フライシャー(p)/新日本フィル:伝説の「ツー・ハンズ」と、ポリフォニックなラフマニノフ ― 2015/11/20 23:59
2015.11.20 すみだトリフォニーホール (東京)
Leon Fleisher (piano-1) / 新日本フィルハーモニー交響楽団
1. モーツァルト: ピアノ協奏曲第12番 イ長調 K.414
2. ラフマニノフ: 交響曲第2番 ホ短調 Op.27
レオン・フィライシャーのことはよく知らなかったのですが、ステレオ録音最初期にセル/クリーヴランド管などとセンセーショナルな録音を行った後、病気のため突如右手の機能を失い、指揮者と左手専門のピアニストとして音楽活動を続けていて、2000年にボトックス治療でようやく右手の機能を取り戻し、35年のブランクを経て両手演奏のピアニストとして復活したというレジェンドなアーティスト。演目が、当初発表のラヴェル「左手のための協奏曲」からモーツァルトに変更になったことの意味と意義を、恥ずかしながら理解しておりませんでした。87歳という高齢を考えると、はるばる日本までやって来て両手演奏を聴かせてくれる機会は、たいへん貴重なものだったんですね。
さて、満場の拍手の中、ゆっくりと現れたフライシャーの弾き振りモーツァルトは、ヴィルトゥオーソの要素がほとんどない、枯れた味わい。老獪さはなく、ただ枯れています。やはり指が回っていない箇所がちらほらあり、何も予備知識なしで聴いたら、あまり上手じゃない素朴な演奏、という感想しか残らなかったでしょう。晩年のホロヴィッツが「ひびの入った骨董品」と呼ばれたのを即座に連想しました。ただ、この俗気の抜けたモーツァルトは、繰り返し聴くとじわじわと染み入ってくるものかもしれません。モーツァルトは永遠の苦手なので、すいません、こんな感想しか出てきませんが、欲を言えば、ラヴェルの左手のほうも聴いてみたかったです。なお、オケのほうは弦は良かったのですが、ホルンがぶち壊しでした。
メインのラフマニノフ2番は、6月の都響以来ですから今年2回目。高齢のフライシャーは椅子に座っての指揮になります。のっけからオケが朗々と鳴っていて、ダイナミクスのコントロールはかなりアバウト。何だ、雑な演奏だなと思って聴いていくと、フライシャーは主旋律を奏でている楽器にはほとんど見向きもせず、副旋律のパートばかりを一所懸命振っていることに気づきました。ポルタメントも控えめで、こないだのリットン/都響とはほぼ対極の、ある意味ピアニストらしい、節度ある演奏。いや、リットンはそれはそれで良かったのですが、ラフマニノフ特有の甘いメロディが一歩後ろに下がり、重層的なポリフォニーに身を浸すような今日の演奏も、聴き慣れ過ぎて耳タコのこの曲にリフレッシュを与えてくれて、たいへん好ましいものでした。
Leon Fleisher (piano-1) / 新日本フィルハーモニー交響楽団
1. モーツァルト: ピアノ協奏曲第12番 イ長調 K.414
2. ラフマニノフ: 交響曲第2番 ホ短調 Op.27
レオン・フィライシャーのことはよく知らなかったのですが、ステレオ録音最初期にセル/クリーヴランド管などとセンセーショナルな録音を行った後、病気のため突如右手の機能を失い、指揮者と左手専門のピアニストとして音楽活動を続けていて、2000年にボトックス治療でようやく右手の機能を取り戻し、35年のブランクを経て両手演奏のピアニストとして復活したというレジェンドなアーティスト。演目が、当初発表のラヴェル「左手のための協奏曲」からモーツァルトに変更になったことの意味と意義を、恥ずかしながら理解しておりませんでした。87歳という高齢を考えると、はるばる日本までやって来て両手演奏を聴かせてくれる機会は、たいへん貴重なものだったんですね。
さて、満場の拍手の中、ゆっくりと現れたフライシャーの弾き振りモーツァルトは、ヴィルトゥオーソの要素がほとんどない、枯れた味わい。老獪さはなく、ただ枯れています。やはり指が回っていない箇所がちらほらあり、何も予備知識なしで聴いたら、あまり上手じゃない素朴な演奏、という感想しか残らなかったでしょう。晩年のホロヴィッツが「ひびの入った骨董品」と呼ばれたのを即座に連想しました。ただ、この俗気の抜けたモーツァルトは、繰り返し聴くとじわじわと染み入ってくるものかもしれません。モーツァルトは永遠の苦手なので、すいません、こんな感想しか出てきませんが、欲を言えば、ラヴェルの左手のほうも聴いてみたかったです。なお、オケのほうは弦は良かったのですが、ホルンがぶち壊しでした。
メインのラフマニノフ2番は、6月の都響以来ですから今年2回目。高齢のフライシャーは椅子に座っての指揮になります。のっけからオケが朗々と鳴っていて、ダイナミクスのコントロールはかなりアバウト。何だ、雑な演奏だなと思って聴いていくと、フライシャーは主旋律を奏でている楽器にはほとんど見向きもせず、副旋律のパートばかりを一所懸命振っていることに気づきました。ポルタメントも控えめで、こないだのリットン/都響とはほぼ対極の、ある意味ピアニストらしい、節度ある演奏。いや、リットンはそれはそれで良かったのですが、ラフマニノフ特有の甘いメロディが一歩後ろに下がり、重層的なポリフォニーに身を浸すような今日の演奏も、聴き慣れ過ぎて耳タコのこの曲にリフレッシュを与えてくれて、たいへん好ましいものでした。
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