チョン・ミョンフン/東京フィル:あんたは偉い!「田園」と「春の祭典」2024/02/27 23:59



2024.02.27 東京オペラシティ コンサートホール(東京)
チョン・ミョンフン / 東京フィルハーモニー交響楽団
1. ベートーヴェン: 交響曲第6番『田園』
2. ストラヴィンスキー: バレエ音楽『春の祭典』

チョン・ミョンフンは2016年に一度聴いたきりで、また聴きたいとは思いつつもチャンスがなかったところ、今シーズンのプログラムに「田園&ハルサイ」というそそる演奏会を発見、忙しい時期なのはわかっていつつもついポチってしまいました。この「田園&ハルサイ」は、先日も書きましたが1981年に聴きに行った小澤征爾/ボストン交響楽団の来日公演と全く同じで、当然その思い出もあってこのチケットを買ったわけです。先日の読響演奏会といい、2月は奇しくも個人的にはディープな小澤征爾追悼月間になってしまいました。

東フィルは昨年聴きましたが、定期演奏会はほぼ初めてかもしれません。東フィルの定期はオーチャード、サントリー、オペラシティの3箇所で同じプログラムをかっきり3回ずつ繰り返す仕様になっています。オペラシティのコンサートホールもえらい久しぶりだなと思って記録を調べると、前回は何と16年前の2008年。ついでに、「田園」は12年ぶり、「春の祭典」も10年ぶりの実演ですので、何とも久々づくしの演奏会です。

会場はほぼ満員。まず「田園」は、わりと緩くおおらかな演奏。この曲を心象風景と捉えるか、描写音楽と捉えるかといったら、後者が多めの解釈で、狙いはカラフルな色彩感だったかと思いましたが、ホルンの音が硬いのと、全体的にキレがない、悪い時の東フィルという感じがしました。まあここはまだジャブというか、後半のハルサイとのバランスを考えて、重くならず腹八分目程度で抑える意図もあったのかと。

というのも、後半のハルサイが前半と真逆といっていいくらいキレキレの豪演だったからです。チョンは、田園は言うまでもなく、ハルサイまで譜面を置かず全て暗譜で振り切りました。前半とは打って変わってハイレベルのブラスセクションが鋭いリズムをキレよく刻み込みます。要のダブルティンパニは、ステージスペースの都合か変則的な配置でしたが何の支障もなく二人の息もピッタリ。チョンのタクトと一体になったオケのうねりもシンクロ率が極めて高く、こればかりは、今日が今回のプログラムの最終日であることが功を奏していたと思いました。期待を遥かに上回る完成度の高いハルサイで、終演後の満足げなマエストロと、団員が見せた「してやったり」のドヤ顔がそれを如実に物語っていました。アンコールは大太鼓の連打から第一部の終曲「大地の踊り」を再演。アンコールでここだけ演るパターンは初めて聴きましたが、どうもチョンがハルサイを振るときの定番のようです。それにしても、日本のオケでここまでのレベルを聴けるとは、チョンは今後も見逃せません。

小澤征爾の思い出2024/02/10 23:59

昨日の小澤征爾氏の訃報に接し、まずは心より哀悼の意を表します。
まだまだこれからという時に、というわけでもなく、とうとうこの時がきたか、という思いではあります。

自分がクラシック音楽を聴き始めたとき、すでに大スターでした。特に日本では、カラヤン、バーンスタインと肩を並べる三大巨頭として、クラシックが趣味ではない人にも名が知れ渡る人気ぶりでした。

実演を聴くことができたのは2回しかありません。

最初は1981年10月のボストン響との来日公演初日、大阪フェスティバルホールでの「田園」と「春の祭典」という濃いカップリング(これがAプログラム)。正直、細部はよく覚えていませんが、初めて聴いた海外一流オケの圧倒的パワー(特にヴィック・ファース氏の強烈なティンパニ)に感銘を受けました。このとき、田園のスコア表紙に書いてもらった小澤氏と、さらにコンマスのシルヴァースタイン氏のサインは生涯の宝物です。さらには、このときのBプログラムであるウェーベルン「5つの小品」、シューベルト「未完成」、バルトーク「オーケストラのための協奏曲」が、権利にうるさいアメリカのオケとしては珍しくNHK-FMで生中継されており、そのエアチェックのカセットテープも後生大事に持っています。ここで聴いたオケコンがあまりに刺激的で、私のバルトーク好きを決定づける原点となりました。余談ですが、この演奏会では小澤氏が「短い曲なのでもう1回聴いていただきたい」と言ってウェーベルンを2回繰り返すという異例のハプニングも、生放送なのでそのまま放送されていました。


