ロンドン響/パッパーノ:管弦楽と合唱の劇的な融合、「ゲロンティアスの夢」2026/04/19 23:59



2026.04.19 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra & Chorus
Emily D’Angelo (mezzo-soprano)
David Butt Philip (tenor)
William Thomas (bass)
1. Elgar: The Dream of Gerontius

名前だけは知っていたものの内容は全く知らなかったエルガー「ゲロンティアスの夢」は、世界三大オラトリオの一つと言われ(他の二つはヘンデル「メサイア」とメンデルスゾーン「エリヤ」とのこと)、日本で聴ける機会は少ない一方で(というのが通説ですが調べてみると去年は大フィル、今年は読響が取り上げているので最近増えている?)ここ英国では頻繁に上演されているので、声楽曲は苦手ながら今のうちに一度は聴いておこうと思い立ちました。

馴染みがないうえに苦手分野なので薄い感想文になってしまうのはご容赦。冒頭のワーグナーを彷彿とさせる前奏曲から、主人公の老人ゲロンティアスが死の恐怖を切々と語り祈る第1部、死んで魂となったゲロンティアスが天使の導きで悪魔の誘惑を跳ね除け、天使のしもべたちの歌声によって浄化され成仏?するまでを描いた第2部まで休憩なしの90分に渡る長丁場でしたが、パッパーノのドラマチックで飽きさせない渾身の指揮と、終始集中力をもって最後まで気を抜かないLSOの熱演が、相乗効果でたいへん壮大かつ感動的な音響空間を生み出していました。パッパーノは、正直な感想として時折「既に第一線を退いた余生モード」を醸し出していて、通俗名曲をただ流しているだけに見えるときもあるのですが、今日はちょっといつもと違うシリアスさがありました。また100名を超えるシンフォニーコーラスが、とことん美しい弱音と迫力のフォルテのコントラストが非常に素晴らしかったです。

ソリストは、主役ゲロンティアスを歌ったテナーのディヴィド・バット・フィリップ、ロンドンと東京で過去に何度か聴いていて、毎回同じ感想を持つのですが、美声と声量を持っているので朗々と歌うときは良いものの、繊細な歌唱にはちょっと弱いんじゃないかと。出ずっぱりなのでたいへんかとは思いますが、この曲の大部分を占める不安な感情を歌う場面で、不安の表現だからという以上に歌が不安定になりすぎる箇所がいくつかありました。対するバスのウィリアム・トーマスとメゾソプラノのエミリー・ダンジェロは、どちらも初めて聴く人でしたが、出番が少ないこともあり余裕を持って文句のつけどころのない立派な歌唱を披露。天使というと普通は「天使のソプラノ」というイメージが蔓延していますが、ダンジェロの天使はゲロンティアス老人に対しても少し大人の「上から目線」で、落ち着いたメゾソプラノがよく合っていたと思います。

今日は久しぶりにバルコニー席で聴きました。バービカンのバルコニーはロイヤルフェスティバルホールのバルコニーよりはステージからの距離も近く音響的に全然マシなのですが、やはりステージからの距離がある分、S/N比は悪くなってしまいます。この場合のノイズは端的に言うと聴衆の出す不要な音で、今日は後ろの席のご婦人が鍵だかアクセサリーだかはわかりませんが、演奏中にもしょっちゅう金属音をチャラチャラと鳴らし、また繊細な場面に限って自分の脛をずっとスリスリと摩っていて、気に触ることこの上なかったです。自分もその席に座っているので言えた義理ではないものの、やはり安い席にはそれなりの安い人々が集まる可能性が高いのは事実なので、民度が低いのに耐えきれなかったら下に降りて高い席を買うべし、と言う教訓があらためて身に沁みました。

ロンドン響/パッパーノ:大国の価値観を表出するエンタメ曲が空虚に響く2026/04/16 23:59



2026.04.16 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra
Vilde Frang (violin-2)
1. Imogen Holst: Persephone
2. Korngold: Violin Concerto
3. Shostakovich: Symphony No 5

本日はグスターヴ・ホルストの娘イモジェンと、コルンゴルド、ショスタコーヴィチというほぼ同世代の作曲家で、国と環境は全く異なりますが、同時代を生きた人々の作品を集めたプログラムです。1曲目、ギリシャ神話を題材にした交響詩「ペルセポネ」は、イモジェン・ホルストの数少ない管弦楽作品の一つだそうで、にわか勉強ついでに情報を補足すると、代々プロの音楽家を輩出してきたホルスト家の中でも特に著名な父グスターヴの一人娘として生まれたイモジェンは、やはり音楽の血を継いで、生涯独身を貫きつつ献身的に音楽に取り組み、作曲、編曲もさることながら、音楽プロデューサー、及び父グスターヴの伝記作家としての実績を評価されているようです。曲は、もうあからさまにラヴェルの「ダフニスとクロエ」を彷彿とさせる音響で、二番煎じ感が否めないので、悪い曲ではないものの、長らく無視されてきたのも仕方がないかなと思います。

次のコルンゴルドはヴァイオリン協奏曲の中でも特に好きな曲なのですが、前回聴いたのはちょうど10年前のカンブルラン/読響と五嶋みどりの共演で、非常に久しぶりです。ヴィルデ・フラングという人は初めて聴いたのですが、ノルウェー出身で、特に国際コンクール受賞歴等はないながらも10歳からプロオケとの共演で台頭を表して、以後第一線のプロとして活躍している人気ヴァイオリニストとのこと。世代としては庄司紗矢香の少し下、アリーナ・イブラギモヴァ、クロエ・ハンスリップ、ヴェロニカ・エーベルレ、クララ=ジュミ・カン、神尾真由子などと同年代になります。この世代のヴァイオリニストは女性の活躍が目覚ましいですね(あるいは、自分が女性ばっかり追っかけてるだけかも…)。ただ、今日はちょっと席が悪くて、ヴァイオリンはほぼ見えない状態。情感たっぷりに始まったコルンゴルドは、パッパーノのオペラチックな盛り上げ方も相まって、まるでと言うかまさに映画音楽そのもの。決して悪口で言っているのではなく、このようなこけおどし系の曲はまさにLSOの得意分野、完璧に役割をこなします。パッパーノとソリストの掛け合いもまるでオペラのような呼吸感で、歌とドラマの揺さぶりに終始していたエンタメ系爆演でした。自分の席からでは、ヴァイオリンに突き出してくるものがなく埋もれてしまった感じに聴こえてしまったのは残念でした。

メインのショスタコーヴィチ交響曲第5番、通称「革命」とあえて呼びますが、過去に部活のオケで演奏した経験があり、それこそ飽きるほど聴き込んだ曲なのですが、ウクライナ戦争以降は、ロシア(作曲当時はソ連ですが)が苦境を乗り越えて大逆転勝利を高らかに奏でるこの曲の「社会主義リアリズム」的大管弦楽が聴く度に空虚に響き、全く心に染み入ってこない、という心境の変化が否めないです。この曲の成り立ちについては諸説あり、決定的な結論は出ていないと理解していますが、少なくとも作曲家が何か裏の意図や含みを抱いてこの曲を世に出したとは自分は考えられず(真剣に命がかかっているのでそんなリスクを取る余裕はない)、純粋に大衆(=スターリン)が熱狂的に喜ぶことを計算し尽くしたエンタメ志向100%の曲だと私は解釈しています。そうすると、空虚な映画音楽(失礼!でも映画音楽も実は大好きなんです)と割り切って聴けば依然として非常にカッコいい曲であるのは間違いないです。パッパーノはたぶんチャイコフスキーを振るときと同じようなスタンスでこの曲を捉えていて、主旋律はカンタービレで、低弦はアグレッシブに全体を下支えする音作り。LSOの管セクションはここでも安定の音圧をハイクオリティの音色で実現。第1楽章のホルンはちょっと惜しかったですが。全体として、爆演系としては納得するものの、個人的には尖った(人とは違う)解釈がなく、丁寧に掘り下げるでもなく、ちょっと退屈な演奏に思えてしまいました。

