ロイヤルオペラ:死角でドラマが進む「マクロプロス事件」2025/11/07 23:59

2025.11.07 Royal Opera House (London)
Jakub Hrusa / Orchestra of the Royal Opera House
Katie Mitchell (director)
Ausrine Stundyte (Emilia Marty)
Heather Engebretson (Krista)
Sean Panikkar (Albert Gregor)
Johan Reuter (Baron Jaroslav Prus)
Henry Waddington (Dr. Kolenat)
Peter Hoare (Vitek)
Alan Oke (Count Hauksendorf)
Daniel Matousek (Janek)
Susan Bickley (Stage Door Woman)
Jeremy White (Security Guard)
Jingwen Cai (Hotel Maid)
Alex Gotch, Alex Kristoffy, Sarah Northgraves, Carlo Pavan, Charlie Venables (Actors)
1. Janacek: The Makropulos Case

12年ぶりに訪れたロイヤルオペラハウスの演目は、今シーズンから音楽監督に就任したヤクブ・フルシャ肝入りのヤナーチェク「マクロプロス事件」という超変化球。私もタイトルしか聞いたことがなく、本来ならスルーしてもおかしくないところ、チケットを買ってしまったのには訳があって、同じ演目を来年1月にサイモン・ラトルがLSOで取り上げるのを先に気づき、これは舞台のほうもぜひ観とかなくてはなるまいと思ったのが全てです。ただ、もっぱら最前列ど真ん中席で観ていた12年前とは時代が変わり、オペラのチケットもだいぶ高額になってしまったので、今日は桟敷横のrestrict vewの庶民席で我慢。しかしこの選択は結果的に失敗でした。

まずこのオペラ、全3幕ながら各幕30分程度で、通しで90分強、「サロメ」よりも短いです。休憩の入れどころも難しいので、休憩なしの一気通貫上演でした。短いといってもプロットは込み入っており、人気オペラ歌手のエミリアを中心に、財産相続を代々100年以上も裁判で争っているプルス家とグレゴル家の人々、弁護士とその書記、書紀の娘クリスタ、その恋人でプルス家の息子ヤネク、などわやわやと出てくる人が複雑に絡み合って、結局皆が魔女エミリアに魅了されていき、不幸が訪れるという悲劇です。

元々の時代設定は今からちょうど100年前のヤナーチェクが本作を作曲していたころになりますが、この演出はまさに現代のチェコに時代を置き換え、スマホのチャットやフォトアルバムといった今風テクノロジーが多様されます。また終盤にはドキュメンタリー映画っぽいスローモーション(歌手、演者がわざとスローな動作で演技)も混ぜ込んだ、全くもってモダンな演出でした。スマホチャット等の映像投影は、舞台上の進行に加えて、全編チェコ語の歌詞に対する字幕も同時に追わなくてはならないので、ただでさえ複雑な話を余計わかりにくくしているように思えたのはひとえに、流れていく英文を一瞬で読むことができない自分の英語力の限界からでしょう。

とにかく、この演目はできるだけ中央寄りの席で観るのが吉です。舞台を広々と大きく使うような場面は一切なく、各場面で小部屋に分けられていて、それぞれで並行に演技が進んでいくので、全てが見渡せる席でないと全体の動きがわかりません。特に、自席からほとんど見えなかった舞台の左側(下手)だけで重要な話が進行する場面も多く、フラストレーションが残りました。そういった個別の事情は置いておくとすれば、いろんな要素をぶち込み、凝りに凝ったこの演出は、凝縮度が高く力強いヤナーチェクの音楽と相まって、わけがわからないままでもぐいぐい引き込まれる迫力を感じました。フルシャは予想通り、ずっと楽譜に目を落としてただ棒を振るだけのデクの棒ではなく、忙しくオケに歌手にと適切なリードを与え、八面六臂の情熱的な指揮ぶりでした。

