古内東子/Reunion @コットンクラブ2024/09/27 23:59

2024.09.27 コットンクラブ (東京)
TOKO FURUUCHI "Reunion" [2nd show]
古内東子 (vo)
佐野康夫 (ds)
石成正人 (g)
小松秀行 (b)
中西康晴 (p)
草間信一 (key)

コットンクラブに来るのは2021年12月の南野陽子以来、3年ぶり。前回ここで古内東子を聴いたのは2013年11月ですから、もう11年も前の話になりました。月日の経つのは早いものです…。

その11年前の備忘録で、「古内東子と言えば血の通ったソウルフルなバンドサウンドも聴きたいもの。」と書いていた私にとって、今回の「Reunion」はまさに長年待ち望んでいた特別なライブです。古内東子さんはほぼ毎年のようにコットンクラブでライブをされていますが、デュオかトリオの弾き語りばかりだったので、もうフルバンドはやらないのかと残念に思っていましたが、デビュー31周年という半端な年に、突然の垂涎の企画。この小さい箱(失礼)で、しかも一夜限りはいかにももったいないけれど、ともかく激しいチケット争奪戦になるのは必至なので、気合いを入れて何とかチケット勝ち取りました。

今回は端的に言うと1997年発表の6枚目アルバム「恋」のレコーディングメンバーが27年ぶりに再集結するという企画で、セットリストを見ても、「恋」からの選曲が7曲、5枚目「Hourglass」から5曲、7枚目「魔法の手」から2曲の合計14曲という、セールス的にも一番成功していたその時期のリスナー世代をピンポイントで狙っていました。特に、小松秀行という(当時は)若くて才に溢れたベーシストが、オリジナル・ラヴを経て、サウンドプロデューサーとして全面的に支援したこれら古内東子のアルバムでその創作能力を一気に開花させていくプロセスは、同じくオリジナル・ラヴからやってきた佐野康夫をはじめとするバックミュージシャンたちの勢いあるプレイも相まって、その時代のその人たちだからこそ成し得た奇跡のように思います。MCで東子さん本人も、小松さんがいなかったら今の私はありません、と感謝を述べていました。

やはり小松・佐野のリズム隊が揃うからか、前の弾き語りライブのときより客層の男性率が高いように見えました。業界人っぽい集団、YouTubeで見たことある人などもちらほらと。まあしかし、今日の目当ては何と言っても念願の佐野康夫の生ドラム。正面でよく見える席だったのでラッキーでした。ドラムセットはワンタム、ワンフロアのシンプルな構成で、シンバルもクラッシュ2、ライド1のミニマムでしたが、ライドを多彩に活用したジャズっぽいプレイスタイルでした。また、元々ソウル系リズムの曲が多いから当然そうなるのですが、片手16ハイハットが延々と続く、ドラマーにとっては修行のような曲が続きます。90年代は金髪でキレキレ、やんちゃっぽい雰囲気だった佐野さんも、今や燻銀の渋さ。「星空」などバラード系ではスティックとブラシを両手で持ち、途中で左右入れ替えたり、レギュラーとマッチドの両グリップを使い分けたり、細かいところでテクニシャンぶりを発揮してました。落ち着いたドラミングが要求される曲が多かったところ、アンコールの超高速「宝物」と、やはり締めはこれしかない「いつかきっと」では手数全開グルーヴ満点のノリノリドラムで本領を見せつけました。

コットンクラブのサイズだとドラムの生音が大きめで、相対的に歌がちょっと聴こえにくかったのですが、どのみちほぼずっとドラムを凝視していたので気になりませんでした。MCで東子さんも言ってましたが、もちろん全然違うようにも演奏できる優れたミュージシャンたちですが、今回はあえて、これらアルバムを愛してくれた人々と想いを共有するために、当時のアレンジをほぼ再現する形で、満足度マックス、夢のようなステージを提供してくれました。古内東子とReunionバンドの人々には本当に感謝です。

セットリスト:
01. 悲しいうわさ/恋
02. 大丈夫/恋
03. ルール/Hourglass
04. 余計につらくなるよ/恋
05. そして二人は恋をした/恋
06. ブレーキ/恋
07. 星空/Hourglass
08. 月明かり/恋
09. 淡い花色/魔法の手
10. 誰より好きなのに/Hourglass
11. 心にしまいましょう/魔法の手
12. あの日のふたり/Hourglass
13. 宝物/恋(アンコール)
14. いつかきっと/Hourglass(アンコール)

パシフィックフィル東京:ラヴェル、バルトーク、レスピーギ、ストラヴィンスキーの擬古典作品集2024/09/07 23:59

2024.09.07 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
パシフィックフィルハーモニア東京
Henrik Hochschild (play & lead)
1. ラヴェル: クープランの墓
2. バルトーク: ディヴェルティメント BB118
3. レスピーギ: ボッティチェッリの三連画
4. ストラヴィンスキー: バレエ音楽「プルチネッラ」組曲

「パシフィックフィルハーモニア東京」は旧称「東京ニューシティ管弦楽団」が2022年に名称変更した在京9番目のプロオケで、どっちにしろ聴くのは多分初めて。昨年、「クープランの墓」が突如マイブームになり、ピアノ原曲、オケ編曲のいろんな演奏を聴き漁るうち、やはり実演で聴かぬことには、と思い探したところ、このコンサートを見つけた次第です。

本日のコンセプトは「ドイツ音楽界の重鎮が室内学的アプローチで導く、同時代を生きた4人の作曲家が描いた、精緻で鮮やかな音楽絵巻」とのことで、ラヴェル(1875-1937)、レスピーギ(1879-1936)、バルトーク(1881-1945)、ストラヴィンスキー(1882-1971)というまさに同世代の天才たちが擬古典的な形式を取り入れた小編成の作品が並んでいます。元より打楽器が登場しない演奏会などほとんど聴きに行くことがなく、それもあって今日はどれも大好きな作曲家たちにも関わらずこれらの演目を過去にほとんど聴いたことがなかったのですが、奇しくも去年から心がけている「念願の選曲を落穂拾いする演奏会」の一環になりました。

