パーヴォ・ヤルヴィ/N響:感動薄かった、マーラー「復活」2015/10/04 23:59

2015.10.04 NHKホール (東京)
Paavo Järvi / NHK交響楽団
Erin Wall (soprano)
Lilli Paasikivi (alto)
東京音楽大学 (合唱)
1. マーラー: 交響曲第2番ハ短調「復活」

4月の読響に続き、今年2回目の「復活」鑑賞です。今シーズンよりN響の首席指揮者(chief conductor)に就任したパーヴォ・ヤルヴィのお披露目でもあります。ヤルヴィ家では、お父ちゃんのネーメ、弟のクリスチャンはロンドンで見ていますが、パーヴォは初めて。この3人は各々雰囲気がずいぶんと違いますが、顔をよくよく見るとやっぱり似ていて、ゴツゴツ顔の家系ですね。

さて、そもそもCDを含めてもパーヴォの演奏を聴くのはよく考えると全く初めてなのですが、率直な感想は「ロシアのマーラー」です。やたらとオケが鳴るけど、管の音は濁っているし、ティンパニは必要以上に硬質。テンポはわりと変幻自在に切り替えながらも、全体としての形がよくわからない。解放するより、型にはめるといった感じの終結部にも、私は感動を覚えることはできませんでした。さらにいうと、100人弱ほどの東京音大学生合唱団は、オケに対してパワー不足で、欲を言えば200人は欲しかったところ。ソリストが二人とも素晴らしい歌唱だったのは収穫で、今後彼女らの名前はチェックします。

どうも私はN響とは相性が悪くて、今日の演奏も「感動のないN響」の一つに加えられました。在京オケのマーラーということでは、インバル/都響が一段上でしょう。パーヴォは、ロシアものでもやるときに、また聴きに行ってみようかな。

おまけ。代々木公園で北海道祭りをやってたり、オリンピックプールで久保田利伸がライブをやってたこともあって、原宿駅への道中は行く人帰る人が入り乱れてこのような混雑ぶり。人がぎっしりと詰まり、なかなか前へ進めませんでした。日曜日のマチネはこれがあるから困りますね・・・


テミルカーノフ/読響:ヘンタイになり損ねたマーラー3番2015/06/05 23:59

2015.06.5 サントリーホール (東京)
Yuri Temirkanov / 読売日本交響楽団
新国立劇場合唱団, NHK東京児童合唱団
小山由美 (mezzo-soprano)
1. マーラー: 交響曲第3番ニ短調

第3番はとても久しぶりな気がして、記録を見ると前回聴いたのは2012年4月のビシュコフ/LSOですから、もう3年ぶり。テミルカーノフを初めて聴いたのもちょうどそのころでした。

先日のコバケン/読響の「復活」が期待外れだったので、ロシア最後の巨匠テミルカーノフのタクトに読響がどこまでくらいつけるか、期待と不安相半ばでしたが、結果はまずまず良い方向にころびました。9本に補強したホルンが「この曲の要は我々」と意識し、最後までコケずに踏ん張ったのが良かったと思います。第1楽章は冒頭からしてゆったりと濃厚な味付けで、まるでマゼール先生級のヘンタイ演奏。のっけからこれでは、後半のオケの息切れが心配です。

結構燃え尽きてしまった第1楽章を終え、軽くチューニングを直してから始まった第2楽章が、これまたロマンチックなハイカロリー表現。第3楽章では舞台裏のポストホルンを含め、管楽器のソロはもうちょっとしっかりして欲しいと思った今日このごろ。オケが最後まで持たないと見たのか、このあたりからテミル翁がギアチェンジしてくるのを感じ取りました。

