サー・アンドラーシュ・シフとOAEのシューマンとメンデルスゾーン2025/05/22 23:59



2025.05.22 Royal Festival Hall (London)
Sir Andras Schiff (fortepiano-1,3) / Orchestra of the Age of Enlightenment
1. Schumann: Introduction and Allegro appassionato for piano and orchestra, Op.92
2. Mendelssohn: Excerpts from the Incidental Music to A Midsummer Night's Dream
 (Overture, Intermezzo, Nocturne, Scherzo)
3. Schumann: Piano Concerto

前週に続いて出張中のオフを利用し、懐かしのサウスバンクへ。そもそも2013年に帰国して以来一度も英国を訪れる機会がなかったので、実に12年ぶりになります。中のカフェとショップはすっかり様変わりしていましたが、ホールの中は昔の通りです。

啓蒙時代の楽団、OAEを聴くのも12年ぶりなのですが、シフはハンガリーの巨匠なのに何故か巡り合わせが悪く、過去に聴いたのは2011年のBBCプロムス1回だけでした。古楽器集団のOAEに合わせたとはいえ、ブリュートナーの1859年製フォルテピアノを奏でる今夜のシフはだいぶ変化球というか「よそゆき顔」の様子となるかもしれない、と思っていたのですが、確かにちょっと勝手が変わりやりにくそうな感じは見て取れたものの、元々の理知的で奇を衒わない芸風はこのようなピリオド系アプローチと親和性は高そうでした。本日のプログラムはシューマンとメンデルスゾーンという、19世紀前半を駆け抜け、どちらも若くして亡くなったドイツの天才ペアの作品で、今日のフォルテピアノが作られたのもちょうど二人が亡くなった後くらいですが、彼らが慣れ親しんだ「ピアノ」という楽器は、まさにこのようなものだったんでしょう。

1曲目のシューマン「序奏とアレグロ・アパッショナート」は初めて聴く曲でした。久しぶりに聴くOAEの響きは、独特で新鮮。ノンビブラートの素朴な弦の上に、バロックアンサンブルのようなゴツゴツした木管が乗っかり、全体的に音に芯があって硬質ではあるがふくよかな太さも感じます。ホルンはバルブなしのナチュラルホルンで、浪漫派の曲になってくるとかなり演奏難度が上がると思うのですが、難なく完璧に吹きこなしてめちゃくちゃ上手い。後で調べると、トップのロジャー・モンゴメリーはROHでも首席奏者を勤めている英国ホルン界の第一人者だそうで、さすがと納得。対するシフのピアノは、楽器の特性上オケと音量バランスが合わない部分もあり、本当はガツンと情熱的に盛り上がりたい後半のアパッショナートも、だいぶ地味で落ち着いたものでした。多分モダンピアノにモダンオケで演奏する時はもっと揺さぶる感じになるんじゃないでしょうか。それにしても、過去に4度聴いたOAEも全てこのロイヤル・フェスティバル・ホールだったのですが、このオケのコンセプトでこのホールは広すぎで、何でいつもここでやっているのか不思議です。隣のクイーン・エリザベス・ホールや、あるいはウィグモア・ホールだとビジネス的に難しいのかもしれませんが、せめてバービカンでやってくれたほうが絶対特性に合っているのになあ、と残念に思います。

2曲目は「夏の夜の夢」の非公式「組曲」としてよく抜粋される選曲から「結婚行進曲」を除いた4曲。一番のメジャーどころを外したのは、楽器編成の都合かもしれませんが、全体的なプログラムのトーンを考えての選曲でもあったかと思います。ここではシフは指揮に専念し、個人的にあまり思い入れのない曲ということもあって、あっさりと流れ過ぎました。


休憩中のフォルテピアノ調律にこの人だかり。

休憩後のメイン、シューマンのピアノ協奏曲はゴールデンウィークのラ・フォル・ジュルネでも聴いたばかりですが、ここ近年この曲が大好きになってしまい、いろんな演奏を聴き漁っています。その中にはシフがイヴァーン・フィッシャー指揮ブダペスト祝祭管と共演したBBCプロムスのYouTube動画もありましたが、やはり弾き振りで、楽器も鳴りにくいフォルテピアノになるとアプローチがだいぶ変わってきます。フレージングがより端正で抑圧的な古典アプローチになっていましたが、曲自体は明らかにロマン派の代表作なので、燃え上がり切れないもどかしさがありました。第2楽章では本来(?)の姿が垣間見え、情感を乗せた深いピアノが聴けましたが、第3楽章では再び即物的なピアノに戻り、ピアノの見せ場を作るよりもオケを快活に進めるほうに腐心している様子でした。

アンコールではピアノの小曲を弾いた後、蓋を閉じてもう終わりかと思いきや、もう一曲、序曲「フィンガルの洞窟」を指揮しました。アンコールピースにはちょっと長い曲ですが、シューマンの協奏曲だけだとメインとしては短いので、ほど良いサービスでした。オケはますます鳴らしにくそうに演奏していましたが、クラリネットはたいへん美しい音色で、満足です。


終演後もこの明るさ。ロンドンの夏がすぐそこですねえ。


聖チェチーリア音楽院管/ガッティ:至極真っ当なブルックナー9番2025/05/17 23:59



2025.05.17 Sala Santa Cecilia, Auditorium Parco della Musica Ennio Morricone (Roma)
Daniele Gatti / Orchestra e Coro dell’Accademia Nazionale di Santa Cecilia
Andrea Secchi (chorus master)
1. Brahms: Gesang der Parzen
2. Brahms: Schicksalslied
3. Bruckner: Symphony No. 9

