ロンドン響/ラトル:もう一つの「マクロプロス事件」2026/01/15 23:59

2026.01.15 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / London Symphony Orchestra
Marlis Petersen (Emilia Marty)
Ales Briscein (Albert Gregor)
Jan Martinik (Dr Kolenaty/Strojnik/Machinist)
Peter Hoare (Vitek)
Doubravka Novotna (Krista)
Svatopluk Sem (Baron Jaroslav Prus)
Vit Nosek (Janek)
Lucie Hilscherova (Cleaning Lady/Chambermaid)
Alan Oke (Count Hauk-Sendorf)
1. Janacek: The Makropulos Affair (concert performance, sung in Czech with English surtitles)

11月にオペラハウスで舞台を観たばかりの「マクロプロス事件」、調べてみると、作曲完成が1925年、出版が1926年だったので、ちょうど100年の節目に当たるようです。このマイナーな演目を数ヶ月のうちに2回も観ることはこの先多分ないでしょう。ただ、オペラハウスの新しい音楽監督にチェコ人のフルシャが就任したのと、元々ヤナーチェク大好きなラトルが常任から退いた後も頻繁にLSOに客演している時期が重なった偶然の要素も大きいとは思います。

さて、よく考えると生ラトルを拝むのも実に13年ぶり。LSOの指揮台だと15年ぶりになります。その間、ベルリンフィルを退任、LSOの音楽監督になってそれもすでに退任、今はバイエルン放送響の首席と、実際に常任の立場でこれだけ超一流どころを渡り歩いている人も珍しいかと。ロンドンに家があるからでしょうか、今なおLSOは準レギュラーのような登板頻度です。

個人的には音楽もプロットもまだまだ馴染みが足りないこのオペラ、細かいところはよくわからないのでざっくりした感想程度のことしか書けませんが、ラトルなので団員の本気度も上がるからでしょうか、ビロードのごとき上品で輝かしい金管、音色の美しさが際立つ木管、中音域がしっかりコアとなる重層的な弦、歌心のあるティンパニ(相変わらずトーマスさんいい味出してました)、どこを取ってもやはりオペラ座専属オケと比べてLSOのクオリティは最高でした。

ヤナーチェクの力強い音楽に乗せてLSOの馬力を十二分に引き出したラトルに、ハズレのない一流の歌手陣。まず、オペラ座の公演と被っているキャスティングは、ピーター・ホーレとアラン・オケがそれぞれ同じ役を歌っていました。他は記憶にない名前ばかりよな、と思っていたら、主役エミリアのマルリス・ペーターゼンは2012年にバービカンで聴いたアーノンクール指揮コンセルトヘボウのベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」で歌っており、また弁護士コレナティ役のヤン・マルティニクも同じく2012年に、プラハのドヴォルザークホールにて今は亡き当時の音楽監督イルジ・ビエロフラーヴェク(フルシャの師匠でもありますね)指揮のチェコフィルで、ドヴォルザークの「聖書の歌」という超マイナーな曲を聴いていました。毎度ながら備忘録様様です。今回は演奏会形式での上演なので、いくつかの役を掛け持ちしている人がいます。実際、歌手は出番のない間は上手下手に分かれてコントラバスまたは第1ヴァイオリンの後ろに座って待機し、出番が近づくと指揮者の横まで静々と歩いて移動、という演出だったのでそれも十分可能でした。このキャストとオケで舞台をぜひ見たかったものです。ただ、ステージの見切れた部分で物語が進んで行くわけでもなく、ごちゃごちゃした投影で目がチカチカするすることなく字幕も追えたのですが、ではストーリーがわかりやすかったかというと、そうでもありませんでした。やはり人物関係をかなりしっかりと頭に入れておかないと、途中で混乱してきます。やはり舞台が欲しいとは思いましたが、この複雑なストーリーと人間関係をすっと受け止めるには、吉本新喜劇ばりに性格づけを際立たせた演出や衣装が良いんでは、と思ってしまいました。分類としては悲劇でも、全体的に喜劇的要素も随所に入ってますし。


ロンドン響/ラトル/コパチンスカヤ(vn):至高の一夜、バルトークとファリャ2026/01/18 23:59

2026.01.18 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / London Symphony Orchestra
Patricia Kopatchinskaja (violin-1)
Rinat Shaham (mezzo-soprano-2,3)
1. Bartók: Violin Concerto No. 2
2. Bartók: Five Hungarian Folksongs for Voice and Orchestra
3. Falla: The Three Cornered Hat – Ballet

