ロンドンフィル/ガードナー:東欧三カ国の隠れた名曲路線2026/02/07 23:59

2026.02.07 Royal Festival Hall (London)
Edward Gardner / London Philharmonic Orchestra
Juliana Grigoryan (soprano-2,3)
Agnieszka Rehlis (mezzo-soprano-2)
Kostas Smoriginas (bass-2)
London Philharmonic Choir
1. Vítězslava Kaprálová: Rustic Suite
2. Szymanowski: Stabat Mater
3. Vítězslava Kaprálová: Waving Farewell
4. Bartók: The Wooden Prince

2週間ぶりのLPO。今シーズンようやく、首席指揮者のガードナーを拝めました。カリスマ的人気のあったウラディーミル・ユロフスキの後を継いで2021年からLPOの首席に就任しています。かつてイングリッシュ・ナショナル・オペラの音楽監督に就いていたころ、「青ひげ公の城」英語版の上演を観たのが最初で、その後日本で都響に客演した公演と合わせて過去2回聴いていますが、当時はまだ若手イケメン枠の中で、スマートでスタイリッシュなビジュアルに、ストレートに真面目な音楽作りという、クセがなくあまり印象に残らない中道中庸路線の人というイメージでした。カリスマ的人気のあったユロフスキの後釜としてLPOも逆張りで生粋のイギリス人を選んだようにも思えましたが、ガードナーもその後のキャリア的にはイギリス路線一直線というよりノルウェーでの活動が多かったり、また東欧系の音楽にも傾倒している印象で、今日のプログラムもチェコ、ポーランド、ハンガリーというまさにその路線です。

1曲目は、実を言うとこの演奏会の前には不勉強にもその名前を知らなかった、ヴィーチェスラヴァ・カプラーロヴァーという早逝の天才女子の作品です。演奏前にガードナーがマイクを取り、少し説明をしていました。わずか25歳で結核のために亡くなってしまうのですが、作品番号付きが25曲しかなく、知る人ぞ知る女流作曲家とのこと。近年のBBC Promsのプログラムを見ていても、音楽史に埋もれてきた女性作曲家への再注目がトレンドになっているようです。1曲目は作品番号19、23歳のときの作品で、直訳すると「田舎風組曲」になりますでしょうか。基本的には同じモラヴィア出身の巨匠ヤナーチェクのフォロワーに聴こえますが、途中でスラブ舞曲みたいにあからさまな民謡調になったかと思えば、打楽器などはペダルティンパニを駆使したけっこうモダンな使い方で(ただしティンパニは奏者が勝手に楽譜を超えたチューニングをやってる可能性もありますが)、優等生的なステレオタイプの習作ではない成熟を感じる、完成度の高い曲でした。久々に見るガーディナーは相変わらずのダンディ伊達男で、佇まいからしてカッコいいの一言。

次はポーランドの巨匠シマノフスキの「スターバト・マーテル」、悲しみの聖母を題材とした宗教曲ですが、ポーランド語翻訳版のテキストを使い、ポーランドの民俗音楽も取り入れた土着性の高い曲になっています。アルメニア出身のソプラノ、ジュリアナ・グリゴリアンはまだ20代の若さで既にMET等で活躍する新星で、その美形と魅惑のプロポーションが何と言っても神が与えた武器です。シースルーのドレスで登場したら、どうしてもバストに目が釘付けになります・・・(かたじけない)。肝心の声はというと、一聴してカウンターテナーかと思ったほどの男声的な太さがあり、ソプラノよりはメゾソプラノの声質に思いました。実際、高音域の箇所では少し弱さが見えたものの、透き通る良い声です。リトアニア出身バス・バリトンのコスタス・スモリギナスは45歳というアブラの乗り切った年齢で、すでにLPOやロイヤルオペラの舞台で活躍の様子。ただこの人は埋没しがちな声質で、正面の席から聴くとまた違ったのかもしれませんが、合唱団が歌い出すとノイズキャンセリングにかかったかのように声がかき消されてしまい、ほとんど聴こえてこなかったのが残念でした。メゾのアグニエシュカ・レーリスは楽譜を持たず、本国ポーランド出身なので余裕で暗譜歌唱なのかと思いきや、譜面台に楽譜を映したタブレットが置いてありました。ソリスト、指揮者を問わず、「譜めくり」の世界はまだアナログの紙の楽譜が圧倒的で、使いこなしたら圧倒的に便利とは思いつつ、実際にタブレットデバイスを使う音楽家はまだ少数派です。

3曲目は再びカプラーロヴァーに戻り、作品番号14の歌曲、「手を振ってお別れ」とでも訳するんでしょうか、弱冠22歳の時の作曲ですが、管弦楽伴奏版はその翌年に作られました。歌詞はチェコの詩人ヴィーチェスラフ・ネズヴァルの著名な詩だそうで、当然チェコ語。先ほどのシマノフスキはポーランド語で、イタリア語、ドイツ語、フランス語、英語、スペイン語に加えて、ハンガリー語も含め、こういった中東欧の言語もマスターしなければならない歌手の人たちは本当に頭が下がります。もちろん初めて聴く曲であり、正しいのかどうか判断できませんが、グリゴリアンは先ほどとは歌い方を変え、固さが取れた感傷的な歌唱になっていました。ここでも低音域を含んだよく通る声で、さらにはルックスもピカイチで、大いに聴衆を魅了。トップクラスの人気歌手になれる素質に恵まれながらも、このまま順調にキャリアを積み上げていけるかどうか、声量に少し難がある気がしました。

