日本フィル/カーチュン・ウォン/福間洸太朗(p):「フラブラトラップ」も何のその、「木挽歌」と「悲愴」 ― 2023/11/25 23:59
2023.11.25 みなとみらいホール (横浜)
Kahchun WONG / 日本フィルハーモニー交響楽団
福間洸太朗 (piano-2)
1. 小山清茂: 管弦楽のための木挽歌
2. プロコフィエフ: ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 op.26
3. チャイコフスキー: 交響曲第6番《悲愴》 ロ短調 op.74
このところ「念願の選曲を落穂拾いする演奏会」が続きます。今日のお目当ては「管弦楽のための木挽歌」、この一択でわざわざ横浜までやってきました。元々この演奏会はラザレフが振る予定が来日中止になり、首席指揮者のカーチュン・ウォンが尻拭いを買って出た経緯があって、メインの「悲愴」以外の演目を差し替えた中になんと「木挽歌」が入っているのに気づくのが遅れてしまい、26日の東京芸術劇場はすでに別の予定を入れてしまっていたため断念、しゃーないのーと、6年ぶりに横浜みなとみらいホールへやってきたのでした。
シンガポール華僑出身のウォンは、2016年のマーラー国際コンクールで優勝した実力者の若手。来シーズンから英国ハレ管の首席指揮者も兼務するそうです。日フィルでは申し訳程度に武満を数曲演奏するだけではなく、それ以外の日本人作曲家も積極的に取り上げてくれているのがナイスです。今日の「木挽歌」も、昔はともかく、今は日本の指揮者ですら滅多に演目に上がらないのが非常に残念。
「木挽歌」は、9月に聴いた外山雄三「管弦楽のためのラプソディ」と同じく、大昔に部活のオケで演奏した思い出深い曲になります。レコードは3種類持っていますが、実演は一度も聴く機会がありませんでした。この曲は多彩な打楽器が使われる「ラプソディ」と違って、登場する和楽器は締太鼓と櫓太鼓のみ。演奏した当時の自分の担当は櫓太鼓でした。太い撥を持って、皮と枠を叩きつつ日本の祭のリズムを奏でていきますが、皮と枠がそれぞれ別々なので一人でやるのはけっこう大変。さてプロのお手前はと思って見ていたら、何と太鼓の両側から二人がかりで、一人は皮、一人は胴に専念して叩いてました。そうか、そうするものだったのか。一人でも演奏不可能ではないのですが、皮面を片手だけで連打するなど、和太鼓奏法としてはあまり見栄えがよろしくないので、今更ながらの発見です。後輩の指導もあって打楽器パートは全て自ら演奏できるよう叩き込んだので、大昔なのに今でも隅々まで頭に残っており、ティンパニ5台を使ったけっこう長尺の豪快なソロ(高々10小節ですがティンパニが主旋律でここまで引っ張るのはなかなか他にない)も含め、懐かしさはひとしおでした。
今日のプログラムでちょっと気になったのは、「フライング・ブラヴォー・トラップ」(と私が勝手に命名)が二つもある、ということ。「悲愴」の第3楽章は特に頻度が高く、盛り上がってダダダダンと終わった直後に思わず拍手、あまつさえブラヴォーを叫ぶ人もいたりする有名な「トラップ」ですが、マイナーながら「木挽歌」の終曲にも同様のトラップがあります。ウォンは最後うまい具合に音圧を頂点に持っていき、fffの全奏の後、一人だけffffのドラの響きが余韻として残る中、いつのまにか入ってきた低弦の上でバスクラリネットが静かに主題を回想するコーダが、今日は拍手に邪魔されることなく完璧に仕事を終えていました。自分の過去の経験では三度くらい人前で演奏したうち、毎回必ずバスクラソロの前で拍手喝采が起こっておりましたが、さすがに日フィルの定期演奏会、しかもソワレでは皆さんちゃんとマナーをわきまえていらして、フライング拍手は杞憂でした。ウォンの巧みなバランスコントロールと、「悲愴」で使うのとは別の小ぶりなドラを(多分わざわざ)用意したことも功を奏したのではないかと思います。何より、この曲をようやく生演奏で聴けたのが、本当に良かった。ウォンはなぜか、指揮者用の大判スコア表紙を終演後に何度も客席に掲げていて、彼自身もよほど気に入った曲なのでしょうか。
続くプロコフィエフのピアノ協奏曲は、特に避けていたわけでもないのですが、5曲もあるのに過去に聴いたのは第2番を1回だけでした。おそらく一番演奏されているであろうこの第3番は、ロシア革命を避けてアメリカへの亡命途上に滞在した日本で、芸者遊びをしていた際に聴いた長唄が第3楽章主題のヒントになったというエピソードが有名です。ただしこの小ネタは日本でだけ有名なんだそうで、実際に聴いた印象でも特にジャポニズムを感じるわけでもなく、それよりも快活でメカニカルなヴィルトゥオーソピアノと、最後のほうのフィリップ・グラスをちょっと彷彿とさせるミニマルミュージックっぽい展開が印象に残ります。福間洸太朗は初めて聴くピアニストですが、シュッとしたイケメン(年齢的にはイケオジか)タイプで女性人気が高そう。ピアノはあまりパワーを感じない軽めのテクニシャンという印象で、モーツァルトのほうがハマるんじゃないでしょうか。しかし、ウォンは見た限りこの複雑なスコアを乗りこなすことに腐心し、あまりソリストのほうを気にしていないようにも見えました。ちょっとピアノが浮いているように思えたのはそのせいかもしれません。
メインの「悲愴」はあらためて申すことはない著名曲ですが、気づけばインバル/都響で聴いて以来の5年ぶりです。この曲は指揮台を立てずに暗譜で、第3楽章まではいたって普通というか、オケのバランスには細心の注意を払いつつも、気を衒わないオーソドックスな進行。心配した「フライング・ブラヴォー・トラップ」も、「木挽歌」を切り抜けた今日の聴衆が引っかかるはずもなく、何事もなく最終楽章へ。ウォンはここで急にモードを変え、小柄な体格を目一杯動かして感情を表現し、全身でオケに揺さぶりをかけます。この曲はそもそもがそういう曲なので、ある意味これが正統派の解釈とも言えます。総じてクオリティの高い「悲愴」だったと思いますが、こういう超有名曲ならもっとクセのある演奏で聴けた方が個人的には楽しめるかなと。ウォンはバランス感覚に優れ、オケとの連帯感も感じられたので、良い人を連れてきたものだと思います。まだ若いし、じっくり腰を据えてくれたらよいのですが、いろいろ掛け持ちをしているので、引き留めるのは難しいのかもしれません。
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