2回目は、長年の因縁と紆余曲折を経て、演奏家へのチャリティーという名目で1995年に実現した32年ぶりのN響との共演。N響との確執はリアルタイムでは知らないので特に関心も感慨もなかったのですが、何より小澤のオケコンが聴ける、というその一点で必死にチケット取りました。演奏会当日の直前に発生した阪神淡路大震災の追悼に「G線上のアリア」が最初に演奏され、ロストロポーヴィチによるアンコールの「サラバンド」が同じく追悼で演奏された後、全員で黙祷し、拍手のないまま散会という異例づくしの演奏会でした。オケ側に固さとミスは多少あったものの、スリリングな緊張感を保った小澤のオケコンは期待通りの感動で、ハイテンションのまま帰路についたのを覚えています。


世が世なら3回目としてチケットを取っていたのが、2012年のフィレンツェ五月祭劇場のバルトーク「中国の不思議な役人」「青ひげ公の城」ダブルビル。前年のサイトウ・キネン・フェスティバルで初演されたノイズム振付・演出のプロダクションをそのまま持ってくる予定だったのですが、小澤氏はこの直前から病気治療のため長期休養に入ることになり指揮をキャンセル。仕方がないとは言え肩透かしを喰らいました。

レコードで好きだったのは、やはり一番アブラが乗っていた1970年代後半から80年代にかけてのドイツ・グラモフォンへの録音で、マーラー「巨人」、プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」、バルトーク「役人」も素晴らしかったですが、特にレスピーギ「ローマ三部作」とファリャ「三角帽子」の完成度は、今なお自分の中のリファレンスになっています。

入手困難だった廃盤や自主制作盤が、これを機に再発してくれたら、とは切に思います。その個人的筆頭はボストン響との「青ひげ公の城」1980年ライブ。サイトウ・キネン・フェスティバルの「中国の不思議な役人」「青ひげ公の城」は当時NHK-BSで放送されていたようなので、その再放送もやってくれたらたいへん嬉しいのですが。

読響/ヴァイグレ/宮田大(vc):心がちょっとざわざわする、ロシア音楽の夕べ2023/10/27 23:59

2023.10.27 サントリーホール (東京)
Sebastian Weigle / 読売日本交響楽団
宮田大 (vc-1)
1. プロコフィエフ: 交響的協奏曲 ホ短調 作品125
2. ハチャトゥリアン: バレエ音楽「ガイーヌ」より
 ゴパック/剣の舞/アイシャの踊り/バラの乙女の踊り/子守歌/レズギンカ
3. ストラヴィンスキー: バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)

昨年あたりから、実演で聴きたいとずっと思っていてまだ聴いたことがない曲(長らく聴けていない曲も含む)を目当てに、落穂拾いのように行く演奏会が多いような気がしていますが、今日もその一つ。

1曲目の「シンフォニア・コンチェルタンテ」はプロコフィエフの最晩年に、チェロ協奏曲第1番を大幅に書き直す形で作曲され、ロストロポーヴィチに捧げられた曲。ほぼ馴染みがない曲です。第1番の方もずっと以前に聴きましたが、とっつきにくい難曲でした。果たしてこの曲も、チェロが技巧の限りを尽くして奮闘するのはわかるのですが、展開が早過ぎというか複雑で、どうにも捉えどころがわからない。そんなわけで演奏解釈などの論評はお手上げで、ひたすら演奏家の様子を観察しておりました。

若手の人気チェリスト宮田大を聴くのは初めてでしたが、彼の華々しい経歴とストラディヴァリの楽器をもってしても、この難曲はいかにも手に余る感じが見て取れました。厳しい高音域のフレーズが続き、余裕を見せる余裕は全くなさそうで、ずっと苦しく不安定な空気が支配します。ちょうど斜め後方から見る席だったのでオペラグラスで楽譜を覗き込んだら、通常のA版/B版よりも縦長の楽譜には赤ペンでびっしりと書き込み。自分で譜めくりしなければならない事情を考慮してか、最多で4ページ分を見開きで譜面台に置けるように作ってありました。指揮者の譜面台に目を向けると、こちらも同様の縦長サイズのスコアがリングファイルになっていて、書き込みはほとんどないものの、ところどころ黄色の蛍光ペンでハイライトしてあります。どちらも手作り感満載で、生真面目な人たちなんだなということはよくわかりました。アンコールはチェロ独奏でラフマニノフの「ヴォカリーズ」。いやはや、先ほどの苦しさ不安定さは何処へやら、非常にのびのびと素晴らしい演奏でした。