主役のオペラ歌手にして300年生きる魔女を演じたリトアニア出身のアウシュリネ・ストゥンディーテは、全く初めて聞く人ですが、主演として舞台を牽引するに相応しい野太く芯のある歌唱。人気ソプラノというキャラに合わないマニッシュな外見は、LGBTを絡めてきたこの演出ならではの役作りでありましょう。とは言え、第2幕のオペラ座の楽屋という場面で、ワルキューレの格好で入ってきたのは笑えました。キャリアを見ると、王道ソプラノ路線よりは「エレクトラ」「期待」といった20世紀以降のモダンでクセのある演目を得意とする人のようです。

他の歌手陣も総じて質は高かったと思いますが(チェコ語の歌唱、まことにお疲れ様です)、過去に聴いたことがある人がいるかなと備忘録を探ってみたら、プルス男爵役のヨハン・ロイターは2010年「サロメ」のヨカナーン役、ヴィテク役のピーター・ホーレは2011年「魔笛」のモノスタトス役、ハウクゼンドルフ伯爵役のアラン・オケは2011年「ピーター・グライムズ」のボブ・ボレス役、そして名脇役ジェレミー・ホワイトは2011年「トスカ」、2012年「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、「ラ・ボエーム」、「フィガロの結婚」(以上全てロイヤルオペラ)などで多数聴いていました。備忘録のおかげで、その頃の体験のおぼろげな記憶にも想いを馳せる機会ができて、記録はつけておくものだとあらためて思いました。



フィルハーモニア/フルシャ:オペラの合間にマーラー「夜の歌」2025/11/13 23:59

2025.11.13 Royal Festival Hall (London)
Jakub Hrusa / The Philharmonia Orchestra
1. Mahler: Symphony No. 7

11月4日から21日までロイヤルオペラにて「マクロプロス事件」を上演中のフルシャが、その間隙をついてフィルハーモニア管の指揮台に1日だけ立つという詰め込みスケジュール、大丈夫かいなと思ってしまいましたが、何はともあれ歴史の目撃者(大袈裟)になれるのであれば、喜んで身を投じます。プログラムはマーラーの交響曲第7番「夜の歌」1曲のみ。まあオペラ座公演中のことも考えれば、あれやこれやはやってられないかと思います。しかし私は、マーラー好きでありながらこの曲がいまだに大の苦手。と言いながらも去年もジョナサン・ノット/新日本フィルで聴いてましたが。

オケは対抗配置で、チェロ、コントラバスが第1ヴァイオリンの奥、向かって左手に位置します。ということは、第2ヴァイオリンは右手の上手側。うーむ、12年ぶりだというのに、フィオナちゃんは自分の席からは背中しか見えない、残念。それはともかく、この曲はまず隠々滅々とした冒頭部分を無事に乗り切って、第一主題でしっかりとした足取りのペースを掴むのが肝要ですが、やはり冒頭のテナーホルンは鬼門、その不安定な演奏に一気に悪い空気が蔓延してしまいます。テナーホルンだけでなく普通のフレンチホルンのほうも不安定が感染し、フルシャも空回りしているように見える、集中力を欠く展開が第2楽章まで続きました。楽章の合間に途中退席する人が複数人いたためにしばらく間を置かざるを得なくなったのも要因かもしれません。

第3楽章でフルシャ得意のリズムのキレが戻ってきたのですが、全体像のフォルムが掴めないままに突入した、この曲のさらなる鬼門、第4楽章ナハトムジークの色彩感が、予想通り非常に浮いて聴こえてしまいました。マンドリンとギターはどちらも渋いイケオジ系で、収音マイクで音を拾っているようでした。最終楽章はティンパニの音程が抜かりなく正確にチューニングされており、非常に気持ちが良かったです。私が大好きだったレジェンドのティンパニスト、アンディ・スミスさんは10年前に引退されたようですが、ある意味アンディさんとは真逆のスタイルが新鮮でした。最後のコーダ前にオケを極限まで鳴らしてきたのにちょっと驚き、なるほどフルシャはここにピークを持ってくる作戦であったかと、早とちりを反省しました。やはりロイヤルオペラ音楽監督の肩書は伊達ではなく、すでにロンドンで大人気者のフルシャ、終了後はやんやの喝采を受けていました。


