N響/高関:アラジン組曲、シベリウス2番(ブロム翁リベンジならず…) ― 2023/10/20 23:59
スラットキン/N響:素朴で雄大で陽気なアメリカ、アパラチアの春&ロデオ ― 2022/11/19 23:59
2022.11.19 NHKホール (東京)
Leonard Stlakin / NHK交響楽団
1. コープランド: バレエ音楽「アパラチアの春」(全曲)
2. コープランド: バレエ音楽「ロデオ」(全曲)
N響を聴くのは実に5年ぶりになります。元々は先月のブロムシュテットが久々のN響、ということになる予定が、事情があって聴けませんでした。実はスラットキンは初の生演になります。また、コープランドの代表2作品も実演で聴くのは初めてという「初モノづくし」なのでした。「アパラチアの春」は数多くの録音が残されている著名曲ですし、「ロデオ」もELPがカバーするくらいメジャーな曲なので、もっとシーズンプログラムに乗る機会があってもいいんではと思います。日本人が好むメイン曲(正統派交響曲が多い)と組み合わせるのが難しいんでしょうかね。
アメリカ出身のスラットキンはもっと若いと思っていたら78歳で、マイケル・ティルソン・トーマス、エトヴェシュ・ペーテル、レイフ・セーゲルスタムといった人々と同い年、バレンボイム、ポリーニよりは少し下の年代に当たります。写真からは巨漢の強面というイメージを勝手に持っていたのですが、確かに筋肉質には見えるものの、コンマスのマロさんよりも小柄。指揮棒を使わず、しなやかで無駄のない手さばきで、しっかりとオケをリード。N響への客演も多いので、お互い勝手知ったる信頼感が感じられました。
1曲目「アパラチアの春」は、珍しいバレエ全曲版での演奏。組曲版が20分強くらいに対し、全曲版は35分程度の演奏時間で、微妙な差ですが、この程度なら全曲版がもっと普及してもよいのかも。ただ、私は実はこの曲が昔からどうも退屈で苦手。CD聴くときもだいたい飛ばしてしまいます。久しぶりにあらためて聴いてみると、雄大な自然に恵まれた古き良きアメリカのノスタルジーに溢れた、密度の濃い作品であると認識しました。コーダの静寂にグロッケンがかすかに響くところなんかもなかなか秀逸です。しかしやっぱり、冗長に感じる時間も多く、組曲版があったからこそこの曲がここまでメジャーになれたという効用があったのだと思いました。ちょうどバルトークの「中国の不思議な役人」の全曲と組曲の関係と似ているかも。N響は破綻もなく終始丁寧な演奏で、しっとりと美しい好演でした。
コロナ禍以降の慣例で、休憩なしに今度は「ロデオ」の全曲版。コントラバスが4本から8本に倍増し、編成がぐっと大きくなります。「ロデオ」も組曲版が圧倒的に普及していますが、「アパラチアの春」とは違ってこちらはほとんど差がなく、2曲目と3曲目の間に短い「宿舎でのパーティ」という曲が挿入されるだけで、これなら逆に何でわざわざ組曲版で演奏するんだろうと。実際に聴いてみてその答えがわかりました。「宿舎のパーティ」は調律の狂ったアップライトのホンキートンクピアノのソロから始まるので、このピアノを調達するのが多分クラシック演奏会の普通のロジでは難しいんだと思いました。次の「土曜の夜のワルツ」は切れ目なしに繋がるので、レコーディングなら全曲版がもっと普及してもよいのになとは思います。
「ロデオ」はかつて部活で演奏したことがあり、個人的にはたいへん懐かしい時間でした。最後の「ホーダウン」で聴き慣れない部分に気づき、組曲版でカットされた部分がここにも少しありました。「ロデオ」は「アパラチアの春」とは打って変わって陽気で賑やかな曲で、後腐れなしで楽しく聴き流せます。普通のオーケストラでは使わない打楽器が出てくるのも楽しみで、「アパラチアの春」でもサンドペーパーやクラベス(洋風拍子木)が地味に使われていましたが、「ロデオ」ではスラップスティック(むちの音を模した、細長い平板を蝶番で繋げた打楽器)やウッドブロックが派手に活躍します。おどけた金管ソロも楽しみの一つで、ちょっと危うい箇所もありましたが何とか無難にクリア、さすがプロです(この曲は見かけよりもずっと演奏難易度が高く、アマチュアにはなかなか手に負えないシロモノでした・・・)。