休憩後の「ガイーヌ」が本日のお目当てです。ここ20年に渡る演奏会備忘録の中で、超有名な「剣の舞」のみ、バレエガラで1回、ファミリーコンサートで1回それぞれ聴いただけで、著名曲なのにノーマルな演奏会プログラムに乗ることが非常に珍しいのは、やはり扱いやすいコンパクトな組曲がないからなのでしょう。最初の原典版作曲ののち、ほぼ全ての曲を再構成した3つの組曲がありますが、第1組曲の抜粋に第3組曲の「剣の舞」と「ゴパック」を加えた構成で演奏されることが多いようで、今日の選曲もそのようになっています。ただ順番はストーリーを完全に無視し、バレエでは終了間際に出てくる「ゴパック」と「剣の舞」をあえて最初にもってくる曲順でしたが、これが驚くほどにしっくりとくる組曲編成になっていました。どうせなら多分「剣の舞」に次いで有名な「ガイーヌのアダージョ」も組み入れて欲しかったところですが。演奏は、金管がちょっとピリッとしない箇所はありましたが、リズミカルで小気味良くまとまった、完成度の高い演奏でした。「剣の舞」の高速裏打ちとか、少しの綻びも許されない緊張感がありますが、隙なくしっかりとまとめ上げたのは指揮者の統率力だと思います。終演後、最初に木琴奏者と小太鼓奏者が立たされるのは、この曲ならではですね。(そういえばどの曲でもチェレスタ奏者が立たされていましたが、全曲チェレスタ入りのプログラムというのも、結構特殊ですか。)

最後の「火の鳥」。全曲版はバレエの舞台も含めてよく聴きましたが、組曲盤は意外と実演ではあまり聴いておらず、おそらくこの曲が含まれるのは所謂「名曲プログラム」になってしまう場合が多く、避けていたからだと思いました。あらためて落ち着いて組曲を聴くと、2管編成に縮小されながらも充分以上の音圧を保ち、ストーリーに沿ってコンパクトに凝縮された、たいへんよくできた組曲だなあと感心しました。見かけがいかにもドイツ紳士で、芸術家というよりも大会社の社長のようなヴァイグレさん、ドイツ人らしい手堅さで破綻なくかっちりとまとめられた演奏でした。ただ後半を通して思ったのは、どの曲も申し分ない立派な演奏だったのですが、あんまり印象が後に残らない。すっと聴けてすっと流れていく、感情を捉える引っ掛かりをあえて作っていないように私には思えました。

このご時世、ロシアの音楽は敬遠されるどころか、何ならむしろ前よりも演奏会に乗る機会が増えている気がしてならないのですが、完全にニュートラルな立ち位置で無垢に音楽と向き合うことができなくなっているのかもしれないと気づきました。このオールロシアンプログラムを組んだ人々、それを演奏する人々、わざわざ聴きにくる人々、それらに何かしらの「意味」を求めてしまっている自分がいます。元々は、前半厳しく、後半楽しく、後腐れなく能天気に聴き流せるプログラムという以外、意味はなかったのかもしれません。複雑な邪念に悩まされることなく音楽を楽しめる平和な時間が、一日も早く取り戻せますように祈るのみです。

都響/ペレス:バレエ・リュスの傑作、「ペトルーシュカ」と「三角帽子」2019/06/08 23:59

2019.06.08 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Arejo Pérez / 東京都交響楽団
長尾洋史 (piano-1)
加藤のぞみ (mezzo-soprano-2)
1. ストラヴィンスキー: バレエ音楽《ペトルーシュカ》(1947年版)
2. ファリャ: バレエ音楽《三角帽子》(全曲)

バレエ・リュス繋がりの、私の大好物2曲。「三角帽子」は最近よく演目で目にするので、ファリャの何かの記念イヤーかなと思ったのですが、特にそういうものはなく、強いて言うなら「三角帽子」バレエの初演から100年後が今年でした。今回が都響初登場のアレホ・ペレスはアルゼンチン出身ですが、ファリャが晩年にフランコ政権を避けて亡命した先はアルゼンチン。また、ストラヴィンスキーとファリャはパリの芸術家サークル「アパッシュ」のメンバーとして親交があった、というようなところも加味して組まれたプログラムでしょうかね。

「ペトルーシュカ」の1947年版は、3管編成で軽くした分、より頻繁に演奏されるべきバージョンなのですが、昨今は原点主義が主流になっているためか、私の実体験で、4管編成の1911年版がプログラムに乗ることが多いように思います。ということで実は貴重な1947年版体験なのですが、まず冒頭から音量の加減なし。バランスが悪いというか、繊細なこだわりなしの開始にちょっと不安。初登場のハンデからか、縦線が甘く、思うようにリズムが作れていない気がしました。あまり得意レパートリーではないのかも。盛り上がりに欠けたまま淡々と進み、最後はコンサートエンディングで、ペトルーシュカは死なないで華やかな中に終わったので、全体として欲求不満。そういえば前回ペトルーシュカを聴いたのも(7年前のビエロフラーヴェク/チェコフィル)1947年版のこのエンディングだったのを思い出しました。レコードで聴く限り、1947年版といえどもカットなしで最後まで演奏するのが普通と思い込んでいたので、上演上の慣習なのかもしれません。

