で品の良さを保っていて、そのままパリコレに出てても違和感ないくらい。

歌も台詞もフランス語訳ではなく原本の英語でした。メインキャストはアメリカやスペインから連れてきています。歌と演奏はまあ普通でした。トニーは声が出ないわけではないのに、肝心なところで歌がすっと引いてしまう、何だか惜しい歌唱。安全運転第一だったんでしょうか。他の皆さんも歌はそこそこ、演技とダンスは上手かったです。オーケストラは見たところ10数人程度の小さなミュジーカル編成。名手はおらず、しょっちゅう音を外してました。

私の身体に擦り込まれているのは映画版の曲順なので、おどけた「Gee, Officer Krupke」が終盤に歌われるのは違和感を感じてしまいますが、それを差し置いても、あらためてドラマの求心力と音楽の素晴らしさを再認識しました。アリアとして人気の「Tonight」や「Maria」も良いですが、それよりも「Somewhere」がどうしょうもなく名曲です。フィナーレも引き込まれ、何度も見ている話なのに、つい涙腺が…。最後の静寂の余韻をたっぷり噛み締められるよう、コンサート形式の全曲演奏を聴いてみたいものです。以前「キャンディード」もやってたLSOが、是非やってくれないかなー。


おまけ。休憩時間にバルコニーから見たシテ島の景色。


コンセルトヘボウ管/ブロッホ/ハルテロス(s):悪魔の夢、死と変容2012/10/11 23:59


2012.10.11 Concertgebouw (Amsterdam)
Alexandre Bloch / Royal Concertgebouw Orchestra, Amsterdam
Anja Harteros (S-2)
1. Johan Wagenaar: Overture 'De getemde feeks' (The taming of a shrew)
2. Richard Strauss: Songs
 1) Allerseelen
 2) Die heiligen drei Könige aus Morgenland
 3) Waldseligkeit
 4) Wiegenlied
 5) Morgen!
 6) Zueignung
3. Jörg Widmann: Teufel Amor, a Symphonic Hymn after Schiller
4. Richard Strauss: Tod und Verklärung

ついについに、念願のコンセルトヘボウに初見参です。RCOはロンドンとブダペストで過去に5度聴いていますが、やはり本拠地で聴けていなかったのが長年の心残りでした。

今回は直前になってヤンソンスが病気のため降板、代役に抜擢されたのが、なんの偶然か、先日見に行ったドナテッラ・フリック指揮者コンクールで優勝したばかりのアレクサンドル・ブロッホ君でした。このはっきり言ってドマイナーなプログラムを変更無しで、短期間でモノにしなくてはならないのですから、よくぞ受けたと思います。そのアグレッシブ姿勢に拍手。聴衆も温かい人が多いのか、指揮者変更にもかかわらずほぼ満員に近い入りでした。


初めて中に入るコンセルトヘボウは、ウィーン楽友協会と同じく反響板無しの靴箱型ホール。ここの特徴はステージがやたらと高い位置にあることと、指揮者の花道がコーラス席の間を通る階段になっていることです。私が好んで買う最前列ど真ん中などという席は首が疲れる上に指揮者の足下くらいしか見えない悪席ということをあらかじめ聞いていたので、今回はバルコニーの席にしました。余談ですがここは歴史的建造物にもかかわらず、トイレは新しく奇麗でした。ロンドンのホール、特にバービカンは是非とも見習って欲しいものです。

1曲目は名前も知らなかったオランダのロマン派作曲家ワーヘナールの、序曲「じゃじゃ馬ならし」。当然シェークスピアを題材にしているわけですが、ロマン派バリバリの明るい曲でした。ブロッホはこのマイナー曲を暗譜で指揮。暗譜が必ずしもえらいわけではないですが、勉強熱心な姿勢は評価できます。棒振りは、気負いが勝っているのかちょっとアクセクしすぎてやり過ぎの感がないでもありません。