N響は今シーズンから演奏終了後のカーテンコールは写真撮影OKになったので、記念に1枚。さすがに3階席からだとピシッとは撮れてませんが。
晴天に恵まれた週末の代々木公園は、コロナ前のように賑わいが戻っていました。
東京・春・音楽祭:ここでしか聴けないハイレベル、「さまよえるオランダ人」 ― 2019/04/07 23:59
フェドセーエフ/N響/ベレゾフスキー(p):ロシア名曲集@昼下がりのミューザ ― 2017/05/25 23:59
明電舎創業120周年記念 N響午後のクラシック
Vladimir Fedoseyev / NHK交響楽団
Boris Berezovsky (piano-2)
ショスタコーヴィチ: 祝典序曲
チャイコフスキー: ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
リムスキー・コルサコフ: スペイン奇想曲
チャイコフスキー: 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」
平日はほとんど演奏会のないミューザ川崎。地元民じゃないから週末は川崎に来ない私にとっては、スポンサーの明電舎様様です。木曜日の午後3時開始なのに、やはりシニア層が中心ですが、ほぼ満員の客入り。ほらごらん、やっぱり聴衆は平日の演奏会にとっても飢えているのではないでしょうか。
さて今日の指揮は先週聴いたばかりのフェドさん。1曲目の「祝典序曲」は、先週全般的に感じた「重さ」がまだ残り、スローテンポでフレーズをじっくり聴かせるような演奏でした。うーむ、この曲はやっぱりもっとギャロップ感が欲しいかな。それにしても、相変わらずトランペットの音が汚い。ただし今日は他の金管、特にホルンは立派なものでした。
そのホルンで始まるチャイコンは、第2楽章までは意外と淡白とした進行。ベレゾフスキーは、いつもルガンスキーと記憶がごっちゃになるので今一度記録を調べると、ブダペスト(2005年)、パリ(2013年)で聴いて以来の3回目です。テクニックひけらかし系の人だったはずですが、今日はフェドさんに付き合ったのか、ピアノが突出することなくオケの中に溶け込み、ずいぶんと落ち着いてしまった印象。と思わせといて、終楽章ではいきなりフルスロットルの高速爆演が圧巻でした。このために前半は抑え気味だったのか、と思うほど。やはりこの人の凄テクは一聴の価値ありです。
後半最初の「スペイン奇想曲」は、フェドさんここまでと打って変わって、小躍りしながら楽しそうに振っています。オケも後半でようやくエンジンが温まってきたのか、鳴りが良く、個々のソロも際立ってきました。最後の「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、正直苦手な曲だったのですが、途中飽きることなく終始ドラマチックに聴かせ通しました。アンコールはスネアドラムの人が戻ってきて、ガイーヌから「レズギンカ舞曲」。もうノリノリで、このギャロップ感が「祝典序曲」でも欲しかったところです。フェドさんは真っ先にスネア奏者を立たせただけでなく、指揮台のほうまで手を引っ張ってきて真ん中に立たせたのは、普段日の目を見ない打楽器奏者にとっては、何年に1回あるかないかの晴れ舞台だったことでしょう。全体的に、先週と比べると指揮者もオケも随分とリラックスした感じで、私はこっちのほうが断然良かったです。
フェドセーエフ/N響:まずはご健在に祝福、ボロ2とチャイ4 ― 2017/05/19 23:59
Vladimir Fedoseyev / NHK交響楽団
グリンカ: 幻想曲「カマリンスカヤ」
ボロディン: 交響曲第2番ロ短調
チャイコフスキー: 交響曲第4番ヘ短調
フェドセーエフは新婚旅行の際、ウィーンで聴いて以来です。ここ数年何度かN響に客演していたのは知っていましたが、タイミングが合わず、もういいお歳なので下手すりゃ再見できずじまいかと諦めかけておりました。悠々と登場したフェドさんは、風貌が昔とあまり変わっておらず、よぼよぼしたところも皆無だったので、とても85歳には見えず、お元気そうで何よりでした。
