フィルハーモニア管/ナガノ:感動のフィナーレはどこに?マーラー「復活」2026/03/19 23:59



2026.03.19 Royal Festival Hall (London)
Kent Nagano / Philharmonia Orchestra & Chorus
Jane Archibald (soprano-2)
Christina Bock (mezzo-soprano-2)
1. Hildegard von Bingen: O vis aeternitatis
2. Mahler: Symphony No. 2, 'Resurrection'

日系アメリカ人指揮者の巨匠(と今や呼んでもかまいませんよね)、ケント・ナガノはいくつかCDは持っていたものの、実演を聴くのは今日が初めてです。そもそも近現代寄りのレパートリーが多い人で、去年読響に客演し第7番「夜の歌」をやることはチェックしていたので、けっこうマーラーを得意としているのかなと思っていたら意外とそうでもなく、交響曲の録音は第3番、第8番、「大地の歌」と「嘆きの歌」くらいしかなく、今日の「復活」はけっこうな「レアもの」であったことを後になって知りました。なお「復活」を前回聴いたのは9年前の京都大学交響楽団の第200回記念東京公演で、だいぶ久しぶりです。また私の「復活」はなぜかここフィルハーモニア管と縁があるようで、過去にインバル、マゼール、サロネンの指揮で3回聴いております。

本日のプログラムは「復活」1曲だけではなく、その前にビンゲンの聖ヒルデガルトという12世紀のドイツで活動した修道院長にして作曲家、神学者、薬学者、作家など多彩な才能を発揮して「ヨーロッパ最大の賢女」と呼ばれた人が作曲したチャントを持ってきました。時代も音楽性もマーラーとは大きな隔たりがある曲ですが、解説を読むと、どちらも、天を仰ぎ「原光」で満たされるという共通の方向性を持っているとのこと。うーむ、そう言われましても、あまりに音楽が違いすぎるのでなかなかピンとはこないのですが、ナガノはこういったトリッキーなプログラムを好む人のようです。

オケが揃いナガノが登壇してもまだコーラスが出ていないのでどうするのだろうと思っていたら、10名程度の女声聖歌隊が上手クワイヤ席の脇から歌いながら出てきました。伴奏のない単旋律のチャントを歌いながら一列になってゆっくりと行進し、ストール席の真ん中を突っ切るように進んで、下手のクワイヤ横の扉に消えていきました。その間約8分、ちょうど歌い終わるタイミングで退場できるように計算していたんだと思いますが、聖歌隊の声が消えゆくタイミングでナガノのタクトが起動し、「復活」開始。のっけからアンサンブルがピシッと決まりません。速いテンポで前へ前へと進んでいくのですが、縦の線は正直甘々で、雑な演奏に聴こえるくらいのレベルです。一方で音のバランスには細心の気を配っている様子で、響きは室内楽的というか、マックスの音量を一定以上に上げず、下の音までよく聴こえる音作り。なかなか個性的なマーラーではあります。ブーレーズのマーラーを生で聴いたらこんな感じになるんでしょうか。

第1楽章が終わったところでコーラス隊が入場。第2楽章は意外と普通のテンポでしたが、木管が時々鋭く鳴ってふわっとした感じを打ち消し、ここでも響きの透明感が最優先でした。ソリスト二人が入場して第3楽章が始まるとまた早いテンポになるのですが、摩擦なくサクサク進むような感じはなくて、常に響きに気を遣っているからなのか、オケがギクシャクしながらもグイグイ前へと引っ張られているような感じを覚えました(うまく伝わってますかねー)。思うに、ナガノとこのオケの関係性がよくわからないものの、多分それほど頻繁に客演しているわけでもなく(もしそうなら自分も過去に何度か聴いてたはず)、この大曲にしてはリハの時間も限られていたので、オケのほうもぶっつけ本番で探りながらやるしかない部分が多々あったのではないでしょうか。

第4楽章以降のソリストはどちらも初めて聴く人ですが、文句ない良い歌唱でした。できればもっと正面の席で聴きたかったところです。第4楽章「原光」の伴奏になる金管は、あえて舞台裏のバンダを使っていたのがユニーク。ここまで全体的に速いテンポながら音量を抑えめで進んできたところ、最後の第5楽章にピークを持ってくる戦略なのかなと思っていたら、結局オケは最後まで抑制的。むしろコーラスのほうが割れんばかりの熱唱で、さらには裏のバンダも最後は両サイドストールの客席に出てきて演奏に加わり、それでようやく盛り上がったという感じで、チグハグさが否めません。