しかし、このような趣向は個人的には高く評価するのですが、一般ウケはしないだろうなと思っていたら、案の定、客入りは半分くらいで空席が目立ちました。今日の演奏会は指揮者を立てず、特別首席コンサートマスターのヘンリック・ホッホシルト(元ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管コンマス)の「弾き振り」による演奏になるのですが、実際には指揮行為は全くやらず、それどころか合図もほとんど出さず、まさにヴァイオリンの音とジェスチャーのみで楽団を引っ張る硬派なスタイルでした。最初登場したホッホシルトは、バティック(インドネシアの正装)とおぼしきキンキラのシャツで登場し、外見からして一人だけ異色に目立っていましたが、後でプロフィールを読むと現在ジャカルタのオーケストラでも音楽顧問をやっているようで、そういうことかと納得。

1曲目の「クープランの墓」は、第一次大戦に従軍したラヴェルが、戦死した知人たちを偲んで作曲したピアノ曲を後に自身で管弦楽版に編曲したもので、バロック音楽時代の形式を模倣した舞曲組曲になっていて、一見明るく華やかな曲調の中にも所々顔を出す憂いを帯びたハーモニーに何とも惹きつけられる名曲です。備忘録を見るとちょうど10年前に都響で聴いていますが、うーむ、ほとんど覚えていない…。今日のオケは弦が8-7-6-4-3の小規模な2管編成で、指揮者がいない分、安全運転気味の進行。ちょっと表情付けに乏しい気もしましたが、ピリオド系と思えばこれはこれで良いのかも。オーボエとトランペットを中心に管奏者の腕前が確かで、意外と言ったら失礼ですが、期待以上の少数精鋭で安心して聴いていられました。

次のバルトーク「ディヴェルティメント」は一度ロンドンでロイヤルカレッジの学生オケを聴いて以来。バルトーク好きの私も、これが演目に上がっている演奏会をフル編成のオーケストラではほとんど見たことがありません。弦楽合奏のみで、形式は古典的な合奏協奏曲を倣いながらも、内容はバルトークらしい民族色の強い旋律とリズムが特徴的な曲です。小編成ながらも弦の響きがオルガンのように重層的で、さすがに弦がよく鍛えられたオケだなと感じました。こちらも指揮者なしの影響か、角が取れて淡々とした演奏に終始し、バルトーク好きとしてはもうちょっとリズムをえげつなく際立たせて欲しかったところです。

休憩を挟んで3曲目のレスピーギは初めて聴く曲でした。いずれもウフィッツィ美術館に展示されているボッティチェッリの超有名な絵画、「プリマヴェーラ」「マギの礼拝」「ヴィーナスの誕生」をモチーフに作曲された交響詩で、こちらは古典から形式ではなくフレーズをいろいろと引用しているようです。ローマ三部作のような極彩色には届きませんが、小編成ながらもピアノ、チェレスタ、ハープに、グロッケンシュピール、トライアングルの金物打楽器を加えた効果もあり、コンサート前半の曲と比べると一気に色彩感が増します。また、テンポも頻繁に動くので、指揮者がいないと本当に大変そうな曲でした。それでもほとんど乱れることなく推進する音楽に、トレーナーとしてのホッホシルトの力量を見ました。多分これが一番練習した曲ではないかな。

最後の「プルチネッラ」は、昔から大好きな曲だったのですが実演で聴くのは初めて。ここまでは本来の指揮者スペースを空けて配置していたオケが、この曲ではそのスペースを詰め、ちょうど第1ヴァイオリンのコンマス、第2バイオリン、ヴィオラ、チェロのそれぞれトップが距離をぐっと縮めて弦楽四重奏をかたち作り、その周りをオケが取り囲むかのような配置になりました。もうこの曲に至っては指揮者なしでやる方が珍しいくらい複雑なスコアになってくるので、こまめなテンポ変化はなくやはり淡々とした印象とはなりました。しかしながら、ここでも管楽器が皆さん素晴らしかった。この曲は管のソロが肝で、ヘロヘロだととても聴いていられないのですが、ほぼ完璧な仕事に脱帽しました。弦も管も想像以上にしっかりしていて、普通にプロフェッショナルなオケでした。当たり前のようで、そう思わせてくれない演奏会も正直少なくないので…。しかし、今日のコンサートにはこの芸劇ホールは広すぎる。本来なら、文化会館の小ホールとか、もっとこぢんまりとしたスペースで聴かせるのが良かったでしょうね。


ノット/新日本フィル:ミッチー欠場で生まれた一期一会、マーラー「夜の歌」2024/08/02 23:59



2024.08.02 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2024
Jonathan Nott / 新日本フィルハーモニー交響楽団
1. マーラー: 交響曲第7番ホ短調『夜の歌』

ミューザ川崎のホールに来るのは6年前のサマーミューザ以来です。元々はこの演奏会、「道義Forever〜ラスト・サマーミューザ〜」と称し、今年限りで引退を表明した井上道義氏が各オケに客演しお別れ公演を行なっている引退ロードの一環だったのですが、本番3日前になって急性腎盂腎炎のためキャンセルになり、ジョナサン・ノットが代役で振ることがアナウンスされました。個人的には、引退ロードのチケットはこれしか取っていなかったのでミッチー最後の勇姿を是非拝みたかったところですが、誤解を恐れずに言えば、大方の聴衆の不満を払拭する「格上」の代役を充てることができた運営の調整力に敬意を表したいと思います。サマーミューザはホールの主催公演で、ノットはこのホールを本拠地とする東京交響楽団の音楽監督であり話を通しやすかったということと、7/27にサマーミューザのオープニングコンサートを振った後に少し滞在を伸ばしてもらうことで万が一に備えていたのだとは思います。結果的にノットと新日フィルの初顔合わせという話題性も生まれて、平日昼間のコンサートにも関わらず、今年の一番人気で早々に完売していた聴衆は、ほとんどキャンセルすることなく満員御礼の客入りでした。

