フィルハーモニア管/マゼール:入魂のマーラー9番2011/10/01 23:59

2011.10.01 Royal Festival Hall (London)
Lorin Maazel / The Philharmonia Orchestra
1. Mahler: Symphony No. 9

ロンドン的には真夏が戻ってきたのかと思うほどの陽気の中、「マゼールのマーラー・チクルスを厳選して聴きに行く」シリーズ第9弾はそのものズバリ、第9番。一昨日同様、昨シーズンとはヴィオラとチェロを入れ替えた弦楽器の配置に変わっています。今日も譜面台は出ていました。

重そうな足取りでマエストロ・マゼール登場。チェロがいつにも増してデリケートなAの音で入って、弱音器のホルンが続くと、のっけから、これはちょっと今までとは違うぞという気合いと緊張感が漂ってきました。テンポが今にも止まりそうに遅いです。なかなか加速せず、じっくりじっくり〜と攻めます。ティンパニの暴走男、我らがアンディさんも今日は道を外れて暴れることができず、歯がゆさが伝わってきました。かといって禁欲的な演奏という風ではなく、鳴らすところは金管が最大限に咆哮し、ダイナミックレンジの広さは純粋器楽にもかかわらずこのシリーズ中でピカ一でした。時間は第1楽章だけで40分近くかかっていたでしょうか。奇をてらったところの一切ない、真摯にスコアと向き合った切実な演奏に心打たれましたが、聴いてるほうの疲労も相当でした(やってるほうはもっとでしょうが)。

第2楽章は、その前が遅かった分若干速めに聴こえましたが、多分これは至って普通のテンポです。わざとらしいアゴーギグも入れないし、マゼール先生はここでも変態の本性を隠し正攻法で行ってます。今年聴いたドゥダメルやゲルギエフの指揮のほうがよっぽどいびつな演奏でした。第3楽章はそもそも音楽が元々変態的なので、これ見よがしにアチェレランドでオケを追い込んだりしないマゼールのアプローチは、意外にもまともな音楽に聴こえさせる効果がありました。

ようやく到達した終楽章は、冒頭から弦のアンサンブルがあまりに美しい。もちろん鮮麗な美しさではなく、言うなればモノクロームな書道の美。それに色を添えるホルンはケイティ嬢が力強いソロをほぼ完璧に吹き奏でます。この人は見かけによらず凄みのある奏者ですね。ここに来てもオケの鳴りはすさまじく、集中力の賜物でしょう、金管のミス・コケも少なく、トロンボーンがまたベルアップでこれでもかと迫力の力演。最後はまたデリケートな表情に戻って、消え入りそうで消えないギリギリのところを保ったまま、音の微粒子の一つまた一つと空中に溶けていくまで十分に余韻をのばして終りました。終楽章も長くて、結局30分はかかったでしょうか、全体で100分かけての超スロー第9はしかし、非常に心を揺さぶるものでした。これが正統派のマーラーかというとちょっと違うのかもしれませんが、老境のマエストロ・マゼールがあらためてスコアと対峙し、達した境地なのでしょう。

実は今日のチケットは、買ったころに金欠だったこともあって最初はコーラス席にしていたんですが、その後、別の演奏会チケットをリターンした際のヴァウチャーを使ってストール真ん中の席にアップグレードしました。個人的にはこのシリーズで一番のヒットでしたので、アップグレードしたのは大正解でした。


開演前のフィオナ嬢(岩渕さんの左)。案の定、演奏中はコンマスが座るとすっぽりと隠れてしまい、よく見えませんでした。(涙)


ケイティ嬢が真っ先に指揮者に立たせられた場面は一瞬だったので写真撮りそこねました。充実した笑顔がステキですね。


お疲れのマエストロ、最後にようやく微笑がこぼれていました。

ところで余談ですが、マーラーの交響曲で人気投票をすると、いつどこでやっても1位は第9番になるという話を以前どこかで聞きました。確かに、例えばmixiのマーラーコミュニティの人気投票でも9がダントツ1位、後は5-2-6-3と続きます。演奏会のプログラムに上がるのは1番が圧倒的に多いように感じるんですが、けっこう人気ないんですねえ。しかし、素朴な疑問ですが、第9がダントツ一番人気というのは日本だけの現象なんでしょうか?例えばイギリス、ドイツ、アメリカで各々同様の投票をやったらどんな順位になるんですかねえ。ネットで調べてもそういうものの結果は見つけられませんでした。どなたかご存知の方、教えてくださいまし。

ロイヤルバレエ:トリプルビル(ライメン/マルグリットとアルマン/レクイエム)2011/10/08 23:59

2011.10.08 Royal Opera House (London)
Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House

本日はトリプルビルの初日。マチネもありましたが、カルロス・アコスタをまだ見たことがなかったので、彼が出るソアレのほうを取りました。

1. Limen (Kaija Saariaho: Cello Concerto "Notes on Light")
Wayne McGregor (Choreography), Tatsuo Miyajima (Set and Video Designs)
Anssi Karttunen (Solo Cello)
Leanne Benjamin, Yuhui Choe, Olivia Cowley, Melissa Hamilton
Sarah Lamb, Marianela Nuñez, Letica Stock, Fumi Kaneko
Tristan Dyer, Paul Kay, Ryoichi Hirano, Steven McRae
Fernando Montaño, Eric Underwood, Edward Watson

1つ目はフィンランドの作曲家サーリアホのチェロ協奏曲に合わせて、ロイヤルバレエの常任振付師ウェイン・マクレガーが振りを付けたモダンダンス。幕が開くと半透明のスクリーンにデジタル数字がうねうね動く映像が投影され、奥では闇からダンサーが浮かび上がってくねくねとよくわからないダンスを踊ります。サーリアホという作曲家は初めて聴きますが、調べると女性なんですね。初期は電子楽器を多用した作品が多かったものの、徐々にクラシカルで解りやすい作風に転じていったとのことで、2007年作曲のこの曲は確かに現代音楽と入っても技巧に縛られた窮屈なものではなく、北欧の厳しい大自然に通じるようなおおらかさを持っています。とは言え決して聴きやすい曲ではなく、舞台の上で繰り広げられる極めてフィジカルなダンスも私には肉体の限界を見極める連続実験のように見えてしまい、モダンダンスはやっぱりわからんなあ、という印象だけが残ってあえなく討ち死に。

