パリ・シャトレ座:ウエストサイド物語2012/11/01 23:59

(公式Webサイトより)

2012.11.01 Théâtre du Châtelet (Paris)
Donald Chan (musical supervisor/director)
Joey McKneely (staging/choreography)
Ben van Tienen (conductor)
Liam Tobin (Tony)
Elena Sancho-Pereg (Maria)
Yanira Marin (Anita)
Andy Jones (Riff)
Pepe Muños (Bernardo)
Maria Victoria Failla (singer of "Somewhere")
1. Leonard Bernstein: West Side Story (musical)

中学生のころ「ウエストサイド物語」の音楽に大変ハマっておりまして、それこそレコードは擦り切れるほど聴き、リバイバル上映を足しげく見に行き、全曲版のボーカルスコアを買いこみ(もちろん輸入本、当時は高かった…)、勢い余って、バーンスタインのやることならもう何でも許しちゃう、という人格が形成されてしまいました(笑)。しかし、ちゃんとしたミュージカルの舞台は結局見る機会が今の今までありませんでした。今回休暇でパリ旅行を計画した際、いつものごとく何か演奏会はないかと探してたら、シャトレ座で「ウエストサイド物語」をやってるのを発見、これだ!と即決しました。

シャトレ座はガルニエ宮より古く、対面に建つ市立劇場と一緒に1862年からオープンしています。「ペトルーシュカ」や「ダフニスとクロエ」はここで初演されたんですね。中はさすがに年季が入っており、よく言えば歴史を感じさせ、悪く言えば煤けた骨董品。特に上のほうの席は座席が固く狭かったです。まあ、もうちょっとお金をかけてリノベーションしても良いのでは。


舞台装置はバルコニーやドラッグストアを表現するための櫓が左右に組んであり、舞台奥は全面スクリーンになっていて、時々マンハッタンのセピア写真を映すほかは、役者の衣装やダンスが映えるようにあえて大胆に赤一色で塗りつぶしたりします。衣装はさすがパリ、センスが良いです。どちらも貧困層のギャングであるジェッツの労働者風ブルゾン、シャークスの派手な原色のスーツは、各々絶妙な加減で品の良さを保っていて、そのままパリコレに出てても違和感ないくらい。

歌も台詞もフランス語訳ではなく原本の英語でした。メインキャストはアメリカやスペインから連れてきています。歌と演奏はまあ普通でした。トニーは声が出ないわけではないのに、肝心なところで歌がすっと引いてしまう、何だか惜しい歌唱。安全運転第一だったんでしょうか。他の皆さんも歌はそこそこ、演技とダンスは上手かったです。オーケストラは見たところ10数人程度の小さなミュジーカル編成。名手はおらず、しょっちゅう音を外してました。

私の身体に擦り込まれているのは映画版の曲順なので、おどけた「Gee, Officer Krupke」が終盤に歌われるのは違和感を感じてしまいますが、それを差し置いても、あらためてドラマの求心力と音楽の素晴らしさを再認識しました。アリアとして人気の「Tonight」や「Maria」も良いですが、それよりも「Somewhere」がどうしょうもなく名曲です。フィナーレも引き込まれ、何度も見ている話なのに、つい涙腺が…。最後の静寂の余韻をたっぷり噛み締められるよう、コンサート形式の全曲演奏を聴いてみたいものです。以前「キャンディード」もやってたLSOが、是非やってくれないかなー。


おまけ。休憩時間にバルコニーから見たシテ島の景色。


ロイヤルオペラ/カンパネッラ/アラーニャ/クジャク:ドニゼッティ「愛の妙薬」2012/11/16 23:59

2012.11.16 Royal Opera House (London)
Bruno Campanella / Orchestra of the Royal Opera House
Laurent Pelly (director and costume designs)
Aleksandra Kurzak (Adina), Roberto Alagna (Nemorino)
Fabio Capitanucci (Belcore), Ambrogio Maestri (Dulcamara)
Susana Gaspar (Giannetta)
Royal Opera Chorus
1. Donizetti: L'elisir d'amore