第4楽章が始まる前に後ろ扉から合唱団が入場しましたが、何故かメゾソプラノ小山さんは演奏が始まってから静々と歩いてくるという、意味がよくわからない演出。しかも、正直な感想を申しますれば、歌はちょっといただけない。ドイツ在住のワーグナー歌いとのフレコミですが、わざわざドイツから呼んでくる値打ちはあったんでしょうか。オケの方はポルタメントなしのあっさり表現でサクサク進んでいきます。第5楽章は女声と少年少女合唱による天使の歌ですが、見たところ少年は4人だけで残りは全て女性。これが意外にもオケを食うくらいのしっかりしたコーラスで、ロンドンにそのまま持って行っても十分通用するハイレベル。終楽章も前半のヘンタイがウソのように、引っかかりなく淡白な味付け。

全体として一定のバランスをとった演奏と言えますが、第1楽章の調子で最後まで行ってくれたら、オケは破綻していたかもしれませんが、怖いもの見たさというか、それはそれで面白かったのにとは思いました。しかし、細かいことを除けば、久々に納得感のある演奏会に満足しつつ会場をあとにしました。やっぱりテミル翁はこのような大曲が似合います。

小林/読響:「炎のコバケン」オケに点火せず2015/04/24 23:59

2015.04.24 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
小林研一郎 / 読売日本交響楽団
小川里美 (soprano), Anne-Theresa Møller (mezzo-soprano)
東京音楽大学合唱団
1. マーラー: 交響曲第2番ハ短調「復活」

2月のヤマカズ/日フィルがチケット買っていたのに結局用事でいけなかったので、そのリベンジで聴いてみました。ハンガリーでは最も有名な日本人であるコバケンを前回聴いたのは、もう10年も前になりますなー。

東欧では熱狂的に支持されていても日本のクラヲタにはどうもウケが悪い「炎のコバケン」さん、エモーショナルに盛り上げてスケールの大きい音楽を作るスタイルは決して嫌いじゃないのですが、オケが雑になりがちなのが、いつも残念。楽器の音を研ぎ澄ますということにはほとんど関心がないんだろうかと思います。今日も危惧していた通り、私の好みから言えば、オケの音が汚なすぎ。普段聴く読響の木管や弦は、もうちょっとスマートな音を出していたはず。ホルン、トランペットも思いっきり弱さを露呈して、長丁場聴くのは痛々しかった。終楽章の舞台裏バンダは当然舞台上の人々を超えるレベルではなく、最後にはその人たちも舞台に出てきてホルン、ペットが各々11本という大部隊になってましたが、音の「迫力」というのは決して楽器の数じゃないんだな、というのを再認識しました。コーラスが音大生のアマチュアながら、生真面目でしっかりと声の出た良い合唱だっただけに、オケがピリッとせず、残念でした。

譜面を立てず、自らの信じるままに音楽を揺さぶるコバケン流「俺のマーラー」は、結果が伴えば、凡百の演奏には及びもつかない感動を呼び起こす音楽になりえるかもしれませんが、その期待に応えてくれるオケには巡り合えるのでしょうか。コバケンが80歳を超えてもまだかくしゃくと活躍していたとして、突如ベルリンフィルに招かれ人気を博し、その後死ぬまで「巨匠」として崇められるという、ヴァントのような晩年を送ってくれる世界は来ないかなと、楽しい妄想をしてしまいました。

読響/下野竜也/小森(マリンバ):エネルギーのないマーラー2015/01/23 23:59

2015.01.23 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
下野竜也 / 読売日本交響楽団
小森邦彦 (marimba-1)
1. 武満徹: ジティマルヤ
2. マーラー: 交響曲第5番嬰ハ短調

今年最初の演奏会です。マーラーと武満という取り合わせは、翌日から始まる山田和樹/日フィルのマーラーチクルスをちゃっかり先取りしたかのようなプログラムですが、別に今年はどちらの記念イヤーでもないし、まああまり意味なく偶然なんでしょうね。

「ジティマルヤ」はマリンバ独奏とヴァイオリンを欠く変則編成のオケによる協奏曲風の作品。初めて聴く曲でしたが、指揮者の譜面台に置かれたスコアの巨大さから、どんだけ複雑怪奇で濃いいサウンドが出てくるんだと思いきや、一貫して室内楽的な透明感。不協和音がそのうち心地よく響いてくるような不思議な突破力があります。ただ、私は打楽器奏者の端くれでありながらマリンバにはどうも魅力を感じることがないので、引き込まれることもなく。

