チョン・ミョンフン/東京フィル:あんたは偉い!「田園」と「春の祭典」2024/02/27 23:59



2024.02.27 東京オペラシティ コンサートホール(東京)
チョン・ミョンフン / 東京フィルハーモニー交響楽団
1. ベートーヴェン: 交響曲第6番『田園』
2. ストラヴィンスキー: バレエ音楽『春の祭典』

チョン・ミョンフンは2016年に一度聴いたきりで、また聴きたいとは思いつつもチャンスがなかったところ、今シーズンのプログラムに「田園&ハルサイ」というそそる演奏会を発見、忙しい時期なのはわかっていつつもついポチってしまいました。この「田園&ハルサイ」は、先日も書きましたが1981年に聴きに行った小澤征爾/ボストン交響楽団の来日公演と全く同じで、当然その思い出もあってこのチケットを買ったわけです。先日の読響演奏会といい、2月は奇しくも個人的にはディープな小澤征爾追悼月間になってしまいました。

東フィルは昨年聴きましたが、定期演奏会はほぼ初めてかもしれません。東フィルの定期はオーチャード、サントリー、オペラシティの3箇所で同じプログラムをかっきり3回ずつ繰り返す仕様になっています。オペラシティのコンサートホールもえらい久しぶりだなと思って記録を調べると、前回は何と16年前の2008年。ついでに、「田園」は12年ぶり、「春の祭典」も10年ぶりの実演ですので、何とも久々づくしの演奏会です。

会場はほぼ満員。まず「田園」は、わりと緩くおおらかな演奏。この曲を心象風景と捉えるか、描写音楽と捉えるかといったら、後者が多めの解釈で、狙いはカラフルな色彩感だったかと思いましたが、ホルンの音が硬いのと、全体的にキレがない、悪い時の東フィルという感じがしました。まあここはまだジャブというか、後半のハルサイとのバランスを考えて、重くならず腹八分目程度で抑える意図もあったのかと。

というのも、後半のハルサイが前半と真逆といっていいくらいキレキレの豪演だったからです。チョンは、田園は言うまでもなく、ハルサイまで譜面を置かず全て暗譜で振り切りました。前半とは打って変わってハイレベルのブラスセクションが鋭いリズムをキレよく刻み込みます。要のダブルティンパニは、ステージスペースの都合か変則的な配置でしたが何の支障もなく二人の息もピッタリ。チョンのタクトと一体になったオケのうねりもシンクロ率が極めて高く、こればかりは、今日が今回のプログラムの最終日であることが功を奏していたと思いました。期待を遥かに上回る完成度の高いハルサイで、終演後の満足げなマエストロと、団員が見せた「してやったり」のドヤ顔がそれを如実に物語っていました。アンコールは大太鼓の連打から第一部の終曲「大地の踊り」を再演。アンコールでここだけ演るパターンは初めて聴きましたが、どうもチョンがハルサイを振るときの定番のようです。それにしても、日本のオケでここまでのレベルを聴けるとは、チョンは今後も見逃せません。

東京フィル/渋谷の午後のコンサート。はお祭り騒ぎとちょっぴりノスタルジー2023/09/18 23:59

2023.09.18 Bunkamura オーチャードホール (東京)
「第19回渋谷の午後のコンサート。」
角田鋼亮 / 東京フィルハーモニー交響楽団
園田隆一郎, 三ツ橋敬子 (piano-2)
1. ベルリオーズ: 序曲『ローマの謝肉祭』
2. サン=サーンス: 組曲『動物の謝肉祭』
3. レスピーギ: 交響詩『ローマの祭』
4. 外山雄三: 管弦楽のためのラプソディ

東フィルも、オーチャードホールも、実に7年ぶりです。東フィルのこの「午後のコンサート。」シリーズは、オペラシティかオーチャードホールで年に12回程度開催されている、リスナーの裾野を広げる目的のファミリーコンサートのような催しですが、選曲やコンセプトを見る限り、ターゲット層は子連れというよりもうちょっと大人向けに設定されているようです。実際今日の聴衆も、子連れファミリーもいましたがシニア層のほうが多かったように思います。