続いて、ロンドンではキャンセル魔として知られているアーニャ・ハルテロスのリヒャルト・シュトラウス歌曲集。定番の「4つの最後の歌」かなと思っていたら、全然知らない曲ばかりでした。ハルテロスはブロッホよりも長身で貫禄があり、あまり指揮や伴奏を気にすることなく、自分の世界に没頭するような入り込み歌唱でした。声量は抜群でしたが時々音が怪しく、ビブラートかかり過ぎの歌は正直私の好みではありませんでした。ミドルからスローテンポばかりの歌曲が連続すると、昼間の仕事疲れもあって、つい眠気が…。どうもピンと来なかったので、見栄えが活かせるオペラの舞台で見てみたいものです。

元々はここで休憩が入るはずでしたが、指揮者変更のついでに、何故だかわかりませんが休憩の位置が歌曲選集の後からその次の曲の後に変更になっていました。次のヴィトマン「悪魔の夢」は昨年完成し、今年パッパーノ/ウィーンフィルで初演されたばかりのホヤホヤな新曲。ショートピースかと思いきや、30分以上かかる長丁場の曲でした。冒頭はオケの低音限界を試すかのようなチューバが地鳴りのように響き、脅かしありーの、特殊奏法ありーの、微分音ありーの、何だかやたらといろいろ詰め込んだようなエネルギッシュな曲でした。こんな複雑な新作まで振らされて、アレックス君の対応能力もたいしたもんです。ヤンソンスだったらここまで細かく振ってないだろうから、オケとしてはアレックス君が代役で、やりやすかったかも。

休憩後のメインとしてはちと短い「死と変容」。CDは持っていますが、実はほとんど聴いたことがない…。先入観だけで暗くて地味な曲だと思い込んでましたが、あらためて聴いてみると、ドラマ満載のたいへん美しい曲ですね。オーボエ、クラリネット、フルート等、コンセルトヘボウの木管の名人芸と極上の音色を堪能させてもらいました。オケが協力的だったことも後押しして、ブロッホのバトンテクは相当立派なもので、指揮の技術も度胸も、すでに完成されたものを持っているようです。あとは経験値だけなので、こうやって天下のコンセルトヘボウに代役のオファーが来るくらいだったら、こないだの指揮者コンクール優勝の特典である「1年間のLSO副指揮者待遇」なんて、別に今更やらなくてもいいんじゃないですかねえ。

コンセルトヘボウの聴衆は皆さん優しく、ハルテロスにもブロッホにも、いちいち会場総立ちのスタンディングオベーションでエールを送ります。言わば喝采のインフレ。呼ばれるたびに花道の階段を上り下りする指揮者、ソリストはたいへんですね。何にせよこのホールの音響は素晴らしく、機会があったらまた何度でも来てみたいものです。


どこかドゥダメルを思い出させる風貌のアレックス君。

フィレンツェ歌劇場/ハマル/カラナス(ms)/ゲルネ(br)/ノイズム:バルトークは日・伊・洪の架け橋2012/06/03 23:59


2012.06.03 Teatro Comunale di Firenze (Florence)
75th Festival of Maggio Musicale Fiorentino:
The Miraculous Mandarin / Bluebeard's Castle
(New production / In co-production with the Saito Kinen Festival)
Zsolt Hamar / Orchestra and Chorus of the Maggio Musicale Fiorentino
Jo Kanamori (Director and choreography)
Tsuyoshi Tane, Lina Ghotmeh, Dan Dorell (DGT) (Scenary)
Yuichi Nakajima (Costumes), Masakazu Ito, Jo Kanamori (Lighting)
Dance Company Noism
MaggioDanza

ダイアモンドジュビリーの連休はどこに逃げようかと、各地の演奏会スケジュールをつらつらと調べていて、ふと目に止まったのがフィレンツェ歌劇場のバルトーク2本立て。サイトウ・キネン・フェスティヴァルとの共同製作で指揮は小澤征爾、最前列ど真ん中の席がまだ空いている、これだ!と思って脊髄反射でチケットを買ってしまいました。ところがその後間もなく小澤征爾はキャンセル、代役はエトヴェシュ・ペーテルという連絡があり、がっかりしたのは前にも書いた通り。だいぶ後になってふと公式Webサイトを見てみたら指揮者はいつの間にかハマル・ジョルトに変更になっていて、今度は連絡もなかったし(小澤は別格として、ロンドン響やウィーンフィルを振ることもあるエトヴェシュと比べて、ハマルはさらに国際知名度がガクッと落ちますので、こっそりと変えたかったんでしょうけど)、もう何がなんやら。ハマルは以前ブダペストで一度だけ、「火刑台上のジャンヌ・ダルク」で聴いたことがあり、若くてエネルギッシュなバトン巧者という印象でしたので、食傷気味のエトヴェシュよりは、まあ良かったかと気を取り直しました。

