ロンドン響/ラトル/クロウ(s):マーラー交響曲第4番と、4つの最後の歌2026/05/21 23:59



2026.05.21 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / London Symphony Orchestra
Lucy Crowe (soprano-2,3)
1. Roberto Gerhard: Symphony No 3, ‘Collages’ for orchestra and tape
2. Richard Strauss: Four Last Songs
3. Mahler: Symphony No 4

マーラーとシュトラウスの親和性は言うまでもありませんが、それにスペインのロベルト・ジェラールを組み合わせたプログラムは何とも不思議な感じです。そのジェラールですが、実は不勉強ながら初めて聞く名前で、作品も全く知りませんでした。年代で言うと、同い年の作曲がいなくて、ヒンデミットの一つ下、コルンゴルドの一つ上という生年なので、世代的に現代音楽作曲家のカテゴリーとは言えない人なのですが、曲は全くの、典型的と言ってもよい「現代音楽」でした。元々はカタルーニャ出身のスペイン国民楽派としてアルベニス、グラナドス、ファリャのフォロワーとしての道を歩んでいながら、シェーンベルクに弟子入りして以降、時代のトレンドも相まって前衛的な作風に傾倒していったそうです。この短い単一楽章の交響曲も「テープ音楽」としては最初期の1960年に書かれた先駆的な作品で、大管弦楽との組み合わせは珍しいです。見ていると、今どきのテープ音楽は、打楽器奏者の一人が楽譜をめくりつつMacBookで音源を制御するんですね。他の打楽器奏者はというと、目を引くのがシロフォン、マリンバの4台の木琴に加えて、小ぶりの和太鼓が2つ。しかしこの和太鼓、特に日本風、アジア風リズムを刻むでもなく(そもそも撥を使ってないし)、素直にタム(トムトム)でいいんじゃね?と思うような使い方でした。あとはティンパニが気持ち悪いくらいにグリッサンドを使いまくり、普段からペダルワークを必要以上に駆使する芸風のナイジェル・トーマスさんは嬉々として技を披露していました。

とにかく、この曲に馴染みもなく造詣も深くない私としては、1960年作曲と聞いて、ああなるほどね、と思うようないかにもその時代のゲンダイオンガクのイメージを裏切らない、不協和音と極端なクレッシェンド(減衰の逆、うーむ、専門用語がわからない)のてんこ盛り音楽に聴こえました。もちろん私にも、この時代の現代音楽の中で気に入って何度も聴きたくなる曲とそうでない曲があり、私の場合は好みが大抵邦人作品に偏っています。何でだろうと考えてみると、日本人だから単純に邦人作品に接する機会が多いという理由も大きいと思いますが、再び聴きたくなる曲にはそういう感情を呼び起こす「官能」があり、自分にとってそれは多くの邦人作品が根底に持っている日本的、アジア的なセンスに惹かれるからではないか、という仮説に辿り着きました。そういう意味では、ジェラールのこの曲に、自分にとっての官能は感じなかったです。

続くリヒャルト・シュトラウスの最晩年の名曲「4つの最後の歌」は、長らく実演で聴いた記憶がないので備忘録に当たってみると、21年前の2005年にアシュケナージ/N響のブダペスト公演(ソプラノはソイレ・イソコスキ)で聴いて以来でした。備忘録にもこの曲の感想は書いておらず、全く忘却の彼方です…。本日のソプラノ独唱ルーシー・クロウは、2009年のロイヤルオペラ「ばらの騎士」でゾフィー役を歌ったのを観て以来、こちらも17年ものインターバルです。余談ながら、何とこのときの「ばらの騎士」ではイソコスキが元帥夫人を歌っていたのは意味深で、さらには指揮が後にラトルからベルリンフィルの音楽監督を引き継ぐことになるキリル・ペトレンコという、何か因縁を感じてしまう偶然…。それはともかく、当時の感想では「歌が初々しい上に仕草もかわいらしく」と書いていましたが、当時はまだ30歳そこそこの新鋭スター候補ですから、さもありなん。現在のクロウは、だいぶ貫禄がついてはいるものの美貌は健在で、その美声と、しっかりとした硬派な歌唱はたいへん磨きがかかったものでした。ベテランの懐深さというか、曲を身体の一部にするくらい歌い込んだ熟練を感じました。今日はバルコニーのステージから遠い席で、やはり歌の空気振動がオケのそれほどまでにはここに届いて来ないのが悔やまれました。

メインの交響曲第4番は、マーラーの中でもベスト3に入る好きな曲なのですが、実演で聴くのは10年ぶり。さらに遡ると、2011年に同じここバービカンホールで、ラトル/ベルリンフィルの演奏を聴いています。そのときの演奏はBBC Radio 3で放送されていたのでエアチェック音源が手元に残っており、比較ができるのですが、まず冒頭の鈴がインテンポをキープし、軽くリタルダンドする木管・弦と合わなくなったところで鳴らすのを止めるのは同じアプローチながら、そのあとのテンポがずいぶんと高速になりました。「中庸の速さで、速すぎずに」というマーラーの指示はマル無視するかのよう。しかし譜面台を立てず暗譜で指揮するラトルは当然この曲を完全に手中に収めていますので、自信を持って揺らぎなくサクサクと、音楽の奔流をシームレスに描いていきます。ここでちょっと後悔したのは、予習にと思って先のベルリンフィルの音源を聴きすぎたせいで、それと比べてしまうと、目の前のLSOのちょっとざらつく音がどうしても気になってしまいました。もちろんLSOだって超一流のオケなのですが、個人技もアンサンブルも完璧で極上シルキーなベルリンフィルが比較対象だとやはり分が悪いです。そうは言っても木管、特にオーボエはいつもにも増して気合が入っており、たいへん素晴らしい仕上がりでした。

終楽章で緑のドレスに着替えて再登場したクロウは、先のシュトラウスとは違い楽譜を持ちながらの歌唱。指揮者と独唱者が楽譜を見るか見ないかのパターンが、シュトラウスとマーラーで逆になっていたのが興味深かったです。とは言え、クロウはマーラーに自信がないということではなく(慣れてはいないのかもしれませんが)、シュトラウスのときにも引けを取らない、隙のない安定した歌唱で、表情を含め、感情の乗せ方も説得力があり良かったです。10年以上のインターバルを置いて再びロンドンで演奏会通いをする機会に恵まれ、かつては新興勢力の若手だった人がこうやってベテランの域に達し堂々とした熟練を見せてくれるのは、何とも嬉しいと同時に、嗚呼、時間は躊躇なく流れていくのだなと、しみじみ思います…。


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