この蒼々たるメンバーに交じって見慣れない日本人の名前が。今年ロイヤルバレエに入団したばかりの金子扶生さんという人で、女性らしからぬ長身でボーイッシュな体格がたいへん舞台映えしていました。まだ高校を出たてくらいの年齢のようですが、若いのにそのがっしりと線の太いダンスは大物を予感させました。今後が楽しみな人ですね。



2. Marguerite and Armand (Liszt: Piano Sonata in B minor)
Frederick Ashton (Choreography), Dudley Simpson (Orchestration)
Robert Clark (Solo Piano)
Tamara Rojo (Marguerite), Sergei Polunin (Armand)
Christopher Saunders (Armand's Father), Gary Avis (Duke)

次はエースのタマラ・ロホ登場。ROH歴2年にして実は初めて見ます。バレエは妻の好みでいつもマクレーさんの出る日を選ぶので、なかなか巡り合わせがありませんでした。

このバレエはフォンテインとヌレエフの黄金コンビのために1963年に作られたフレデリック・アシュトンの代表作で、音楽はリストのロ短調ピアノソナタをオーケストラ伴奏付きに編曲したもの。プロットはデュマの「椿姫」で、30分程度に圧縮されていますので、「ラ・トラヴィアータ」のダイジェストを早送り再生で見ているような感覚でした。ロホはカーテンコールで並ぶと意外と小柄なので驚きましたが、手足が長いんでしょうか、踊っている間はブレのないダイナミックな動きもあってか、ポルーニンと並んでも小柄と言う感じは全くしませんでした。ふっくらとした頬と黒髪のエキゾチックな美貌のおかげで、実年齢よりずっと若く見えますね。早変わりで着替えていった赤・黒・白の衣装も各々よく似合っていて(美人は得だなあ)、このバレエが彼女のために作られたと言われても信じたでしょう。フォンテインとヌレエフは19歳の「年の差ペア」ですが、ロホとポルーニンの年齢差も15歳あり、伝説のペアとイメージが重なります。ロホは鬼気迫る感情移入でこの悲劇を表現し切っていたと感じましたが、もう一つのめり込んで見れなかったのは、ひとえに演奏にキレがなかったせいです。管弦楽にも協奏曲にもなりきれない中途半端なアレンジに加え、やる気のないオケはピアノの邪魔にしかなっていません。リストは元々好きでもないので、なおさらげんなりしました。


ピンボケご免。今日はろくな写真が撮れませんでした。


3. Requiem (Fauré: Requiem)
Kenneth MacMillan (Choreography)
Anna Devin (Soprano), Daniel Grice (Baritone)
Leanne Benjamin, Rupert Pennefather, Carlos Acosta
Marianela Nuñez, Ricardo Cervera

最後はフォーレのレクイエム。これもやっぱり意味がよくわからない、シンボリックなダンスでした。振り付けは静的で、躍動感はない代わりに人海戦術でこれでもかというくらい超高いリフトが圧巻でした。初めて見るアコスタは思ったほど全身バネの筋骨隆々ではなく、わりと細身で華奢だったのが意外でした。体脂肪率はめちゃ高そうですなー。何にせよこの演目を見ただけでは何もわかるはずもなく、来年の「ロメオとジュリエット」に期待します。

バリトンのグライスは先日の「ファウスト」でもスター歌手陣に交じってきっちり存在感を出していましたが、今日もピットの中から核のある声を響かせていました。一方ソプラノのデヴァンも最近のROHで「ピーター・グライムズ」やプッチーニ三部作に端役で出ていましたが、あいまいな音程がお世辞にもプロのソリストとは思えませんでした。

ストーリー性のない舞台、何だかよくわからない踊り、気が抜けたオケと、難点のほうもトリプルで揃ってしまうので、トリプルビルは私にはどうも鬼門です。まだまだバレエ鑑賞の素養が足りませんです。


フィルハーモニア管/マゼール:マーラーシリーズ最終回は「四百人の交響曲」2011/10/09 23:59


2011.10.09 Royal Festival Hall (London)
Lorin Maazel / The Philharmonia Orchestra
Sally Matthews (S), Ailish Tynan (S), Sarah Tynan (S), Sarah Connolly (Ms)
Anne-Marie Owens (Ms), Stefan Vinke (T), Mark Stone (Br), Stephen Gadd (Br)
Philharmonia Chorus, Philharmonia Voices, BBC Symphony Chorus
Boys from the Chapel Choirs of Eton College
1. Mahler: Symphony No. 8 (Symphony of a Thousand)

「マゼールのマーラー・チクルスを厳選して聴きに行くつもりが結局全部聴いてしまった」シリーズもついに最終回。前日のロイヤルバレエに続き連チャンで家族揃って出かけました。さすがに娘はお疲れ気味、マーラーにさして興味があるわけではもちろんないので、しょうがないからつき合ってあげるよモード。彼女が、ヨーロッパで自分が聴いてきたものの値打ちを認識するのは、もっと後のことになるのでしょう。

本日の「千人の交響曲」、メンバー表から人数を数えてみると、オケ121、ソプラノ75、アルト59、テナー46、バス59、少年合唱34、独唱8、指揮者1の総勢403名でした。ちょうど、Loon Fungで800gの豆腐パックを買って家で実際測ってみたら400gしかなかった(ほぼ実話)、みたいな感じでしょうか。冗談はさておき、この曲を昨年のプロムス2007年にブダペストで聴いた時はどちらも600人くらいだったので、それと比べてもずいぶんと少数精鋭ですが、響きの良いコンサートホールなので音量的にはこれで十分おつりが来るくらいです。

