ロンドン響/トレヴィーノ/コパチンスカヤ(vn):中道と改革は同居しても別物2026/01/29 23:59

2026.01.29 Barbican Hall (London)
Robert Treviño / London Symphony Orchestra
Patricia Kopatchinskaja (violin-2)
1. Messiaen: Hymne
2. Márton Illés: ‘Vont-tér’ for Violin and Orchestra
3. Rachmaninov: Symphony No 2

今月すでに3回目のLSOです。本日の指揮者ロバート・トレヴィーノは全くお初の人で、名前も知らなかったのですが、1984年生まれのメキシコ系アメリカ人、ロンドンの首席ポストにある人ではヤクブ・フルシャやサントゥ=マティアス・ロウヴァリと同世代で、指揮者の世界では若手の部類ですが、主要なキャリアとしてはスペイン・バスク国立管の音楽監督、スウェーデン・マルメ響の首席、イタリア・RAI国立響の首席客演、来シーズンからルーマニアのジョルジュ・エネスク・フィル首席に就任予定、といったところ。うーむ…。見るからに職業人タイプの指揮者で、カリスマやスターのオーラはないものの、来るもの何でもござれの安定感はありそうです。そういう意味では今日のプログラムなど特に前半は気の抜けない曲で構成される中、嫌がらずに引き受けてくれる、オケの運営側としては重宝する指揮者だと思います。1曲目のメシアン「讃歌」は、元々のオルガン曲「聖体秘蹟への讃歌」を15年後にオーケストラ用に再構成したもので、前衛的な刺激はなく重厚な準調性音楽という感じ。このようなあまり演奏されないマイナー曲をしっかりと重厚に聴かせられるのは、期待通り生真面目な人だと思いました。

先日は素晴らしく個性的なバルトークを聴かせてくれたコパチンスカヤですが、本日も同じくハンガリーの現役作曲家、マールトン・イレーシュが他ならぬコパチンスカヤのために2019年に書いた「Vont-tér」を取り上げます。この作曲家を名前からして全く知らなかったのですが、「マールトン・イレーシュ」という名前からして早速悩ましい。ハンガリー語での人名表記は日本と同じく「姓・名」の順です。しかし、これまた日本と同じ傾向で、英語表記する際は英語の慣習に従って「名・姓」の順で書くことが多いのですが、最近は母国語に従った「姓・名」順で書かれることも増えました。で、問題は、「マールトン」も「イレーシュ」も、どちらも男性の下の名前(given name)であると同時に、姓としてもあり得る固有名詞なのです。例えば世界的に有名なソプラノ歌手にエヴァ・マルトンという人がいます。ということで、この名前を見て、まず「どっちが姓だろう」という基本的なことから確認しなくてはなりませんでした。幸いこれはすぐに、イレーシュ家のマールトン君、ということがわかったのですが。

今日のコパチンスカヤは、黒とグレーの変則な幾何学模様のオーバーオールを着て登場。靴は履いていたものの、演奏を始める前に結局脱いで裸足になっていました。曲の方はしかし、何とも言葉がみつからないような曲でした。最初から最後までまともな音を一つも出さない特殊奏法のオンパレード。ソリストだけかと思いきや、伴奏のオケも、弦楽器は弦ではなく胴を指で叩くとか、金管はマウスピースだけ持って吹くとか、そんなのばっかりで、もはやこれは音楽なのかという世界。通常モードの仕事をしていたのは、それこそ普段から音程のない打楽器くらいでした。コパチンスカヤにインスパイアされて作曲したとのことですが、確かに彼女は飛び抜けて個性的なミュージシャンで、独自の奏法をいろいろ駆使したりするけれども、正統的な演奏も高いレベルでこなせる技術力が備わった上で、さらなる高みで勝負しているというのが私の理解なので、なんか一面しか見てないのでは、という気がしてなりません。だいたい「Vont-tér」という曲名も、直訳だと「牽引された空間」になりますが、いったい何を意味するのか、曲を聴いても解説を読んでもさっぱりわかりませんでした。コパチンスカヤはお気に入りの奏者ですが、これをまた聴きたいかというと、ちょっと疑問です。

メインのラフマニノフの交響曲第2番、ロンドンに来てから聴くのは早2回目です。スローペースでじっくり進行し、適度にメロウだが甘ったるくはない、トレヴィーノだとこうなるだろうと想像した通りの中道を行く演奏でした。それに細やかに抵抗したのか、ティンパにのトーマスさんは第1楽章コーダで得意の「メロディアス・ティンパニ」(と勝手に命名)でペダル奏法を駆使し(休憩時間に何度も繰り返し練習していたので何をやらかすかはわかっていました)、もちろん最後の一発も忘れずバランス無視の強打でドン。全体を通して、さすがのLSOは音圧十分で、管楽器のソロがクラリネットを筆頭にいちいち極上。オケの凄さをあらためて堪能したものの、中庸で突き抜けたところがない演奏はあまり心に残らないのも事実。かといって無茶をすればよいというものでもありませんが、この曲をちょうどいい具合に料理するのは、なかなかに難しいことをあらためて認識しました。

