ソヒエフ/トゥールーズ・キャピトル国立管/アヴデーエワ(p):ショパンとシェヘラザード2015/03/03 23:59

2015.03.03 サントリーホール (東京)
第34回 東芝グランドコンサート2015
Tugan Sokhiev / Orchestre National du Capitole de Toulouse
Yulianna Avdeeva (piano-1)
1. ショパン: ピアノ協奏曲第1番ホ短調 Op.11(ナショナル・エディション)
2. リムスキー=コルサコフ: 交響組曲『シェヘラザード』Op.35

今年も幸いなことにチケットを譲っていただき、久々の「外タレ」コンサートです。今回はトゥガン・ソヒエフ指揮トゥールーズ・キャピトル国立管、ソリストは2010年のショパンコンクール優勝者、ユリアンナ・アヴデーエワ。どの人も実演を聴くのは初めてです(トゥールーズ管はプラッソン指揮のオネゲルのCDを持ってました)。日程を見ると今年も強行軍で、2週間足らずのうちに大阪→東京→広島→福岡→金沢(ここまでルノー・カプソンを帯同したAプロ)→名古屋→仙台→川崎→東京と全国を休みなく飛び回っており、オケの疲労が心配です。

今年は司会者も三枝成彰の解説もなく、定刻になったらさくっと演奏が始まりました。客入りはほぼ満杯ながら、客筋が普段より少しノイジーではあります。花粉症の季節に加え、立派なプログラム冊子を入れたプラスチックの袋、これがカサコソ音を立てて、いけない。さてピアノのソロ演奏会にはまず行かない(友人関係を除くと多分皆無)私にとって、ショパンは永遠の「守備範囲外」。このコンチェルト第1番も過去に何度も聴いていますが、正直、起きているのが辛い曲です。ショパンコンクールではアルゲリッチ以来45年ぶりの女性優勝者として話題になったアヴデーエワは、今年30歳のまだ若手。「アルゲリッチ以来」という触れ込みとその個性的なお顔立ちから、何となく豪傑肉食系をイメージしていたら、見かけは華奢だし、実は繊細系のピアノだったので、やはりイメージで勝手な思い込みをしてはいかんと反省しました。さすがに技術は確かというか、この難曲に対しても極めて安定度の高いピアノが最後まで一貫してました。玄人向き、大人向きと言いましょうか。最後まで眠くならずに聴き入ってしまいました。一方で、席がもっと近かったら印象が違うのかもしれませんが、ピアノがオケと溶け合いすぎ、迫るものがありません。ぐいぐい押すタイプではないにせよ、どこか際立つ瞬間を演出できないと、優等生的で終わってしまわないかなあと。フィジカルな演奏技術ということではもちろん最高レベルにあると思いますが、同じレベルに属するピアニストはすでに世界中に相当数いるでしょうから、私の趣味としては、もっと音が暴れているピアノが好みです。アンコールは何かのワルツ(多分ショパンでしょうけど)を弾きました。

メインの「シェヘラザード」は、記録を見るとちょうど3年ぶり。あまり繰り返し聴いている曲ではありません。このオケの特長は弦がしっかりと厚いこと。女性コンマスのソロも安定感がありました。一方管楽器は総じて線が細めで、アメリカやロンドンのオケみたいな圧巻の馬力はありません。そこはフランスのオケというべきか。ホルンは特に、足を引っ張ってました。一方で、フランスのオケは手抜きするとよく揶揄されますが、今日を聴く限りそんな態度は一切なし。今日の選曲だとそんなに馬力は必要ないし、オケの色とあっていたのではないかと。ソヒエフはワシリー・ペトレンコ(昨年の東芝グラコン)やハーディングと同じ「アラフォー」世代の成長株。ロンドンではフィルハーモニア管などを振りに来てたので名前はメジャーでしたが、聴く機会を逃していました。しなやかでキメの細かい棒振り(といっても指揮棒は使ってませんでしたが)は見栄えが良く、オケには好かれそうな器用さを持っていると思いました。総じて表情が濃く重層的な響きに徹しており、こういう奥行きの深さは日本のオケではあまり聴けません。ソヒエフの目指しているところはフランスよりもドイツのオケのほうが共鳴しやすいんじゃないでしょうか。などと考えごとをしながら聴いていたら、第3、第4楽章では各々の木管ソロを際限なく自由に吹かせてみたり、仏製テイストを引き出そうとも工夫している様子。

アンコールはスラヴ舞曲第1番と、「カルメン」第3幕への間奏曲、さらに第1幕への前奏曲。最後は聴衆の手拍子を誘うはしゃぎっぷりで、ご機嫌でツアー終了。第一線級とは言えないまでもしっかり地に足がついたオケと、ノッてる旬の若手指揮者(この世界で30代は若造です)の取り合わせは、昨年のグラコンに劣らず、良いものを聴かせていただきました。

MET Live in HD:イオランタ&青ひげ公の城2015/03/28 23:59

2015.03.28 Live Viewing in HD from:
2015.02.14 Metropolitan Opera House (New York City)
Valery Gergiev / Orchestra of the Metropolitan Opera
Mariusz Treliński (production)
Anna Netrebko (Iolanta-1), Piotr Beczala (Vaudémont-1)
Aleksei Markov (Duke Robert-1), Ilya Bannik (King René-1)
Elchin Azizov (Ibn-Hakia-1)
Nadja Michael (Judith-2), Mikhail Petrenko (Bluebeard-2)
1. Tchaikovsky: Iolanta (sung in Russian)
2. Bartók: Bluebeard's Castle (sung in Hungarian)