このシリーズを一貫してマゼールは遅めのテンポ設定で、チラシには演奏時間約80分と書いてありましたが、今日も実際には100分近くかかっておりました。第一部は冒頭からオルガンと合唱がまさに風圧が顔を直撃する迫力で、場内に上昇気流が巻き上がっているんじゃないかと思うほどの空気のうねりを感じました。今回は早めにF列のチケットを取ったので、この距離だと少年が合唱もよく聴こえ、圧倒的な音量の中にただただ漂っておりました。音の洪水とは言ってもロイヤルアルバートホールのひどい音響と比べると音の分離は至ってクリア、オケの緻密なアンサンブルも十分に楽しめました。やっぱりちゃんとしたホールで聴く良質の大管弦楽は、格別に快感を刺激します。

力技で押し切った第一部から一転、第二部は繊細過ぎる弦から始まって精緻の極みの音楽が続きます。第一部では海に飲み込まれるしかなかった独唱陣も、各々待ってましたと見せ場を作ります。特にテナーのフィンケは先日の「大地の歌」では正直がっかりしましたが、どうにか調子を取り戻したようでしっかり声は出ていました。依然として一本調子で、好きにはなれない歌い手ですが。舞台上のソプラノ2人とメゾのコノリー、バリトンのストーンも各々前に出る歌唱で良かったですが、もう一人のメゾのオーウェンスと、急きょ代役で呼ばれたバリトンのスティーヴ・ガッド(カリスマドラマーとはもちろん別人ですね)は、ちょっと影が薄く印象に残りませんでした。歌の部分は各歌手の力量にまかせつつ、マゼール御大は今まで以上に広過ぎるダイナミックレンジで濃厚にえげつない表現を繰り広げ、変態指揮者の面目躍如でした。指揮棒を腰のあたりに構えて真横に突き刺すような仕草も相変わらずチャーミング。

終盤、最後のソプラノ(セイラ・タイナン)が最上段37番のボックス席から栄光の聖母の歌を歌っている最中、舞台から突然何かが滑り落ちるような音がしたので目を向けると、コントラバス奏者の女性が床に倒れて伏しており、楽器が舞台の下まで落ちていました。すぐに周りの奏者が助け起こし、近くの聴衆も何人か手助けをして、その奏者は担ぎ抱えられて舞台袖に引き上げていきました。担がれているとき意識はありそうに見えたので、貧血か何かだったのでしょうか。ちょうどコントラバスの出番がない箇所だったので、かえって気力が切れてしまったのかもしれません。終盤ますます遅くなったテンポが余計に奏者に負担をかけてしまった気もします。最後のクライマックスの前には倒れた女性奏者と付き添いで残った一人を除いて皆舞台に戻ってきて、何事もなかったかのように流れに入って行きました。指揮者はもちろん気付いていたでしょうが、演奏に集中していた他の楽器の奏者は多分何が起こったのかよくわからなかったでしょう。不運な事故ですが、マゼールはおそらく継続可能と咄嗟に状況判断するや、自ら動じることなく、また奏者に動揺を与えることなく、最後まで集中力を切らさずそのまま突き進んでいくことにしたのだと思います。倒れた奏者のその後の状況がわからないのですが(何事もなかったことを祈っております)、この演奏会、そしてこのシリーズの集大成が傷つくことなく何とか終われたのは不幸中の幸いでした。このロングランを走り切った指揮者と奏者、歌手、合唱団全員へ向けて、満場の大拍手喝采とブラヴォーはいつまでも止みそうにありませんでした。


奏者を称えるマエストロ・マゼール。うーん、フィオナちゃんが見えない…。

このシリーズを通しての感想は、変態かと思わせておいてやけに真っ当に切り込んできたり、毎回先の読めないマゼール先生の変幻自在ぶりに、たっぷり楽しませてもらいました。一人の指揮者、一つのオケ(しかもどちらも世界の一流)で連続してマーラーの全交響曲を聴くという機会はもう二度とないかもしれないので、一生の宝として胸に刻んでおきます。ところでこのシリーズは全てレコーディングするとの話でしたが、一発勝負ではキズの多い演奏もあったし、本当に出るのかなあ…。

ルツェルン祝祭管/アバド/内田(p):至高の管弦楽の衝撃2011/10/10 23:59


2011.10.10 Royal Festival Hall (London)
Claudio Abbado / Lucerne Festival Orchestra
Mitsuko Uchida (P-1)
1. Schumann: Piano Concerto in A minor
2. Bruckner: Symphony No. 5

この演奏会、元々は11日のほうの安い席のチケットを買っていたんですが、その日から出張が入ってしまったため行けなくなり、がっかりしていたある夜、完売だった10日のほうにフロントストールで1枚だけポコッとリターンが出ているのを発見。チケット発売の時は70ポンドは高い、絶対買えねえと思いましたが、めったに聴けないしオケだしこれも何かの啓示だろうと割り切って、すかさずポチっと購入しました。ただしおかげで3日連続の演奏会通いとなってしまいましたが。