ロンドンフィル/ユロフスキ:研ぎ澄まされたマーラー10番2026/01/24 23:59

2026.01.24 Royal Festival Hall (Lndon)
 Vladimir Jurowski / London Philharmonic Orchestra
1. Mahler: Symphony No. 10 (ed. Barshai)

ユロフスキを前回聴いたのは2012年11月末なので、約13年ぶりになりますか。前に住んでいたときはLSOが多く、あまりLPOを聴きに行かなかったため、ユロフスキを過去に聴いたのは6度くらい、何か特殊な演奏会ばかり聴きにいった印象が残っています。コンセプト色の強い企画をやる人なので、嫌いなほうではありませんが、自分の嗜好と方向性が合わないことも多いです。なお、ウラディーミルのお父さんミハイル(2022年に亡くなっていたんですね)、弟のディミトリも指揮者で、それぞれ1回聴いています。

本日のプログラムはマーラーの交響曲第10番の補筆完成版の中でも近年評価が高まっているルドルフ・バルシャイ版。このマーラー最後の交響曲に関しては一番メジャーなクック版を筆頭に、いろんな版と稿が入り乱れて多数存在し、指揮者の判断でミックスで使用されたり、指揮者独自のアイデアが取り入れられたりと、なかなか複雑な様相を呈しており、私のように面倒が嫌いな怠惰なリスナーには想像し得ないウンチクが世の中に溢れています。もちろんそのような学究的視点があることは横目で見つつも、自分レベルではざっくりとした感情的な感想を書き記すのが精一杯です。

さて、LPOの首席を退いた後もユロフスキは人気者のようで、客席は満員御礼。登場したユロフスキは、髪がだいぶ白くなったものの、すらっとした長身が醸し出すカリスマの佇まいは健在でした。第1楽章のアダージョは最大限の集中力で、慎重に、慎重に進んでいきます。ユロフスキだとこうなるだろうという期待の通り、細部にこだわる研ぎ澄まされたマーラー。弱音に気を配るのはもちろんのこと、鳴らすところはエゲツなく鳴らすダイナミックレンジの広さが、やはり信頼のある関係のLPOだからこそ実現できるものと思います。ただ、今日はちょっとブラスの人々が不調でところどころ水をさしていました。

ユロフスキは第1楽章で既に精魂つき果たしたような憔悴ぶりで、椅子に座って小休止、その間オケはチューニングを再確認。気を取り直して第2楽章でもいちいち細かい指示を出しまくりの「うるさい指揮」。実をいうとバルシャイ版は初めて聴くのですが、特に第2、第4のスケルツォ楽章で木琴、ベル、むち、ウッドブロックなどの打楽器を多用し、さらには第7番で効果的に使われたテナーホルンやギターも加えて、色彩感が大幅に増しているのが特徴ですが、原理はそうでも実際にそれをどこまでバランスしてカラフルに仕上げるかは指揮者のリード次第です。ウッドブロックの連打(ロール)なんかは日本の現代音楽で多用されるのでマーラーには似合わず違和感がありましたが、ユロフスキは基本的には極彩色路線を取らず、打楽器は控えめに抑えていたように聴こえました。

第10番といえばこれ、という代名詞、最終楽章冒頭のミュートした大太鼓強打は、ステージ上のどれを使うのかなと思って見ていたら、意表をつかれて舞台袖から響いてきました。5楽章を通した全体の構成では真ん中の第3楽章を分極点とした対称構造を成すこの曲で、最終楽章は第1楽章の裏返しで、徐々に徐々にエネルギーが消えていくのですが、ユロフスキは第1楽章さながらの細心の集中力でオケをコントロール。ただホルンが再びピリッとせず、そんなところまで第1楽章に回帰しなくてもいいのに。この長丁場で自分の音楽を最後までやり切ったユロフスキとLPOには満場の聴衆から惜しみない拍手が沸き起こり、スタンディングオベーションで大盛り上がりとなりました。ユロフスキはあえてミスしたホルンを立たせたのがちょっと意地悪。

今日の演奏会にはガチのマイクが多数セットされていたので、LPOの自主制作レーベルでレコーディングされていたと思われます。ブラスはどのくらい修正してるかな?発売が楽しみです。

スコアを掲げてバルシャイ版をアピールするユロフスキ。


ロンドン響/ラトル/コパチンスカヤ(vn):至高の一夜、バルトークとファリャ2026/01/18 23:59

2026.01.18 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / London Symphony Orchestra
Patricia Kopatchinskaja (violin-1)
Rinat Shaham (mezzo-soprano-2,3)
1. Bartók: Violin Concerto No. 2
2. Bartók: Five Hungarian Folksongs for Voice and Orchestra
3. Falla: The Three Cornered Hat – Ballet

何度でも生で聴きたくなる大好きなクラシック曲という意味では自分の中でトップ中のトップであるバルトークのヴァイオリンコンチェルトとファリャ「三角帽子」の組み合わせという、最初は目を疑った、願ってもないプログラム。しかも演奏はラトル/LSOにコパチンスカヤという豪華さ。間違いなく今シーズンのメインイベントなので、ここは躊躇せず久々の超かぶりつき席をゲットしました。しかし、こういったいわゆる民族楽派の音楽はラトルが得意とするところですが、ファリャまでレパートリーにしているとは知りませんでした。