「三角帽子」は、前半とは打って変わり、旋律の歌わせ方が手慣れていて、こっちのほうが絶対おハコです。ステージ後方に位置した独唱は、スペイン在住のメゾソプラノ、加藤のぞみさん。出番は少ないものの、情緒ある熱唱がいっそう華を添えていました。ん、さっきのピアノの人が、今度はうしろでピアノを弾いている…。指揮者がノっているうえに、都響の木管は上手い人が揃っているので、安心して聴いていられます。お名前はわからないですが、ホルンに新顔の美人すぎる奏者(浜辺美波似)を発見したので、途中から視線はもっぱらそっちに。そうこうしているうちにあっという間に、私の大好きな終曲。アチェレランドで追い込んでいくのが小気味よかったです。欲を言えば、一番最後のブレークではスネアドラムにカスタネットを重ねて欲しかった。

短いコンサートでしたが、アンコールなしであっさり閉演。さてアレホ君、爪痕をどのくらい残したかは微妙。次の登場はいつだろうか…。

都響/フルシャ/アンデルシェフスキ(p):ハルサイと、奔放なバルトーク2014/06/25 23:59

2014.06.25 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Jakub Hrůša / 東京都交響楽団
Piotr Anderszewski (piano-2)
1. オネゲル: 交響的楽章第1番《パシフィック231》
2. バルトーク: ピアノ協奏曲第3番 Sz.119
3. ストラヴィンスキー: バレエ音楽《春の祭典》

注目株のフルシャ/都響を聴くのは、昨年11月以来です。まず1曲目の「パシフィック231」を実演で聴くのは初めて。有名な曲ですが、あんまりプログラムに上らないかも。冒頭の甲高い汽笛の後、早速機関車が起動しますが、重々しくてキレがなく、ダラリとした走りっぷりは全く意外でした。リアリティを狙ってやってるのかもしれませんが、描写としてはリアルでも、音楽が表現したかったのは当時の人々の「衝撃」だったと私は思うので、それが伝わってこないのはオケの限界か、はたまた、演奏解釈としては弱いんじゃないかと。

続いてバルトーク。ピアノの編んでるシェフ好き、じゃなくてアンデルシェフスキは1年ほど前にロンドンで1度聴いていますが、言うなれば超天然系。今日も我が道を行く、今まで聴いたことがないバルトークでした。昨今のバルトーク弾きは技術度でいうと相当に高度な人ばかりかと思うのですが、ミスタッチなど全く気にする様子がない自由奔放ぶりがたいへん新鮮だったのと同時に、スタイリッシュでピカピカした演奏にはない、東欧の空気がしっかりと流れていた気がしました。ただし、ピアノに引きずられたのか、オケにはまだキレ戻らず。拍手に気を良くしたアンデルシェフスキはピアノに座るなり弾き出したのがバルトークの「チーク県の3つの民謡」。譜面通りじゃないものをいっぱい盛り込んだ、個性的ながらも正統派の民謡アプローチ、と後から無理矢理に解釈を当てはめてはみたものの、本人はけっこう思うに任せて気ままに弾いているようにも思えました。もう1曲、知らない曲でしたがどう聴いてもバッハ(パルティータからサラバンド、らしいです)を弾いてくれて、最後まで期待を裏切らない超ユニークな演奏で楽しませてくれました。

メインの「ハルサイ」を日本のオケで聴くのはよく考えたら初めてかも。オケは良く鳴っていましたが、バーバリズムを押し出す演奏ではなくて、リズムのキレはやっぱり悪かったです。破綻とまでは言わないにせよ、トランペットとホルンはちょっと厳しかった。全体的にいっぱいいっぱいという感じで余裕がなかったです。ちょうど今朝見たサッカーW杯日本代表の試合のようなもどかしさ。まあ、一流オケの奏者でも、何度やってもこの曲を演奏するときは緊張して、個人練習に力が入ると言いますし。奏者にとって気の毒なのは、ハルサイの場合、聴衆のほうも曲を熟知しているのでごまかしようがない、ということですか。話を戻すと、若さに対して多少先入観があったのかもしれませんが、フルシャはリスクを取ってオケを振り回すようなキャラではなく、意外と老獪なセンスが持ち味の人で、ハルサイのようなヴィヴィッドな曲は案外得意じゃないのか、と思えました。

日フィル/山田和樹:「火の鳥」「不滅」の超重量級プロ2014/04/25 23:59

2014.04.25 サントリーホール (東京)
山田和樹 / 日本フィルハーモニー交響楽団
1. ストラヴィンスキー: バレエ音楽《火の鳥》
2. ニールセン: 交響曲第4番《不滅》