私的「まだ見ぬ強豪」の一つ、聖チェチーリア音楽院管弦楽団は、バーンスタイン指揮でドビュッシー管弦楽曲集やプッチーニ「ラ・ボエーム」のレコーディングがあり、1990年代からガッティ、チョン・ミョンフン、パッパーノ、ハーディングといったスター指揮者が音楽監督に名を連ねるイタリアの名門オケです。ローマ出張中のオフ日にちょうど演奏会があったので、ここぞとばかり聴きに行きました。


映画音楽の巨匠モリコーニの名を冠したホールは北側郊外のちょっと不便な場所にあり、ローマ中心部からだとバスかトラムを乗り継いで行くことになります。大きい本屋を超えて奥に入ると、屋外円形劇場を取り囲むように3つの音楽ホールが階段上に位置し、どれがメインホールなのか外観だけでよくはわかりません。中には多目的のイベントスペースもあり、ジュニアオケと思しき団体がバーンスタインの「マンボ」を練習していました。


サンタ・チェチーリア・ホールの中は2800席と比較的広く、深い茶色で統一されたシックな内装に、なだらかな球面の天井がイタリアっぽいこだわりのオシャレです。プログラム前半は、ブラームスの「運命の女神の歌」と「運命の歌」という2曲の合唱曲。個人的にはどちらも全く初めて聴く曲ですが、プログラムにはそれぞれ過去の演奏歴が書いてあって、どちらも2010年にジョナサン・ノットの指揮で演奏して以来のようです。またガッティは「運命の歌」のほうを過去に3回も取り上げており、お気に入りなんでしょう。国立アカデミーの合唱団は80人くらい、声楽曲は元々苦手分野で細かいことはよくわからないものの、緻密なコントロールの下に人声の繊細さと迫力を感じることができました。ただし、ドイツ語の発音はちょっとイタリア寄りで、ブラームス臭いドイツっぽい匂いはしませんでした。なお、ガッティは過去2回聴いていますが、全て暗譜で臨むのがトレードマークのところ、今回も譜面台最初からなしの強気の攻めでした。

買った席がステージ真横だったのはまだよいとして、自席の周辺を見事にいかにも地元勢のおばちゃん時々おっちゃんに囲まれてしまい、開演前はべちゃくちゃ、演奏中でもひそひそとうるさいので、休憩の間に平土間の空いてそうな席に移動。やはり音的にはこっちが大正解でした。ちなみに本日は3日連続公演の最終日で、週末にも関わらず客入りはイマイチ。半分くらいしか埋まってなかったんじゃないでしょうか。もったいない限りです。

気を取り直してメインのブル9。オールイタリアンによるマカロニ・ブルックナーがどんな感じになるのか想像つかなかったのですが、ガッティもオケもさすがに世界の一流、ローカル色を封印した純度の高い正統派ブルックナーでした。まずこの人はブルックナーであろうともやっぱり暗譜で押し通しますが、前半以上に細かくタクトを操り、テンポを揺らし、非常にきめ細かく表情を付けていきます。自分の中でストーリーが完成されており、流れを大事にするためか楽章間をほぼ間髪入れず繋げます。そしてオケが優れて機能的で、応答が素晴らしく良く、何より音色が美しい。ご自慢の弦は言うまでもなく、金管も角がなく必要十分に鳴り渡り、オケが一体となって極めてナチュラルに、なめらかな盛り上がりを見せます。このようなひたすら美しい系のブルックナーが果たして王道かというと、異論もいろいろあるでしょうが、ヨーロッパの一流オケの誠実な仕事ぶりにいたく感動しました。それにしてもガッティの仕事人ぶりは相変わらずのハイレベルで、この人はとんでもなく優れたオケマイスターなのかもしれません。なお、オケメンバーは基本ヨーロッパ系の人ばかりで、第1ヴァイオリンに日本人らしき女性が一人いたのですが、プログラムを見ると韓国系の人でした。


おまけ。イタリアでも人気のようです。

大阪フィル/尾高:松村「前奏曲」とブルックナー「ロマンティック」2025/02/18 23:15

2025.02.18 サントリーホール (東京)
尾高忠明 / 大阪フィルハーモニー交響楽団
1. 松村禎三: 管弦楽のための前奏曲
2. ブルックナー: 交響曲第4番「ロマンティック」(ノヴァーク版)

記憶に間違いがなければ、大フィルを聴くのは1982年の「大阪国際フェスティバル」にて、アレクシス・ワイセンベルクがソリストでラフマニノフ2番とチャイコフスキー1番を一晩で弾くというコンチェルトの夕べ以来、実に43年ぶりです。それ以前にも朝比奈隆などの指揮で何度か聴いているはずですが、金管はよく音を外すし、正直あまりシャキッとしないオケ、という印象しかありませんでした。東京公演を毎年行っていて、近年は音楽監督である尾高忠明の指揮でブルックナーの交響曲と日本人の作品という組み合わせが定番のようですが、オケとしての優先順位は低いので、カップリングが松村禎三でなければ聴きに来ることはなかったでしょう。

サントリーホールは意外と客入りが良く、9割がた埋まっていました。さっそうと登場したのはソロコンマスのVaundy、ではなく崔文洙。チューニングが始まり、早速嫌な予感がしたのは、あまりに緊張感がなく、音が汚い。というか、安っぽい。大阪人はあまり楽器にお金をかけないのかなと。チューニング自体も、えっそれでやめちゃうの、と拙速な感じを残すものでした。はたして危惧していた通り、冒頭のオーボエは澄み切ったというには程遠い音色で、続くピッコロ6重奏も、最初からあんなにワウってたら繊細なスコアが台無しじゃー、と心で叫んでいました。こういった緩さ、おおらかさが昔から特徴というか、もしかしたら大フィルの魅力なのかもしれません。ただ自分の嗜好とは違うなあ、ということを再認識できました。