ファミリーコンサートは卒業してもう長く経ちますが、この演奏会に行こうと思い立ったのは何よりレアな選曲。「動物の謝肉祭」と「管弦楽のためのラプソディ」は有名にも関わらず普通の定期演奏会などでは逆にプログラムに上がることが極めて珍しい演目ですし、「ローマの祭」も仕掛けが大きいからか「松」や「噴水」より聴く機会が圧倒的に少ないです。

1曲目の「ローマの謝肉祭」、これは演奏会でもわりとよく聴くですが、切れ味鋭く幸先の良いスタート。続く「動物の謝肉祭」では本職は指揮者の園田氏、三ツ橋氏がピアニストとしてゲスト参加。この贅沢なキャスティングの意味は曲の後のトークで明らかになったのですが、今日の指揮者の角田氏と三ツ橋氏、それと東フィルコンマスの近藤薫氏を加えた3人は東京芸大の同級生で、園田氏も彼らの少し上の先輩だそうで、皆さん親しい旧知の仲ということでこの出演が実現したそうです。演奏前に簡単な説明があったものの、1曲ごとに止めて解説をするというスタイルではなく、さらっと一気に最後まで流したので、余韻を楽しむ間もなくあっという間に終わってしまいました。第11曲の「ピアニスト」では、2台のピアノで向かい合った園田、三ツ橋両名が曲の趣旨に合わせてわざとズッコケたヨタヨタ演奏を披露。小編成のオケなので弦楽器はピアノの後ろに隠れてしまい、著名な第13曲「白鳥」はどうするのだろうと思っていたら、川藤幸三似と青木功似のチェリストのうち、青木さんのほうが楽器を持ってすくっと立ち上がり、三ツ橋さんの座っていたピアノの長椅子に、お尻で彼女を押しのけるようにずんと座って笑いを取った後に、たいへん美しい「白鳥」を聴かせてくれました。さすがプロのチェリスト、この曲はしっかり押さえてますね。

前半のアンコールとして角田、園田、三ツ橋の3名が一つ椅子に狭しと並んで、ラフマニノフの「6手のためのワルツ」を演奏。この後、ゲストの二人は「ローマの祭」でもピアノパートを担当。本当に仲良さそうな人達でした。

休憩後の「ローマの祭」は、「別格に好きなクラシック曲」の一つなのですが、実演で聴くのは9年ぶり。だって、なかなかやってくれないんだもの。生涯でもまだ5回目くらいかな。いやー、やっぱりこの音の洪水は、後腐れなく楽しめて良いですね。ホルンがちょっとヨレってたのを除けば、この難曲をさらっとやってしまった東フィルは今がけっこう充実期にあるのかもしれません。マンドリンは隠れ屋バーの寡黙なマスターみたいに渋いおじさんが異彩を放っていました。エンディングのSosutenutoの金管コラールからStringendo moltoで一気に加速し、コーダのPrestoに繋いでいく箇所は、スコア通り徐々に加速していく人と、初演者のトスカニーニに倣ってStringendo moltoから急に倍速にする人がいますが、角田氏は前者でした。タヴォレッタは小洒落た楽器化されたものではなく、大きな木の板を吊るしてガンガン叩いていたので、まあよく響くこと。打楽器がどんどん増えていって畳み掛けるように終わるラストでも、タヴォレッタがこんなに鳴っていたのかと、新鮮な発見がありました。

最後の「管弦楽のためのラプソディ」は、くしくも7月に亡くなった外山雄三氏の追悼になってしまいました。今日はこの曲を生で聴くためにはるばる渋谷にやって来たと言っても過言ではありません。元々がN響の海外公演のアンコールピース用に作曲された曲であり、国内の定期演奏会でわざわざこの曲をプログラムに上げるオケは見たことがなく、かと言って海外で聴いた日本のオケが演奏してくれた体験もなく、このようなファミリー系の演奏会が数少ないチャンスになります。