日フィルに行くのは10数年ぶりで超久々、山田和樹は3年前のBBC響以来です。楽章切れ目なしのビッグピースを2つ並べた超重量級プログラムは、まさに私好み。

前に聴いた時、山田和樹は細部にこだわるよりも全体の流れを上手く形作ってわかりやすく見せることができる、往年の巨匠の芸風を持った人、という感想でしたが、今日の「火の鳥」ではちょっとそれが裏目というか、オケの限界と曲自体の冗長さが際立ってしまってました。おそらく組曲版であれば上手くハマるのでしょうが、一幕のバレエ音楽では流れをそう単純化はできず、結果途中間延びしてしまう箇所がいくつかありました。こういうときにギャップを埋めてくれる管楽器の個人技があればなあ、と感じるのは無いものねだりでしょうか。一方、クライマックスである魔王カスチェイの踊りでは、小径で深胴の大太鼓を力任せにぶっ叩く暴れっぷりが実に壮快。この快感はライブじゃないと味わえません。なお、トランペットを2階席に配置するなど、何かしらの音響効果を狙った仕掛けがなされていましたが、音量・音圧を補う役目でもなかったので、これは効果のほどがよくわからなかったです。

メインの「不滅」は、比較的ゆったり目のテンポで開始。「火の鳥」では時々引っかかったリズムのキレの悪さも(多分オケが引きずってますが)、この曲ではそんなに気にならず、おおらかでシンフォニックな展開は、まさに往年の巨匠風です。いろいろ聴いていると、こういうのは実はニールセン演奏としては邪道なんだろうなと感じてきますが、きっかけはバーンスタインで中学のときこの曲にハマった私としては、山田和樹の演奏は心にたいへんしっくりと染み入ります。本日最大の目玉である終結部のティンパニのかけ合いは、先ほどの大太鼓に負けじと渾身の力で叩き込み、期待を裏切らぬド派手な応酬で、たいへん満足しました。やっぱりこの曲は実演で聴くに限りますね。ただしスコアの指示では2組のティンパニをステージの両端に置かなければならないのに、第1が舞台奥中央、第2は向かって右奥という中途半端な配置が残念でした。一方、一つ感心したのは、ティンパニの並び方が一方はドイツ式(右手が低音)、他方はアメリカ式(左手が低音)だったこと。これは二人の奏者が各々たまたまそういう習慣だっただけなのかもしれませんが、対向配置という意味では非常に理にかなっており、目から鱗でした。

終演後は奏者のところまで行って一人一人立たせるのは、ロンドンで見たときと同じ。ヨーロッパ在住で、スイス・ロマンドの首席客演指揮者でありながら、日本で数多くのアマオケも引き受けているようで、飛び回り過ぎなのがちょっと心配です。せっかく欧州に足がかりができてきたのなら、佐渡裕みたいに無理矢理でもどっしりと腰を下ろして活動すればよいのに、と思ってしまいますが、外野が憶測するよりもずっと厳しい世界なんでしょうね。

東京・春・音楽祭:兵士の物語2014/03/16 23:59


2014.03.16 東京文化会館 小ホール (東京)
東京・春・音楽祭《兵士の物語》
長原幸太 (vn/元・大フィル首席CM)
吉田秀 (cb/N響首席)
金子平 (cl/読響首席)
吉田将 (fg/読響首席/SKO首席)
高橋敦 (tp/都響首席)
小田桐寛之 (tb/都響首席)
野本洋介 (perc/読響)
久保田昌一 (指揮)
國村隼 (語り)
1. ストラヴィンスキー: 兵士の物語

10年目を迎える東京ハルサイに行くのは初めてです。この10年ほとんど日本にいなかったので仕方がない。ワーグナーのオペラと室内楽がプログラムの中心なので、私的にはビミョーな音楽祭ですが、今回は「兵士の物語」を國村隼の日本語ナレーション付きでやるというので。

演奏はこの企画のための特別編成で、読響、都響、N響などから首席奏者が集った、日の丸精鋭アンサンブル。演奏は、個々の人は確かにそれなりにキズのない演奏をしているのだけれど、楽譜が追えたらOKの完全なお仕事モード。音を楽しみ、人を楽しませるという音楽の原点を忘れているというか。いかにも打ち解けてない感じの一体感のないアンサンブルだったし、バランスが悪くてナレーションをかき消してしまったり、果たしてやる気はどのくらいだったのか。一昨年聴いたLSOの首席陣による至高のアンサンブルとは、もちろん比べてもしょうがないのでしょうが、「プロ度」という観点では、日本のトップ達はまだまだこんなもんかと、ちょっとがっかりしました。

最近富みにテレビ・映画で見かける個性派俳優、國村隼のナレーションは出だしから飾り気なく朴訥で、淡々と進みます。後半で悪魔が激高するときに頂点を持ってきてメリハリをつけるという組み立てだったので、トータルの印象としてはテンションの低い時間が多い、眠たいものでした。この人の味は何といってもその「顔」であって声じゃないんだな、と、あらためて思いました。國村隼が声優とかラジオドラマとかDJとか、やっぱりピンと来ないもの。