あらためて今日のプログラムを振り返ると、センセーショナルな管弦楽法を駆使した先駆者の二番煎じに甘んじたイギリスの曲、まさに映画音楽を再構成して生まれたアメリカのエンタメ曲、全体主義的な大衆を熱狂させる(=独裁者に気に入られる)ことだけに集中して作られたロシアのアンセム、いずれも意図してかせずか、大国の価値観を表出していて、選曲に一貫性を感じます。また、過去の備忘録を見ていて「ほほー」と思ったのは、ちょうど20年前に聴いたブダペスト祝祭管の演奏会が、今日と同じくコルンゴルドのコンチェルトと「革命」の組み合わせで、そういえば以前公演キャンセルで聴けなかったズヴェーデン/ダラス響の演目もこのペアだったかなと思い出し、プログラム的によっぽど相性が良いのだろうなと納得しました。

セドリック・ティベルギアン:フランス印象派 vs. バロックの饗宴2026/04/07 23:59



2026.04.07 Wigmore Hall (London)
Cédric Tiberghien (piano)
1. Ravel: Le tombeau de Couperin
 Prélude / Fugue / Forlane / Rigaudon / Menuet / Toccata
2. Couperin: Quatriéme livre de piéces de clavecin
 La reine des coeurs / La bondissante / La Couperin / La harpée / La petite-pince-sans rire
3. Debussy: Images, Series 1
 Reflets dans i'eau / Hommage à Rameau / Mouvement
4. Rameau: XVI. L'entretien des Muses from Pièces de clavecin avec une methode pour la mechanique des doigts
5. Julian Anderson: Etude No. 4 'Misreading Rameau'
6. Rameau: from Nouvelles suites de pièces de clavecin:
 XIII. Les sauvages / XIV. L'Enharmonique / XV. L'Egyptienne
7. Debussy: Pour les huit doigts from Etudes Book I
8. Debussy: Pour les agréments from Etudes Book II
9. Debussy: L'isle joyeus

室内楽を聴きに行くことはめったにない私ですが、贔屓の演奏家が至近距離で聴けるコンサートを見過ごしてしまったら後で非常に後悔するので、ウィグモアホールのスケジュールもいつもチェックはしています。とは言え、過去にここに来たのは2012年のクリスティアン・テツラフと五嶋みどりの2回だけ。どちらもヴァイオリンで、テツラフは日本でもソロを聴きに行ってますが、ピアノのソロ演奏会はよく考えると過去に一度も行ったことがなかったかも。今回は名前も知らなかったピアニストの演奏会チケットをなぜ買ったかと言えば、ラヴェル「クープランの墓」をライブで聴いてみたかったから。ここ数年のマイブーム曲で、オーケストラ版は一昨年聴いていますが、そもそもピアノの演奏会に行かないので、原曲のピアノ組曲を聴ける機会は果たしてあるのだろうかと思っていたところ、たまたま演目に曲名を見つけ、思わずポチッと買ってしまいました。

というわけで、14年ぶりのウィグモアホールはセドリック・ティベルギアンという今年51歳になるフランス人ピアニストのソロコンサート。自分はコンチェルトで頻繁にオケと共演するソリストならそれなりに名前が頭に入っているものの、ピアニストは元々暗い分野です。ティベルギアンの経歴を調べてみると、1998年のロン=ティボー国際コンクール優勝以降、国際的に第一線でキャリアを積み重ねており、アリーナ・イブラギモヴァとのデュオが特に有名で、レコーディングも多数ある様子。そのためか、アリーナの伴奏者としての活動が多いというか目立つので、ソロリサイタルはなかなか貴重な機会ということもわかりました。また、自分が目にしていなかっただけで、コンチェルトの共演もかつては多かったようです。

久々のウィグモアホールは紀尾井ホールを一回り小さくしたようなサイズ感で、後ろのほうでもステージとの距離は近いのですが、今日はステージ横の至近距離席で、楽器の生音が好きな私としては申し分ない距離感です。ステージ上のYAMAHAのピアノはおそらく奏者が持ち込んだものと思われます。譜めくりボーイを携えて颯爽と登場したティベルギアンは、俳優で言うと中島歩タイプのシュッとしたイケメンで、年齢よりもずっと若く見えました。

本日はいかにもコンセプチュアルなプログラムで、前半はラヴェルの組曲「クープランの墓」の全6曲と、バロック時代のフランスの巨匠であるそのクープラン本人が作曲したクラヴサン曲集から第21オルドル(組曲)の全5曲を交互に演奏していくというもの。まず、フランス人という先入観で軽やかで力みのないピアノを勝手に想像していたら、指一本一本がハンマーのように鍵盤を叩き込む、アグレッシヴでエモーショナルなピアノで驚きました。また、演奏中によく唸ります。2つの組曲を交互に入れ込むという企画だから逆にあえてそうしているのか、ラヴェルとクープランを一呼吸も置かずに行ったり来たり、切れ目なくどんどん演奏していきます。クープランも作曲当時にはもちろんあり得ない、モダンピアノの特長を駆使したダイナミックな演奏に終始しますが、擬古的なラヴェルとバロックにしては意外と自由でモダンなクープランの混ぜこぜは、一体感があるようで、やっぱりお互いに異質なところが際立つ、不思議な感覚でした。最後の最後でスマホのアラームを鳴らしたヤツは叩き出したいところでしたが。それぞれの曲を単独で演奏するのも聴いてみたかった気もしますが、入れ子の構成ならではのあの緊張感も、後から考えるとなかなかに捨て難いものだったかもしれません。

休憩後の後半は、前半と同様にフランス印象派+バロック時代の組み合わせでドビュッシーとラモー、それに英国の女性作曲家ジュリアン・アンダーソンが1曲だけアクセントに加わるプログラム。ラモーとアンダーソンは全く初めて聴きますし、ドビュッシーにしても、音源は持っているものの、それほど好んで聴くほうではない選曲です。最初はドビュッシーの「印象」第1集の3曲をそのまま演奏しますが、第2曲が「ラモーへのオマージュ」なのがミソ。ティベルギアンのピアノはやはりパワフルでダイナミック、さらには技巧的な難曲も精緻にこなすテクニシャンぶりを思う存分発揮します。ショパンで同じことをやったら絶対怒られるやつです。次にラモーのクラヴサン曲集からのセレクトを、アンダーソンの「ラモーの誤読」と題する練習曲を前後から挟み込むように演奏していきます。ハプシコードで演奏するのでは絶対こうにならない(従って時代考証的には明らかに間違いな)、ロマンチックに音圧もリズムも揺さぶるラモーは、前半のラヴェルの中に散りばめられたクープランと同様な浮遊感を覚えました。最後はドビュッシーに戻ってきて、「8本の指のための練習曲」「装飾音のための練習曲」「喜びの島」という軽めの3曲を、軽やかでもなく、逆に重厚でもなく、ただ真摯に、力強く、等身大の楽曲の響きをピアノから引き出そうとしているように感じました。アンコールは何か超短い曲を弾いた後に、ドビュッシーの前奏曲集から「沈める寺」を、今度は重くゆったりと、まさに海の底に沈んだ大聖堂が徐々に上がってくる様子が目に浮かぶような、説得力のあるピアノを最後に披露。アンコールでやるにはちょっと長い曲ですが、長丁場で疲れただろうに、あえて演奏してくれてありがとう、と言うほかないです。

