都響/レネス/タベア・ツィンマーマン(va):ロマンを忘れた無骨なロシア風ラフマニノフ2023/09/23 23:59

2023.09.23 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Lawrence Renes / 東京都交響楽団
Tabea Zimmermann (viola-2)
1. サリー・ビーミッシュ: ヴィオラ協奏曲第2番《船乗り》(2001) [日本初演]
2. ラフマニノフ: 交響曲第2番 ホ短調

コロナがあったのでたいがいのものはご無沙汰なのですが、東京芸術劇場に来るのも非常に久しぶりな気がして、記録を辿ると4年ぶりでした。それよりも、ひところは演目に見つけては足繁く聴きに出かけていたラフマニノフの2番も気がつけばすっかりマイブームが去り、6年前に出張中のライプツィヒで聴いたのが最後でした。

さて本日は指揮者、ソリスト共に初めての人々です。ドイツ人ヴィオリストのタベア・ツィンマーマンは、大御所ピアニストのクリスティアン・ツィンマーマン(ポーランド人)と関係がないのはわかるとしても、同じドイツ人のヴァイオリニストのフランク・ペーター・ツィンマーマンとは一緒にレコーディングをしているので兄妹かなと思ったら、特に血縁関係はないようです。

1曲目のヴィオラ協奏曲はタベアさんのために作曲された作品ですが、初演を指揮する予定だったタベアの夫、デヴィッド・シャローンが都響定期を振るために来日した2000年9月に不幸にも急逝してしまったという因縁のある曲だそうです。20年以上の時を経て(本来は2年前に上演予定でしたがコロナのため延期)、タベア本人の都響への客演という形で日本初演が叶ったのは喜ばしいことですが、正直、私にはこの昼下がりの時間帯に聴くのは辛すぎた。タイトルからして「さまよえるオランダ人」とか「ピーター・グライムズ」のように劇的で写実的な曲を勝手に想像していたら、一貫してたおやかな雰囲気の、シベリウス寄りのベルク、みたいな抒情的な曲でした。あえなく撃沈、すいません。ただ、アンコールを機嫌良く2曲もやってくれて(多分バッハとパガニーニだろうと思っていたら、ヴュータンとヒンデミットでした…)、これがどちらも凄い演奏で、楽団員全員が凝視。この人の途方もない技術力と表現力の幅がよくわかりました。

メインのラフマニノフはちょっと不思議な演奏でした。ローレンス・レネスも正直初めて聞く名前で、宣材写真からヒスパニック系かなと思っていたら、南方系ではありますがマルタ系オランダ人の白人で、すらっと背が高く、ハゲ具合がスティーブ・ジョブス風。オペラに長けた人のようで、言われてみると確かにオケにはあまり繊細なコントロールはせずに、冒頭の弱音から朗々と鳴らす無骨な演奏でした。野蛮さ、田舎臭さはなく、ストレートにひたすら前進していくイメージ。しかしこの曲は、甘ったるくやるにも、即物的にやるにも、いずれの場合でも何かしらの細やかな揺さぶりをやらないと長丁場持たない気がしますが、そんなの関係ねえと弱音欠如のまま重戦車のように太く突き進むのが、ある意味今どきのロシア風かもしれません。期待とは違う演奏でしたが、オケは普段通りのハイクオリティで楽しめました。やっぱりこの曲は、特に生で聴く時は甘い気分に浸れる方がいいかな。


三善晃「反戦三部作」は魂の叫び、都響/山田和樹2023/05/12 23:59

2023.05.12 東京文化会館 大ホール (東京)
三善晃生誕90年/没後10年記念:反戦三部作
山田和樹 / 東京都交響楽団
東京混声合唱団, 武蔵野音楽大学合唱団 (1,2)
東京少年少女合唱隊 (3)
1. 三善晃: 混声合唱とオーケストラのための《レクイエム》(1972)
2. 三善晃: 混声合唱とオーケストラのための《詩篇》(1979)
3. 三善晃: 童声合唱とオーケストラのための《響紋》(1984)

この「三善晃反戦三部作」の演奏会は、ちょうど3年前に開催が予定されていてチケットを買っていたものの、コロナ禍初期の混乱の中、当時の幾多の演奏会同様、中止となってしまったものです。私は特に三善晃のファンというわけでもないのですが、こういう刺激的な企画は好物なので、3年を経てのリベンジ公演はもちろん「買い」でした。くしくも今年は、1933年に生まれ、2013年に亡くなった三善晃氏の、今年は生誕90年、没後10年の記念になります。その効果か、この非常に聴衆を選びそうな演目であるにも関わらず、蓋を開けてみると、何と完売御礼になっていました。