LSO/ガーディナー:70歳記念演奏会は、意外や原点のストラヴィンスキー2013/04/25 23:59

2013.04.25 Barbican Hall (London)
Sir John Eliot Gardiner / London Symphony Orchestra
Jennifer Johnston (Jocaste/mezzo-soprano)
Stuart Skelton (Oedipus/tenor)
Gidon Saks (Creon/bass-baritone)
Fanny Ardant (narrator)
Gentlemen of the Monteverdi Choir
1. Stravinsky: Apollon musagete
2. Stravinsky: Oedipus Rex

サー・ジョン・エリオット・ガーディナーの70歳記念コンサート。今シーズンで85歳記念だったLSOの総裁サー・コリン・デイヴィスは、結局記念コンサートを一度も振ることなく先日他界されましたが、今日のプログラムにはデイヴィスを偲ぶガーディナーの追悼文が掲載されていました。15歳のガーディナーがホーランド・パークのデイヴィス宅まで押し掛けて「指揮者になるには何をやればいいか」と聞いたところ、「春の祭典」を勉強しなさい、と教わったそうです。どちらかというとバロック古楽器系の人と思われるガーディナーが、実はストラヴィンスキーも原点の一つであって、この記念演奏会の一見不思議な曲目も故のある選曲だとようやくわかりました。

「ミューズを率いるアポロ」は2年前のベルリンフィルで聴いて以来です。指揮者に近い内側にチェロ、ヴィオラを並べ、その外側にヴァイオリンを立たせるという変則配置。コンサートマスター(今日はトモ・ケラー)が一番外側にいるのです。各パートの人数は作曲者指定よりも少し多めで、しかしパート各々をぴっちりと引き締め研ぎすましてから、相互に音を絡ませるという室内楽的なアプローチが、いかにも古楽の合唱・合奏を得意とするガーディナーらしい。ピリオド系奏法ではないものの、澄んだ響きであり、いぶし銀モノトーンの世界でした。


いつもは誰かの陰に隠れてしまうことが多い美人チェリストのミナ嬢、今日は変則配置だったのでラッキーにもバッチリ見えました。以下、サービスショットです。




そういえば書き忘れましたが、前回のLSOのとき、開演15分前にフードホールにて一人でお茶を飲んでらっさるのを見かけました。私が声をかけるスキもなく、いろんな人が声をかけておりました。

さて、「エディプス王」は「ミューズを率いるアポロ」と同じく新古典主義の時代の作品です。合唱は手兵モンテヴェルディ合唱団の男声陣を借りてきましたが、全員顔白塗りのゾンビメイクだったのに驚きました。後から出てきたテナーとバリトンも同じくヘンな白塗り。演出家は誰もクレジットされてなかったですが、まさか合唱団と歌手が勝手にやってた、ということはないですよね。

この作品はフランス語のナレーション(聴衆の言語に合わせて翻訳する)とラテン語の歌で構成されますが、今日のナレーションはオリジナルのフランス語のままでした。オペラ・オラトリオというだけあって、歌手の歌合戦よりも合唱のほうがむしろ主役に見えます。歌手で出ずっぱりなのは、もちろんエディプス王。テナーながらもまるでバリトンのような野太い声で、威圧感はありました。クレオン役のバリトンは出番が少なく遠くにいたため、よくわからず。メゾソプラノ(この人だけ白塗りメイクなし)は音程ヨレヨレで歌唱に難あり、でした。以上クレジットされている3名以外のソリスト(テナー、バリトン、バス)は合唱団の人が受け持っていましたが、これが意外と堂々とした歌いっぷりで、何気に上手かったです。特にバスは華奢な身体にもかかわらず技量も声量も素晴らしく、単なる合唱団員とは思えない立派な歌唱でした。

ガーディナーは以前ベートーヴェンで聴いたときと変わらず、長身をゴツゴツ振り回す感じのどちらかというと不器用に見える指揮でしたが、LSOはいつものごとく冴えた演奏を聴かせてくれました。それほど大編成ではないのに馬力は十分で、ずいぶんと派手な演奏です。私は聴けませんでしたが、この曲は確か昨シーズンもゲルギエフの指揮で演奏したはず。下地はそのときと同じなのかもしれません。


ギドン・サックス(右から2人目)のメイクなんか、ほとんどギャグ。



合唱団のソリストたち。この人らはめっちゃ上手かったんですが、何者でしょうか。

ロサンジェルスフィル/ドゥダメル:至高のオケの「火の鳥」2013/03/17 23:59


2013.03.17 Barbican Hall (London)
Gustavo Dudamel / Los Angeles Philharmonic
1. Vivier: Zipangu
2. Debussy: La mer
3. Stravinsky: Firebird (complete)