松村禎三「管弦楽のための前奏曲」を生で聴くのも超久々で、多分、CD化もされている1992年の都響定期演奏会(指揮は岩城宏之で、前奏曲、ピアノ協奏曲第2番、交響曲第1番というヴェリーベストプログラム)以来です。ついでの余談で、尾高忠明を見るのは2011年の札幌交響楽団ロンドン公演(ロイヤル・フェスティバル・ホール)以来ですが、その前に尾高さんを見たのは1998年のサントリー芸術財団主催「作曲家の個展:松村禎三」(この時は交響曲第2番の初演と、交響曲第1番、チェロ協奏曲というヘヴィープログラム)だったことを今ようやく思い出しました。話を戻すと、西洋音楽のフォーマットを使いながらも常に日本的、アジア的な文化の継承を意識し、音符ではなく古代建造物からインスピレーションを得て書かれたこの初期の傑作が、かつてほど取り上げられなくなったのは残念で、実演で聴けたのがまずは感謝です。この曲を聴くと、短すぎず長すぎない20分弱というコンパクトな時間内で巨大な伽藍が組み上げられていく様が脳裏に浮かびます。このような繊細な曲で(いやどんな曲でもそうなのですが)開始から早速ゴホゴホ遠慮なく咳をする輩があちらこちらにいて、コロナの効用で改善されたと思っていた咳マナーも、喉元過ぎればもはや風前の灯火です。

メインのブルックナー「ロマンティック」は、やはり大フィルの「あかんところ」がしっかりと出ていた演奏と思いました。この曲で特に重要なホルンは音出すだけで必死、出たら万々歳で満足の世界で、その先の「アート」が全くありません。指揮者も最初から野心を捨てている感じで、自分の音楽を淡々とこなすのみ。熱量を感じることができませんでした。第2楽章、ここはプロオケの強みで中音域の弦は充実していて厚みを増していたのですが、第3楽章のホルンはやっぱり音出しているだけの苦しい演奏。最終楽章はそもそも冗長で好きではないのですが、退屈さを凌げるだけの盛り上がりは聴けず。オケのスタミナ配分はきっちり管理していたのか、最後まで管楽器を中心にバテる様子はなく鳴らし切っていました。しかし全体を通してまた聴きたいと思う要素がなく、大フィルのブルックナーは自分のためのものではないなと。クラシックの場合、たいていの曲はどんな演奏だったとしても「実演に勝るものなし」という一面がありますが、ブルックナーだとそうもいかない、ということを悟りました。今日のような演奏を聴きに出かけるくらいなら、家でハイティンクのCDを聴いているほうがずっと心に染みました。
(単なる個人の見解ですので、気を悪くされた方がいたらすいませんです。)

武蔵野音大管弦楽団:三角帽子、サン=サーンス「オルガン付き」2024/11/26 23:59

2024.11.26 東京オペラシティ コンサートホール (東京)
現田茂夫 / 武蔵野音楽大学管弦楽団
長嶋穂乃香 (mezzo-soprano-1)
斎藤茉奈 (organ-2)
1. ファリャ: バレエ音楽《三角帽子》全曲
2. サン=サーンス: 交響曲 第3番 ハ短調Op.78 「オルガン付き」

こちらも元々予定にはなかったのですが、選曲に惹かれて行ってみました。オペラシティのコンサートホールは今年2回目ですが、ここのパイプオルガンはまだ聴いたことなかったなあ、というのも理由の一つです。

武蔵野音大は学生時代に何人も知り合いがいたのですが、オケは初めて聴きます。学生オケはプロと比べるともちろん技術レベルは及ばないところがあるものの、しっかりと練習を積み重ねていて、概ね演奏が丁寧なので、技量よりも一期一会の熱意と勢いが感動を生むこともあるから面白いです。ましてやここは音楽を専攻する人たちの集まりなので、技術レベルもなかなかのものでした。

前半の「三角帽子」は、バランス的にはブラスがちょっと馬力不足は否めないものの、弦、木管、打楽器は文句のつけようがない立派な演奏。メゾソプラノは、舞台袖、コーラス席など通常の指揮者の横ではない離れた場所で歌うことが多いですが、今日は木管に紛れた場所に座ってらっしゃいました。在学中の学生さんですが、すでにプロでも通用するレベルのしっかりした歌唱でした。

指揮者の現田茂夫さんはよく名前を見る人ですが、聴くのは初めてです。2019年に亡くなった佐藤しのぶさんのwidowerですね。少し脱色した髪に耳ピアスのチャラい外見で、指揮台から身を乗り出して、コンミス嬢の譜面台の真上くらいまで顔を近づけるのがちょっとキモい。

メインのサン=サーンスのオルガニストは、元々はピアノ専攻で、大学院の音楽研究科に在学中とのこと。このホールのパイプオルガンは初めて聴きましたが、高音の抜けがよく、低音の濁りが少ない、まさに私好みのオルガンでした。この曲は誰がやっても演奏効果が上がる、よくできた曲だと思っていましたが、勢いがあれば押し通せる第2楽章はともかく、第1楽章は結構難しいんだなとあらためて感じました。特に弦のアンサンブルが未熟だと、わちゃわちゃとした感じになってしまってテンションが上がってこないのがちょっといただけないかなと思いましたが、一方で、あまりデリケートなコントロールがない分、普段は目立たない副次声部が際立ってしまうというご利益もあり、面白い演奏になりました。

