ブダペスト祝祭管/タカーチ=ナジ:1770年代と、その百年後の世界2018/11/10 23:59



2018.11.10 Liszt Academy of Music (Zeneakadémia) (Budapest)
Gábor Takács-Nagy / Budapest Festival Orchestra
Dávid Bereczky (French horn-3)
1. Mozart: Divertimento in D major, K. 136
2. Mozart: Symphony No. 32 in G major, K. 318
3. R. Strauss: Horn Concerto No. 1 in E-flat major, Op. 11
4. Haydn: The Desert Island – Overture, Hob. XXVIII:9
5. Haydn: Symphony No. 52 in C minor, Hob. I:52

5年ぶりのブダペスト、5年ぶりの祝祭管、11年ぶりのリスト音楽院になります。何もかも、皆、懐かしい…。普段ならまず聴きに行くことがない演目ばかりですが、ブダペストに立ち寄る日にタイミングよくあったこの演奏会、もちろん行かない手はありません。

指揮者のタカーチ=ナジは、タカーチSQの創始者としてハンガリーでは今でもファンが多く、客席は年配の聴衆を中心に満員御礼状態です。ヴァイオリン奏者としては一度だけ、12年前にミクロコスモスSQで聴いたことがありますが、指揮者としては初めてです。お顔の造作といい頭のハゲ具合といい、後姿はイヴァーン・フィッシャーとよく似ています。

まずは本日の選曲ですが、有名なディヴェルティメントの他は比較的マニアックな曲が並び、個人的に全く知らない曲ばかりです。このコンセプトは何だろうと思い、作曲年代と作曲者の年齢を調べてみると、以下の通りとなりました。

1. モーツァルト:ディヴェルティメント →1772年(16歳)
2. モーツァルト:交響曲第32番 →1779年(23歳)
3. R.シュトラウス:ホルン協奏曲第1番 →1882年(18歳)
4. ハイドン:歌劇「無人島」序曲 →1779年(47歳)
5. ハイドン:交響曲第52番 →1771年頃(39歳)

まず、真ん中のR.シュトラウスを除き、全て1770年代に作曲されています。ピンポイントの同時代といって良いでしょう。モーツァルトはウィーンへ出る前の、青年とも言えないくらいの若年時代。ハイドンはエステルハージ家に仕えており、生活が安定し創作も充実していた時代。二人に親交ができるのはこの直後の話です。そのちょうど百年後に作曲されたR.シュトラウスを加え、シンメトリーを描くように配置されたこの5曲のラインナップは、その統一感というか、流れにギャップがないのに驚かされます。また別の見方によれば、天才肌のモーツァルトとR.シュトラウスが20歳前後で若書きした曲に、ベテランハイドンの同時代曲を添えた、とも解釈できます。しかし、1770年代縛りをするにしても、モーツァルトには交響曲第25番とか第31番「パリ」といった著名作もありますし、ハイドンも第45番「告別」という傑作を残している中、あえてそういう名曲ラインナップにせず、前半を長調、後半を短調で雰囲気を変えるなど、いずれにしても相当考え込まれたプログラムと見ました。

ちなみに、11年前の最後のリスト音楽院は何だったろうかと記録を探すと、同じブダペスト祝祭管で、しかもR.シュトラウスのホルン協奏曲(第2番ですが)を聴いていたのでした。歴史はゆるーく、でも確実に繋がっています。

肝心の演奏の方は、なにぶん聴き慣れない曲ばかりにつき細部の論評は無理ということですいません。普段の半分以下の小編成で、テンポ速めに進みますが、ピリオドアプローチの匂いはなく、角が取れてしなやかに流れる演奏です。元々弦楽四重奏のために作曲されたディヴェルティメントを筆頭に、アンサンブルの一体感が凄くて、非常に統制のとれた弦はさすがです。

ホルン協奏曲のソリストは、オケのトップ奏者。どんな一流奏者でも音が潰れたり外したりはしょっちゅうのホルンという楽器において、コンチェルトのソリストをやろうなんてのは、相当に勇気がないとできない仕事だと私は常々感服しております。概ね立派なソロだったと思うのですが、音が決まらない箇所が多少あったのは、地方公演含めて同じ演目をこの日で三日連続吹いているため、少々お疲れ気味だった様子です。こういうとき、特に管楽器の場合は、初日が一番良かったりします。

久々に聴いた愛すべきブダペスト祝祭管、選曲からしてブラスの馬力は堪能できませんでしたが、世界屈指のオーケストラであることは今も変わらず、安心しました。また、久々のゼネアカデミア、不変の骨董品的な雰囲気と、芳醇な音響は相変わらず素晴らしかったものの、椅子が固くて尻と腰が痛くなるのも昔のまま。何もかも、皆、懐かしい…。