2年ぶりのロスフィルです。さすがのドゥダメル人気に加え、今回のシリーズでクラシカルな演目はこの日しかなかったので早々にソールドアウト。リターンでポコっと1枚出てきた最上位席を、すかさず清水の舞台から急降下してゲットしました。プログラムのコンセプトは、エポックメイキングなフランスもの、といったところでしょうか。

1曲目「ジパング」の作曲者クロード・ヴィヴィエを私は名前すら知らなかったのですが、シュトックハウゼンに師事したカナダの現代音楽作曲家で、1983年に34歳の若さで会ったばかりの「男娼」に刺し殺されるというスキャンダラスな非業の死でもよく知られている人だそうです。小編成の弦楽合奏のための「ジパング」はもちろん日本を意識した曲。のっけから弦をわざと軋ませる特殊奏法を駆使した、ちょっと音の濁った笙を思わせる響きで始まり、最初はペンタトニックな民謡調の旋律で進むのかと思いきや、すぐにトーンクラスター的になったり、ヘテロフォニー的であったり、盛りだくさんに怪しげな展開を見せます。雅楽を意識したような作りはまるで日本人作曲家の現代音楽みたいな感覚ですが、違うのはリズム。この人工的な拍子感は東洋よりも西洋のものです。まあ、よくわからないながらも面白い曲でした。

続くクロード・ドビュッシーの「海」は、好んで聴きに行くわけではないのに聴く機会の多い曲で、ちょい食傷気味です。ドゥダメルの指揮は、切絵の紙芝居でも見ているような、分かりやすい演出。場面場面の展開がはっきりしており、カット割りの多い映画のようでした。たゆたうと流れる水の動きなど、全体の起伏は犠牲になっていたものの、その分細部に磨きをかける戦略。とにかく各奏者、ソリストがいちいち上手過ぎで、金管など余裕しゃくしゃく。オケの高度な演奏能力に感心することしきりでした。

メインの「火の鳥」も、スーパーオケのまさに至高のサウンドに脱帽、参りました。アンサンブルもソロも非の打ち所無し。特にホルンの完璧度が印象に残りましたが、木管もトランペットも、コンマスも、とにかく皆さん達者過ぎ。2年前に初めて聴いた時も、予想外に(と言ったら失礼ですが)上手いオケで驚いたのですが、今回はさらに衝撃的でした。ドゥダメルの導くサウンドは引き続きビジュアルに訴えるもので、バレエの場面がいちいち鮮やかに目に浮かびます。この演奏をそっくりそのままロイヤルオペラハウスに持ち込んで、ロイヤルバレエのプリンシパル達の踊りと融合させれば究極の「火の鳥」が完成するだろうに、などとつい妄想を膨らませてしまいました。一つのクライマックスである「魔王カスチェイの凶悪な踊り」では、本来は1919年の組曲版で初めて追加されたトロンボーンのグリッサンドをこの原典版で吹かせていたので、さらに驚きました。確かに、こういう「サービス」を誰かやってもよさそうなのに、とは以前から思っていましたが、実際にやってしまった演奏を聴くのは初めてでした。

久々に心の底から素晴らしかったと言える演奏会で、このところいつ体調を崩してもおかしくない中、休まずに行けて良かったです。それにしてもドゥダメル君は良い「楽器」を手に入れたものです。このまま長期政権を維持するなら、解釈の傾向といい、21世紀に蘇った「オーマンディと華麗なるフィラデルフィアサウンド」と言っても過言ではないかも。


相変わらず態度は控え目なドゥダメル。


めちゃ上手かったホルンのトップ、アンドリュー・ベイン。

ロイヤルバレエ:トリプルビル(火の鳥/イン・ザ・ナイト/ライモンダ第3幕)2012/12/29 23:59

2012.12.29 Royal Opera House (London)
Royal Ballet: The Firebird / In the Night / Raymonda Act III

今年最後のコンサートはロイヤルバレエのトリプルビル。お目当ては昨年もマリインスキー劇場の来英公演で見たフォーキン版「火の鳥」ですが、他もなかなかクラシカルな取り合わせです。

1. Stravinsky: The Firebird
 Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
 Mikhail Fokine (choreography)
 Itziar Mendizabal (The Firebird), Bennet Gartside (Ivan Tsarevich)
 Tara Bhavnani (The Beautiful Tsarevna), Gary Avis (The Immortal Kostcheï)

