LPO/ユロフスキ:ホロコーストと、「運命」と ― 2012/11/28 23:59
2012.11.28 Royal Festival Hall (London)
Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra
Annabel Arden (director)
Robert Hayward (reciter-2, narrator-3)
Omar Ebrahim (Fučík-4)
Malcolm Sinclair (voice-4)
Gentlemen of the London Philharmonic Choir
1. Beethoven: Overture, Fidelio
2. Schoenberg: Ode to Napoleon Bonaparte, Op. 41
3. Schoenberg: A Survivor from Warsaw, Op. 46
4. Nono: Julius Fučík (UK premiere)
5. Beethoven: Symphony No. 5 in C minor
先の五嶋みどりと同じくベートーヴェンと20世紀モノの組み合わせですが、こちらはあからさまにコンセプチュアルです。政治犯の解放がテーマの「フィデリオ」、ナチスから逃れてアメリカに亡命したシェーンベルク、著名なジャーナリストにしてホロコーストの犠牲者であるフーチク、最後は言わずと知れた「運命」。まず最初にユロフスキがマイクを取り、コンセプトの説明がありました。プログラムの5曲を通して一つのメッセージとして聴いて欲しいことと、どんな逆境にあろうとも不滅なものは人間の魂、というような話でした。
言い訳にはなりませんが、寝不足だったため前半はもう眠くてしょうがなく、「フィデリオ」はよく知っている曲と油断してたらほとんど沈没してしまいました。次の「ナポレオンへの頌歌」はイギリスの詩人バイロンが独裁者ナポレオンを批判するために書いた詩がテキストになっており、1942年という作曲年から見ても当然ヒトラー批判の暗喩となっています。朗読のヘイワードはれっきとしたバリトン歌手ですが、シュプレヒシュティンメも上手い。曲が曲だけに途中眠気を誘いましたが、この膨大なテキストにひたすら熱弁をふるう姿が強く印象に残りました。
前半最後の「ワルシャワの生き残り」も、タイトルは有名ながら実は初めて聴く曲です。ホロコーストから生還した男の体験を綴ったもので、ナレーション(と言っても音楽に合わせたシュプレヒシュティンメ)は引き続きヘイワードが担当しました。大編成オケに男性合唱が加わり、短い曲ながらもインパクトは大。12音技法特有の突き放した感じはなく、不協和音、無調音楽の中にも感情が溢れていて、かえって聴き易い。現代モノがあまり得意とは思えないロンドンフィルですが、今日は集中力の高い演奏で最後をきっちり決め、大喝采を受けていました。
後半のノーノ「ユリウス・フチーク」は、チェコスロヴァキアの指導的共産主義者ジャーナリストであったフチークがユダヤ人収容所で書き残した手記がテキストです。1951年に構想された際は完成を見ず、結局オーケストラの部分だけ「管弦楽のための作品第1」として発表されましたが、作曲者の死後16年経った2006年に、ようやく朗読付きのオリジナルの姿が復元され、初演されました。休憩時間中にスクリーンでフチークの写真とプロファイルが紹介され、場内の照明を落として演奏が始まると、さっきのシェーンベルクよりもさらに激しい金管の咆哮に、打ち鳴らされる打楽器群。看守の怒鳴り声が響く中、舞台下を駆け抜けたフチークはすぐに捕らえられるとピアノ椅子に座らされます。スポットライトの強い光で顔を照らされて、シルエットがいつのまにか収容所の殺風景な写真に代わっているスクリーンに大写しになり、異常な圧迫感を与えます。音楽に加えてこういった演出の効果も重要なポイントでした。スクリーンに映し出された、家族へ宛てた最後の手記に「ベートーヴェンの主題で示される歓喜は決して奪われることはない」というような記述があり、なるほどそういう繋がりかと膝を打つ間もなく、間髪いれずに「ジャジャジャジャーン」と「運命の動機」。