三善晃の曲を過去実演で聴いたのは、2013年の大野/BBC響の日本特集で演奏された交響詩「連祷富士」と、2016年の下野/新日フィルでの「管弦楽のための協奏曲」の2回だけです。2013年のときは、まだご存命だったんですねえ。日本の現代音楽にあって、比較的受け入れやすいというか、硬派な音楽ではあるけれども、あまり難解ではない作風の人だと思います。しかし、1曲目の「レクイエム」は、全編通してひたすら悲痛な叫びと不気味なハーモニーが支配する、全く耳に優しくない音楽でした。戦争の悲惨さを苦悶する詩で綴られたテキストを、80人ほどの混声合唱団が叫ぶように歌い、無数の打楽器を含む大編成の管弦楽は音のクラスター爆弾をこれでもかとぶつけてくる。聴き慣れてない曲なので理解がまだ浅いとは思いますが、真に心の叫びからこういう風に書かざるを得なかった、ある意味聴衆を置き去りにした作品にも感じました。しかし、作曲者の「エネルギー」が伝わってくるには十分な熱演だったと思いました。聴いているだけでこれだけ疲れるのだから、ヤマカズさんもオケも、前半から相当に疲れたことでしょう。

休憩を挟んで2曲目の「詩篇」は音源がなく、全く初めて聴く曲でした。戦争が直接的に生々しい「レクイエム」とは異なり、こちらは宗左近の詩集「縄文」からテキストを取っているので、戦争を仄めかした内容はあるものの、全体的なトーンはポエティックで穏やか。「レクイエム」から7年後の続編(というわけでもないでしょうけど)にしては、ずっとエンタメ系の仕上がりになっています。童謡「花いちもんめ」が挿入され、オケのトゥッティ、美しいハーモニーのコーラス、切ないチェロの独奏(新しいトップの人、若いけど上手いですね)など、随所に聴衆を意識した仕掛けと構成力が感じられました。

コーラスの人たちはこれでお役御免で退場、盛大な拍手。最後の「響紋」は、実はCDを持っていて何度も聴いたことがある曲ですが、「詩篇」と呼応するように、「かごめかごめ」の童謡から始まります。がらんとした合唱隊のスペースに、最初は小学生低学年とおぼしき子供たちが手を繋ぎ「かごめかごめ」を歌いながら登壇、追って、中学生くらいまでの年長組の児童合唱隊が、それぞれ楽譜を手に歌いながら歩いてきます。すると突如平穏を切り裂くような弦の不協和音。この曲のテキストは基本的に「かごめかごめ」の歌詞だけですが、オケはそれに寄り添うでもなく、ずっと童謡の邪魔をしているかのようです。再びエンタメ色は弱まり、何か子供たちがかわいそう。10分程度の小曲の最後は、「うしろのしょうめんだあれ」で合唱隊も客席に背を向ける演出。おそらく子供には理解するのがなかなか難しいであろう、この難曲に真面目に向き合っただけでも天晴れです。ヤマカズさん、都響のみなさんも、エネルギッシュな演奏ありがとうございます。お疲れ様でした。

写真は都響の公式ツイッターから



トリックスターの自由奔放、コパチンスカヤ/大野/都響:リゲティ生誕100年記念2023/03/28 23:59

2023.03.28 サントリーホール (東京)
都響スペシャル【リゲティの秘密-生誕100年記念-】
大野和士 / 東京都交響楽団
Patricia Kopatchinskaja (violin-2, voice&violin-4)
栗友会合唱団 (3)
1. リゲティ(アブラハムセン編): 虹~ピアノのための練習曲集第1巻より[日本初演]
2. リゲティ: ヴァイオリン協奏曲
3. バルトーク: 《中国の不思議な役人》(全曲)
4. リゲティ: マカーブルの秘密