マーラー大好きの私ですが、7番は聴く頻度が最も低く、のめり込める部分もほとんどないのが正直なところ。陰々滅々で退屈な第1楽章をどう乗り切って、「夜の歌」である第2楽章と第4楽章では繊細にメリハリを効かせ、最後の第5楽章は後腐れなくいかにパッションを全開するか、などというミッチー節を想定した聴きどころのプランを持ってはいたのですが、急場の代役でしかも初対面というハンデがありながらも、ノット指揮下の新日フィルは、パニクることなく、注意深く引き締まった演奏を聴かせてくれました。切れない集中力で金管のソロなどもほぼ完璧に切り抜け、すぐにバテてしまう新日フィルの印象を覆す、最後まで馬力を維持した好演だったと思います。弦楽器はチェロ、コントラバスを左に置く対向配置で、自分の席からは低弦がよく響き、重心の低い音場になっていたのは良かったのですが、その分ヴァイオリン、ヴィオラは馬力不足に感じました。またその分、第2、第4楽章できらきらしたメリハリはうまく出ず、全体的に重い感じが残りました。

終楽章冒頭で、ドイツ式配置のティンパニから叩き出されるアクセントの効いた硬質なソロは迫力満点。見た目ずいぶんと若い奏者でしたが、マレットをこまめに持ち替え、音色豊かなプレイが好感持てました。あとこの曲は、第1楽章冒頭のテナーホルン(一見ワグナーチューバかと思いましたが)や、マンドリン、ギターなど、長大な曲の中で少ししか出番がない奏者が何人もいて、ステージ上でずっと暇そうに待っているのは、お仕事とは言えちょっと気の毒に感じますね。

ノットの指揮は2015年に一度、バルトークやベートーヴェンを聴いていて、その時の印象は、唸り声が多くて、リズムの切れ味は鋭利とは言えず普通で、ちょっと前時代的な「遅れてきた巨匠」タイプの人かなと思っていましたが、概ね同じ印象でした。ただ、今日のようなマーラーの大作のほうが、大らかなフォルムの中でいろいろ仕掛けを打つことができて、持ち味が活きる面白い演奏になるんじゃないかと思いました。新日フィルとは初顔合わせだったのでどうしても慎重に探り合うような空気が一部あり、煽ってもオケが着いてこないような局面もいくつかあったように感じましたが、最後まで何十年来の相棒に対するタクトかのように引っ張り続けたのは、さずが百戦錬磨のベテラン。手兵の東響だともうちょっとスムースに一体感が出たのかもしれませんが、お初ならではの緊張感も、これはこれで良かったのでしょう。

緊張が解けてやっとノリが良くなってきた終楽章、最後のトゥッティが鳴り終わらないうちに、酷いフライング・ブラヴォーがありましたが、まあ、盛り上がっていたからいいか。しかし、演奏中からそわそわとタイミングを図り、絶対に誰よりも先んじてブラヴォーを叫ぶんだというその奇特なモチベーションは、私には理解不能ですが。ともあれ、満場の温かい拍手に包まれて、ノットもオケも一仕事終えた充実感を味わったことと思います。もちろん一般参賀あり。今回は、ミッチー欠場の大穴をその存在感で見事に埋めたノットに感謝ですね。

雛壇を上り奏者を称えるノット氏。


N響/沖澤まどか:実は苦手だったのか、フランス印象主義2024/06/14 23:59



2024.06.14 NHKホール (東京)
沖澤のどか / NHK交響楽団
Denis Kozhukhin (piano-2)
東京混声合唱団 (3)
1. イベール: 寄港地
2. ラヴェル: 左手のためのピアノ協奏曲
3. ドビュッシー: 夜想曲

コロナ禍以降、休憩なしの時間短縮演奏会だったN響の「Cプログラム」は、開始が遅くて料金も安かったので結構お気に入りだったのですが、来シーズンから通常モードに戻るためこれが最後のCプロです。ブザンソン指揮者コンクールの2019年度覇者、沖澤さんをまだ聴いたことがなかったし、最近多めになっている「念願の選曲を落穂拾いする演奏会」でもありますので、チケット買ってみました。

本日のプログラムは一言でまとめると「フランス印象主義」でありますが、年代的にも最初期の「夜想曲」から、もはや脱印象主義となったラヴェルの協奏曲まで、その歴史をコンパクトに辿る旅になっています。このあたりのフランス音楽は打楽器が多くカラフルで、絶対的に好みで間違いないのですが、記録を見るとそれほど多数聴いてないことに気づきました。イベールの代表作「寄港地」も実演は30年以上ぶりになります。前回は学生時代に初めてロンドンを訪れた際、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでデュトワ/モントリオール響を聴いた時以来です。

沖澤さんはアー写で見ると顔に圧があって、もっと男勝りな印象でしたが、実際は小柄で華奢、雰囲気も女性らしい柔らかさがありました。昨年から京都市交響楽団の常任指揮者になった先入観からか、確かに公家さんっぽい雰囲気があるなと思ったのですが、生まれ育ちは青森とのこと。指揮は至って真面目なスタイルで、動きに無駄がなくスムース、ちょっと悪く言うと遊びのスキが全くない感じです。フランス印象主義の管弦楽は楽器が多い割にローカロリーな曲が多く、ダイナミックレンジをいかに広く取れるかが一つの命綱だと思っていますが、その点はちゃんとオケを統率する力を持っていると思いました。終曲のリズムもキレとタメがバランス良く、緩急の変化も難なく振りこなせる感じです。ブザンソン優勝は単なる登竜門に過ぎず、その後いろんなマスタークラスを受講して研鑽を積んできただけあって、テクニックは確かなものだと感心しました。

次のラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」は、実演で聴くのは初めてです。もう一つの両手のピアノ協奏曲と比べてCDを聴く回数も少ないですし、正直何が凄いのかがもう一つわからない曲だったのですが、実演を見ると、何よりこれを左手一本で演奏しているのが凄いのだということがよくわかりました。ソロパートが貧弱にならないよう鍵盤の端から端まで縦横無尽に音を使い、おかげで腕の跳躍がハンパないので、視覚的にも見応えがあります。両手が健常なピアニストがこればかり演奏したら身体壊しそう。当然ながらこの曲を両手で演奏するのは反則なわけで、右手はやることありません(楽譜を置いていればそれをめくるくらいの役には立ちそうですが)。手持ち無沙汰な右手で何度も髪を掻き上げる仕草をしていたのが印象的でした。今日のソリスト、ロシア人のデニス・コジュヒンは沖澤さんと同い年だそうで、指揮者ならまだまだ若手の年齢でもピアニストだともうバリバリの中堅で、レコーディングもそれなりにあり、日本では山田和樹/スイス・ロマンドとの同曲ディスクで知られていますが、メジャーにはなりきれていない立ち位置。アンコールでは、ヒマな右手にずいぶんフラストレーションが溜まっただろうに、どれだけのテクニックを見せびらかしてくれるのかと期待したら、チャイコフスキーの「子どものアルバム」から「教会にて」という静かな小品だったので拍子抜けしました。リストやショパンではなかったのは、一つのロシア人の矜持でしょうか。

最後は女性合唱が加わっての「夜想曲」。曲を追うごとに打楽器が少なくなっていき、色彩感が落ち着いてきます。この曲を実演で聴くのは、記録を見ると3回目なのですが、過去2回(2006年ハンガリー国立フィル、2012年ロンドン響)の記憶がほぼない。確かにだいぶ苦手な部類というか、かなりの確率で寝てしまう曲なので、果たして今日はというと、やっぱり終曲まで持ちませんでした、すいません。朧げな感覚ながら、女性合唱は神秘的というには粒立ちがありすぎたし、ダイナミックレンジの点でも最後の方はちょっと力尽きている気がしました。ただ一つ、N響の木管はどのパートもソロが素晴らしく、今たいへん充実しているのではないかと思います。あと、前から気になっているチェロ最後列の女優のような美人さんはたいへん目が安らぎます…。


都響/インバル:第1000回定期演奏会はブルックナーの「未完成交響曲」補筆完成版2024/06/04 23:59

2024.06.04 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
第1000回定期演奏会
1. ブルックナー: 交響曲第9番ニ短調
 第1〜第3楽章(ノヴァーク版)
 第4楽章(2021-22年SPCM版)[日本初演]

都響の記念すべき第1000回定期演奏会は、桂冠指揮者インバルを迎え、ブルックナー第9番のSPCM版第4楽章付き(日本初演)といういかにもスペシャルな選曲。通常演奏される第3楽章まででもゆうに1時間あり、さらに長大な最終楽章が付くので、当然ながら休憩なしの1曲プログラムでした。今回の補筆完成版は2022年11月にロンドンフィルで世界初演されたそうですが、そこから1年半、他の在京オケもおそらく狙っていたでしょうから、都響はよくこの1000回記念の日に演奏権を取れたものです。

ブルックナーはそんなに好んで聴く方ではないのですが、例外的に第9番はそれを目当てに聴きに行きたくなることがあります。とは言っても記録を辿るとここ10年で今日が3回目に過ぎません。前回は5年前の都響(大野さん)、その前はさらに5年前で読響(下野さん)、どちらも日本のオケの限界を感じずにはおれなかった演奏でした。その点、今日はインバルなので期待が高まります。よく考えるとインバルのブルックナーを聴くのはCDも含めて初めてだったのですが、低音を効かせた上に繊細に整えられたオケのバランスが絶妙で、奇抜な小細工一切なし、ゆったりめのテンポと相まって非常にスケールの大きさを感じさせる演奏でした。ブラスもやたらと鳴らすだけではなく強弱のメリハリに気を使い、第3楽章までヘタれることなくトゲのない音圧を見事にキープしていました。さすがインバル先生。

そして問題の第4楽章。ラトル/ベルリンフィルの2011年SPCM改訂版のCDは持っていたので、どのような曲かは先に知っていました。今日演奏されたのはそこからさらなる検証と改訂を加えたバージョンなのですが、ほとんど差異はないように思いました。マニアの人ならこの補筆完成版について語れることがもっといろいろあるのでしょうが、全くの素人意見として言わせていただくなら、うーん、やっぱり何かしっくりこない。実演のほうが、ラトルのCDを聴いた時よりもさらに強くそれを感じました。オケの奏者にしてみても、何度も演奏経験がある第3楽章から、初めて演奏する第4楽章に間髪入れず繋げるのは、どうしても緊張感、手探り感、自信の後退が無意識にも滲み出てしまうのは避けられないでしょう。オーケストレーションにもバランス的に重心が若干高くなったように感じられましたし、曲の構成としてカタルシスを感じさせる要所がない(あったとしても弱い)ように思いました。

SPCM(サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカ)の40年にも渡る綿密な研究努力には頭が下がる思いですが、この補筆版第4楽章は、学術的には興味深い取り組みである一方、音楽的には蛇足である、という批判はまだ払拭はできない、と正直感じました。今日あらためて思ったのは、第3楽章は、マーラー第9番の最終楽章をちょっと彷彿とさせる弦楽合奏で始まったりするものだから、長大な交響曲のフィナーレ・アダージョとしての風格を十分備えているようにも思えてしまうのだけれども、作曲者にはこれがフィナーレのつもりは全くなく、まだこの先の続きがある音楽だったんだな、ということでした。しかしこの補筆第4楽章がその延長線上にあるかと言えば、軸がちょっと違うように思えてなりません。一つの要因はむしろ、SPCM版の取り組みが学術的誠実さに基づいていて、補筆者の芸術的野心などは一切排除して(その姿勢は絶対に正しい)、ブルックナー本人が残した断片を丁寧に修復していった結果だからではないかと。作曲者の霊感を100%近く再現するにはまだまだ情報量が足りない(もしかするとそれは永遠に無理なのかも)のだと思います。今後、生成AIなどを駆使したアプローチが出てくるのでは(すでにやられている?)と思いますが、意外と最大公約数的な解はそのような「邪道」から出てくるのかもしれませんね。