だがちょっと待て。ベートーヴェンの歓喜の主題と言えば、どう考えても「第九」なのでは。まあ、交響曲第5番を「運命」と呼ぶのはほとんど日本だけだそうですが、このモチーフは少なくとも歓喜を表しているようには思えないので、ちょっとコジツケを感じてしまいました。ともかく、非常に速いテンポで曲が進み、フレージングが上滑り気味で、意図してのことかどうか、正に何かに急き立てられる感じです。第2楽章では打って変わってノンビブラートのヴィオラ、チェロがゆったりと澄んだ響きを奏で、その後は比較的素直な「運命」でした。超難曲揃いの今回のプログラムで、最後にやり慣れた「運命」が来ると一気に気が抜けそうなものですが、今日のロンドンフィルはそういうこともなく最後まで高い密度を保っていたのが立派です。ただ、こういったコンセプトものに組み入れられた「運命」は、何か型に嵌められてしまった窮屈さをちょっと感じてしまったのも事実。本来は、人類の罪とか何とかを超越し、心を無にしてひたむきに聴くだけで十分に心打たれる音楽なので、意図的な色付けはかえって邪魔な場合もあります。
Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra
Annabel Arden (director)
Robert Hayward (reciter-2, narrator-3)
Omar Ebrahim (Fučík-4)
Malcolm Sinclair (voice-4)
Gentlemen of the London Philharmonic Choir
1. Beethoven: Overture, Fidelio
2. Schoenberg: Ode to Napoleon Bonaparte, Op. 41
3. Schoenberg: A Survivor from Warsaw, Op. 46
4. Nono: Julius Fučík (UK premiere)
5. Beethoven: Symphony No. 5 in C minor
先の五嶋みどりと同じくベートーヴェンと20世紀モノの組み合わせですが、こちらはあからさまにコンセプチュアルです。政治犯の解放がテーマの「フィデリオ」、ナチスから逃れてアメリカに亡命したシェーンベルク、著名なジャーナリストにしてホロコーストの犠牲者であるフーチク、最後は言わずと知れた「運命」。まず最初にユロフスキがマイクを取り、コンセプトの説明がありました。プログラムの5曲を通して一つのメッセージとして聴いて欲しいことと、どんな逆境にあろうとも不滅なものは人間の魂、というような話でした。
言い訳にはなりませんが、寝不足だったため前半はもう眠くてしょうがなく、「フィデリオ」はよく知っている曲と油断してたらほとんど沈没してしまいました。次の「ナポレオンへの頌歌」はイギリスの詩人バイロンが独裁者ナポレオンを批判するために書いた詩がテキストになっており、1942年という作曲年から見ても当然ヒトラー批判の暗喩となっています。朗読のヘイワードはれっきとしたバリトン歌手ですが、シュプレヒシュティンメも上手い。曲が曲だけに途中眠気を誘いましたが、この膨大なテキストにひたすら熱弁をふるう姿が強く印象に残りました。
前半最後の「ワルシャワの生き残り」も、タイトルは有名ながら実は初めて聴く曲です。ホロコーストから生還した男の体験を綴ったもので、ナレーション(と言っても音楽に合わせたシュプレヒシュティンメ)は引き続きヘイワードが担当しました。大編成オケに男性合唱が加わり、短い曲ながらもインパクトは大。12音技法特有の突き放した感じはなく、不協和音、無調音楽の中にも感情が溢れていて、かえって聴き易い。現代モノがあまり得意とは思えないロンドンフィルですが、今日は集中力の高い演奏で最後をきっちり決め、大喝采を受けていました。
