ロンドンフィル/ガードナー:東欧三カ国の隠れた名曲路線2026/02/07 23:59

2026.02.07 Royal Festival Hall (London)
Edward Gardner / London Philharmonic Orchestra
Juliana Grigoryan (soprano-2,3)
Agnieszka Rehlis (mezzo-soprano-2)
Kostas Smoriginas (bass-2)
London Philharmonic Choir
1. Vítězslava Kaprálová: Rustic Suite
2. Szymanowski: Stabat Mater
3. Vítězslava Kaprálová: Waving Farewell
4. Bartók: The Wooden Prince

2週間ぶりのLPO。今シーズンようやく、首席指揮者のガードナーを拝めました。カリスマ的人気のあったウラディーミル・ユロフスキの後を継いで2021年からLPOの首席に就任しています。かつてイングリッシュ・ナショナル・オペラの音楽監督に就いていたころ、「青ひげ公の城」英語版の上演を観たのが最初で、その後日本で都響に客演した公演と合わせて過去2回聴いていますが、当時はまだ若手イケメン枠の中で、スマートでスタイリッシュなビジュアルに、ストレートに真面目な音楽作りという、クセがなくあまり印象に残らない中道中庸路線の人というイメージでした。カリスマ的人気のあったユロフスキの後釜としてLPOも逆張りで生粋のイギリス人を選んだようにも思えましたが、ガードナーもその後のキャリア的にはイギリス路線一直線というよりノルウェーでの活動が多かったり、また東欧系の音楽にも傾倒している印象で、今日のプログラムもチェコ、ポーランド、ハンガリーというまさにその路線です。

1曲目は、実を言うとこの演奏会の前には不勉強にもその名前を知らなかった、ヴィーチェスラヴァ・カプラーロヴァーという早逝の天才女子の作品です。演奏前にガードナーがマイクを取り、少し説明をしていました。わずか25歳で結核のために亡くなってしまうのですが、作品番号付きが25曲しかなく、知る人ぞ知る女流作曲家とのこと。近年のBBC Promsのプログラムを見ていても、音楽史に埋もれてきた女性作曲家への再注目がトレンドになっているようです。1曲目は作品番号19、23歳のときの作品で、直訳すると「田舎風組曲」になりますでしょうか。基本的には同じモラヴィア出身の巨匠ヤナーチェクのフォロワーに聴こえますが、途中でスラブ舞曲みたいにあからさまな民謡調になったかと思えば、打楽器などはペダルティンパニを駆使したけっこうモダンな使い方で(ただしティンパニは奏者が勝手に楽譜を超えたチューニングをやってる可能性もありますが)、優等生的なステレオタイプの習作ではない成熟を感じる、完成度の高い曲でした。久々に見るガーディナーは相変わらずのダンディ伊達男で、佇まいからしてカッコいいの一言。

次はポーランドの巨匠シマノフスキの「スターバト・マーテル」、悲しみの聖母を題材とした宗教曲ですが、ポーランド語翻訳版のテキストを使い、ポーランドの民俗音楽も取り入れた土着性の高い曲になっています。アルメニア出身のソプラノ、ジュリアナ・グリゴリアンはまだ20代の若さで既にMET等で活躍する新星で、その美形と魅惑のプロポーションが何と言っても神が与えた武器です。シースルーのドレスで登場したら、どうしてもバストに目が釘付けになります・・・(かたじけない)。肝心の声はというと、一聴してカウンターテナーかと思ったほどの男声的な太さがあり、ソプラノよりはメゾソプラノの声質に思いました。実際、高音域の箇所では少し弱さが見えたものの、透き通る良い声です。リトアニア出身バス・バリトンのコスタス・スモリギナスは45歳というアブラの乗り切った年齢で、すでにLPOやロイヤルオペラの舞台で活躍の様子。ただこの人は埋没しがちな声質で、正面の席から聴くとまた違ったのかもしれませんが、合唱団が歌い出すとノイズキャンセリングにかかったかのように声がかき消されてしまい、ほとんど聴こえてこなかったのが残念でした。メゾのアグニエシュカ・レーリスは楽譜を持たず、本国ポーランド出身なので余裕で暗譜歌唱なのかと思いきや、譜面台に楽譜を映したタブレットが置いてありました。ソリスト、指揮者を問わず、「譜めくり」の世界はまだアナログの紙の楽譜が圧倒的で、使いこなしたら圧倒的に便利とは思いつつ、実際にタブレットデバイスを使う音楽家はまだ少数派です。