1曲目のシューマン、最初はソリストがエレーヌ・グリモーだったはずですが、いつの間にか内田光子に代わっていました。まあグリモーのシューマンは以前聴いたので変更は歓迎ですが、今日の席はピアニストを背中から見る方向だったので、光子さんの顔芸を堪能できなかったのが残念でした。そのシューマンですが、力が抜けてたいへん軽やかな演奏に、ある意味拍子抜けしました。冒頭のオーボエを筆頭に管楽器のソロは皆素晴らしく上手く、相当の名手が揃っているのは間違いありません。ルツェルン音楽祭のときだけ特別編成される臨時オケという性格から、個性的なソリストが各々勝手に名人芸を披露するような演奏を勝手に想像したのですが、あにはからんや、オケの音が非常に澄み切っていて、全体で一つの上等・上質な楽器のような、極めてまとまりの良いオケだったのが意外でした。各楽器の音はしっかりと芯があるにもかかわらず、徹底的に角が取れた、透明感の高いサウンドです。もっと重々しくも演奏できる曲ですが、アバドはあえて重心を高く構えてさらりと駆け抜けていました。内田光子のピアノは、オケが完璧だった分多少のミスタッチが目についてしまいましたが、同様に肩の力が抜けたリリカルなピアノで、オケと巧みに絡み合い、溶け合いながら一緒に天まで上って行きました。何だかモーツァルトの協奏曲を聴いているような感触でした。


さて休憩後のメインはさらに凄いことになっていました。私が初めてブルックナーなるものの音楽を聴いたのはこの交響曲第5番からでしたが(忘れもしない、ショルティ/シカゴ響の当時の新譜でした)、生演で聴くのは実は初めてです。プログラムにブルックナーが入っているとそれだけで優先順位を下げてしまうので。この演奏会も本当は、ルツェルンならやっぱりマーラー聴きてえよなあ、と内心思っておりました。しかし、そんなことはもう問題ではないくらい衝撃的な音響空間に包まれることになろうとは。まず冒頭の低弦のピチカートにヴァイオリン、ヴィオラの和音がかぶさって来るところですにでただならぬ繊細さと緊張感が漂い、さっきのシューマンとは空気が変わっているのに気付きます。次に来る金管のコラールは力みがなく、濁り澱みの一切ない清らかな音ながら、腹の底から痺れるような威圧感に寒気が走りました。これぞ天上のコラールというのを一発かまされた後は、これ以上ないくらいデリケートなヴァイオリンのトレモロに導かれてヴィオラとチェロ、それにクラリネットが寸分もずれぬ呼吸で第一主題を奏で始めたあたりでもう、これはタダモノではない演奏だということを認識し、一音たりとも聴き逃してなるものかと集中して耳を傾けました。高レベルで粒揃いの演奏者が集い、さらには気持ちが一つとなって、「人類補完計画」もかくやと、お互いの音が有機的に絡み合って文字通り境目なく一体に溶け合った音が響いてきます。至高の管弦楽とはまさにこのことかと瞠目しました。私に取っては初めてコンセルトヘボウ管を生で聴いたとき以来の衝撃ですが、所詮イベントの非常勤オケがここまでハイレベルとは思ってなかったので、二重に衝撃でした。

アバドも、今までニアミスはあったものの、生演は初めて聴きます。昔から好きな指揮者で、初期の頃DGから連発していたシカゴ響とのマーラーシリーズなどは熱狂的に聴いたものです。スルメのように脂の抜け切った風貌と、無駄のないローカロリーな指揮ぶりは、エネルギーに溢れていた壮年期のイメージとは全く合いませんが、しかしながら導かれる音楽はさらに数段スケールアップし、雑味を排除して純粋な音楽の高みをひたすら目指す、そのような演奏でした。出張で断念せず、聴けて良かったと本当に心から思います。終演後はまさに文字通りの場内総立ちで、十分その値打ちがあった演奏会でした。


LSO/K.ヤルヴィ:スティーヴ・ライヒ75歳記念演奏会2011/10/15 23:59



2011.10.15 Barbican Hall (London)
Steve Reich at 75
Kristjan Järvi / London Symphony Orchestra
Neil Percy, Steve Reich (Handclap-1)
Synergy Vocals (Chorus-4)
1. Reich: Clapping Music (1972)
2. Reich: The Four Sections (1986-87)
3. Reich: Three Movements (1985-86)
4. Reich: The Desert Music (1982-83)

ミニマルミュージックの雄にしてテクノにも多大な影響を与えたスティーヴ・ライヒの75歳を記念した演奏会。氏の曲を実演で聴いたことがなかったのと、大管弦楽用作品をずらっと集めた演奏会も日本に帰ったらまず聴けまいと思い、家族で出かけてみました。

1曲目はLSOの首席パーカッショニスト、ニール・パーシーにライヒ自らも演奏に加わった「手拍子の音楽」。まあ露払いの余興みたいなもんです。スポットライトを浴びつつ野球帽を被ったライヒが登場。手拍子はマイクで集音しており、正直、歯切れの良い音ではなかったので正に「拍子抜け」でした。二人とも打楽器のスペシャリストではあっても、手拍子にさほどこだわりはなかったということでしょうか。

次の「4つのセクション」はもちろん4部構成で、第1部は弦、第2部は打楽器、第3部は管楽器、第4部はフルオーケストラが主体ですが、各々切れ目なく連続で演奏されます。「セクション」には「楽器群」と曲の「部分」両方の意味が込められているようです。見るからに大編成の管弦楽で、弦楽器は各パート各々が分割され左右対称に振り分けられており、指揮者の両脇にはこれまた対象に2台のピアノ、各々の上にはシンセサイザーの往年の名器YAMAHA DX7(オリジナルではなく多分7S)が置いてあります。指揮者の目の前にマリンバが4台配置され、各々譜面台を3つも並べて横長の楽譜を置いています。確かにこういったミニマル音楽は繰り返しパターンが少しずつ変化していくので音符の数や小節数はやたらと多いはずで、実際、普段は音を出す箇所が限られているトロンボーンやティンパニまで、演奏中に忙しく楽譜をめくっている姿が非常に新鮮でした。LSOはさすがに名手揃いで、木管のソロなどミニマル音楽にはオーバースペックなほど素晴らしい音色(決してミニマル音楽をくさすわけではありませんが…)。不協和音がないので曲調は一貫して耳に優しく、フルオーケストラで盛り上がる壮大な第4曲がとりわけ感動的でした。