後半のノーノ「ユリウス・フチーク」は、チェコスロヴァキアの指導的共産主義者ジャーナリストであったフチークがユダヤ人収容所で書き残した手記がテキストです。1951年に構想された際は完成を見ず、結局オーケストラの部分だけ「管弦楽のための作品第1」として発表されましたが、作曲者の死後16年経った2006年に、ようやく朗読付きのオリジナルの姿が復元され、初演されました。休憩時間中にスクリーンでフチークの写真とプロファイルが紹介され、場内の照明を落として演奏が始まると、さっきのシェーンベルクよりもさらに激しい金管の咆哮に、打ち鳴らされる打楽器群。看守の怒鳴り声が響く中、舞台下を駆け抜けたフチークはすぐに捕らえられるとピアノ椅子に座らされます。スポットライトの強い光で顔を照らされて、シルエットがいつのまにか収容所の殺風景な写真に代わっているスクリーンに大写しになり、異常な圧迫感を与えます。音楽に加えてこういった演出の効果も重要なポイントでした。スクリーンに映し出された、家族へ宛てた最後の手記に「ベートーヴェンの主題で示される歓喜は決して奪われることはない」というような記述があり、なるほどそういう繋がりかと膝を打つ間もなく、間髪いれずに「ジャジャジャジャーン」と「運命の動機」。
だがちょっと待て。ベートーヴェンの歓喜の主題と言えば、どう考えても「第九」なのでは。まあ、交響曲第5番を「運命」と呼ぶのはほとんど日本だけだそうですが、このモチーフは少なくとも歓喜を表しているようには思えないので、ちょっとコジツケを感じてしまいました。ともかく、非常に速いテンポで曲が進み、フレージングが上滑り気味で、意図してのことかどうか、正に何かに急き立てられる感じです。第2楽章では打って変わってノンビブラートのヴィオラ、チェロがゆったりと澄んだ響きを奏で、その後は比較的素直な「運命」でした。超難曲揃いの今回のプログラムで、最後にやり慣れた「運命」が来ると一気に気が抜けそうなものですが、今日のロンドンフィルはそういうこともなく最後まで高い密度を保っていたのが立派です。ただ、こういったコンセプトものに組み入れられた「運命」は、何か型に嵌められてしまった窮屈さをちょっと感じてしまったのも事実。本来は、人類の罪とか何とかを超越し、心を無にしてひたむきに聴くだけで十分に心打たれる音楽なので、意図的な色付けはかえって邪魔な場合もあります。
コメント
_ ほうがん ― 2012/12/09 22:27
_ Miklos ― 2012/12/12 00:31
ほうがんさん、はじめまして。久々の海外旅行で良い演奏会に巡り合われたとのことで、何よりです。私も、もう20年以上前になりますが、学生時代に初めてヨーロッパを旅行した際、ウィーンの楽友協会とロンドンのロイヤルフェスティバルホールで聴いた本場のプロの演奏にいたく感動したのが、今こうやって後先考えず演奏会にお金を突っ込んでいる自分が形成された、そもそもの始まりだったりします(笑)。
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このコンサート、私も約18年ぶりの海外旅行の日程が合ったので聴いていました。慣れない英語に四苦八苦しながら日本からインターネットで予約を入れていたのですが、当日無事にチケットもらえたのが一番の思い出だったりします。
特に前半最後の「ワルシャワ…」が、短い曲の中にエネルギーが凝縮していて、名演だったと思います。終わりに出番が回ってきた男声合唱がすばらしい出来栄えで、ぞくぞくしていました。合唱を支えるTrb,も安定した響きで好演。全体を通じて、最初ばらばらだった音の断片が次第にまとまりを見せてゆく曲の構造を、うまく表現できていたと思います。
後半の1曲目は、歌い手を見せる演出に客席のあちこちから笑い声が上がっていたのが、まず印象的でした。イギリスの観客って、日本よりも率直に感想を表現するんだなぁと思いました。演奏は正直よく分からない(笑)ですが、パーカッションがしっかりあっていたので、意外と聴きやすかったです。膜モノはもう少しウェットな響きの方がよかったのですが、そうしないことで緊迫感高めたかったのかな?
事前に予告があったとはいえ、「運命」の入りはやはり驚きました。第1楽章はさすがに上滑り気味でどうなることかと思ったのですが、第2楽章をしっかり弦を響かせた演奏でまとめたのがうまいと感じました。続く第3・4楽章も堂々とした演奏で、終わってみればちゃんとベートーベンというあたり、これが名門オケの実力か、と感じながら拍手していました。そういえば、オケの配置がずっと古典だったのも興味深かったです。現代物でも悪くないなぁと、妙な感心していました。
たぶん、私にとって最初で最後のロイヤルフェスティバルホールなのですが、それがいい演奏会だったという幸運を喜んでいます。