メインのマーラー5番はほぼ2年ぶり。下野さん、昨年のブルックナーが良かったので大いに期待したのですが、ちょっと期待外れ。指揮は懇切丁寧で、致命的な破綻はないし、むしろオケは大きい音でよく鳴っていたのですが、全体を通してどこか醒めた演奏。事故なく無難にこなす以上のことをやる気がないというか、完全に守りに入っていて、音の線も細い。曲の軽さがそのまま浮き彫りになってしまった、何とも面白みに欠ける演奏でした。やはりマーラー演奏は、オケと丁々発止しながら、予定調和ではないエネルギーの発揚を引き出すことが大事なのだな、という認識を強くしました。

退屈すると、興味は美人奏者探しに走ってしまうのですが、今日はホルン、トロンボーン、打楽器、チェロ、コンバス各々に若くて可愛らしい女性を見つけました。見慣れない顔だったので(まあ私は人の顔がなかなか覚えられないのでアテになりませんが)、皆さんトラだったのかも。

都響/インバル:集大成、マーラー/クック編の第10番2014/07/20 23:59

2014.07.20 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
1. マーラー: 交響曲第10番嬰へ長調(クック補完版)

インバルは今年の4月から桂冠指揮者に退いたので、大野和士が正式着任する来年4月まで都響の音楽監督は空位なんですね。それはともかく、今日(と明日)の演奏会は、インバル/都響が2012年から取り組んできた第2次マーラー・チクルスの番外編で、「ありがとうインバル」の送別的意味合いが強いです。

3月の第9番はたいへん充実した演奏でしたが、今日もまた、驚くべき完成度に仕上げてきたこの人たちには降参するしかありませんでした。特に第1楽章の集中度は、先のフルシャのときと比べても明らかにテンションが違います。もったいぶらずに冒頭から本題をサクサクと語っていくような進行で、大仰にテンポを揺らしたり、音量を極端に押さえつけたりという彫りの深い表現がなかった分、このアダージョが全く新たな大曲の開始というよりは、第9番の終楽章から繋がった音楽であることを意識させるプロローグになっていたかと思います。

第2楽章が終わると小休止を入れ、インバルはいったん引っ込みました。チューニングをやり直すと、第2楽章で多少緩んできたかに聞こえた音が、短い第3楽章のプルガトリオで再びキリっと瑞々しさを取り戻しました。その後は最後までブレークなしで緊張感を切らさず進みます。太鼓叩きとしては聞き逃せない、終楽章の大太鼓連打では、わざわざそれ専用に深銅の2台目を用意。奏者は女性でしたが、黒布をかぶせてミュートした、ドライで腹に突き刺さる強打は立派なもの。終演後、ティンパニよりも先に立たされる大太鼓奏者というのも珍しいことです。また、大太鼓強打にかぶさるフルートは、京大オケ出身の主席寺本さんが渾身の濃密ソロを聴かせてくれました。ホルンとトランペットは、若干きつい箇所もありましたが総じて素晴らしいできばえで(インバルのときは魔法のように音色が変わり、音が確実になります)、指揮者が真っ先に立たせ讃えたのも納得できる健闘ぶりでした。このように管・打楽器が光ったのも、最後まで集中力が切れなかった弦アンサンブルのリードがあってのこそ。私も正直第1楽章以外は退屈に思っていたのですが、最後まで飽きることなく聴き通せました。指揮者のタクトが下ろされた後、いつものように叫びたいだけ人のウソくさいのとは違って、心から絞り出されたようなブラヴォーがとっても印象的でした。

さて、久々に100%日本で過ごした今シーズン(欧州に倣い9月開幕でカウント)は、ライブビューイング3件を除くと結局22回の演奏会に行きました。月平均2回のペースは最盛期と比べたら3分の1以下ですが、何としてもこれを聴いておかねば、という動機付けが極端に難しくなった環境の中で、まあまあ精一杯の数字でした。在京プロオケの様子はだいたいわかったので、来シーズンはさらに厳選して通うことになりそうです。

