9年ぶりのラ・フォル・ジュルネはシューマン夫妻のコンチェルト ― 2025/05/05 23:59
2025.05.05 東京国際フォーラム ホールA (東京)
ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2025
Kensho Watanabe / 東京フィルハーモニー交響楽団
小林愛実 (piano-1)
David Kadouch (piano-2)
1. ロベルト・シューマン: ピアノ協奏曲イ短調 op.54
2. クララ・シューマン: ピアノ協奏曲イ短調 op.7
ゴールデンウィークのお祭りとして定着したラ・フォル・ジュルネに行くのも実に9年ぶりです。創始のころはけっこうなビッグネームも招聘していてお値頃感があったのですが、音響の悪いホールに加えて、値上がりしていくチケットと反比例してアーティストは年々小粒になり、毎年一応チェックはするものの、興味をそそられる演奏会がなく足が遠のいていました。今回はたまたま、シューマン夫妻のピアノ協奏曲セットという珍しい企画が目に止まり、久々に行ってみることにしました。
だだっ広いホールAがほぼ満員だったのは、やはり小林愛実さんの人気でしょうか。2021年のショパンコンクールのファイナリスト(結果は4位)で、同じく2位だった幼馴染の反田恭平氏とデキちゃった婚をしたエピソードなどもほぼほぼ興味なく、当日になって、あーそういえば今日のソリストは、と思い出したくらいです。
曲順とかよく把握しておらず、てっきりクララが先だと思い込んでいたので、颯爽と登場した小林愛実さんがオケと弾き始めたのがロベルトのほうだったのでちょっとびっくりしましたが、初めて聴く小林愛実さんを、よく知っているこの曲で聴けるのはラッキーなことだと思い直しました。ピアノの低音部が響かないホールのハンデはあるとは言え、総じた印象としては「のっぺりとしたピアノ」。運指のお手本のような正確さで、抑揚とかニュアンスとかを極力排除した即物的な演奏でした。終始しかめっ面で演奏されていますが、その表情からしてほとんど変化がない。別に顔芸をしろとは言いませんが、奏でる音楽の内容はある程度以上に顔に出ますので、自分の好みとはだいぶ違ったところにいる人でした。他国の人のことはわかりませんが、日本人の国際コンクール優勝者ってだいたいこのタイプのような気がします。まあ自分的には、反田氏共々しばらく封印でよいかなと。
続くクララの協奏曲のほうでは別のソリストが登場し、こちらも初めて聴くフレンチピアニストのカドゥシュ。39歳というアブラが乗り切った年齢であり、先ほどの小林愛実とは対極と言える、ニュアンスとメリハリを効かせたヨーロピアンスタイルで、こっちのほうが断然面白かったです。顔芸をするわけではないのですが、その微妙な表情変化がちゃんと演奏とリンクしていて、懐の深さが感じられました。カドゥシュのピアノでロベルトの協奏曲を聴いてみたかったです。今回の2曲を奏者で分けるなら、逆の方が良かったのではないかと。
なお東フィルはお仕事モードの淡々とした演奏。指揮者のケンショウ・ワタナベも、手堅くこなしたという以上の印象はありませんでした。まだ若く、本格的に売り出すのはこれからと思うので、今後の露出に期待したいところですが、両親日本人で横浜生まれの生粋日本人なのに、米国籍だから漢字を当てないプロモーション方針は、日本ではちょっと足枷になるのではと思います。
N響/ルイージ:交通整理の行き届いたマーラー交響曲第3番 ― 2025/04/26 23:59
2025.04.26 NHKホール (東京)
Fabio Luisi / NHK交響楽団
東京オペラシンガーズ, NHK東京児童合唱団
Olesya Petrova (mezzo-soprano)
1. マーラー: 交響曲第3番ニ短調
本日の演目は、来月アントワープ、アムステルダム、ウィーン、プラハ、ドレスデン、インスブルックを回る欧州ツアーのAプログラムだそうです。日程を見るとこの曲をやるのはアムステルダムの1日だけのようですが、大規模なうえに、合唱団、児童合唱も調達しなければならないので、そうそうどこでもできるわけではないんでしょう。