本日は都響のコンマス(コンミス、とは最近は言わなくなったんかな)を13年半勤められた四方恭子さんの最後の演奏会とのこと。ということはつゆ知らず、久々に「マンダリン」の全曲が聴けるとあって、その一点買いで取ったチケットでした。しかし、本来のコンセプトは「リゲティ・プログラム」。リゲティはハンガリーの作曲家なのでもっといろいろ聴いていても自分として不思議はないのですが、何故か実演に接する機会が少なく、過去の記録を辿っても「ロンターノ」が3回と「ルーマニア協奏曲」しかありませんでした。

ということでリゲティの曲はどれも初めて聴くものばかり。1曲目はセロニアス・モンクやビル・エヴァンスにインスパイアされたというピアノ練習曲の編曲版で、確かにジャズっぽい響きの綺麗な曲ですが、あっという間に終わりました。

2曲目は問題作のヴァイオリン協奏曲。噂に違わぬ何でもありのアバンギャルドな曲でした。エキセントリックな芸風で知られるコパチンスカヤを聴くのも初めてでしたが、オハコのレパートリーで水を得た魚のように暴れ回り、想像以上のトリックスター(良い意味で)でした。先日のテツラフのように音だけで凄みを効かせるのとは真逆のタイプで、音ははっきり言ってかなり雑ですが、全身を使ってトリッキーなプレイを連発。オカリナやリコーダーも登場する小編成の変則オケをバックに、口笛、鼻歌、奇声も交えた自由奔放なヴァイオリン独奏に、最後は指揮者の周りを歩き回り、足を踏み鳴らし、オケも聴衆も巻き込んでの掛け声で、1、2年前のコロナ禍真っ只中だとちょっとできなかったパフォーマンスでしょう。曲も曲だし、奏者も奏者、初めて聴いて比較対象もないので演奏の論評はお手上げですが、何かとんでもないものを見た、という感じです。しかし、たいしたエンターティナーであることは確かだし、こういう、コンサートホール芸術の殻を突き破らんとする刺激的な音楽は大好物です。

アンコールはコンミス四方さんを引っ張り出し、リゲティのバルトーク風民謡調の曲(「バラードとダンス」というらしい)をデュオ。これは両者の音に個性の違いがくっきり出ていて面白かったです。四方さんは真っ直ぐ正統派の真面目なお姉さん、対するやんちゃな妹は自由気ままに生き生きとラフな音で絡みつき、美味しいところをさらっていく感じ。

休憩後の待望の「マンダリン」ですが、この日唯一のフル編成オケで、リゲティよりもだいぶリラックスした感じでオケが良く鳴っており、たいへん元気が良い演奏でした。繊細な弱音なし、クラリネットも怪しい雰囲気は薄く、やけに健康的というか、うーむ、こういう解釈になるのか、という肩透かし。打楽器のリズムは強調され、全体的に気合い十分な好演だったとは言えますが、ちょっと空虚な淡白さが気になりました。大野さん、劇場付きオケとの仕事が長かったためか、細やかな表情づけなどを逆に何もやってくれないことが多い気がします。

最後の「マカーブルの秘密」は、オペラ「グラン・マカーブル」の一場面のアリアを再構成したショートピースで、これまた規格外の問題作。また小編成に戻ったオケは、途中でくしゃくしゃにして捨てる新聞紙(そういう特殊効果音が楽譜上で指定)を読みつつ壇上で待機します。コパチンスカヤはクラウンというのかパンダというのか、変なメイクと、新聞紙とゴミ回収袋を身体に巻きつけた衣装をまとい、ヴァイオリンを持って再登場。本来はコロラトゥーラ・ソプラノのための曲ですが、トランペット等の楽器で演奏してもかまわないらしく、ヘッドマイクを通した声(歌ともシュプレヒテンメとも言えない奇声)に交えてヴァイオリンで弾くのが彼女流。先ほどのヴァイオリン協奏曲よりもさらに自由度がアップし、動き回り、飛び回り、転げ回り、まさにやりたい放題。ヴァイオリン高いだろうに、傷がつかないか見ていて心配になりました。大野さんも最後には「もう限界です誰か指揮を代わってください」と泣きが入る演出で、奏者も指揮者もオケも聴衆も一緒になって「音」を作るという、これもまた音楽芸術の一つの形であり、ライブの醍醐味。非常に楽しく面白い体験で、リゲティの作品が極めて孤高で唯一無二の「芸術」であることもあらためて発見できて、満足のいく一夜だったのでした。