実はこの曲は大昔に部活のオーケストラで演奏したことがあり、非常に思い出深い曲でもあります。入部してまだキャリアも浅かった私の担当は「団扇太鼓」。その名の通り団扇のような木枠に皮を張った胴なしの太鼓で、左手で支えて右手に持った撥で叩きます。当然片手だけでリズムと強弱を刻むしか手がない楽器なのですが、冒頭から「トントコトントントコトコ」の繰り返しで16分音符の5連打が出てきて、先輩にどうやるんですかと聞いたところ、薬指と小指を駆使してダブルストロークからさらに3つ足すのだ、という返答。ダブルストロークのオープンロールは基礎練習のメニューにあるものの、片手だけでそんな超人的なことできるかい、と疑念を持ちつつも夏休みに来る日も来る日もひたすら練習していたら、一人では厳しくても二人でユニゾンしていたら何となく形になるようになってきました(スコア上では団扇太鼓は3つ必要)。うんうんあの時は苦労したよなあ、でもプロの打楽器奏者はどれだけ鮮やかな5連打を見せてくれるのだろうかと楽しみにしていたら、何と、団扇太鼓の柄の部分を股に挟んで、両手で皮を叩いているではありませんか!両手使っていいなら全く何てことはないフレーズなので、あの苦労は何だったんじゃー、と肩透かし。

とまあ団扇太鼓の思い出話はともかく、この曲は他にも拍子木、締太鼓、チャンチキ、鈴、キン(お経を上げる際にゴーンと鳴らす仏具)など和楽器満載で、しかもどれも小型なので確かに海外公演にも持って行ける便利さが配慮されています。日本人なら誰でも知っている「あんたがたどこさ」「ソーラン節」「炭坑節」「串本節」が恥も外聞もなく展開されますが、よく聴くとそれぞれの旋律が複雑に絡み合ったカオスっぷりは「ローマの祭」の「主顕祭」にも通じるものがあります。いったん落ち着いて、フルートがエオリアントーンで息を多めに漏らしながら尺八っぽく「追分節」を切々と奏で、静寂を破る拍子木の刻みの後、「ハッ」の掛け声から再び打楽器の祭囃子が始まり、盛大に「八木節」を歌い上げた最後はイントロの拍子木連打に戻ってジャジャジャン。いやー、くだらないと言えばそれまでですが、愛すべきニッポンの代表曲です。余談ですが「ハッ」の掛け声はスコアに記載はなく、昔の録音にもこんなのは入ってなかったと思うので、NAXOSの「日本作曲家選輯」(2002年)あたりが先駆けになりますかね。

アンコールでは祭のハッピを羽織った角田氏が登場し、拍子木の刻みから「八木節」を再演。盛り上げようと聴衆の手拍子を誘いますが、この曲はテンポもリズムも実は一定ではないので、ちょっと難しかったかな。ともあれ、今日は念願のラプソディが聴けただけで大満足、いろいろと思い出を反芻しつつ、明日からまたがんばるぞーと、前向きのパワーをもらった演奏会なのでした。

新国立劇場バレエ:ロメオとジュリエット(マクミラン版)2019/10/19 23:59

2019.10.19 新国立劇場 オペラパレス (東京)
新国立劇場バレエ団「ロメオとジュリエット」
Martin Yates / 東京フィルハーモニー交響楽団
Kenneth MacMillan (振付)
小野絢子 (Juliet), 福岡雄大 (Romeo),
奥村康祐 (Mercutio), 貝川鐵夫 (Tibolt),
福田圭吾 (Benvolio), 渡邊峻郁 (Paris)
1. プロコフィエフ: ロメオとジュリエット(全3幕13場)

マクミラン版のロメジュリを生で見るのはほぼ8年ぶり。バーミンガム・ロイヤルバレエから装置と衣装を借りているだけあって、舞台の雰囲気はなかなか忠実に再現されていましたが、盲点は、かつら。娼婦のドレッドヘアがいかにも安っぽく興ざめでした。こういう細部もケチらず仕上げて欲しいと思います。

ほぼ余談ですが、マキューシオのパンツが肌色だったので、舞台の照明下では下半身すっぽんぽんに見えてしまい、一度そう見えるともはや修正が効かず、彼が出てくるたびに可笑しさがこみ上げてきてダメでした。

