LSO/K.ヤルヴィ:スティーヴ・ライヒ75歳記念演奏会2011/10/15 23:59



2011.10.15 Barbican Hall (London)
Steve Reich at 75
Kristjan Järvi / London Symphony Orchestra
Neil Percy, Steve Reich (Handclap-1)
Synergy Vocals (Chorus-4)
1. Reich: Clapping Music (1972)
2. Reich: The Four Sections (1986-87)
3. Reich: Three Movements (1985-86)
4. Reich: The Desert Music (1982-83)

ミニマルミュージックの雄にしてテクノにも多大な影響を与えたスティーヴ・ライヒの75歳を記念した演奏会。氏の曲を実演で聴いたことがなかったのと、大管弦楽用作品をずらっと集めた演奏会も日本に帰ったらまず聴けまいと思い、家族で出かけてみました。

1曲目はLSOの首席パーカッショニスト、ニール・パーシーにライヒ自らも演奏に加わった「手拍子の音楽」。まあ露払いの余興みたいなもんです。スポットライトを浴びつつ野球帽を被ったライヒが登場。手拍子はマイクで集音しており、正直、歯切れの良い音ではなかったので正に「拍子抜け」でした。二人とも打楽器のスペシャリストではあっても、手拍子にさほどこだわりはなかったということでしょうか。

次の「4つのセクション」はもちろん4部構成で、第1部は弦、第2部は打楽器、第3部は管楽器、第4部はフルオーケストラが主体ですが、各々切れ目なく連続で演奏されます。「セクション」には「楽器群」と曲の「部分」両方の意味が込められているようです。見るからに大編成の管弦楽で、弦楽器は各パート各々が分割され左右対称に振り分けられており、指揮者の両脇にはこれまた対象に2台のピアノ、各々の上にはシンセサイザーの往年の名器YAMAHA DX7(オリジナルではなく多分7S)が置いてあります。指揮者の目の前にマリンバが4台配置され、各々譜面台を3つも並べて横長の楽譜を置いています。確かにこういったミニマル音楽は繰り返しパターンが少しずつ変化していくので音符の数や小節数はやたらと多いはずで、実際、普段は音を出す箇所が限られているトロンボーンやティンパニまで、演奏中に忙しく楽譜をめくっている姿が非常に新鮮でした。LSOはさすがに名手揃いで、木管のソロなどミニマル音楽にはオーバースペックなほど素晴らしい音色(決してミニマル音楽をくさすわけではありませんが…)。不協和音がないので曲調は一貫して耳に優しく、フルオーケストラで盛り上がる壮大な第4曲がとりわけ感動的でした。

続く「3つの楽章」ではDX7が引っ込められた代わりにエレキベースが2本登場、左右のチェロの後方であまり目立たないように弾いておりました。同じミニマルとは言っても先の曲と比べると和音のテンションがずっと多くなり、テクノ風にもジャズ風にも聴こえる複雑な曲調になっていきます。より抽象度が増し、「テクノデリック」とか、ハードテクノの頃のYMOを少し連想しました。どっぷりと身を任せ、全身で体感するしかない音楽。さらりと聴き流してしまうと本当に何も残らないが、一旦捕らわれると麻薬のようにハマって抜けられない音楽に思えました。


休憩で気を取り直して、最後のメインは「砂漠の音楽」。切れ目のない5つの楽章から成り、全部で50分もかかる大曲です。オケはまた配置が変わり、ピアノ2台が横に寄せられてその横にDX7が復活しています。弦楽器はヴァイオリン、ヴィオラが今度は各々3群に分けられて配置、ティンパニは10台を2人で演奏し、各奏者メロタム3個のオマケ付きです。他に深胴の大太鼓が2台に、指揮者の目前には相変わらずマリンバ群。さらに舞台奥にはSynergy Vocalsという10名の合唱隊が陣取り、大編成オケフェチには垂涎ものでした。前半の曲とは違って構造が全体でABCBAのアーチ形式になっています。マリンバ群による繰り返しリズムが基底にあることは変わりありませんが、曲調はまたさらに変化し、シェイカーや拍子木が活躍するせいでラテンアメリカの空気が漂ってきます。合唱は各人がマイクを持って「ダダダダダ」などのスキャットっぽい声を出し、一部意味のある歌詞の箇所もありましたが、基本的には「歌」というよりはこれも他の楽器と同じくミニマル音楽の構成要素として扱われていました。マリンバの楽譜の頁数はさらに増え、終わったものから床にばさばさと落として行ってもなかなかゴールが見えないエンドレス。奏者にとっては怖い曲です。第5楽章で最初のリズムに回帰するあたりには弦楽器にも相当疲れが見えてきて、辛うじてリズムキープをしているような、抜け殻の音楽になって行きましたが、それも含めての作曲者の狙いだったのかもしれません。

ほとんど初めて聴くライヒの音楽は、古いような新しいような不思議な感覚で、あまりに長いと寝るのは必至かなと最初は思ったのですが、意外と飽きずに楽しめるものでした。ところであらためて考え込んでしまったのは、こういう曲での指揮者の役割です。クリスチャン・ヤルヴィは、ただひたすら四分音符で棒を振っていただけにも見えました。交通整理とメトロノームの役目以外に、例えば楽曲の解釈とか精神性(笑)とか、指揮者の個性を盛り込める余地はあったんでしょうか。しかしながら、交通整理とタイムキープこそがライヒの曲のキモかもしれず、気を抜けばあっという間に道を見失いかねませんので、普通の管弦楽曲以上に神経をすり減らしたのは想像に難くありません。これだけのクオリティで最後まで走りきったというのは、実は凄い演奏だったのかも。


最後にまたライヒが出てきて、指揮者の健闘をたたえました。場内総立ちになり、頭が邪魔だ〜。

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