続く「3つの楽章」ではDX7が引っ込められた代わりにエレキベースが2本登場、左右のチェロの後方であまり目立たないように弾いておりました。同じミニマルとは言っても先の曲と比べると和音のテンションがずっと多くなり、テクノ風にもジャズ風にも聴こえる複雑な曲調になっていきます。より抽象度が増し、「テクノデリック」とか、ハードテクノの頃のYMOを少し連想しました。どっぷりと身を任せ、全身で体感するしかない音楽。さらりと聴き流してしまうと本当に何も残らないが、一旦捕らわれると麻薬のようにハマって抜けられない音楽に思えました。


休憩で気を取り直して、最後のメインは「砂漠の音楽」。切れ目のない5つの楽章から成り、全部で50分もかかる大曲です。オケはまた配置が変わり、ピアノ2台が横に寄せられてその横にDX7が復活しています。弦楽器はヴァイオリン、ヴィオラが今度は各々3群に分けられて配置、ティンパニは10台を2人で演奏し、各奏者メロタム3個のオマケ付きです。他に深胴の大太鼓が2台に、指揮者の目前には相変わらずマリンバ群。さらに舞台奥にはSynergy Vocalsという10名の合唱隊が陣取り、大編成オケフェチには垂涎ものでした。前半の曲とは違って構造が全体でABCBAのアーチ形式になっています。マリンバ群による繰り返しリズムが基底にあることは変わりありませんが、曲調はまたさらに変化し、シェイカーや拍子木が活躍するせいでラテンアメリカの空気が漂ってきます。合唱は各人がマイクを持って「ダダダダダ」などのスキャットっぽい声を出し、一部意味のある歌詞の箇所もありましたが、基本的には「歌」というよりはこれも他の楽器と同じくミニマル音楽の構成要素として扱われていました。マリンバの楽譜の頁数はさらに増え、終わったものから床にばさばさと落として行ってもなかなかゴールが見えないエンドレス。奏者にとっては怖い曲です。第5楽章で最初のリズムに回帰するあたりには弦楽器にも相当疲れが見えてきて、辛うじてリズムキープをしているような、抜け殻の音楽になって行きましたが、それも含めての作曲者の狙いだったのかもしれません。

ほとんど初めて聴くライヒの音楽は、古いような新しいような不思議な感覚で、あまりに長いと寝るのは必至かなと最初は思ったのですが、意外と飽きずに楽しめるものでした。ところであらためて考え込んでしまったのは、こういう曲での指揮者の役割です。クリスチャン・ヤルヴィは、ただひたすら四分音符で棒を振っていただけにも見えました。交通整理とメトロノームの役目以外に、例えば楽曲の解釈とか精神性(笑)とか、指揮者の個性を盛り込める余地はあったんでしょうか。しかしながら、交通整理とタイムキープこそがライヒの曲のキモかもしれず、気を抜けばあっという間に道を見失いかねませんので、普通の管弦楽曲以上に神経をすり減らしたのは想像に難くありません。これだけのクオリティで最後まで走りきったというのは、実は凄い演奏だったのかも。


最後にまたライヒが出てきて、指揮者の健闘をたたえました。場内総立ちになり、頭が邪魔だ〜。

タカーチ・カルテット:バルトーク弦楽四重奏曲コンプリート2011/10/19 23:59


2011.10.18 Queen Elizabeth Hall (London)
Takács Quartet: The Complete Bartók String Quartets I
Edward Dusinberre (1st Vn), Károly Schranz (2nd Vn)
Geraldine Walther (Va), András Fejér (Vc)
1. Bartók: String Quartet No. 1
2. Bartók: String Quartet No. 3
3. Bartók: String Quartet No. 5

2011.10.19 Queen Elizabeth Hall (London)
Takács Quartet: The Complete Bartók String Quartets II
1. Bartók: String Quartet No. 2
2. Bartók: String Quartet No. 4
3. Bartók: String Quartet No. 6

マーラーシリーズが一段落し、しばらくバルトーク続きになります。私としては珍しく、弦楽四重奏の演奏会。他ならぬタカーチSQがバルトークの全曲演奏会をやるというせっかくの機会なので、ぬかりなく全部聴きに行くことにしました。

断るまでもなく弦四は全く私の守備範囲外なのですが、にわか座学でちょいと楽団の歴史をば。タカーチSQは1975年にブダペストで結成、メンバーは当時全員がリスト音楽院の学生でした。楽団名は第1ヴァイオリンのタカーチ=ナジ・ガーボルが由来ですが、そのタカーチさんは1993年に脱退、英国人のエドワード・ドゥシンベルが代わりに加入します。翌94年にはヴィオラのオルマイ・ガーボルが健康上の理由(95年死去)でやはり英国人のロジャー・タッピングと交代、英洪半々の楽団となってからメジャーレーベルへの録音が増えていきます(それ以前もハンガリーのHungarotonレーベルへ多数の録音がありますが)。特にバルトークとベートーヴェンの全集は高い評価を得て、世界トップクラスのカルテットとして一躍名声を馳せました。2005年に引退したタッピングと入れ代わったのは、サンフランシスコ響のヴィオラ主席を30年勤めていた米国人女性奏者、ジェラルディン・ウォルサー。さらにインターナショナルになったタカーチSQは活動拠点を米国コロラドに移し、タカーチさんはすでにおらず、ハンガリー人率は半分になり、ハンガリーで演奏することすらめったになくなったので、もはやハンガリーの団体とは本人たちも思ってないかもしれません。

バルトークの弦楽四重奏曲は全部で6曲あり、初日は奇数番号、二日目は偶数番号を、各々番号の順に演奏していきます。DECCA盤(2枚組)も同じ分け方ですね。余談ですが、オリジナルメンバーによるHungarotonの旧盤は3枚組で、ブダペストのCD屋ではかつてよく見かけました。私もコンパクトなDECCA盤のほうをつい買ってしまったのですが、今や稀少価値となった旧盤のほうを買っておけばよかったと少し後悔しています。