休憩後はメインの「かかし王子」バレエ全曲版です。バルトークの劇場向け作品三部作のうち、残る「青ひげ公の城」と「中国の不思議な役人」と比較すると相対的にマイナーで、演奏会プログラムにも滅多に上がらず、認知度が低いです。バルトーク好きを自認する私も、実演で聴いたのは過去3回のみ。ただし3回目は組曲版で、2011年の生誕130年記念イヤーでのサロネン指揮フィルハーモニア管でした。その前の2回は2006年、生誕125年を記念したハンガリー国立歌劇場の「バルトーク・トリプルビル」という、今から思うと二度とない垂涎の企画でした。どちらも微妙に半端な記念イヤーだったのは、2006年のほうはモーツァルトの生誕250年と重なっていたので「モーツァルト250+バルトーク125」みたいな抱き合わせ企画になっていたためで、2011年はマーラーの没後100年記念の全曲演奏会の指揮をマゼールに譲ったフィルハーモニア管首席のサロネンが、独自路線で打ち出した対抗企画がバルトーク(+コダーイ+ストラヴィンスキー)だった、という事情があったわけです。

脱線から戻すと、本日の「かかし王子」はバレエ音楽の全曲版ですが、悲しいかな、聴き込みが足らないために、原典版での演奏だったのか、そこから作曲者自らの手で多数のカットが施された最終版なのか、区別がよくわかりませんでした。短い演奏時間を考えるとカットあり版なのかなと思いますが、確信は持てません。大筋としては、かつて見たバレエの舞台をおぼろげに思い出してストーリーを想像しながらの鑑賞でした。あらすじが字幕で投影されていたものの、それだけだと結局よくわからんです。オケは全体的にエッジの効いたメリハリ、クラリネットを筆頭とするソロもいちいち堅牢で、たいへん良かったです。ガードナーも基本的には中道堅実路線でクセが凄くない部類の人ですが、時々オケを煽ってみるものの、オケ側は急なブーストについていけないアドリブ力の限界も見えました。

また、「ラインの黄金」を彷彿とさせる冒頭から、色彩感に富み、複雑なリズムを刻みながらも滑稽なダンス、最後は冒頭に戻ってくる対称構造の構成力、あらためてこの曲はマイナーと埋もれてしまうには惜しい派手さとわかりやすさを持った曲で、もっと聴き込むべき曲だと再認識しました。やはりバレエの舞台も久々に見てみたいと思い、各国の演目予定をチェックする毎日です。


ロンドンフィル/ユロフスキ:研ぎ澄まされたマーラー10番2026/01/24 23:59

2026.01.24 Royal Festival Hall (Lndon)
 Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra
1. Mahler: Symphony No. 10 (ed. Barshai)

ユロフスキを前回聴いたのは2012年11月末なので、約13年ぶりになりますか。前に住んでいたときはLSOが多く、あまりLPOを聴きに行かなかったため、ユロフスキを過去に聴いたのは6度くらい、何か特殊な演奏会ばかり聴きにいった印象が残っています。コンセプト色の強い企画をやる人なので、嫌いなほうではありませんが、自分の嗜好と方向性が合わないことも多いです。なお、ウラディーミルのお父さんミハイル(2022年に亡くなっていたんですね)、弟のディミトリも指揮者で、それぞれ1回聴いています。

本日のプログラムはマーラーの交響曲第10番の補筆完成版の中でも近年評価が高まっているルドルフ・バルシャイ版。このマーラー最後の交響曲に関しては一番メジャーなクック版を筆頭に、いろんな版と稿が入り乱れて多数存在し、指揮者の判断でミックスで使用されたり、指揮者独自のアイデアが取り入れられたりと、なかなか複雑な様相を呈しており、私のように面倒が嫌いな怠惰なリスナーには想像し得ないウンチクが世の中に溢れています。もちろんそのような学究的視点があることは横目で見つつも、自分レベルではざっくりとした感情的な感想を書き記すのが精一杯です。

さて、LPOの首席を退いた後もユロフスキは人気者のようで、客席は満員御礼。登場したユロフスキは、髪がだいぶ白くなったものの、すらっとした長身が醸し出すカリスマの佇まいは健在でした。第1楽章のアダージョは最大限の集中力で、慎重に、慎重に進んでいきます。ユロフスキだとこうなるだろうという期待の通り、細部にこだわる研ぎ澄まされたマーラー。弱音に気を配るのはもちろんのこと、鳴らすところはエゲツなく鳴らすダイナミックレンジの広さが、やはり信頼のある関係のLPOだからこそ実現できるものと思います。ただ、今日はちょっとブラスの人々が不調でところどころ水をさしていました。

ユロフスキは第1楽章で既に精魂つき果たしたような憔悴ぶりで、椅子に座って小休止、その間オケはチューニングを再確認。気を取り直して第2楽章でもいちいち細かい指示を出しまくりの「うるさい指揮」。実をいうとバルシャイ版は初めて聴くのですが、特に第2、第4のスケルツォ楽章で木琴、ベル、むち、ウッドブロックなどの打楽器を多用し、さらには第7番で効果的に使われたテナーホルンやギターも加えて、色彩感が大幅に増しているのが特徴ですが、原理はそうでも実際にそれをどこまでバランスしてカラフルに仕上げるかは指揮者のリード次第です。ウッドブロックの連打(ロール)なんかは日本の現代音楽で多用されるのでマーラーには似合わず違和感がありましたが、ユロフスキは基本的には極彩色路線を取らず、打楽器は控えめに抑えていたように聴こえました。

第10番といえばこれ、という代名詞、最終楽章冒頭のミュートした大太鼓強打は、ステージ上のどれを使うのかなと思って見ていたら、意表をつかれて舞台袖から響いてきました。5楽章を通した全体の構成では真ん中の第3楽章を分極点とした対称構造を成すこの曲で、最終楽章は第1楽章の裏返しで、徐々に徐々にエネルギーが消えていくのですが、ユロフスキは第1楽章さながらの細心の集中力でオケをコントロール。ただホルンが再びピリッとせず、そんなところまで第1楽章に回帰しなくてもいいのに。この長丁場で自分の音楽を最後までやり切ったユロフスキとLPOには満場の聴衆から惜しみない拍手が沸き起こり、スタンディングオベーションで大盛り上がりとなりました。ユロフスキはあえてミスしたホルンを立たせたのがちょっと意地悪。