火の鳥は当初カスバートソンがクレジットされていましたが、怪我のため降板。代役のメンディザバルはスペイン生まれの31歳、ライプツィヒ・バレエでプリンシパルに上り詰めた後ロイヤルバレエに移籍、現在ファーストソリストです。昨年末の「眠れる森の美女」、今年は「パゴダの王子」と「誕生日の贈り物」でも見ているのでこれで4回目になりますが、私の苦手とする面長オバサン顔の上、固い感じの踊りが面白みに欠け、全然好みではありません。ただ今日は、終始カッと目を見開いた恐い顔が異形の者の存在感をよく表現できていました。踊りはかっちりしていて上手いんだけどやっぱりどこか杓子定規で小さくまとまっていて、物足りません。王子に掴まれてもがくところは、例えば別の日にキャスティングされているマルケスならもっと悲壮感漂わせてジタバタ暴れる様子を上手く踊りきることでしょう。全体的には、同じフォーキン版とは言え昨年来英していたマリインスキー劇場バレエの上演とはだいぶ振付けが変わっていて、群舞のダイナミクスは優れていた一方、プリミティブな迫力には欠けました。後ろのアンサンブルには高田あかね、金子扶生のお顔も見えたような。オケは期待してなかったのですが、意外とピリっとした好演。去年のマリインスキーよりは100倍ましでした。肝心の魔王カスチェイの踊りで金管がもうちょっと踏ん張ってくれていれば、言うことはなかったのですが。




2. Chopin: In The Night (Nocturnes)
 1) Nocturne in C-sharp minor, Op. 27-1 (Nocturne No. 7)
 2) Nocturnes in F minor, Op. 55-1 (Nocturne No. 15)
 3) Nocturnes in E-flat major, Op. 55-2 (Nocturne No. 16)
 4) Nocturne in E-flat major, Op. 9-2 (Nocturne No. 2)
 Jerome Robbins (choreography)
 Robert Clark (solo piano)
 Sarah Lamb, Hikaru Kobayashi, Alina Cojocaru
 Federico Bonelli, Rupert Pennefather, Johan Kobborg

アメリカの振付師ジェローム・ロビンスによる、ショパンの夜想曲に乗せた小品。オケはなく、ソロピアノだけの伴奏です。ロビンスと言えば、私的には「ウエストサイド物語」の振付けでインプットされているので、もっとモダンなものを想像していたら、非常にクラシカルなバレエでした。最初の夜想曲第7番をラムとボネッリ、次の第15番を小林ひかる(怪我で急きょ降板したヌニェスの代役)とペネファーザー、第16番をコジョカル、コボー、最後に有名な第2番を全員で踊るという構成です。タイトルの通り、星空の下、パーティー会場から抜け出してきたかのように着飾った男女が、落ち着いた大人のデュエットを繰り広げます。何だか弘兼憲史の漫画に出てきそうな一場面ですが、幼さを残しながらじゃれ合う第1組、複雑な心のうちを秘めつつ相手を探り合う第2組、激しく愛憎を爆発させる第3組と、各々キャラクターが違うのが面白い。最後のコジョカル・コボー・ペアはさすがに息もぴったりで、人気はピカイチでした。プリンシパルに囲まれた代役の小林ひかるさんは、一番難しそうな役所だったし、ちょいと割りを食ってしまった感じですか。個人的には最初のラム・ボネッリ・ペアの初々しさが良かったです。



3. Glazunov: Raymonda - Act III
 Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
 Rudolf Nureyev (choreography)
 Alina Cojocaru (Raymonda), Steven McRae (Jean de Brienne)
 Helen Crawford, Ricardo Cervera (Hungarian dance)
 Melissa Hamilton, Emma Maguire, Claire Calvert, Claudia Dean
 (variations solo dancers)

トリはヌレエフ振付けの「ライモンダ」第3幕。大元はグラズノフ作曲、プティパの台本と振付けによる全3幕のバレエで、美女ライモンダの婚約者ジャンが十字軍に出征している間、サラセン王子がライモンダに熱烈に求愛するが、帰還したジャンが決闘で勝利し、ライモンダと無事結婚してめでたしめでたし、というあらすじです。第3幕はその「めでたしめでたし」の部分だけなのでストーリーはなく、ここだけ切り出しての上演が可能なゆえんです。ハンガリー王アンドラーシュ二世の立ち会いの下結婚式を挙げるので、最初のチャルダーシュ(ハンガリーの踊り)を皮切りに、バリエーションのダンスが次々と繰り広げられるという定番の進行になってます。ベージュと金で統一されたロシア正教会風のエキゾチックな衣装が美しい。振付けはこれまた至ってクラシカルで、マクレーの片腕リフト連続技が見物でした(無理して身体壊しませんように…)。グラン・パとパ・ド・トロワでマクレー夫人のエリザベス・ハロッドが出ていましたが、ご主人との絡みはなく。ソロよりも群舞のほうがダイナミクスに広がりがあって面白く、そういう意味では主役のコジョカル、マクレーの影は薄めでしたが、これもクラシックバレエの醍醐味と思える、なかなか見応えのある演目でした。