新国バレエは久々に見ますが、さすがに初日のキャストだけあって、ダンサーは皆しっかりと粒ぞろいで、足を引っ張る人は誰もいません。街の喧騒や舞踏会の場面で、端の方の小芝居にも手抜きがないので、いっそう舞台が引き締まっていました。ちょっと固さを感じたのは、初日だからか。マンドリンの踊りでロメオに絡んでくる女の子が色気があって良かったです。

ジュリエット役のプリンシパル、小野絢子さんは、ポワントの軽さやステップの完璧さが際立って素晴らしかったです。ただ、巧さが前面に立ってしまって、ベテラン臭というか、熟女感が出ていて、第1幕でジュリエットの少女感が希薄でしたが、第3幕は非常にハマっていました。

あとは、殺陣のリズムが音楽と上手く合ってなかったのは、ロイヤルほどは慣れてないせいですかな。オケは東フィル、指揮はロイヤルでもお馴染みだったバレエ専門のマーチン・イェーツ。東フィルは、バレエでは情けない演奏を聴かせることが多かったROHのオケよりも、だいぶしっかりしていたように思いました。

やはりどんだけDVDを見ようと、生演奏と生ダンサーの迫力に勝るものはなく、総じて満足した公演でした。しかし実を言うと、第1幕後の休憩時間に足元のおぼつかないじじいがスパークリングワインをグラスごとトレイから落として(というかほぼ吹っ飛ばして)、うちの家内の背中にたっぷりのワインが直撃、グラスの破片は床中に飛散、じじいは一緒にいた家族共々、喧騒を余所にそそくさとその場を離れてトンズラ、という事件があり、観劇気分はすっかりぶち壊されていたことを書いときます。ホールのスタッフは親切に対応してくれましたが、逃げたじじいとその家族は恥を知れ。二度とホールに来るなよ。

チョン・ミョンフン/東京フィル:チャイコフスキーの作品35&36番2016/07/27 23:59

2016.07.27 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
Myung-Whun Chung / 東京フィルハーモニー交響楽団
Clara-Jumi Kang (violin-1)
1. チャイコフスキー: ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.35
2. チャイコフスキー: 交響曲第4番へ短調 Op.36

職場が川崎に変わり、いまだかつてない程コンサートホールに近い環境で働いているにもかかわらず、ミューザ川崎って平日夜にはほとんど演奏会をやってないので、会社帰りに演奏会三昧などという淡い期待はそもそも妄想でした。とは言え、まったくゼロというわけではなく、7〜8月に行われる音楽祭「フェスタサマーミューザ」は貴重な狙い目。チョン・ミョンフンはまだ実演を聴いたことがない巨匠の一人でしたので、渡りに船、一石二鳥でした。

チャイコフスキーの作品番号が連続した著名2曲というプログラムのせいもあってか、客席はほぼ満員。1曲目のヴァイオリン協奏曲、ソリストは指揮者と同じく韓国系のクララ・ジュミ・カン。まあ所謂「韓流美人」ではありますが、脱色のきつい茶髪のオールバックは品位に欠け、28歳という年齢にしてはババ臭く見えるので、ちょっと考えたほうがいいと思います。演奏のほうは、4階席にも充分届くしっかりした音量でありながら、どこにも押し付けがましいところはなく、それどころか無味無臭の、蒸留水のようなヴァイオリン。テクニックは非の打ちどころなく上手いと思いましたが、何せ色がない。上手いなと感心させるその上手さがことごとくメカニカルな部分のみで、奏者としてはもうあまり伸びしろがないように思われました。指揮者が全体をコントロールしていて、「ミョンフンワールド」のチャイコンは完成度重視、ソリストは指揮者と闘うでもなく、ひたすらノーミスの仕事を心がけるかのようでした。天才ヴァイオリニストを姉に持つミョンフンと協演する人は誰もが萎縮してしまうのもいたしかたないですか。のっけの協奏曲から完全暗譜で臨むミョンフンは、終始前のめりで追い込むタイプで、オケもしっかり食らいついており、「え、これが東フィル?」と最初驚いたくらいヨーロピアン調のまろやかな音が心地よかったです。アンコールはバッハのラルゴ。