今日の演奏会にはガチのマイクが多数セットされていたので、LPOの自主制作レーベルでレコーディングされていたと思われます。ブラスはどのくらい修正してるかな?発売が楽しみです。

スコアを掲げてバルシャイ版をアピールするユロフスキ。


ロンドンフィル/カーチュン・ウォン/HIMARI:天才少女のロンドンデビュー2025/10/29 23:59

2025.10.29 Royal Festival Hall (London)
Kahchun Wong / London Philharmonic Orchestra
Himari (violin-2)
1. Chinary Ung: Water Rings (European premiere)
2. Sibelius: Violin Concerto
3. Dvorak: Symphony No. 9 (From the New World)

先週に続き、再びロンドンフィルです。今日は日本人とおぼしき聴衆が普段より極めて多い客層でした。特に子連れの日本人家族は、夜の演奏会では滅多に見ないので、明らかにHIMARI効果ですね。さらに、指揮は2023年から日本フィルの首席指揮者を務め、その後英国の名門ハレ管弦楽団の首席指揮者に就任した、カーチュン・ウォン。ロンドン在住の音楽好き日本人大集合でも不思議ではありません。

1曲目はカンボジア出身で米国在住の作曲家、チナリー・ウンの小品。「Water Rings」は波紋のことでしょうか。また、オペラグラスで楽譜を覗き込むと「Overture」(序曲)と書いてありました。1993年の作品ですが、今日が欧州初演だそうです(イギリスがまだ「欧州」を名乗るのか、というのはさておき…)。私はカンボジアに行ったことがなく、カンボジアの音楽といっても何も頭に浮かばないのですが、この作曲家はガムラン(ってインドネシアですよね?)に傾倒した作風が多いらしく、そういう意味では同じアジアとして通じる「耳慣れた」感が強い音楽でした。私はインドネシア風よりも、中国風よりも、むしろ日本風に近い印象を持ちました。カーチュンは日フィル定期でもこの作曲家を取り上げており、個人的な交流もありそうです。演奏後、聴衆の中からウン本人が立ち上がり、拍手に応えていました。

続いて、弱冠14歳にして名門カーティス音楽院に通う神童ヴァイオリニスト、HIMARIの登場です。何といっても今年3月のベルリンフィル定期にソリストとして出演したことで話題になり、NHKのドキュメンタリーを見て私も認識した次第です。天才少年・少女系の強引なプロモーションは正直嫌いで、だいたい眉唾で見てしまうのですが、この子の素質はホンモノかもしれない、と思わせるものがドキュメンタリーから感じられました。ちなみにベルリンフィル定期では元々ズビン・メータが指揮だったところ、体調不良で降板し、ヴァイグレが代役でした。メータと言えば、11歳の五嶋みどりと共演して「天才少女デビュー」に一役買った指揮者でもあり、庄司紗矢香とも協演が多く、日本人天才少女とは何かと縁が深い人ですね。

登壇したHIMARIは、年齢よりもさらに幼く見える華奢な女の子でした。シベリウスのヴァイオリン協奏曲は名人芸をこれ見よがしに披露する曲調ではなく、技巧に加えて抒情的な情緒が求められる大人の曲なので、子供が喜んで弾く曲とは思えないのですが、まず冒頭からの正確な運指と音程に驚かされました。いやもちろんプロなので正確さは当然のこととは言っても、現実には正確さを犠牲にした「味」を意識的あるいは無意識に混ぜ込んで、人それぞれの緩さを見せる演奏が世間の大勢です。不純物を廃し、機械が鳴らしているかのような完璧さで進んでいきますが、決して即物的ではなく、膨大な練習量に裏付けされたと思しきニュアンスも含めた、一所懸命何かを表現しようとするひたむきさが、おじさん、おばさんの心をぐっと掴むのでずるいです。年齢を考えると、驚異的に成熟しているとも言えるかもしれません。ただ一方で、第二楽章などは、あえて目を瞑って聴いていると、拙さがちょっと気になりました。やはりこの曲は単にテクニックだけでなく色気も要求される難曲で、サーカス曲ではないのです。舞曲調の最終楽章は、体型を考えると目一杯以上の力が入った音でしっかりとリズムを刻み、立派なプロの仕事をまっとうしました。終演後は前後左右各方位に丁寧に笑顔で深々と頭を下げて、好感度高いです。やはり、おじさん、おばさんは応援必至。アンコールではトリッキーな曲(後で調べたら、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ」という有名なソロ曲でした)も達者にこなして、違う一面もしっかりとPR。もちろん背後に控える「大人たち」の綿密なプロモーションあってのことかと思いますが、何とも末恐ろしい限りです。


メインの「新世界」は、大昔に部活で演奏したこともあり、今更好んで聴きに行こうとは思いませんが、嫌いな曲ではありません。カーチュンのリードは低音を効かせて重心を低く保ち、決して前のめりにならない丁寧な進行。管楽器ソロも例外なく名人揃いで、安心して聴いていられる至福のひとときでした。あまりにも知られ過ぎたメロディの数々ですが、フレーズの歌わせ方にカーチュンの個性、こだわりが見えました。このように指揮者は人と違うことをどこかでやろうとするのが普通なのに、先日聴いたカネラキスの潔いポピュリズムが、またふつふつと思い出されました。

ロンドンフィル/カネラキス:ポピュリズム的名演のラフマニノフ2025/10/25 23:59



2025.10.25 Royal Festival Hall (London)
Karina Canellakis / London Philharmonic Orchestra
Paul Lewis (piano-3)
1. Mozart: Overture, Idomeneo, K366
2. Mozart: Masonic Funeral Music, K477
3. Mozart: Piano Concerto No. 25 in C major, K503
4. Rachmaninov: Symphony No. 2

