フィルハーモニア管/マゼール:マーラー「巨人」2011/04/12 23:59

2011.04.12 Royal Festival Hall (London)
Lorin Maazel / The Philharmonia Orchestra
Michelle DeYoung (Ms-1)
1. Mahler: Lieder eines fahrenden Gesellen
2. Mahler: Symphony No. 1

マーラー没後100年である今年、シーズンをまたいでマーラー全交響曲の演奏に取り組むマゼール/フィルハーモニア管。今シーズンは4月と5月で1番から7番までを一気に駆け抜け、9月からの来シーズンで残りの8〜10番(アダージョ)と「大地の歌」を走破します。私は2009-2010のシーズンから数えるとロンドンでマーラーの演奏会にはここまでですでに19回通い、10番完全版を含む交響曲全曲プラス「嘆きの歌」を聴いております。さすがに食傷気味なので、ここはひとつ演奏会を厳選し、じっくりと耳を傾けたいと思います。

ということでマゼール・チクルスの開幕は第1番「巨人」から(最近は表題付けないのが主流ですか?でも自分的にはもう「巨人」で擦り込まれてますねえ)。その前座として「巨人」のモチーフとでも言うべき「さすらう若人の歌」をやるというニクい選曲。大柄なデヤングに先導されてさっそうと登場したマゼールは、頭はだいぶ薄くなったものの、きびきびとした動きは81歳という年齢を全く感じさせません。非常に遅めのテンポで入りましたが、いちいち仰々しいアゴーギクをかまして、時折鋭く指揮棒を真芯に打ち込むその姿は、まだまだ若いのー、と思わせました。しかしデヤングが、声だけはよく出ているものの歌は一本調子でニュアンスもへったくれもなく、正直イマイチ。美声なんですけどねー。ちょっと重苦しく退屈な「若人の歌」でした。

メインの「巨人」でもマゼールはかくしゃくとしてまだまだ元気でした。テンポをこまめに動かして、ポルタメントを利かせまくり、これ見よがしのパウゼを入れてみたり、何かしらやらかさずにはおられない「イロモノ」演奏は、マゼールならではの個性かと。同様に小細工の多いサイモン・ラトルとは何が違うのかというと、その小細工の向こうに解釈が見えないことで、「とにかくいじってみました」感が強く、ほほーと感心するよりも奇特な印象の方が残ります。あとは、オケがいっぱいいっぱいで時々指揮者に着いて行けなくなっていて、フィルハーモニア管はあたり前ですがやっぱりベルリンフィルではないのだなあと。それでも最後は盛り上がり、ホルンも立ち上がって力ワザの大団円で締めるところはぴっしり締めました。大喝采のスタンディングオベーション、まずまずの開幕だったのではないでしょうか。なおティンパニのスミスさんは本日も健在で、いい味を出しておりました。あのゲートリバーブかけたような伸びてストンと落ちる独特の音は、生の打楽器でいったいどうやったらそんなワザができるのか、私には永遠の謎です。

今日は隣りに座ったご老体が1曲目でも2曲目でも途中からぐーぐーいびきを立てて寝ていたので参りました。さすがに肘でつついて注意しましたが、寝るのは勝手ですがいびきは勘弁して欲しいものです。さらに隣りに座っていたご老体の奥さん(とおぼしき人)も気にするそぶりもなく、それどころか「巨人」の冒頭、弦のフラジオレットがはじまったとたんにパンフをごそごそ取り出してパラパラめくり始めるし(言うまでもなく最もそれをやって欲しくない瞬間です)、いやはや、何とも言葉がございませんでした。そう言えば、開演前に「この演奏会はレコーディングされますので、携帯電話やアラーム付き時計はスイッチを切ってください」とアナウンスがあったにもかかわらず、8時と9時ジャストの時刻には案の定どこかでアラームが鳴っていました…。