にわか雨も上がり、NHKホールは当日券なしの満員御礼。コンマスは読響から移ったばかりの長原幸太氏です。第1楽章、9人揃えたホルンのユニゾンは気合い十分で力強く、その後も高い集中力でキビキビと進みます。全体的に見ても管楽器が途中でヘロヘロになるようなことはなく、特に、身体が温まってきた再現部のホルンはさらに素晴らしかったです。やはりルイージはこのような大オーケストラの交通整理が非常に上手いと感心しました。クサいベルカント風は抑え気味に、スタイリッシュかつ躍動感を際立ててまとめていきます。この圧巻の第1楽章は、欧州の口うるさい聴衆にも十分通用すると思いました。
第2楽章の前に女性コーラスと児童合唱団が登壇。人数はそれぞれ50人、40人くらいでしょうか。楽器メンバーにとっては第2〜第4の中間楽章は小休止という意味合いもあるのでしょうが、第2楽章はともかく、第3楽章まで来るとちらほらほころびが出てきて、「弱音の弱さ」が見えるようになりました。メゾソプラノが入る第4楽章は特に管楽器が雑になってきたうえ、ロシア人メゾのペトロヴァ自身、調子がイマイチで声が安定せず。オーボエのポルタメントもほとんどかからず、あっさりとした味付けです。
それでも第5楽章はコーラスがたいへん良かったです。オケとのバランスもちょうど良い感じの人数(声量)で、やはりルイージさんのバランスコントロールは素晴らしいものがあります。エピローグのような第6楽章は、休養十分な金管楽器を中心に、再び大音響のパワープレイに持って行きます。最後良ければ全て良し、この長丁場を耐えた甲斐がある盛り上がりでした。ダブルティンパニのユニゾンが、ずれないように奏者が必死で目配せしていたのが微笑ましかったです。
第1楽章は非常に素晴らしい出来でしたし、全体的にも良い演奏で、10年ぶりに生で聴いた甲斐がありました。ただ、欧州に出て行ってガチ勝負するとなると、ようやく準々決勝に残った、くらいのランキングが妥当なところでしょうか。
カーテンコールで、第3楽章の舞台裏のポストホルンではたいへん素晴らしい仕事をしたトランペット奏者がやんやの喝采をもらっていましたが、同じくバンダでがんばった小太鼓奏者にも日の目を当てて欲しかったなあと。
俳句と打楽器が交差するミニマルな世界観:會田瑞樹(perc) ― 2025/03/15 23:59
2025.03.15 ムーブ町屋ムーブホール (東京)
俳句×打楽器:會田瑞樹パーカッションリサイタル
1. 會田瑞樹: 《一茶の俳句による打楽器のためのコンポジション》(新作)
2. 木下正道: 《旅心 〜種田山頭火の俳句による〜》(新作)
3. 佐原詩音: 《病牀六尺 〜四季めぐる 子規と夢みる 十四の句〜》(新作)
4. 国枝春恵: 《芭蕉の俳句における4つの時》(新作)
5. 松村禎三: 《ヴィブラフォーンのために 〜三橋鷹女の俳句によせて〜》(2002)
荒川区の2024年度支援事業「あらかわ文化イベント企画応援プロジェクト」で「俳句」をテーマにした企画公募により採択された演奏会の一つです。演奏に先立ち、會田氏自らこの企画の趣旨解説があり、自身が幼少のころから俳句に慣れ親しんでいたこと、上京後の初演奏会がこのムーブ町屋で荒川区とは縁が続いていること、日本現代音楽の黎明期を支えた指導者の池内友次郎が高浜虚子の息子にして自らも俳人であったことから、「荒川区にゆかりの俳句、俳人をモチーフに打楽器独奏用の新作を委嘱する」というアイデアを思いついたとのこと。
というわけで、本日のプログラムは出来立て新作4曲の初演のあと、松村禎三作品でシメるという、アプサラスの松村賞披露演奏会みたいな構成です。まず1曲目は會田氏自らによる小林一茶の有名な俳句7句を題材にした組曲。よく通る美声で俳句を読み上げ、スネアドラムとタム各種、ビブラフォン、仏具のような金属打楽器など各種打楽器を駆使して、スナッピーをギターのように指で弾いたり、電動歯ブラシを押し当てたりと小技を効かせて多彩な音色を奏でていました。俳句から想起される情景、情感を素直に表出した作品と見受けましたが、打楽器ソロという制約から、効果音を模した直接的な使い方が主になります。
