都響/インバル:第1000回定期演奏会はブルックナーの「未完成交響曲」補筆完成版2024/06/04 23:59

2024.06.04 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
第1000回定期演奏会
1. ブルックナー: 交響曲第9番ニ短調
 第1〜第3楽章(ノヴァーク版)
 第4楽章(2021-22年SPCM版)[日本初演]

都響の記念すべき第1000回定期演奏会は、桂冠指揮者インバルを迎え、ブルックナー第9番のSPCM版第4楽章付き(日本初演)といういかにもスペシャルな選曲。通常演奏される第3楽章まででもゆうに1時間あり、さらに長大な最終楽章が付くので、当然ながら休憩なしの1曲プログラムでした。今回の補筆完成版は2022年11月にロンドンフィルで世界初演されたそうですが、そこから1年半、他の在京オケもおそらく狙っていたでしょうから、都響はよくこの1000回記念の日に演奏権を取れたものです。

ブルックナーはそんなに好んで聴く方ではないのですが、例外的に第9番はそれを目当てに聴きに行きたくなることがあります。とは言っても記録を辿るとここ10年で今日が3回目に過ぎません。前回は5年前の都響(大野さん)、その前はさらに5年前で読響(下野さん)、どちらも日本のオケの限界を感じずにはおれなかった演奏でした。その点、今日はインバルなので期待が高まります。よく考えるとインバルのブルックナーを聴くのはCDも含めて初めてだったのですが、低音を効かせた上に繊細に整えられたオケのバランスが絶妙で、奇抜な小細工一切なし、ゆったりめのテンポと相まって非常にスケールの大きさを感じさせる演奏でした。ブラスもやたらと鳴らすだけではなく強弱のメリハリに気を使い、第3楽章までヘタれることなくトゲのない音圧を見事にキープしていました。さすがインバル先生。

そして問題の第4楽章。ラトル/ベルリンフィルの2011年SPCM改訂版のCDは持っていたので、どのような曲かは先に知っていました。今日演奏されたのはそこからさらなる検証と改訂を加えたバージョンなのですが、ほとんど差異はないように思いました。マニアの人ならこの補筆完成版について語れることがもっといろいろあるのでしょうが、全くの素人意見として言わせていただくなら、うーん、やっぱり何かしっくりこない。実演のほうが、ラトルのCDを聴いた時よりもさらに強くそれを感じました。オケの奏者にしてみても、何度も演奏経験がある第3楽章から、初めて演奏する第4楽章に間髪入れず繋げるのは、どうしても緊張感、手探り感、自信の後退が無意識にも滲み出てしまうのは避けられないでしょう。オーケストレーションにもバランス的に重心が若干高くなったように感じられましたし、曲の構成としてカタルシスを感じさせる要所がない(あったとしても弱い)ように思いました。

SPCM(サマーレ、フィリップス、コールス、マッツーカ)の40年にも渡る綿密な研究努力には頭が下がる思いですが、この補筆版第4楽章は、学術的には興味深い取り組みである一方、音楽的には蛇足である、という批判はまだ払拭はできない、と正直感じました。今日あらためて思ったのは、第3楽章は、マーラー第9番の最終楽章をちょっと彷彿とさせる弦楽合奏で始まったりするものだから、長大な交響曲のフィナーレ・アダージョとしての風格を十分備えているようにも思えてしまうのだけれども、作曲者にはこれがフィナーレのつもりは全くなく、まだこの先の続きがある音楽だったんだな、ということでした。しかしこの補筆第4楽章がその延長線上にあるかと言えば、軸がちょっと違うように思えてなりません。一つの要因はむしろ、SPCM版の取り組みが学術的誠実さに基づいていて、補筆者の芸術的野心などは一切排除して(その姿勢は絶対に正しい)、ブルックナー本人が残した断片を丁寧に修復していった結果だからではないかと。作曲者の霊感を100%近く再現するにはまだまだ情報量が足りない(もしかするとそれは永遠に無理なのかも)のだと思います。今後、生成AIなどを駆使したアプローチが出てくるのでは(すでにやられている?)と思いますが、意外と最大公約数的な解はそのような「邪道」から出てくるのかもしれませんね。

ところで話は最初に戻り、日本の他のオケの定期演奏会はいったいどのくらい回数を重ねているのだろうか、確かN響は去年2000回をやってたなあなどと、ちょっと気になったので調べてみました。この2024年6月4日の時点で主要オケのサブスクリプションコンサートの最新ナンバリングは以下の通りです。

NHK交響楽団 2012回
東京都交響楽団 1000回
東京フィルハーモニー交響楽団 999回
日本フィルハーモニー交響楽団 760回
東京交響楽団 720回
京都市交響楽団 689回
読売日本交響楽団 672回(名曲シリーズ)
新日本フィルハーモニー交響楽団 656回
大阪フィルハーモニー交響楽団 578回