ところで話は最初に戻り、日本の他のオケの定期演奏会はいったいどのくらい回数を重ねているのだろうか、確かN響は去年2000回をやってたなあなどと、ちょっと気になったので調べてみました。この2024年6月4日の時点で主要オケのサブスクリプションコンサートの最新ナンバリングは以下の通りです。

NHK交響楽団 2012回
東京都交響楽団 1000回
東京フィルハーモニー交響楽団 999回
日本フィルハーモニー交響楽団 760回
東京交響楽団 720回
京都市交響楽団 689回
読売日本交響楽団 672回(名曲シリーズ)
新日本フィルハーモニー交響楽団 656回
大阪フィルハーモニー交響楽団 578回

まあ、この数字が演奏会履歴の総数というわけでもありませんし、だから何だというオチは特にないのですが…。東フィルは、オペラやバレエの伴奏、各種カジュアルコンサート、テレビ出演などをこなしながらのこの数字は素直に凄いなと。

マエストロ・ルイージとN響による「ローマ三部作」は予想を超えた凄演2024/05/12 23:59

2024.05.12 NHKホール (東京)
Fabio Luisi / NHK交響楽団
1. パンフィリ: 戦いに生きて[日本初演]
2. レスピーギ: 交響詩「ローマの松」
3. レスピーギ: 交響詩「ローマの噴水」
4. レスピーギ: 交響詩「ローマの祭り」

大管弦楽の作品が何よりも好物な私に取って、レスピーギのローマ三部作は正真正銘のど真ん中なのですが、毎年どこかでやってる、三部作を全部やってしまう演奏会には今まで食指が動いたことはありませんでした。理由は二つあって、一つ目は、このように安直な名曲プログラムを振る(振らされる?)人はたいがい「一流の指揮者」には見えないから、二つ目は、パワープレイが苦手な日本のオケにこの3曲を一晩でやり切る体力があるとは思えないからでした(バテバテの「祭り」なんて聴きたくない!)。ですので、一昨年N響の主席指揮者に就任したばかりの「マエストロ」ルイージをまだ生で聴いてなかったこともあり、お国モノのローマ三部作を惜しみなく一気にやってくれるというこの演奏会は千載一遇のチャンス。

天候も良くタイフェスティバルで大盛況の代々木公園の喧騒を掻き分け、NHKホールに到着。日曜マチネだったので客層が比較的若く、満員御礼でした。1曲目のパンフィリ「戦いに生きて」は2017年のまさに同時代の作品で、初演の指揮者は他ならぬルイージ。解説を読むと、「ベートーヴェンとヴェルディを結ぶ《戦い》をイメージ」したと、ちょっと意味不明なことが書かれておりましたが、実際に聴いた印象も、ベートーヴェンとヴェルディを結ぶ線上のどこにも当てはまらない、もっと先の時代のレスピーギを連想させる、派手な色彩感が特徴の曲でした。ここはまあ、日本初演ということもあり、軽くジャブ。

続く「ローマの松」は、出だしからしてルイージのマジックが炸裂して、非常に見通しのよい音場をホール最上階にまで届けます。低弦からヴァイオリン、さらに木管、金管と目まぐるしく推移していく音列がくっきりと重奏的に響き、ぐしゃっと混ざった濁りが全くありません。これが終始一貫続くのでたいへんに心地よく、ルイージが巨大オケの整理に極めて優れているのはすぐにわかりました。「ジャニコロの松」エンドの鳥の鳴き声は、明らかにスピーカーではない方向からこれまた非常に立体的に聴こえてくるので「レコードもここまで進化したのか」と思ったら、奏者は見えませんでしたが客席で鳥笛を吹いていたとのこと。

それにしてもこの日のN響の集中力の高さは特筆もので、「松」だけでなく「噴水」「祭り」まで一貫して、数多くの難所が待ち受ける管楽器のソロを皆が皆、ほとんど外すことなく吹き切ったのには驚きました。バンダ(多分ゲスト)がたくさんいたのでその効果もあるのでしょうが、普段なら必ず途中でヘタってしまう金管も全く破綻せず、凄みのある音圧を最後までキープ。こんなに気合の入ったN響は聴いたことがなく、他にはキュッヒルがコンマスの時の東京春祭「ワーグナー・シリーズ」くらいです。三部作はどれも良く知っている曲なのでむしろ細かいところなどもうどうでもよく、予想を良い意味で裏切り、これだけ上質の音響空間をホールに終始満たしてくれたことに感謝です。

今日の収穫として、ルイージ/N響は「当たり」の期待値がたいへん大きいと感じました。来シーズンもマーラーを中心にぜひチケットをゲットしたいと思います。こんなことなら昨年末の「千人の交響曲」も無理して聴きに行けばよかった…。


今だからこそ「祈り」の音楽:読響/カンブルラン/金川真弓(vn)2024/04/05 23:59



2024.04.05 サントリーホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
金川真弓 (vn-2)
1. マルティヌー: リディツェへの追悼
2. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番
3. メシアン: キリストの昇天

今シーズンの読響でカンブルランが来るのはこの日だけのようなので、何はともあれ買ったチケットです。バルトーク以外は馴染みがなかったものの、カンブルランらしい東欧とフランスを取り混ぜたプチ玄人好みのプログラム。客入りはちょっと空席が目立つ感じでした。

1曲目はナチスドイツから逃れて米国に亡命したマルティヌーが、ドイツ軍が起こしたチェコ(ボヘミア)の小村リディツェの虐殺事件を題材に書いた小曲で、タイトルからして初めて聴く曲です。亡命チェコ政府に将校を暗殺されたことに激怒したヒトラーが、犯人を匿った(とされた)リディツェの掃討を命じ、男性200人は銃殺、女性と子供300人は強制収容所送りとなって、村が壊滅したという酷い話です。この時期、あえてこの曲をプログラムに乗せるのはいろいろと含みがあるでしょう。重苦しく始まり、途中でベートーヴェンの「運命の動機」が鳴り響いたりもしますが、悲痛な音を続けるわけではなく、どちらかというと祈りと癒しのような音楽でした。