バルトークのコンチェルトも三角帽子全曲版も、見つけたら積極的に聴きに行く曲ですので、前回はどちらも2年前と、そんなに久しぶりというわけではありません。コパチンスカヤはもう3年前になってしまいますが、大野和士/都響との協演でリゲティのアバンギャルドなコンチェルトを聴いて以来です。

さてコパチンスカヤは、トレードマークの裸足に加えて、今日はボロ切れで雑に作ったようなスカーレット色の変なコートを纏って登場。そのユニークな出立ちだけでなく、のっけからすごい音でカマしてくれます。これまで聴いた誰よりも芝居がかり力の籠った入りで、ここまでガツンとやられると逆に有無を言わさぬ説得力がありました。大小硬軟を自由自在に飛び越える色彩豊かな音色で、右足指と左かかとでリズム取っていたかと思いきや、興じてくるとピョンピョン飛び跳ね、ドシドシ足踏みしながらの余計な効果音まで入った熱烈なヴァイオリンは、まさに唯一無二。譜割やニュアンスは完全に我流で、四分音の取り方もわざと甘めで、正統派の端正なアプローチから見たら邪道でしかない超個性的なバルトーク。過去に聴いた中ではイブラギモヴァが方向性は近い感じでしたが、それよりはるかに突き抜けています。自己プロデュースの戦略もあるでしょうが、覚悟を持ってここまで極端を貫けるこの人だからこそ芸として許されるのであって、凡人が決して真似してはいけない境地です。前にリゲティのコンチェルトを聴いたときは音がちょっと雑だと感じたのですが、今日のように最前列かぶりつきで、自分と奏者の間に何も遮る物がない状態でその生音を聴くと、ラフに聴こえる箇所でも音色と音程は完全にコントロールされているのがよくわかりました。上手すぎる完璧な技術がまずあって、さらにその一段上の境地であえて自由に崩すという、まさにこの人しかできない芸当に、感服するよりほかありません。カデンツァの途中でばらけた弓のヒゲを切っていたのは、さすがに自由過ぎるだろと思いましたが。アンコールは自ら解説をして、クルターグ「カフカ断章」の超短いヴォイス付きの曲を披露。最後までブレない自由人でした。


後半1曲目は、あまり演奏されることがないバルトークの歌曲集。自分も初めて聴きます。登場したリナート・シャハムは、どこかで見た顔だと思ったら、昨年発売されたカネラキス指揮オランダ放送フィルハーモニー管の「青ひげ公の城」でユディットを歌ってた人ですね。この人も確かな技術に裏付けされた技巧的なメゾソプラノで、素晴らしい歌唱でした。スペイン人ですがハンガリー語も自然で、さすがユディット歌手です。


最後、メインの「三角帽子」ではシャハムは後列に移動。出番は少ないですが第一部の冒頭と第二部中間の重要な場面で要所を占めます。ラトルは元来細かいところで奇をてらった仕掛けをしてくる人ですが、ファリャについてはそのような形跡はなく、それよりもオケを解放して鳴らし切り、メンバー個々の卓越した名人芸を引き出すことに徹しているように見えました。アンサンブルはあえて整えないで、わざと乱れを残して、いかにもスペインの祭りらしい荒々しさを表現。ラトルの指揮なのでオケはもちろん本気度が高く、極上のLSOサウンドを享受する「三角帽子」は、次聴く機会はもうないかもしれないと感慨もひとしおでした。ただ肝心の終曲で二点、大太鼓の入魂の一発が落ちてしまったことと、ラストのカスタネット(元々スコアにはないが追加する指揮者は多い)が思い出したかのように遅れて入ってきたこと、打楽器でリハ不足かと思われるミスがあったのは残念でした。

ともあれ今日この演奏会をこのかぶりつき良席で聴く/観ることができた幸せを噛み締めると共に、この演奏会はBBC Radio 3で中継されていたので音源を手元に残すことができたのは重ね重ねラッキーでした。

ロンドン響/ラトル:もう一つの「マクロプロス事件」2026/01/15 23:59

2026.01.15 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / London Symphony Orchestra
Marlis Petersen (Emilia Marty)
Ales Briscein (Albert Gregor)
Jan Martinik (Dr Kolenaty/Strojnik/Machinist)
Peter Hoare (Vitek)
Doubravka Novotna (Krista)
Svatopluk Sem (Baron Jaroslav Prus)
Vit Nosek (Janek)
Lucie Hilscherova (Cleaning Lady/Chambermaid)
Alan Oke (Count Hauk-Sendorf)
1. Janacek: The Makropulos Affair (concert performance, sung in Czech with English surtitles)

11月にオペラハウスで舞台を観たばかりの「マクロプロス事件」、調べてみると、作曲完成が1925年、出版が1926年だったので、ちょうど100年の節目に当たるようです。このマイナーな演目を数ヶ月のうちに2回も観ることはこの先多分ないでしょう。ただ、オペラハウスの新しい音楽監督にチェコ人のフルシャが就任したのと、元々ヤナーチェク大好きなラトルが常任から退いた後も頻繁にLSOに客演している時期が重なった偶然の要素も大きいとは思います。