まあ、この数字が演奏会履歴の総数というわけでもありませんし、だから何だというオチは特にないのですが…。東フィルは、オペラやバレエの伴奏、各種カジュアルコンサート、テレビ出演などをこなしながらのこの数字は素直に凄いなと。

N響/沖澤まどか:実は苦手だったのか、フランス印象主義2024/06/14 23:59



2024.06.14 NHKホール (東京)
沖澤のどか / NHK交響楽団
Denis Kozhukhin (piano-2)
東京混声合唱団 (3)
1. イベール: 寄港地
2. ラヴェル: 左手のためのピアノ協奏曲
3. ドビュッシー: 夜想曲

コロナ禍以降、休憩なしの時間短縮演奏会だったN響の「Cプログラム」は、開始が遅くて料金も安かったので結構お気に入りだったのですが、来シーズンから通常モードに戻るためこれが最後のCプロです。ブザンソン指揮者コンクールの2019年度覇者、沖澤さんをまだ聴いたことがなかったし、最近多めになっている「念願の選曲を落穂拾いする演奏会」でもありますので、チケット買ってみました。

本日のプログラムは一言でまとめると「フランス印象主義」でありますが、年代的にも最初期の「夜想曲」から、もはや脱印象主義となったラヴェルの協奏曲まで、その歴史をコンパクトに辿る旅になっています。このあたりのフランス音楽は打楽器が多くカラフルで、絶対的に好みで間違いないのですが、記録を見るとそれほど多数聴いてないことに気づきました。イベールの代表作「寄港地」も実演は30年以上ぶりになります。前回は学生時代に初めてロンドンを訪れた際、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでデュトワ/モントリオール響を聴いた時以来です。

沖澤さんはアー写で見ると顔に圧があって、もっと男勝りな印象でしたが、実際は小柄で華奢、雰囲気も女性らしい柔らかさがありました。昨年から京都市交響楽団の常任指揮者になった先入観からか、確かに公家さんっぽい雰囲気があるなと思ったのですが、生まれ育ちは青森とのこと。指揮は至って真面目なスタイルで、動きに無駄がなくスムース、ちょっと悪く言うと遊びのスキが全くない感じです。フランス印象主義の管弦楽は楽器が多い割にローカロリーな曲が多く、ダイナミックレンジをいかに広く取れるかが一つの命綱だと思っていますが、その点はちゃんとオケを統率する力を持っていると思いました。終曲のリズムもキレとタメがバランス良く、緩急の変化も難なく振りこなせる感じです。ブザンソン優勝は単なる登竜門に過ぎず、その後いろんなマスタークラスを受講して研鑽を積んできただけあって、テクニックは確かなものだと感心しました。

次のラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」は、実演で聴くのは初めてです。もう一つの両手のピアノ協奏曲と比べてCDを聴く回数も少ないですし、正直何が凄いのかがもう一つわからない曲だったのですが、実演を見ると、何よりこれを左手一本で演奏しているのが凄いのだということがよくわかりました。ソロパートが貧弱にならないよう鍵盤の端から端まで縦横無尽に音を使い、おかげで腕の跳躍がハンパないので、視覚的にも見応えがあります。両手が健常なピアニストがこればかり演奏したら身体壊しそう。当然ながらこの曲を両手で演奏するのは反則なわけで、右手はやることありません(楽譜を置いていればそれをめくるくらいの役には立ちそうですが)。手持ち無沙汰な右手で何度も髪を掻き上げる仕草をしていたのが印象的でした。今日のソリスト、ロシア人のデニス・コジュヒンは沖澤さんと同い年だそうで、指揮者ならまだまだ若手の年齢でもピアニストだともうバリバリの中堅で、レコーディングもそれなりにあり、日本では山田和樹/スイス・ロマンドとの同曲ディスクで知られていますが、メジャーにはなりきれていない立ち位置。アンコールでは、ヒマな右手にずいぶんフラストレーションが溜まっただろうに、どれだけのテクニックを見せびらかしてくれるのかと期待したら、チャイコフスキーの「子どものアルバム」から「教会にて」という静かな小品だったので拍子抜けしました。リストやショパンではなかったのは、一つのロシア人の矜持でしょうか。

最後は女性合唱が加わっての「夜想曲」。曲を追うごとに打楽器が少なくなっていき、色彩感が落ち着いてきます。この曲を実演で聴くのは、記録を見ると3回目なのですが、過去2回(2006年ハンガリー国立フィル、2012年ロンドン響)の記憶がほぼない。確かにだいぶ苦手な部類というか、かなりの確率で寝てしまう曲なので、果たして今日はというと、やっぱり終曲まで持ちませんでした、すいません。朧げな感覚ながら、女性合唱は神秘的というには粒立ちがありすぎたし、ダイナミックレンジの点でも最後の方はちょっと力尽きている気がしました。ただ一つ、N響の木管はどのパートもソロが素晴らしく、今たいへん充実しているのではないかと思います。あと、前から気になっているチェロ最後列の女優のような美人さんはたいへん目が安らぎます…。