メインのチャイ4も、もちろんミョンフンは全暗譜。この人のオケのドライブは半端なく、決して反応が良いとは言えない東フィルを自由自在にゆさぶります。弦のフレーズは音符を並べただけではない「うねり」があり、管楽器にはアタック音を丁寧に取り除いた柔らかさがあります。金管のキズもほとんどなく、一貫して集中力の高いプロの仕事。初めて、東フィルを上手いと感じました。ミョンフンの統率力あってのことでしょうが、この組み合わせが良好な信頼関係を長年築けている証なんだろうと思います。終楽章は、最近の人はなかなか無茶をしないのですが、限界に挑戦するムラヴィンスキーばりの高速を責任持って引っ張り、ラストのアチェレランドのかけ方も圧巻。あまり期待してなかった分、たいへん納得できたチャイ4でした。正直言うと、顔が芸術っぽくないという全く幼稚な偏見で、あまり興味も持たなかった指揮者だったのですが、今日で認識が一変しました。この人はさすがに世界の一流です。

新国立劇場:松村禎三「沈黙」2015/06/28 23:59


2015.06.28 新国立劇場 オペラ劇場 (東京)
下野竜也 / 東京フィルハーモニー交響楽団
新国立劇場合唱団, 世田谷ジュニア合唱団
小原啓楼 (ロドリゴ), 小森輝彦 (フェレイラ)
大沼徹 (ヴァリニャーノ), 桝貴志 (キチジロー)
鈴木准 (モキチ), 石橋栄実 (オハル)
増田弥生 (おまつ), 小林由佳 (少年)
大久保眞 (じさま), 大久保光哉 (老人)
加茂下稔 (チョウキチ), 三戸大久 (井上筑後守)
町英和 (通辞), 峰茂樹 (役人/番人)
宮田慶子 (演出), 遠藤周作 (原作)
1. 松村禎三: 歌劇「沈黙」

このオペラは1993年の日生劇場での初演と、2000年の新国立劇場・二期会共催上演を見て以来ですので、15年ぶりの3回目になります。新国立劇場に足を運ぶのもえらい久しぶりで、前回来たのは2007年の「くるみ割り人形」でしたが、その年の夏に松村禎三氏は亡くなっていたのでした。

「沈黙」は日本のオペラの中では上演機会に恵まれているほうで、この宮田慶子版(2012年プレミエ)は3つ目のプロダクションのはずです。詳細はよく憶えていないものの、前にここで見たときの演出は、ひたすら暗かったのに、最後だけはまるで「白鳥の湖」のラストシーンかと思うくらい、取って付けたような天光が差してきて、分かりやすく神の救いを表現するというベタな演出でした。

一方今回の演出では、螺旋形で緩やかに上がっていく木製の回転ステージには巨大な十字架が刺さっており、シンプルながらも光と影を効果的に使ったシンボリックな舞台は、プロットがすっと身体に入ってきて好感が持てるものでした。音楽を邪魔しないというか、音楽の力が素直に引き立つよう作られており、一見根暗で前衛的なこのオペラが、そもそもいかにもオペラらしい劇的表現の宝庫かということがよくわかりました。不協和音の連続のようで、そこかしこに散りばめられる民謡、賛美歌、ムード歌謡まで、なんでもありのごった煮の世界。松村氏の他の作品と比べてサービス精神が突出しており、エンターテインメント志向が強い異色作です。見終わった後、晴れやかに劇場を出て行く、というものではなく、むしろ「どよーん」とした空気が何とも言えない作品ではありますが。

歌手陣は皆歌いなれた人たちで、危なげない歌唱で安心して聴いていられました。下野竜也と東フィルの演奏も穴がなく実に立派なものでした。演奏にどうしても熱が入ってしまうのか、頑張りすぎて時々歌をかき消していましたが。