このマーラー「復活」は、いろんな解釈や聴き方があるかとは思いますが、大管弦楽と大コーラス、それにパイプオルガンが一体となって神への賛美と自らの復活を高らかに歌い上げるスペクタクル的なカタルシスが、やはりこの曲の最も素晴らしい存在意義だと思うのです。スコアの練習記号でいうと48番以降のこのクライマックスは、YouTubeにも昔から「感動のフィナーレ」として多数の切り抜きや比較動画が上がっておりますが、ナガノの「復活」はそのどれと比べてもあっさりとしたもので、力技で感動を無限に増幅させていくバーンスタインやテンシュテットのようなアプローチとは対局に位置する演奏でした。

あとから振り返ってみると、聖ヒルデガルトの聖歌で厳かに始まり、あくまでその方向の延長として、無茶な飛躍をしない節度ある演奏でクライマックスまで持って行った流れは一貫したコンセプトがあり、またバランスコントロールとバンダの使い方にナガノならではの個性も感じられて、上質のコンサートだったと思いました。ただ、自分が聴きたかった「復活」とは違うかな。


ロンドンフィル/ユロフスキ:研ぎ澄まされたマーラー10番2026/01/24 23:59

2026.01.24 Royal Festival Hall (Lndon)
 Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra
1. Mahler: Symphony No. 10 (ed. Barshai)

ユロフスキを前回聴いたのは2012年11月末なので、約13年ぶりになりますか。前に住んでいたときはLSOが多く、あまりLPOを聴きに行かなかったため、ユロフスキを過去に聴いたのは6度くらい、何か特殊な演奏会ばかり聴きにいった印象が残っています。コンセプト色の強い企画をやる人なので、嫌いなほうではありませんが、自分の嗜好と方向性が合わないことも多いです。なお、ウラディーミルのお父さんミハイル(2022年に亡くなっていたんですね)、弟のディミトリも指揮者で、それぞれ1回聴いています。

本日のプログラムはマーラーの交響曲第10番の補筆完成版の中でも近年評価が高まっているルドルフ・バルシャイ版。このマーラー最後の交響曲に関しては一番メジャーなクック版を筆頭に、いろんな版と稿が入り乱れて多数存在し、指揮者の判断でミックスで使用されたり、指揮者独自のアイデアが取り入れられたりと、なかなか複雑な様相を呈しており、私のように面倒が嫌いな怠惰なリスナーには想像し得ないウンチクが世の中に溢れています。もちろんそのような学究的視点があることは横目で見つつも、自分レベルではざっくりとした感情的な感想を書き記すのが精一杯です。

さて、LPOの首席を退いた後もユロフスキは人気者のようで、客席は満員御礼。登場したユロフスキは、髪がだいぶ白くなったものの、すらっとした長身が醸し出すカリスマの佇まいは健在でした。第1楽章のアダージョは最大限の集中力で、慎重に、慎重に進んでいきます。ユロフスキだとこうなるだろうという期待の通り、細部にこだわる研ぎ澄まされたマーラー。弱音に気を配るのはもちろんのこと、鳴らすところはエゲツなく鳴らすダイナミックレンジの広さが、やはり信頼のある関係のLPOだからこそ実現できるものと思います。ただ、今日はちょっとブラスの人々が不調でところどころ水をさしていました。

ユロフスキは第1楽章で既に精魂つき果たしたような憔悴ぶりで、椅子に座って小休止、その間オケはチューニングを再確認。気を取り直して第2楽章でもいちいち細かい指示を出しまくりの「うるさい指揮」。実をいうとバルシャイ版は初めて聴くのですが、特に第2、第4のスケルツォ楽章で木琴、ベル、むち、ウッドブロックなどの打楽器を多用し、さらには第7番で効果的に使われたテナーホルンやギターも加えて、色彩感が大幅に増しているのが特徴ですが、原理はそうでも実際にそれをどこまでバランスしてカラフルに仕上げるかは指揮者のリード次第です。ウッドブロックの連打(ロール)なんかは日本の現代音楽で多用されるのでマーラーには似合わず違和感がありましたが、ユロフスキは基本的には極彩色路線を取らず、打楽器は控えめに抑えていたように聴こえました。