フィレンツェ歌劇場は、正確にはフィレンツェ五月音楽祭劇場と呼ぶようです。私の理解によると、元々は毎年4〜6月に開かれるフィレンツェ五月音楽祭のために組織された楽団と合唱団、および上演会場としての劇場があって、それらは別に五月だけでなく、音楽祭の期間以外にも8月を除いてほぼ通年オペラ・バレエ・コンサートをやっているわけですが、名称は「五月音楽祭」を名乗ることで通している、ということのようです。



オペラ公演のメインで使われる箱はテアトロ・コムナーレ(市民劇場)と言います。最初の建造は1862年というから相当古い劇場ですが、外観も内装も全面 的にリファービッシュされていてそんなに古くさい感じはせず、わりとモダンで奇麗な劇場です。座席の椅子はゆったりふかふかとしていて快適でした。ステー ジもオケピットも見たところ広そうなので、ハープをサークル席ステージ寄りに置いていたのは、演出効果を狙ってのことなんでしょう。しかし上演が始まって すぐに気付いたこの劇場の問題点は、オケピットが浅いこと。台に立った指揮者の腰から上がピットからはみ出てどどんと目の前に立ちふさがり、最前列ど真ん 中の席だとほとんど指揮者の背中しか見えない(笑泣)。ここが空いていた理由がよくわかりました…。

今回のプロダクションはサイトウ・キネン・フェスティヴァルとの共同制作で、松本のほうは昨年8月に上演済み、その直後に北京と上海でも公演したようです。フィレンツェではこの今年の五月音楽祭がプレミエで、本来は5/31の初日から全3回の公演予定でしたが、雨漏りによる劇場設備の不具合のため5/31はキャンセルとなり、結局この日の6/3が初日となりました。とことんトラブル続きの演目です。正直、客入りは悪かったです。5/31の分の観客を残りの2回にある程度振り分けていたはずですが、それでもかなり空席が目立ちました。元々の通り小澤の指揮だったら、あるいはせめて音楽監督のメータが代打を引き受けていたら、多分満員御礼だったんでしょうかねえ。小澤のキャンセルはあれど、日本人が多数出演することもあって、観客には日本人らしき姿が多かったです。


1. Bartók: The Miraculous Mandarin
Sawako Iseki (Mimi, the girl), Satoshi Nakagawa (The Mandarin)
Yoshimitsu Kushida (Kuroko of Mandarin), Aiichiro Miyagawa (Mimi's stepfather)
Izumi Fujii (Mimi's stepmother), Megumi Mashimo (Mimi's stepsister)
Takuya Fujisawa (Old man), Yukio Miyahara (Student)
Emi Aoki, Ayaka Kamei, Leonardo Jin Sumita, Valeria Scalisi,
Francesca Bellone, Giorgia Calenda, Ilaria Chiaretti, Massimo Margaria,
Rivvardo Riccio, Francesco Porcelluzzi, Angelo Perfido, Duccio Brinati (Kuroko)

このプロダクションの演出および振付けは、ノイズムという新潟のダンスカンパニーを率いる、金森穣。一人でバレエとオペラの演出を両方手がけるのは、ヨーロッパではあまり聞いたことがありません。「マンダリン」のダンサーたちはノイズムの主力メンバーに加え、劇場のバレエ団MaggioDanzaが脇を支えます。幕が開いてまず、全身黒づくめの黒子がうじゃうじゃ踊っているのには、なんじゃこれはと度肝を抜かれました。まるでBlack Eyed PeasのPVのよう。ほどなく登場する主要登場人物はちょっとひねってあって、男1人に女3人。主役の少女ミミ(井関佐和子さん、金森穣の奥さんだそう)は金髪ショートカットに筋肉質の身体を駆使して四角いちゃぶ台の上で怪しい踊りを踊っています。クラシックではなくコンテンポラリーなダンスです。取り囲む3人の悪党は、この演出では継父、継母、継姉ということになっていて、衣装が「ジパング系」とでも言うのか、デフォルメされた和風です。頭領である継父は花魁のような綿入りはんてん着てるし、海外マーケットを意識したテイストがにじみ出ています。しかしこれだけでは終らない。満を持して登場したマンダリンは、背後から黒子が操っている人形浄瑠璃を模した振付で、これはなかなかユニークなアイデアで面白かったです。練習たいへんだったでしょうね。