さて、よく考えると生ラトルを拝むのも実に13年ぶり。LSOの指揮台だと15年ぶりになります。その間、ベルリンフィルを退任、LSOの音楽監督になってそれもすでに退任、今はバイエルン放送響の首席と、実際に常任の立場でこれだけ超一流どころを渡り歩いている人も珍しいかと。ロンドンに家があるからでしょうか、今なおLSOは準レギュラーのような登板頻度です。

個人的には音楽もプロットもまだまだ馴染みが足りないこのオペラ、細かいところはよくわからないのでざっくりした感想程度のことしか書けませんが、ラトルなので団員の本気度も上がるからでしょうか、ビロードのごとき上品で輝かしい金管、音色の美しさが際立つ木管、中音域がしっかりコアとなる重層的な弦、歌心のあるティンパニ(相変わらずトーマスさんいい味出してました)、どこを取ってもやはりオペラ座専属オケと比べてLSOのクオリティは最高でした。

ヤナーチェクの力強い音楽に乗せてLSOの馬力を十二分に引き出したラトルに、ハズレのない一流の歌手陣。まず、オペラ座の公演と被っているキャスティングは、ピーター・ホーレとアラン・オケがそれぞれ同じ役を歌っていました。他は記憶にない名前ばかりよな、と思っていたら、主役エミリアのマルリス・ペーターゼンは2012年にバービカンで聴いたアーノンクール指揮コンセルトヘボウのベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」で歌っており、また弁護士コレナティ役のヤン・マルティニクも同じく2012年に、プラハのドヴォルザークホールにて今は亡き当時の音楽監督イルジ・ビエロフラーヴェク(フルシャの師匠でもありますね)指揮のチェコフィルで、ドヴォルザークの「聖書の歌」という超マイナーな曲を聴いていました。毎度ながら備忘録様様です。今回は演奏会形式での上演なので、いくつかの役を掛け持ちしている人がいます。実際、歌手は出番のない間は上手下手に分かれてコントラバスまたは第1ヴァイオリンの後ろに座って待機し、出番が近づくと指揮者の横まで静々と歩いて移動、という演出だったのでそれも十分可能でした。このキャストとオケで舞台をぜひ見たかったものです。ただ、ステージの見切れた部分で物語が進んで行くわけでもなく、ごちゃごちゃした投影で目がチカチカするすることなく字幕も追えたのですが、ではストーリーがわかりやすかったかというと、そうでもありませんでした。やはり人物関係をかなりしっかりと頭に入れておかないと、途中で混乱してきます。やはり舞台が欲しいとは思いましたが、この複雑なストーリーと人間関係をすっと受け止めるには、吉本新喜劇ばりに性格づけを際立たせた演出や衣装が良いんでは、と思ってしまいました。分類としては悲劇でも、全体的に喜劇的要素も随所に入ってますし。


ロンドン響/パッパーノ:モノホンのオケが映画音楽やってみた、のゴージャス感2025/12/17 23:59

2025.12.17 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra
Roman Simovic (violin-2)
1. Miklos Rozsa: Prelude, The Mother’s Love and Parade of the Charioteers from ‘Ben Hur’
2. Miklos Rozsa: Movements 2 & 3 from Violin Concerto (adapted to 'The Private Life of Sherlock Holmes')
3. Bernard Herrmann: Scene d’amour from ‘Vertigo’
4. David Raksin: Laura from ‘Laura’
5. David Raksin: Love is for the Very Young from 'The Bad and the Beautiful' - Suite
6. Max Steiner (arr John Wilson): Opening Title Sequence from ‘Gone with the Wind’
7. William Walton: Selections from 'Henry V' - Suite
8. Nino Rota: Waltz from ‘The Godfather’
9. Ennio Morricone: Gabriel’s Oboe from ‘The Mission’ (Concert Version)
10. Ennio Morricone: Music from ‘Cinema Paradiso’
11. Ennio Morricone: Music from ‘Once Upon a Time in America’

今年あと一つくらいバービカン行っとこうかと急きょ買ったチケットです。LSOは古くから映画音楽のサウンドトラックでも多数演奏してきておりますが、パッパーノから年の瀬のクリスマスプレゼントのようなものでしょうか。前半は「ベン・ハー」「シャーロック・ホームズの冒険」「めまい」「ローラ殺人事件」「悪人と美女」「風と共に去りぬ」といったハリウッド・アイコン、後半は「ヘンリー五世」「ゴッドファーザー」「ミッション」「ニュー・シネマ・パラダイス」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の80年代大作映画でまとめた構成になっています。どれも映画史を彩る名作ばかりとは言え、よく考えたらちゃんと全編通して観ている映画は、封切り時に映画館で観た「ニュー・シネマ・パラダイス」くらいしかありませんでした…。映画は大好きなんですが、マニアと言えるほどの数を観ているわけでもなく、また古い映画を後追いで観ることは少なかったんだなあと、今更ながら気づきました。

コンサートはパッパーノがマイクを取り、作曲家ごとに解説を交えながら進行していきますが、とにかく、モノホンのオケが映画音楽やってみた、そのゴージャス感がハンパないです。弦の厚みと美しさ、管の迫力ときめ細かさ、全てが凄すぎました。ただ、ロイヤリティの都合でオリジナルのスコアは使えないようなことをパッパーノが話していた通り、フル編成オケ用に、よりゴージャスにアレンジされていたかと思います。映画のサントラは、レコーディング専用のセッションオーケストラがスタジオで録音し、実際の人数以上に豊かな響きになるよう加工技術を駆使するのが普通ですが、それはそれでオリジナルのスコアとレコーディングのほうが音楽に勢いがあり、映画のシーンと直接結びついている分、思い入れも深い場合があるので、一概に良し悪しは言えませんが。