第10番といえばこれ、という代名詞、最終楽章冒頭のミュートした大太鼓強打は、ステージ上のどれを使うのかなと思って見ていたら、意表をつかれて舞台袖から響いてきました。5楽章を通した全体の構成では真ん中の第3楽章を分極点とした対称構造を成すこの曲で、最終楽章は第1楽章の裏返しで、徐々に徐々にエネルギーが消えていくのですが、ユロフスキは第1楽章さながらの細心の集中力でオケをコントロール。ただホルンが再びピリッとせず、そんなところまで第1楽章に回帰しなくてもいいのに。この長丁場で自分の音楽を最後までやり切ったユロフスキとLPOには満場の聴衆から惜しみない拍手が沸き起こり、スタンディングオベーションで大盛り上がりとなりました。ユロフスキはあえてミスしたホルンを立たせたのがちょっと意地悪。

今日の演奏会にはガチのマイクが多数セットされていたので、LPOの自主制作レーベルでレコーディングされていたと思われます。ブラスはどのくらい修正してるかな?発売が楽しみです。

スコアを掲げてバルシャイ版をアピールするユロフスキ。


BBC響/エルダー:20世紀幕開けの薫り、室内交響曲と大地の歌2025/05/23 23:59



2025.05.23 Barbican Hall (London)
Sir Mark Elder / BBC Symphony Orchestra
Alice Coote (mezzo-soprano-2)
David Butt Philip (tenor-2)
1. Schreker: Kammersymphonie (Chamber Symphony)
2. Mahler: Das Lied von der Erde (The Song of the Earth)

前日に続く「久々」シリーズ、今日は12年ぶりのバービカンです。こちらも前のショップは閉鎖されて別のオープンスペースに移転していましたが、他の雰囲気はシャビーなトイレも含めて昔のまま、懐かしいです。

シュレーカーは自分には馴染みのない作曲家で、世代的にはシェーンベルクとベルクの間、あるいはラヴェルとバルトークの間に位置するので、もっと聴いていてもよさそうですが、記録を辿ると過去には2010年のBBCプロムスで小曲を1つ聴いただけでした。その退廃的な作風は世紀末の時代を反映したもので、それゆえ生前から名声を得ていたものの、ナチスドイツの台頭もあり表舞台からの退場を余儀なくされた後は、上で挙げた強烈な人々と比べると「時代のふるい」にかけられてしまったのかな、という気がします。最も演奏頻度が高いと言われる「室内交響曲」ですら私は初めて聴く曲で、刺激少なく静かに流れていく繊細な音楽に、長い出張の疲れもあってつい爆睡。


休憩中に恒例のアイスクリームを食べ、気を取り直してメインの「大地の歌」は、他のマーラー交響曲と比べると苦手で、聴いた回数も少ないです。前回聴いたのは2017年のインバル/都響ですから8年ぶり。ステージ上のメンバーを見ていて、トランペットにフィリップ・コブと思しき奏者が座っていたのでプログラムで確認すると、まさにその人でした。LSOから移籍したんですね。前のロンドン赴任でLSOを聴きまくっていたころはコブもまだ20代前半だったかと思いますが、そのシャープでブレない圧巻のトランペットに毎回感服したものでした。今日の「大地の歌」ではそんなに見せ場がないのが残念。しかし、LSOからBBC響への移籍はどっちにせよホールがバービカンなので、ファンやリスナーからしたら遠くに行かなくて一安心かもしれません。

冒頭のホルンが返す返すも惜しかったですが、やっぱりBBC響は安定して上手いオケです。要となるオーボエ、コーラングレも惚れ惚れするくらい完璧。オケでもオペラでも幅広いレパートリーを誇る仕事人指揮者、マーク・エルダーのリードは予想通りスコアに忠実で全体的にクールな印象でしたが、マーラーの他の交響曲だと多分物足りないものの、この曲はこれでよいんでしょう。なお、今はフルートに一人日本人メンバーがいらっしゃるようです。

テナーのデイヴィド・バット・フィリップは一昨年の東京春祭で「マイスタージンガー」のヴァルター役を聴いたばかりですが、今がまさに最盛期のようで、ハリのある声と情熱的な歌唱がたいへん良かったです。メゾのアリス・クートを聴くのは2回目で、前回も何と「大地の歌」、2011年のマゼール/フィルハーモニア管でした。このときのマーラーチクルスは交響曲全集としてCD化されていますが、「大地の歌」と同日収録の第10番アダージョは全集から除外されてしまい(CD化に適さないクオリティとダメ出しされたもよう、確かにテナーは酷かったが録り直せばよかったのに)、今となっては演奏を確認できないのが残念です。備忘録を見ると、ぶれることなくしっかりとした歌唱で声も出ていた、と書いていましたが、今回もその印象はほぼ変わらず、高音域がよく通る美声に、静かに情念を燻らせるような堂々とした歌唱が素晴らしかったです。ただし、苦手な曲はやっぱり苦手、なかなか自分の琴線に触れる演奏に巡り会うことはかなわないですねー。