一見ぶっ飛んだ演出に見えますが、ストーリーはオリジナルを忠実になぞっていて、逸脱も冒険もありません。このジャパニーズテイストの必然性は、と問われると、多分答えはあまりないのでしょうが、私はけっこう楽しめました。ただ、今回主要ダンサーを全て日本から連れ来ざるをえなかったように、他のカンパニーで上演できる汎用性には多分欠けるので、日本以外で今後再演されるかどうかは微妙ですか。我が家的には、子供に見せるには教育上好ましくないシーンもありましたが、それは元々であって演出のせいではありませんね。

ハマルは今回がこの歌劇場デビューだったはずですが、こいつはオハコだぜ、とばかりに楽譜を置かず、長身をくねらせながら自分も踊りまくるというビジュアル系。音楽的にも生き生きとした躍動感に溢れ、私好みのリズムの鮮烈なバルトークでした。オケはハイレベルで集中力も高く、クラリネットのソロはもうちょっと色気が欲しいかな、とは思いましたが、ロイヤルオペラよりはよっぽどプロフェッショナルなオケに聴こえました。



以上2枚は歌劇場サイトから拾ってきた、昨年のサイトウ・キネン・フェスティヴァルのときの写真。かなり異質な雰囲気がよく伝わってきます(笑)。


拍手はけっこう長く続き、何度も呼び出されていました。


2. Bartók: Bluebeard's Castle
Matthias Goerne (Duke Bluebeard/Br), Daveda Karanas (Judith/Ms)
Andras Palerdi (Bard/narrator), Sawako Iseki (Spirit of Judith)
Francesco Porcelluzzi (Kuroko, 1st door), Massimo Margaria (Kuroko, 2nd door)
Angelo Perfido (Kuroko, 3rd door), Aiichiro Miyagawa (Kuroko, 4th door)
Riccardo Riccio (Kuroko, 6th door), Duccio Brinati (Kuroko, 7th door)
Francesca Bellone (1st wife), Giorgia Calenda (2nd wife), Valeria Scalisi (3rd wife)
Izumi Fujii, Yoshimitsu Kushida, Satoshi Nakagawa, Megumi Mashimo,
Emi Aoki, Takuya Fujisawa, Yukio Miyahara, Ayaka Kamei,
Leonardo Jin Sumita (Kuroko)

1時間の休憩の後、次の「青ひげ公の城」も金森穣の演出、ノイズムメンバーの出演による、あまり他に類を見ないプロダクションでした。演出の基本的なトーンは先の「マンダリン」と統一されていて、シンプルでシンボリックな舞台装置をバックにやっぱり大勢の黒子がうじゃうじゃと動いています。最初に吟遊詩人がお経でも読むような無表情なリズムでお馴染みのハンガリー語の前口上を始め、次第に語り口が熱くなって行ってからオケにバトンタッチします。この前口上はのっけから超ハイテンションで始める人もいるので千差万別で面白いですが、こういうパターンは初めて聴きました。

音楽的には「マンダリン」が「動」なら「青ひげ公」は「静」。内面的な音楽ですが、表現手法はわりとわかりやすいものです。ハマルは今度は譜面台にポケットスコアを置いていましたが、最初からちょっと気になったのは、さっきのマンダリンで疲れてしまったのか、オケのキレが少し悪くなったこと。それと、指揮者にオペラの経験がどのくらいあるのかわかりませんが、経歴を見ると豊富とは思えないし、少なくともこの歌劇場では初めて。総じてオケを鳴らし過ぎで、目の前であったにもかかわらず歌手が聴き取りにくい箇所がいくつもありました。歌手自身も声量は不足気味。青ひげ公のゲルネは昨年マゼールのマーラーチクルスで聴いて、その時は表現力がオペラ向きの歌手かなと思ったのですが、今日聴くと歌が繊細過ぎて大劇場ではワリを食います。やっぱりこの人はリート歌手なんだなと思いました。歌唱自体は、ブレることなく威厳があり、上手いと思ったんですが、いかんせん声量が負けてます。一方、ユディット役のカラナスはいかにもオペラ歌手の貫禄ある風貌でしたが、こちらも声量はイマイチ。めまぐるしく心が揺れ動く演技は良かったですが、歌のほうは起伏に欠けて一本調子で、あまり感心しませんでした。ハンガリー語の発音がたどたどしく、息継ぎがおかしい箇所もちらほら(まあこれは非ネイティヴだとどんな歌手でも仕方がないですが)。