余談ですが、ブダペストの中心地オクタゴンで、その4角のうち3つの屋上広告が極東系(ファーウェイ、サムスン、中國銀行)に支配されていたのは、軽く衝撃でした。


ハンガリー国立歌劇場/シュメギ/コニエチヌイ/スヴェーテク:アラベラ2013/05/03 23:59


2013.05.03 Hungarian State Opera House (Budapest)
Géza Bereményi (director), Balázs Kocsár (conductor)
Eszter Sümegi (Arabella), Tomasz Konieczny (Mandryka), Zita Váradi (Zdenka)
László Szvétek (Count Waldner), Bernadett Wiedemann (Adelaide)
Dániel Pataki Potyók (Matteo), Tamás Daróczi (Count Elemér)
András Káldi Kiss (Count Dominik), Sándor Egri (Count Lamoral)
Erika Miklósa (The Fiakermilli), Erika Markovics (fortune-teller)
Imre Ambrus (Welko, servant), József Mukk (waiter)
1. Richard Strauss: Arabella

ここは昨年「くるみ割り人形」を見に来たばかりですが、オペラを見るのはちょうど3年前の「ばらの騎士」以来です。そのときはマルシャリンを歌っていたシュメギ・エステル、今回はタイトルロールのアラベラを歌い、リリックソプラノの王道を真直ぐ突き進んでます。元々華のある人ですが、今日は周囲に食われ気味で、もひとつ印象に残らず。ちょいと身体が増殖してないですか。お嬢さん役はだんだんと厳しくなってきたかも。

ウィーン社交界の華をハンガリー人ディーヴァが演じれば、相手役であるハンガリーの大地主マンドリーカはポーランド人のトマス・コニエチヌイが歌うという、ちょっと屈折した配役。全然知らない人でしたが、たっぷりと低周波を含んだ深みのある声に、丁寧で安定した歌唱がタダモノではない素晴らしさでした。経歴を見ると早くからドイツのメジャー歌劇場でキャリアを積んでいる様子。公式サイトを見ると、この後ウィーン国立歌劇場のリングサイクルでヴォータンを歌い、ミュンヘンではアルベリッヒを歌うようです。売れっ子ですね。

妹ズデンカ役のヴァーラディは、まずまず無難なズボン役(男装の女性役なのでズボン役とは言わないか。でも役柄のイメージはまんまオクタヴィアンです)。ヴァルトナー伯爵のスヴェーテクは、昔ここで「神々の黄昏」のハーゲンを熱演していた印象が強いですが、本来はこういったコミカルなキャラクターが持ち味です。この人も実に良い声。伯爵夫人のヴィーデマンはもう何度も見ていますが、存在感ある芯の太い声(と太い身体)は全く健在でした。フィアカーミリは、初めて聴くミクローシャ・エリカ。よく見ると老け顔で雰囲気も意外と地味だし、オペラの大役を担うにはまだちょっと線が細い。何より、オーラがない。売り出し方がアリアコンサート中心で何となく浮ついている感じがして、一線級のオペラ歌手とは正直認識しておりませんでしたが、コロラトゥーラは確かに世界的第一人者とのフレコミ通り達者にこなしていました。ちゃんと歌える人を脇までしっかり揃えた、充実した歌手陣の公演だったと思いますが、エレメール伯爵だけは、喉を痛めたのか全然声が出てなくて、他が声のでかい人ばかりだったのでちょっとかわいそうでした。

演出は、昨シーズンプレミエの新プロダクションではありますが、読み替え一切なしのオーソドックス過ぎるものでした。野暮ったさと衣装の垢抜けなさは、ある意味ハンガリー国立歌劇場らしくてほっとします。奇抜な発想で伝統を破壊するだけのモダン演出よりよほど好感が持てます。舞踏会の場面では半円に配置した総鏡張りのボールルームが、人が引けて照明を落とすと鏡が半透明になって外側の雪景色がぼうっと浮かび上がる仕掛けになっており、大してお金をかけていないのに、発想の勝利と思いました。オケはしばらく見ない間にずいぶんとメンバーが若返っていて、その分しっかり生真面目な演奏を聴かせてくれました。ROHのオケも新陳代謝が必要なんじゃないでしょうかね。


伯爵夫妻のスヴェーテクとヴィーデマン。


シュメギ、後ろにヴァーラディ。


真ん中が指揮者のコチャール。左端のマッテオ君もなかなか良いテナーでした。


ブダペスト祝祭管/フィッシャー/クーパー(p):ドラは高いぞ、壊れてないか心配2013/04/22 23:59


2013.04.22 Royal Festival Hall (London)
Iván Fischer / Budapest Festival Orchestra
Imogen Cooper (piano-2)
1. Ernst von Dohnányi: Symphonic Minutes
2. Beethoven: Piano Concerto No. 1
3. Bartók: Concerto for Orchestra