インキネン/日フィル:いにしえの解釈、マーラー6番2014/06/27 23:59

2014.06.27 サントリーホール (東京)
Pietari Inkinen / 日本フィルハーモニー交響楽団
1. シベリウス: 交響詩《夜の騎行と日の出》
2. マーラー: 交響曲第6番《悲劇的》

すいません、このインキネンというフィンランドの若い指揮者は名前も知りませんでしたが、経歴を見るとロンドンとは縁がなかったよう。本職はヴァイオリニストみたいです。このプログラムは2011年に行うはずが、東日本大震災のおかげで中止になり、3年を経てようやく実現したファン待望の演奏会とのことだそうです。そのわりには空席が目立ってましたが。

1曲目、シベリウスのこの曲は初めて聴きます。著名度ベスト3と言えるフィンランディア、第2交響曲、ヴァイオリン協奏曲の後に作曲された最壮盛期の作品ですが、どうも私はシベリウスが苦手というか、よくわかりません。突き放して接してしまうと着想の退屈さを感じるばかりで、よっぽど体内リズムと合わないのかなあと思わざるを得ない。タイトルのごとく馬が疾走する場面の音楽がキレ悪く、インキネンさん、大仰な指揮ぶりでバトンテクは優秀なんだろうけど、もうちょっと縦線はそろえてくれんかのー。

最初はLAゾーンで聴いてたのですが、がら空きだったので休憩時間に下の席に移動。メインのマーラー6番は特によく聴きに行く曲ですがこのところチャンスがなくて、実演は2年前のBBCプロムス(シャイー/ゲヴァントハウス管)以来です。スローペースの行進曲で始まった第1楽章は、やはり縦の線がおおらか。今回金管はなかなか頑張っていて、特にホルンのトップは単に巧いというよりもさらに上位の、世界で通用する「音」を手中にしている素晴らしい奏者と思いました。

中間楽章の順序はスケルツォ→アンダンテといういにしえのスタイル。ここ10年の間に聴いた演奏を思い起こすと、スケルツォ→アンダンテを取っていたのはハイティンク、マゼール、ビシュコフ、ヴィルトナー、その逆のアンダンテ→スケルツォはハーディング、シャイー、ビエロフラーヴェクでした。スケルツォ→アンダンテのほうが若干多めですが、判断は二分されていると言ってよいでしょう。ただしインキネンのように若い指揮者がスケルツォ→アンダンテを採用するのは珍しいと思います。

楽章を追うごとに指揮者も奏者もどんどん疲弊してきて、まず木管が先に脱落、ピッチが合わなくなってくきてヤケクソ気味の音になっておりました。最後に意表をつかれたのは、3回目のハンマーが正しく初稿通りの第783小節で打ち下ろされたこと(手持ちのCDだとバーンスタインが3回目のハンマーを叩かせてますが、楽譜指定とは違う第773小節でした)。中間楽章の順序は未だ両者の解釈がせめぎ合う中、ハンマーを3回叩くのはさすがに昨今の実演ではほとんど聴かれなくなっていると思います。私も実演では他に記憶がありません。小ぶりのハンマーを両腕を使い刀を振り下ろすかのごとくぶっ叩くのは、なかなか気持ちのよい瞬間でした。

全体的には、息切れしながらも最後までよくがんばった演奏、と言えそうですが、オケの力量の上限を見てしまったのもまた事実。ただそれよりも、インキネンは北欧人らしいシュッとした若者のくせに、やってる音楽が「昭和」(「前世紀」というよりもこのほうが年代的にもしっくりきます)の大家風の域を出ず、もちろん本人はまだ「巨匠」では全くないので、求心力も包容力も深みも貫禄も、まだまだこれからの話。何が一番気に入らなかったかと言えば、まあそんなところです。

余談ですけど、私はNAXOSレーベルへの録音実績を誇らしげに経歴に書き込むアーティストは大成しないと思ってます。自分は容易に置き換え可能な存在です、と自ら表明するようなもので、芸術家の姿勢としては、むしろ恥ずかしげに隠すものではないのでしょうか。(今回の場合、日フィルのプログラムに載っているインキネンの経歴が本人承諾の文章なのかはわからないので、評価は保留してますが。)