続いて、「ゲージツ家クマさん」のような風貌の木下正道氏による、種田山頭火の俳句集「旅心」を題材にした作品。先ほどの一茶が「ザ・俳句」とも言える定型性と大衆性で日本人の耳に馴染むのに対し、定型も季語も無視した山頭火の自由律俳句に当てた音楽は1曲目とは全くアプローチが異なり、スネア、ロータム、ウッドブロック、タンバリンなど限られた小物打楽器をセットに固定して、わざと変な抑揚で読み上げた俳句に打楽器で合いの手を入れるような曲作りになっていました。山頭火の俳句がそもそもぶっ飛んでてわけわからんので、作曲の意図も非常に難解、しばし意識を失ってしまいました。後から突然思い出したのが、高校の国語の授業で習い非常に印象深かった「馬 軍港を内臓してゐる」という短い句。これも山頭火だったのかなと思って調べてみたら、「馬」は北川冬彦の有名な一行詩であって、山頭火の自由律俳句とは別ジャンルのようでした。と言われても、素人にはその違いがよくわかりません。
次は正岡子規の晩年の随筆「病牀六尺」をタイトルに据え、14の俳句をモチーフにした佐原詩音氏の作品。副題が五七五になっていて、「四季」と「子規」、「めぐる」と「夢みる」が韻を踏んでいてなかなか素敵です。六尺(約1.8m)の病床を模した煎餅布団がひかれ、寝っ転がって咳き込みながらシロフォンを叩いたり、スライドホイッスルで戯けて、鈴をかき鳴らし、なかなかにやりたい放題の多彩な曲でした。普通のオーケストラで「木琴」はマリンバではなくシロフォン、「鉄琴」はヴィブラフォンではなくグロッケンシュピールが定番というか常識ですが、それら4つを全て駆使する曲は珍しいです。長く結核を患い、34歳の若さで亡くなった子規ですが、その俳句や文筆はむしろ明るいものが多く、この作品もその情緒的なものを楽しげな音として捉えようとした様子が伺えます。
新作の最後は、大御所の国枝春恵氏による松尾芭蕉の有名な4つの俳句から想起される情況、感慨を音に還元した作品。いたずらに音色を試すようなことはせず、ヴィブラフォンを中心に各種銅鑼・ゴング類の金属打楽器と太鼓をはべらせた比較的シンプルな楽器構成。コントラバスの弓でヴィブラフォンを擦ったり、お経のように俳句を詠み上げたりと、多少のトリックを入れながらも、ミニマルな俳句の世界を隙間の多い音で表現したのはベテランのなせる技かと思いました。芭蕉をモチーフにした現代音楽は、昨年亡くなった湯浅譲二がいくつも作品を残しているので、恐れ多いと最初は断ったそうですが、これはこれで一つの世界観として成功しているのではないでしょうか。と言いながら、自分も実はその湯浅譲二作品を一つも聴いたことがないので、単なる素人の感想です。
演奏会のトリを飾るのは、俳句と打楽器ということでこの曲は欠かせなかったのであろう、松村禎三「ヴィブラフォーンのために」。この曲を聴くのは第1回アプサラス演奏会で初めて聴いて以来になりますが、會田氏も学生時代、まさに同じ日のアプサラス演奏会で師匠の吉原すみれさんの演奏を聴いて感銘を受け、自身の演奏家デビューにこの曲を選ぶくらいに惚れ込んだということです。ここまでの新作群と違ってヴィブラフォンだけと向き合い、完全暗譜で臨んだ渾身の演奏は、とても丁寧で、かつ共感が伝わるものでした。曲としては多分かなり難解な部類になり、モチーフの俳句がいかなるロジックで目の前の音楽に繋がるのか、2回聴いたくらいでは全く理解が追いつきませんが、あれだけ思い入れたっぷりに演奏されると、なんだかわからないけど奏者の心は十分に響いてきます。また、前回聴いたときと同じ感想になりますが、この音響空間の圧巻の迫力は、レコーディングには決して収まらず、その場でライブ体験しないと絶対に感じ取れないものだと思いましたので、今回再びこの曲が聴けたのはたいへん得難い機会でした。
大阪フィル/尾高:松村「前奏曲」とブルックナー「ロマンティック」 ― 2025/02/18 23:15
2025.02.18 サントリーホール (東京)
尾高忠明 / 大阪フィルハーモニー交響楽団
1. 松村禎三: 管弦楽のための前奏曲