絶対オケにも負けないであろう力強さを持っているし、やはり自分の嗜好としては、コンチェルトで聴いてみたいピアニストでした。過去のインタビューでバルトークが好きという発言もあったので、ここはぜひLSOかBBC響あたりと共演してくれたら絶対かぶりつきで聴きに行きます。


SUPER TAKANAKA WORLD LIVE 2026 in LONDON2026/03/31 23:59



2026.03.31 O2 Academy Brixton (London)
City Pop Waves: SUPER TAKANAKA WORLD LIVE 2026
高中正義 (guitar)
斉藤ノヴ (percussion)
岡沢章 (bass)
宮崎まさひろ (drums)
井上薫 (keyboard)
髙本りな (keyboard)
大滝裕子, 斉藤久美 (chorus)

高中は自分の世代的には「虹伝説」リリース時にずいぶん熱心に聴き込んだことと、その後バンドでいくつか著名曲を演奏したこともあり、もちろん生で見たかったアーティストの一人だったのですが、基本的に武道館とか野外フェスなどの巨大な箱でしかやらない人という先入観があり、足が遠のいていました。このライブに気づいたとき、せっかくロンドンに来るというのでこれは是非見たいと思ったのですが、チケットはすでにソールドアウト。オフィシャル販売サイトであるTicketmasterにリターンが出てないかを日々ウォッチしつつ、リセールサイトのTwicketでもアラート登録をして待ち構えていたのですが、ライブの一ヶ月前になろうとする時期になっても一向に出てこないので、痺れを切らせて別のリセールサイトviagogoを探すといくつか出ているのを発見。ここは手数料が高く、トータルでけっこうな値段になってしまうのですが、毎日ヤキモキするのも疲れるのでここらで諦めて手を打ち、もうストールで立ち見する年齢でもないので、Limited Viewですがサークル席のチケットを無事ゲットしました。

いろいろネットを調べていると、このライブは最初、同じO2でもShepherd's Bush Empireのほうで開催の予定だったのが、チケットの売れ行きが想像以上だったため、急きょ場所がO2 Academyに変更になり、さらに追加公演も発表されたという経緯のようです。例えば2025年に藤井風が行ったロンドン公演はO2 Shepherd’s Bush Empire(収容約2千人)で二日間ソールドアウトだったのに対し、今回の高中はO2 Academy(収容約5千人)で同じく二日間ソールドアウト、動員力はざっと藤井風の2.5倍あったということになります。キャリアもジャンルもファン層も違うので比較はあまり意味がないかもしれませんが(私は両方大好きなのですが)、これが日本だったら藤井風のライブチケットは高中の100倍は入手困難でしょうから、ロンドンで高中の人気がこれほどまでに高いというのがまず素直に驚きでした。

18時開場、20時開演ですが、着席だからあまり早く行っても時間を持て余すと思い、それでもちょっと早めに結局18時半ごろ会場に着いてみれば、入場を待つ人々が2ブロック先まで続く長蛇の列を成しており、あらためてビックリ。大人しく並んで、やっと入口まで辿り着いたかと思ったら、行列は何とさらに建物を一周巻いて続いており、さらにぐるっと回らされてやっと入場できました。雨に降られなくて本当に良かったです。客層を見ると、人種はいろいろですが、概ねイギリス人の若者ばかり。日本人らしき人は一人も見かけませんでした。列に並んでいる際も、すぐ後ろにいた白人の若者集団(多分20代前半)はまだ肌寒い気候の中Tシャツ一枚でワインを瓶からラッパ飲みしつつ大騒ぎしており、時折り「Brasilian Skies」や「Seven Goblins」を鼻歌で歌ったりしてたので、行列を間違えていないなという確認にはなったのですが、日本の高中のライブでは多分まず見ることがないであろう客層です。そのうちの一人は「自分は高中ファンだけどカシオペアのほうが好きなんだ」などと声をかけてきて、何でそんな古いジャパニーズフュージョンがイギリスで人気なのか聞きたかったのですが、彼らは楽器をやるわけではなく、ただ日本のフュージョンシーンはとても特別で、イギリスでも好んで聴く人は多い、というところで、入場の列がストールとサークルで分かれてしまい話途中までしか聞けず。

O2 Academy Brixtonは初めて来たのですが、元々Brixton Academyと呼ばれていた老舗のライブシアターで(例えばBrian May Bandのライブアルバム)、建物も内装もトイレも、かなり伝統と歴史を感じさせる古臭さです。サークルから下を見下ろすと、立ち見のストールは盛り上がる気満々の人々ですでに寿司詰め状態。


特に前座アーティストもなく、8時ジャストにライブがスタート。バンドメンバーに続いて、「TAKA!」コールに後押しされ、定番の真っ赤なスーツで登場した高中は、年齢を感じさせず元気いっぱいの様子。1曲目はオリジナルアレンジの「Blue Lagoon」、早速場内大盛り上がり。こっちの若者のライブの楽しみ方は、とにかく歌う歌う。高中の曲は基本的にインストなので、ウォーウォーワーワーとスキャットでメロディラインを歌いつつ、歌詞のある曲ではもちろん、「Tokyo Reggie」のような日本語の歌詞でも皆さん歌いまくるのは感心しました。高中の曲はインプロヴィゼーション重視のモロジャズとは違い、メロディアスなギターテーマと決めソロ中心のシティポップ・フュージョンですから、完全に歌モノとして捉えられているようです。また、ストールはオールスタンディングですが、サークルでもみんな立って歌うのかなと思っていたら、昨今の聴衆はみんなスマホで動画撮影するので、周囲に遠慮してむしろ基本は大人しく座ったままだったのが意外でした(一方で演奏中でも頻繁にビールを買いに行ったりトイレに立ったりする人は後を絶ちませんでしたが)。

セットリストは文末の通りで、おそらく日本でやるライブでもほぼ同じようなラインナップでしょう。「Blue Lagoon」からサンタナの「哀愁のヨーロッパ」カバーまでは70年代の曲が続き、その後は80年代の人気曲を中心に、最後はサディティック・ミカ・バンドの「黒船」まで一気に年代を遡ってしっとりと終わりますが、もちろんアンコールではお約束のサーフボードギターを披露し、シメは超定番「虹伝説」からのシングルカット曲「You Can Never Come To This Place」。潔いほどのオール懐メロプログラムでした。私の大好きな小林泉美の「Palm Street」を筆頭に、聴きたかった曲はだいたい全部やってくれたので、大満足です。

バンドの中心メンバーは長年大きな変化はなく、斉藤ノブと岡沢章が75歳、宮崎まさひろが71歳、高中がその中間の73歳、セクシーなコーラスお姉様方のアマゾンズ(今回は吉川さんを欠く二人構成でしたが)もすでに還暦越え。皆さん年齢を全く感じさせない溌剌としつつも、年輪を重ねた安定感抜群のパフォーマンスで、こちらもその恩恵で力をもらった気分になれます。一方でこのバンドのキーボードはだいたいいつも比較的若い人が常に2名サポートする編成になっていますが、近年の常連メンバー井上薫に加えて、もう一人は今年のツアーから高本りなが新たに加入。見目麗しい外見からは想定外のパワフルでリズムキレキレのピアノが非常に良かったです。まあ、ホールの音響はどう見てもジャズ向きではないので、本来ならいろいろ細かい技を持っている宮崎まさひろや斉藤ノブのプレイがもっと解像度良く近くで聴けたら、とは無い物ねだりでしょうか。