プログラムを見ると、このオケは武蔵野音大の器楽専攻学生から選抜されており、合奏授業の一環として毎年管弦楽の大作に取り組んでいるそうなので、大作好きの私としては、今後もウォッチしたいと思います。

日本フィル/インキネン/神尾真由子(vn):アルプス交響曲、他2024/11/24 23:59



2024.11.24 サントリーホール (東京)
Pietari Inkinen / 日本フィルハーモニー交響楽団
神尾真由子 (violin-1)
1. グラズノフ: ヴァイオリン協奏曲 イ短調
2. R.シュトラウス: アルプス交響曲

元々予定していなかったのですが、時間ができたので急遽行ってみました。日曜のマチネということで、満員札止めではないものの客入りは上々。なんだかんだでアルプス交響曲の生演は10年ぶり。インキネン/日フィルを聴くのも10年ぶりでした。

本日のプログラムは、1864年生まれ、今年で生誕160年、没後75年のリヒャルト・シュトラウスと、その1歳年下のグラズノフという、おそらく接点はほぼなかったであろう同世代作曲家の組み合わせです。グラズノフといっても、パッと思い浮かぶ音楽はなく、過去には「ライモンダ」第3幕などのバレエ作品をロイヤルバレエで観たくらいの、馴染みが薄い作曲家です。諏訪内晶子さん以来日本人として二人目のチャイコフスキー国際コンクール優勝者である神尾真由子さんを聴くのは初めてでしたが、ファンの人には申し訳ないものの、最初の一音からして自分にはちょっと受け付けない類のヴァイオリンでした。誤解を恐れず思ったことを言うと、音が汚く、荒っぽい演奏。解釈でそのように装っていることでもなく、途中のカデンツァなどを聴くと確かに技巧的に長けているのは認めますが、全然好みではありませんでした。ということで、残念ながらパスです。アンコールはパガニーニ「24のカプリース」の有名な終曲を弾き切って、ドヤ顔。うーむ、ますます何だかなあ…。ベレゾフスキー(この人もチャイコフスキー国際コンクールの優勝者でしたね)を最初に聴いた時と同じようなモヤモヤ感が残りました。

メインのアルプス交響曲は、私の大好物である打楽器大活躍の大編成曲ですが、オケの地力がモノを言う曲だけに、日本のオケでは物足りない思いをするに違いなく、結果として10年も敬遠していたのも「わざわざ出かけていってがっかりしたくない」のが大きな理由でした。キャリアのハイライトがバイロイトで「指輪」を振った実績であろうインキネンなら、かつての手兵を率いてハッタリでも何でも大いに劇的に仕上げてくれれば、という期待を持って買ったチケット。演奏開始前、えらく長い時間をかけて静寂を待ってから指揮棒を振り始めたインキネン。冒頭から管がバラっと入ってしまって、繊細とは言えない弱音の出だしにちょいと不安がよぎりましたが、インキネンは気にせずひたすら丁寧に、ゆっくりと音を紡いでいきます。全部で60分近くはかかっていたのではないかと感じましたが、こういうアプローチのときはなおさらオケがバテて息切れしてしまうのが常。しかし今日は金管の頑張りが良く、山頂のクライマックスまでは何とか音圧を維持し、持ち堪えていました。その後、集中力が切れたのか、ちょっとヤバい箇所がちらほらと出てきたものの、嵐の場面で巻き直し、後半の金管の難所である弱音高音を乗り切ると、最後は冒頭の再現のような、あまりデリケートではない静寂で幕を閉じました。うーむ、やはりこういうところは、過去に聴いたウィーンフィルやBBC響の惚れ惚れする弱音にはかなわないなあとは思いつつも、全体的にはメリハリが効いて見通しの良い、普通に良い演奏でした。カーテンコールでインキネンが最初に指名したのが、ホルンとトランペットだったのも納得。そう言えば、日フィルはけっこう外国人とおぼしき奏者が多いと言う印象です。個人的には、サンダーシートが図体の割にあまり響かなかったのが少し残念でした。


おまけ。アークヒルズもすっかりクリスマスの装いです。


N響/ブロムシュテット:97歳の現役最高齢マエストロはまだまだ衰えない2024/10/19 23:59



2024.10.19 NHKホール (東京)
Herbert Blomstedt / NHK交響楽団
1. オネゲル: 交響曲第3番「典礼風」
2. ブラームス: 交響曲第4番 ホ短調

10月後半とは思えない蒸し暑さの中、代々木公園のアジアンフェスの雑踏をかき分けてNHKホールへ。原宿駅では大きくて重そうな銅鑼(ソフトケース入り、キャスター付き)を引いてる女性がいらっしゃって、今日の奏者かなと思ったら、やっぱりそうでした。

さて、現役最高齢ながらもヨーロッパ各地で精力的に客演を続けているブロムシュテット翁。N響とは長い付き合いで、桂冠名誉指揮者の称号を得て、ここ20年くらいはほぼ毎年来日されているのですが、一昨年は直前に転倒して怪我をしたにも関わらず無事来日、しかし、買っていたマーラー9番のチケットはやむを得ない事情で聴きに行けませんでした。昨年、リベンジと意気込んでシベリウス2番のチケットを買ったら、感染症のため公演直前で来日キャンセル。もう日本で見ることは叶わないのではとの噂もありつつ、半信半疑で今年はこの日のチケットをとりあえずゲット。欧州でも健康状態悪化でキャンセルを連発しているようだったので、さすがに97歳の超高齢者を長距離フライトに乗せるのはもう無理か、昨年同様来日キャンセルのアナウンスは直前まで引っ張るのかななどと思っていたら、前週のB公演には無事来日して元気に振っていたということで一安心。それでも、当日会場に来てみるまでは「もしかしたら」との危機感が拭えませんでした。