約1年ぶりのブダペスト祝祭管。客席を見ると、見間違えることはない、内田光子さんが聴きにいらしてました。ロイヤルフェスティバルホールでは特によくお見かけしますね。

1曲目はドホナーニの「交響的瞬間」という5曲から成る短い組曲。ドホナーニはバルトーク、コダーイと同世代でありながら、ハンガリー民俗色を前面に出さず、ドイツ音楽の伝統に則った作風を頑なに守った人で、今では忘れられた作曲家とまでは言わないにしても、ハンガリー国内ですら、作品が取り上げられる機会はそう多くありません。この小曲も田舎風ではあるけれど全然ハンガリーっぽくないです。もうのっけから息のぴっちし合った弦アンサンブルに懐かしさで顔が緩みます。一年ぶりに聴いても変わらず音の引き締まった、統一感のあるオケです。かといって没個性ではなく、コーラングレのソロなど、どこの一流オケと比較しても見劣りせず、実に素晴らしい。今日は特に木管の人々が冴えていました。

イモジェン・クーパーは2005年にブダペスト祝祭管の福袋コンサート(曲目、ソリスト共に当日発表)で聴いたのが初めてで、次が昨年のプロムス、今日は3回目です。今までの感想で共通しているのは、運指はバランス良く完璧だけれども、四角四面の杓子定規で面白みのないピアノ、ということでした。今日も全体の印象は実はそれと大きく変わるものではないのですが、決して力まず、おおよそベートーヴェンらしくない不思議な透明感を持った、まるでドビュッシーのような演奏だったので、意外さは大いにありました。フィッシャーはいつものごとく楽器配置で仕掛けを少々。オーボエが第1ヴァイオリン、クラリネットが第2ヴァイオリン、フルートとファゴットはチェロに混ざって、でもさすがにもう手慣れたもので、皆さん何の違和感もなく淡々と演奏していました。ティンパニは小型の旧式で、ホルンとトランペットもピストンのないバロック式の楽器に持ち替えていましたが、その分音程が危うくなる瞬間もちらほら。まあ全てを含めて想定内なんでしょう。


メインのオケコンは、ブダペスト祝祭管のCDは持っていますが、生では初めてです。ブダペストの定期演奏会では意外とバルトークを取り上げてくれないので、ツアーがらみのときだけチャンスがありました。この曲を得意としていたショルティが設立に関わっていただけあって、まさに「第一人者」としての自覚と自信に溢れる、プロ中のプロの演奏でした。トロンボーン奏者が首にコルセットを巻いていて(ムチウチでもやっちゃったんでしょうか)体調が万全ではなかったのか、バランスが悪いと思うところがいくつかありましたし、第4楽章では演奏中にドラがガッシャーンと倒れるというハプニングもありましたが、それらを除けば、冴え渡る木管、馬力ある金管、芯の太い弦、肩を揺すってノリノリのティンパニ、全てを知り尽くした指揮者、皆が一体となって、「ハンガリー人の自分らにしかできない完璧な演奏」を立派に具現していました。ここはどうだった、ここはああだったといちいちピックアップするのももどかしい、とことん細部に息の届いたフィッシャー節でした。

アンコールは、皆さんも最後にハンガリー舞曲が聴きたいでしょう、というフィッシャーのかけ声を皮切りに、第3番と第7番という可愛らしい選曲で演奏されました。今日はコーラス席だったので奏者の譜面台をオペラグラスで覗くと、他にも第1番とかいろいろ用意されていました。その日の気分で適当に選んでいると思いますが、それにしてもオケは手慣れ過ぎ(笑)。最後まで完成度を崩さない人々でした。



第4楽章で倒れたドラ。トップの写真ではまだ立ってます(笑)。その後ドラの出番がなかったのが幸い、終演後までそのまま放っておかれてました。

二重帝国で骨髄食いまくり2013/01/03 23:59

と、たいそうに書く話でもないのですが、クリスマスはウィーンとブダペストに小旅行してきました。ウィーン市庁舎近くのレストラン(うかつにもカードを取ってくるのを忘れた…)でなにげに頼んだ骨髄のコンソメスープ。


たっぷりと入った骨髄にまずびっくり。骨髄は牛脂の固まりみたいなもんですから、かなり脂っこい料理なんですが、何という旨味の宝庫。イギリスでも日本でも決して味わえない、掘り出し物のスープでした。


ブダペストではいつものKehliに行き、ここでもつい勢い余って、前菜に骨髄を注文してしまいました(こいつからはもう足を洗おうと思っていたのに…)。こちらは自分で骨髄を掻き出し、生ニンニクを擦り付けたトーストに乗せ、塩をふって食べます。うーん、濃いいが、この脂っこさに慣れるとヤミツキに。

こんなもんばかりを食べていたので、当然のごとく体重が増強されて帰宅、そのまま年末年始の食いだおれに突入したため、年明け体重計に乗ったらとんでもないことになっていました…。

しかし、それにしても牛骨髄の美味さよ。以前読んだ米国ファーストフード業界の本で、マクドナルドはその昔、フライドポテトを牛脂のみで揚げていたのが人気の秘密だった、という記述があって、それはさぞ美味しかろう、是非食べてみたいものだ、と読んでてよだれを垂らしたのを思い出しました。