元々がシンボリックな舞台を想定して作られたオペラですから、城の各部屋の表現は演出家により千差万別ですが、今日のは舞台の奥側に7枚並べたスクリーンへその後ろで踊るダンサーのシルエットを投影するという趣向。その他にユディットと同じ花嫁衣装を着た顔の見えないダンサーが(先ほどミミを踊っていた井関佐和子さん)ユディットの内面の葛藤を踊りで表現するというのがユニークなところです。このユディットの分身は、自分で激しく踊ったかと思えば、文楽のように後ろから黒子に操られることもあり、踊りはこと細かく組み立てられていました。最後の扉を開けて出てくる3人の過去の妻も完全に黒子に操られる浄瑠璃人形でしたが、動きがどこかユーモラスになってしまうので、ちょっとこの場面には合わなかったと思います。最後をギャグにしてどうすんじゃと。あと、この「青ひげ公」は登場人物が前口上を入れてもせいぜい6人の寡黙なオペラですので、こんなに何十人も舞台の上に出ているのは異例で、ガチャガチャとした雰囲気がどうしてもこの曲の寡黙なトーンを壊していた面があったのは否めません。

ハマルはマンダリン同様、見ていて飽きないノリノリの棒振りでオケをぐいぐいと引っ張っていましたが、オケのほうはちょっと燃え尽き気味で事故もいくつかありました。しかし細かいことはともかく、オケは総じて良い演奏だったと思いますし、ハマルもこの状況でキッチリと仕事のできるところをアピールできたのではないかと思います。



この2枚も昨年の松本のもの。非常に変わった「青ひげ公」でした。


ピサの斜塔はスリ注意!2012/06/02 23:59


ダイアモンドジュビリーの週末は、前述の通りフィレンツェに逃れておりました。フィレンツェもおいおい紹介するとして、まずは電車で1時間ほど行った先、ピサのことを。死ぬまでに一度は見ておかねばということで、あまりにも有名なピサの斜塔へ、レッツゴー。天気が終始曇り空だったのが痛恨です。


おー、本物だ!という感動の台詞はこいつのためにあるかのような。何百年も倒れないで立っているのが奇跡かもしれない、と実感できます。地震国日本なら、まず立ってないだろうし、イタリアだって地震がないわけではないので。

うわさに聞いていた通り、周囲は観光客だらけで、老若男女問わずみんな、塔を支えるか押し倒すかのようなポーズで写真を撮っていました。傍から見るとなかなか滑稽というかシュールというか、笑えます。






塔に登るには時間指定のチケットを買います(予約推奨)。手荷物、カバン類は、どんなに小さいものでも塔向かいのボックスオフィスがある建物の預かり所へ事前に預けることを強要されますので要注意。