再びロンドンに住み始めて最初の演奏会がロイヤルフェスティバルホールというのは、なかなか感慨深いです。学生時代に始めてロンドンを訪れた際、着いたその日に早速来たのがここでした。その7年後、2回目のロンドン来訪時も、やはり到着したその日、ホテルチェックインを済ませたら早速ここにやって来ました。回数で言うとバービカンのほうが圧倒的に多くなったものの、自分にとってロンドンの原点は、やはりここです。

19時半開演なのに19時を超えてもなかなか開場せず、何事かと思ったのですが、開演10分前にやっと開場。指揮者かソリストの会場入りが遅れでもしたのでしょうか。そういえば以前、ここでフィルハーモニア管を聴いた時に、コンマスが地下鉄の遅延で開演に間に合わず、第2コンマスが急遽代役をやったなんてこともありました。

本日のシェフは、その壮麗なビジュアルで人気の女流指揮者、カリーナ・カネラキス。2021年からLPOの首席客演指揮者に就任しています。今年は7月の都響で日本デビューしたり、オランダ放送フィルを振ったバルトーク「青ひげ公の城」の新譜CDが評判だったりと、話題にこと欠きません。その「青ひげ公」CDは私も当然チェックし、他の指揮者とは一線を画する躍動感ある演奏にちょっと驚き、カネラキスという人に俄然興味を持ちました。7月の都響は都合悪く行けなかったため、今日のLPOが初生演です。

本日のプログラムは前半がモーツァルトの名曲集、後半がラフマニノフの2番という見本市的な演目。数年前にケイト・ブランシェット主演の「TAR」という映画がありましたが、颯爽と登場したカネラキスの第一印象は、まさにリアル「TAR」。鋭い眼光でオケをロックオンし、素手でキビキビとリズミカルな指揮で、小君良いモーツァルトを奏でます。楽器はトランペットがバルブなしだった他は、特にピリオド系でもなく普通のモダンオケでしたが、ビブラートは少々抑えめに、しかし「モダン」としか言いようがない、ヴァイタルな躍動感に溢れるリードでした。気難しくかしこまったモーツァルトではなく、万人が好きそうな分かり易さというか取っ付き易さを感じました。「イドメネオ」序曲に続き、「フリーメイソンのための葬送音楽」でも縦の線はピッタリと揃っており、指揮の統率力は高そうです。

英国が誇る人気ピアニスト、ポール・ルイスは、かつてどこかで聴いた気がしていたのですが、記録を辿るとどうも始めてのようです。いかにも英国紳士らしい品行方正さが滲み出た、フラットで堅実なモーツアルト。しかしカネラキスのバックはあくまでモダンで鋭いリズムを刻んでくるので、お互い合わせているようで身体は背を向けているような、そのコントラストが面白かったです。アンコールは無しであっさり終わりました。

後半のラフマニノフでは、指揮棒を持って登場。ビブラートを解禁し、前半と比べて表情づけがいっそうドラマチックで濃厚になっています。どのフレーズも疎かにせず、縦の線を完璧に揃えて、隅々までコントロールが行き渡っています。よく知っている曲なのでそのうち本質がわかってきたのは、聴衆がこうあって欲しいと思うことをことごとく盛り込む、最大公約数的なある種のポピュリズムで心を掴むのがこの人のアプローチではないかと。決してネガティブに言っているのではなく、ぶっきらぼうに即物的な演奏よりは自分の好みと言えます。アーティストはどちらかというと人がやらないことをやって個性を出そうとする傾向にありますので、こういうポジションを取る人はむしろ希少です。一聴してカッコいいので引き込まれやすい反面、音楽のスケールが広がらないので指揮としては二流と腐す人もいるでしょうが、ここに至る労力と統率力を私はリスペクトします。

第2楽章のロマンチックな第2テーマで、最初のポルタメントはしっかり効かせつつも2番目はサラッと過ぎるあたりなど、演出がいちいち心憎い。さらにロマンチックで有名な第3楽章は、クラリネット渾身の名演もさることながら、それを支えるホルンも安定感抜群で惚れ惚れします。最終楽章はかなり速めのテンポでぐいぐいと畳み掛けて中弛みするのを回避し、一直線に盛り上げました。満員御礼の聴衆が総立ちの喝采も納得、一期一会でその場限りの演奏会としては非常に満足度の高い名演と言えます。レコーディングになって繰り返し聴くにはどうかな、という一抹の疑念は残りました。ロンドンフィルも久々に聴きましたが、世界の一流オケの実力はさらに進化しているように感じられ、頼もしい限りです。


ロンドンフィル/マッツォーラ:似て非なる、イタリアとスペインの夜の音楽2013/02/09 23:59


2013.02.09 Royal Festival Hall (London)
Enrique Mazzola / London Philharmonic Orchestra
Javier Perianes (piano-2), Maria Luigia Borsi (soprano-3)
1. Respighi: Fontane di Roma
2. Falla: Noches en los Jardines de España
3. Respighi: Il Tramonto (The Sunset) for mezzo-soprano & strings
4. Ravel: Pavane pour une infante défunte
5. Ravel: Rapsodie espagnole

去年のイースターにグラナダのファリャの家を訪れた後、ファリャの音楽を無性に聴きたくなって買ったチケットです。ずいぶんと時間が経ってしまって、待たされた気分。それによく見ると、スペインの曲と言えるのは2曲しかなくてしかもその一つはラヴェルですが。

今日がロンドンフィルデビューのエンリケ・マッツォーラは1968年スペインはバルセロナ生まれですが、イタリア人のようです。本人の公式HPにはスペイン生まれとしか書いてないし、Wikipediaにはスペイン人指揮者とありましたが、当日のプログラムではイタリア人と書いてあり、本人が演奏前のトークで「自分はイタリア人だ」とはっきり言ってたので、人種的にはイタリア人で間違いないんでしょう。実際、つるっぱげ頭ながらこだわりの赤ブチ眼鏡に、垢抜けたシャツを途中で着替えたりして、伊達男ぶりはイタリア人ですね。