楽団員と一緒にコンマスに手を引かれてゆっくりゆっくり登場したブロム翁に、会場は割れんばかりの拍手、早速ブラヴォー叫ぶ人もおりました。過去に生演を聴いたのは1回だけ、2010年のBBCプロムスでオケはマーラーユーゲントでしたが、その当時ですでに83歳ながらも年齢を感じさせない若々しさが印象に残っていました。それから14年、さすがに足腰が衰えたマエストロは、指揮台上の長椅子に座り、指揮棒は持たずに両手の人差し指を巧みに使い、上半身だけ動かす省エネ指揮です。腕はもちろん大振りではないものの、必要十分な可動域でキビキビと動きます。それより、眼鏡なしでオネゲルの複雑そうなスコアをちゃんと追ってたのが驚きでした。97歳という年齢を考えると視力も聴力もかなり衰えていて当たり前と思いますが、前週の評判通り、足腰以外はシャキッと冴えている様子でした。1曲目のオネゲル3番「典礼風」は、第二次大戦末期から終戦直後にかけて作曲された、「戦争交響曲」とでも呼ぶべき性質の重苦しい作品で、実演を聴ける機会は貴重です。コストミニマムな指揮に対して、オケのほうは仕上がりがまだちょっと未完成という感じでした。木管はまだ良かったですが、金管は音色まで気を配る余裕がなかったもよう。全体的に、道筋がわかって進んでいるのかがよくわからない手探り感が出てしまっていたと思いますが、まあ統制が弱いときのN響はこんなもんです。と思ったら、今日のコンマスは就任したばかりのゲストコンマスの方でした。

休憩後のブラームス4番は、ブラームスの交響曲自体、それを目当てに演奏会に行くということがないので、この前に聴いたのは7年前にウィーンでウィーンフィル、出かけた先でたまたまやってたので聴いたというわけです。こちらはブロム翁、譜面台のスコアは終始閉じたまま暗譜で振っていたので、知り尽くしたレパートリーなんでしょう。冒頭から彫りが深いフレージングが意外だったので指揮をよく見ていると、もちろん練習で叩き込んでもいるのでしょうが、微妙な指の動きながらもちゃんと指揮でリードしていて、二重に驚き。オネゲルと比べるとオケが曲に慣れている分、反応が良く一体感もありました。必要最小限に要所を締める、動きの小さい指揮でしたが、中音域をしっかりと響かせる骨太なドイツ伝統系のブラームスで、決して枯れたり、ましてやボケたりしていない、生命力がみなぎる好演でした。ブロム翁は、足腰を除けば十分に冴えていて、怪我さえしなければまだまだ活動は衰えない感じです。老人の歩行も、気持ちは前のめりでスイスイ歩こうとしていたのが、かえって怖いかも、と思ってしまいました。来年も元気な姿を見せてくれますように。


読響/ヴァイグレ/テツラフ(vn):欧州ツアー直前、充実のブラームスとラフマニノフ2024/10/09 23:59

2024.10.09 サントリーホール (東京)
Sebastian Weigle / 読売日本交響楽団
Christian Tetzlaff (violin-2)
1. 伊福部昭: 舞踊曲「サロメ」から「7つのヴェールの踊り」
2. ブラームス: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
3. ラフマニノフ: 交響曲第2番 ホ短調

翌週からテツラフと藤田真央を引き連れてヨーロッパツアーに出かけるヴァイグレ/読響の壮行演奏会になります。客席は満員御礼。

1曲目の伊福部版「サロメ」は初めて聴く曲。欧州ツアー向きに何か日本物を1曲、ということでの選曲でしょうか。ツアーのプログラムを見ると他に武満の曲をやる日もあるようです。「7つのヴェールの踊り」と言えば、リヒャルト・シュトラウスの楽劇「サロメ」の劇中舞曲があまりにも有名ですが、同じ原作でありながら伊福部のバレエ音楽は全くテイストが異なるのが面白いです。旋律、リズム、構成どれをとっても全くの伊福部節で、純和風というよりは、東宝の怪獣映画音楽風。変拍子の複雑なリズムを低音をしっかり聴かせつつ小気味よく進めていったヴァイグレさん、曲への思い入れなどは特にないであろうに、劇場キャリアの職人技を垣間見ました。

続くブラームスのコンチェルトは、一昨日ソロリサイタルを聴いたばかりのテツラフがもちろん目当てです。曲自体は好んで聴く曲じゃないので、過去に実演を聴いたのが10年前のイザベル・ファウスト(オケはハーディング/新日本フィル)1回だけという体たらく。しかしテツラフは期待通りの孤高の演奏で、雑なワイルドタッチから、この上なく綺麗に響かせるメロディまで、表現の幅がえげつなく広く、かつ全てが自然に鳴り響き、まるで弓を動かさなくても音が湧き出てくるかのよう。ちょっとハンガリー舞曲を彷彿とさせる終楽章では、一昨日のソロとはまた全く違う情熱的なアプローチで挑み、全くこの人の懐の深さは格別です。アンコールは一昨日も聴いた、バッハのソナタ第3番から「ラルゴ」でやんやの喝采。最近は毎年来日してくれるので、日本での人気も定着している様子です。