2. ブルックナー: 交響曲第4番「ロマンティック」(ノヴァーク版)
記憶に間違いがなければ、大フィルを聴くのは1982年の「大阪国際フェスティバル」にて、アレクシス・ワイセンベルクがソリストでラフマニノフ2番とチャイコフスキー1番を一晩で弾くというコンチェルトの夕べ以来、実に43年ぶりです。それ以前にも朝比奈隆などの指揮で何度か聴いているはずですが、金管はよく音を外すし、正直あまりシャキッとしないオケ、という印象しかありませんでした。東京公演を毎年行っていて、近年は音楽監督である尾高忠明の指揮でブルックナーの交響曲と日本人の作品という組み合わせが定番のようですが、オケとしての優先順位は低いので、カップリングが松村禎三でなければ聴きに来ることはなかったでしょう。
サントリーホールは意外と客入りが良く、9割がた埋まっていました。さっそうと登場したのはソロコンマスのVaundy、ではなく崔文洙。チューニングが始まり、早速嫌な予感がしたのは、あまりに緊張感がなく、音が汚い。というか、安っぽい。大阪人はあまり楽器にお金をかけないのかなと。チューニング自体も、えっそれでやめちゃうの、と拙速な感じを残すものでした。はたして危惧していた通り、冒頭のオーボエは澄み切ったというには程遠い音色で、続くピッコロ6重奏も、最初からあんなにワウってたら繊細なスコアが台無しじゃー、と心で叫んでいました。こういった緩さ、おおらかさが昔から特徴というか、もしかしたら大フィルの魅力なのかもしれません。ただ自分の嗜好とは違うなあ、ということを再認識できました。
松村禎三「管弦楽のための前奏曲」を生で聴くのも超久々で、多分、CD化もされている1992年の都響定期演奏会(指揮は岩城宏之で、前奏曲、ピアノ協奏曲第2番、交響曲第1番というヴェリーベストプログラム)以来です。ついでの余談で、尾高忠明を見るのは2011年の札幌交響楽団ロンドン公演(ロイヤル・フェスティバル・ホール)以来ですが、その前に尾高さんを見たのは1998年のサントリー芸術財団主催「作曲家の個展:松村禎三」(この時は交響曲第2番の初演と、交響曲第1番、チェロ協奏曲というヘヴィープログラム)だったことを今ようやく思い出しました。話を戻すと、西洋音楽のフォーマットを使いながらも常に日本的、アジア的な文化の継承を意識し、音符ではなく古代建造物からインスピレーションを得て書かれたこの初期の傑作が、かつてほど取り上げられなくなったのは残念で、実演で聴けたのがまずは感謝です。この曲を聴くと、短すぎず長すぎない20分弱というコンパクトな時間内で巨大な伽藍が組み上げられていく様が脳裏に浮かびます。このような繊細な曲で(いやどんな曲でもそうなのですが)開始から早速ゴホゴホ遠慮なく咳をする輩があちらこちらにいて、コロナの効用で改善されたと思っていた咳マナーも、喉元過ぎればもはや風前の灯火です。
メインのブルックナー「ロマンティック」は、やはり大フィルの「あかんところ」がしっかりと出ていた演奏と思いました。この曲で特に重要なホルンは音出すだけで必死、出たら万々歳で満足の世界で、その先の「アート」が全くありません。指揮者も最初から野心を捨てている感じで、自分の音楽を淡々とこなすのみ。熱量を感じることができませんでした。第2楽章、ここはプロオケの強みで中音域の弦は充実していて厚みを増していたのですが、第3楽章のホルンはやっぱり音出しているだけの苦しい演奏。最終楽章はそもそも冗長で好きではないのですが、退屈さを凌げるだけの盛り上がりは聴けず。オケのスタミナ配分はきっちり管理していたのか、最後まで管楽器を中心にバテる様子はなく鳴らし切っていました。しかし全体を通してまた聴きたいと思う要素がなく、大フィルのブルックナーは自分のためのものではないなと。クラシックの場合、たいていの曲はどんな演奏だったとしても「実演に勝るものなし」という一面がありますが、ブルックナーだとそうもいかない、ということを悟りました。今日のような演奏を聴きに出かけるくらいなら、家でハイティンクのCDを聴いているほうがずっと心に染みました。
(単なる個人の見解ですので、気を悪くされた方がいたらすいませんです。)