ブダペストでは別の日、超久々にSir Lancelotへ行きました。


地下の酒蔵を改造した風のレストランは、中世にタイムスリップしたかのよう。




ここの名物料理は、お肉てんこ盛りのプレート。この写真は二人前なのでかわいいものですが、大人数で行くと、山のように積まれた骨付き肉に圧倒されます。中世にはまだ発明されてなかったという理由で、この店にフォークはありません。ナイフとスプーンと手づかみでこれらお肉と格闘するのが醍醐味です。

ブダペストにいたころ、ここはお客さんと会食するのに何度利用したことか。途中でベリーダンスや火食い男のパフォーマンスもあり、単純にワイワイと楽しめます。当時は食べても食べても皿からなくならない(気がした)このお肉が、胃袋が欧州化した今ではペロっと平らげてしまえるから、困ったもんです。いいかげん、ダイエットせねば…。ズボンが苦しい…。

ハンガリー国立バレエ:懐かしい、古き良き「くるみ割り人形」2012/12/24 23:59


2012.12.24 Hungarian State Opera House (Budapest)
Vaszilij Vajnonen (choreography, libretto after Hoffmann)
Gusztáv Oláh (set & costume design), András Déri (conductor)
Adrienn Pap (Princess Maria), Denys Cherevychko (Prince Nutcracker)
Blanka Katona (Marika/child Maria), Gyula Sárközi (child Nutcracker)
Csaba Solti (Drosselmeier), Jurij Kekalo (Mouse King)
1. Tchaikovsky: The Nutcracker

2004年から年末には「くるみ割り人形」を見にいくのを家族の恒例行事としておりますが、今年はクリスマス休暇旅行のおり、久しぶりにハンガリー国立バレエを見ることにしました。ここの演出はワイノーネン振付けの初版がベースで、主人公の少女の名はクララではなくマリア。にわか勉強によると、ドイツ人であるホフマンの原作では少女マリーが両親からもらう人形の名前がクララという設定だったのですが、初演のプティパ/イワーノフ版では少女の名前がクララに変えられており、ロイヤルバレエのピーター・ライト版などではこれを踏襲しています。一方のワイノーネン版では原作にならい少女の名はロシア語でマーシャに戻され、ハンガリー語ではマリアとなるわけです。また、イワーノフ版では他の子供と同様少女クララは子役が踊り、踊りの主役はあくまで第2幕に登場するお菓子の国の王子・王女であるのに対し、通常のワイノーネン版は主人公マーシャを最初から大人のダンサーが演じ、くるみ割り人形の王子と共におもちゃの国の王子・王女として迎えられるのが特徴でありながら、このワイノーネン初版では第1幕で子役ダンサーがマーシャとくるみ割り人形の王子を踊り、夢の世界に来たところから大人のダンサーに入れ替わります(ここのトリックが見所ですが)。最後は夢から覚めて、再び子役のマーシャがベッドで目を覚まし傍らのくるみ割り人形を抱きしめるところで幕となる、いわゆる「夢オチ」。私は最初に見たのがこのワイノーネン初版なので、「くるみ割り人形」というのは夢オチが基本だと擦り込まれてしまっておりましたが、原作はそんな単純ではないらしいし、バレエも演出によってお菓子の国で大団円を迎えておしまいというのもあれば、ライト版は最初から大人のダンサーが少女クララを踊り(他の子役と一緒に大人が子供のフリをして踊るのが、私がライト版に最も違和感を感じるところです)、お菓子の国ではただ見てるだけじゃなくて各国の踊りを一緒に踊ったり(昔のロイヤルバレエDVDを見ると一緒に踊るのはないので、近年付け加えられた演出だと思いますが)したあとに、最後は呪いの解けたくるみ割り人形(実はドロッセルマイヤーの息子)と一緒に現実の世界に戻る、というユニークな展開になっていて、本当に様々なパターンがあるようです。あとは細かいことですが、このハンガリー国立バレエの演出では元々の第1幕がパーティーが引けて夜になるところで分割されて休憩が入るので、全部で3幕になってます。


口裂け女みたいなアゴがちょっと気持ち悪い、ハンガリーのくるみ割り人形。

6年ぶりに見るこの「くるみ割り人形」は、ただただ懐かしかったです。極めてオーソドックスな演出に素朴な振付けは古き良き時代の絵本のようで、まさに子供に見せたいバレエでした。第1幕で開けられる子供たちへのプレゼント人形は、アルルカン、バレリーナ、ムーア人。ロイヤルバレエではアルルカン、コロンビーヌ、男女の兵隊ですが、やっぱり最後は土人がくるくる回って子供が興奮するのでなきゃー物足りない、と思ってしまいます。昨今では自主規制が働いていろいろと難しいのかもしれませんが。相変わらず子役で出てくる女の子は皆人形のようにかわいらしい白人のお嬢さんばかりで、見惚れてしまいます。