まずは「ローマの噴水」でスタート。一聴してわかったのは、この人はオケの交通整理が上手く、繊細さを犠牲にしても各楽器を際立たせ、すっきりと見通しの良い音楽作りをする人だなあということ。今回の選曲は夜を思わせる曲ばかり並んでいるので(少なくとも昼の陽射しが似合う曲は一つもない)、この一貫した透明感はどれにもよくマッチしていました。反面、特に「トレヴィの泉」あたりだと弱い金管と相まってスケール感の欠如が如実に。大仰な音楽作りはキャラクターに合わないのかもしれません。

「スペインの庭の夜」は、いかにもスペインっぽいメロディ満載の印象主義的な曲。特に1曲目のアルハンブラ宮殿離宮ヘネラリフェは、極彩色の花壇と品の良い噴水の情景を思い出して、ノスタルジーを誘いました。協奏曲的でありながらピアノは終始控えめで、ペリアネスの力量はよくわからんかったというのが正直なところ。アンコールでもファリャのピアノ小曲を弾いてましたが、国外ではスペインもののスペシャリストとして振る舞わなければならないのでかえって窮屈なのかも。逆にスペイン国内ではベートーヴェンとか堂々と弾いてたりして、そっちのほうが面白いかもしれません。

休憩後、レスピーギの歌曲「黄昏」は、ソプラノのマリア・ルイギア・ボルシには音域があまり合わないのか、黄昏というより夜の帳が下り切ったようなローテンション。初めて聴く曲でしたし、ボケッとしている間に終わってしまった感じです、すいません。この人本職はオペラ歌手のようなので、個性的なお顔立ちもあって、是非オペラで聴いてみたいものです。

残りはラヴェルが2曲。「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、冒頭のホルンにもうちょっと味があればなお良かったと思いますが、音をきっちりと整理し、全体的に透明度の高いハーモニーが心地よい、なかなかの名演でした。「スペイン狂詩曲」は大管弦楽ながらもうるさい部分はちょっとしかなく、効率の悪い曲ですが、ここに至るまで抑えに抑えて溜め込んだエネルギーを最後に開放させ、オケが自発的に鳴りまくるままにしていました。今日のプログラムで派手にジャンと終わるのはこの曲だけだったので、ここまでちょっと醒めていた聴衆もようやく盛り上がって、やんやの大喝采に終わりました。

本日はセカンドヴァイオリンのトップにゲストプリンシパルとして船津たかねさんが座っていました。一昨年フィルハーモニア管で見て以来です。しかしそれよりも今日一番驚いたのは、ホルンにLSOトップのデヴィッド・パイアットが座っていたこと。プログラムを見ると確かに彼の名前が2番目のプリンシパルとして書かれてありました。道理で最近バービカンでは見かけないなと思っていたら、いつのまに移籍したのかなー。でも後でLSOのサイトを見てみたらまだ彼の名前も残ってたりして、本当にごく最近移ったんでしょうかね。今日の演奏でもホルンが弱いと思った「ローマの噴水」と「パヴァーヌ」は、パイアットは降り番でした。今後のLPOブラスセクションは大いに期待ができるかもしれません。



LPO/ユロフスキ:ホロコーストと、「運命」と2012/11/28 23:59

2012.11.28 Royal Festival Hall (London)
Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra
Annabel Arden (director)
Robert Hayward (reciter-2, narrator-3)
Omar Ebrahim (Fučík-4)
Malcolm Sinclair (voice-4)
Gentlemen of the London Philharmonic Choir
1. Beethoven: Overture, Fidelio
2. Schoenberg: Ode to Napoleon Bonaparte, Op. 41
3. Schoenberg: A Survivor from Warsaw, Op. 46
4. Nono: Julius Fučík (UK premiere)
5. Beethoven: Symphony No. 5 in C minor

先の五嶋みどりと同じくベートーヴェンと20世紀モノの組み合わせですが、こちらはあからさまにコンセプチュアルです。政治犯の解放がテーマの「フィデリオ」、ナチスから逃れてアメリカに亡命したシェーンベルク、著名なジャーナリストにしてホロコーストの犠牲者であるフーチク、最後は言わずと知れた「運命」。まず最初にユロフスキがマイクを取り、コンセプトの説明がありました。プログラムの5曲を通して一つのメッセージとして聴いて欲しいことと、どんな逆境にあろうとも不滅なものは人間の魂、というような話でした。

言い訳にはなりませんが、寝不足だったため前半はもう眠くてしょうがなく、「フィデリオ」はよく知っている曲と油断してたらほとんど沈没してしまいました。次の「ナポレオンへの頌歌」はイギリスの詩人バイロンが独裁者ナポレオンを批判するために書いた詩がテキストになっており、1942年という作曲年から見ても当然ヒトラー批判の暗喩となっています。朗読のヘイワードはれっきとしたバリトン歌手ですが、シュプレヒシュティンメも上手い。曲が曲だけに途中眠気を誘いましたが、この膨大なテキストにひたすら熱弁をふるう姿が強く印象に残りました。

前半最後の「ワルシャワの生き残り」も、タイトルは有名ながら実は初めて聴く曲です。ホロコーストから生還した男の体験を綴ったもので、ナレーション(と言っても音楽に合わせたシュプレヒシュティンメ)は引き続きヘイワードが担当しました。大編成オケに男性合唱が加わり、短い曲ながらもインパクトは大。12音技法特有の突き放した感じはなく、不協和音、無調音楽の中にも感情が溢れていて、かえって聴き易い。現代モノがあまり得意とは思えないロンドンフィルですが、今日は集中力の高い演奏で最後をきっちり決め、大喝采を受けていました。