マゼール/フィルハーモニア管のマーラー交響曲シリーズ第2弾2014/05/25 23:59


没後100年の2011年にロンドンのロイヤルフェスティバルホールにてライブ録音されたマゼール/フィルハーモニア管のマーラー交響曲全集。4、5、6番の3曲を収めた第2弾のCDセットが届きました。第1弾から7ヶ月、このペースだと第3弾(おそらく7〜9番)、第4弾(おそらく10番、Erdeと歌曲集)までたどり着くのは来年でしょうかね。

まだざっと一通り聴いただけですが、豪快に音を外していた第6番のトランペットは、やっぱり直ってる(^^)。アンディ師匠のティンパニの破壊力、特に第5番の3楽章ですが、しっかりディスクに収められてます。

当時書いたレビューを見ながら、貴重な体験を懐かしく反芻したいと思います。

読響/カンブルラン/デミジェンコ(p)/エイキン(s):マーラー4番、ほか2014/04/19 23:59


2014.04.19 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
Christian Ostertag (guest concertmaster)
Nikolai Demidenko (piano-2)
Laura Aikin (soprano-3)
1. シェーンベルク: 弦楽のためのワルツ
2. リスト: ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
3. マーラー: 交響曲第4番ト長調「大いなる喜びへの賛歌」

昨年末にバルトークを聴いて、ちゃんと仕事をしてるなという好印象だったカンブルランと読響。元手兵の南西ドイツ放送響からゲストコンマスを迎えたのも、自分の音楽を妥協なく響かせたいとの芸術の良心と捉えました。ところが聴き手のワタクシ自身は、土曜日のマチネで普段より寝不足ではなかったはずなのですが、溜まっていた週の疲れがどっと出て、前半戦はほとんど沈没していたという体たらく。1曲目はシェーンベルクが無調になる前のゆるキャラ小品で、こいつが一気に眠りを誘いました…。次のソリストのデミジェンコは3年前にロンドンで1度聴いていますが、あまり音が澄んでいないのに小技中心の内向きなピアノに、これまた睡魔が勝ってしまいまして…。アンコールで演奏されたメトネルの「おとぎ話」という小品が、すっかりリラックスしていて良かったです。メトネル自体を知らなかったので後で調べてみると、ロシア出身だがロンドンに移住して活躍したというのがデミジェンコと共通点なんですね。

というお恥ずかしい状況で、何とか物が言えるのはメインのマーラーだけなのですが、この日はとにかくローラ・エイキンを聴きたいがために正面席のチケットを買いました。新婚旅行のウィーンで、ほとんど人生初めてと言える本格的オペラ体験が国立歌劇場で観た「魔笛」だったのですが、そのとき「夜の女王」で拍手喝采を一手に集めていたのが、まだメジャーでは駆け出しの頃のエイキンでした。その後のエイキンが「ルル」でブレークしたのは認識していましたが、けっこう長かったヨーロッパ音楽鑑賞生活の中でも何故かニアミスすらなく、名前もほとんど忘れていたところ、今回思いがけずその名前を見つけ、これは行かねばならぬと。