おまけ。ポスター思わず買いたくなりました…。

N響/ルイージ:交通整理の行き届いたマーラー交響曲第3番2025/04/26 23:59



2025.04.26 NHKホール (東京)
Fabio Luisi / NHK交響楽団
東京オペラシンガーズ, NHK東京児童合唱団
Olesya Petrova (mezzo-soprano)
1. マーラー: 交響曲第3番ニ短調

本日の演目は、来月アントワープ、アムステルダム、ウィーン、プラハ、ドレスデン、インスブルックを回る欧州ツアーのAプログラムだそうです。日程を見るとこの曲をやるのはアムステルダムの1日だけのようですが、大規模なうえに、合唱団、児童合唱も調達しなければならないので、そうそうどこでもできるわけではないんでしょう。

にわか雨も上がり、NHKホールは当日券なしの満員御礼。コンマスは読響から移ったばかりの長原幸太氏です。第1楽章、9人揃えたホルンのユニゾンは気合い十分で力強く、その後も高い集中力でキビキビと進みます。全体的に見ても管楽器が途中でヘロヘロになるようなことはなく、特に、身体が温まってきた再現部のホルンはさらに素晴らしかったです。やはりルイージはこのような大オーケストラの交通整理が非常に上手いと感心しました。クサいベルカント風は抑え気味に、スタイリッシュかつ躍動感を際立ててまとめていきます。この圧巻の第1楽章は、欧州の口うるさい聴衆にも十分通用すると思いました。

第2楽章の前に女性コーラスと児童合唱団が登壇。人数はそれぞれ50人、40人くらいでしょうか。楽器メンバーにとっては第2〜第4の中間楽章は小休止という意味合いもあるのでしょうが、第2楽章はともかく、第3楽章まで来るとちらほらほころびが出てきて、「弱音の弱さ」が見えるようになりました。メゾソプラノが入る第4楽章は特に管楽器が雑になってきたうえ、ロシア人メゾのペトロヴァ自身、調子がイマイチで声が安定せず。オーボエのポルタメントもほとんどかからず、あっさりとした味付けです。

それでも第5楽章はコーラスがたいへん良かったです。オケとのバランスもちょうど良い感じの人数(声量)で、やはりルイージさんのバランスコントロールは素晴らしいものがあります。エピローグのような第6楽章は、休養十分な金管楽器を中心に、再び大音響のパワープレイに持って行きます。最後良ければ全て良し、この長丁場を耐えた甲斐がある盛り上がりでした。ダブルティンパニのユニゾンが、ずれないように奏者が必死で目配せしていたのが微笑ましかったです。

第1楽章は非常に素晴らしい出来でしたし、全体的にも良い演奏で、10年ぶりに生で聴いた甲斐がありました。ただ、欧州に出て行ってガチ勝負するとなると、ようやく準々決勝に残った、くらいのランキングが妥当なところでしょうか。

カーテンコールで、第3楽章の舞台裏のポストホルンではたいへん素晴らしい仕事をしたトランペット奏者がやんやの喝采をもらっていましたが、同じくバンダでがんばった小太鼓奏者にも日の目を当てて欲しかったなあと。

新日本フィル/佐渡裕:もはやレニーチルドレンではない、淡白なマーラー9番2025/01/25 23:59

2025.01.25 すみだトリフォニーホール (東京)
佐渡裕 / 新日本フィルハーモニー交響楽団
1. マーラー: 交響曲第9番 ニ長調

今年最初の演奏会は、佐渡裕のマーラー9番。佐渡さんお得意のマーラーは、1990年代前半のころに1番、3番、4番を聴いたはずですが、それ以降はご無沙汰です。佐渡さんを見るのも何と12年ぶり、前回はパリ管@サル・プレイエルでした。新日本フィルの音楽監督になってから、演目が面白くないのでちょっと避けていたかも。マーラーの9番を聴くのもえらい久しぶりだなと思ったら、前回は7年前の読響/カンブルラン、まあコロナ禍のおかげでたいがいのものは「久しぶり」になりますね。