何度でも生で聴きたくなる大好きなクラシック曲という意味では自分の中でトップ中のトップであるバルトークのヴァイオリンコンチェルトとファリャ「三角帽子」の組み合わせという、最初は目を疑った、願ってもないプログラム。しかも演奏はラトル/LSOにコパチンスカヤという豪華さ。間違いなく今シーズンのメインイベントなので、ここは躊躇せず久々の超かぶりつき席をゲットしました。しかし、こういったいわゆる民族楽派の音楽はラトルが得意とするところですが、ファリャまでレパートリーにしているとは知りませんでした。

バルトークのコンチェルトも三角帽子全曲版も、見つけたら積極的に聴きに行く曲ですので、前回はどちらも2年前と、そんなに久しぶりというわけではありません。コパチンスカヤはもう3年前になってしまいますが、大野和士/都響との協演でリゲティのアバンギャルドなコンチェルトを聴いて以来です。

さてコパチンスカヤは、トレードマークの裸足に加えて、今日はボロ切れで雑に作ったようなスカーレット色の変なコートを纏って登場。そのユニークな出立ちだけでなく、のっけからすごい音でカマしてくれます。これまで聴いた誰よりも芝居がかり力の籠った入りで、ここまでガツンとやられると逆に有無を言わさぬ説得力がありました。大小硬軟を自由自在に飛び越える色彩豊かな音色で、右足指と左かかとでリズム取っていたかと思いきや、興じてくるとピョンピョン飛び跳ね、ドシドシ足踏みしながらの余計な効果音まで入った熱烈なヴァイオリンは、まさに唯一無二。譜割やニュアンスは完全に我流で、四分音の取り方もわざと甘めで、正統派の端正なアプローチから見たら邪道でしかない超個性的なバルトーク。過去に聴いた中ではイブラギモヴァが方向性は近い感じでしたが、それよりはるかに突き抜けています。自己プロデュースの戦略もあるでしょうが、覚悟を持ってここまで極端を貫けるこの人だからこそ芸として許されるのであって、凡人が決して真似してはいけない境地です。前にリゲティのコンチェルトを聴いたときは音がちょっと雑だと感じたのですが、今日のように最前列かぶりつきで、自分と奏者の間に何も遮る物がない状態でその生音を聴くと、ラフに聴こえる箇所でも音色と音程は完全にコントロールされているのがよくわかりました。上手すぎる完璧な技術がまずあって、さらにその一段上の境地であえて自由に崩すという、まさにこの人しかできない芸当に、感服するよりほかありません。カデンツァの途中でばらけた弓のヒゲを切っていたのは、さすがに自由過ぎるだろと思いましたが。アンコールは自ら解説をして、クルターグ「カフカ断章」の超短いヴォイス付きの曲を披露。最後までブレない自由人でした。


後半1曲目は、あまり演奏されることがないバルトークの歌曲集。自分も初めて聴きます。登場したリナート・シャハムは、どこかで見た顔だと思ったら、昨年発売されたカネラキス指揮オランダ放送フィルハーモニー管の「青ひげ公の城」でユディットを歌ってた人ですね。この人も確かな技術に裏付けされた技巧的なメゾソプラノで、素晴らしい歌唱でした。スペイン人ですがハンガリー語も自然で、さすがユディット歌手です。


最後、メインの「三角帽子」ではシャハムは後列に移動。出番は少ないですが第一部の冒頭と第二部中間の重要な場面で要所を占めます。ラトルは元来細かいところで奇をてらった仕掛けをしてくる人ですが、ファリャについてはそのような形跡はなく、それよりもオケを解放して鳴らし切り、メンバー個々の卓越した名人芸を引き出すことに徹しているように見えました。アンサンブルはあえて整えないで、わざと乱れを残して、いかにもスペインの祭りらしい荒々しさを表現。ラトルの指揮なのでオケはもちろん本気度が高く、極上のLSOサウンドを享受する「三角帽子」は、次聴く機会はもうないかもしれないと感慨もひとしおでした。ただ肝心の終曲で二点、大太鼓の入魂の一発が落ちてしまったことと、ラストのカスタネット(元々スコアにはないが追加する指揮者は多い)が思い出したかのように遅れて入ってきたこと、打楽器でリハ不足かと思われるミスがあったのは残念でした。

ともあれ今日この演奏会をこのかぶりつき良席で聴く/観ることができた幸せを噛み締めると共に、この演奏会はBBC Radio 3で中継されていたので音源を手元に残すことができたのは重ね重ねラッキーでした。

ロンドンフィル/ユロフスキ:研ぎ澄まされたマーラー10番2026/01/24 23:59

2026.01.24 Royal Festival Hall (Lndon)
 Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra
1. Mahler: Symphony No. 10 (ed. Barshai)