一方で、自分の目が肥えてしまったのでしょうか、ロイヤルバレエと比べてどうも動きが大らかというか、大味な気がしてならない。アクロバティックな技が少ないし、主役も脇役もちょっと間があくと突っ立っているだけの瞬間が多々あり、スポットを浴びていない間でも小芝居を打つようなきめ細かさがないように思えました。体操のように飛び跳ねればよいってものではありませんが、ダンサーがその力量の幅を目一杯使って表現しているようにも見えなかった。これはやはり、世界のトップクラスに君臨し、世界中から猛者が集まりしのぎを削るカンパニーと、そうでないところのレベルの差なんでしょうかね。

あと気付いたのは、女性は出るところが出たというか、短く言うと巨乳系の人がけっこういました。走り回るとゆっさゆっさ揺れて、めちゃ踊りにくそう(苦笑)。逆にアラビアの踊りなんかは、ガリガリの人が踊るよりはそれらしい雰囲気が出ていて良かったです。ロイヤルバレエはペッタンコの人ばかり(失礼)ですが、他と比べて規律が厳しく消費カロリー(練習量)が多い、ということなんかな。

王子役の人は知りませんでしたが、マリア役のパップ・アドリエンは昔何度か見たことがありました。当時は学校を出たてくらいの若さながら、「白雪姫」や「かかし王子」のお姫様役を堂々と演じていました。今ではすっかり貫禄のソリストですが、まだまだ若いんだから、ちょっと落ち着き過ぎかも。ほぼ全員が東欧系白人顔の中、群舞の中に一人日本人らしき顔を発見、後で調べてみると2010年から入団しているAsai Yukaさんという人みたいです。

オケは、かつては特にバレエの時にひどい演奏をさんざ聴かされたものでしたが、そのときの記憶からしたら、思った以上にしっかりとした演奏で感心しました。速いパッセージでアンサンブルの乱れは多々ありましたが、金管は最後まで持ちこたえていましたし、花のワルツでの妖艶なうねりはなかなかのものでした。



ブダペストのハンガリー国立歌劇場は、今では数少なくなった、貴族時代のゴージャスな内装を徹底的に残している、古き良き劇場です。以下に写真を少々。


エントランスの階段。


エントランスの天井画。


ホール内の天井画。


カフェもゴージャスなままです。



吹き抜けとメインの階段。この日はマチネでしたが、ロンドンと比べて大人も子供も着飾った人が多かったです。

ブダペスト祝祭管/フィッシャー/カピュソン(vn):ヴァイオリン三昧の夕べ2012/03/04 23:59


2012.03.04 Royal Festival Hall (London)
Iván Fischer / Budapest Festival Orchestra
Renaud Capuçon (Vn-2)
1. Brahms: Tragic Overture
2. Lalo: Symphonie espagnole
3. Rimsky-Korsakov: Sheherazade

昨年1月と9月のプロムスにもロンドンに来ているブダペスト祝祭管。来年4月にもRFHでコンサートが予定されており、欧州内ツアーを精力的に行っている様子です。昨年1月のRFHはハンガリーの大統領が聴きに来ていたり、地元のハンガリー人コミュニティによるボランティアが多数動員されていたりで、ハンガリー語がそこかしこで聞かれ、たいへん盛況だったのですが、それに比べると今年はせいぜい6〜7割程度の客入りで、ちょっと寂しいものでした。チケットも大幅に値上げしましたし、何もやらなかったらこんなものなんでしょうか。来年は気合を入れて集客しないといけませんね。

奏者のほうはそんなことお構いなしで、いつものように気合の入った濃密な演奏でした。指揮者が登場し(さらに頭が薄くなったかな?)、おもむろに始まった「悲劇的序曲」は、統率のよく取れたオケをフィッシャー色でぐいぐいと引っ張る、期待通りのクオリティの演奏。このオケの音はやっぱりロンドンのオケとは全然違って、何とも言えない滋味で統一感が取れています。今日のフィッシャーさんは一段とエグいドライブで、最後のほうでは「うがー」と大きなうなり声を上げながらラストスパートを畳み掛けていました。極めて真面目に取り組んでいながらも非常に個性的な、面白い演奏でした。

続くスペイン交響曲は一昨年テツラフのソロで聴いて以来です。カピュソンを聴くのは初めてでしたが、テツラフも凄かったけどこの人も天然でマジ上手いので、一時も目が放せませんでした。濃いアゴーギグを入れたり歌にコブシが入ったりするようなことはほとんどなく、まるで普通に息をするように、難しいパッセージをいともさらっと弾きこなしています。アクがないのは物足りないにせよ、透明感と気品を備えたたいへん良質のヴァイオリン。テツラフを超えるものはそうそうないだろうとあまり期待してなかったのですが、あにはからんや、全く別世界で至高の演奏を聴かせてもらい、お気に入りのヴァイオリニストがまた一人増えました。これだから演奏会通いは止められませんね。バックのオケも別段スペイン色を協調せず、ヴァイオリンに合わせた清涼感でソリストを上手に際立たせていました。