東ベルリン出身のヴァイグレはロシアものも得意分野のようですが、メインのラフマニノフ2番は、ある意味それらしい、弱音欠如型のおおらかな演奏。オケはまるでブラームスのように分厚い音作りで、金管を筆頭によく鳴ってはいるものの、抑制が効いた柔らかな響きにしっかりコントロールされています。第1楽章の最後はティンパニの一撃ありバージョン。第2楽章第2主題のポルタメントは軽く効かせて節度ある甘さを演出。有名な第3楽章も焦らず、昂らずにじっくりと盛り上げていきます。最終楽章はここまで貯めたエネルギーを全てを解放するかのような爆演。全体的にツボを抑えた見事なリードで、これなら本場欧州と言えども、どこに出しても恥ずかしくないクオリティと言えるでしょう。個人的にはいろいろあってちょっと荒んだ心も癒される、良い演奏会でした。

パシフィックフィル東京:ラヴェル、バルトーク、レスピーギ、ストラヴィンスキーの擬古典作品集2024/09/07 23:59

2024.09.07 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
パシフィックフィルハーモニア東京
Henrik Hochschild (play & lead)
1. ラヴェル: クープランの墓
2. バルトーク: ディヴェルティメント BB118
3. レスピーギ: ボッティチェッリの三連画
4. ストラヴィンスキー: バレエ音楽「プルチネッラ」組曲

「パシフィックフィルハーモニア東京」は旧称「東京ニューシティ管弦楽団」が2022年に名称変更した在京9番目のプロオケで、どっちにしろ聴くのは多分初めて。昨年、「クープランの墓」が突如マイブームになり、ピアノ原曲、オケ編曲のいろんな演奏を聴き漁るうち、やはり実演で聴かぬことには、と思い探したところ、このコンサートを見つけた次第です。

本日のコンセプトは「ドイツ音楽界の重鎮が室内学的アプローチで導く、同時代を生きた4人の作曲家が描いた、精緻で鮮やかな音楽絵巻」とのことで、ラヴェル(1875-1937)、レスピーギ(1879-1936)、バルトーク(1881-1945)、ストラヴィンスキー(1882-1971)というまさに同世代の天才たちが擬古典的な形式を取り入れた小編成の作品が並んでいます。元より打楽器が登場しない演奏会などほとんど聴きに行くことがなく、それもあって今日はどれも大好きな作曲家たちにも関わらずこれらの演目を過去にほとんど聴いたことがなかったのですが、奇しくも去年から心がけている「念願の選曲を落穂拾いする演奏会」の一環になりました。

しかし、このような趣向は個人的には高く評価するのですが、一般ウケはしないだろうなと思っていたら、案の定、客入りは半分くらいで空席が目立ちました。今日の演奏会は指揮者を立てず、特別首席コンサートマスターのヘンリック・ホッホシルト(元ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管コンマス)の「弾き振り」による演奏になるのですが、実際には指揮行為は全くやらず、それどころか合図もほとんど出さず、まさにヴァイオリンの音とジェスチャーのみで楽団を引っ張る硬派なスタイルでした。最初登場したホッホシルトは、バティック(インドネシアの正装)とおぼしきキンキラのシャツで登場し、外見からして一人だけ異色に目立っていましたが、後でプロフィールを読むと現在ジャカルタのオーケストラでも音楽顧問をやっているようで、そういうことかと納得。

1曲目の「クープランの墓」は、第一次大戦に従軍したラヴェルが、戦死した知人たちを偲んで作曲したピアノ曲を後に自身で管弦楽版に編曲したもので、バロック音楽時代の形式を模倣した舞曲組曲になっていて、一見明るく華やかな曲調の中にも所々顔を出す憂いを帯びたハーモニーに何とも惹きつけられる名曲です。備忘録を見るとちょうど10年前に都響で聴いていますが、うーむ、ほとんど覚えていない…。今日のオケは弦が8-7-6-4-3の小規模な2管編成で、指揮者がいない分、安全運転気味の進行。ちょっと表情付けに乏しい気もしましたが、ピリオド系と思えばこれはこれで良いのかも。オーボエとトランペットを中心に管奏者の腕前が確かで、意外と言ったら失礼ですが、期待以上の少数精鋭で安心して聴いていられました。

次のバルトーク「ディヴェルティメント」は一度ロンドンでロイヤルカレッジの学生オケを聴いて以来。バルトーク好きの私も、これが演目に上がっている演奏会をフル編成のオーケストラではほとんど見たことがありません。弦楽合奏のみで、形式は古典的な合奏協奏曲を倣いながらも、内容はバルトークらしい民族色の強い旋律とリズムが特徴的な曲です。小編成ながらも弦の響きがオルガンのように重層的で、さすがに弦がよく鍛えられたオケだなと感じました。こちらも指揮者なしの影響か、角が取れて淡々とした演奏に終始し、バルトーク好きとしてはもうちょっとリズムをえげつなく際立たせて欲しかったところです。

休憩を挟んで3曲目のレスピーギは初めて聴く曲でした。いずれもウフィッツィ美術館に展示されているボッティチェッリの超有名な絵画、「プリマヴェーラ」「マギの礼拝」「ヴィーナスの誕生」をモチーフに作曲された交響詩で、こちらは古典から形式ではなくフレーズをいろいろと引用しているようです。ローマ三部作のような極彩色には届きませんが、小編成ながらもピアノ、チェレスタ、ハープに、グロッケンシュピール、トライアングルの金物打楽器を加えた効果もあり、コンサート前半の曲と比べると一気に色彩感が増します。また、テンポも頻繁に動くので、指揮者がいないと本当に大変そうな曲でした。それでもほとんど乱れることなく推進する音楽に、トレーナーとしてのホッホシルトの力量を見ました。多分これが一番練習した曲ではないかな。