1曲目は初めて聴く曲ですが、そもそもグリンカというと「ルスランとリュドミラ」序曲以外の作品を知りません。しかしこれが意外と小洒落た佳曲で、短い中にもロシアの情景が穏やかに詰まっています。中間部の軽妙なクラリネットソロがたいへん上手かったです。
続くボロディンの2番は、そこそこメジャーな交響曲の名曲で、レコーディングも多数ありますが、欧州在住時代でも演奏会のプログラムに乗ったのをあまり見たことがなく、生で聴くのは初めて。「だったん人の踊り」くらいは昔どこかで聴いたと思いますが、ボロディン自体、今までなかなか演奏会で聴く機会がなかったような。さて第2番ですが、第1楽章の勇者の主題はたっぷりと重厚に聴かせ、どっしりと行くのかと思いきや、楽章を追うごとに重しが取れて、終楽章などは実にあっさりこじんまりと軽くまとめていて、ある意味小細工なく、アンバランスさも含めてあるがままの曲の姿を浮き彫りにしたと言えそう。金管の音が汚いのがちょっと興ざめです。いちいちアタックが強いのはロシア風なのか・・・。
メインのチャイ4も何だか同じ芸風で、第1楽章はリズムが死んでいて、第2楽章もスローテンポで弦を重厚に響かせ、とにかく前半が重い。切れ目なく開始した第3楽章は、極めて抑制の効いたピッツィカートがそれまでの重さを払拭してくれました。元々合間をあまり置かないフェドさんなので、終楽章もアタッカで行くのかと思いきや、ここは弦楽器が弓を持ち変えるために一息いれたのがちょっと意外。しかし、第2主題の前は一瞬パウゼを入れる演奏が多い中、スコアに忠実なフェドさんはそんなもの一切入れず、おかげで第2主題の頭が聴こえないという、曲の問題点をやはりそのまま浮き上がらせてしまいます。音が雑だなあと感じてしまうと、そんな細かいことばかりが気になってしかたがない。まあしかし、こんなオハコ中のオハコであろう曲でも常にスコアを追いながらデリケートな音楽作りをするのがフェドさんの真骨頂なれど、理想の「音色」まで引き出すような指導はしないのだなあ、ということがわかりました。チャイ4に関しては、昨年聴いたチョン・ミョンフンのほうが指導力に勝るかなと思いました。
東京・春・音楽祭:さらに進化した圧巻の「ジークフリート」 ― 2016/04/10 23:59
東京・春・音楽祭 ワーグナー・シリーズ Vol. 7
Marek Janowski / NHK交響楽団
Rainer Küchl (guest concertmaster)
Thomas Lausmann (music preparation)
田尾下哲 (video)
Andreas Schager (Siegfried/tenor)
Erika Sunnegårdh (Brünnhilde/soprano)
Egils Silins (Wotan, wanderer/baritone)
Gerhard Siegel (Mime/tenor)
Tomasz Konieczny (Alberich/baritone)
In-sung Sim (Fafner/bass)
Wiebke Lehmkuhl (Erda/alto)
清水理恵 (woodbird/soprano)
1. ワーグナー:舞台祝祭劇 『ニーベルングの指環』 第2夜 《ジークフリート》(演奏会形式・字幕映像付)
東京春祭の「リング」サイクルもついに3年目で、念願の「ジークフリート」にたどり着きました。かつて、ブダペストのオペラ座では毎年年明けに「リング」連続上演をやるのが恒例でしたが、一年目は試しに「ラインの黄金」を見に行き、面白かったので翌年に残り3作品を連続して見る予定が、子供が急に熱を出したため「ジークフリート」だけは見に行けなかったのです。それ以降、ロンドンでも「リング」サイクルの機会はありましたが、都合が合わず行き損ねました…。