ちゃんと観たことない映画でも、音楽は耳に入って来て記憶に定着しているから不思議なものです。また、フォロワーとして似たような(言い方を変えると「パクリ」)劇伴音楽もちまたに溢れているので、何も考えずにそのゴージャスな響きに浸れます。「ベン・ハー」を聴いて一瞬「野性の証明?」と思ってしまったり。「ゴッドファーザー」はメジャーなメインテーマではなく(解説で鼻歌を歌ったのみ)あえて「ワルツ」を選曲されていましたが、エレキマンドリンを使っていたのが新鮮、多分初めて見ました。

最後はモリコーネ三連発でしっとり終わる、はずもなく、アンコールでは打楽器隊が戻ってきて、待ってましたの「スターウォーズ」メインテーマ。大昔の部活でやったことがあり、けっこう難易度が高くリズムも面倒くさい曲なんですが、もちろんLSOはオリジナルを手がけたオハコなので、完璧以上の仕上がり。あれこれ深く考えず、無心に楽しめたゴージャスな一夜なのでした。

ロンドン響/パッパーノ:チャイコフスキーとRVWのマリアージュ2025/12/07 23:59



2025.12.07 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra & Chorus
Antoine Tamestit (viola-2)
Julia Sitkovetsky (soprano-3)
Ashley Riches (bass-baritone-3)
1. Tchaikovsky: Symphony No. 4
2. Vaughan Williams: Flos Campi for Viola and Chorus
3. Vaughan Williams: Dona nobis pacem

12年ぶりにやっと聴けるLSOは、当時ロイヤルオペラの音楽監督だったパッパーノ大将が現在主席指揮者に就いています。当時から、ゲルギエフの後釜はパッパーノが適任ではないかと思っていたのですが(まさかラトルが来てくれるとは想定外だった)、その12年前にパッパーノの指揮で最後に聴いた演奏会が、くしくも同じチャイコフスキーの第4番というこの偶然。もちろんオケのメンバーはだいぶ入れ替わっているようでしたが、ダイナミックでドラマチックなパッパーノの指揮に圧倒的な演奏力で応えるLSOの組み合わせは、昔と変わらぬ充実感に溢れ、12年のギャップが一瞬で繋がりました。パッパーノは指揮棒なしの指先だけで、オペラの歌手に指示を出すかのように各楽器を操っていきます。管楽器のソロはさすがに皆上手く惚れ惚れしますが、主旋律以外もしっかり聴かせるバランスを保ち、以前「マカロニ・チャイコ」と表した、メランコリックに流れるチャイコフスキーからはだいぶ抑制的に変わってきた印象を受けました。第2楽章の中間部であえてテンポを上げて変化をつけ、第3楽章もしっかりと指揮をしてオケ任せにはせず、決してグリップを離しません。オケの演奏技術力を最大限に発揮した最終楽章は圧巻の馬力と音圧を見せつけました。まだ1曲目なのに全力投球で、ほぼ本日終了です。

そもそもこのヘヴィーなプラグラムのコンセプトがよくわからないのですが、前半のド派手な「喜びの讃歌」に対し、後半は打って変わって穏やかな音楽が続きます。馴染みのないヴォーン・ウィリアムズのマイナー曲で、しかも苦手分野の合唱曲なので後半は正直よくわからんかったです。後半最初の「野の花(Flos Campi)」は小編成室内オケとヴィオラ独奏に歌詞のないスキャットコーラスが加わる曲ですが、その編成のユニークさに比して、曲調はあくまで落ち着いて穏やか。続く「われに平和を与えたまえ(Dona nobis pacem)」ではオケが大編成になり、合唱に加えてソプラノとバリトンも加わります。ある種の「戦争音楽」になりますが、激しさはそんなにありません。ソプラノがちょっと不安定な仕上がりでハラハラしたのですが、バリトンは芯のあるたいへん良い歌唱でした。しかし最後まで聴きどころが掴めず漫然と聴き流してしまって、自分にはまだ英国スピリットを堪能できるだけの修行が足らんのだとしみじみ思いました。


フィルハーモニア/ロウヴァリ:ファジル・サイは環境ビジネスの香り2025/11/30 23:59

2025.11.30 Royal Festival Hall (London)
Santtu-Matias Rouvali / The Philharmonia Orchestra
Fazil Say (piano-2)
1. Sibelius: En Saga
2. Fazil Say: Mother Earth (Piano Concerto) (UK premiere)
3. Dvorak: Symphony No. 8

2021年に若くしてフィルハーモニア管6代目の主席指揮者に就任したロウヴァリは、2014年に一度ミューザ川崎ホールにて東響を振った演奏会を聴いて以来です。1曲目、元々はファリャ「恋の魔術師」がプログラムにあったのですが、数日前にメール連絡があり、シベリウス「エン・サガ」に曲目変更とのこと。直後の韓国ツアーで取り上げる曲に寄せたようですが、個人的にはファリャを聴きたかったので、がっかり。意気消沈して寝てました。