初日、登場したメンバーを見て、第2ヴァイオリンのシュランツ・カーロイとチェロのフェイェール・アンドラーシの二人がいかにも「ハンガリー人顔」なので、思わずニンマリ。4人並べてどれがハンガリー人かと聞かれたら、予備知識なしでも楽勝でわかるでしょう。一方のリーダーのドゥシンベルは長身ですがあまりイングリッシュ然としてなく、ちょっと国籍不明ぽい。むさい男どもに挟まれて紅一点のウォルサーは、こちらはいかにもアングロサクソンで、身のこなしがとっても女性らしいチャーミングな人でした。しかし、見た感じからはそう思わなかったのですが、一番新しいメンバーのウォルサーさんが実は一番年上だったんですね。

演奏が始まると、民族だの性別だのは全く関係なく、評判通り完成度の高過ぎるアンサンブルを聴かせてくれました。DECCA盤CDとはメンバーも変わっているので多少アプローチが違うかなと思う箇所もありましたが、女性が入ったからメロウになったとかカラーが変わったということはなさそうで、一貫してストイックでスポーティな演奏でした。皆さん身振りが大きいわりには熱気で上ずることなく、演奏は至ってクール。音色もリズムもバルトークだからといって無理な民謡テイストの味付けをすることなく、第5番のブルガリアン・リズムも極めて純化されたものでした。バルトークの弦四はさながら特殊奏法のデパートですが、オハコだけあって皆さんさすがに上手い!いちいちお手本のような完璧さで、舌を巻きました。

印象に残ったのは二日目の第4番。以前ブダペストでこの曲を聴いたミクロコスモスSQは、他ならぬタカーチ=ナジ・ガーボルがペレーニ・ミクローシュと結成した楽団ですが(言うなれば「元祖タカーチ」?)、一体のアンサンブルというよりは、やはりこの二人の突出したソロを楽しむという聴き方になってしまっていました。一方こちらの「本家タカーチ」は、誰が突出することなくハイレベルで横並びのメンバーが絶妙のバランスで完璧な演奏を聴かせ、そうでありながらもチェロのフェイェールは、普段は地味に弾いているのに見せ場にソロになるとちゃんとソリストの音に切り替えてメリハリを見せ、総合的には一枚も二枚も上手の演奏に感銘を受けました。さすがー。二日目は初日よりも多少高揚して熱くなったところも見られたのが良かったです。

普段はあまり聴かないバルトークの弦四をこうやって連続して聴くのは、エキサイティングな体験です。音楽はどれもやっぱりハードボイルド。バルトークが管弦楽を書く時のエンターテインメント性は影をひそめ、贅肉をそぎ落とした凝縮度の高い音楽になっています。二昔くらい前の所謂「頭痛のする現代音楽」のイメージそのもの、かもしれません。そうはいっても、第6番などでは凝縮度と聴き易さが同居する、ちょうどヴァイオリン協奏曲第2番のような「円熟」が感じられたのが新たな発見でした。


初日の写真。


二日目の写真。ウォルサーさんはさすがに女性なので衣装を変えていますが、他の男性陣は全く同じ服では…。

王立音楽大学交響楽団:バルトーク+シマノフスキの渋過ぎるプログラム2011/10/25 23:59

2011.10.25 Queen Elizabeth Hall (London)
Mikk Murdvee / Royal College of Music Symphony Orchestra
Meng Yang Pan (P-2)
1. Bartók: Divertimento
2. Szymanowski: Symphony No. 4 (Symphonie concertante for piano & orchestra)
3. Bartók: Two Portraits
4. Bartók: Four Orchestral Pieces

王立音楽大学の学生オーケストラによる、バルトークの比較的マイナーな作品を揃えたマニアックなプログラム。先週のタカーチ・カルテットと同様、フィルハーモニア管の主催するバルトークシリーズ“Infernal Dance: Inside the world of Béla Bartók”の一環になっています。いくら音楽のプロの卵とは言え、アマチュアオケでこの選曲は渋過ぎます。まあおかげでブダペストでもめったに聴けなかった曲をこうやってロンドンで聴けるのだから感謝です。ただ、客入りはせいぜい半分に満たない程度で、しかも出演者の家族・友人など多分内輪ばっかり。さながら私はシブい選曲に釣られて紛れ込んだ部外者のヘンなオジサンでありました。

今回クイーン・エリザベス・ホールで初めてフルオーケストラを聴きましたが、ステージは以外と奥行きがあり、もしかしたらウィーン楽友教会より広いかも。ただ、ろくな反響板はなく、そこかしらに照明がつり下がっていて、音楽ホールとしてはベストと言えませんね。

1曲目は「弦楽のためのディヴェルティメント」。「弦チェレ」と並んでパウル・ザッハー/バーゼル室内管のために作られた最盛期の傑作とされていますが、フルオーケストラの演目にはめったに乗りません。王立音楽大学オケの弦楽アンサンブルは、もちろん若い奏者ばかりですが、幅広いニュアンスが表現できていて、驚くほど上手かったです。そんじょそこらの日本のプロオケじゃあ、かなわないかもしれません。コンマスはErzsebet Raczというモロにハンガリー系の名前のちょっと恰幅の良いお嬢さんで、この人も十分にプロのソリストの音を出していました。指揮者はエストニア出身の若手で、今年からフィルハーモニア管でサロネンのアシスタントをしているそうです。師の指導をどのくらい受けたのか、構造の見通しの良い、手堅くまとまった演奏になっていました。もしかしたらこの渋い選曲もサロネンの意向だったのかも。