メインの「シェヘラザード」は、何故このオケのロンドン公演でこの選曲、という疑問もないではありませんが、相変わらず丁寧に作り込み、積み上げられた演奏。実はこの曲、私には鬼門で、毎回どうしても夢心地の世界に誘い込まれてしまいます。今日も途中から所々意識が飛んでいるのですが、それは差し引いても、コンマスのソロ、木管、ホルンがどれも音程が合わずピリッとしない場面が見られました。どんなコンマス(女性なのでコンミス)でもカピュソンの後でソロを弾かねばならないのは、ちと気の毒でしょう。聞けば前々日にベルギーのブルージュで演奏会、前日の昼までブルージュに留まりリハーサル、夕方ロンドンに移動して、日曜日の昼はまたリハーサルというけっこう詰まったスケジュールだったそうで、ツアーの疲れが出たんでしょうか。フィッシャーの加速にオケがついていけてない箇所もありました。本日の仕掛けはハープを指揮者の真横に置いたことくらいでしたが、ヴァイオリンとのバランスが良くてこれはなかなか効果的。アンコールはエルンスト・フォン・ドホナーニ(クリストフのじいちゃん)の小曲で軽く締めました。


手前がハープのポローニ・アーグネシュさん。


左はコンミスのエッカルト・ヴィオレッタさん。

ブダペストのリスト・フェレンツ空港(旧フェリヘジ空港)2011/11/12 23:59

ブダペスト唯一の国際空港はかつて「フェリヘジ空港」と呼ばれていましたが、ハンガリー人(でもハンガリー語は話せなかった)作曲家リストの生誕200年を記念して、今年3月に「リスト・フェレンツ空港」と名称変更されました。

ターミナル2Aと2Bの間に、巨大な吹き抜けのショッピングモールができていたのは驚きました。昔のフェリヘジしか知らない人が下の写真を見たら、とてもブダペストの空港とは毛先ほども思わないでしょう。


何だか、すっかり西側先進国の空港みたいになっちゃってます。この財政危機の中、そんなお金がどこにあった?しかし、搭乗ゲートは昔のまま、天上の低い圧迫感のあるスペースでした。

ブダペストのスイーツ2題:レーテシュハーズとマローディ・ツクラースダ2011/11/11 23:59

ブダペスト旅行の続き。

ランチを取ろうと「10月6日通り」をぶらぶら歩いているときにふと目に入ったのが、Első Pesti Rétesház


意味は「ペシュト地区で最初のレーテシュ(シュトゥルーデル)ハウス」。そう言えばスイーツ好きのハンガリー人の友人に噂話を聞いたような気もするけど、私がこの店のことを知らなかったのも当然で、名前からして100年以上の歴史を誇る超老舗かと思いきや、開店は2007年とのこと。めっちゃ新しいやん。ただし建物はナポレオンのロシア遠征の時期の1812年に建てられたもので、内装にも凝ってハンガリーの伝統を後世に残すというコンセプトがあるみたいです。

しかし、開店が2007年と聞くと気になるのが、「ここ以前にペシュト側には本当にレーテシュハウスはなかったのか?」ということ。実際、ブダ側には王宮の近くにレーテシュ屋さんがありましたし、確認のしようがないものの、1件だけでは絶対にないはず。1812年創業ならともかく2007年開店で「ペシュトで最初の」というのはだいぶ眉唾の気もしますが、まあ、味が良いなら、細かいことは気にしないことにしましょう。

レーテシュとドイツ語圏(特にオーストリア)のシュトゥルーデルは基本的に同じものです。元々このあたりの地域で広く食されていた伝統菓子で、どちらがルーツということはないそうですが、ハンガリーのレーテシュにはサワーチェリー、ケシの実、羊のカッテージチーズといった地域特有の材料を使ったものがいろいろあり、バラエティに富んでいます。また、甘いものだけでなくキャベツが入ったレーテシュもあります。



レーテシュを巻いて焼くところはオープンキッチンになっていて、手慣れたおじさんが目にも止まらぬ早さで生地を薄く伸ばして、具材を乗せてくるくるっと巻いていき、あっというまにオーブン行き。


定番のアルマーシュ(リンゴ)レーテシュ。要はアプフェル・シュトゥルーデルですが、ウィーンで食べるよりも生地が薄くてさくっとして、リンゴは甘すぎずほどよい酸味が残って、なかなかレベルの高いレーテシュでした。ランチに入ったので、実はレーテシュはこれしか食べてません。本当はハンガリー産のサワーチェリーが食べたかったのですが品切れでした。

10月6日通りは観光客がよく通る場所ではないので、お客は地元の人か、団体客でした。奥の部屋ではレーテシュ作りの実演や体験もできるプログラムがありました。写真は撮り損ねましたがランチのハンガリー料理も美味しかったです。店の雰囲気や接客態度もよく、ローカル相場より値段は高めですが、レストランとしてもオススメできるお店です。