気を取り直して、2曲目は「母なる地球」をテーマにしたファジル・サイの新作ピアノ協奏曲。昔から気になっていたピアニストですがなかなか縁がなく、見るのも聴くのも初めてです。日本では「鬼才! 天才! ファジル・サイ!」というキャッチフレーズが先行して、私も鬼才にして怪人と勝手に思っていたのですが、ちょっと思ってたのと違う印象でした。もっとアヴァンギャルドな作風にぶっとんだピアノを想像していたら、既存イメージを寄せ集めたヒーリング音楽のような曲でした。ちょっと悪口っぽく言うと、思想政治的動機があって、芸術的野心はどこにもない感じ。鳥笛、ギロ、オーシャンドラムなどの打楽器を駆使して山と海の大自然を効果音でわかりやすく表現し、また自席からはよく見えなかったのですが、ピアノにもプリペアドの細工をしていたように聴こえました。そういった「飛び道具」を使わずに自然描写をするのが過去の大作曲家たちが取り組んできたクラシック音楽の矜持だと個人的には思うので、安直な効果音頼みは興醒めです。しかしジャンルを超えた人気ピアニストだけあって、ちょっと常識に欠けるファンも多く、演奏中にも写真や動画を撮ってて怒られてる人を多数見かけました。


メインのドヴォルザーク8番は、全体的に丁寧に作り込んだ演奏で、オケと指揮者が現在最も良い関係にあることがわかります。変に緊張感を煽ることもなく、聴衆のざわつきとか全く気にも留めずとっとと演奏を始めてしまうタイプですね。2014年に聴いた際はまだ20代にも関わらず、ラトルばりに細かいところまで仕掛けを施す恐れ知らずの芸風でしたが、年月が経ってだいぶ肩の力が抜けた感じです。細部まで気を配ったリードながらもあざとい感じはなく、カラッとした都会風のドヴォルザークでした。第9番の「新世界」ではなく、第8番でもそのアプローチを取るのが最近の流行りかもしれません。最終楽章のスピードはブラス泣かせではありましたが。

ロンドンではこれが今年最後の演奏会になるため、聴衆も招待しての創立80周年記念パーティーが終演後に開催されていましたが、翌日の仕事もあり、泣く泣く帰宅の途につきました。

フィルハーモニア/パヤーレ/フローレス:ラテン系ノリノリの「幻想交響曲」2025/11/27 23:59



2025.11.27 Royal Festival Hall (London)
Rafael Payare / The Philharmonia Orchestra
Pacho Flores (trumpet-2)
1. Berlioz: Overture, Le carnaval romain
2. Gabriela Ortiz: Trumpet Concerto (Altar de Bronce) (London premiere)
3. Berlioz: Symphonie fantastique

早めにサウスバンクに着いたので、18時からの若手奏者による無料の室内楽から聴いてみました。意外とストールの客席が埋まっていたのはびっくり。演目は全く守備範囲ではないですが、ポルトガル音楽界の教祖ルイス・デ・フレイタス・ブランコ及びラヴェルの弦楽四重奏曲で、1時間近くかかった長いプレコンサートでした。ヴィオラの吉村大智君が堂々と物怖じしない演奏で、アンサンブルの軸を担っていました。


さて本日のメインイベントは、ベネズエラのエル・システマ出身ミュージシャンによるベルリオーズを中心としたプログラム。ドレッドヘアが特徴的なラファエル・パヤーレは、不勉強で名前も知らなかったのですが、ドゥダメルに続け!とのし上がりに奮闘中の若手筆頭株、かと思いきや、年齢はむしろドゥダメルよりも上(1歳だけですが)、すでにそれなりのキャリアを積んでおり、現在はサンディエゴ響とモントリオール響の音楽監督を兼任。奥さんはチェリストのアリサ・ワイラースタイン。ちょうどこの1週間前にはN響定期にも客演していて、グローバルに活躍中の人なんですね。

1曲目の「ローマの謝肉祭」はキレ良く始まり、躍動的にオケを操ってギミック満載のリズムをダイナミックに生き生きと乗り越えていきます。冒頭のツカミは充分。多分フローレス目当てかと思われますが、ブラバン楽団員と思しきラフな格好の若者集団が聴きに来ていて、地味な高齢者ばかりの普段の客層とは違う空気感がありました。

2曲目はメキシコの女性作曲家ガブリエラ・オルティスのトランペット協奏曲「青銅の祭壇」。新作なのでほとんど情報がないのですが、プログラムによるとヴァイオリン協奏曲「弦の祭壇」を作曲中に、対となるトランペット協奏曲の発想を得ていたところ、指揮者と同じくエル・システマ出身のトランペッター、パーチョ・フローレスから作曲委嘱の話があり、作曲者がライフワーク的に取り組んでいる「祭壇」シリーズの新曲として誕生したようです。

