ロンドンフィル/カネラキス:ポピュリズム的名演のラフマニノフ2025/10/25 23:59



2025.10.25 Royal Festival Hall (London)
Karina Canellakis / London Philharmonic Orchestra
Paul Lewis (piano-3)
1. Mozart: Overture, Idomeneo, K366
2. Mozart: Masonic Funeral Music, K477
3. Mozart: Piano Concerto No. 25 in C major, K503
4. Rachmaninov: Symphony No. 2

再びロンドンに住み始めて最初の演奏会がロイヤルフェスティバルホールというのは、なかなか感慨深いです。学生時代に始めてロンドンを訪れた際、着いたその日に早速来たのがここでした。その7年後、2回目のロンドン来訪時も、やはり到着したその日、ホテルチェックインを済ませたら早速ここにやって来ました。回数で言うとバービカンのほうが圧倒的に多くなったものの、自分にとってロンドンの原点は、やはりここです。

19時半開演なのに19時を超えてもなかなか開場せず、何事かと思ったのですが、開演10分前にやっと開場。指揮者かソリストの会場入りが遅れでもしたのでしょうか。そういえば以前、ここでフィルハーモニア管を聴いた時に、コンマスが地下鉄の遅延で開演に間に合わず、第2コンマスが急遽代役をやったなんてこともありました。

本日のシェフは、その壮麗なビジュアルで人気の女流指揮者、カリーナ・カネラキス。2021年からLPOの首席客演指揮者に就任しています。今年は7月の都響で日本デビューしたり、オランダ放送フィルを振ったバルトーク「青ひげ公の城」の新譜CDが評判だったりと、話題にこと欠きません。その「青ひげ公」CDは私も当然チェックし、他の指揮者とは一線を画する躍動感ある演奏にちょっと驚き、カネラキスという人に俄然興味を持ちました。7月の都響は都合悪く行けなかったため、今日のLPOが初生演です。

本日のプログラムは前半がモーツァルトの名曲集、後半がラフマニノフの2番という見本市的な演目。数年前にケイト・ブランシェット主演の「TAR」という映画がありましたが、颯爽と登場したカネラキスの第一印象は、まさにリアル「TAR」。鋭い眼光でオケをロックオンし、素手でキビキビとリズミカルな指揮で、小君良いモーツァルトを奏でます。楽器はトランペットがバルブなしだった他は、特にピリオド系でもなく普通のモダンオケでしたが、ビブラートは少々抑えめに、しかし「モダン」としか言いようがない、ヴァイタルな躍動感に溢れるリードでした。気難しくかしこまったモーツァルトではなく、万人が好きそうな分かり易さというか取っ付き易さを感じました。「イドメネオ」序曲に続き、「フリーメイソンのための葬送音楽」でも縦の線はピッタリと揃っており、指揮の統率力は高そうです。

英国が誇る人気ピアニスト、ポール・ルイスは、かつてどこかで聴いた気がしていたのですが、記録を辿るとどうも始めてのようです。いかにも英国紳士らしい品行方正さが滲み出た、フラットで堅実なモーツアルト。しかしカネラキスのバックはあくまでモダンで鋭いリズムを刻んでくるので、お互い合わせているようで身体は背を向けているような、そのコントラストが面白かったです。アンコールは無しであっさり終わりました。

後半のラフマニノフでは、指揮棒を持って登場。ビブラートを解禁し、前半と比べて表情づけがいっそうドラマチックで濃厚になっています。どのフレーズも疎かにせず、縦の線を完璧に揃えて、隅々までコントロールが行き渡っています。よく知っている曲なのでそのうち本質がわかってきたのは、聴衆がこうあって欲しいと思うことをことごとく盛り込む、最大公約数的なある種のポピュリズムで心を掴むのがこの人のアプローチではないかと。決してネガティブに言っているのではなく、ぶっきらぼうに即物的な演奏よりは自分の好みと言えます。アーティストはどちらかというと人がやらないことをやって個性を出そうとする傾向にありますので、こういうポジションを取る人はむしろ希少です。一聴してカッコいいので引き込まれやすい反面、音楽のスケールが広がらないので指揮としては二流と腐す人もいるでしょうが、ここに至る労力と統率力を私はリスペクトします。

第2楽章のロマンチックな第2テーマで、最初のポルタメントはしっかり効かせつつも2番目はサラッと過ぎるあたりなど、演出がいちいち心憎い。さらにロマンチックで有名な第3楽章は、クラリネット渾身の名演もさることながら、それを支えるホルンも安定感抜群で惚れ惚れします。最終楽章はかなり速めのテンポでぐいぐいと畳み掛けて中弛みするのを回避し、一直線に盛り上げました。満員御礼の聴衆が総立ちの喝采も納得、一期一会でその場限りの演奏会としては非常に満足度の高い名演と言えます。レコーディングになって繰り返し聴くにはどうかな、という一抹の疑念は残りました。ロンドンフィルも久々に聴きましたが、世界の一流オケの実力はさらに進化しているように感じられ、頼もしい限りです。