フィルハーモニア/パヤーレ/フローレス:ラテン系ノリノリの「幻想交響曲」2025/11/27 23:59



2025.11.27 Royal Festival Hall (London)
Rafael Payare / The Philharmonia Orchestra
Pacho Flores (trumpet-2)
1. Berlioz: Overture, Le carnaval romain
2. Gabriela Ortiz: Trumpet Concerto (Altar de Bronce) (London premiere)
3. Berlioz: Symphonie fantastique

早めにサウスバンクに着いたので、18時からの若手奏者による無料の室内楽から聴いてみました。意外とストールの客席が埋まっていたのはびっくり。演目は全く守備範囲ではないですが、ポルトガル音楽界の教祖ルイス・デ・フレイタス・ブランコ及びラヴェルの弦楽四重奏曲で、1時間近くかかった長いプレコンサートでした。ヴィオラの吉村大智君が堂々と物怖じしない演奏で、アンサンブルの軸を担っていました。


さて本日のメインイベントは、ベネズエラのエル・システマ出身ミュージシャンによるベルリオーズを中心としたプログラム。ドレッドヘアが特徴的なラファエル・パヤーレは、不勉強で名前も知らなかったのですが、ドゥダメルに続け!とのし上がりに奮闘中の若手筆頭株、かと思いきや、年齢はむしろドゥダメルよりも上(1歳だけですが)、すでにそれなりのキャリアを積んでおり、現在はサンディエゴ響とモントリオール響の音楽監督を兼任。奥さんはチェリストのアリサ・ワイラースタイン。ちょうどこの1週間前にはN響定期にも客演していて、グローバルに活躍中の人なんですね。

1曲目の「ローマの謝肉祭」はキレ良く始まり、躍動的にオケを操ってギミック満載のリズムをダイナミックに生き生きと乗り越えていきます。冒頭のツカミは充分。多分フローレス目当てかと思われますが、ブラバン楽団員と思しきラフな格好の若者集団が聴きに来ていて、地味な高齢者ばかりの普段の客層とは違う空気感がありました。

2曲目はメキシコの女性作曲家ガブリエラ・オルティスのトランペット協奏曲「青銅の祭壇」。新作なのでほとんど情報がないのですが、プログラムによるとヴァイオリン協奏曲「弦の祭壇」を作曲中に、対となるトランペット協奏曲の発想を得ていたところ、指揮者と同じくエル・システマ出身のトランペッター、パーチョ・フローレスから作曲委嘱の話があり、作曲者がライフワーク的に取り組んでいる「祭壇」シリーズの新曲として誕生したようです。

フローレスはトランペット3本、追ってパヤーレもさらに1本を手に持って登場。シモン・ボリバルやサイトウ・キネンのトップ奏者を務めた実力者だけあって、冒頭から高速パッセージを披露。ソロトランペットに木管とハープ、さらにはオケ側のトランペットも呼応して、聴いたことがないユニークな展開が続きます。フローレスは艶やかな音色に、ほとんど音を外さない完璧な技巧、見た目は陽気なラテン系、なかなか得難いキャラクターの名手です。新作なのでもちろん初めて聴く曲ですが、いわゆる「現代音楽」のテイストはなく、耳に優しい親しみ深い曲調です。後半はラテンパーカッションが大活躍のカーニバル風になり、指揮者、ソリスト、聴衆が皆ノリノリになっていく中、打楽器陣は笑顔なく生真面目な顔で黙々と叩き続けていたのが可笑しかったです。カデンツァもかなり自由に、客席を指さしてカモン、「テキーラ!」の掛け声など、聴衆を巻き込みながらのパフォーマンスにやんやの喝采を浴びていました。アンコールは、曲名は知らないものの、弦楽合奏をバックにしっとりした曲を披露。こういうのもできるんだぜ、とばかりのトランペット名手は、サックス名手に負けず劣らずのズルカッコ良さでした。