フローレスはトランペット3本、追ってパヤーレもさらに1本を手に持って登場。シモン・ボリバルやサイトウ・キネンのトップ奏者を務めた実力者だけあって、冒頭から高速パッセージを披露。ソロトランペットに木管とハープ、さらにはオケ側のトランペットも呼応して、聴いたことがないユニークな展開が続きます。フローレスは艶やかな音色に、ほとんど音を外さない完璧な技巧、見た目は陽気なラテン系、なかなか得難いキャラクターの名手です。新作なのでもちろん初めて聴く曲ですが、いわゆる「現代音楽」のテイストはなく、耳に優しい親しみ深い曲調です。後半はラテンパーカッションが大活躍のカーニバル風になり、指揮者、ソリスト、聴衆が皆ノリノリになっていく中、打楽器陣は笑顔なく生真面目な顔で黙々と叩き続けていたのが可笑しかったです。カデンツァもかなり自由に、客席を指さしてカモン、「テキーラ!」の掛け声など、聴衆を巻き込みながらのパフォーマンスにやんやの喝采を浴びていました。アンコールは、曲名は知らないものの、弦楽合奏をバックにしっとりした曲を披露。こういうのもできるんだぜ、とばかりのトランペット名手は、サックス名手に負けず劣らずのズルカッコ良さでした。


メインの幻想交響曲は、これまた全力投球が気持ちいいノリノリのミュンシュ系演奏。今どきは当たり前かもしれませんが、スコア上のリピートは全て行っていても冗長に感じず、軽さと明るさが全編通して滲み出ていました。第2楽章はトランペット奏者がコルネットを持って下手に移動し演奏していましたが、コルネット付きの演奏自体、すごく久しぶりに聴いた気がします(メータ/NYPのレコード以来かも)。あとから調べたら、パヤーレがモントリオール響を振った新譜のレコーディングでもコルネット付き版を選択しているそうで、最近の傾向かもしれません。第3楽章のオーボエは舞台裏からちょっと遠目に、しかし音色はあくまで明るく鳴らして掛け合い、こういうところもミュンシュを彷彿とさせました。第4楽章はテンポを必要以上に揺さぶるわけではなく正攻法で盛り上げていましたが、ホルンのゲシュトップ奏法などスコアに書かれた演出は忠実に実行。最終楽章の弦もきっちり弱音器を使いおどろおどろしさを強調するも、鐘の音は高くてキラキラしており、やはり基本は明るいラテン系に終始していました。あまりに聴きすぎて食傷気味の「幻想」ですが、こういう若くて突き抜けた明るさも、真似しようと思ってもなかなか達成できるものではなく、良きかなと思いました。


フィルハーモニア/フルシャ:オペラの合間にマーラー「夜の歌」2025/11/13 23:59

2025.11.13 Royal Festival Hall (London)
Jakub Hrusa / The Philharmonia Orchestra
1. Mahler: Symphony No. 7

11月4日から21日までロイヤルオペラにて「マクロプロス事件」を上演中のフルシャが、その間隙をついてフィルハーモニア管の指揮台に1日だけ立つという詰め込みスケジュール、大丈夫かいなと思ってしまいましたが、何はともあれ歴史の目撃者(大袈裟)になれるのであれば、喜んで身を投じます。プログラムはマーラーの交響曲第7番「夜の歌」1曲のみ。まあオペラ座公演中のことも考えれば、あれやこれやはやってられないかと思います。しかし私は、マーラー好きでありながらこの曲がいまだに大の苦手。と言いながらも去年もジョナサン・ノット/新日本フィルで聴いてましたが。

オケは対抗配置で、チェロ、コントラバスが第1ヴァイオリンの奥、向かって左手に位置します。ということは、第2ヴァイオリンは右手の上手側。うーむ、12年ぶりだというのに、フィオナちゃんは自分の席からは背中しか見えない、残念。それはともかく、この曲はまず隠々滅々とした冒頭部分を無事に乗り切って、第一主題でしっかりとした足取りのペースを掴むのが肝要ですが、やはり冒頭のテナーホルンは鬼門、その不安定な演奏に一気に悪い空気が蔓延してしまいます。テナーホルンだけでなく普通のフレンチホルンのほうも不安定が感染し、フルシャも空回りしているように見える、集中力を欠く展開が第2楽章まで続きました。楽章の合間に途中退席する人が複数人いたためにしばらく間を置かざるを得なくなったのも要因かもしれません。

第3楽章でフルシャ得意のリズムのキレが戻ってきたのですが、全体像のフォルムが掴めないままに突入した、この曲のさらなる鬼門、第4楽章ナハトムジークの色彩感が、予想通り非常に浮いて聴こえてしまいました。マンドリンとギターはどちらも渋いイケオジ系で、収音マイクで音を拾っているようでした。最終楽章はティンパニの音程が抜かりなく正確にチューニングされており、非常に気持ちが良かったです。私が大好きだったレジェンドのティンパニスト、アンディ・スミスさんは10年前に引退されたようですが、ある意味アンディさんとは真逆のスタイルが新鮮でした。最後のコーダ前にオケを極限まで鳴らしてきたのにちょっと驚き、なるほどフルシャはここにピークを持ってくる作戦であったかと、早とちりを反省しました。やはりロイヤルオペラ音楽監督の肩書は伊達ではなく、すでにロンドンで大人気者のフルシャ、終了後はやんやの喝采を受けていました。