新日本フィル/佐渡裕:もはやレニーチルドレンではない、淡白なマーラー9番 ― 2025/01/25 23:59
2025.01.25 すみだトリフォニーホール (東京)
佐渡裕 / 新日本フィルハーモニー交響楽団
1. マーラー: 交響曲第9番 ニ長調
今年最初の演奏会は、佐渡裕のマーラー9番。佐渡さんお得意のマーラーは、1990年代前半のころに1番、3番、4番を聴いたはずですが、それ以降はご無沙汰です。佐渡さんを見るのも何と12年ぶり、前回はパリ管@サル・プレイエルでした。新日本フィルの音楽監督になってから、演目が面白くないのでちょっと避けていたかも。マーラーの9番を聴くのもえらい久しぶりだなと思ったら、前回は7年前の読響/カンブルラン、まあコロナ禍のおかげでたいがいのものは「久しぶり」になりますね。
さて、その1990年代頃の佐渡裕は、「レニーの弟子」を看板に、熱気あふれる汗ムンムン演奏というイメージがあり、実際、テンポや間の取り方がバーンスタインのレコードと基本同じだったりして、その分安心して聴ける指揮者ではあったのですが、フランスでのちょっと長めのキャリアの後、ベルリン、ウィーンと渡り歩く過程で、ずいぶんと垢抜けてスタイリッシュな演奏をするようになったなあという印象です。
開演前に佐渡さんの解説というよりミニトークがあり、バーンスタインのマーラーについての少年時代の思い出話を披露。ほどなく始まった第1楽章は、冒頭の弦のフレージングなどレニーばりに粘った部分もありつつも、テンポは遅めで慎重に進んでいく端正なマーラー像。個人的には山場で感情的な盛り上がりに欠けるのはちょっと退屈しました。第2楽章は素朴なレントラーで、特に仕掛けなし。第3楽章、開始のトランペットが惜しく、周囲では多くの人がビクッと反応していました。最後のコーダに向けて加速していく狂乱はなかなかのもので、ここはレニーを超える激しさでした。終楽章は止まりそうに遅いテンポこそ晩年のレニー風でしたが、他の人があまりやらない執拗なポルタメントをかけ、独自の境地を切り開いていたと思います。もはやレニーチルドレンではない佐渡裕をあらためて認識しました。
オケはヘロヘロにならず、最後までよく鳴っていたのでその頑張りに拍手。ただ、欲を言えば、いちいち惚れ惚れするようなソロパートを聴かせてくれたロンドン響やNYフィルの演奏をまた聴きたいなあという思いがふつふつと…。
武蔵野音大管弦楽団:三角帽子、サン=サーンス「オルガン付き」 ― 2024/11/26 23:59
2024.11.26 東京オペラシティ コンサートホール (東京)
現田茂夫 / 武蔵野音楽大学管弦楽団
長嶋穂乃香 (mezzo-soprano-1)
斎藤茉奈 (organ-2)
1. ファリャ: バレエ音楽《三角帽子》全曲
2. サン=サーンス: 交響曲 第3番 ハ短調Op.78 「オルガン付き」
こちらも元々予定にはなかったのですが、選曲に惹かれて行ってみました。オペラシティのコンサートホールは今年2回目ですが、ここのパイプオルガンはまだ聴いたことなかったなあ、というのも理由の一つです。
武蔵野音大は学生時代に何人も知り合いがいたのですが、オケは初めて聴きます。学生オケはプロと比べるともちろん技術レベルは及ばないところがあるものの、しっかりと練習を積み重ねていて、概ね演奏が丁寧なので、技量よりも一期一会の熱意と勢いが感動を生むこともあるから面白いです。ましてやここは音楽を専攻する人たちの集まりなので、技術レベルもなかなかのものでした。
前半の「三角帽子」は、バランス的にはブラスがちょっと馬力不足は否めないものの、弦、木管、打楽器は文句のつけようがない立派な演奏。メゾソプラノは、舞台袖、コーラス席など通常の指揮者の横ではない離れた場所で歌うことが多いですが、今日は木管に紛れた場所に座ってらっしゃいました。在学中の学生さんですが、すでにプロでも通用するレベルのしっかりした歌唱でした。
指揮者の現田茂夫さんはよく名前を見る人ですが、聴くのは初めてです。2019年に亡くなった佐藤しのぶさんのwidowerですね。少し脱色した髪に耳ピアスのチャラい外見で、指揮台から身を乗り出して、コンミス嬢の譜面台の真上くらいまで顔を近づけるのがちょっとキモい。