カンブルランのマーラーは多分ブーレーズみたいなんだろうかと想像していたら、よく考えるとブーレーズの4番は聴いたことがなかったです。冒頭の鈴はリタルダントにつき合わずフェードアウト。その後もインテンポですいすいと進んで行きますが、弦がいちいちレガートが利いててやけに美しいです。ブーレーズと言うより、まるでカラヤン。途中フルートのユニゾンの箇所も濁りが一切なく完璧な美しさ。ユダヤの粘りなどまるで関係ない洒落た演奏でしたが、第1楽章に限って言えば、思わず拍手をしたくなったくらい、世界のどこに出しても恥ずかしくない素晴らしい演奏でした。それが第3楽章まで来ると、チューニングもけっこう乱れてきて、だんだんとグダグダになってきました。うーむ、馬力勝負の曲じゃないのに、やっぱりスタミナがないんかなあ…。弦は相変わらず統率が取れていて良いんですが、全体的にテンポの揺さぶりに着いていけず引きずってしまう箇所が散見されました。終楽章は待望のエイキン。想像よりもずっと老け顔で、だいぶ身体にも貫禄がついてきて、普通のオペラ歌手としたら全然標準でしょうけど、「ルル」をやるにはちょっともう厳しいかと。記憶に残っているような圧倒的な歌唱を期待したのですが、さすがにコロラトゥーラで売っていたころとは違い、すっかり枯れた味わいでした。調子が悪かったのかもしれませんが、高音が伸びず、声が通らないところを老獪な表現力でカバーする、という感じでした。第1楽章のテンションを維持してくれてたら、という思いがあるので後半は辛口になってしまいましたが、全体を通して良質の演奏ではあったと思います。体力が残っていたらこの後川崎に移動し、当日券狙いで東京交響楽団のマーラー9番を聴きに行こうと考えていたのですが、けっこう満足したし、身体がかなり疲れていたのでハシゴは止めました。

さて土曜日マチネの客層はシニア世代の率が非常に多かったです。それは別にいいとしても、何故あんなに演奏中に物を落とすか。あっちでカラン、こっちでバサリと、手元のおぼつかない人が多くて閉口しました。落とす可能性のあるものはバッグにしまい椅子の下に置いておく、演奏中にアメを探してバッグをまさぐらない、というのは、マナーにうるさい日本じゃなくても常識だ、と思いたいです。

オスロフィル/V.ペトレンコ/諏訪内(vn):これが青春だ!の「巨人」2014/03/19 23:59


2014.03.19 サントリーホール (東京)
第33回 東芝グランドコンサート2014
Vasily Petrenko / Oslo Philharmonic Orchestra
諏訪内晶子 (vn-2)
1. モーツァルト: 歌劇『フィガロの結婚』序曲 K.492
2. メンデルスゾーン: ヴァイオリン協奏曲ホ短調 Op.64
3. マーラー: 交響曲第1番ニ長調「巨人」

オスロフィルも、ワシリーのほうのペトレンコも、生は初めて聴きます。この1週間で3回目のサントリーホールですが、行けなくなった人からチケットを譲ってもらい、予期せず久々に「欧州の息吹き」に触れることができてラッキーでした。

今日は東芝グラコンですからゲストも豪華、開演前に突如三枝成彰が出てきて長々と曲目解説してました。モーツァルトの説明では演目と全然関係ない「レクイエム」発注の逸話を持ち出して、「今話題のゴーストライターだったんですね」などと茶化してましたが、この人、佐村河内守の交響曲第1番「HIROSHIMA」を、著名作曲家つまりスペシャリストの立場からいち早く絶賛していた、ある意味「共犯」だったのでは?

さてそのモーツァルト、軽いジャブで、ヨーロッパクオリティとしては至って普通なんでしょうが、さっそくその雰囲気に呑まれました。2曲目のメンデルスゾーンでは深紅の衣装の諏訪内晶子登場。諏訪内さんは3年前ロンドンで聴いて以来です。さすがにこの曲は弾き慣れていらっしゃるようで、テクニックは盤石で素晴らしい。2階席にもよく届く響きのいいヴァイオリンですなー。ある意味ドライで、音符の処理はたいへん上手いんだけれども、ソリストが伝えたいものがよくわからないというか、心が伝わって来ない演奏ではありました。アンコールはバッハの無伴奏パルティータの確か「ルーレ」でしたが、これはちょっと…。ツアーの疲れが出たかような揺らぎでピリッとしませんでした。