日本を代表するオペラ作品だし、東西文化の衝突は題材としても海外向き。是非どんどん輸出して欲しいものです。ハンガリー語、チェコ語、ポーランド語のオペラ上演が欧米の主要劇場でちゃんと成立しているのだから、人口でははるかに多い日本語オペラの上演があっても不思議ではないですよね。まあ、日本人歌手をもっと輸出することが先決かもしれません…。

東フィル/井上/コヴァーチ(bs)/メラート(ms):青ひげ公の城(コンサートオペラ)2013/09/13 23:59


2013.09.13 東京芸術劇場コンサートホール
東京芸術劇場コンサートオペラ vol. 1
井上道義 (指揮・企画演出) / 東京フィルハーモニー交響楽団
Kovács István (Kékszakállú/bass-2)
Meláth Andrea (Judith/mezzosoprano-2)
仲代達矢 (吟遊詩人-2)
1. オッフェンバック (ロザンタール編): バレエ音楽「パリの喜び」より抜粋
2. バルトーク: 歌劇「青ひげ公の城」

多少涼しくはなっても蒸し暑さはまだまだ続く熱帯ニッポンですが、毎日3枚のタオルを常備して汗をふきふき、何とか生きてます。

さて、新生活も徐々に慣れてきて、やっと帰国後初の演奏会に行けたこともあって、ぼちぼちブログを再開しようと思います。もう住んでないのに「ロンドンの退屈な日々」もなかろうと、タイトルを思いつきで「Mind The Goat Cheese」に変えました。

東京芸術劇場のコンサートオペラシリーズ第1弾「青ひげ公の城」。芸術劇場の主催公演なので東フィルのWebサイトには情報が全然載ってなくて、ホールのサイトをたまたま見に行って見つけたのはラッキーでした。それにしても日本で早速「青ひげ公の城」を聴けるとは。思えば、以前ハンガリーから日本に帰って最初に行った演奏会はラ・フォル・ジュルネでバルトークでした。その後ロンドンに引越し、最初に聴いたのもプロムスでバルトーク。節目にはやっぱりバルトークですね。

東京芸術劇場は駅の真ん前にあって、どの席からもステージが見やすい作りなので割と好きなホールでしたが、もう10数年ぶりですか。改装のためここ数年閉鎖されていたようです。シンボルだった、一気に最上階まで上がる直線エレベータがなくなっていたのは驚きました。トイレに行こうとしてふと目に止まったのが、ブダペストのドナウ川沿いにあるものと同じ「小公女」の像。こんなのがあるとは知りませんでしたが、前にここに来た時はまだブダペストのことなど何も知らない時期でしたから、致し方なし。ともあれ、この「小公女」との思いがけない再会で、開演前から気分はもうハンガリーです。


芸術劇場の「小公女」像。作者はMarton Laszloです。


こちらは同じ作者による本家本元の「小公女」像。ブダペストの観光シンボルにもなってます。

1曲目「パリの喜び」は、まあ埋め草のようなもので、どうでもよかったんですが、まずは長過ぎるホールの残響に面食らいました。音が直線的なロンドンのホールに耳が慣れ切ってしまったんでしょうか、かなり前のほうで聴いたにもかかわらず彼方響いてくるような分離の悪さ。まあ、これはすぐに耳が慣れましたが、演奏自体は何ともテンションの低いもの。井上さんも小気味良く振り込んではいますが、何となくお仕事モードで強引にペースに引き込む気概はなかったようです。破綻はないので、まあバレエの伴奏にはROHのオケよりナンボかマシかも。

さて本題の「青ひげ公」ですが、何度も聴いたこの曲を日本語字幕付きで見るのは新鮮な体験です。最初の吟遊詩人の前口上は、名優、仲代達矢。もちろん日本語の前口上はCDラジオ含めても初めて。完全に暗転した客席後方から誘導員の小さい灯りを頼りにトボトボと歩いてきた仲代達矢、ステージに腰掛けると早速聴衆に「暗いね」「指揮者はどこ行った」などとぶつぶつ語りかけるメタ演劇っぽい演出(元々が「旦那様方、奥樣方」と語りかける前口上なのでメタフィクションとは言えませんが)。本来のテキストはかっちり決まっていますが、今回の日本語訳は、先の楽屋オチのようなものも含め、かなり自由に創作していました。後半盛り上げて幕開けを宣言するあたりではさすが一流舞台俳優の貫禄でしたから、最初の付け足しは余計。私的には、あくまでフォーマルに通して欲しかったです。