今日の客層から言うと、自分らはおろか両親すらまだ生まれていないかもしれない年代の曲を、祖父母世代の極東ミュージシャンがはるばる海を越えてきて演奏するのを若い音楽ファンがこれだけ熱狂して楽しめるのというのは、シンプルに凄いことだと感服しました。日本のオールドミュージシャンとイギリスの若い音楽ファンに脱帽するしかありません。

セットリスト:
01. BLUE LAGOON (1979)
02. RADIO RIO (1979)
03. BLUE CURACAO (1978)
04. BRASILIAN SKIES (1978)
05. OH! TENGO SUERTE (1976)
06. Tokyo Reggie (1976)
07. Europa (Earth's Cry, Heaven's Smile) (Santana cover) (1976)
08. JUNGLE JANE (1986)
09. SHAKE IT (1986)
10. Nagisa Moderato (1985)
11. SAUDADE (1982)
12. PALM STREET (1980)
13. Taj Mahal (Jorge Ben Jor cover) (1972)
14. THUNDER STORM (1981)
15. READY TO FLY (1977)
16. Kurofune (Kaei 6-nen 6-gatsu 4-ka) (Sadistic Mika Band song) (1974)
アンコール:
17. JUMPING TAKE OFF (with surfboard guitar) (1983)
18. YOU CAN NEVER COME TO THIS PLACE (with rainbow guitar) (1981)






フィルハーモニア管/ナガノ:感動のフィナーレはどこに?マーラー「復活」2026/03/19 23:59



2026.03.19 Royal Festival Hall (London)
Kent Nagano / Philharmonia Orchestra & Chorus
Jane Archibald (soprano-2)
Christina Bock (mezzo-soprano-2)
1. Hildegard von Bingen: O vis aeternitatis
2. Mahler: Symphony No. 2, 'Resurrection'

日系アメリカ人指揮者の巨匠(と今や呼んでもかまいませんよね)、ケント・ナガノはいくつかCDは持っていたものの、実演を聴くのは今日が初めてです。そもそも近現代寄りのレパートリーが多い人で、去年読響に客演し第7番「夜の歌」をやることはチェックしていたので、けっこうマーラーを得意としているのかなと思っていたら意外とそうでもなく、交響曲の録音は第3番、第8番、「大地の歌」と「嘆きの歌」くらいしかなく、今日の「復活」はけっこうな「レアもの」であったことを後になって知りました。なお「復活」を前回聴いたのは9年前の京都大学交響楽団の第200回記念東京公演で、だいぶ久しぶりです。また私の「復活」はなぜかここフィルハーモニア管と縁があるようで、過去にインバル、マゼール、サロネンの指揮で3回聴いております。

本日のプログラムは「復活」1曲だけではなく、その前にビンゲンの聖ヒルデガルトという12世紀のドイツで活動した修道院長にして作曲家、神学者、薬学者、作家など多彩な才能を発揮して「ヨーロッパ最大の賢女」と呼ばれた人が作曲したチャントを持ってきました。時代も音楽性もマーラーとは大きな隔たりがある曲ですが、解説を読むと、どちらも、天を仰ぎ「原光」で満たされるという共通の方向性を持っているとのこと。うーむ、そう言われましても、あまりに音楽が違いすぎるのでなかなかピンとはこないのですが、ナガノはこういったトリッキーなプログラムを好む人のようです。

オケが揃いナガノが登壇してもまだコーラスが出ていないのでどうするのだろうと思っていたら、10名程度の女声聖歌隊が上手クワイヤ席の脇から歌いながら出てきました。伴奏のない単旋律のチャントを歌いながら一列になってゆっくりと行進し、ストール席の真ん中を突っ切るように進んで、下手のクワイヤ横の扉に消えていきました。その間約8分、ちょうど歌い終わるタイミングで退場できるように計算していたんだと思いますが、聖歌隊の声が消えゆくタイミングでナガノのタクトが起動し、「復活」開始。のっけからアンサンブルがピシッと決まりません。速いテンポで前へ前へと進んでいくのですが、縦の線は正直甘々で、雑な演奏に聴こえるくらいのレベルです。一方で音のバランスには細心の気を配っている様子で、響きは室内楽的というか、マックスの音量を一定以上に上げず、下の音までよく聴こえる音作り。なかなか個性的なマーラーではあります。ブーレーズのマーラーを生で聴いたらこんな感じになるんでしょうか。

第1楽章が終わったところでコーラス隊が入場。第2楽章は意外と普通のテンポでしたが、木管が時々鋭く鳴ってふわっとした感じを打ち消し、ここでも響きの透明感が最優先でした。ソリスト二人が入場して第3楽章が始まるとまた早いテンポになるのですが、摩擦なくサクサク進むような感じはなくて、常に響きに気を遣っているからなのか、オケがギクシャクしながらもグイグイ前へと引っ張られているような感じを覚えました(うまく伝わってますかねー)。思うに、ナガノとこのオケの関係性がよくわからないものの、多分それほど頻繁に客演しているわけでもなく(もしそうなら自分も過去に何度か聴いてたはず)、この大曲にしてはリハの時間も限られていたので、オケのほうもぶっつけ本番で探りながらやるしかない部分が多々あったのではないでしょうか。

第4楽章以降のソリストはどちらも初めて聴く人ですが、文句ない良い歌唱でした。できればもっと正面の席で聴きたかったところです。第4楽章「原光」の伴奏になる金管は、あえて舞台裏のバンダを使っていたのがユニーク。ここまで全体的に速いテンポながら音量を抑えめで進んできたところ、最後の第5楽章にピークを持ってくる戦略なのかなと思っていたら、結局オケは最後まで抑制的。むしろコーラスのほうが割れんばかりの熱唱で、さらには裏のバンダも最後は両サイドストールの客席に出てきて演奏に加わり、それでようやく盛り上がったという感じで、チグハグさが否めません。

このマーラー「復活」は、いろんな解釈や聴き方があるかとは思いますが、大管弦楽と大コーラス、それにパイプオルガンが一体となって神への賛美と自らの復活を高らかに歌い上げるスペクタクル的なカタルシスが、やはりこの曲の最も素晴らしい存在意義だと思うのです。スコアの練習記号でいうと48番以降のこのクライマックスは、YouTubeにも昔から「感動のフィナーレ」として多数の切り抜きや比較動画が上がっておりますが、ナガノの「復活」はそのどれと比べてもあっさりとしたもので、力技で感動を無限に増幅させていくバーンスタインやテンシュテットのようなアプローチとは対局に位置する演奏でした。

あとから振り返ってみると、聖ヒルデガルトの聖歌で厳かに始まり、あくまでその方向の延長として、無茶な飛躍をしない節度ある演奏でクライマックスまで持って行った流れは一貫したコンセプトがあり、またバランスコントロールとバンダの使い方にナガノならではの個性も感じられて、上質のコンサートだったと思いました。ただ、自分が聴きたかった「復活」とは違うかな。


ロンドン響/ハンニガン:慎重な弱音の上に積み重ねられた彼岸の世界2026/03/05 23:59

2026.03.05 Barbican Hall (London)
Barbara Hannigan (soprano-1) / London Symphony Orchestra
Bar Avni (conductor-1)
1. Laura Bowler: The White Book (LSO co-commission)
2. Ligeti: Lontano
3. Richard Strauss: Also sprach Zarathustra

ソプラノ歌手兼指揮者というユニークな活動形態で知られるバーバラ・ハンニガン。リゲティ「マカーブルの秘密」の弾き振りならぬ歌い振りをしている動画を見たことはありますが、実演を聴きに行くのは初めてです。歌手出身の指揮者はそもそも少ないうえに、女性となると彼女くらいしかいないのではないでしょうか?と思っていたら、備忘録を辿ると歌手としては2010年に一度聴いておりました…。すっかり忘却の彼方ですいません。しかしこのときもジェラルド・バリーの新作ミニオペラの英国初演だったので、そりゃあ覚えているわけがない。