メインのサン=サーンスのオルガニストは、元々はピアノ専攻で、大学院の音楽研究科に在学中とのこと。このホールのパイプオルガンは初めて聴きましたが、高音の抜けがよく、低音の濁りが少ない、まさに私好みのオルガンでした。この曲は誰がやっても演奏効果が上がる、よくできた曲だと思っていましたが、勢いがあれば押し通せる第2楽章はともかく、第1楽章は結構難しいんだなとあらためて感じました。特に弦のアンサンブルが未熟だと、わちゃわちゃとした感じになってしまってテンションが上がってこないのがちょっといただけないかなと思いましたが、一方で、あまりデリケートなコントロールがない分、普段は目立たない副次声部が際立ってしまうというご利益もあり、面白い演奏になりました。
プログラムを見ると、このオケは武蔵野音大の器楽専攻学生から選抜されており、合奏授業の一環として毎年管弦楽の大作に取り組んでいるそうなので、大作好きの私としては、今後もウォッチしたいと思います。
日本フィル/インキネン/神尾真由子(vn):アルプス交響曲、他 ― 2024/11/24 23:59
2024.11.24 サントリーホール (東京)
Pietari Inkinen / 日本フィルハーモニー交響楽団
神尾真由子 (violin-1)
1. グラズノフ: ヴァイオリン協奏曲 イ短調
2. R.シュトラウス: アルプス交響曲
元々予定していなかったのですが、時間ができたので急遽行ってみました。日曜のマチネということで、満員札止めではないものの客入りは上々。なんだかんだでアルプス交響曲の生演は10年ぶり。インキネン/日フィルを聴くのも10年ぶりでした。
本日のプログラムは、1864年生まれ、今年で生誕160年、没後75年のリヒャルト・シュトラウスと、その1歳年下のグラズノフという、おそらく接点はほぼなかったであろう同世代作曲家の組み合わせです。グラズノフといっても、パッと思い浮かぶ音楽はなく、過去には「ライモンダ」第3幕などのバレエ作品をロイヤルバレエで観たくらいの、馴染みが薄い作曲家です。諏訪内晶子さん以来日本人として二人目のチャイコフスキー国際コンクール優勝者である神尾真由子さんを聴くのは初めてでしたが、ファンの人には申し訳ないものの、最初の一音からして自分にはちょっと受け付けない類のヴァイオリンでした。誤解を恐れず思ったことを言うと、音が汚く、荒っぽい演奏。解釈でそのように装っていることでもなく、途中のカデンツァなどを聴くと確かに技巧的に長けているのは認めますが、全然好みではありませんでした。ということで、残念ながらパスです。アンコールはパガニーニ「24のカプリース」の有名な終曲を弾き切って、ドヤ顔。うーむ、ますます何だかなあ…。ベレゾフスキー(この人もチャイコフスキー国際コンクールの優勝者でしたね)を最初に聴いた時と同じようなモヤモヤ感が残りました。
メインのアルプス交響曲は、私の大好物である打楽器大活躍の大編成曲ですが、オケの地力がモノを言う曲だけに、日本のオケでは物足りない思いをするに違いなく、結果として10年も敬遠していたのも「わざわざ出かけていってがっかりしたくない」のが大きな理由でした。キャリアのハイライトがバイロイトで「指輪」を振った実績であろうインキネンなら、かつての手兵を率いてハッタリでも何でも大いに劇的に仕上げてくれれば、という期待を持って買ったチケット。演奏開始前、えらく長い時間をかけて静寂を待ってから指揮棒を振り始めたインキネン。冒頭から管がバラっと入ってしまって、繊細とは言えない弱音の出だしにちょいと不安がよぎりましたが、インキネンは気にせずひたすら丁寧に、ゆっくりと音を紡いでいきます。全部で60分近くはかかっていたのではないかと感じましたが、こういうアプローチのときはなおさらオケがバテて息切れしてしまうのが常。しかし今日は金管の頑張りが良く、山頂のクライマックスまでは何とか音圧を維持し、持ち堪えていました。