次はシマノフスキの交響曲第4番(あるいは協奏交響曲)。一応うちのiTunesにも入ってましたが、ほとんど初めて聴く曲です。パーカッシヴなピアノがバルトークに通じる作品とも言えるでしょうか。ピアノ独奏はパン・メンヤンという26歳の、いかにも中国のベッピンさんという感じの華奢な女性でした。しかしその細い腕から想像つかないパワフルな打鍵が意表をつき、技術的にはこの人も相当上手かったです。曲が曲だけにこれだけで判断するのも何ですが、テク命でガンガン弾きまくるところばかりが印象に残りました。フル編成になったオケは、ブラスがちょっと弱い感じ。一方木管のソロはたいへん達者でプロ顔負け。指揮者はここでもバランスをうまくまとめ、盛り上げる山場を心得ていました。職人肌かもしれません。


ピアノのパン・メンヤンさんは見とれそうな美人でした。右端はコンマスのラーツさん。

休憩後の「2つの肖像」の1曲目は、作曲者の生前はお蔵入りしていたヴァイオリン協奏曲第1番の第1楽章ほぼそのもので、コンマス嬢がふくよかなソロを奏でます。もちろん非常に上手いのですが、テクニック以外は何も考えずに弾いている感もちょっとありました。最後の「4つの小品」だけは以前にブダペストでも聴いたことがありましたが、演奏会のメインに持ってくるにはあまりに渋い曲。華々しく終るわけでもないので、さすがにこの長丁場ではちょっと盛り下がり感もありました。音楽を志す集団の気骨は評価し、これらの曲を素晴らしい演奏で聴けたことに感謝もしていますが、アマチュアオケの演奏会なんだから、指導の先生はもうちょっと空気読まんかい、とは思いました。

フィルハーモニア管/サロネン/ブロンフマン(p):バルトーク三昧2011/10/27 23:59

2011.10.27 Royal Festival Hall (London)
Esa-Pekka Salonen / The Philharmonia Orchestra
Yefim Bronfman (P-1,4)
Zsolt-Tihamér Visontay (Vn-1), Mark van de Wiel (Cl-1)
1. Bartók: Contrasts (violin, clarinet and piano)
2. Bartók: Suite, The Wooden Prince
3. Bartók: Dance Suite
4. Bartók: Piano Concerto No. 2

またまたバルトークシリーズです。1曲目のコントラスツはピアノ、ヴァイオリン、クラリネットの三重奏曲で、ジャズクラリネットの巨匠ベニー・グッドマンのために書かれた曲です。なので、私はてっきりアメリカ移住後の作品と思い込んでいたのですが、調べてみたら1938年、渡米前の作曲でした。バルトークとベニー・グッドマンという全く接点がなさそうな取り合わせが刺激的ですが、この二人を繋いだヨーゼフ・シゲティを加えて残した記念碑的録音が有名です(といいつつ実はまだ聴いたことがないんですが)。一種の変奏曲ですが、なかなかつかみ所がわからない曲です。特にピアノは地味〜に下支えするのみですが、対照にクラリネットは大暴れ。おどけた民謡調、激しいスケールの上昇下降、ジャジーでハスキーなロングトーンなど、色彩豊かに吹きまくります。オケの首席奏者マーク・ファン・デ・ヴィールが渾身のヴィルトゥオーソを聴かせてくれました。一方お馴染みのコンマス、ジョルトさんはハンガリー人なのに意外と控えめなバルトークへの取り組み方。調弦を変えた楽器を持ち替えつつも、でしゃばらず他の二人を引き立てることに徹していました。


続く「かかし王子」、ハンガリーではバレエの定番メニューとしてよく上演されていましたが、組曲版は初めて聴きます。CDでも多分Hungarotonくらいからしか出ていない珍しいバージョンです。組曲は全部で35分くらいのバレエを半分の20分に抜粋したもので、実際聞いてみると、あれがない、これがない、と面食らう箇所もあったものの、コンパクトに上手く仕上がっているという印象です。多分聴き込みが足らないせいでしょう、私は「かかし王子」の音楽は冗長に感じることが多かったのですが、これは飽きませんでした。カラフルなオーケストレーションはラヴェルというよりリヒャルト・シュトラウスを連想させ、指揮者のドライブやオケの力量が量れる佳曲と感じました。「かかし王子」組曲のスコアは息子ペーター・バルトーク氏による決定版編集作業の一環として、数年前ようやく初出版されたそうです。「中国の不思議な役人」の組曲同様に、今後フルオケのレパートリーとしてもっと普及すればよいなと思います。

休憩後の「舞踏組曲」はブダペスト市成立50周年記念祭で、コダーイの「ハンガリー詩篇」と共に初演された祝典音楽です。比較的初期の作品になりますが、バルトークらしいメタモルフォーゼされた民謡調スタイルはすでに確立されており、聴き手にストレスを強いる舞曲集です。演奏は先の「かかし王子」と比べると演奏頻度が高い分、変に手馴れているのか、どうも集中力がなくてリズムのキレも悪かったです。それとこの曲を聴いていてあらためて思ったのは、サロネンさん、昔からライフワークのようにバルトークをよく取り上げてきていますが、何か別世界からのアプローチのように感じてなりません。いったいバルトークの何に共感して取り上げるのかというと、純粋にスコアに書き込まれたアヴァンギャルドな作曲技法のみであって、ハンガリー民謡の歌わせ方とかにはまるで関心がないようにも見えます。ハンガリーとフィンランドは言語的には同族と言われているので音楽でも根底の部分で共振するものがあるのかもしれませんが、それにしてもサロネンは、多分ハンガリーの素朴な自然を歩いたり、ハンガリーの田舎料理をこよなく愛するような人ではないんだろうなと思いました。最後、コーダの前のブレークは異常に長く、エンターテインメント性に長けた解釈ではありましたが。