バルトークのコンチェルトは最も頻繁に聴きに行く曲の一つで、前回は2022年の都響でした。金川真弓さんは1994年生まれの米国籍、現在はベルリン在住の若手ヴァイオリニストで、チラシで時々名前が目に入りますが、演奏は初めて聴きます。この曲は奏者によってガラリと表情が違ったりして聴き比べが非常に楽しいのですが、金川さんはゆっくりとしたテンポで非常に端正に弾くスタイル。音色は終始綺麗で澄んでいて、あえて荒っぽくワイルドに弾きたがる人も多い中で、先生の模範のような演奏でした。カンブルランも小細工なしでソリストにぴったり合わせてきます。過去に聴いた中では、ジェームズ・エーネスが近いスタイルでしょうか。民族色などあえて考えずにスコアと真摯に向き合うことで、この曲に内在する自然の力強さが逆に浮き彫りになってくるのが面白く、真の名曲だとあらためて思いました。

メインの「キリストの昇天」は、メシアン初期の代表作だけあって有名ですが、メシアンはあまり自分のカバー範囲ではないので、ほぼ初めて聴く曲でした。メシアンが独自に見出した「移調の限られた旋法」に基づいて作られており、いわゆる現代音楽とは一線を画する独特の音響感があります。フルの3管編成のオケながら、全員で演奏する時間は極めて短い、コスパの悪い曲。第1楽章の金管コラールからして、いちいちアタックがブレる上に音も濁り気味で、ブラスが弱い日本のオケにはなかなか厳しいものがありました。弦楽器は前半暇で、後半やっと出番が増えたかと思いきや、終楽章は弱音器を付けて、一部の奏者のみでミニマルでストイックな音楽に終始します。うーん、奏者には苦行のような曲で、達成感なさそう。しかしよく考えると、神に捧げる音楽に俗世の達成感は関係ないでしょうから、邪念にまみれた自分を恥じ入りました。

ということで、演奏よりも曲自体の感想に終始してしまいましたが、選曲にも、演奏のクオリティにも、さすがカンブルランの演奏会にハズレはありません。次のシーズンはもうちょっと来てくれたら良いなと。

ストライキで幻と消えた、ハンガリー国立歌劇場:「フニャディ・ラースロー」2024/03/22 23:59



前日のオペラ/オペレッタ・アリアのコンサートで軽く予習をした後、11年ぶりの国立歌劇場でエルケル「フニャディ・ラースロー」を観劇する計画だったのですが、何とその140年の歴史にして初めての歌劇場スタッフのストライキにぶち当たり、結局観ることができませんでした。

ローカルニュースや公式Facebookではストライキに突入したという情報は(当然ハンガリー語オンリーで)出ていたようなのですが、旅行前ならともかく、旅行中の旅行者はそんなものなかなかチェックできません。

オペラ座に着いてみると、やけに人が少ない。開演30分前になってもなかなか開場されず、15分前にようやく入場してみたら、客席は今まで見たことがないくらい閑散としていて、開演時間を過ぎても席は1割も埋まっておらず、オケピットにも全く人がいない。「フニャディ・ラースロー」はご当地ものなので、はて、こんなに不人気なオペラだったかなと思っていると、劇場の支配人とおぼしき人が出てきてマイクで何やらベラベラと話している。何を言っているのかさっぱりわからなかったところ、最後に英語で「オーケストラが来るまで20分ほどオペラ座の歴史を紹介したナイスなビデオをご覧ください」などと短く説明して、緞帳のスクリーンにビデオが投影されました。ここでようやくストライキではないかと思い当たり、スマホの電源を入れて(もちろん上演前に切ってますので)、劇場内なので弱い電波の中、オペラ座のホームページをチェックしてみると何やらハンガリー語のみのメッセージが出ていて、Google翻訳の助けを借り、やっと事態が飲み込めてきました。


ほどなくビデオ上映が終わり、再び支配人が登場。今度は英語なしでまた長々と言い訳がましい(意味はわからんけどそのように聞こえた)演説を続けた後、休憩に突入。ホームページのメッセージでは、もはや予定されていたフルの状態での上演は無理だがベストを尽くす、と書いてあり、これはもう時間の無駄であろうと判断して席を立ち、ボックスオフィスでリファンドを要求したら、チケット販売のWebサイトから手続きをしてくれ、とのこと。

後からいろいろとニュースサイトを探すと(それにしても英語の情報すらほとんど出ていない…)、前日21日の「ドン・ジョヴァンニ」からストに突入し、その日はピアノと限られた楽器による簡易伴奏で何とか上演はしたらしいのですが、大道具スタッフもいないため、22日はその「ドン・ジョヴァンニ」の舞台セットを残したまま、オケも結局来なかったので、休憩入れて4時間の長丁場のオペラを、ピアノ伴奏のみで1時間程度のハイライトで上演したとのこと。天井桟敷席に団体で来ていた学生さんみたいな人々がガラガラのストールやボックスに降りてきて、観客はそこそこ残っていたようです。翌日の「マイヤーリング」は公演キャンセルになり、翌々日の「ドン・ジョヴァンニ」マチネから何とか正常に戻ったそう。うーむ、ピンポイントでストライキにぶち当たってしまって、たいへんアンラッキーでした。こんなことなら「フニャディ・ラースロー」は20日のほうでチケットを取っておけばよかったと後悔しましたが、アリアのコンサートで先に予習をしてから、などと計算をしてしまったのが敗因でした…。あと、チケット代が速やかに返金されたのはまあよかったのですが、多少の為替差損が発生しました…。