3曲目は再びカプラーロヴァーに戻り、作品番号14の歌曲、「手を振ってお別れ」とでも訳するんでしょうか、弱冠22歳の時の作曲ですが、管弦楽伴奏版はその翌年に作られました。歌詞はチェコの詩人ヴィーチェスラフ・ネズヴァルの著名な詩だそうで、当然チェコ語。先ほどのシマノフスキはポーランド語で、イタリア語、ドイツ語、フランス語、英語、スペイン語に加えて、ハンガリー語も含め、こういった中東欧の言語もマスターしなければならない歌手の人たちは本当に頭が下がります。もちろん初めて聴く曲であり、正しいのかどうか判断できませんが、グリゴリアンは先ほどとは歌い方を変え、固さが取れた感傷的な歌唱になっていました。ここでも低音域を含んだよく通る声で、さらにはルックスもピカイチで、大いに聴衆を魅了。トップクラスの人気歌手になれる素質に恵まれながらも、このまま順調にキャリアを積み上げていけるかどうか、声量に少し難がある気がしました。

休憩後はメインの「かかし王子」バレエ全曲版です。バルトークの劇場向け作品三部作のうち、残る「青ひげ公の城」と「中国の不思議な役人」と比較すると相対的にマイナーで、演奏会プログラムにも滅多に上がらず、認知度が低いです。バルトーク好きを自認する私も、実演で聴いたのは過去3回のみ。ただし3回目は組曲版で、2011年の生誕130年記念イヤーでのサロネン指揮フィルハーモニア管でした。その前の2回は2006年、生誕125年を記念したハンガリー国立歌劇場の「バルトーク・トリプルビル」という、今から思うと二度とない垂涎の企画でした。どちらも微妙に半端な記念イヤーだったのは、2006年のほうはモーツァルトの生誕250年と重なっていたので「モーツァルト250+バルトーク125」みたいな抱き合わせ企画になっていたためで、2011年はマーラーの没後100年記念の全曲演奏会の指揮をマゼールに譲ったフィルハーモニア管首席のサロネンが、独自路線で打ち出した対抗企画がバルトーク(+コダーイ+ストラヴィンスキー)だった、という事情があったわけです。

脱線から戻すと、本日の「かかし王子」はバレエ音楽の全曲版ですが、悲しいかな、聴き込みが足らないために、原典版での演奏だったのか、そこから作曲者自らの手で多数のカットが施された最終版なのか、区別がよくわかりませんでした。短い演奏時間を考えるとカットあり版なのかなと思いますが、確信は持てません。大筋としては、かつて見たバレエの舞台をおぼろげに思い出してストーリーを想像しながらの鑑賞でした。あらすじが字幕で投影されていたものの、それだけだと結局よくわからんです。オケは全体的にエッジの効いたメリハリ、クラリネットを筆頭とするソロもいちいち堅牢で、たいへん良かったです。ガードナーも基本的には中道堅実路線でクセが凄くない部類の人ですが、時々オケを煽ってみるものの、オケ側は急なブーストについていけないアドリブ力の限界も見えました。

また、「ラインの黄金」を彷彿とさせる冒頭から、色彩感に富み、複雑なリズムを刻みながらも滑稽なダンス、最後は冒頭に戻ってくる対称構造の構成力、あらためてこの曲はマイナーと埋もれてしまうには惜しい派手さとわかりやすさを持った曲で、もっと聴き込むべき曲だと再認識しました。やはりバレエの舞台も久々に見てみたいと思い、各国の演目予定をチェックする毎日です。


ロンドン響/チャン:バルトークとラフマニノフでダンス・ダンス・ダンス2026/02/08 23:59

2026.02.08 Barbican Hall (London)
Elim Chan / London Symphony Orchestra
Olivier Stankiewicz (oboe-2)
1. Bartók: Dance Suite
2. Colin Matthews: Oboe Concerto (world premiere, LSO commission)
3. Rachmaninov: Symphonic Dances