ロイヤルオペラ:死角でドラマが進む「マクロプロス事件」2025/11/07 23:59

2025.11.07 Royal Opera House (London)
Jakub Hrusa / Orchestra of the Royal Opera House
Katie Mitchell (director)
Ausrine Stundyte (Emilia Marty)
Heather Engebretson (Krista)
Sean Panikkar (Albert Gregor)
Johan Reuter (Baron Jaroslav Prus)
Henry Waddington (Dr. Kolenat)
Peter Hoare (Vitek)
Alan Oke (Count Hauksendorf)
Daniel Matousek (Janek)
Susan Bickley (Stage Door Woman)
Jeremy White (Security Guard)
Jingwen Cai (Hotel Maid)
Alex Gotch, Alex Kristoffy, Sarah Northgraves, Carlo Pavan, Charlie Venables (Actors)
1. Janacek: The Makropulos Case

12年ぶりに訪れたロイヤルオペラハウスの演目は、今シーズンから音楽監督に就任したヤクブ・フルシャ肝入りのヤナーチェク「マクロプロス事件」という超変化球。私もタイトルしか聞いたことがなく、本来ならスルーしてもおかしくないところ、チケットを買ってしまったのには訳があって、同じ演目を来年1月にサイモン・ラトルがLSOで取り上げるのを先に気づき、これは舞台のほうもぜひ観とかなくてはなるまいと思ったのが全てです。ただ、もっぱら最前列ど真ん中席で観ていた12年前とは時代が変わり、オペラのチケットもだいぶ高額になってしまったので、今日は桟敷横のrestrict vewの庶民席で我慢。しかしこの選択は結果的に失敗でした。

まずこのオペラ、全3幕ながら各幕30分程度で、通しで90分強、「サロメ」よりも短いです。休憩の入れどころも難しいので、休憩なしの一気通貫上演でした。短いといってもプロットは込み入っており、人気オペラ歌手のエミリアを中心に、財産相続を代々100年以上も裁判で争っているプルス家とグレゴル家の人々、弁護士とその書記、書紀の娘クリスタ、その恋人でプルス家の息子ヤネク、などわやわやと出てくる人が複雑に絡み合って、結局皆が魔女エミリアに魅了されていき、不幸が訪れるという悲劇です。

元々の時代設定は今からちょうど100年前のヤナーチェクが本作を作曲していたころになりますが、この演出はまさに現代のチェコに時代を置き換え、スマホのチャットやフォトアルバムといった今風テクノロジーが多様されます。また終盤にはドキュメンタリー映画っぽいスローモーション(歌手、演者がわざとスローな動作で演技)も混ぜ込んだ、全くもってモダンな演出でした。スマホチャット等の映像投影は、舞台上の進行に加えて、全編チェコ語の歌詞に対する字幕も同時に追わなくてはならないので、ただでさえ複雑な話を余計わかりにくくしているように思えたのはひとえに、流れていく英文を一瞬で読むことができない自分の英語力の限界からでしょう。

とにかく、この演目はできるだけ中央寄りの席で観るのが吉です。舞台を広々と大きく使うような場面は一切なく、各場面で小部屋に分けられていて、それぞれで並行に演技が進んでいくので、全てが見渡せる席でないと全体の動きがわかりません。特に、自席からほとんど見えなかった舞台の左側(下手)だけで重要な話が進行する場面も多く、フラストレーションが残りました。そういった個別の事情は置いておくとすれば、いろんな要素をぶち込み、凝りに凝ったこの演出は、凝縮度が高く力強いヤナーチェクの音楽と相まって、わけがわからないままでもぐいぐい引き込まれる迫力を感じました。フルシャは予想通り、ずっと楽譜に目を落としてただ棒を振るだけのデクの棒ではなく、忙しくオケに歌手にと適切なリードを与え、八面六臂の情熱的な指揮ぶりでした。

主役のオペラ歌手にして300年生きる魔女を演じたリトアニア出身のアウシュリネ・ストゥンディーテは、全く初めて聞く人ですが、主演として舞台を牽引するに相応しい野太く芯のある歌唱。人気ソプラノというキャラに合わないマニッシュな外見は、LGBTを絡めてきたこの演出ならではの役作りでありましょう。とは言え、第2幕のオペラ座の楽屋という場面で、ワルキューレの格好で入ってきたのは笑えました。キャリアを見ると、王道ソプラノ路線よりは「エレクトラ」「期待」といった20世紀以降のモダンでクセのある演目を得意とする人のようです。

他の歌手陣も総じて質は高かったと思いますが(チェコ語の歌唱、まことにお疲れ様です)、過去に聴いたことがある人がいるかなと備忘録を探ってみたら、プルス男爵役のヨハン・ロイターは2010年「サロメ」のヨカナーン役、ヴィテク役のピーター・ホーレは2011年「魔笛」のモノスタトス役、ハウクゼンドルフ伯爵役のアラン・オケは2011年「ピーター・グライムズ」のボブ・ボレス役、そして名脇役ジェレミー・ホワイトは2011年「トスカ」、2012年「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、「ラ・ボエーム」、「フィガロの結婚」(以上全てロイヤルオペラ)などで多数聴いていました。備忘録のおかげで、その頃の体験のおぼろげな記憶にも想いを馳せる機会ができて、記録はつけておくものだとあらためて思いました。