1曲目はローラ・ボウラーという作曲、歌手、舞台監督をトリプルでこなす英国人がLSO、エーテボリ響、コペンハーゲンフィルの共同委嘱を受けて2025年に書いた新作。最初からハンニガンのために書かれていますが、どちらもマルチタレントの女性という意味では共感するものがあるでしょう。曲のモチーフは韓国のノーベル文学賞受賞者、ハン・ガン(韓江)の「すべての、白いものたちの」(邦題)という小説がベースになっているそうですが、いやー、久々に1ミリも理解できない曲に遭遇しました。この曲についてはハンニガンは歌に専念するため、指揮者を弟子でイスラエル出身の若手、バー・アヴニに任せます。指揮者が登壇し、指揮棒を構えてからやっと、中里唯馬デザインの白い衣装に身を纏ったハンニガンが登場。不協和音はないけれど、無調でゆったりと捉えどころのない歌が延々続きます。元の韓国小説にも全く興味がないのに加えて、200%苦手な部類の音楽でした。マイクで拾い、PAを使ってエフェクトをかけているため、席が離れていても声はよく聴こえました。緊張感はそれなりにあったのかとは思いますが、聴いていて次の展開に全くワクワクしない音楽。全ては自分の理解力欠如のせいですが、あまりに相性が悪いので二度目は要らないかな、という感じです。

休憩後の後半1曲目は、実演で聴くのは実にこれで4回目のリゲティ「ロンターノ」。その後に「ツァラトゥストラ」があるので、てっきり「2001年宇宙の旅」繋がりかと思ったら、それに使われているのは「アトモスフェール」であって、「ロンターノ」が使われているのは「シャイニング」でした。どちらもトーンクラスターの手法が特徴的な、よく似た曲ではありますが。指揮者としてのハンニガンの音作りは、繊細な弱音を軸に、楽器の重ね合わせをクリアに紐解くタイプのアプローチ。歌手出身というと、主旋律に歌心を込めるような勝手な偏見があったのですが、そこは現代音楽の専門家でもあるハンニガン、ともすればぐしゃっとした響きになりそうなこの曲を、チューニングの微妙なズレがワウって聴こえるくらいにごまかしなく、すっきりと整理して聴かせていました。

メインの「ツァラトゥストラかく語りき」は、本当はもっと頻繁に聴きたい好きな曲なのですが、プログラムで遭遇することが滅多になく、記録を辿ると前回聴いたのは2012年のヤンソンス指揮コンセルトヘボウ管、場所はここバービカンでした。備忘録をつけて以降で4回聴いたうち3回はロンドンのバービカンで(あと1回はウィーン)、著名曲なのになぜか日本では長年聴けていないということにも気づきました。1992年の京大オケ東京公演(芸術劇場)まで遡らないといけないです。今どきパイプオルガンがない大ホールは東京だと文化会館くらいだと思うのでそれがネックとは思えないですが、敬遠されがちな演目なのはなぜでしょうか?あるいは自分が知らないだけなのかな…。

あらためて見るハンニガンは、およそ歌手らしくない長身のスリム体型が非常にカッコいい。肝心の演奏のほうですが、ここでもハンニガンはテンポ遅めで、和声をいちいち掘り起こすような音作り。低音を利かせて重心低めに設定などという小細工はせず、バランスはあくまでフラットです。この曲の一貫した要になるトランペットは、破綻を避けるあまり、攻めずに無難にこなしていたのが不満といえば不満でした。天下のLSOなのだから、外してもいいから(いや本当はよくないけど)これぞ一流のプロ!とひれ伏すような圧巻の演奏が聴きたかったです。もう一つの要であるヴァイオリンソロは、新しいコンマスのギルモア君が特に気張るでもなく飄々とリラックスした演奏だったのですが、文句のつけようがない卓越したソロでした。
前の2曲と同様、この曲もエンディングは弱音になり、ハンニガンはたっぷりと溜めて手を下ろしていましたが、流石にここまできたら待ちきれずフライング気味の拍手が起こっていました。


デュッセルドルフ響/A・フィッシャー/ファウスト(vn):ハンガリー三昧2026/02/22 23:59



2026.02.22 Tonhalle Mendelssohn-Saal (Düsseldorf)
Adam Fischer / Düsseldorfer Symphoniker
Isabelle Faust (violin-2,3)
Lisztes Jenő (cimbalom-4)
1. Bartók: Romanian Folk Dances for Small Orchestra
2. Kurtág: Signs, Games and Messages (excerpts)
    Hommage à J.S.B. / für den, der heimlich lauschet / féerie d'automne / In Nomine – all'ongherese
3. Bartók: Concerto for Violin and Orchestra No. 2
4. Kodáy: Seven movements from »Háry János«

デュッセルドルフは以前出張で何度も来ているのですが、演奏会には一度も行く機会がありませんでした。初めて訪れるトーンハレは旧市街のちょっと外れにありますが、中央駅から地下鉄で10分程度とアクセスは非常に良いです。この建物は元々プラネタリウムだったそうで、完全な円形が特徴。中に入ると古代ローマの円形劇場のようなロビーを取り囲むようにクローク、カフェ、バー、CDショップがあり、メンデルスゾーン・ホールはその頭上に作られています。ホール内もロイヤル・アルバート・ホールを小ぶりにしたような完全円形で、どこからでもステージがよく見えそう。本日は幸いかぶりつき席が取れたので、先月のコパチンスカヤのときと同様、奏者と自分の間に遮る物は何もありません。



デュッセルドルフ響を聴くのは全く初めてで、多分CDでもラジオでも聴いたことはなかったかと。諸説あるものの、ドイツの中でも5本の指に入る長い歴史を誇るオーケストラで、古くはメンデルスゾーンやシューマンも音楽監督を勤めています。2015年からアダム・フィッシャーが首席指揮者に就任しており、契約はアダムが80歳になる2030年まで延長されたそうで、非常に良好な関係にあることが伺えます。実を言うと、アダムの指揮を聴くのはこれで3回目。元々同じ指揮者を集中的に聴くよりも、いろんな人を幅広く聴きに行くタチなのですが、弟のイヴァーンを18回(これは自分の中では最多)聴いているのに対して、アダム兄さんの3回は、自身で振り返っても驚くほど少ないです。アダムがハンガリー国外での活動が中心で、自分が住んでいたブダペストやロンドンに来ることがそもそも少なく(ハンガリー国立歌劇場の音楽監督もオルバーン政権との対立ですぐに辞めてしまったし)、巡り合わせが悪かったからだと思います。今回はたまたまデュッセルドルフに用事があり、ついでに何か演奏会はないかと探したところ、まさに自分の好みドンピシャのプログラム、しかもアダムとイザベル・ファウストの共演という垂涎のコンサートがあるのを発見、喜び勇んでチケットを取りました。今年はトーンハレの開設100周年記念イヤーですが、それに加えて「ハーリ・ヤーノシュ」が初演から100年、さらにはクルターグ・ジェルジュが先の2月19日で100歳を迎えたという、やや無理矢理めな数字の符合が強調されていました。ハンガリー現代音楽の巨匠クルターグ、まだ存命とは認識していましたが、100歳とは驚きです。