バルトーク続きの連チャンとなってしまいましたが、週末だったので体力的にはまだ何とか維持できました。今日はしかし、真後ろに座った白人高齢男女集団のおかげで楽しみも半減でした。演奏開始のギリギリのタイミングで5、6人がどかどかと入場してきて、もう演奏が始まっているのにガサガサとコートを脱ぎ、ゴホゴホと咳をして、べちゃくちゃ話しながらバッグのファスナーをチーと開け閉めして飴を出す狼藉ぶり。見かねた他の客が「シーッ」と注意すると、「シャラップ!」と声を上げて逆ギレする始末。お前がシャラップじゃ!あまりの厚顔無恥に、こっちも思わず哀れみの目で睨んでしまいました。その後も演奏中に物を落としたり、持っていたドリンクの缶をペコっと鳴らしたり、幼児以下の邪魔なことこの上ない迷惑集団。コンサートホールまでわざわざ何をしにきたのかさっぱりわからない、老害の現場を久々に垣間見ました。

昨年夏のBBC Promsではラストナイトを任された香港出身のエリム・チャンは、今売り出し中の若手女性指揮者で、いろんなオケで名前を見るので一度聴きたいと思っていました。1曲目のバルトーク「舞踏組曲」は、著名な曲なわりに巡り合わせがなく、2011年の記念イヤーでサロネン/フィルハーモニア管で聴いて以来になります。あらためて聴くと、なかなかの難曲。チャンはいかにも一所懸命な若者の初々しさでキビキビとタクトを振るも、オケのウォーミングアップはイマイチ。若手の東洋人だからナメてるんでしょうか、LSOは時々これがあるので、ベルリンフィルやコンセルトヘボウと比べて、自身の品格を下げていると思います。そういえば今日のコンマスはいつものシモヴィッチさんではなく、最近コンマスになったアンドレイ・パワーという人でした。チャンは特に低音域の弦を強調したリードで、弦の厚みは半端なかったものの、全体的には破綻はないが舞踏に乗り切れていない腹六分目の演奏でした。

続く、もうすぐ80歳の誕生日を迎えるコリン・マシューズのオーボエ協奏曲はLSOの委嘱作品でここが世界初演。コリン・マシューズというと、自分の認識としては、まずはホルスト「惑星」の追加として「冥王星」を作曲した人であり、古くはマーラー交響曲10番のデリック・クック補筆完全版の完成に協力した一人であり、さらにはドビュッシーの前奏曲集のオーケストレーションを果敢に手がけた人であって、マシューズ自身の作品を聴いたことはありませんでした。備忘録を手繰ると、前奏曲集の管弦楽版の一部は2010年〜2012年にかけて3度も聴いています。このオーボエ協奏曲は本日のソリストであるLSOの首席奏者オリヴィエ・スタンキエーヴィチ(ポーランド系の名前ですがフランス出身)のために書かれた、出来立てほやほやの曲です。ソロ楽器の音量限界を考慮してかオケは小ぶりな小編成ですが、ティンパニを欠きながらもマリンバ、ヴィブラフォーン、スラップスティックといったオーケストラではあまり使われない打楽器がチョイスされており、独特の色彩感の源になっています。あと、やっぱりオーボエ協奏曲の伴奏にはオーボエはない代わりに、1本のコールアングレがソリストに絡みつく仕掛けになっていました。全体的な曲調は、無調ではあるが耳に優しい音楽で、オーボエという楽器の性質から、飛び跳ねたと思ったらしっとりと歌ってみたり、変幻自在な音楽だったという印象です。ただ、オケは少人数だったもののやはりオーボエのソロだけでオケに対抗して響かせるのは厳しいものがあり、ちょっと遠めの席だとソリストの音が満足に届いてこないのも仕方がない事実で、今後のLSOの定期で繰り返し取り上げる曲でもないんじゃないかなという気がします。演奏後、聴きに来ていたマシューズ本人が登壇し、拍手喝采を受けていました。

休憩後のメインは、ラフマニノフ最後の作品である「交響的舞曲」。最近は日本語でも「シンフォニック・ダンス」と呼んだほうが通りがよいのでしょうか。過去実演を聴いたのは2011年のBBC Promsでデュトワ/フィラデルフィア管の1回だけでした。ラフマニノフの実質的には交響曲系譜の最終地点(第4番)とも言われる傑作ですが、プログラムに乗せられる機会はそんなに多くないという印象で、理由を想像するに、メイン曲に相応しいボリュームと演奏時間でありながら、そのタイトルのせいで、メインに据えるにはちょっと軽く見られがちな曲なのではないでしょうか。LSOはここにきてやっと目が覚めたのか、そんな誤解など払拭するような、迫力満点本気の演奏でした。ホルンがちょっと弱かった他は文句なしの音圧と躍動感。ここでもチャンは大きな身振りでオケを一気に解放し、この上なく太い弦の厚みをこれでもかと強調、それに負けない金管の咆哮と暴力的なティンパニ。おそらく狙い通りの爆演で、やはり後腐れなく鳴らし切るのがこの曲の正解だと確信しました。