もう一つ、スイーツ好きのハンガリー人の友人が最近Wall Street Journalを読んでいたら「今ブダペストで最高のクレーメシュ・セレト(クリーム入りの四角いケーキ)が食べられるお店」という紹介記事を見つけたので、と、誘われて行ったMaródi cukrászdaというケーキ屋。マルギット橋のすぐ近くのペシュト側にあります。


これがその噂のクレーメシュ・セレト。懐かしい、素朴な味わいです。私にはハンガリアンスイーツの良し悪しはよくわからんのですが、彼は家族の分も後で持ち帰りで買っていたので、評判通り美味しかったんでしょう。


私が選んだのはトゥーロシュ(羊のカッテージチーズ)・セレト。これもほどよい甘さ。セレトは素朴過ぎて違いがよくわからず、正直あまり好んで食べなかったし、甘過ぎるのはNG、くらいの判断基準しか持ち合わせてないですが、これはなかなか良かったです。


こちらはジェルボー・セレト。うーん、これは私には甘過ぎるかな…。ブダペスト旅行で歩き過ぎて疲れたときは、こういう素朴なスイーツもよいのではないでしょうか。

ブダペストのレストラン2題:KehliとBorsso2011/11/10 23:59

話は前後しますが、前述の通り一年ぶりにブダペストへ旅行してました。

まずは前回行けなかったハンガリー料理の老舗レストラン、Kehliへ。


1899年の開店以来、内装はほとんど変わっていないそうです。共産主義時代よりさらに前の、古き良きころのハンガリー。照明の影響で、私のカメラのオート設定ではどうしても黄色く写ってしまいますが(マニュアルモードでもうまく調整できず、面倒くさくて結局オートのままです)、ご勘弁を。


定番の名物料理、レバー団子のホットポット(スープ)と牛の骨髄。前々回行ったときは骨髄が生煮えで「ケーリー、お前もか」とがっかりしたのですが、今回はそんなことはなく、良い味の出たコンソメスープ、とろりと濃厚な骨髄を懐かしく堪能させてもらいました。


ハンガリーじゃないと高くてなかなか頼む気にならない、フォアグラのソテー、焼きリンゴとマッシュポテト添え。大きな切り身が3つは見た目以上にお腹にずっしり来ます。


妻はビーフステーキのフォアグラ乗せ、リヨン風フライドオニオン添えを選択。この取り合わせはたいへん美味く、我々みたいに胃袋がハンガリー化してしまった人だけじゃなく、日本からのお客さんにもオススメですが、全部たいらげたら相当なカロリーになるのは必至ですのでご注意ください(まあ、たいらげる日本人を見たことがあまりありませんが)。


デザートは秋の風物詩、栗のピューレ。栗をつぶして味を整えピューレにし、生クリームを乗せただけのシンプルなスイーツですが、これぞ自然の恵み、素朴な味わいにほっとします。日本でもイギリスでも栗の季節には自宅で作れるのが高ポイントです。手間はかかりますが。


給仕のおばさん、ジプシー楽団のおじさんたちも皆昔のままで、故郷に帰ってきた気分でほっとします。よく見るとお客は常連というよりは国内外の観光客が多いですが、それにしてもこのアットホームな雰囲気は、このレストランの長い伝統のなせる技だと思います。


所変わって、別の日、Borssó Bistroという創作モダン・ハンガリアンのお店で友人とランチ。ここに来るのは2回目ですが、繁華街からちょっと離れて、知る人ぞ知るという感じの、しかし雰囲気の良いお洒落なプチレストランです。


この日のランチメニューはポテト肉詰めということで、トルトット・パプリカ(ハンガリー家庭料理のパプリカ肉詰め、トマトソース煮込み)のようなものを想像したのですが、出てきたのは果たして、ずいぶんと洗練されたクリームソースのかわいらしい一品。中身はホルトバージ・パラチンタと同様のチキンのほぐし肉でした。


男性だと量的には物足りませんが、夜が控えているのでランチは軽く済ませたいときなどには(それでなくともハンガリー料理はヘヴィーなので)ちょうどよいのではないでしょうか?もちろん味は洗練されてますし、夜は夜でワインも豊富に置いてあるので、ちょっと気取ったひとときにも最適かも。

ブダペスト祝祭管/フィッシャー:バルトークホールでバルトーク2011/11/06 23:59


2011.11.06 Béla Bartók National Concert Hall (Budapest)
Iván Fischer / Budapest Festival Orchestra
Zoltán Fejérvári (P-2)
1. Bartók: Hungarian Peasant Songs
2. Bartók: Piano Concerto No. 1
3. Schubert: Symphony No. 5 in B-flat major
4. Tchaikovsky: Romeo and Juliet - Fantasy-Overture