本日のプログラムはハンガリー音楽でも知名度の高い、かつ玄人受けもする、ある意味「王道」の選曲です。オンラインのプログラム冊子を英訳しつつ読んでいてまず意外に思ったのが、「ルーマニア民族舞曲」と「ハーリ・ヤーノシュ」はデュッセルドルフ響として初の演奏、ヴァイオリンコンチェルトも前回演奏は1988年まで遡る(ソリストは往年の巨匠ギトリス)という事実。アダムにとって得意中の得意であるはずのこれらレパートリーが首席に就いてからの10年間で一度も取り上げられなかった、ということをたいへん興味深く感じました。確かにアダムの専門性について世界の認識は、まずはオペラ、次にハイドンであって、「ハンガリー音楽の伝道師」というイメージはイヴァーンと比べても薄いですし、祖国との関係が良好と言えないだけに、ハンガリー音楽に対するモチベーションが下がっているのかもしれません。

1曲目の「ルーマニア民族舞曲」は、意外と実演で聴くのは2回目、前回は2013年のカンブルラン/読響でした。この曲は元々ピアノ曲ですが、バルトーク自身による管弦楽版は弦が中心の小編成オケ用で、ピアノ版とは同じ曲ながらもずいぶん雰囲気が違います。笑顔で登場したアダム、前回見た2013年と比べると髪はすっかり白くなりましたが、弟と違い、まだふさっとしてます。デュッセルドルフ響の弦は太くてちょっと田舎臭い音。譜面台は置いてあっても全く楽譜に目を向けず、暗譜でハンガリーの呼吸を丁寧に仕込むアダム兄さんでした。舞曲の勢いでツッコミ気味に走るのを抑え、民謡のアクセントを慎重に紡ぐことに重きを置いた感じです。

続いて登場したイザベル・ファウスト、見るのは2014年の新日本フィル(指揮はハーディング)でブラームスのコンチェルトを聴いて以来の3回目です。まずはイザベルのソロで、クルターグの「サイン、ゲームとメッセージ」から4曲を抜粋。この曲は一昨年のクリスティアン・テツラフの無伴奏ヴァイオリン演奏会で聴いて以来ですが、テツラフの選曲とは「J.S.B.へのオマージュ」のみカブっていました。2回聴いたくらいで理解できる曲では到底ありませんが、この至近距離で聴くつかみどころのないヴァイオリンは、それ全体がバルトークへのオマージュとして書かれているようにも感じられ、露払いとして最適でした。ただ、100周年と100歳のマリアージュとして無理矢理プログラムに入れてみた感はあり、意外と長かったし、普段ならこの時間は別になくても良かったのでは、とも思いました。

拍手の隙もなく間髪入れずにハープのメジャーコードが鳴り、私の大好物、コンチェルト第2番に続きます。先月コパチンスカヤの衝撃的な快演ならぬ怪演を聴いたばかりですが、レパートリーは結構似ていても個性がまるで違うイザベルはあくまで正統ど真ん中を目指します。音がしっかりと太く男性的で、わざとらしい掠れ音とか一切なく全てにわたってちゃんと音を鳴らす、予想通りストレートに理想的な演奏でした。一歩一歩時間をかけて丁寧に前に進めるスタイルはアダムと相性良いかもしれません。メリハリも大事な要素なのでダイナミックレンジを広く取ることを忘れず、そのためか時間を追うごとにどんどん音がいい感じに荒れてきて、こういう「魔法の粉」みたいなものが音符に練り込まれているのもこの曲のユニークな魅力です。アダムもここでは流石にスコアをめくりながらの指揮で、常にヴァイオリンが引き立つよう縁の下の力持ちに徹していました。充実度の高い演奏はやんやの喝采で、アンコールでは後半から登場のはずのツィンバロンを呼んできてデュオの曲(これもたぶんクルターグ)を披露。そういえばコパチンスカヤもアンコールはクルターグでした。

休憩後はメインの「ハーリ・ヤーノシュ」組曲ですが、コダーイ自身がセレクトした6曲に、元のオペラでは第3幕終盤のクライマックスで歌われる「募兵の歌」を加えた7曲構成になっているのが珍しいです。確かにメインとしてはちょっと短いので1曲足しただけなのかもしれませんが、そのコンセプトや、誰の発案か、合唱のない管弦楽用編曲は誰がやったのか、などの詳細はプログラムにも書かれておらず、真相は謎です。個人的には、「募兵の歌」はいかにもなハンガリー民謡調アンセムっぽい歌で、ツィンバロンも入って盛り上がる一方、やはり元の組曲構成が染み付いているので、どうしても浮いた感じが否めないです。それはさておき、アダムはもう譜面台も置かず、当たり前のようにこの複雑なスコアを暗譜で指揮します。幼少期からみっちり叩き込まれて、また自分自身でも繰り返し吟味・研究してきたのだろうと思います。アダムはここでも決して急がないテンポで、今更気を衒う必要もないナチュラルなハンガリー魂を粘っこく聴かせてくれます。また、ここにきて確信したのですが、このデュッセルドルフ響の演奏が実に頼もしく、高度に磨き上げられています。管楽器の音が綺麗かつ馬力があり、弦も何層にも厚みがあり、さらにソロを取るトップ奏者の技量も一流プロフェッショナルで(特にこの曲ではチェロが素晴らしい)初演奏とは思えない充実ぶり。オケの年齢層は若いメンバーとベテランが程よく同居しており、デュッセルドルフという土地柄か、日本人奏者も何人か見られました。終演後は控えめにガッツポーズを作り、オケを上から目線ではなくフレンドリーに鼓舞するその姿は、まさにアダムの人柄が出ていたと思います。少なくともアダムが率いるこのオケは、安定した好演を期待できると認識したので、機会があれば是非ともまた、何度でも聴きたいと思いました。

イングリッシュ・ナショナル・オペラ:新制作「マハゴニー市の興亡」2026/02/20 23:59



2026.02.20 London Coliseum (London)
André de Ridder / English National Opera
Jamie Manton (Director)
Rosie Aldridge (Leokadja Begbick)
Kenneth Kellogg (Trinity Moses)
Mark Le Brocq (Fatty the Bookkeeper)
Simon O’Neill (Jimmy MacIntyre)
Alex Otterburn (Bank-Account Billy)
Elgan Llŷr Thomas (Jack O'Brien)
David Shipley (Alaska Wolf Joe)
Danielle de Niese (Jenny Smith)
Zwakele Tshabalala (Toby Higgins)
1. Weill: Rise and Fall of the City of Mahagonny
(English translation by Jeremy Sams)

ほとんどその名前と不道徳な内容ということしか知らないものの、一度は見てみたいと思っていたオペラ「マハゴニー市の興亡」がイングリッシュ・ナショナル・オペラ(ENO)の新制作で上演されるというので、何はともあれ観に行きました。ENOを見るのは実に2009年の「青ひげ公の城」以来。というか、このコロシアム劇場にはオペラ、バレエを何度も観に来ているので誤解していたのですが、ENOの主催公演を見るのはまだ2回目なのでした。というわけでこのカンパニーのことは、モーツァルトだろうがワーグナーだろうが全ての演目を英語版で上演する、オペレッタ、ミュージカルに分類される演目や現代の作品も積極的に手がけ、演出はモダンなものが多い、という何となくのイメージを持っているのみでしたが、いろいろ調べてみて、多分外れていないと思います。傾向としては間違いなく自分の好みに近いはずなのですが、ターゲットが狭い分、逆にマッチするものが意外と少なかったのでしょう。