6月の「ラ・ボエーム」以来ですから、久々のロイヤルオペラです。図らずもアラーニャ続きになりました。実は「愛の妙薬」はアラーニャ/ゲオルギュー/リヨン歌劇場のDVDを持っているのみで、実演は初めてなので楽しみにしていました。

まず開幕前にマイクを持ったおねえちゃんが登場。客席が一瞬静まり返り、ため息も聴こえました。しかし、懸念した歌手(特にアラーニャ)のキャンセルではなく、ベルコーレ役のカピタヌッチが体調不良だが薬を飲んで何とか歌う、ということでしたので、とりあえず一安心。

アディーナ役のクジャクは今年2月に「フィガロの結婚」のズザンナで聴いています。ぽっちゃり系で愛くるしい表情に加え、今日のパンツの見えそうな(というか、見えてた)蓮っ葉衣装ではコケティッシュでむっちりとした色気が増殖されていました。「お高くとまったお嬢さん」という設定をあえて外した演出にきっちり合わせていたという点で、たいへん良い仕事でした。

喉の調子が懸念されたカピタヌッチは、マエストリらと一緒に歌えば確かに声量は劣っていましたが、歌唱は特に危ないところはありませんでした。むしろアラーニャのほうがちょっと鼻声で心配したのですが、かえって甘いテナーがさらに甘くなって、ネモリーノには打ってつけでした。ただしリヨンのDVDを見慣れていると、アラーニャもずいぶんオヤジになってしまって、第2幕の酔っぱらいメイクなんか、まんまバカボンのパパという感じ。遺産を相続することが分かって急にモテモテになっても、太めのおばちゃん達(オペラ歌手ですから…)にもみくちゃにされるパンツ一丁の酔っぱらいオヤジは、全然うらやましくない(笑)。

詐欺師ドゥルカマーラ博士は、今年ファルスタッフを歌っていたマエストリ。相変わらずずっしりと腹に来る太い声で、コミカルな演技も冴えていました。ただし、詐欺師にしては身なりもプレゼンも地味なので、あっさり騙される村の人々が哀れです。

歌手陣が総じて良かったのに加え、オケがいつになく軽快で無理のない演奏。まあ、金管に負担を強いる曲ではなかったのが幸いしました。指揮者のカンパネッラは初めて聴きますが、イタリアオペラの第一人者だったんですね。よく見るとうちにある「チェネレントラ」のDVD(バルトリ主演)でもタクトを取っていました。

今日は右側バルコニーボックスからの鑑賞でしたが、歌手の立ち位置が右側に寄り過ぎの演出だったため、たいへん見にくかったです。道理で左側ボックスが先に売れていたわけだ。演出家は、もうちょっと左右のバランスを気にしてくれたらと思います。


明るい色気のぽっちゃりクジャク。


オヤジの色気、アラーニャも上機嫌。


五嶋みどり/オズガー・アイディン:ベートーヴェン、ヴェーベルン、クラム2012/11/25 23:59

2012.11.25 Wigmore Hall (London)
Midori (violin) / Özgür Aydin (piano)
1. Beethoven: Violin Sonata No. 2 in A Op. 12-2
2. Webern: Four Pieces Op. 7
3. Beethoven: Violin Sonata No. 6 in A Op. 30-1
4. George Crumb: Four Nocturnes (Night Music II)
5. Beethoven: Violin Sonata No. 9 in A Op. 47 ‘Kreutzer’

この日はビシュコフ/LSOでマーラー1番があったのですが、後からこの五嶋みどりの演奏会に気付き、迷った挙句LSOはリターンしてしまいました。

2年ぶりの五嶋みどりさんですが、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタという、普段の私からは最も縁遠い世界の曲目なので、スマートなレビューなど元々できるはずもなく、それは最初にお断りしておくとして、やっぱりこの人の上手さは群を抜いてます。最初のソナタ第2番は最初から最後まで音が澄み切っており、豊かな表現力に細かい語り口は寸分の穴もなくスムースで、トップクラスのアスリートが全身を駆使して記録を出すような、全てにおいて美しい演奏でした。過去に聴いたのはコンチェルトばかりでしたが、目を閉じて修行僧のような寡黙さで演奏に没入する姿が印象に残っていたので、ここまで内田光子ばりに表情豊かな人だったとは、全く意外でした。