イングリッシュ・ナショナル・オペラ:新制作「マハゴニー市の興亡」2026/02/20 23:59



2026.02.20 London Coliseum (London)
André de Ridder / English National Opera
Jamie Manton (Director)
Rosie Aldridge (Leokadja Begbick)
Kenneth Kellogg (Trinity Moses)
Mark Le Brocq (Fatty the Bookkeeper)
Simon O’Neill (Jimmy MacIntyre)
Alex Otterburn (Bank-Account Billy)
Elgan Llŷr Thomas (Jack O'Brien)
David Shipley (Alaska Wolf Joe)
Danielle de Niese (Jenny Smith)
Zwakele Tshabalala (Toby Higgins)
1. Weill: Rise and Fall of the City of Mahagonny
(English translation by Jeremy Sams)

ほとんどその名前と不道徳な内容ということしか知らないものの、一度は見てみたいと思っていたオペラ「マハゴニー市の興亡」がイングリッシュ・ナショナル・オペラ(ENO)の新制作で上演されるというので、何はともあれ観に行きました。ENOを見るのは実に2009年の「青ひげ公の城」以来。というか、このコロシアム劇場にはオペラ、バレエを何度も観に来ているので誤解していたのですが、ENOの主催公演を見るのはまだ2回目なのでした。というわけでこのカンパニーのことは、モーツァルトだろうがワーグナーだろうが全ての演目を英語版で上演する、オペレッタ、ミュージカルに分類される演目や現代の作品も積極的に手がけ、演出はモダンなものが多い、という何となくのイメージを持っているのみでしたが、いろいろ調べてみて、多分外れていないと思います。傾向としては間違いなく自分の好みに近いはずなのですが、ターゲットが狭い分、逆にマッチするものが意外と少なかったのでしょう。

コロシアムはカンパニーに似合わず歴史を感じさせるオーセンティックな外観と内装。著名な割には上演機会があまりないオペラだし、新制作ということもあってチケットはソールドアウトの大盛況。モダンな印象と異なり、観衆は高齢者層が多かったのが意外でした。ステージの真ん中に大きいキューブ型の箱があり、それをレストランやボクシングのリングなどに見立てて、そこを中心に劇が進んでいきます。シンボリックというよりは演劇的な演出と思いました。音楽は随所にジャズを取り入れており、雰囲気は軽くてチープ。集団で歌って踊る曲もあり、オペラというよりほぼミュージカル。「ポーギーとベス」よりもミュージカル寄りですが、「キャンディード」と比べたらオペラ寄り、という感じですかね。有名なアリア(と言うのだろうか)としては第1幕で歌われる「アラバマ・ソング」がありますが、これとて、ドアーズやデヴィット・ボウイがカバーしているくらいですから、根本からクラシックに背を向けています。

物語は一応「喜劇」に分類されると思うのですが、ピカレスクロマンであり、徹頭徹尾、楽しい話は一切ありません。全3幕のうち2幕までやってやっと休憩が入りましたが、幕前に袋叩きにあって死んだと思われた主人公のジミーが、幕が開いたら同じポーズでまだ倒れたままで(死んではいなかった)、ご苦労なことです。しかし結局最後は電気ショックで死刑になってしまいます。特にこの第3幕の展開が冗長に感じ、話は面白いのにもっとコンパクトにできないものか、と思ってしまいました。全体として全2幕、休憩なしの90分上演くらいで十分収めることができそうに思いましたが、多分ブレヒトの台本を全然理解していないずぶの素人の意見です、はい。

歌手陣は初めて聴く人ばかりでしたが、配役上の誰かで穴を感じこともなく、クオリティは総じて良かったと思います。オケは小編成でしたが演奏はしっかりしており、安定感がありました。ドイツ人指揮者のアンドレ・デ・リッダーは、マーティン・ブラビンズの退任以降空位になっていたENO音楽監督に正式には来季(2027/28シーズン)から就任するのですが、実質的にはすでにもうその役割をスタートしているようです。経歴を調べると、まさに変化球専門投手のような人で、今後も刺激的な企画をいろいろやってくれそうで、その意味では楽しみです。ピンポイントでこちらの嗜好とマッチするものがあればよいなと。