コロシアムはカンパニーに似合わず歴史を感じさせるオーセンティックな外観と内装。著名な割には上演機会があまりないオペラだし、新制作ということもあってチケットはソールドアウトの大盛況。モダンな印象と異なり、観衆は高齢者層が多かったのが意外でした。ステージの真ん中に大きいキューブ型の箱があり、それをレストランやボクシングのリングなどに見立てて、そこを中心に劇が進んでいきます。シンボリックというよりは演劇的な演出と思いました。音楽は随所にジャズを取り入れており、雰囲気は軽くてチープ。集団で歌って踊る曲もあり、オペラというよりほぼミュージカル。「ポーギーとベス」よりもミュージカル寄りですが、「キャンディード」と比べたらオペラ寄り、という感じですかね。有名なアリア(と言うのだろうか)としては第1幕で歌われる「アラバマ・ソング」がありますが、これとて、ドアーズやデヴィット・ボウイがカバーしているくらいですから、根本からクラシックに背を向けています。

物語は一応「喜劇」に分類されると思うのですが、ピカレスクロマンであり、徹頭徹尾、楽しい話は一切ありません。全3幕のうち2幕までやってやっと休憩が入りましたが、幕前に袋叩きにあって死んだと思われた主人公のジミーが、幕が開いたら同じポーズでまだ倒れたままで(死んではいなかった)、ご苦労なことです。しかし結局最後は電気ショックで死刑になってしまいます。特にこの第3幕の展開が冗長に感じ、話は面白いのにもっとコンパクトにできないものか、と思ってしまいました。全体として全2幕、休憩なしの90分上演くらいで十分収めることができそうに思いましたが、多分ブレヒトの台本を全然理解していないずぶの素人の意見です、はい。

歌手陣は初めて聴く人ばかりでしたが、配役上の誰かで穴を感じこともなく、クオリティは総じて良かったと思います。オケは小編成でしたが演奏はしっかりしており、安定感がありました。ドイツ人指揮者のアンドレ・デ・リッダーは、マーティン・ブラビンズの退任以降空位になっていたENO音楽監督に正式には来季(2027/28シーズン)から就任するのですが、実質的にはすでにもうその役割をスタートしているようです。経歴を調べると、まさに変化球専門投手のような人で、今後も刺激的な企画をいろいろやってくれそうで、その意味では楽しみです。ピンポイントでこちらの嗜好とマッチするものがあればよいなと。



ロンドン響/チャン:バルトークとラフマニノフでダンス・ダンス・ダンス2026/02/08 23:59

2026.02.08 Barbican Hall (London)
Elim Chan / London Symphony Orchestra
Olivier Stankiewicz (oboe-2)
1. Bartók: Dance Suite
2. Colin Matthews: Oboe Concerto (world premiere, LSO commission)
3. Rachmaninov: Symphonic Dances

バルトーク続きの連チャンとなってしまいましたが、週末だったので体力的にはまだ何とか維持できました。今日はしかし、真後ろに座った白人高齢男女集団のおかげで楽しみも半減でした。演奏開始のギリギリのタイミングで5、6人がどかどかと入場してきて、もう演奏が始まっているのにガサガサとコートを脱ぎ、ゴホゴホと咳をして、べちゃくちゃ話しながらバッグのファスナーをチーと開け閉めして飴を出す狼藉ぶり。見かねた他の客が「シーッ」と注意すると、「シャラップ!」と声を上げて逆ギレする始末。お前がシャラップじゃ!あまりの厚顔無恥に、こっちも思わず哀れみの目で睨んでしまいました。その後も演奏中に物を落としたり、持っていたドリンクの缶をペコっと鳴らしたり、幼児以下の邪魔なことこの上ない迷惑集団。コンサートホールまでわざわざ何をしにきたのかさっぱりわからない、老害の現場を久々に垣間見ました。

昨年夏のBBC Promsではラストナイトを任された香港出身のエリム・チャンは、今売り出し中の若手女性指揮者で、いろんなオケで名前を見るので一度聴きたいと思っていました。1曲目のバルトーク「舞踏組曲」は、著名な曲なわりに巡り合わせがなく、2011年の記念イヤーでサロネン/フィルハーモニア管で聴いて以来になります。あらためて聴くと、なかなかの難曲。チャンはいかにも一所懸命な若者の初々しさでキビキビとタクトを振るも、オケのウォーミングアップはイマイチ。若手の東洋人だからナメてるんでしょうか、LSOは時々これがあるので、ベルリンフィルやコンセルトヘボウと比べて、自身の品格を下げていると思います。そういえば今日のコンマスはいつものシモヴィッチさんではなく、最近コンマスになったアンドレイ・パワーという人でした。チャンは特に低音域の弦を強調したリードで、弦の厚みは半端なかったものの、全体的には破綻はないが舞踏に乗り切れていない腹六分目の演奏でした。

続く、もうすぐ80歳の誕生日を迎えるコリン・マシューズのオーボエ協奏曲はLSOの委嘱作品でここが世界初演。コリン・マシューズというと、自分の認識としては、まずはホルスト「惑星」の追加として「冥王星」を作曲した人であり、古くはマーラー交響曲10番のデリック・クック補筆完全版の完成に協力した一人であり、さらにはドビュッシーの前奏曲集のオーケストレーションを果敢に手がけた人であって、マシューズ自身の作品を聴いたことはありませんでした。備忘録を手繰ると、前奏曲集の管弦楽版の一部は2010年〜2012年にかけて3度も聴いています。このオーボエ協奏曲は本日のソリストであるLSOの首席奏者オリヴィエ・スタンキエーヴィチ(ポーランド系の名前ですがフランス出身)のために書かれた、出来立てほやほやの曲です。ソロ楽器の音量限界を考慮してかオケは小ぶりな小編成ですが、ティンパニを欠きながらもマリンバ、ヴィブラフォーン、スラップスティックといったオーケストラではあまり使われない打楽器がチョイスされており、独特の色彩感の源になっています。あと、やっぱりオーボエ協奏曲の伴奏にはオーボエはない代わりに、1本のコールアングレがソリストに絡みつく仕掛けになっていました。全体的な曲調は、無調ではあるが耳に優しい音楽で、オーボエという楽器の性質から、飛び跳ねたと思ったらしっとりと歌ってみたり、変幻自在な音楽だったという印象です。ただ、オケは少人数だったもののやはりオーボエのソロだけでオケに対抗して響かせるのは厳しいものがあり、ちょっと遠めの席だとソリストの音が満足に届いてこないのも仕方がない事実で、今後のLSOの定期で繰り返し取り上げる曲でもないんじゃないかなという気がします。演奏後、聴きに来ていたマシューズ本人が登壇し、拍手喝采を受けていました。

休憩後のメインは、ラフマニノフ最後の作品である「交響的舞曲」。最近は日本語でも「シンフォニック・ダンス」と呼んだほうが通りがよいのでしょうか。過去実演を聴いたのは2011年のBBC Promsでデュトワ/フィラデルフィア管の1回だけでした。ラフマニノフの実質的には交響曲系譜の最終地点(第4番)とも言われる傑作ですが、プログラムに乗せられる機会はそんなに多くないという印象で、理由を想像するに、メイン曲に相応しいボリュームと演奏時間でありながら、そのタイトルのせいで、メインに据えるにはちょっと軽く見られがちな曲なのではないでしょうか。LSOはここにきてやっと目が覚めたのか、そんな誤解など払拭するような、迫力満点本気の演奏でした。ホルンがちょっと弱かった他は文句なしの音圧と躍動感。ここでもチャンは大きな身振りでオケを一気に解放し、この上なく太い弦の厚みをこれでもかと強調、それに負けない金管の咆哮と暴力的なティンパニ。おそらく狙い通りの爆演で、やはり後腐れなく鳴らし切るのがこの曲の正解だと確信しました。