前口上の途中ですっと出てきた、頭の禿げ具合はフィッシャー兄弟そっくりな井上さん、出だしの民謡旋律がさっきとは一転して「おっ」と思わせる繊細さだったので期待が高まったのですが、出だしだけでした。私が持っていた東フィルのイメージは相変わらずで、終始キレが悪く自信なさげな演奏は、聴衆の心を掴むには力が全然足らないんじゃないかと。第2の扉の軍隊トランペットや第4の扉のフルートなど、ソロの見せ所でことごとく真っ向勝負を避けたかのようなごまかし演奏には、贅沢言っちゃいけないとは思いつつも、脱力してしまいました。もちろんやり慣れた曲ではない上に、リハの時間も十分に取れなかったのだろうとは思いますが、だから冒頭だけは念入りに仕込んだんかな。

頼りにならないオケとは裏腹に、というより今日のほとんど全てだったのは、メラート・アンドレアとコヴァーチ・イシュトヴァーンの遥々ハンガリーから呼んできた歌手陣。どちらも別々には過去「青ひげ公」を歌ったのを聴いておりますが、このペアでは初めてです。この人達がブダペストでこの曲をオハコとしていて、安心して聴けるのはわかっており、チケットを買ったのもほとんどこの2人が目当てだったのですが、歌唱は期待以上に素晴らしいものでした。コヴァーチは若くて細身なのに低音の利いた深い声で、ブレなく丁寧に、青ひげ公の秘めたる悲哀を表現していきます。浮つかず質実剛健な青ひげ公像はハンガリー人名歌手の伝統であり、彼の師匠のポルガール・ラースローを彷彿とさせます(ポルガールの生歌で結局聴けなかったのが残念です)。今イチオシの「青ひげ公」バスと言えましょう。一方のメラート(プログラムには「メラース」と書いてましたが間違いですね)も、節度を守った模範的なユディットで、メゾでありながらも高音域も奇麗によく伸びるダイナミクスの広い歌唱。一貫した「ためらい」がつぶさに表現されており、ベテランの芸に感服しました。第5の扉で叫びがなかったのは、これはまあそういう演出でしょう。特筆すべきは2人とも、弱々しくて厚みに欠けるこのオケにはもったいないくらい、十二分にホールを揺さぶる豊かな声量。バランスが取れていて、ダイナミックレンジも申し分なく、昨年(フィレンツェ)、一昨年(ロンドン)に聴いた付焼き刃的ペアとは明らかに一線を画するものでした。やっぱりこの曲はハンガリー語を母国語とする歌手でないと出せないニュアンスがあります。ハンガリー人なら誰でもOK、というわけではもちろんありませんが。

今日のコンサートパフォーマンスは照明の演出もありまして、特徴的な造形のパイプオルガンを上手く活用しようという意図は伝わりましたが、青とか赤の原色がチカチカするばかりで物語がなく、歌手が素晴らしかった分、照明はそのうちどうでもよくなりました。

今年は何と年末にもインバル/都響が「青ひげ公」をやり、ユディットを歌いにコムローシ・イルディコがやってくるとのことで、もちろん聴きに行きますよー。青ひげ公役のマルクス・アイヒェは全然知らない人ですが、「ドイツ人」の「バリトン」というプロファイルに一抹の不安が…。

おまけ。


ユニークな造形のパイプオルガン。


青ひげ公の椅子。

休憩時間にホールの中でちょっとだけ上の写真を撮っていたら、さすがニッポン、係員が早速やってきて、「撮影の許可はお持ちですか?」と。そんなの一般市民が持ってるわけなかろうが、いやらしい言い方すんなよ、と、ちょいムカ。別に奏者を撮るつもりはないんだし、注意するならストレートに「No photo!」と言ってくだされや。