デュッセルドルフ響/A・フィッシャー/ファウスト(vn):ハンガリー三昧2026/02/22 23:59



2026.02.22 Tonhalle Mendelssohn-Saal (Düsseldorf)
Adam Fischer / Düsseldorfer Symphoniker
Isabelle Faust (violin-2,3)
Lisztes Jenő (cimbalom-4)
1. Bartók: Romanian Folk Dances for Small Orchestra
2. Kurtág: Signs, Games and Messages (excerpts)
    Hommage à J.S.B. / für den, der heimlich lauschet / féerie d'automne / In Nomine – all'ongherese
3. Bartók: Concerto for Violin and Orchestra No. 2
4. Kodáy: Seven movements from »Háry János«

デュッセルドルフは以前出張で何度も来ているのですが、演奏会には一度も行く機会がありませんでした。初めて訪れるトーンハレは旧市街のちょっと外れにありますが、中央駅から地下鉄で10分程度とアクセスは非常に良いです。この建物は元々プラネタリウムだったそうで、完全な円形が特徴。中に入ると古代ローマの円形劇場のようなロビーを取り囲むようにクローク、カフェ、バー、CDショップがあり、メンデルスゾーン・ホールはその頭上に作られています。ホール内もロイヤル・アルバート・ホールを小ぶりにしたような完全円形で、どこからでもステージがよく見えそう。本日は幸いかぶりつき席が取れたので、先月のコパチンスカヤのときと同様、奏者と自分の間に遮る物は何もありません。



デュッセルドルフ響を聴くのは全く初めてで、多分CDでもラジオでも聴いたことはなかったかと。諸説あるものの、ドイツの中でも5本の指に入る長い歴史を誇るオーケストラで、古くはメンデルスゾーンやシューマンも音楽監督を勤めています。2015年からアダム・フィッシャーが首席指揮者に就任しており、契約はアダムが80歳になる2030年まで延長されたそうで、非常に良好な関係にあることが伺えます。実を言うと、アダムの指揮を聴くのはこれで3回目。元々同じ指揮者を集中的に聴くよりも、いろんな人を幅広く聴きに行くタチなのですが、弟のイヴァーンを18回(これは自分の中では最多)聴いているのに対して、アダム兄さんの3回は、自身で振り返っても驚くほど少ないです。アダムがハンガリー国外での活動が中心で、自分が住んでいたブダペストやロンドンに来ることがそもそも少なく(ハンガリー国立歌劇場の音楽監督もオルバーン政権との対立ですぐに辞めてしまったし)、巡り合わせが悪かったからだと思います。今回はたまたまデュッセルドルフに用事があり、ついでに何か演奏会はないかと探したところ、まさに自分の好みドンピシャのプログラム、しかもアダムとイザベル・ファウストの共演という垂涎のコンサートがあるのを発見、喜び勇んでチケットを取りました。今年はトーンハレの開設100周年記念イヤーですが、それに加えて「ハーリ・ヤーノシュ」が初演から100年、さらにはクルターグ・ジェルジュが先の2月19日で100歳を迎えたという、やや無理矢理めな数字の符合が強調されていました。ハンガリー現代音楽の巨匠クルターグ、まだ存命とは認識していましたが、100歳とは驚きです。

本日のプログラムはハンガリー音楽でも知名度の高い、かつ玄人受けもする、ある意味「王道」の選曲です。オンラインのプログラム冊子を英訳しつつ読んでいてまず意外に思ったのが、「ルーマニア民族舞曲」と「ハーリ・ヤーノシュ」はデュッセルドルフ響として初の演奏、ヴァイオリンコンチェルトも前回演奏は1988年まで遡る(ソリストは往年の巨匠ギトリス)という事実。アダムにとって得意中の得意であるはずのこれらレパートリーが首席に就いてからの10年間で一度も取り上げられなかった、ということをたいへん興味深く感じました。確かにアダムの専門性について世界の認識は、まずはオペラ、次にハイドンであって、「ハンガリー音楽の伝道師」というイメージはイヴァーンと比べても薄いですし、祖国との関係が良好と言えないだけに、ハンガリー音楽に対するモチベーションが下がっているのかもしれません。

1曲目の「ルーマニア民族舞曲」は、意外と実演で聴くのは2回目、前回は2013年のカンブルラン/読響でした。この曲は元々ピアノ曲ですが、バルトーク自身による管弦楽版は弦が中心の小編成オケ用で、ピアノ版とは同じ曲ながらもずいぶん雰囲気が違います。笑顔で登場したアダム、前回見た2013年と比べると髪はすっかり白くなりましたが、弟と違い、まだふさっとしてます。デュッセルドルフ響の弦は太くてちょっと田舎臭い音。譜面台は置いてあっても全く楽譜に目を向けず、暗譜でハンガリーの呼吸を丁寧に仕込むアダム兄さんでした。舞曲の勢いでツッコミ気味に走るのを抑え、民謡のアクセントを慎重に紡ぐことに重きを置いた感じです。