最後の「プルチネッラ」は、昔から大好きな曲だったのですが実演で聴くのは初めて。ここまでは本来の指揮者スペースを空けて配置していたオケが、この曲ではそのスペースを詰め、ちょうど第1ヴァイオリンのコンマス、第2バイオリン、ヴィオラ、チェロのそれぞれトップが距離をぐっと縮めて弦楽四重奏をかたち作り、その周りをオケが取り囲むかのような配置になりました。もうこの曲に至っては指揮者なしでやる方が珍しいくらい複雑なスコアになってくるので、こまめなテンポ変化はなくやはり淡々とした印象とはなりました。しかしながら、ここでも管楽器が皆さん素晴らしかった。この曲は管のソロが肝で、ヘロヘロだととても聴いていられないのですが、ほぼ完璧な仕事に脱帽しました。弦も管も想像以上にしっかりしていて、普通にプロフェッショナルなオケでした。当たり前のようで、そう思わせてくれない演奏会も正直少なくないので…。しかし、今日のコンサートにはこの芸劇ホールは広すぎる。本来なら、文化会館の小ホールとか、もっとこぢんまりとしたスペースで聴かせるのが良かったでしょうね。


N響/沖澤まどか:実は苦手だったのか、フランス印象主義2024/06/14 23:59



2024.06.14 NHKホール (東京)
沖澤のどか / NHK交響楽団
Denis Kozhukhin (piano-2)
東京混声合唱団 (3)
1. イベール: 寄港地
2. ラヴェル: 左手のためのピアノ協奏曲
3. ドビュッシー: 夜想曲

コロナ禍以降、休憩なしの時間短縮演奏会だったN響の「Cプログラム」は、開始が遅くて料金も安かったので結構お気に入りだったのですが、来シーズンから通常モードに戻るためこれが最後のCプロです。ブザンソン指揮者コンクールの2019年度覇者、沖澤さんをまだ聴いたことがなかったし、最近多めになっている「念願の選曲を落穂拾いする演奏会」でもありますので、チケット買ってみました。

本日のプログラムは一言でまとめると「フランス印象主義」でありますが、年代的にも最初期の「夜想曲」から、もはや脱印象主義となったラヴェルの協奏曲まで、その歴史をコンパクトに辿る旅になっています。このあたりのフランス音楽は打楽器が多くカラフルで、絶対的に好みで間違いないのですが、記録を見るとそれほど多数聴いてないことに気づきました。イベールの代表作「寄港地」も実演は30年以上ぶりになります。前回は学生時代に初めてロンドンを訪れた際、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでデュトワ/モントリオール響を聴いた時以来です。

沖澤さんはアー写で見ると顔に圧があって、もっと男勝りな印象でしたが、実際は小柄で華奢、雰囲気も女性らしい柔らかさがありました。昨年から京都市交響楽団の常任指揮者になった先入観からか、確かに公家さんっぽい雰囲気があるなと思ったのですが、生まれ育ちは青森とのこと。指揮は至って真面目なスタイルで、動きに無駄がなくスムース、ちょっと悪く言うと遊びのスキが全くない感じです。フランス印象主義の管弦楽は楽器が多い割にローカロリーな曲が多く、ダイナミックレンジをいかに広く取れるかが一つの命綱だと思っていますが、その点はちゃんとオケを統率する力を持っていると思いました。終曲のリズムもキレとタメがバランス良く、緩急の変化も難なく振りこなせる感じです。ブザンソン優勝は単なる登竜門に過ぎず、その後いろんなマスタークラスを受講して研鑽を積んできただけあって、テクニックは確かなものだと感心しました。

次のラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」は、実演で聴くのは初めてです。もう一つの両手のピアノ協奏曲と比べてCDを聴く回数も少ないですし、正直何が凄いのかがもう一つわからない曲だったのですが、実演を見ると、何よりこれを左手一本で演奏しているのが凄いのだということがよくわかりました。ソロパートが貧弱にならないよう鍵盤の端から端まで縦横無尽に音を使い、おかげで腕の跳躍がハンパないので、視覚的にも見応えがあります。両手が健常なピアニストがこればかり演奏したら身体壊しそう。当然ながらこの曲を両手で演奏するのは反則なわけで、右手はやることありません(楽譜を置いていればそれをめくるくらいの役には立ちそうですが)。手持ち無沙汰な右手で何度も髪を掻き上げる仕草をしていたのが印象的でした。今日のソリスト、ロシア人のデニス・コジュヒンは沖澤さんと同い年だそうで、指揮者ならまだまだ若手の年齢でもピアニストだともうバリバリの中堅で、レコーディングもそれなりにあり、日本では山田和樹/スイス・ロマンドとの同曲ディスクで知られていますが、メジャーにはなりきれていない立ち位置。アンコールでは、ヒマな右手にずいぶんフラストレーションが溜まっただろうに、どれだけのテクニックを見せびらかしてくれるのかと期待したら、チャイコフスキーの「子どものアルバム」から「教会にて」という静かな小品だったので拍子抜けしました。リストやショパンではなかったのは、一つのロシア人の矜持でしょうか。