メインの幻想交響曲は、これまた全力投球が気持ちいいノリノリのミュンシュ系演奏。今どきは当たり前かもしれませんが、スコア上のリピートは全て行っていても冗長に感じず、軽さと明るさが全編通して滲み出ていました。第2楽章はトランペット奏者がコルネットを持って下手に移動し演奏していましたが、コルネット付きの演奏自体、すごく久しぶりに聴いた気がします(メータ/NYPのレコード以来かも)。あとから調べたら、パヤーレがモントリオール響を振った新譜のレコーディングでもコルネット付き版を選択しているそうで、最近の傾向かもしれません。第3楽章のオーボエは舞台裏からちょっと遠目に、しかし音色はあくまで明るく鳴らして掛け合い、こういうところもミュンシュを彷彿とさせました。第4楽章はテンポを必要以上に揺さぶるわけではなく正攻法で盛り上げていましたが、ホルンのゲシュトップ奏法などスコアに書かれた演出は忠実に実行。最終楽章の弦もきっちり弱音器を使いおどろおどろしさを強調するも、鐘の音は高くてキラキラしており、やはり基本は明るいラテン系に終始していました。あまりに聴きすぎて食傷気味の「幻想」ですが、こういう若くて突き抜けた明るさも、真似しようと思ってもなかなか達成できるものではなく、良きかなと思いました。


フィルハーモニア/ロウヴァリ:ファジル・サイは環境ビジネスの香り2025/11/30 23:59

2025.11.30 Royal Festival Hall (London)
Santtu-Matias Rouvali / The Philharmonia Orchestra
Fazil Say (piano-2)
1. Sibelius: En Saga
2. Fazil Say: Mother Earth (Piano Concerto) (UK premiere)
3. Dvorak: Symphony No. 8

2021年に若くしてフィルハーモニア管6代目の主席指揮者に就任したロウヴァリは、2014年に一度ミューザ川崎ホールにて東響を振った演奏会を聴いて以来です。1曲目、元々はファリャ「恋の魔術師」がプログラムにあったのですが、数日前にメール連絡があり、シベリウス「エン・サガ」に曲目変更とのこと。直後の韓国ツアーで取り上げる曲に寄せたようですが、個人的にはファリャを聴きたかったので、がっかり。意気消沈して寝てました。

気を取り直して、2曲目は「母なる地球」をテーマにしたファジル・サイの新作ピアノ協奏曲。昔から気になっていたピアニストですがなかなか縁がなく、見るのも聴くのも初めてです。日本では「鬼才! 天才! ファジル・サイ!」というキャッチフレーズが先行して、私も鬼才にして怪人と勝手に思っていたのですが、ちょっと思ってたのと違う印象でした。もっとアヴァンギャルドな作風にぶっとんだピアノを想像していたら、既存イメージを寄せ集めたヒーリング音楽のような曲でした。ちょっと悪口っぽく言うと、思想政治的動機があって、芸術的野心はどこにもない感じ。鳥笛、ギロ、オーシャンドラムなどの打楽器を駆使して山と海の大自然を効果音でわかりやすく表現し、また自席からはよく見えなかったのですが、ピアノにもプリペアドの細工をしていたように聴こえました。そういった「飛び道具」を使わずに自然描写をするのが過去の大作曲家たちが取り組んできたクラシック音楽の矜持だと個人的には思うので、安直な効果音頼みは興醒めです。しかしジャンルを超えた人気ピアニストだけあって、ちょっと常識に欠けるファンも多く、演奏中にも写真や動画を撮ってて怒られてる人を多数見かけました。


メインのドヴォルザーク8番は、全体的に丁寧に作り込んだ演奏で、オケと指揮者が現在最も良い関係にあることがわかります。変に緊張感を煽ることもなく、聴衆のざわつきとか全く気にも留めずとっとと演奏を始めてしまうタイプですね。2014年に聴いた際はまだ20代にも関わらず、ラトルばりに細かいところまで仕掛けを施す恐れ知らずの芸風でしたが、年月が経ってだいぶ肩の力が抜けた感じです。細部まで気を配ったリードながらもあざとい感じはなく、カラッとした都会風のドヴォルザークでした。第9番の「新世界」ではなく、第8番でもそのアプローチを取るのが最近の流行りかもしれません。最終楽章のスピードはブラス泣かせではありましたが。

ロンドンではこれが今年最後の演奏会になるため、聴衆も招待しての創立80周年記念パーティーが終演後に開催されていましたが、翌日の仕事もあり、泣く泣く帰宅の途につきました。