さて、その1990年代頃の佐渡裕は、「レニーの弟子」を看板に、熱気あふれる汗ムンムン演奏というイメージがあり、実際、テンポや間の取り方がバーンスタインのレコードと基本同じだったりして、その分安心して聴ける指揮者ではあったのですが、フランスでのちょっと長めのキャリアの後、ベルリン、ウィーンと渡り歩く過程で、ずいぶんと垢抜けてスタイリッシュな演奏をするようになったなあという印象です。

開演前に佐渡さんの解説というよりミニトークがあり、バーンスタインのマーラーについての少年時代の思い出話を披露。ほどなく始まった第1楽章は、冒頭の弦のフレージングなどレニーばりに粘った部分もありつつも、テンポは遅めで慎重に進んでいく端正なマーラー像。個人的には山場で感情的な盛り上がりに欠けるのはちょっと退屈しました。第2楽章は素朴なレントラーで、特に仕掛けなし。第3楽章、開始のトランペットが惜しく、周囲では多くの人がビクッと反応していました。最後のコーダに向けて加速していく狂乱はなかなかのもので、ここはレニーを超える激しさでした。終楽章は止まりそうに遅いテンポこそ晩年のレニー風でしたが、他の人があまりやらない執拗なポルタメントをかけ、独自の境地を切り開いていたと思います。もはやレニーチルドレンではない佐渡裕をあらためて認識しました。

オケはヘロヘロにならず、最後までよく鳴っていたのでその頑張りに拍手。ただ、欲を言えば、いちいち惚れ惚れするようなソロパートを聴かせてくれたロンドン響やNYフィルの演奏をまた聴きたいなあという思いがふつふつと…。

ノット/新日本フィル:ミッチー欠場で生まれた一期一会、マーラー「夜の歌」2024/08/02 23:59



2024.08.02 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2024
Jonathan Nott / 新日本フィルハーモニー交響楽団
1. マーラー: 交響曲第7番ホ短調『夜の歌』

ミューザ川崎のホールに来るのは6年前のサマーミューザ以来です。元々はこの演奏会、「道義Forever〜ラスト・サマーミューザ〜」と称し、今年限りで引退を表明した井上道義氏が各オケに客演しお別れ公演を行なっている引退ロードの一環だったのですが、本番3日前になって急性腎盂腎炎のためキャンセルになり、ジョナサン・ノットが代役で振ることがアナウンスされました。個人的には、引退ロードのチケットはこれしか取っていなかったのでミッチー最後の勇姿を是非拝みたかったところですが、誤解を恐れずに言えば、大方の聴衆の不満を払拭する「格上」の代役を充てることができた運営の調整力に敬意を表したいと思います。サマーミューザはホールの主催公演で、ノットはこのホールを本拠地とする東京交響楽団の音楽監督であり話を通しやすかったということと、7/27にサマーミューザのオープニングコンサートを振った後に少し滞在を伸ばしてもらうことで万が一に備えていたのだとは思います。結果的にノットと新日フィルの初顔合わせという話題性も生まれて、平日昼間のコンサートにも関わらず、今年の一番人気で早々に完売していた聴衆は、ほとんどキャンセルすることなく満員御礼の客入りでした。

マーラー大好きの私ですが、7番は聴く頻度が最も低く、のめり込める部分もほとんどないのが正直なところ。陰々滅々で退屈な第1楽章をどう乗り切って、「夜の歌」である第2楽章と第4楽章では繊細にメリハリを効かせ、最後の第5楽章は後腐れなくいかにパッションを全開するか、などというミッチー節を想定した聴きどころのプランを持ってはいたのですが、急場の代役でしかも初対面というハンデがありながらも、ノット指揮下の新日フィルは、パニクることなく、注意深く引き締まった演奏を聴かせてくれました。切れない集中力で金管のソロなどもほぼ完璧に切り抜け、すぐにバテてしまう新日フィルの印象を覆す、最後まで馬力を維持した好演だったと思います。弦楽器はチェロ、コントラバスを左に置く対向配置で、自分の席からは低弦がよく響き、重心の低い音場になっていたのは良かったのですが、その分ヴァイオリン、ヴィオラは馬力不足に感じました。またその分、第2、第4楽章できらきらしたメリハリはうまく出ず、全体的に重い感じが残りました。