写真は楽団の公式Twitterより。


マダラシュ/都響/シュパチェク(vn):ハンガリー × チェコ = コバケン?2022/10/08 23:59

2022.10.08 サントリーホール (東京)
Gergely MADARAS / 東京都交響楽団
Josef ŠPAČEK (violin-2)
1. リスト (ミュラー=ベルクハウス編): ハンガリー狂詩曲第2番
2. バルトーク: ヴァイオリン協奏曲第2番 (第2稿)
3. ドヴォルザーク: 交響曲第8番 ト長調

何やかんやで間隔が空き、半年ぶりの演奏会。都響は2年8ヶ月ぶり、バルトークのコンチェルトは5年ぶり、ドボ8は好きな曲なのに何故か巡り合わせが悪く、何と18年ぶりの生演です。今日の演目はちょっと不思議で、ハンガリー人指揮者とチェコ人ソリストの組み合わせながら、協奏曲がハンガリーの曲でメインがチェコの曲というねじれ関係にあります。ありがちな選曲パターンだと、協奏曲はドヴォルザークかマルティヌーで、メインはオケコン、ということになりそうですが、個人的にはそうならなくて良かったです。

マダラシュ・ゲルゲイはハンガリー出身の若手指揮者。同じハンガリーにマダラス・ゲルゲイというテニス選手がいるのでGoogle検索では紛らわしいですが、指揮者はMadaras、テニスはMadarászで、苗字が違いました(語源は多分同じですが)。地元のサヴァリア交響楽団から出発し、現在ベルギー王立リエージュ・フィルの音楽監督。日本では広島響、京都市響への客演を経て東京都響が今回初共演だそう。欧州各所でオペラも振り、地味でも地道にキャリアを積み上げている人のようです。1曲目のハンガリー狂詩曲は出だしの呼吸が少し乱れて、おそらくリハの時間が十分ではなかったのかと思いますが、その後のテンポの揺さぶりを難なく乗りこなしていく百戦錬磨のリーダーシップが頼もしく感じられました。初めて聴くミュラー=ベルクハウス版のハンガリー狂詩曲第2番は、重厚で色彩的が豊かになった分、ピアノ曲の面影はさらに薄まっている気がします。

2曲目、元チェコフィルのコンマスであるシュパチェクの奏でるバルトークは、最初は適度に荒れた質感で、まさにチェコフィルの弦という飾り気のないナチュラルな音。2011〜2019年の間コンマスをやっていたとのことなので、多分その当時にも聴いたことがあるかもしれません。澄み切った美しい高音を響かせたかと思うと、速いパッセージも難なく高速で弾き切り、なかなかのテクニシャンぶりを発揮。長身でシュッとしたイケメンですが、イメージは素朴な東欧の兄ちゃん。変幻自在に楽器を操りながらも演奏に派手さや押しの強さはほとんどなく、しみじみと染み入るタイプのバルトークです。この曲を弾く西側のヴァイオリニストはけっこう派手系の人が多い印象ですが、原点に帰ってこういうバルトークも良いものです。オケのほうはあまり見栄を切らずに大人しめで、ソリストを際立たせる意図があったんではないかと、メインを聴いた後で思いました。アンコールは「母がよく聴かせてくれた故郷モラビアの小曲です」と言って、独奏曲にもなっていない、本当に素朴な民謡を静かに奏でました。多分予定外に何度もカーテンコールで呼び出されたために急遽その場でやったのかと思います。

メインのドボ8は、また元に戻って随所でテンポを(あえて?)田舎臭く揺さぶり、大見栄を切った演奏で、ふと思い出したのがコバケンこと小林研一郎。18年前に聴いたドボ8はコバケン指揮のブダペストフィルだったのですが、まさにこんな演奏だったように思います。ハンガリーでは知らぬ人がいない有名人で、チェコフィルとも縁が深いコバケンですから、もしかしたら若かりしマダラシュも私と同じ演奏会を聴いていて感銘を受け、同じ方向性を目指したのかなとちょっと妄想しました。いや、決してくさしているわけではなく、マーラーやブルックナーではないからオケも破綻することなくしっかりと音が前に出ていて、たいへん良い演奏でした。それと同時に、コバケンのドヴォルザークをまた聴いてみたくなりました。