その後、集中力が切れたのか、ちょっとヤバい箇所がちらほらと出てきたものの、嵐の場面で巻き直し、後半の金管の難所である弱音高音を乗り切ると、最後は冒頭の再現のような、あまりデリケートではない静寂で幕を閉じました。うーむ、やはりこういうところは、過去に聴いたウィーンフィルやBBC響の惚れ惚れする弱音にはかなわないなあとは思いつつも、全体的にはメリハリが効いて見通しの良い、普通に良い演奏でした。カーテンコールでインキネンが最初に指名したのが、ホルンとトランペットだったのも納得。そう言えば、日フィルはけっこう外国人とおぼしき奏者が多いと言う印象です。個人的には、サンダーシートが図体の割にあまり響かなかったのが少し残念でした。
おまけ。アークヒルズもすっかりクリスマスの装いです。
N響/ブロムシュテット:97歳の現役最高齢マエストロはまだまだ衰えない ― 2024/10/19 23:59
2024.10.19 NHKホール (東京)
Herbert Blomstedt / NHK交響楽団
1. オネゲル: 交響曲第3番「典礼風」
2. ブラームス: 交響曲第4番 ホ短調
10月後半とは思えない蒸し暑さの中、代々木公園のアジアンフェスの雑踏をかき分けてNHKホールへ。原宿駅では大きくて重そうな銅鑼(ソフトケース入り、キャスター付き)を引いてる女性がいらっしゃって、今日の奏者かなと思ったら、やっぱりそうでした。
さて、現役最高齢ながらもヨーロッパ各地で精力的に客演を続けているブロムシュテット翁。N響とは長い付き合いで、桂冠名誉指揮者の称号を得て、ここ20年くらいはほぼ毎年来日されているのですが、一昨年は直前に転倒して怪我をしたにも関わらず無事来日、しかし、買っていたマーラー9番のチケットはやむを得ない事情で聴きに行けませんでした。昨年、リベンジと意気込んでシベリウス2番のチケットを買ったら、感染症のため公演直前で来日キャンセル。もう日本で見ることは叶わないのではとの噂もありつつ、半信半疑で今年はこの日のチケットをとりあえずゲット。欧州でも健康状態悪化でキャンセルを連発しているようだったので、さすがに97歳の超高齢者を長距離フライトに乗せるのはもう無理か、昨年同様来日キャンセルのアナウンスは直前まで引っ張るのかななどと思っていたら、前週のB公演には無事来日して元気に振っていたということで一安心。それでも、当日会場に来てみるまでは「もしかしたら」との危機感が拭えませんでした。
楽団員と一緒にコンマスに手を引かれてゆっくりゆっくり登場したブロム翁に、会場は割れんばかりの拍手、早速ブラヴォー叫ぶ人もおりました。過去に生演を聴いたのは1回だけ、2010年のBBCプロムスでオケはマーラーユーゲントでしたが、その当時ですでに83歳ながらも年齢を感じさせない若々しさが印象に残っていました。それから14年、さすがに足腰が衰えたマエストロは、指揮台上の長椅子に座り、指揮棒は持たずに両手の人差し指を巧みに使い、上半身だけ動かす省エネ指揮です。腕はもちろん大振りではないものの、必要十分な可動域でキビキビと動きます。それより、眼鏡なしでオネゲルの複雑そうなスコアをちゃんと追ってたのが驚きでした。97歳という年齢を考えると視力も聴力もかなり衰えていて当たり前と思いますが、前週の評判通り、足腰以外はシャキッと冴えている様子でした。1曲目のオネゲル3番「典礼風」は、第二次大戦末期から終戦直後にかけて作曲された、「戦争交響曲」とでも呼ぶべき性質の重苦しい作品で、実演を聴ける機会は貴重です。コストミニマムな指揮に対して、オケのほうは仕上がりがまだちょっと未完成という感じでした。木管はまだ良かったですが、金管は音色まで気を配る余裕がなかったもよう。全体的に、道筋がわかって進んでいるのかがよくわからない手探り感が出てしまっていたと思いますが、まあ統制が弱いときのN響はこんなもんです。と思ったら、今日のコンマスは就任したばかりのゲストコンマスの方でした。