後半のノーノ「ユリウス・フチーク」は、チェコスロヴァキアの指導的共産主義者ジャーナリストであったフチークがユダヤ人収容所で書き残した手記がテキストです。1951年に構想された際は完成を見ず、結局オーケストラの部分だけ「管弦楽のための作品第1」として発表されましたが、作曲者の死後16年経った2006年に、ようやく朗読付きのオリジナルの姿が復元され、初演されました。休憩時間中にスクリーンでフチークの写真とプロファイルが紹介され、場内の照明を落として演奏が始まると、さっきのシェーンベルクよりもさらに激しい金管の咆哮に、打ち鳴らされる打楽器群。看守の怒鳴り声が響く中、舞台下を駆け抜けたフチークはすぐに捕らえられるとピアノ椅子に座らされます。スポットライトの強い光で顔を照らされて、シルエットがいつのまにか収容所の殺風景な写真に代わっているスクリーンに大写しになり、異常な圧迫感を与えます。音楽に加えてこういった演出の効果も重要なポイントでした。スクリーンに映し出された、家族へ宛てた最後の手記に「ベートーヴェンの主題で示される歓喜は決して奪われることはない」というような記述があり、なるほどそういう繋がりかと膝を打つ間もなく、間髪いれずに「ジャジャジャジャーン」と「運命の動機」。

だがちょっと待て。ベートーヴェンの歓喜の主題と言えば、どう考えても「第九」なのでは。まあ、交響曲第5番を「運命」と呼ぶのはほとんど日本だけだそうですが、このモチーフは少なくとも歓喜を表しているようには思えないので、ちょっとコジツケを感じてしまいました。ともかく、非常に速いテンポで曲が進み、フレージングが上滑り気味で、意図してのことかどうか、正に何かに急き立てられる感じです。第2楽章では打って変わってノンビブラートのヴィオラ、チェロがゆったりと澄んだ響きを奏で、その後は比較的素直な「運命」でした。超難曲揃いの今回のプログラムで、最後にやり慣れた「運命」が来ると一気に気が抜けそうなものですが、今日のロンドンフィルはそういうこともなく最後まで高い密度を保っていたのが立派です。ただ、こういったコンセプトものに組み入れられた「運命」は、何か型に嵌められてしまった窮屈さをちょっと感じてしまったのも事実。本来は、人類の罪とか何とかを超越し、心を無にしてひたむきに聴くだけで十分に心打たれる音楽なので、意図的な色付けはかえって邪魔な場合もあります。

LPO/N.ヤルヴィ/ギルトバーグ(p):My Lonely Valentine2012/02/14 23:59


2012.02.14 Royal Festival Hall (London)
Neeme Järvi / London Philharmonic Orchestra
Boris Giltburg (P-1)
1. Rachmaninov: Piano Concerto No. 2
2. Kreisler (arr. Rachmaninov, orch. Leytush): Liebesleid (European premiere)
3. Rachmaninov: Symphony No. 2

妻娘が揃って風邪でダウン、おっさん一人で「バレンタインコンサート」に行くことになってしまいました。このベタベタにロマンチックな選曲、やはり客層は若い人、いかにも普段演奏会には行かなさそうな人が多かったです。楽章が終わるごとに拍手する人々、演奏中にカツカツとハイヒールの音を立てつつ外に出て行く女性、演奏中にボリボリ物を食べるガキなど…。

1曲目は超メジャーなピアノ協奏曲第2番、ライブで聴くのはすごく久しぶりです。6年前聴いたときのソリスト、ラン・ランは今週末バービカンにやってきますが、それはさておき。ボリス・ギルトバーグは今年28歳になるユダヤ系ロシア人の若手ピアニスト。昨年のチャイコフスキーコンクールに出たもののラウンド2に残れなかったようです。風邪でもひいているのか、右の鼻穴にティッシュを詰めて出てきました。別段どうということはないピアノだったので、論評に困ります。どうも音があまり澄んでない(はっきり言うと濁っている)ように聴こえるのは、ピアノの調律のせいかもしれないし、私の耳がおかしいのかもしれませんが、よく観察していると細かいミスタッチが多く、しかも後半になるほど増えていってました。まあ、本当に体調は悪かったのかも。ヤルヴィお父ちゃんは初めて聴きますが、巨匠の風格溢れる体格の通り、低音を効かせて堂々とした進行です。ニュアンスというものは薄く、その代わりに弦の音は磨き上げられ、弦と木管のハーモニーが実に美しく溶け合っていました。こういうのは厳格なリハーサルとベテランのワザがあってこその結果ですよね。ただし、一番重要なはずのクラリネットは、音は綺麗なんですが木で鼻をくくったような何とも味のないソロで、私は感心しませんでした。

1楽章が終わったところで大量のレイトカマーを入れたため、この人達がどやどやといつまでも騒々しく、ヤルヴィもいったん指揮を始めようとしたもののあまりにうるさくて断念し、結局ノイズが収まるまで長い時間仏頂面で待っていました。せっかくのテンションに水を注されたかっこうで、これは会場のマネージメントが悪いです。

続くクライスラーの「愛の悲しみ」は、欧州初演というふれこみでプログラムにクレジットされていたものの、これは本来ならアンコールという取り扱いですよね。拍手がほとんど消えかかっていたにもかかわらず、ボリス君はもう1曲アンコールで子犬のワルツのようなコロコロとした小曲(曲名不明)を弾いてくれました。こういう軽めのアルペジオな曲のほうがこの人の本来の持ち味が生きるように思いました。

メインのラフマニノフ第2番はここ数年マイブームなので、実演の機会があればできるだけ聴きに行ってます。ここでもヤルヴィはすっきりと見通し良く音を整理しながら、ストレート、質実剛健に歩んで行きます。LPOはいつになく上手いし、リタルダンドやポルタメントはきっちりやってますが、情緒こもったロマンチックにはなり切れない歯がゆさがありました。あまりスケール感はなく、意外と小さくまとまっている印象です。1楽章ラストのティンパニの一撃は無し。ヤルヴィは打楽器奏者出身なのでガツンとやってくれるかと期待したのですが。