3日前に「青ひげ公」を聴いた後、休暇で1年ぶりのブダペストに行ってバルトークコンサートホールでまたまたバルトークを聴く、我ながら「バルトーク三昧」してます。

このホールに来るのは実に4年半ぶり。悪かったアクセスが改善されていないのは最初からわかっていたので、お出かけはレンタカーで。地下駐車場の夜の無料開放がまだ続いていたのは嬉しかったです。ホールの中はカフェバーとインフォメーションが場所を交換していたり、ボックスオフィスがCDショップになっていたり、また外壁の原色ピカピカ照明がなくなっていたりと、微妙にいろいろと変わっていました。ホール内の内装は変わらず赤青の原色パネルが目を引き、座席はちょっと高めの背もたれに少々圧迫感がありますが、このあたりは懐かしいもんです。




開演前、オケの練習風景とソリストのインタビューを収録した宣伝用ビデオが上映されていました。その中で別の日のソリストが「コチシュとフィッシャー/ブダペスト祝祭管のバルトークが自分の目標だった」というようなことを話しており、祝祭管の演奏会でコチシュの名前を聞いたのが新鮮でした(コチシュはこのオケの創設者の一人でありながらフィッシャーと対立して飛び出し、それ以降客演していないのはもちろん、何かと言えば目の敵にしています)。


フィッシャーとブダペスト祝祭管はロンドンに来てから何度か聴いていますが、じっくりと丹念に音楽を作り込んで行くタイプのオケなので、やはりホームで聴くのが吉です。1曲目の「ハンガリーの農民歌」は実に骨太の弦アンサンブルが歌わせ方の隅々までハンガリーのイントネーションで首尾一貫して奏で、木管・金管は非常に素朴な音色で田舎の香り付けをし、のっけからその彫りの深さに参りました。ホールの程よく長い残響も健在で、故郷に戻ってきたような懐かしさを感じました。

ピアノ協奏曲、元々は3回ある定期演奏会のうちコンチェルトだけ日替わりで全3曲をシフ・アンドラーシュが演奏するという、今シーズンの目玉企画だったわけですが、1月にシフが政治的理由で祖国との決別宣言をしたためにキャンセルとなってしまい(決別と言ってもオケとは良好な関係が続いているので、これに先立つ米国ツアーでは予定通りシフが帯同して3曲とも弾いていたようですが)、結局3曲各々に別の代役ソリストを立てました。この日のコンチェルトは第1番、ソリストはフェイェールヴァーリ・ゾルターンというハンガリー人の若者だったのですが、この抜擢は彼にはちょっと荷が重過ぎたようでした。音がスカスカに軽く、まるでシューベルトでも弾くかのようになめらかなのは良いとしても、オケに着いていくのが精一杯の平板なピアノでした。いかにもこの曲を(もしかしたらバルトーク自体を)弾き慣れていないのがありあり。一方のオケは、打楽器群を指揮者の目の前に置くという、これはフィッシャーのみならず誰でもやっている定番の配置ですが、さすがに十八番でアクセントの付けどころ、リズムの強調しどころを知り尽くした濃厚な伴奏。最後のコーダではピアノが半ば脱落していたし、まだ若いとはいえ、ちょっと気の毒に感じる飲まれっぷりでした。曲名はわかりませんが、アンコールで弾いていた穏やかなピースを聴くに、この人は元々デリケートで叙情的な演奏が持ち味で、ならばせめて1番ではなく3番を当ててあげればよかったのになあ主催者も人が悪い、と思ってしまいました。まあ何事も経験あってのキャリアですから、彼もハンガリー人ならばこうやってある意味贅沢な洗礼を受けたのは、今後の成長に必ずプラスとなることでしょう。

休憩後のシューベルト第5番は、ミニマルで端正な古典交響曲の外見を保ちながらもロマン派の優美さがそこはかと漂ってくる、品のある佳曲です。さすがは「仕掛けのイヴァーン」、よく見るとチェロとコントラバスは定位置におらず、他の弦楽器の中に混ざって分散しています。低音が程よく分散する他に、お互いの音が聴きやすくなるというメリットがあるようですが、効果はあくまで微妙なものでした。それよりも一呼吸一呼吸がいちいちよく練り込まれたフレージングはまさにこのコンビならではの完成度で、たいへん歌心のある演奏でした。

最後のチャイコフスキー「ロメジュリ」では、今度はハープ奏者(美人!)が指揮者の目の前に置かれ、メリハリの利いた展開でぐいぐいと押し進めます。とは言え第二主題では速めのテンポでホルンを強調しない淡白さを維持し、甘ったるいチャイコフスキーに陥るのを食い止めていました。音が太くて適度に華美な好演だったのですが、米国ツアーの直後でお疲れモードだったのか、シンバルが派手にリズムを外して脱落したのはプロにしては珍しい事故でした。

やはりこのオケとホールは相乗効果で素晴らしいものであることを再認識できました。またこのホールで聴く機会があればと思いますが、旅行ベースだとなかなかタイミングが合わなくて…。次は3月のロンドン・ロイヤル・フェスティヴァル・ホール、曲目はスペイン交響曲とシェエラザードです。