終楽章冒頭で、ドイツ式配置のティンパニから叩き出されるアクセントの効いた硬質なソロは迫力満点。見た目ずいぶんと若い奏者でしたが、マレットをこまめに持ち替え、音色豊かなプレイが好感持てました。あとこの曲は、第1楽章冒頭のテナーホルン(一見ワグナーチューバかと思いましたが)や、マンドリン、ギターなど、長大な曲の中で少ししか出番がない奏者が何人もいて、ステージ上でずっと暇そうに待っているのは、お仕事とは言えちょっと気の毒に感じますね。

ノットの指揮は2015年に一度、バルトークやベートーヴェンを聴いていて、その時の印象は、唸り声が多くて、リズムの切れ味は鋭利とは言えず普通で、ちょっと前時代的な「遅れてきた巨匠」タイプの人かなと思っていましたが、概ね同じ印象でした。ただ、今日のようなマーラーの大作のほうが、大らかなフォルムの中でいろいろ仕掛けを打つことができて、持ち味が活きる面白い演奏になるんじゃないかと思いました。新日フィルとは初顔合わせだったのでどうしても慎重に探り合うような空気が一部あり、煽ってもオケが着いてこないような局面もいくつかあったように感じましたが、最後まで何十年来の相棒に対するタクトかのように引っ張り続けたのは、さずが百戦錬磨のベテラン。手兵の東響だともうちょっとスムースに一体感が出たのかもしれませんが、お初ならではの緊張感も、これはこれで良かったのでしょう。

緊張が解けてやっとノリが良くなってきた終楽章、最後のトゥッティが鳴り終わらないうちに、酷いフライング・ブラヴォーがありましたが、まあ、盛り上がっていたからいいか。しかし、演奏中からそわそわとタイミングを図り、絶対に誰よりも先んじてブラヴォーを叫ぶんだというその奇特なモチベーションは、私には理解不能ですが。ともあれ、満場の温かい拍手に包まれて、ノットもオケも一仕事終えた充実感を味わったことと思います。もちろん一般参賀あり。今回は、ミッチー欠場の大穴をその存在感で見事に埋めたノットに感謝ですね。

雛壇を上り奏者を称えるノット氏。


小澤征爾の思い出2024/02/10 23:59

昨日の小澤征爾氏の訃報に接し、まずは心より哀悼の意を表します。
まだまだこれからという時に、というわけでもなく、とうとうこの時がきたか、という思いではあります。

自分がクラシック音楽を聴き始めたとき、すでに大スターでした。特に日本では、カラヤン、バーンスタインと肩を並べる三大巨頭として、クラシックが趣味ではない人にも名が知れ渡る人気ぶりでした。

実演を聴くことができたのは2回しかありません。

最初は1981年10月のボストン響との来日公演初日、大阪フェスティバルホールでの「田園」と「春の祭典」という濃いカップリング(これがAプログラム)。正直、細部はよく覚えていませんが、初めて聴いた海外一流オケの圧倒的パワー(特にヴィック・ファース氏の強烈なティンパニ)に感銘を受けました。このとき、田園のスコア表紙に書いてもらった小澤氏と、さらにコンマスのシルヴァースタイン氏のサインは生涯の宝物です。さらには、このときのBプログラムであるウェーベルン「5つの小品」、シューベルト「未完成」、バルトーク「オーケストラのための協奏曲」が、権利にうるさいアメリカのオケとしては珍しくNHK-FMで生中継されており、そのエアチェックのカセットテープも後生大事に持っています。ここで聴いたオケコンがあまりに刺激的で、私のバルトーク好きを決定づける原点となりました。余談ですが、この演奏会では小澤氏が「短い曲なのでもう1回聴いていただきたい」と言ってウェーベルンを2回繰り返すという異例のハプニングも、生放送なのでそのまま放送されていました。


2回目は、長年の因縁と紆余曲折を経て、演奏家へのチャリティーという名目で1995年に実現した32年ぶりのN響との共演。N響との確執はリアルタイムでは知らないので特に関心も感慨もなかったのですが、何より小澤のオケコンが聴ける、というその一点で必死にチケット取りました。演奏会当日の直前に発生した阪神淡路大震災の追悼に「G線上のアリア」が最初に演奏され、ロストロポーヴィチによるアンコールの「サラバンド」が同じく追悼で演奏された後、全員で黙祷し、拍手のないまま散会という異例づくしの演奏会でした。オケ側に固さとミスは多少あったものの、スリリングな緊張感を保った小澤のオケコンは期待通りの感動で、ハイテンションのまま帰路についたのを覚えています。