おまけの写真です。エルケル・フェレンツの像。


オペラ座の豪華な内装。



ハンガリーのオペラ/オペレッタ・アリアの夕べ:MAV交響楽団2024/03/21 23:59

2024.03.21 Béla Bartók National Concert Hall (Budapest)
"Famous Opera Arias and Operettas"
Christoph Campestrini / MÁV Symphony Orchestra
Orsolya Hajnalka Rőser (soprano)
Gergely Boncsér (tenor)
1. エルケル: 歌劇「フニャディ・ラースロー」- 序曲、ようやく静かなひとときが、宮殿の踊り、美しい希望の光
2. コダーイ: 歌劇「ハーリ・ヤーノシュ」- 間奏曲
3. コダーイ: 歌劇「セーケイの紡ぎ部屋」- チタールの山の麓
4. エルケル: 歌劇「ドージャ・ジェルジ」- 兵器の踊り
5. エルケル: 歌劇「バーンク・バーン」- 二羽の小鳥、我が祖国(Hazam, Hazam)
6. ヨハン・シュトラウス2世: 喜歌劇「ジプシー男爵」- 序曲、バリンカイの入場、誰が誓ったの?
7. レハール: ワルツ「金と銀」
8. レハール: 喜歌劇「メリー・ウィドウ」- ヴィリアの歌
9. カールマン: 喜歌劇「伯爵令嬢マリツァ」- ウィーンへ愛をこめて
10. ヨハン・シュトラウス2世: 喜歌劇「こうもり」- チャールダーシュ
11. ヨハン・シュトラウス2世: ポルカ「ハンガリー万歳!」

完全なオフとしては実に11年ぶりに、家族旅行でブダペストに行ってきました。いつものごとく、滞在中のコンサートを各会場一通り調べて、そんなに目玉演奏会が目白押しという週でもなかったので、今回はオーケストラ1つ、オペラ1つに厳選してチケットをゲット。このところの超円安でも、ハンガリーフォリントのレートはまだ上がり方がマシですが、ブダペストの物価そのものが、かつて住んでいたころと比べると3〜5倍になっているので、決してお安い旅行ではなかったのですがそれはまた別の話として。

バルトーク国立コンサートホールは2011年11月の旅行中にブダペスト祝祭管を聴いて以来です。今回も祝祭管を取ろうか迷ったのですが、演目がマタイ受難曲だったので家族イベントとしてはちょっとキツイかなと思い、それよりも日本では絶対に聴けないであろう、ハンガリーご当地オペラアリアを集めたお気楽コンサートのほうを選びました。しかしこの演奏会、当初の発表では指揮がメドヴェツキー・アーダーム、ソプラノはシュメギ・エステル、テナーはコヴァーチハージ・イシュトヴァーンという、かつてオペラ座でよく聴いていた懐かしい人々だったので、たいへん楽しみにしていたのですが、蓋を開けてみるとよりによって3人が3人ともこぞってキャンセル、全然知らない面々に代わっておりました。詐欺だー、と叫びたいところですが、皆さんもう若くないので(メドヴェツキーとシュメギは病欠)、まあ仕方がありません。

MAVとはハンガリー国営鉄道の略称ですが、第二次大戦末期の1945年設立とのことで、ヨーロッパの中ではそれほど老舗という方ではありません。れっきとしたプロのフルオーケストラで、国内中心に地道にシーズンプログラムをこなす一方、対外的には「ブダペスト・コンサート・オーケストラ」を名乗り、1999年の三大テノール公演@東京ドームの伴奏なんかもやっています。過去に1回だけ聴いていて、備忘録を辿ると2005年の創立60周年イヤーでした。その後聴いていないのは、他に聴くべきものが多数ある中で優先順位が低かったから、としか言いようがありません。

余談になりますが、ハンガリーのオーケストラの名称は歴史の中で変化したり、国外用のネームを持っていたり、地方都市にもそれぞれオケがあり、けっこう混沌としていますが、Wikipediaにも網羅的な情報はありません。自分の知る限り、ブダペストを拠点とするプロオケは以下の7つ。順番は、まあ何となく個人的見解の実力順と思ってください。
・ブダペスト祝祭管弦楽団
・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団(旧:ハンガリー国立交響楽団)
・ハンガリー放送交響楽団(=ブダペスト交響楽団)
・ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団(≒ハンガリー国立歌劇場管弦楽団)
・コンチェルト・ブダペスト(旧:MATAV交響楽団=ハンガリー交響楽団)
・MAV交響楽団(=ブダペスト・コンサート管弦楽団)
・ブダフォキ・ドホナーニ管弦楽団

皆さんお初に見る本日のキャストですが、ソプラノのレーシェル・オルショヤ・ハイナルカ、テナーのボンチェール・ゲルゲイはどちらも40歳代でちょうど最盛期、国立歌劇場の第一線で現在活躍中の歌手のようです。レーシェルはトランシルヴァニア地方のコロジュヴァール(クルージュ・ナポカ)出身ということで、ネイティブハンガリアンかとは思いますが国籍はルーマニアかも。指揮者のクリストフ・カンペストリーニはオーストリア出身の56歳、壮年期のバレンボイムをちょっと連想させるとっちゃん坊やの風貌です。オペラもコンサートも何でも来い、世界中を飛び回る仕事人的な役回りのようで、堺シティオペラ「ルサルカ」の指揮で来日歴もあります。元々の発表キャストだったシュメギ、コヴァーチハージは今やどちらも還暦手前、御大メドヴェツキーに至っては80歳超えですから、出演者の若返りを良しとしつつも、やはり昔懐かしいオールドキャストでしみじみと浸りたかったという思いも残ります…。

オペラアリアの夜などという演奏会は、日本ではまず聴きに行くことはない、全くの守備範囲外です。しかし本日の演目は、前半がエルケル、コダーイの純正ハンガリーオペラ、後半はウィンナ・オペレッタからの選曲ですが、レハールとカールマンはハンガリー出身ですし、シュトラウス2世もハンガリーに縁のある曲ばかりで、終始一貫してハンガリーづくしなのが嬉しいです。客入りは、最上階以外はぼちぼち埋まっている感じで、見たところこれをわざわざ聴きに来る酔狂な観光客は他に見当たらず、客層は地元の年配者ばかりのようでした。

