リットン/都響:ほぼ同い年なのにこの隔絶、ラフマニノフとシェーンベルク2015/06/15 23:59

2015.06.15 サントリーホール (東京)
Andrew Litton / 東京都交響楽団
William Wolfram (piano-1)
1. シェーンベルク: ピアノ協奏曲 Op.42
2. ラフマニノフ: 交響曲第2番ホ短調 Op.27

シェーンベルクとラフマニノフとは、一見超異質な取り合わせで、実際聴いてみてもその隔絶感はハンパなかったのですが、この二人はたった1歳違いの、正に同世代の人なんですね。1873年生まれのラフマニノフより前の世代で前衛的な作曲家というと、思い浮かぶのはツェムリンスキー、スクリャービンくらい。一方、1874年生まれのシェーンベルクと同い年はホルスト、アイヴズ、シュミット、その一つ下はラヴェル、ケテルビー、クライスラーなど。その後ウェーベルンの生年1883年までの間に生まれた作曲家には、ファリャ、レスピーギ、バルトーク、コダーイ、ストラヴィンスキー、シマノフスキ、ヴァレーズといった大御所がズラリと並び、このあたりが正に自分のストライクゾーンなのだなとあらためて認識しました。

と、長々と前置きを書いたわりに、やっぱり私には、このシェーンベルクのピアノ協奏曲はよくわからん曲です。音列は「20世紀の遺物」12音技法を駆使したものではあるけれども、オーケストレーションはゴタゴタした後期ロマン派の域を出ず、その中途半端さを補って余りある着想があるかというと、私の安物の琴線ではそれを感じ取ることが未だできないようです。そもそも、突き抜けた透明感のウェーベルン、無調を意識させない天才的音列のベルクと比較して、シェーンベルクで「これ好きかも」と思えた曲は一つたりともないのは事実。ちょっと今回は、選曲のコンセプトは評価するものの、演奏の論評は控えたいです。終演後にブラヴォーだか何だか言葉にならない絶叫をひたすらしていた男が謎でした。

さてメインのラフマニノフ2番、もちろん今日はこちらを聴きに来たわけですが、もうのっけからベタベタのロマンチスト演奏に参りました。初めて聴くリットン、彼がこの曲に深い思い入れがあるのはよくわかりました。楽譜に指定のないところまで全編これポルタメントやレガートをきかせまくり、第1楽章ラストは(控え目ながらも)ティンパニの一発を入れたり、最初はちょっと呆れたというか、ブログのネタができたと喜んでもいたのですが、そのうちに、この曲を聴くためにわざわざ演奏会に足を運んでいるのは、ある意味、まさにこういう演奏が聴きたかったからかも、と思い直し始めました。とするとこれは、決して悪口ではなく、愛すべき「B級名演」。終演後にはたいへん満足して帰路につく自分がおりました。都響は指揮者によくついて行ったと思います。和をもって貴しとなす弦に、無理をさせない管。日本のオケ向きの曲なんだなということも再認識しました。

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