続いて登場したイザベル・ファウスト、見るのは2014年の新日本フィル(指揮はハーディング)でブラームスのコンチェルトを聴いて以来の3回目です。まずはイザベルのソロで、クルターグの「サイン、ゲームとメッセージ」から4曲を抜粋。この曲は一昨年のクリスティアン・テツラフの無伴奏ヴァイオリン演奏会で聴いて以来ですが、テツラフの選曲とは「J.S.B.へのオマージュ」のみカブっていました。2回聴いたくらいで理解できる曲では到底ありませんが、この至近距離で聴くつかみどころのないヴァイオリンは、それ全体がバルトークへのオマージュとして書かれているようにも感じられ、露払いとして最適でした。ただ、100周年と100歳のマリアージュとして無理矢理プログラムに入れてみた感はあり、意外と長かったし、普段ならこの時間は別になくても良かったのでは、とも思いました。

拍手の隙もなく間髪入れずにハープのメジャーコードが鳴り、私の大好物、コンチェルト第2番に続きます。先月コパチンスカヤの衝撃的な快演ならぬ怪演を聴いたばかりですが、レパートリーは結構似ていても個性がまるで違うイザベルはあくまで正統ど真ん中を目指します。音がしっかりと太く男性的で、わざとらしい掠れ音とか一切なく全てにわたってちゃんと音を鳴らす、予想通りストレートに理想的な演奏でした。一歩一歩時間をかけて丁寧に前に進めるスタイルはアダムと相性良いかもしれません。メリハリも大事な要素なのでダイナミックレンジを広く取ることを忘れず、そのためか時間を追うごとにどんどん音がいい感じに荒れてきて、こういう「魔法の粉」みたいなものが音符に練り込まれているのもこの曲のユニークな魅力です。アダムもここでは流石にスコアをめくりながらの指揮で、常にヴァイオリンが引き立つよう縁の下の力持ちに徹していました。充実度の高い演奏はやんやの喝采で、アンコールでは後半から登場のはずのツィンバロンを呼んできてデュオの曲(これもたぶんクルターグ)を披露。そういえばコパチンスカヤもアンコールはクルターグでした。

休憩後はメインの「ハーリ・ヤーノシュ」組曲ですが、コダーイ自身がセレクトした6曲に、元のオペラでは第3幕終盤のクライマックスで歌われる「募兵の歌」を加えた7曲構成になっているのが珍しいです。確かにメインとしてはちょっと短いので1曲足しただけなのかもしれませんが、そのコンセプトや、誰の発案か、合唱のない管弦楽用編曲は誰がやったのか、などの詳細はプログラムにも書かれておらず、真相は謎です。個人的には、「募兵の歌」はいかにもなハンガリー民謡調アンセムっぽい歌で、ツィンバロンも入って盛り上がる一方、やはり元の組曲構成が染み付いているので、どうしても浮いた感じが否めないです。それはさておき、アダムはもう譜面台も置かず、当たり前のようにこの複雑なスコアを暗譜で指揮します。幼少期からみっちり叩き込まれて、また自分自身でも繰り返し吟味・研究してきたのだろうと思います。アダムはここでも決して急がないテンポで、今更気を衒う必要もないナチュラルなハンガリー魂を粘っこく聴かせてくれます。また、ここにきて確信したのですが、このデュッセルドルフ響の演奏が実に頼もしく、高度に磨き上げられています。管楽器の音が綺麗かつ馬力があり、弦も何層にも厚みがあり、さらにソロを取るトップ奏者の技量も一流プロフェッショナルで(特にこの曲ではチェロが素晴らしい)初演奏とは思えない充実ぶり。オケの年齢層は若いメンバーとベテランが程よく同居しており、デュッセルドルフという土地柄か、日本人奏者も何人か見られました。終演後は控えめにガッツポーズを作り、オケを上から目線ではなくフレンドリーに鼓舞するその姿は、まさにアダムの人柄が出ていたと思います。少なくともアダムが率いるこのオケは、安定した好演を期待できると認識したので、機会があれば是非ともまた、何度でも聴きたいと思いました。