フレンチバレエの系譜、ロト/都響の「ダフニスとクロエ」ほか2020/02/03 23:59

2020.02.03 東京文化会館 大ホール (東京)
François-Xavier Roth / 東京都交響楽団
栗友会合唱団
1. ラモー: オペラ=バレ『優雅なインドの国々』組曲
2. ルベル: バレエ音楽《四大元素》
3. ラヴェル: バレエ音楽《ダフニスとクロエ》(全曲)

ロトは2000年のドナテッラ・フリック指揮者コンクール優勝者としてLSOとは関係が深く、自分がロンドンにいたころも何度かLSOに登場していましたが、当時は自分の中で優先度が低かったので、指揮者狙いでチケットを買う対象ではありませんでした。備忘録に書いてなければすっかり忘れていたところですが、2010年4月にプレヴィン/LSOで「アルプス交響曲」をやる演奏会のチケットをワクワクでゲットするも、あいにくプレヴィンが病気でキャンセル、代役に立ったロトは演目を「新世界」に変えてしまったのでチケットをリターンした、というニアミスはありました。それから10年しか経ってませんが、レ・シエクルの成功でロトはすっかり巨匠の風格です。実際、初めて目にする生ロト、年輪の刻まれたその顔は、まだ40代とは到底思えません。世代的にはキリル・ペトレンコ、ステファン・ドヌーヴと同世代ですが、ふーむ、老け顔具合はそんなに変わらんか・・・。

前半はバロック時代のフランスの作品。どちらも全く知らない曲です。バロックというとバッハとかヴィヴァルディの理知的に整ったイメージしか頭に浮かばなかった私からすると、両曲とも意外とアバンギャルド。ラモーは打楽器賑やかで、バロックトランペットも痛快な明るい曲。リュートみたいなのとギターを持ち替えている奏者がいたり、よくわからない手作りっぽい楽器も見えて、彩り豊かで飽きさせませんでした。一方のルベルは、これまた予想を裏切る、まさかの大不協和音から始まり、ロマンチックに展開する意味深な曲。どちらもバレエっぽいなと思ってあらためてプログラムを開いてみると、やっぱりバレエ曲。なるほど今日はフレンチバレエの系譜を垣間見る趣向なのだなと今更ながら気づきました。

メインの「ダフクロ」は、全曲通しで聴くのは超久しぶり。この曲はやっぱりコーラスが入って初めて音響が完成するのだなとあらためて気付かされます。フルートは寺本さんじゃなかったのは残念ですが、まあでもとても上手かったです。全体的にハイレベルで鳴っていた中、近年の都響はどうにもホルンがガンですが、それはさておき。都響を振るのは2回目というロトですが、さすがカリスマ、全く自分の手中で転がして、エゲツないくらいのキレキレリズムでガンガン攻めてきます。ちょっとラヴェルらしからぬこのエグさは、前半のバロックバレエと呼応しているのかなと思いました。個性的なダフクロでしたが、全体を通しては納得感のある演奏会でした。

都響/ギルバート:迫力のハンマー3発、マーラー「悲劇的」2019/12/14 23:59

2019.12.14 サントリーホール (東京)
Alan Gilbert / 東京都交響楽団
1. マーラー: 交響曲第6番 イ短調《悲劇的》

マーラー6番はかつてはほぼ毎年のように聴いていた気がしますが、最近はご無沙汰で、3年前の山田和樹の全交響曲演奏会(3年がかりでしたが)以来です。今年からNDRエルプフィルの首席に就任したアラン・ギルバートは、昨年から都響の首席客演指揮者の契約もしております。前回聴いたのは2012年でNYPとのマーラー9番他でしたが、当時の備忘録を読み返すと、奇を衒わず自然な流れに任せる部分と、繊細に細部を作り込む部分が混在した、説得力あるマーラーの音楽作りが特徴でした。今回も印象はまさにその通りで、ただ流すだけでなく、明確にストーリーがある没入型マーラー。ただし繊細なオケのコントロールという点ではオケの限界はあったようで、特にホルンは息切れが激しく、前回聴いたブル9と同じくもう少し安定感が欲しいところ。

中間楽章の曲順はアンダンテ→スケルツォ。終楽章のハンマーは、3回目を初演時の正しい箇所で叩いたのがちょっと意外(が、プログラムにはすでに3回叩く旨が書いてありました…)。ハンマー奏者が見えない席でしたが、ガツンと非常によく聴こえました。エンディングのトゥッティは今まで聴いた中でもダントツにビシッと揃っていて、溜飲を下げました。