一昨年、昨年とハイレベルのパフォーマンスを聴かせてくれたこの東京春祭の「リング」、今年も非の打ちどころがないどころか、進化さえ感じられる圧巻の出来栄えで、満足度最高級の演奏会でした。今年もゲストコンマス、キュッヒルの鋭い視線が光る下、N響は最高度の集中力で演奏を維持し、虚飾のないヤノフスキの棒に直球で応えて行きます。初登場のシャーガーは、ヘルデンテナーらしからぬスマートな体型に、明るくシャープな声が持ち味。これだけ出ずっぱりでもヘタレないスタミナがあり、イノセントなジークフリートは正にはまり役でした。ミーメ役でやはり初参加のジーゲルは、記録を辿ると2006年にギーレン/南西ドイツ放送響のブダペスト公演「グレの歌」の道化クラウス役、および2010年にロイヤルオペラ「サロメ」のヘロデ王役で聴いていますが、備忘録で歌唱力は褒めているものの、正直あまり記憶がありません。今日も最初は(見かけによらずと言えば失礼か)ちょっと上品過ぎるミーメに聴こえましたが、だんだんと下卑た感じになっていく演技力が見事。まずはこのテナー二人の熱演で飽きることなく引き込まれて行きます。
そして、毎年出演のヴォータン役、シリンスは相変わらず堂に入った歌唱。一昨年もアルベリヒを歌っていたコニエチヌイは、明らかに対抗心むき出しの熱唱だったのがちょっと可笑しいですが、この人も歌唱力には定評があります。昨年フンディンクを歌っていた常連のシム・インスンは今年はファフナーに復帰。元々存在感のある重厚な低音に、洞窟の中から出す声はメガホンを使って変化を持たせていました。低音男声陣も各々素晴らしく、皆さん抜群の安定感と重量感でした。
女声陣の出番は少ないですが、まずはブリュンヒルデ役で初参加のズンネガルドは、ワーグナーソプラノではたいへん貴重な細身の身体で、迫力では昨年のフォスターに及ばないものの、どうしてどうして、見かけによらず余裕の声量で揺れ動く心理を感情たっぷりに歌い上げ、聴衆の心をがっちり掴んでいました。シャーガーもスリムだし、シュワルツェネッガーのようなジークフリートとマツコデラックスのようなブリュンヒルデが暑苦しく二重唱を歌う、という既成のビジュアルイメージ(?)を打ち砕く、画期的なヒーロー、ヒロイン像だったと思います。エルダ役のレームクール、森の鳥役の清水理恵も双方初登場でしたが、どちらも出番は短いながら、非の打ちどころのない歌唱。今回も総じてレベルの高い歌手陣で、毎年のことですが、これだけのメンバーを揃えた演奏も、世界中探してもなかなか他にないのでは、と思いました。これだけやったのだから、来年の最終夜ではここまでの集大成を聴かせてくれるに違いなく、とても楽しみです。
パーヴォ・ヤルヴィ/N響:感動薄かった、マーラー「復活」 ― 2015/10/04 23:59
Paavo Järvi / NHK交響楽団
Erin Wall (soprano)
Lilli Paasikivi (alto)
東京音楽大学 (合唱)
1. マーラー: 交響曲第2番ハ短調「復活」
4月の読響に続き、今年2回目の「復活」鑑賞です。今シーズンよりN響の首席指揮者(chief conductor)に就任したパーヴォ・ヤルヴィのお披露目でもあります。ヤルヴィ家では、お父ちゃんのネーメ、弟のクリスチャンはロンドンで見ていますが、パーヴォは初めて。この3人は各々雰囲気がずいぶんと違いますが、顔をよくよく見るとやっぱり似ていて、ゴツゴツ顔の家系ですね。
さて、そもそもCDを含めてもパーヴォの演奏を聴くのはよく考えると全く初めてなのですが、率直な感想は「ロシアのマーラー」です。やたらとオケが鳴るけど、管の音は濁っているし、ティンパニは必要以上に硬質。テンポはわりと変幻自在に切り替えながらも、全体としての形がよくわからない。解放するより、型にはめるといった感じの終結部にも、私は感動を覚えることはできませんでした。さらにいうと、100人弱ほどの東京音大学生合唱団は、オケに対してパワー不足で、欲を言えば200人は欲しかったところ。ソリストが二人とも素晴らしい歌唱だったのは収穫で、今後彼女らの名前はチェックします。
どうも私はN響とは相性が悪くて、今日の演奏も「感動のないN響」の一つに加えられました。在京オケのマーラーということでは、インバル/都響が一段上でしょう。パーヴォは、ロシアものでもやるときに、また聴きに行ってみようかな。
おまけ。代々木公園で北海道祭りをやってたり、オリンピックプールで久保田利伸がライブをやってたこともあって、原宿駅への道中は行く人帰る人が入り乱れてこのような混雑ぶり。人がぎっしりと詰まり、なかなか前へ進めませんでした。日曜日のマチネはこれがあるから困りますね・・・
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