続くヴェーベルンは初期の小品(と言っても彼の作曲はほとんどが小品ですが)で、音列技法に取り組む前の無調音楽です。一見、沈黙をわずかな音で紡いでいくようなローカロリーな曲ですが、音符の背後にあるとてつもない緊張感が心を揺り動かします。特に2曲目は突如怨念を爆発させたような激しい演奏で、ヴェーベルンとは思えないくらい、人の血の通った音楽でした。

休憩後、マイクを持ったおじさんが出てきたので何事かと思えば、予定されていたクルターグ「3つの断章(Tre pezzi)」の代わりに誰それの「ノクターン」を演奏します、とのこと。ピアニストが持って出てきた楽譜の表紙をオペラグラスで見て、作曲者はジョージ・クラムと確認。どのみち初めて聴く曲ですが、クルターグはハンガリー人作曲家としてもちろん名前はよく知っていますが、クラムは名前すら初めて聞きました。後でみどりさんの公式ページを見ると、この秋のアイディンとのツアーではどの日も同じ演目で、クルターグではなくクラムがすでにエントリーされていましたので、ならば逆にウィグモアホールが何故ギリギリまで曲目変更のアナウンスをせず、無料プログラムも誤った情報のまま刷ってしまったのか不思議です。それはともかく、ヴェーベルンよりもさらに繊細な弱音のヴァイオリンの後ろで、ピアノの弦を直接指で弾いたり引っかいたりする内部奏法を多用した、いわゆるゲンダイオンガクでありました。後で調べたところ、けっこういろんな人がレパートリーにしている著名曲のようでしたが、1回聴いただけで飲み込める曲ではありませんわ。ピアノに目を取られているうちに、ヴァイオリンが何をやっていたかあまり印象に残らなかったのが残念なのと、曲が静かな分、客の無遠慮な咳やコートをガサゴソする音が気になってしょうがなかったです。

最後の「クロイツェル・ソナタ」はもちろん超有名曲のはずですが、聴いた記憶がありませんでした。前半のソナタとはアプローチが変わって、美しく整えるよりももっと情念を前面に押し出した、雄雄しいとも言える激しい演奏で、みどりさんの幅広い芸風に脱帽です。アンコールは「亜麻色の髪の乙女」とクライスラー(曲名聞き取れず)の2曲もサービスしてくれました。プログラムがもうちょっと自分好み寄りの選曲ならなお良かったですが、ともあれLSOをキャンセルして聴きにきた甲斐は十分ありました。


ホールの写真がないので、代わりにボンドストリートのイルミネーションを。

LPO/ユロフスキ:ホロコーストと、「運命」と2012/11/28 23:59

2012.11.28 Royal Festival Hall (London)
Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra
Annabel Arden (director)
Robert Hayward (reciter-2, narrator-3)
Omar Ebrahim (Fučík-4)
Malcolm Sinclair (voice-4)
Gentlemen of the London Philharmonic Choir
1. Beethoven: Overture, Fidelio
2. Schoenberg: Ode to Napoleon Bonaparte, Op. 41
3. Schoenberg: A Survivor from Warsaw, Op. 46
4. Nono: Julius Fučík (UK premiere)
5. Beethoven: Symphony No. 5 in C minor

先の五嶋みどりと同じくベートーヴェンと20世紀モノの組み合わせですが、こちらはあからさまにコンセプチュアルです。政治犯の解放がテーマの「フィデリオ」、ナチスから逃れてアメリカに亡命したシェーンベルク、著名なジャーナリストにしてホロコーストの犠牲者であるフーチク、最後は言わずと知れた「運命」。まず最初にユロフスキがマイクを取り、コンセプトの説明がありました。プログラムの5曲を通して一つのメッセージとして聴いて欲しいことと、どんな逆境にあろうとも不滅なものは人間の魂、というような話でした。

