俳句と打楽器が交差するミニマルな世界観:會田瑞樹(perc) ― 2025/03/15 23:59
2025.03.15 ムーブ町屋ムーブホール (東京)
俳句×打楽器:會田瑞樹パーカッションリサイタル
1. 會田瑞樹: 《一茶の俳句による打楽器のためのコンポジション》(新作)
2. 木下正道: 《旅心 〜種田山頭火の俳句による〜》(新作)
3. 佐原詩音: 《病牀六尺 〜四季めぐる 子規と夢みる 十四の句〜》(新作)
4. 国枝春恵: 《芭蕉の俳句における4つの時》(新作)
5. 松村禎三: 《ヴィブラフォーンのために 〜三橋鷹女の俳句によせて〜》(2002)
荒川区の2024年度支援事業「あらかわ文化イベント企画応援プロジェクト」で「俳句」をテーマにした企画公募により採択された演奏会の一つです。演奏に先立ち、會田氏自らこの企画の趣旨解説があり、自身が幼少のころから俳句に慣れ親しんでいたこと、上京後の初演奏会がこのムーブ町屋で荒川区とは縁が続いていること、日本現代音楽の黎明期を支えた指導者の池内友次郎が高浜虚子の息子にして自らも俳人であったことから、「荒川区にゆかりの俳句、俳人をモチーフに打楽器独奏用の新作を委嘱する」というアイデアを思いついたとのこと。
というわけで、本日のプログラムは出来立て新作4曲の初演のあと、松村禎三作品でシメるという、アプサラスの松村賞披露演奏会みたいな構成です。まず1曲目は會田氏自らによる小林一茶の有名な俳句7句を題材にした組曲。よく通る美声で俳句を読み上げ、スネアドラムとタム各種、ビブラフォン、仏具のような金属打楽器など各種打楽器を駆使して、スナッピーをギターのように指で弾いたり、電動歯ブラシを押し当てたりと小技を効かせて多彩な音色を奏でていました。俳句から想起される情景、情感を素直に表出した作品と見受けましたが、打楽器ソロという制約から、効果音を模した直接的な使い方が主になります。
続いて、「ゲージツ家クマさん」のような風貌の木下正道氏による、種田山頭火の俳句集「旅心」を題材にした作品。先ほどの一茶が「ザ・俳句」とも言える定型性と大衆性で日本人の耳に馴染むのに対し、定型も季語も無視した山頭火の自由律俳句に当てた音楽は1曲目とは全くアプローチが異なり、スネア、ロータム、ウッドブロック、タンバリンなど限られた小物打楽器をセットに固定して、わざと変な抑揚で読み上げた俳句に打楽器で合いの手を入れるような曲作りになっていました。山頭火の俳句がそもそもぶっ飛んでてわけわからんので、作曲の意図も非常に難解、しばし意識を失ってしまいました。後から突然思い出したのが、高校の国語の授業で習い非常に印象深かった「馬 軍港を内臓してゐる」という短い句。これも山頭火だったのかなと思って調べてみたら、「馬」は北川冬彦の有名な一行詩であって、山頭火の自由律俳句とは別ジャンルのようでした。と言われても、素人にはその違いがよくわかりません。
次は正岡子規の晩年の随筆「病牀六尺」をタイトルに据え、14の俳句をモチーフにした佐原詩音氏の作品。副題が五七五になっていて、「四季」と「子規」、「めぐる」と「夢みる」が韻を踏んでいてなかなか素敵です。六尺(約1.8m)の病床を模した煎餅布団がひかれ、寝っ転がって咳き込みながらシロフォンを叩いたり、スライドホイッスルで戯けて、鈴をかき鳴らし、なかなかにやりたい放題の多彩な曲でした。普通のオーケストラで「木琴」はマリンバではなくシロフォン、「鉄琴」はヴィブラフォンではなくグロッケンシュピールが定番というか常識ですが、それら4つを全て駆使する曲は珍しいです。長く結核を患い、34歳の若さで亡くなった子規ですが、その俳句や文筆はむしろ明るいものが多く、この作品もその情緒的なものを楽しげな音として捉えようとした様子が伺えます。
新作の最後は、大御所の国枝春恵氏による松尾芭蕉の有名な4つの俳句から想起される情況、感慨を音に還元した作品。いたずらに音色を試すようなことはせず、ヴィブラフォンを中心に各種銅鑼・ゴング類の金属打楽器と太鼓をはべらせた比較的シンプルな楽器構成。コントラバスの弓でヴィブラフォンを擦ったり、お経のように俳句を詠み上げたりと、多少のトリックを入れながらも、ミニマルな俳句の世界を隙間の多い音で表現したのはベテランのなせる技かと思いました。芭蕉をモチーフにした現代音楽は、昨年亡くなった湯浅譲二がいくつも作品を残しているので、恐れ多いと最初は断ったそうですが、これはこれで一つの世界観として成功しているのではないでしょうか。と言いながら、自分も実はその湯浅譲二作品を一つも聴いたことがないので、単なる素人の感想です。
演奏会のトリを飾るのは、俳句と打楽器ということでこの曲は欠かせなかったのであろう、松村禎三「ヴィブラフォーンのために」。この曲を聴くのは第1回アプサラス演奏会で初めて聴いて以来になりますが、會田氏も学生時代、まさに同じ日のアプサラス演奏会で師匠の吉原すみれさんの演奏を聴いて感銘を受け、自身の演奏家デビューにこの曲を選ぶくらいに惚れ込んだということです。ここまでの新作群と違ってヴィブラフォンだけと向き合い、完全暗譜で臨んだ渾身の演奏は、とても丁寧で、かつ共感が伝わるものでした。曲としては多分かなり難解な部類になり、モチーフの俳句がいかなるロジックで目の前の音楽に繋がるのか、2回聴いたくらいでは全く理解が追いつきませんが、あれだけ思い入れたっぷりに演奏されると、なんだかわからないけど奏者の心は十分に響いてきます。また、前回聴いたときと同じ感想になりますが、この音響空間の圧巻の迫力は、レコーディングには決して収まらず、その場でライブ体験しないと絶対に感じ取れないものだと思いましたので、今回再びこの曲が聴けたのはたいへん得難い機会でした。
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