世が世なら3回目としてチケットを取っていたのが、2012年のフィレンツェ五月祭劇場のバルトーク「中国の不思議な役人」「青ひげ公の城」ダブルビル。前年のサイトウ・キネン・フェスティバルで初演されたノイズム振付・演出のプロダクションをそのまま持ってくる予定だったのですが、小澤氏はこの直前から病気治療のため長期休養に入ることになり指揮をキャンセル。仕方がないとは言え肩透かしを喰らいました。

レコードで好きだったのは、やはり一番アブラが乗っていた1970年代後半から80年代にかけてのドイツ・グラモフォンへの録音で、マーラー「巨人」、プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」、バルトーク「役人」も素晴らしかったですが、特にレスピーギ「ローマ三部作」とファリャ「三角帽子」の完成度は、今なお自分の中のリファレンスになっています。

入手困難だった廃盤や自主制作盤が、これを機に再発してくれたら、とは切に思います。その個人的筆頭はボストン響との「青ひげ公の城」1980年ライブ。サイトウ・キネン・フェスティバルの「中国の不思議な役人」「青ひげ公の城」は当時NHK-BSで放送されていたようなので、その再放送もやってくれたらたいへん嬉しいのですが。

都響/ギルバート:迫力のハンマー3発、マーラー「悲劇的」2019/12/14 23:59

2019.12.14 サントリーホール (東京)
Alan Gilbert / 東京都交響楽団
1. マーラー: 交響曲第6番 イ短調《悲劇的》

マーラー6番はかつてはほぼ毎年のように聴いていた気がしますが、最近はご無沙汰で、3年前の山田和樹の全交響曲演奏会(3年がかりでしたが)以来です。今年からNDRエルプフィルの首席に就任したアラン・ギルバートは、昨年から都響の首席客演指揮者の契約もしております。前回聴いたのは2012年でNYPとのマーラー9番他でしたが、当時の備忘録を読み返すと、奇を衒わず自然な流れに任せる部分と、繊細に細部を作り込む部分が混在した、説得力あるマーラーの音楽作りが特徴でした。今回も印象はまさにその通りで、ただ流すだけでなく、明確にストーリーがある没入型マーラー。ただし繊細なオケのコントロールという点ではオケの限界はあったようで、特にホルンは息切れが激しく、前回聴いたブル9と同じくもう少し安定感が欲しいところ。

中間楽章の曲順はアンダンテ→スケルツォ。終楽章のハンマーは、3回目を初演時の正しい箇所で叩いたのがちょっと意外(が、プログラムにはすでに3回叩く旨が書いてありました…)。ハンマー奏者が見えない席でしたが、ガツンと非常によく聴こえました。エンディングのトゥッティは今まで聴いた中でもダントツにビシッと揃っていて、溜飲を下げました。

2003年以降の記録で、マーラー6番は11回聴いていますが、うちハンマーを3回叩いたのは2人目です(もう一人はインキネン)。中間楽章の順は、指揮者別で言うと、「アンダンテが先」派が4人、「スケルツォが先」派が6人と、若干「スケルツォが先」に分があるようです。

参考:マーラー交響曲第6番演奏会記録
演奏者 第2楽章 ハンマー
2019 ギルバート/都響 アンダンテ 3回
2016 山田/日フィル スケルツォ 2回
2014 インキネン/日フィル スケルツォ 3回
2012 シャイー/ゲヴァントハウス アンダンテ 2回
2011 ビシュコフ/BBC響 スケルツォ 2回
2011 マゼール/フィルハーモニア スケルツォ 2回
2011 ビエロフラーヴェク/BBC響 アンダンテ 2回
2011 ヴィルトナー/ロンドンフィル スケルツォ 2回
2009 ハーディング/ロンドン響 アンダンテ 2回
2008 ハーディング/東フィル アンダンテ 2回
2004 ハイティンク/ロンドン響 スケルツォ 2回

2019年は結局演奏会5回に止まり、充実とは程遠い音楽ライフでした。来年はもうちょっとがんばりたいと思います。

カンブルラン/読響:終着点の「マーラー9番」2018/04/20 23:59

2018.04.20 サントリーホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
1. アイヴズ: ニューイングランドの3つの場所
2. マーラー: 交響曲第9番ニ長調