小柄なカンペストリーニが颯爽と登場し、まずは翌日オペラを観に行く予定の「フニャディ・ラースロー」の予習がてら、ちょっと長めの序曲から始まります。オケは約20年前に聴いた印象だったヘタレ感はなく、まあメンバーもだいぶ入れ替わっているでしょうから比較にはならんのでしょうが、弦の音色は多少ざらついていて野暮ったさがあったものの、期待以上にしっかりした欧州のオケです。前半はテナーが中心で、ボンチェールは実年齢よりもずっと若く見え、声も若々しく、ちょっと繊細な弱めの歌唱。しかし徐々に調子を上げて、前半ラスト、ハンガリー人が大好きな「Hazam, hazam」に至ってはオハコなのか実に堂々とした歌いっぷりで、やんやの喝采を受けていました(しかしオペラではお約束のリピートは無し)。コダーイのド民謡オペラ「セーケイの紡ぎ部屋」から登場したレーシェルは、恰幅の良いコロラトゥーラ・ソプラノで、技量も声量も申し分なく、美女とは言えませんが舞台映えするのでファンが多いと思います。前半の箸休め的「ハーリ・ヤーノシュ」間奏曲は、指揮者がハンガリー人ではないので土着の粘りは聴けず、節回しがやけにあっさりしていました。ここは願わくばメドヴェツキーで聴きたかったところ。

後半のウィンナ・オペレッタは、全く明るくない分野なのであまり論評もできませんが、ハンガリーに関係がある曲ばかりを揃えて、歌は原語ではなくハンガリー語バージョン(かつてのエルケル劇場ではそれが一般的でした)を採用し、ぐっとくだけた雰囲気で進行しました。歌手の二人も舞台さながらに踊りながらの歌唱。最後はニューイヤーコンサートでも時々聴くポルカ「ハンガリー万歳」で、歌無しでは終われないぞと思ったら、アンコールはシュトラウス2世「騎士パズマン」から「チャールダーシュ」と、もう1曲デュエット(多分またシュトラウス)のダメ押しで、大いに盛り上がりました。拍手は必ず拍子系になっていくのがブダペスト聴衆のクセですが、咳マナーが悪いのも20年経ってコロナ禍を経験した後でも相変わらず、あちこちで演奏中でも遠慮なくごっほんぐっしゃんやっていたのが、むしろ潔く懐かしかったです。

さらに余談ながら、かつてあったRoszavolgyiミュージックショップの出店がもぬけのカラになっていて、今年1月に閉店になったとのこと。いろいろと他には置いてない掘り出し物があったので物色する気満々だったのですが、残念。ここに限らずブダペストの街中でもCDショップはすでに絶滅危惧種になっていて、ダウンロードとサブスクが基本的に嫌いな私には寂しい世の中になりました(まあ日本でも事情は同じですが・・・)。

チョン・ミョンフン/東京フィル:あんたは偉い!「田園」と「春の祭典」2024/02/27 23:59



2024.02.27 東京オペラシティ コンサートホール(東京)
チョン・ミョンフン / 東京フィルハーモニー交響楽団
1. ベートーヴェン: 交響曲第6番『田園』
2. ストラヴィンスキー: バレエ音楽『春の祭典』

チョン・ミョンフンは2016年に一度聴いたきりで、また聴きたいとは思いつつもチャンスがなかったところ、今シーズンのプログラムに「田園&ハルサイ」というそそる演奏会を発見、忙しい時期なのはわかっていつつもついポチってしまいました。この「田園&ハルサイ」は、先日も書きましたが1981年に聴きに行った小澤征爾/ボストン交響楽団の来日公演と全く同じで、当然その思い出もあってこのチケットを買ったわけです。先日の読響演奏会といい、2月は奇しくも個人的にはディープな小澤征爾追悼月間になってしまいました。

東フィルは昨年聴きましたが、定期演奏会はほぼ初めてかもしれません。東フィルの定期はオーチャード、サントリー、オペラシティの3箇所で同じプログラムをかっきり3回ずつ繰り返す仕様になっています。オペラシティのコンサートホールもえらい久しぶりだなと思って記録を調べると、前回は何と16年前の2008年。ついでに、「田園」は12年ぶり、「春の祭典」も10年ぶりの実演ですので、何とも久々づくしの演奏会です。

会場はほぼ満員。まず「田園」は、わりと緩くおおらかな演奏。この曲を心象風景と捉えるか、描写音楽と捉えるかといったら、後者が多めの解釈で、狙いはカラフルな色彩感だったかと思いましたが、ホルンの音が硬いのと、全体的にキレがない、悪い時の東フィルという感じがしました。まあここはまだジャブというか、後半のハルサイとのバランスを考えて、重くならず腹八分目程度で抑える意図もあったのかと。

というのも、後半のハルサイが前半と真逆といっていいくらいキレキレの豪演だったからです。チョンは、田園は言うまでもなく、ハルサイまで譜面を置かず全て暗譜で振り切りました。前半とは打って変わってハイレベルのブラスセクションが鋭いリズムをキレよく刻み込みます。要のダブルティンパニは、ステージスペースの都合か変則的な配置でしたが何の支障もなく二人の息もピッタリ。チョンのタクトと一体になったオケのうねりもシンクロ率が極めて高く、こればかりは、今日が今回のプログラムの最終日であることが功を奏していたと思いました。期待を遥かに上回る完成度の高いハルサイで、終演後の満足げなマエストロと、団員が見せた「してやったり」のドヤ顔がそれを如実に物語っていました。アンコールは大太鼓の連打から第一部の終曲「大地の踊り」を再演。アンコールでここだけ演るパターンは初めて聴きましたが、どうもチョンがハルサイを振るときの定番のようです。それにしても、日本のオケでここまでのレベルを聴けるとは、チョンは今後も見逃せません。