ロンドンフィル/カーチュン・ウォン/HIMARI:天才少女のロンドンデビュー2025/10/29 23:59

2025.10.29 Royal Festival Hall (London)
Kahchun Wong / London Philharmonic Orchestra
Himari (violin-2)
1. Chinary Ung: Water Rings (European premiere)
2. Sibelius: Violin Concerto
3. Dvorak: Symphony No. 9 (From the New World)

先週に続き、再びロンドンフィルです。今日は日本人とおぼしき聴衆が普段より極めて多い客層でした。特に子連れの日本人家族は、夜の演奏会では滅多に見ないので、明らかにHIMARI効果ですね。さらに、指揮は2023年から日本フィルの首席指揮者を務め、その後英国の名門ハレ管弦楽団の首席指揮者に就任した、カーチュン・ウォン。ロンドン在住の音楽好き日本人大集合でも不思議ではありません。

1曲目はカンボジア出身で米国在住の作曲家、チナリー・ウンの小品。「Water Rings」は波紋のことでしょうか。また、オペラグラスで楽譜を覗き込むと「Overture」(序曲)と書いてありました。1993年の作品ですが、今日が欧州初演だそうです(イギリスがまだ「欧州」を名乗るのか、というのはさておき…)。私はカンボジアに行ったことがなく、カンボジアの音楽といっても何も頭に浮かばないのですが、この作曲家はガムラン(ってインドネシアですよね?)に傾倒した作風が多いらしく、そういう意味では同じアジアとして通じる「耳慣れた」感が強い音楽でした。私はインドネシア風よりも、中国風よりも、むしろ日本風に近い印象を持ちました。カーチュンは日フィル定期でもこの作曲家を取り上げており、個人的な交流もありそうです。演奏後、聴衆の中からウン本人が立ち上がり、拍手に応えていました。

続いて、弱冠14歳にして名門カーティス音楽院に通う神童ヴァイオリニスト、HIMARIの登場です。何といっても今年3月のベルリンフィル定期にソリストとして出演したことで話題になり、NHKのドキュメンタリーを見て私も認識した次第です。天才少年・少女系の強引なプロモーションは正直嫌いで、だいたい眉唾で見てしまうのですが、この子の素質はホンモノかもしれない、と思わせるものがドキュメンタリーから感じられました。ちなみにベルリンフィル定期では元々ズビン・メータが指揮だったところ、体調不良で降板し、ヴァイグレが代役でした。メータと言えば、11歳の五嶋みどりと共演して「天才少女デビュー」に一役買った指揮者でもあり、庄司紗矢香とも協演が多く、日本人天才少女とは何かと縁が深い人ですね。

登壇したHIMARIは、年齢よりもさらに幼く見える華奢な女の子でした。シベリウスのヴァイオリン協奏曲は名人芸をこれ見よがしに披露する曲調ではなく、技巧に加えて抒情的な情緒が求められる大人の曲なので、子供が喜んで弾く曲とは思えないのですが、まず冒頭からの正確な運指と音程に驚かされました。いやもちろんプロなので正確さは当然のこととは言っても、現実には正確さを犠牲にした「味」を意識的あるいは無意識に混ぜ込んで、人それぞれの緩さを見せる演奏が世間の大勢です。不純物を廃し、機械が鳴らしているかのような完璧さで進んでいきますが、決して即物的ではなく、膨大な練習量に裏付けされたと思しきニュアンスも含めた、一所懸命何かを表現しようとするひたむきさが、おじさん、おばさんの心をぐっと掴むのでずるいです。年齢を考えると、驚異的に成熟しているとも言えるかもしれません。ただ一方で、第二楽章などは、あえて目を瞑って聴いていると、拙さがちょっと気になりました。やはりこの曲は単にテクニックだけでなく色気も要求される難曲で、サーカス曲ではないのです。舞曲調の最終楽章は、体型を考えると目一杯以上の力が入った音でしっかりとリズムを刻み、立派なプロの仕事をまっとうしました。終演後は前後左右各方位に丁寧に笑顔で深々と頭を下げて、好感度高いです。やはり、おじさん、おばさんは応援必至。アンコールではトリッキーな曲(後で調べたら、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ」という有名なソロ曲でした)も達者にこなして、違う一面もしっかりとPR。もちろん背後に控える「大人たち」の綿密なプロモーションあってのことかと思いますが、何とも末恐ろしい限りです。


メインの「新世界」は、大昔に部活で演奏したこともあり、今更好んで聴きに行こうとは思いませんが、嫌いな曲ではありません。カーチュンのリードは低音を効かせて重心を低く保ち、決して前のめりにならない丁寧な進行。管楽器ソロも例外なく名人揃いで、安心して聴いていられる至福のひとときでした。あまりにも知られ過ぎたメロディの数々ですが、フレーズの歌わせ方にカーチュンの個性、こだわりが見えました。このように指揮者は人と違うことをどこかでやろうとするのが普通なのに、先日聴いたカネラキスの潔いポピュリズムが、またふつふつと思い出されました。