2003年以降の記録で、マーラー6番は11回聴いていますが、うちハンマーを3回叩いたのは2人目です(もう一人はインキネン)。中間楽章の順は、指揮者別で言うと、「アンダンテが先」派が4人、「スケルツォが先」派が6人と、若干「スケルツォが先」に分があるようです。

参考:マーラー交響曲第6番演奏会記録
演奏者 第2楽章 ハンマー
2019 ギルバート/都響 アンダンテ 3回
2016 山田/日フィル スケルツォ 2回
2014 インキネン/日フィル スケルツォ 3回
2012 シャイー/ゲヴァントハウス アンダンテ 2回
2011 ビシュコフ/BBC響 スケルツォ 2回
2011 マゼール/フィルハーモニア スケルツォ 2回
2011 ビエロフラーヴェク/BBC響 アンダンテ 2回
2011 ヴィルトナー/ロンドンフィル スケルツォ 2回
2009 ハーディング/ロンドン響 アンダンテ 2回
2008 ハーディング/東フィル アンダンテ 2回
2004 ハイティンク/ロンドン響 スケルツォ 2回

2019年は結局演奏会5回に止まり、充実とは程遠い音楽ライフでした。来年はもうちょっとがんばりたいと思います。

都響/大野和士/エーベルレ(vn):ベルクとブルックナーの遺作を並べる2019/09/03 23:59

2019.09.03 東京文化会館 大ホール (東京)
大野和士 / 東京都交響楽団
Veronika Eberle (violin-1)
1. ベルク: ヴァイオリン協奏曲《ある天使の思い出に》
2. ブルックナー: 交響曲第9番 ニ短調 WAB109(ノヴァーク版)

ブル9も最近聴いてないなーと思い(調べると5年ぶり)、気まぐれで買ってみたチケット。寝不足で体調も悪く、ちょっと演奏会にはきつい身体だったかも。

2003年以降に聴きに行った演奏会は演目を全部リスト化していますが、ざっと眺めて、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンのいわゆる「新ウィーン楽派」が極端に少ないことに気づきました。特にベルクは過去に「室内交響曲」1曲のみという体たらく。決して嫌いというわけでもないんですが、無意識に避けてきたんでしょうかね。ベルクの代表作であるヴァイオリン協奏曲も、実は聴くのはほとんど初めて。今さら指摘することでもないでしょうが、音列技法の作法に従い無調の仮面をかぶってはいるものの、不協和音は少なく、むしろ調性と調和を感じさせる不思議な曲です。ヴァイオリンのエーベルレは名前からして知らない人でしたが、30歳の若さで容姿淡麗、ヴァイオリンはさらに輪をかけて美しいという恵まれた資質の持ち主。1曲だけではもちろんよくわかりませんが、ベルク向きなのは確かでした。それを下支えするオケは、金管の弱音が不安定すぎるのが玉に瑕だったものの、ひたすら静かに、控えめに伴奏。

メインのブル9は最初から弱音欠如型。音圧だけはやたらとある演奏でしたが、引っかかりがなく、大野さんのこだわりポイントが見えてこない。第2楽章になると、今度は一転してスペクタクル感が強くなり、オケが鳴りまくってます。第3楽章も音大き過ぎで、全体的にメリハリがない。終わってみて「うるさかった」という印象しか残らなかったのは、自分の体調のせいだけでもないでしょう。ブルックナーをやるときは、もっとダイナミックレンジを広く取り、特に金管の弱音を磨いてほしい(もちろん強奏の馬力も必須ですが)、と思いました。これはインバル先生のときにはあまり感じなかったことですので、都響ならできるはず。

都響/ペレス:バレエ・リュスの傑作、「ペトルーシュカ」と「三角帽子」2019/06/08 23:59

2019.06.08 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Arejo Pérez / 東京都交響楽団
長尾洋史 (piano-1)
加藤のぞみ (mezzo-soprano-2)
1. ストラヴィンスキー: バレエ音楽《ペトルーシュカ》(1947年版)
2. ファリャ: バレエ音楽《三角帽子》(全曲)

バレエ・リュス繋がりの、私の大好物2曲。「三角帽子」は最近よく演目で目にするので、ファリャの何かの記念イヤーかなと思ったのですが、特にそういうものはなく、強いて言うなら「三角帽子」バレエの初演から100年後が今年でした。今回が都響初登場のアレホ・ペレスはアルゼンチン出身ですが、ファリャが晩年にフランコ政権を避けて亡命した先はアルゼンチン。また、ストラヴィンスキーとファリャはパリの芸術家サークル「アパッシュ」のメンバーとして親交があった、というようなところも加味して組まれたプログラムでしょうかね。