塔に入ると、早速傾いている床に、平衡感覚がおかしくなります。転倒注意の看板はシャレではありません。300段くらいの階段を上って頂上へ(エレベータ無し)。


傾いている側から覗いた風景。ガリレオはこれを見ながら落下の実験をしたのでしょうか。


もうちょっと天気が良ければ、とは思いましたが、ピザの町並みはなかなかの絶景でした。

ここで一つ注意を。ピサの中央駅から斜塔含む観光中心へ行くには、駅前ロータリーの向かいに渡ったバス停からLAM rossaというバスに乗りますが(チケットはキオスクで往復分を買うか、運転手からも買えます)、このバスが非常に混み合っていて、スリのかっこうの狩場のようです。往路では運転手が最初にイタリア語と英語で「スリに気をつけてください」というアナウンスをしていました。復路ではアナウンスはなかったのですが、妻がしっかりスリに狙われまして、バスに乗り込む際、持っていたバッグのチャックを開けられ、後ろのおっさんの手がバッグの中に入っていたので、思わず引き離し、足を踏んでやったそうです。スリのおっさんは手に持っていたジャケットを妻のバッグにかぶせ、手元を隠して犯行に及んでいました。被害はなかったし、仮に何か取られていてもティッシュとかお菓子とか、金目のものは何も入れてなかったので、まあ用心が功を奏しました。妻が睨みつけると涼しい顔をして「えー何なのー」という表情でいたようですが、「スリがいるわよ!」と妻が私に言いにきた時にはまだ彼もバスの中にいましたが、その一瞬後には跡形もなく消えていて、まー逃げ足の速いこと。妻が言うに、バス停でバスを待っている間、ひまだからつい日本語の観光ガイドを読んでいたのが目を付けられた原因ではないかと。ピサに行く計画の方は、この顛末を是非参考にされてください。

クリムト・イヤーのウィーンの美術館2012/05/07 23:59


今年はクリムト生誕150年にあたる記念イヤーなので、ゆかりの地ウィーンでは数多くの特別展が開催されるようです。すでに終ったもの、これから始まるものなどいろいろですが、とりあえず旅行中にやってるものはと探して、まずはミュージアム・クォーターのレオポルド美術館へ。


「Klimt: Up Close and Personal」と題した特別展は、撮影禁止だったので写真は撮れませんでしたが、なかなか貴重なものでした。元々この美術館が所有している「死と生」をX線で分析すると下に若干異なる図案が隠されていたことがわかったので、その復元図であるとか、ウィーン大学の講堂のために書いたが戦争中に火災で焼失してしまった大作天井画「哲学」「医学」「法学」三部作の白黒写真を原寸大に引き延ばしたものが目を引き、圧巻はクリムトが旅行先から愛人のエミーリエ・フレーゲに送ったおびただしい数の絵葉書。エミーリエは自分が書いた手紙は死ぬ前に全て処分したそうなのですが、クリムトからもらった400点に及ぶ絵葉書が遺品から発見され、まとめて公開されるのは今回が初めてだそう。ロンドンからの絵葉書もあり、当時のピカデリー・サーカスの様子がわかります。多数の写真も展示され、クリムトの生涯と人物像に多面的に迫ります。

次は、道を渡って美術史美術館へゴー。すごく久しぶりです。



この美術館が所蔵しているのは主に中世から、せいぜい19世紀までの絵画ですが、ここにはクリムトが若い頃に手がけた装飾画があり、今年は至近距離からそれを鑑賞できるよう足場を組み、特別展(追加料金なし)として公開していました。元々は5月6日で終了する予定でしたが、好評につき、来年1月まで期間が延長されたそうです。


普段はこのくらいの高さにある絵なので、正直、よく見たことはありませんでした。



後の奔放な絵画作品と比べたら相当よそ行き顔で、拡張高い古典風の装いながら、女性のエロチックな雰囲気は、まさにクリムト、という感じです。ちなみに後で気付いたんですが、撮影禁止だったようです、すいません。

これだけでは何なので、常設展のほうも、もちろん一通り歩きました。


ルーベンス「メデューサの頭部」。これに勝るインパクトはなかなかありません。子供の頃、ジャガーバックスの「世界妖怪図鑑」で見たのが最初だと思うのですが、記憶が定かでなし。


フェルメール「絵画芸術の寓意」。以前は小部屋にさりげなく置いてあったと憶えているんですが、角の中部屋に移されて、ちゃんと目玉作品としての取り扱いを受けるようになりました。


美術史美術館はブリューゲルのコレクションも有名で、代表作「バベルの塔」。見たところ、ロデムもロプロスも出てこないようです。


「子供の遊び」はこれぞブリューゲル、という感じで、一つの絵にひたすら大人数が各々事細かに描き込まれています。これを何時間もかけて隅から隅までじっくり鑑賞したら、さぞ面白いでしょうけど、そこまでの余裕はなく。