ユロフスキを前回聴いたのは2012年11月末なので、約13年ぶりになりますか。前に住んでいたときはLSOが多く、あまりLPOを聴きに行かなかったため、ユロフスキを過去に聴いたのは6度くらい、何か特殊な演奏会ばかり聴きにいった印象が残っています。コンセプト色の強い企画をやる人なので、嫌いなほうではありませんが、自分の嗜好と方向性が合わないことも多いです。なお、ウラディーミルのお父さんミハイル(2022年に亡くなっていたんですね)、弟のディミトリも指揮者で、それぞれ1回聴いています。

本日のプログラムはマーラーの交響曲第10番の補筆完成版の中でも近年評価が高まっているルドルフ・バルシャイ版。このマーラー最後の交響曲に関しては一番メジャーなクック版を筆頭に、いろんな版と稿が入り乱れて多数存在し、指揮者の判断でミックスで使用されたり、指揮者独自のアイデアが取り入れられたりと、なかなか複雑な様相を呈しており、私のように面倒が嫌いな怠惰なリスナーには想像し得ないウンチクが世の中に溢れています。もちろんそのような学究的視点があることは横目で見つつも、自分レベルではざっくりとした感情的な感想を書き記すのが精一杯です。

さて、LPOの首席を退いた後もユロフスキは人気者のようで、客席は満員御礼。登場したユロフスキは、髪がだいぶ白くなったものの、すらっとした長身が醸し出すカリスマの佇まいは健在でした。第1楽章のアダージョは最大限の集中力で、慎重に、慎重に進んでいきます。ユロフスキだとこうなるだろうという期待の通り、細部にこだわる研ぎ澄まされたマーラー。弱音に気を配るのはもちろんのこと、鳴らすところはエゲツなく鳴らすダイナミックレンジの広さが、やはり信頼のある関係のLPOだからこそ実現できるものと思います。ただ、今日はちょっとブラスの人々が不調でところどころ水をさしていました。

ユロフスキは第1楽章で既に精魂つき果たしたような憔悴ぶりで、椅子に座って小休止、その間オケはチューニングを再確認。気を取り直して第2楽章でもいちいち細かい指示を出しまくりの「うるさい指揮」。実をいうとバルシャイ版は初めて聴くのですが、特に第2、第4のスケルツォ楽章で木琴、ベル、むち、ウッドブロックなどの打楽器を多用し、さらには第7番で効果的に使われたテナーホルンやギターも加えて、色彩感が大幅に増しているのが特徴ですが、原理はそうでも実際にそれをどこまでバランスしてカラフルに仕上げるかは指揮者のリード次第です。ウッドブロックの連打(ロール)なんかは日本の現代音楽で多用されるのでマーラーには似合わず違和感がありましたが、ユロフスキは基本的には極彩色路線を取らず、打楽器は控えめに抑えていたように聴こえました。

第10番といえばこれ、という代名詞、最終楽章冒頭のミュートした大太鼓強打は、ステージ上のどれを使うのかなと思って見ていたら、意表をつかれて舞台袖から響いてきました。5楽章を通した全体の構成では真ん中の第3楽章を分極点とした対称構造を成すこの曲で、最終楽章は第1楽章の裏返しで、徐々に徐々にエネルギーが消えていくのですが、ユロフスキは第1楽章さながらの細心の集中力でオケをコントロール。ただホルンが再びピリッとせず、そんなところまで第1楽章に回帰しなくてもいいのに。この長丁場で自分の音楽を最後までやり切ったユロフスキとLPOには満場の聴衆から惜しみない拍手が沸き起こり、スタンディングオベーションで大盛り上がりとなりました。ユロフスキはあえてミスしたホルンを立たせたのがちょっと意地悪。

今日の演奏会にはガチのマイクが多数セットされていたので、LPOの自主制作レーベルでレコーディングされていたと思われます。ブラスはどのくらい修正してるかな?発売が楽しみです。

スコアを掲げてバルシャイ版をアピールするユロフスキ。


ロンドン響/トレヴィーノ/コパチンスカヤ(vn):中道と改革は同居しても別物2026/01/29 23:59

2026.01.29 Barbican Hall (London)
Robert Treviño / London Symphony Orchestra
Patricia Kopatchinskaja (violin-2)
1. Messiaen: Hymne
2. Márton Illés: ‘Vont-tér’ for Violin and Orchestra
3. Rachmaninov: Symphony No 2