「ペトルーシュカ」の1947年版は、3管編成で軽くした分、より頻繁に演奏されるべきバージョンなのですが、昨今は原点主義が主流になっているためか、私の実体験で、4管編成の1911年版がプログラムに乗ることが多いように思います。ということで実は貴重な1947年版体験なのですが、まず冒頭から音量の加減なし。バランスが悪いというか、繊細なこだわりなしの開始にちょっと不安。初登場のハンデからか、縦線が甘く、思うようにリズムが作れていない気がしました。あまり得意レパートリーではないのかも。盛り上がりに欠けたまま淡々と進み、最後はコンサートエンディングで、ペトルーシュカは死なないで華やかな中に終わったので、全体として欲求不満。そういえば前回ペトルーシュカを聴いたのも(7年前のビエロフラーヴェク/チェコフィル)1947年版のこのエンディングだったのを思い出しました。レコードで聴く限り、1947年版といえどもカットなしで最後まで演奏するのが普通と思い込んでいたので、上演上の慣習なのかもしれません。

「三角帽子」は、前半とは打って変わり、旋律の歌わせ方が手慣れていて、こっちのほうが絶対おハコです。ステージ後方に位置した独唱は、スペイン在住のメゾソプラノ、加藤のぞみさん。出番は少ないものの、情緒ある熱唱がいっそう華を添えていました。ん、さっきのピアノの人が、今度はうしろでピアノを弾いている…。指揮者がノっているうえに、都響の木管は上手い人が揃っているので、安心して聴いていられます。お名前はわからないですが、ホルンに新顔の美人すぎる奏者(浜辺美波似)を発見したので、途中から視線はもっぱらそっちに。そうこうしているうちにあっという間に、私の大好きな終曲。アチェレランドで追い込んでいくのが小気味よかったです。欲を言えば、一番最後のブレークではスネアドラムにカスタネットを重ねて欲しかった。

短いコンサートでしたが、アンコールなしであっさり閉演。さてアレホ君、爪痕をどのくらい残したかは微妙。次の登場はいつだろうか…。

インバル/都響:完成された「未完成」と「悲愴」@ミューザ川崎2018/03/31 23:59



2018.03.31 ミューザ川崎シンフォニーホール (川崎)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
1. シューベルト: 交響曲第7(8)番 ロ短調 D759 《未完成》
2. チャイコフスキー: 交響曲第6番 ロ短調 Op.74 《悲愴》

怒涛のインバル第3弾の最終回は、個人的には自分自身も川崎勤務から離れる最終日に、ミューザ川崎という恰好のお膳立て。今回のインバル3連発はどの曲もそうでしたが、未完成、悲愴ともに聴くのは久しぶりで、未完成は2009年のハイティンク、悲愴は2012年のゲルギエフ、いずれもロンドン響で聴いて以来の超久々です。

未完成は昔からどうも苦手な曲で、好んで聴きに行くことは絶対にありませんので、こういう風におまけ的に聴くことがあるくらいです。苦手な理由は、この曲がまさに「未完成」であることが一つの要因と思います。この後、終楽章あたりで壮大なカタルシスが待っている展開であれば、退屈な前半も捉え方が全然変わってきて、まだ我慢ができるのかもしれませんが、ここで終わってしまうと「え、本当にこれだけ?」と。自分の中の「興味なし箱」の奥底に入れてしまい今に至る、という感じです。そんな程度の関心しかないので、花粉症の薬でぼーっとしていたこともあり、あー今日も重厚に始まったなーと思っているうちに、気がつけば終わっていました。