休憩後のブラームス4番は、ブラームスの交響曲自体、それを目当てに演奏会に行くということがないので、この前に聴いたのは7年前にウィーンでウィーンフィル、出かけた先でたまたまやってたので聴いたというわけです。こちらはブロム翁、譜面台のスコアは終始閉じたまま暗譜で振っていたので、知り尽くしたレパートリーなんでしょう。冒頭から彫りが深いフレージングが意外だったので指揮をよく見ていると、もちろん練習で叩き込んでもいるのでしょうが、微妙な指の動きながらもちゃんと指揮でリードしていて、二重に驚き。オネゲルと比べるとオケが曲に慣れている分、反応が良く一体感もありました。必要最小限に要所を締める、動きの小さい指揮でしたが、中音域をしっかりと響かせる骨太なドイツ伝統系のブラームスで、決して枯れたり、ましてやボケたりしていない、生命力がみなぎる好演でした。ブロム翁は、足腰を除けば十分に冴えていて、怪我さえしなければまだまだ活動は衰えない感じです。老人の歩行も、気持ちは前のめりでスイスイ歩こうとしていたのが、かえって怖いかも、と思ってしまいました。来年も元気な姿を見せてくれますように。
読響/ヴァイグレ/テツラフ(vn):欧州ツアー直前、充実のブラームスとラフマニノフ ― 2024/10/09 23:59
2024.10.09 サントリーホール (東京)
Sebastian Weigle / 読売日本交響楽団
Christian Tetzlaff (violin-2)
1. 伊福部昭: 舞踊曲「サロメ」から「7つのヴェールの踊り」
2. ブラームス: ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
3. ラフマニノフ: 交響曲第2番 ホ短調
翌週からテツラフと藤田真央を引き連れてヨーロッパツアーに出かけるヴァイグレ/読響の壮行演奏会になります。客席は満員御礼。
1曲目の伊福部版「サロメ」は初めて聴く曲。欧州ツアー向きに何か日本物を1曲、ということでの選曲でしょうか。ツアーのプログラムを見ると他に武満の曲をやる日もあるようです。「7つのヴェールの踊り」と言えば、リヒャルト・シュトラウスの楽劇「サロメ」の劇中舞曲があまりにも有名ですが、同じ原作でありながら伊福部のバレエ音楽は全くテイストが異なるのが面白いです。旋律、リズム、構成どれをとっても全くの伊福部節で、純和風というよりは、東宝の怪獣映画音楽風。変拍子の複雑なリズムを低音をしっかり聴かせつつ小気味よく進めていったヴァイグレさん、曲への思い入れなどは特にないであろうに、劇場キャリアの職人技を垣間見ました。
続くブラームスのコンチェルトは、一昨日ソロリサイタルを聴いたばかりのテツラフがもちろん目当てです。曲自体は好んで聴く曲じゃないので、過去に実演を聴いたのが10年前のイザベル・ファウスト(オケはハーディング/新日本フィル)1回だけという体たらく。しかしテツラフは期待通りの孤高の演奏で、雑なワイルドタッチから、この上なく綺麗に響かせるメロディまで、表現の幅がえげつなく広く、かつ全てが自然に鳴り響き、まるで弓を動かさなくても音が湧き出てくるかのよう。ちょっとハンガリー舞曲を彷彿とさせる終楽章では、一昨日のソロとはまた全く違う情熱的なアプローチで挑み、全くこの人の懐の深さは格別です。アンコールは一昨日も聴いた、バッハのソナタ第3番から「ラルゴ」でやんやの喝采。最近は毎年来日してくれるので、日本での人気も定着している様子です。
東ベルリン出身のヴァイグレはロシアものも得意分野のようですが、メインのラフマニノフ2番は、ある意味それらしい、弱音欠如型のおおらかな演奏。オケはまるでブラームスのように分厚い音作りで、金管を筆頭によく鳴ってはいるものの、抑制が効いた柔らかな響きにしっかりコントロールされています。第1楽章の最後はティンパニの一撃ありバージョン。第2楽章第2主題のポルタメントは軽く効かせて節度ある甘さを演出。有名な第3楽章も焦らず、昂らずにじっくりと盛り上げていきます。最終楽章はここまで貯めたエネルギーを全てを解放するかのような爆演。全体的にツボを抑えた見事なリードで、これなら本場欧州と言えども、どこに出しても恥ずかしくないクオリティと言えるでしょう。個人的にはいろいろあってちょっと荒んだ心も癒される、良い演奏会でした。
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