今月すでに3回目のLSOです。本日の指揮者ロバート・トレヴィーノは全くお初の人で、名前も知らなかったのですが、1984年生まれのメキシコ系アメリカ人、ロンドンの首席ポストにある人ではヤクブ・フルシャやサントゥ=マティアス・ロウヴァリと同世代で、指揮者の世界では若手の部類ですが、主要なキャリアとしてはスペイン・バスク国立管の音楽監督、スウェーデン・マルメ響の首席、イタリア・RAI国立響の首席客演、来シーズンからルーマニアのジョルジュ・エネスク・フィル首席に就任予定、といったところ。うーむ…。見るからに職業人タイプの指揮者で、カリスマやスターのオーラはないものの、来るもの何でもござれの安定感はありそうです。そういう意味では今日のプログラムなど特に前半は気の抜けない曲で構成される中、嫌がらずに引き受けてくれる、オケの運営側としては重宝する指揮者だと思います。1曲目のメシアン「讃歌」は、元々のオルガン曲「聖体秘蹟への讃歌」を15年後にオーケストラ用に再構成したもので、前衛的な刺激はなく重厚な準調性音楽という感じ。このようなあまり演奏されないマイナー曲をしっかりと重厚に聴かせられるのは、期待通り生真面目な人だと思いました。

先日は素晴らしく個性的なバルトークを聴かせてくれたコパチンスカヤですが、本日も同じくハンガリーの現役作曲家、マールトン・イレーシュが他ならぬコパチンスカヤのために2019年に書いた「Vont-tér」を取り上げます。この作曲家を名前からして全く知らなかったのですが、「マールトン・イレーシュ」という名前からして早速悩ましい。ハンガリー語での人名表記は日本と同じく「姓・名」の順です。しかし、これまた日本と同じ傾向で、英語表記する際は英語の慣習に従って「名・姓」の順で書くことが多いのですが、最近は母国語に従った「姓・名」順で書かれることも増えました。で、問題は、「マールトン」も「イレーシュ」も、どちらも男性の下の名前(given name)であると同時に、姓としてもあり得る固有名詞なのです。例えば世界的に有名なソプラノ歌手にエヴァ・マルトンという人がいます。ということで、この名前を見て、まず「どっちが姓だろう」という基本的なことから確認しなくてはなりませんでした。幸いこれはすぐに、イレーシュ家のマールトン君、ということがわかったのですが。

今日のコパチンスカヤは、黒とグレーの変則な幾何学模様のオーバーオールを着て登場。靴は履いていたものの、演奏を始める前に結局脱いで裸足になっていました。曲の方はしかし、何とも言葉がみつからないような曲でした。最初から最後までまともな音を一つも出さない特殊奏法のオンパレード。ソリストだけかと思いきや、伴奏のオケも、弦楽器は弦ではなく胴を指で叩くとか、金管はマウスピースだけ持って吹くとか、そんなのばっかりで、もはやこれは音楽なのかという世界。通常モードの仕事をしていたのは、それこそ普段から音程のない打楽器くらいでした。コパチンスカヤにインスパイアされて作曲したとのことですが、確かに彼女は飛び抜けて個性的なミュージシャンで、独自の奏法をいろいろ駆使したりするけれども、正統的な演奏も高いレベルでこなせる技術力が備わった上で、さらなる高みで勝負しているというのが私の理解なので、なんか一面しか見てないのでは、という気がしてなりません。だいたい「Vont-tér」という曲名も、直訳だと「牽引された空間」になりますが、いったい何を意味するのか、曲を聴いても解説を読んでもさっぱりわかりませんでした。コパチンスカヤはお気に入りの奏者ですが、これをまた聴きたいかというと、ちょっと疑問です。

メインのラフマニノフの交響曲第2番、ロンドンに来てから聴くのは早2回目です。スローペースでじっくり進行し、適度にメロウだが甘ったるくはない、トレヴィーノだとこうなるだろうと想像した通りの中道を行く演奏でした。それに細やかに抵抗したのか、ティンパにのトーマスさんは第1楽章コーダで得意の「メロディアス・ティンパニ」(と勝手に命名)でペダル奏法を駆使し(休憩時間に何度も繰り返し練習していたので何をやらかすかはわかっていました)、もちろん最後の一発も忘れずバランス無視の強打でドン。全体を通して、さすがのLSOは音圧十分で、管楽器のソロがクラリネットを筆頭にいちいち極上。オケの凄さをあらためて堪能したものの、中庸で突き抜けたところがない演奏はあまり心に残らないのも事実。かといって無茶をすればよいというものでもありませんが、この曲をちょうどいい具合に料理するのは、なかなかに難しいことをあらためて認識しました。