ロマンチックの極み、第3楽章ではまたしてもクラリネットが「木偶の坊」(「マグロ」と書いて、下品なのでやめました。って、結局書いてますが)。ここまで徹底しているということは、これは指揮者の解釈か、奏者のこだわりなんでしょう。終楽章は金管打楽器を思いっきり解放し、熱く盛り上げて行きました。なかなか上手いドライブで、LPOもハマるとここまで馬力が持続するんだ、と見直しました。だいぶ遅い時間だったので終楽章の途中で帰る人もいれば、少なからぬ人が終演と同時に席を立ちましたが、拍手はけっこう盛り上がっていました。私もコーダの迫力と疾走感は、ヤルヴィの統率力に感心しました。

大勢の人がすでに帰った中、トドメのアンコールはもちろん「ヴォカリーズ」でロマンチックに閉めました。時刻はすでに夜10時、長い演奏会でした。何となく物足りなくて、昨年のBBC響/山田和樹の演奏会録音(膝上ではありません、BBC Radio 3から)をiPodで聴きつつ帰りましたが、艶やかな音の膨らみ、情感溢れる弦の旋律、切々と歌うクラリネット、やっぱこの曲はええわー。これは悪いけど正直、BBC響の圧勝でした。

ロンドンフィル/ヴェデルニコフ/石坂(vc):プロコフィエフの夕べ2012/01/13 23:59


2012.01.13 Royal Festival Hall (London)
Alexander Vedernikov / London Philharmonic Orchestra
Danjulo Ishizaka (Vc-2)
1. Prokofiev: Lieutenant Kijé Suite
2. Prokofiev: Cello Concerto in E minor, Op.58
3. Prokofiev: Symphony No. 7 in C sharp minor

調べてみたら、私はロンドンフィル、フィルハーモニア管、ロンドン響をちょうど1:2:3くらいの比率で聴いてるんですね。ということで、ロンドンフィルは聴きたい曲があるときだけチケット買ってます。このコンサートは、娘が以前LSOのファミリーコンサートに行った際に「キージェ中尉」をいたく気に入っていたのと(つくづく変わった子だ…)、石坂団十郎を一度聴いてみたかったので、勢いで買いました。

指揮者のヴェデルニコフは初めて聴きますが、ボリショイ劇場の音楽監督を長く勤めていたという経歴の何だか良くない面が前に出ている感じの人で、速めのテンポでさっさと進んで行くにしては音楽は一向に盛り上がらず、火力不足で煮え切らない演奏に終始していました。オケの反応もイマイチで、「キージェ中尉」の1曲目途中で急にテンポを上げてみたら早速振り落とされてしまい、こりゃいかんと指揮者が早々に「お仕事モード」に入ってしまったのは、鶏と玉子のどちらが先か、という世界ですね。ところでうちにあるこの曲のCDはバリトン独唱付きのオリジナルバージョンなので、それを聴き慣れているとオケ用編曲で低弦やサックスのソロが歌に取って代わるのは、やっぱり違和感があります。これは歌曲だったんやなあ、ということがひしひしと再認識されました。

2曲目のチェロ協奏曲は音源を持っておらず、全く初めて聴く曲でした。同時期に作曲していた「ロメオとジュリエット」のフレーズ流用がありましたが、それは些細なことで、全体的には難解な曲の部類でしょう。一回聴いたくらいではつかみ所がまるでわかりませんでした。純和風な名前ながらドイツ人ハーフの石坂団十郎は、黒ぶち眼鏡で前髪をきっちりと分け、レトロな雰囲気のハンサムボーイです。調子はちょっと悪かったのか、季節がら風邪をひいたかのようにかすれた高音が気になりました。多分上手いんだろうけど、曲がよくわからん曲だったこともあって、残念ながら心に残る「出会い」ではありませんでした。生真面目すぎるし、音に官能がありません。プロコフィエフよりも、次はバッハとかハイドンで聴いてみるべきかもと思いました。

メインの交響曲第7番も、実演で聴くのは初めて。副題の「青春」は青少年に向けて書いた曲という意味であって、涙も汗もレッツビギンもありません。「古典交響曲」ほど徹底はしてないにしても全編擬古典的で、最後はやっぱりここに戻ってくるのね、という微笑ましさを感じる楽しい曲です。こちらは途中「シンデレラ」っぽい箇所が出てきます。プロコフィエフもけっこう素材の使い回しをやってるんですね。ヴェデルニコフさん、最後までオケから火事場の馬鹿力を引き出すことは出来ず、いつものそれなりのLPOでした。燃料不足を象徴するかのように、2種類あるエンディングのうち、当然のように静かに終わるほうを選択していました。最後まで聴き通すと、このクールさ、ローカロリーさが実はこの人の持ち味だったのかと納得。私の好みには合いませんが。

LPO/ポルタル/オグデン(g):アランフェスと三角帽子2011/11/25 23:59

2011.11.25 Royal Festival Hall (London)
Eduardo Portal / London Philharmonic Orchestra
Craig Ogden (Guitar-2)
1. Antonio José: Suite from 'El mozo de mulas' (The Muleteer)
2. Rodrigo: Concierto de Aranjuez for guitar & orchestra
3. Falla: The Three-cornered Hat, Suite No. 1
4. Falla: The Three-cornered Hat, Suite No. 2
5. Mussorgsky: Pictures at an Exhibition (orch. Ravel)

連夜の演奏会。未だ時差ぼけ抜け切らぬ体調のためけっこう辛いです。今夜の目当ては「三角帽子」ほぼオンリー。昔から大好きな曲なのですが実演で聴ける機会が少ないので、目に止まれば極力聴きに行くことにしています。

