カンブルラン/読響:「青ひげ公の城」が透けて見える!2017/04/15 23:59


2017.04.15 東京芸術劇場コンサートホール (東京)
Sylvain Cambreling / 読売日本交響楽団
Bálint Szabó (Bluebeard/bass-3), Iris Vermillion (Judith/mezzo-soprano-3)
1. メシアン: 忘れられた捧げもの
2. ドビュッシー: 〈聖セバスティアンの殉教〉交響的断章
3. バルトーク: 歌劇〈青ひげ公の城〉(演奏会形式)

正直、マイナーとは言わないまでも、このカンブルランならではの渋すぎるプログラムに、ここまで客が入るとは驚きでした。今回の選曲は、バルトークとドビュッシーが共に1911年の作曲で、1曲目のメシアンだけ1930年作曲と、時代が遅れておりますが、むしろメシアンが一番調性寄りの穏やかな音楽に感じてしまいました。「忘れられた捧げもの」は初めて聴く曲でしたが、カンブルランは全てを熟知したようなコントロールで、レガートをきかせてひたすら美しく流れると思いきや、唐突に大きな音で驚かせたりと、素人はなすすべなく遊ばれました。2曲目のドビュッシーも、実演では初めて聴きますが、いかにもというつかみどころのない曲。今日はファンファーレ付きの演奏でした。弦を中心とした精緻な音作りは、他の指揮者のときとはやはり集中力が違いました。

本日のメインイベントはもちろん久々に聴く「青ひげ公の城」。実演は一昨年以来ですが、帰国してからすでに4つ目のオケですから(東フィル、都響、新日フィル、読響)、日本でもやっと定番レパートリーの地位を得たのであればたいへん喜ばしい限りです。今回の歌手陣はどちらも初めて聴く人でした。青ひげ公役のサボー・バーリントは以前も聴いたような気がしていたのですが、いろいろと記録を辿ると、I・フィッシャー/コンセルトヘボウの映像配信で歌っているのを見ていただけで、その直後に同じ指揮者で実演を聴いたブダペスト祝祭管と共演していたコヴァーチ・イシュトヴァーンと、どうも記憶が混同していたようですが、それはさておき。

欧州では演奏会形式でも前口上までちゃんとやるのが昨今の主流ですが、現行のペーテル・バルトーク編完全版スコアで用意されているのはハンガリー語と英語だけなので、日本では前口上なしで済ますのが普通になっていて寂しいです。今日はさらに、第1の扉の前などで聞こえてくる「うめき声」も省略されていて、あくまで純粋音楽としてのアプローチでした。カンブルランのちょっとフレンチなバルトークは、ハンガリー民謡のタメなどはほとんど気にせず淡々と進行し、和声の構造を裏側までくっきり際立たせる見通しの良い演奏で、ここまで徹底したのはありそうであまりなかった、非常に新鮮な響きでした。ただしオケは途中から熱が入りすぎて歌をかき消す音量になってしまったので、大部分はもうちょっと抑え気味でも良かったのでは。ユディットはドイツ人のフェルミリオンで、レパートリーとしてはまだ日が浅いのか、この曲を楽譜を立てて歌っている人は初めて見ました。歌は激情型で悪くはなかったのですが、ハンガリー語が不明瞭だったのが気になりました。対するサボーはハンガリー語を母国語とするトランシルヴァニア(現ルーマニア領)出身のバスなので、二重の意味でこの曲はもちろん十八番。席が遠かったので声があまり届いてこなかったのが残念でしたが、多分近距離正面で聴けば渋さが鈍く光る貫禄の青ひげ公だったのだろうと感じました。やっぱり歌ものはなるべく近くの正面で聴きたいものです(が、良席はすでに完売でした・・・)。

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