最後は女性合唱が加わっての「夜想曲」。曲を追うごとに打楽器が少なくなっていき、色彩感が落ち着いてきます。この曲を実演で聴くのは、記録を見ると3回目なのですが、過去2回(2006年ハンガリー国立フィル、2012年ロンドン響)の記憶がほぼない。確かにだいぶ苦手な部類というか、かなりの確率で寝てしまう曲なので、果たして今日はというと、やっぱり終曲まで持ちませんでした、すいません。朧げな感覚ながら、女性合唱は神秘的というには粒立ちがありすぎたし、ダイナミックレンジの点でも最後の方はちょっと力尽きている気がしました。ただ一つ、N響の木管はどのパートもソロが素晴らしく、今たいへん充実しているのではないかと思います。あと、前から気になっているチェロ最後列の女優のような美人さんはたいへん目が安らぎます…。


都響/インバル:第1000回定期演奏会はブルックナーの「未完成交響曲」補筆完成版2024/06/04 23:59

2024.06.04 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
第1000回定期演奏会
1. ブルックナー: 交響曲第9番ニ短調
 第1〜第3楽章(ノヴァーク版)
 第4楽章(2021-22年SPCM版)[日本初演]

都響の記念すべき第1000回定期演奏会は、桂冠指揮者インバルを迎え、ブルックナー第9番のSPCM版第4楽章付き(日本初演)といういかにもスペシャルな選曲。通常演奏される第3楽章まででもゆうに1時間あり、さらに長大な最終楽章が付くので、当然ながら休憩なしの1曲プログラムでした。今回の補筆完成版は2022年11月にロンドンフィルで世界初演されたそうですが、そこから1年半、他の在京オケもおそらく狙っていたでしょうから、都響はよくこの1000回記念の日に演奏権を取れたものです。

ブルックナーはそんなに好んで聴く方ではないのですが、例外的に第9番はそれを目当てに聴きに行きたくなることがあります。とは言っても記録を辿るとここ10年で今日が3回目に過ぎません。前回は5年前の都響(大野さん)、その前はさらに5年前で読響(下野さん)、どちらも日本のオケの限界を感じずにはおれなかった演奏でした。その点、今日はインバルなので期待が高まります。よく考えるとインバルのブルックナーを聴くのはCDも含めて初めてだったのですが、低音を効かせた上に繊細に整えられたオケのバランスが絶妙で、奇抜な小細工一切なし、ゆったりめのテンポと相まって非常にスケールの大きさを感じさせる演奏でした。ブラスもやたらと鳴らすだけではなく強弱のメリハリに気を使い、第3楽章までヘタれることなくトゲのない音圧を見事にキープしていました。さすがインバル先生。

そして問題の第4楽章。ラトル/ベルリンフィルの2011年SPCM改訂版のCDは持っていたので、どのような曲かは先に知っていました。今日演奏されたのはそこからさらなる検証と改訂を加えたバージョンなのですが、ほとんど差異はないように思いました。マニアの人ならこの補筆完成版について語れることがもっといろいろあるのでしょうが、全くの素人意見として言わせていただくなら、うーん、やっぱり何かしっくりこない。実演のほうが、ラトルのCDを聴いた時よりもさらに強くそれを感じました。オケの奏者にしてみても、何度も演奏経験がある第3楽章から、初めて演奏する第4楽章に間髪入れず繋げるのは、どうしても緊張感、手探り感、自信の後退が無意識にも滲み出てしまうのは避けられないでしょう。オーケストレーションにもバランス的に重心が若干高くなったように感じられましたし、曲の構成としてカタルシスを感じさせる要所がない(あったとしても弱い)ように思いました。

SPCM(サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカ)の40年にも渡る綿密な研究努力には頭が下がる思いですが、この補筆版第4楽章は、学術的には興味深い取り組みである一方、音楽的には蛇足である、という批判はまだ払拭はできない、と正直感じました。今日あらためて思ったのは、第3楽章は、マーラー第9番の最終楽章をちょっと彷彿とさせる弦楽合奏で始まったりするものだから、長大な交響曲のフィナーレ・アダージョとしての風格を十分備えているようにも思えてしまうのだけれども、作曲者にはこれがフィナーレのつもりは全くなく、まだこの先の続きがある音楽だったんだな、ということでした。しかしこの補筆第4楽章がその延長線上にあるかと言えば、軸がちょっと違うように思えてなりません。一つの要因はむしろ、SPCM版の取り組みが学術的誠実さに基づいていて、補筆者の芸術的野心などは一切排除して(その姿勢は絶対に正しい)、ブルックナー本人が残した断片を丁寧に修復していった結果だからではないかと。作曲者の霊感を100%近く再現するにはまだまだ情報量が足りない(もしかするとそれは永遠に無理なのかも)のだと思います。今後、生成AIなどを駆使したアプローチが出てくるのでは(すでにやられている?)と思いますが、意外と最大公約数的な解はそのような「邪道」から出てくるのかもしれませんね。

ところで話は最初に戻り、日本の他のオケの定期演奏会はいったいどのくらい回数を重ねているのだろうか、確かN響は去年2000回をやってたなあなどと、ちょっと気になったので調べてみました。この2024年6月4日の時点で主要オケのサブスクリプションコンサートの最新ナンバリングは以下の通りです。

NHK交響楽団 2012回
東京都交響楽団 1000回
東京フィルハーモニー交響楽団 999回
日本フィルハーモニー交響楽団 760回
東京交響楽団 720回
京都市交響楽団 689回
読売日本交響楽団 672回(名曲シリーズ)
新日本フィルハーモニー交響楽団 656回
大阪フィルハーモニー交響楽団 578回

まあ、この数字が演奏会履歴の総数というわけでもありませんし、だから何だというオチは特にないのですが…。東フィルは、オペラやバレエの伴奏、各種カジュアルコンサート、テレビ出演などをこなしながらのこの数字は素直に凄いなと。