この「ベツレヘムの嬰児虐殺」は昨年中野京子著「恐い絵」で読んだので、興味ありました。ピーテル・ブリューゲル(父)によるオリジナルの真筆はロンドンのハンプトンコートにあり、これは息子(ピーテル・ブリューゲル(子)と表記される人)による模写ですが、オリジナルは何者かによって子供の死体が犬や壷に、曇り空が青空に塗り変えられてしまったため、父の傑作の本来の姿を後世に伝える貴重な資料となっています。


これも「恐い絵」に取り上げられていた、コレッジョ「ガニュメデスの誘惑」。


同じモチーフをミケランジェロが描いた絵の模写(です、多分)。


異色の画家、アルチンボルドの作品もこの美術館の目玉です。これは連作「四季」の「夏」。


こちらは「冬」。哀愁を誘います。


面白いのは「四大元素」の「水」。海の幸で顔を作るくらい、彼の手にかかれば何でもなかったんでしょう。


ベラスケスの「マルガリータ王女」シリーズ。ここまで来ると、もう身体も頭も疲れてしまってます。


ここは絵画だけでなく、エジプトやギリシャ・ローマの美術品も多数展示しています。上はなんだかよくわからない壁画。


ギリシャ彫刻の首だけが並んで、ライトアップされているのは相当不気味でした。


ここのカフェはゴージャスな内装が人気ですが、日曜日のランチタイムは予約しとかないと、並ぶことすらできないようです。ランチタイムの終る3時に、ちょっと休憩。


懐かしいアイスカフェ。ハンガリーではJegeskaveと言いました。日本のアイスコーヒーとは全く違い、氷とアイスクリームに熱いコーヒーを注いで、ホイップクリームを乗せたものです。歩き疲れてバテバテの娘も、バナナパフェを食べてご満悦。

と、オチはありませんが、6年ぶりの美術史美術館を堪能した我々でした。

ウィーン旅行記2012(終)

今年もウィーン2012/05/04 23:59

今年の5月のバンクホリデーは、昨年と同じく白アスパラを食べにウィーンにまで行ってきました。まずは今年見て珍しかったものを。


ブダペストから通っていたころはほぼ定宿になっていたMercure Secessionに、今回久々に泊まりました。名のごとくSecession(ウィーン分離派会館)の近くにあります。今やってる企画展にからんで、入り口横の亀に支えられた瓶には緑緑としたスイカのオブジェが置かれており、かなり違和感がありました。


ちなみに上は7年前に撮った写真ですが、このときは植木が植えられていました。普段は何も入っていないはずです。

週末の繁華街ケルントナー通りには大道芸人が多く出ていますが、今回目を引いたのは「空中に浮くオジサンたち」。


棒に片手片足でくっついて中に浮いています。どの角度から見ても透明な椅子があったり、ピアノ線でつり上げていたりといった仕掛けがわかりません。女の子からツーショットの写真をひっきりなしにお願いされ、この日随一の人気者でした。


別の場所には宙に腰掛けるオジサンが。


さらには、完全に宙に浮いてしまっているブロンズおじさんもいました。この人も、やっぱり足の下には何もありそうになく、とすると、あと可能性としては、非常に丈夫な素材でできたフレームの上に乗ったり座ったりしているだけなのかなと。


さて、ホテル近くには「パパゲーノ通り」という名前の道があって、この先には何があるんだろうと行ってみると。


モーツァルトではなくベートーヴェンの名前をつけたホテルがありました。


どん詰まりにはアン・デア・ウィーン劇場がありました。「フィデリオ」や「英雄」「運命」「田園」の初演をやった場所で、やはりベートーヴェンとゆかりが深いとはいえ、この劇場を作ったシカネーダーはモーツァルト「魔笛」の台本を手がけ、初演でパパゲーノを歌ったことで有名です。ということで、話は上手くパパゲーノに着陸しました。


おまけ。ホテルのロビーの壁には所狭しとオペラ歌手のサイン入り写真が飾ってありました。元のオーナーの趣味なんでしょうか。



よく見ると下の段にアーダーム・フィッシャーのすごく若い頃の写真が。髪ふさふさ〜。何度もここに泊まりながら、今まで気付かなかったなあ。

とりとめがなくすいません。次回に続く。