言い訳にはなりませんが、寝不足だったため前半はもう眠くてしょうがなく、「フィデリオ」はよく知っている曲と油断してたらほとんど沈没してしまいました。次の「ナポレオンへの頌歌」はイギリスの詩人バイロンが独裁者ナポレオンを批判するために書いた詩がテキストになっており、1942年という作曲年から見ても当然ヒトラー批判の暗喩となっています。朗読のヘイワードはれっきとしたバリトン歌手ですが、シュプレヒシュティンメも上手い。曲が曲だけに途中眠気を誘いましたが、この膨大なテキストにひたすら熱弁をふるう姿が強く印象に残りました。

前半最後の「ワルシャワの生き残り」も、タイトルは有名ながら実は初めて聴く曲です。ホロコーストから生還した男の体験を綴ったもので、ナレーション(と言っても音楽に合わせたシュプレヒシュティンメ)は引き続きヘイワードが担当しました。大編成オケに男性合唱が加わり、短い曲ながらもインパクトは大。12音技法特有の突き放した感じはなく、不協和音、無調音楽の中にも感情が溢れていて、かえって聴き易い。現代モノがあまり得意とは思えないロンドンフィルですが、今日は集中力の高い演奏で最後をきっちり決め、大喝采を受けていました。

後半のノーノ「ユリウス・フチーク」は、チェコスロヴァキアの指導的共産主義者ジャーナリストであったフチークがユダヤ人収容所で書き残した手記がテキストです。1951年に構想された際は完成を見ず、結局オーケストラの部分だけ「管弦楽のための作品第1」として発表されましたが、作曲者の死後16年経った2006年に、ようやく朗読付きのオリジナルの姿が復元され、初演されました。休憩時間中にスクリーンでフチークの写真とプロファイルが紹介され、場内の照明を落として演奏が始まると、さっきのシェーンベルクよりもさらに激しい金管の咆哮に、打ち鳴らされる打楽器群。看守の怒鳴り声が響く中、舞台下を駆け抜けたフチークはすぐに捕らえられるとピアノ椅子に座らされます。スポットライトの強い光で顔を照らされて、シルエットがいつのまにか収容所の殺風景な写真に代わっているスクリーンに大写しになり、異常な圧迫感を与えます。音楽に加えてこういった演出の効果も重要なポイントでした。スクリーンに映し出された、家族へ宛てた最後の手記に「ベートーヴェンの主題で示される歓喜は決して奪われることはない」というような記述があり、なるほどそういう繋がりかと膝を打つ間もなく、間髪いれずに「ジャジャジャジャーン」と「運命の動機」。

だがちょっと待て。ベートーヴェンの歓喜の主題と言えば、どう考えても「第九」なのでは。まあ、交響曲第5番を「運命」と呼ぶのはほとんど日本だけだそうですが、このモチーフは少なくとも歓喜を表しているようには思えないので、ちょっとコジツケを感じてしまいました。ともかく、非常に速いテンポで曲が進み、フレージングが上滑り気味で、意図してのことかどうか、正に何かに急き立てられる感じです。第2楽章では打って変わってノンビブラートのヴィオラ、チェロがゆったりと澄んだ響きを奏で、その後は比較的素直な「運命」でした。超難曲揃いの今回のプログラムで、最後にやり慣れた「運命」が来ると一気に気が抜けそうなものですが、今日のロンドンフィルはそういうこともなく最後まで高い密度を保っていたのが立派です。ただ、こういったコンセプトものに組み入れられた「運命」は、何か型に嵌められてしまった窮屈さをちょっと感じてしまったのも事実。本来は、人類の罪とか何とかを超越し、心を無にしてひたむきに聴くだけで十分に心打たれる音楽なので、意図的な色付けはかえって邪魔な場合もあります。