カンブルランはこのシーズンが読響常任指揮者として最後とのこと。読響の演奏を他の指揮者の時と比べれば、カンブルランの統率力は文句の余地がなく、選曲も相対的に私好みで、充実したものでした。どこのオケを振ろうとも安心してチケットが買える指揮者として、今後も贔屓にさせていただきます。

1曲目はほぼ初めて聴く曲でしたが、まさに「アイヴズ」サウンド。私の好きな「宵闇のセントラルパーク」や「答えのない質問」とも通じるものをビシビシと感じましたが、後で調べれば、マーラー9番を含め、作曲時期はけっこうカブってますね。アイヴズもマーラー同様、曲の途中で唐突に民謡や流行歌を挟み込んでくる人ですが、マーラー9番のほうはそういう引用の箇所がいくつかあっても、もはやそれがわからないくらい自然に溶け込んでいるのに対し、アイヴズは依然としてゴツゴツとした境界面を楽しむ作りとなっているのが、ほぼ同時期に作曲された曲の対比として興味深かったです。

メインのマーラー9番は好んで聴きに行く曲ですが、プロオケで聴くのは4年前のインバル/都響以来。カンブルランのマーラー(4番)を前回聴いたのもちょうどそのころでした。もっとサックリとした演奏を想像していたら、第1楽章の、遅めのテンポで重層的な響きを保ちつつ、非常に濃厚な表情付けがたいへん意外でした。バーンスタインのごとく「横の線」のフレーズ単位でいちいち粘るようなユダヤ系の味付けではなく、「縦の線」に熱を伝達するべくアイロンを押し付けているような(うまく伝わっている気がしませんが…)、カンブルランらしからぬ熱のこもった演奏でした。実際長めの演奏時間でしたが、実測値以上に「遅さ」を感じさせる、濃いい演奏。中間の第2、第3楽章は、依然として遅めのテンポながら、角の取れたフレンチスタイル。特に第3楽章はもっと激しく揺さぶる流れにもできたでしょうに、クライマックスは終楽章に取っておくモダンな戦略がニクいです。そして、終楽章のホルンには感服いたしました。もちろん、この演奏がマーラー9番のベストかと問われたらそうではありませんが、読響のホルンは都響やN響と比べて充実度が数段上だと常々感じております(もっと言うと、ホルンに関しては日本のオケでワールドクラスで戦える可能性があるのは読響くらいと思います…)。

インバル/都響:真夏の盛りに、熱い「大地の歌」2017/07/17 23:59

2017.07.17 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
Anna Larsson (contralto-2), Daniel Kirch (tenor-2)
1. マーラー: 交響詩「葬礼」
2. マーラー: 交響曲「大地の歌」

インバル/都響のマーラーは、2014年に9番と10番クック版を聴いて以来。どちらも素晴らしかったので、「遺作」交響曲シリーズとして期待は高まります。

まず1曲目は「復活」の第1楽章の原型である、交響詩「葬礼」。実演で聴けるのは貴重です。楽器編成とスコアの細部はいろいろと違うものの、曲想としてはほぼ同一と言ってよいでしょう。個人的には、「復活」のスコアで言うと練習番号15番(244小節目)からのテーマ再現部、弦の「ジャカジャカジャ」に続く、やけくそのような打楽器群の「グシャーン」という合の手がないのは寂しいです。コンミスが線細なのがちょっと気になったものの、全体的に弦のコントロールがきめ細かくて表現力に富み、都響の金管もインバルの指揮だと何故か穴がなく説得力のある音を出すから不思議です。

メインの「大地の歌」は、著名曲でありながらマーラーの中ではプログラムに載る頻度が相対的に低く、この曲だけ日本で生演を聴いていなかったので、帰国後のささやかなコンプリートが、これでまた一つかないました。ソリストはどちらも初めて聴く人でしたが、マーラー歌手として評判の高いらしいアンナ・ラーションは、エモーショナルかつ老獪な、期待を裏切らない完成度。一方のちょっと若そうなテナーのダニエル・キルヒは、最初から飛ばし気味で駆け引き無縁のストレートな熱唱を聴かせてくれましたが、案の定、張り切り過ぎで途中で息切れしていました。

インバルのリードはいつも通り説得力があり、流れは澱みなく、奏者の息もよく合っているので、全体的に引き締まった印象でした。その分壮大なスケール感には欠けていたかもしれませんが、爆演が似合う曲でも元々ないだろうし。ソロではオーボエとホルンが特に良かったです。インバル/都響は、今後もインバルが来日してくれる限り、できるだけライブを聴きに行きたいと思いました。