メインの「巨人」でやっとオケと指揮者の力量が測れます。おっ、第1楽章のリピートは省略か、今どき珍しい。どうも管楽器に名手はいなさそうです。木管は音に濁りがあるし、ホルンもちと弱いな。ヤンソンス統治の伝統か、弦はそれなりに厚いです。ワシリー君はそのイケメンぶりに似合って、なかなか格好のいいバトンさばきで、テンポ良くぐいぐいと進めます。ユダヤの血がどーのこーのは一切排除した、スタイリッシュで粘らないマーラー。その是非はともかく、ちょっと急ぎ過ぎで音の処理が雑に思える箇所が散在しました。まあしかし、「巨人」であれば十分に「アリ」なスタイルです。第2楽章も主題の1回目だけアゴーギグをかけて、あとはサラリとしたもの。第3楽章はさらに磨きがかかり、冒頭のコントラバスソロがこれだけ澄んだ音色で演奏されるのを初めて聴きました。終楽章も翳りなくあっけらかんとした、後腐れのない「これが青春だ」のマーラー「巨人」でした。最後の金管パワーは圧巻で、さすがヨーロッパのオケは基礎体力が違います。ツアーの日程見ると12日からほぼ毎日全国を飛び回っており、時差ボケもあってだいぶお疲れのはずなんですが、最後まで息切れしないのはたいしたものです。まだ一流とは言い難いところはいろいろあれど、こんだけの芸を見せられる日本人の指揮者と日本の楽団は、正直いませんよね、残念ながら。

アンコールはハンガリー舞曲の第6番。極端にアゴーギグをかませるそのスタイル、どこかで聴いたことがあるぞと思ったら、あっ、コバケンだった。そういえば今回の来日プログラムはショスタコ5番とマーラー1番だったのですが、この組み合わせは1979年のバーンスタイン/NYP来日公演を思い起こさせます(私は聴けなかったけど)。あるいは、「巨人」の後のアンコールでハンガリー舞曲第6番というのは、ヤンソンス/コンセルトヘボウの得意技でしたね。ワシリー君もちょっとずつ、いろんな先人巨匠の影響下にあるのかもしれません。

都響/インバル:渾身のマーラー9番2014/03/17 23:59

2014.03.17 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
1. マーラー: 交響曲第9番ニ長調

インバルのマーラーは、4年前にロンドンでフィルハーモニア管との「復活」を聴いて以来です。その時はフェスティヴァルホールのリアストール後方席だったので、ステージが遠くて音がデッドな上に、深く覆いかぶさった二階席のおかげで最悪の音響のため全然楽しめませんでした。今日もストールの後方だったのですがそこはサントリーホール、二階席が覆いかぶると言ってもフェスティヴァルホールより全然浅く、ブラス・打楽器が直に飛び込んでくる好みの音響で安心しました。

さて全体を通しての印象は、繊細で丁寧なマーラー。解釈はくっきりとしていてわかりやすい。例えば、タメるところは聴衆に「ここはタメである」とはっきりわからせるような演奏でした。それでも軽くなったり、下品になったりしないのは、楽器バランスとダイナミックレンジが適正にコントロールされていたから。緊張感溢れる第1楽章に続き、息抜きの第2楽章は写実的な田舎風。第3楽章の前で指揮者は一度袖に引っ込み、オケは軽くチューニングし直しましたが、多少くたびれてきていた音色が一転、再び研ぎすまされて光沢が出たのには感心しました。激しい第3楽章で音量が爆発しても、金管は一貫して柔らかい音を出していたので、日本のオケでこれだけ余裕のある演奏もなかなか聴いたことがありません。第4楽章がこれまたドラマチックな入魂の熱演で、ホルンは地味ながらも頑張ったし、クライマックスで弦はボウイングなんか気にせず各人が粘る粘る。ラストの消えゆく弦の弱音は極めてデリケートで、最後まで集中力を欠かさない、たいへん上質の演奏でした。

今日のマラ9は、この曲のベストかと問われればYESと答えられないけれど、ここまで何回か都響を聴いてきて、一流の指揮者が指揮棒一つでしっかり自分の音楽を作れるだけの地力がオケにあるのだな、と思い知らされました。こんなこと、ロンドンでは当たり前だったかもしれませんが、ここらあたりじゃ全然当たり前じゃないという事実をふと思い出させる一夜でした。