気を取り直してメインの「悲愴」。昔部活で演奏したことがあり、細部まで一応今でも頭と身体が覚えています。インバルはあまりチャイコフスキーというイメージがありませんが、やはり低弦をきかせ、金管を鳴らしまくるた派手な音作りではあったものの、感傷を極力抑えた理知的な演奏でした。いくつかタメるところを決めて、逆にそれ以外はインテンポで走り抜けるという、インバルならではのメリハリの作り方で、なおかつそのタメる箇所が独特なのが、インバルの個性になっています。第3楽章もオケを相当に鳴らしまくって盛り上がり、おかげで楽章エンドで数人が拍手、しかも一人はブラヴォー付きというオチまで付きました。日本人が、本当につい思わず「ブラヴォー」と叫んでしまう局面って、人生で数回あるかないかだと思うので、その人はよっぽど感動したのでしょうね。ただ、オペラはともかく、悲愴のようなシンフォニーでこれをやられると、その後の緊張感がずいぶん削がれていやな気分が残るので、ブラヴォー言いたいだけの人はもっと場所を選んで出かけて欲しいと、個人的には思います。

おまけ。満開のピークを過ぎた、線路沿いの桜。


インバル/都響/タロー(p):タローのメローなショスタコと、壮大なる「幻想交響曲」2018/03/26 23:59

2018.03.26 サントリーホール (東京)
Eliahu Inbal / 東京都交響楽団
Alexandre Tharaud (piano-1)
1. ショスタコーヴィチ: ピアノ協奏曲第2番 ヘ長調 Op.102
2. ベルリオーズ: 幻想交響曲 Op.14

怒涛のインバル第2弾。まず1曲目のショスタコは、ディズニーの「ファンタジア2000」で使われ、知名度が一気に上がった曲です。前に聴いたのはちょうど8年前、カドガンホールのロイヤルフィル演奏会でした。このときはこの曲を献呈された息子マキシムが指揮の予定が、病気でキャンセルになり残念だったのを覚えています(というか演奏はよく覚えていない…)。

まず何より驚いたのは、タローがiPadを譜面として使用していたこと。私もご多分にもれず、IMSLPからパブリックドメインのPDFスコアを大量にダウンロードし、iPadで眺めたりはしていますが、奏者が演奏用の譜面として使うのは初めて見ました。確かに合理的な利用法ですが、譜めくりはどうするんだろうと。オペラグラスで注視していたところ、ジャストのタイミングで譜面が素早くめくれていってました。タローが自分で操作しているようには見えませんでしたが、果たして舞台袖から譜めくりサポートの人が遠隔操作できるのか?Bluetoothは、まあ仕様上舞台袖でも距離は届くのかもしれませんが、いろいろと事故が起こりそうで、私なら怖いから真横に座って操作してもらいます。後で調べてみたら、譜面として使用するためのiPadアプリは以前からあり、首の動き等で演奏者が自分で譜めくりもできるそうです。とは言え、タローがいちいち首をかしげていたようにも見えなかったので、よっぽど微妙な動作で譜めくりができるとなると、やっぱりめくれないとかめくり過ぎとかの事故が怖いなあと。

ということで、正直、演奏内容よりもiPadの操作のほうに注意が行ってしまったのですが、初めて聴くタローは、思ったより小柄で細身。年齢よりずっと若く見えます。いかにもショパンなんかをさらさらと弾きそうな感じで、パワー系とは真逆のタイプに見え、よく鳴っていたオケに押される局面もありましたが、終始マイペース。オケに引きずられることもなく軽快に弾き抜き、第1楽章などはむしろアチェレランドを自ら仕掛けたりもしてました。第2楽章はショスタコらしからぬメロウな音楽で、コミカルな第1、第3楽章との対比が面白いのですが、よほど好きで自信があるのか、アンコールはこの第2楽章を再度演奏していました。

あと気になったのは、インバルの指揮台が正面ではなく左向きに角度を付けてあって、見据える先はホルン。この日は確かにホルンが全体的にイマイチで、迫力に欠けるし、音は割れるし、音程も危うく、足を引っ張っていました。他のパートも顔を見るとトップの人が軒並みお休みのようで、「若手チャレンジ」のような様相でした。

「幻想」も久しぶりだなと思って記録を辿ると、前回は6年前、ドヴォルザークホールで聴いたインバル/チェコフィルでした。前はざっくりとした印象しか残っていないのですが、小技に走らず、大きなメリハリのつけ方を熟知している正統派の名演だという感想は、今回もほぼ同じでした。チェコフィルの滋味あふれる音色とは比べられませんが、オケの鳴りっぷりと重厚な低音は都響が勝っていました。遠くから聞こえる(はずの)オーボエと鐘がけっこう近かった他は、何一つ変わったことはやっていませんが、いつの間にか引き込まれてしまう、嘘ごまかしのない正面突破の演奏でした。