最後はブロンフマン再登場でピアノ協奏曲の第2番。第1楽章は私も初めて実演で聴いたとき「なるほどそうだったのか」と瞠目したのですが、弦楽器が一切出てこない、ピアノと金管、木管だけのファンファーレ的音楽です。待ちくたびれた鬱憤を晴らすかのように、体重増殖中ブロンフマンのピアノはよくまあ激しく叩きつけること。打楽器奏者もかなわないくらいに手首がよく回ってます。しかも音がシャープで、打鍵は機械仕掛けのように正確。相変わらず硬質の切れ味鋭いピアノでした。これを聴けただけで今日は大満足。終楽章、せっかくのティンパニ連打でスミスさんが大見得を切ってくれなかったのと、全体的にオケの音(特に金管)が荒れていたのがちょっと残念。しかしラストの畳み掛けは最初からトップギアで爆走し、凄いの一言。来週の第3番もどう料理してくれるのか、とっても楽しみになりました。


バルトークシリーズはマーラーとはやっぱり違って、客入りはまあまあ。コーラス席には客を入れず、なお空席が目立ちました。ところで今日は第2ヴァイオリンのゲストプリンシパルとして船津たかねさんが、フィオナちゃんの隣りに座っていました。20年前にバーンスタイン指揮の第1回PMFオーケストラでコンミスを勤めたことで、若手美人奏者として一躍人気を博した人だそうです。今はさすがに年齢なりの落ち着きでしたが、今なお笑顔がかわいらしい小柄でチャーミングな女性でした。


たかねさんとフィオナちゃんのツーショットもなかなか…。

ロイヤルオペラ/テイト/シリンス/カンペ:さまよえるオランダ人2011/10/29 23:59

2011.10.29 Royal Opera House (London)
Jeffrey Tate / Orchestra of the Royal Opera House
Tim Albery (Director)
Egils Silins (The Dutchman), Anja Kampe (Senta)
Stephen Milling (Daland), John Tessier (Steersman)
Clare Shearer (Mary), Endrik Wottrich (Erik)
Royal Opera Chorus
1. Wagner: Der fliegende Holländer

「さまよえるオランダ人」、劇場で見るのは初めてです。指揮者のテイトは最初から指揮台の椅子に座っており、場内が暗くなって拍手なしにいきなり序曲が始まりました。白いスクリーンを舞台袖から人力で揺らしていて、ぴちゃぴちゃと水の音がするのでよく見ると、本当にスクリーンの内側から水をかけて、ステージに水が見る見る溜まっていきます。舞台で水を使うのは、火を使う以上にいろいろと面倒だとは思いますが、ピット内のオケの人も、水が漏れてきて楽器を濡らさないかと気が気じゃなかったでしょう。序曲が終わってスクリーンが上がると、ステージ手前側にしっかりと水溜りが。もちろんこの水を要所要所で使っていく演出になるわけです。

パッパーノじゃないのでオケにはあまり期待してませんでしたが、どうしてどうして、いつになく力のこもった演奏で、集中力も切れずに、たいへん良かったです。オケメンバーの指揮者に対する敬意が伝わってきました。タイトルロールのオランダ人は当初ファルク・シュトルックマンの予定でしたが、10月に入って急に病気のためキャンセル、代役はラトヴィア出身のエギルス・シリンスというアナウンスがありました。そのシリンスですが、彼もワーグナーはお手の物らしく「指輪」のヴォータンや「パルシファル」のクリングゾルなどがレパートリーに入っています。痩せぎすの身体ながら歌唱はどっしりと安定していて、青ざめた顔色のメイクも映えて、異形の者の雰囲気は十分に出ていました。ゼンタ役のアニャ・カンペもワーグナー歌手で、恰幅はよいもののよく見ればけっこう美人です。時折張り上げる金切り声がインパクト絶大で、ゼンタの狂気を余すところなく表現した心に残る歌唱でした。他の歌手陣も総じてハイレベルで、コーラスも適度に荒れて迫力があり、音楽的にはなかなか充実した公演でした。

演出にはちょっと難ありです。舞台装置はシンボリックで、船と言えばミニチュアの帆船が出てくるだけで、しかも最後にゼンタは身投げする代わりにその帆船模型を抱えて倒れ込むという、何だかよくわからない結末でした。とは言えドイツの歌劇場と比べたら、ぶっ飛び具合は全然ましなんでしょうけど。オランダ人とゼンタが愛を確かめ合う場面も、変化のないバックに二人とも椅子に座ったまま歌うと言う何とも面白みのない展開。終幕に現れる船のタラップはまるで宇宙船のようで、各々演出家の意図が何かありそうですが、わざわざ謎解きするほど興味を湧き立てられたわけでもなく。もっとトラディショナルな演出で見たくなりました。

一応全3幕のオペラですが1幕ものとして休憩なしで上演されるのが慣例となっています。今回もそれに従い約2時間半ぶっ通しの上演で、ちと疲れました。演出がラストの30分までは正直退屈だったので、実時間以上に長く感じてしまいました。これでもワーグナーのオペラでは最短なのだから、参りました。


杖をつきながらもカーテンコールに出てきたテイトさん(右から2番目)。

The Adventures of Tintin 3D2011/10/30 23:59

娘が原作漫画のファンなので、近所のvueへ見に行ってみました。封切りしたばかりなので、いつもはがらんがらんの映画館もそこそこ席が埋まっていました。こちらの映画館は日本のようにバカみたいな混雑がないのがいいです。

スピルバーグとピーター・ジャクソンの共同製作、スピルバーグ初のアニメ監督作品との鳴り物入りでしたが、すいません、話の展開がヌルいので、正直、途中寝てしまいました。内容はまさに「無茶をするインディ・ジョーンズ」。インディもたいがい荒唐無稽な無茶をしていますが、モーションピクチャのアニメ映画なのでスタントマンの命を気にせずいくらでもエスカレートさせられるわけです。しか、それがあだとなって、何だかゲームの画面を見ている感覚が拭えませんでした。逆に、生身の身体であれだけの撮影をしたハリソン・フォード(およびスタントマン)の凄さを再認識させられました。

邦題は「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」、日本では12月公開らしいです。CGアニメとゲーム世代の子供は大喜びでしょう。