1曲目はアントニオ・ホセの歌劇「らば飼いの少年」からの組曲。ホセは名前からして初めて聴く作曲家でした。Wikipediaで調べるとラヴェルやダリと親交があり、次世代のスペイン楽壇を担う逸材として期待されていたにもかかわらず、スペイン内戦に巻き込まれて何と34歳の若さで処刑されてしまったそうです。指揮者のポルタルは見た目さらに若そうなハンサムボーイで、今年LPOの副指揮者をやっているようで、やせぎすの長身と鬼のような形相から巧みな棒さばきでオケをリードする、と思いきや、オケの反応がイマイチ。慣れない曲なので練習不足なんでしょうか。

気を取り直して2曲目は、第2楽章だけ超有名な「アランフェス協奏曲」。独奏は、名前だけは聞いたことがある人気ギタリスト、クレイグ・オグデン。この演奏会、最終的にはほぼ満員だったのですが、なるほど理由がわかりました(オグデンが出ると知らずにチケット買いました)。オケは中編成ながら音を刈り込んだ室内楽的アプローチだったので、脇の席でしたがギターはよく聴こえました。しゃらんしゃらんとメタリックな音は華やかでいいな、コールアングレのソロはいい音でがんばってるな、などと考えながら、意識は睡魔に飲まれていってました。すいません。

待望の「三角帽子」は小気味よいティンパニのリズムで景気よく始まりました。指揮者はオケに「スペインの旋律」を歌わせ、「スペインのリズム」を刻ませるべく孤軍奮闘し、オケ側もできる限りこの若者のリードに応えようと温かく接していたように見えましたが、どうもギクシャクしていたのはリハ不足と指揮者の経験不足なんでしょう。第1組曲の「粉屋の女房の踊り」で極端に粘ったファンダンゴのリズムに最初は「おおっ」と思わせたものの、フレーズを繰り返すに従い粘りは薄れていき、やりたいことはわかるがとにかくオケが着いていってない印象でした。他にも、第1組曲が終わったところで間をおいたので拍手が起き、一旦オケを立たせるような素振りを見せたのに誰も立たなかったり(そりゃそうだ、と思いました)、チグハグなことをやっていたのがいかにも手慣れていない感じで、初々しいやら、痛々しいやら。終曲のラスト、盛大なカスタネットに続く最後の一撃も前のめりで終わってしまって、だいぶ消化不良感が残りました。

ここでようやく休憩。短い曲が多いとは言え、前半にちょっと詰め込みすぎではないかなあ。休憩後の「展覧会の絵」は、バスク系のラヴェル編曲ということで辛うじてスペイン繋がりのプログラムと言えますが、やっぱりちょっと無理がある。これをやめて、むしろ「三角帽子」を全曲版でやったほうがすっきりとしたプログラムになったのではないかと。それはともかく、この「展覧会」でもギクシャク感は消えず、どうにも思い切りの悪い演奏になっていました。やっぱり慣れの問題でしょうか、曲の間にいちいち休止を入れるから、この季節はすかさず咳のオンパレードになってしまい、間合いも開くし、集中力が殺がれる結果になります。棒振りそのものは長身もあってずいぶんとさまになっているので、後は何とか場数を踏んで、先発投手が「試合を作る」技量をもっと磨いてくれれば、ですかなー。

ロンドンフィル:ファンハーモニクス・ファミリーコンサート「チック・タック」2011/05/15 17:00

2011.05.15 Royal Festival Hall (London)
FUNharmonics family concert "Tick Tock"
Stuart Stratford / London Philharmonic Orchestra
Chris Jarvis (Presenter)
1. Kodály: The Viennese Musical Clock from 'Háry János' Suite
2. Prokofiev: Waltz and Midnight from 'Cinderella' Suite No. 1
3. Haydn: Symphony No. 101 (The Clock): 2nd movement
4. McNeff: Suite for Orchestra from the opera 'Clockwork'
5. Beethoven: Symphony No. 8: 2nd movement
6. Grainer/Gold: Doctor Who Theme (arr. McEwan)
7. Johann Strauss II: Perpetuum mobile
8. Ponchielli: Dance of the Hours from 'La Gioconda'

久々のファミリーコンサート。ロンドンフィルのはこれで2回目です。娘はもう大人の演奏会に普通に連れて行ってますし、ファミリーコンサートの子供向けイベントにも興味がなくなってきた様子なので、もう卒業してもよいかと思っていましたが、今回は選曲がなかなか面白かったので、これを最後のつもりで行ってみました。

会場はほぼ満員。子供の年齢層は乳児から小学校低学年までが多いです。もちろんほとんどの子供は1時間の演奏会にじっとしていられるはずもなく、立ったり座ったり終始落ち着かない子供、途中でトレイに行きたいとせがむ子供、子供用クッションをバンバン叩く子供、ぐずって泣き出す子供等々、会場は絶えず騒がしいです。それは織り込み済みですが、見ていると子供をなすがままに放置している親が多く、演奏会でのマナーを子供に教える絶好の機会と捉えている人は少数派の様子。子供に少しでもクラシック音楽に興味を持ってもらう機会、という意義もありますので捉え方は人それぞれですが、イギリスのたいていの子供は知っている「ドクター・フーのテーマ」になるとみんなとたんに静かになって耳を傾けたのを見るに、クラシックリスナーの裾野を広げるにはあまり成功していないのかな、とも感じました。何にせよ、ファミリーコンサートの常連になって、あのざわざわを普通のものだと思い込んでしまう子供が大量生産されたら、その弊害がむしろ大きいんじゃないかと思ってしまいます。

オケは見る限り通常のLPOのメンバーで、演奏はたいへんしっかりしたものでした。コンマスはVesselin Gellevさんですね。この人、顔立ちからてっきりイタリア人かと思っていたら、意外にもブルガリア人でした。今日は席が遠かったので、美人奏者探しは不発に終りました。フィオナちゃんクラスの人はやっぱりそうそういませんなー。第2ヴァイオリンとパーカッションに良い感じの人を見つけましたが、もうちょっと近くで観察しないと何とも言えません。(何をしに行ってるんだか)