ロンドンフィル/ガードナー:東欧三カ国の隠れた名曲路線2026/02/07 23:59

2026.02.07 Royal Festival Hall (London)
Edward Gardner / London Philharmonic Orchestra
Juliana Grigoryan (soprano-2,3)
Agnieszka Rehlis (mezzo-soprano-2)
Kostas Smoriginas (bass-2)
London Philharmonic Choir
1. Vítězslava Kaprálová: Rustic Suite
2. Szymanowski: Stabat Mater
3. Vítězslava Kaprálová: Waving Farewell
4. Bartók: The Wooden Prince

2週間ぶりのLPO。今シーズンようやく、首席指揮者のガードナーを拝めました。カリスマ的人気のあったウラディーミル・ユロフスキの後を継いで2021年からLPOの首席に就任しています。かつてイングリッシュ・ナショナル・オペラの音楽監督に就いていたころ、「青ひげ公の城」英語版の上演を観たのが最初で、その後日本で都響に客演した公演と合わせて過去2回聴いていますが、当時はまだ若手イケメン枠の中で、スマートでスタイリッシュなビジュアルに、ストレートに真面目な音楽作りという、クセがなくあまり印象に残らない中道中庸路線の人というイメージでした。カリスマ的人気のあったユロフスキの後釜としてLPOも逆張りで生粋のイギリス人を選んだようにも思えましたが、ガードナーもその後のキャリア的にはイギリス路線一直線というよりノルウェーでの活動が多かったり、また東欧系の音楽にも傾倒している印象で、今日のプログラムもチェコ、ポーランド、ハンガリーというまさにその路線です。

1曲目は、実を言うとこの演奏会の前には不勉強にもその名前を知らなかった、ヴィーチェスラヴァ・カプラーロヴァーという早逝の天才女子の作品です。演奏前にガードナーがマイクを取り、少し説明をしていました。わずか25歳で結核のために亡くなってしまうのですが、作品番号付きが25曲しかなく、知る人ぞ知る女流作曲家とのこと。近年のBBC Promsのプログラムを見ていても、音楽史に埋もれてきた女性作曲家への再注目がトレンドになっているようです。1曲目は作品番号19、23歳のときの作品で、直訳すると「田舎風組曲」になりますでしょうか。基本的には同じモラヴィア出身の巨匠ヤナーチェクのフォロワーに聴こえますが、途中でスラブ舞曲みたいにあからさまな民謡調になったかと思えば、打楽器などはペダルティンパニを駆使したけっこうモダンな使い方で(ただしティンパニは奏者が勝手に楽譜を超えたチューニングをやってる可能性もありますが)、優等生的なステレオタイプの習作ではない成熟を感じる、完成度の高い曲でした。久々に見るガーディナーは相変わらずのダンディ伊達男で、佇まいからしてカッコいいの一言。

次はポーランドの巨匠シマノフスキの「スターバト・マーテル」、悲しみの聖母を題材とした宗教曲ですが、ポーランド語翻訳版のテキストを使い、ポーランドの民俗音楽も取り入れた土着性の高い曲になっています。アルメニア出身のソプラノ、ジュリアナ・グリゴリアンはまだ20代の若さで既にMET等で活躍する新星で、その美形と魅惑のプロポーションが何と言っても神が与えた武器です。シースルーのドレスで登場したら、どうしてもバストに目が釘付けになります・・・(かたじけない)。肝心の声はというと、一聴してカウンターテナーかと思ったほどの男声的な太さがあり、ソプラノよりはメゾソプラノの声質に思いました。実際、高音域の箇所では少し弱さが見えたものの、透き通る良い声です。リトアニア出身バス・バリトンのコスタス・スモリギナスは45歳というアブラの乗り切った年齢で、すでにLPOやロイヤルオペラの舞台で活躍の様子。ただこの人は埋没しがちな声質で、正面の席から聴くとまた違ったのかもしれませんが、合唱団が歌い出すとノイズキャンセリングにかかったかのように声がかき消されてしまい、ほとんど聴こえてこなかったのが残念でした。メゾのアグニエシュカ・レーリスは楽譜を持たず、本国ポーランド出身なので余裕で暗譜歌唱なのかと思いきや、譜面台に楽譜を映したタブレットが置いてありました。ソリスト、指揮者を問わず、「譜めくり」の世界はまだアナログの紙の楽譜が圧倒的で、使いこなしたら圧倒的に便利とは思いつつ、実際にタブレットデバイスを使う音楽家はまだ少数派です。

3曲目は再びカプラーロヴァーに戻り、作品番号14の歌曲、「手を振ってお別れ」とでも訳するんでしょうか、弱冠22歳の時の作曲ですが、管弦楽伴奏版はその翌年に作られました。歌詞はチェコの詩人ヴィーチェスラフ・ネズヴァルの著名な詩だそうで、当然チェコ語。先ほどのシマノフスキはポーランド語で、イタリア語、ドイツ語、フランス語、英語、スペイン語に加えて、ハンガリー語も含め、こういった中東欧の言語もマスターしなければならない歌手の人たちは本当に頭が下がります。もちろん初めて聴く曲であり、正しいのかどうか判断できませんが、グリゴリアンは先ほどとは歌い方を変え、固さが取れた感傷的な歌唱になっていました。ここでも低音域を含んだよく通る声で、さらにはルックスもピカイチで、大いに聴衆を魅了。トップクラスの人気歌手になれる素質に恵まれながらも、このまま順調にキャリアを積み上げていけるかどうか、声量に少し難がある気がしました。

休憩後はメインの「かかし王子」バレエ全曲版です。バルトークの劇場向け作品三部作のうち、残る「青ひげ公の城」と「中国の不思議な役人」と比較すると相対的にマイナーで、演奏会プログラムにも滅多に上がらず、認知度が低いです。バルトーク好きを自認する私も、実演で聴いたのは過去3回のみ。ただし3回目は組曲版で、2011年の生誕130年記念イヤーでのサロネン指揮フィルハーモニア管でした。その前の2回は2006年、生誕125年を記念したハンガリー国立歌劇場の「バルトーク・トリプルビル」という、今から思うと二度とない垂涎の企画でした。どちらも微妙に半端な記念イヤーだったのは、2006年のほうはモーツァルトの生誕250年と重なっていたので「モーツァルト250+バルトーク125」みたいな抱き合わせ企画になっていたためで、2011年はマーラーの没後100年記念の全曲演奏会の指揮をマゼールに譲ったフィルハーモニア管首席のサロネンが、独自路線で打ち出した対抗企画がバルトーク(+コダーイ+ストラヴィンスキー)だった、という事情があったわけです。

脱線から戻すと、本日の「かかし王子」はバレエ音楽の全曲版ですが、悲しいかな、聴き込みが足らないために、原典版での演奏だったのか、そこから作曲者自らの手で多数のカットが施された最終版なのか、区別がよくわかりませんでした。短い演奏時間を考えるとカットあり版なのかなと思いますが、確信は持てません。大筋としては、かつて見たバレエの舞台をおぼろげに思い出してストーリーを想像しながらの鑑賞でした。あらすじが字幕で投影されていたものの、それだけだと結局よくわからんです。オケは全体的にエッジの効いたメリハリ、クラリネットを筆頭とするソロもいちいち堅牢で、たいへん良かったです。ガードナーも基本的には中道堅実路線でクセが凄くない部類の人ですが、時々オケを煽ってみるものの、オケ側は急なブーストについていけないアドリブ力の限界も見えました。

また、「ラインの黄金」を彷彿とさせる冒頭から、色彩感に富み、複雑なリズムを刻みながらも滑稽なダンス、最後は冒頭に戻ってくる対称構造の構成力、あらためてこの曲はマイナーと埋もれてしまうには惜しい派手さとわかりやすさを持った曲で、もっと聴き込むべき曲だと再認識しました。やはりバレエの舞台も久々に見てみたいと思い、各国の演目予定をチェックする毎日です。