ライブビューイングはこれまでロイヤルバレエを何度か見ましたが、METは初めてです。遠く離れた日本でも前夜の公演を中継するので本当のライブに近いROHと違って、METは1ヶ月以上前、バレンタインデーの収録でした。司会のジョイス・ディドナートも言ってたように、バレンタインにはあまり見たくない演目だとは思います。


前半の「イオランタ」は、チャイコフスキー最後のオペラで、初演は「くるみ割り人形」と2本立てだったとか。一幕のコンパクトな仕上がり、円熟極まった無駄のない構成、ひたすら美しいチャイコフスキー節、それでも彼のオペラとしては「スペードの女王」「エフゲニー・オネーギン」ほどのメジャーになり得なかったのは(METでも今回が初上演だそう)、おとぎ話とはいえ底の浅いストーリーのせいでしょうか。ポーランド国立大劇場の芸術監督でもあるマリウシュ・トレリンスキの演出はシンプルかつモダンですが、見たところシンボリックな作りでもなく、意味深な感じはしませんでした。しかし見ていくと存外凝った演出で、レネ王を除くほぼ全員が衣装の早変わりをするし、イオランタ姫に至っては一幕の中で2回も衣装を変え(LEDを仕込んだ最後のキラキラウェディングドレス含め、どれも胸の谷間強調系のオヤジキラードレスでした…)、細かいところでいっぱいお金がかかっていそうです。レネ王だけずっと軍服で通してましたが、彼だけ代役だったので、もしかして衣装が間に合わなかったのかも。

ネトレプコはすっかり恰幅がよくなりました。可憐なお姫様役はそろそろ無理があるかも。ただし歌唱は華と声量にますます磨きがかかって、母国語のオペラということもあり、有無を言わさぬ貫禄がありました。彼女に限らず歌手陣は皆さん本当に穴なしで素晴らしく、さすがMET、と言わざるを得ません。ベチャワはあまり縁がなく、2007年のチューリヒ歌劇場日本公演「ばらの騎士」で第一幕に出てくる空虚なテナー歌手(この役はけっこうスターがカメオ的に歌うこともあるのですが)を聴いたくらいでしたが、今まさに円熟期を迎えようとしている正統派テナーの丁寧な歌唱は、衣装はともかくオーセンティックな芸術的欲求を十二分に満たしてくれるものでした。病欠タノヴィツキーの代役でレネ王を歌ったイリヤ・バーニクは、名前と風貌が記憶の片隅にあったので記録を探してみたら、2012年にLSOでストラヴィンスキーの音楽劇「狐」を聴いた時、「山羊」役だった、まさに風貌が山羊のバス歌手がその人でした。王様の貫禄まるでなしなので外見は全くミスキャストなんですが、歌は重心が低くたいへん良かったです。

インターミッションは出演を終えたばかりのネトレプコ、ベチャワ、ゲルギエフへバックステージでインタビューを行うわけですが、ディドナートが、まあようしゃべること。この人は本当に司会者向きです。ネトレプコは出番が終わった開放感からか、やけにハイテンションで、「バレンタインデーに何でこんなの見てるの?早く家に帰って愛を確かめましょう!」などとのたまい、あわてたディドナートが「いやいや最後まで見ていって」と思わずフォローする微笑ましい場面も。ゲルギーの堅めのインタビューのあと、突然フローレスが登場し、二人が出演する次のライブビューイング「湖上の美人」の宣伝もちゃっかり。一番最後にはMET賛助会員の寄付募集までアナウンスして、この抜け目ない番組構成はROHにはなかったもの、まさにアメリカ式ですなー。


後半の「青ひげ公の城」が、もちろん今日の私の目当てだった訳です。冒頭の吟遊詩人の口上は、英語圏だと最近はペーテル・バルトーク訳の英語版を使うのが一般的かと思いきや、久々に聴いたハンガリー語のオリジナル。ヴィンセント・プライスばりにおどろどろしいホラー映画のナレーションだったので、これでこの先の雰囲気はだいたい読めてしまいました。演出は半透明スクリーンに映像を映した特殊効果を多用しており、象徴的よりも直接的な表現を志向しています。ただし、最初の拷問部屋で壁に血が付いていたくらいで、スプラッター度はあまりなし。普通と違うのは、ずっと夜というか闇の世界に留まっており、第5の部屋、青ひげの領地も大木の地下茎のようなものがぶら下がる地下世界。最後は、土に埋められようとしているパーティードレスの女(これはマネキン)の後ろには、長い黒髪の「貞子」が5人もわらわらと…。陰々滅々とした終わり方で、閉幕後の場内はシーンと静まり返っていました。せっかくのバレンタインにこれを見て帰ったNYの人はたいへん御愁傷様です。この企画、オペラの演目の順番は逆でも良かったのではないかなあ。「闇から光」と「闇からさらに深い闇」の対比でまとめたかったのだとは思いますが、順番を逆にしては全く意味をなさない、とも思えないし。

歌手はどちらも初めて聴く人で、ユディット役のナディア・ミカエルはドイツ出身の金髪スレンダーソプラノ。ROHで歌った「サロメ」がDVDになっています。ホラー映画の常套として金髪グラマー系はたいがい殺人鬼のエジキになるわけですが…。しかもミカエルはサロメ歌手だけあって露出はどんとこい系、第3の宝物部屋では何故か入浴シーンになって自慢の?ボディーを晒し、最後の部屋ではシミーズ一枚で雨に濡れて○っぱいもスケスケ(せめてカーテンコールはガウンくらい着せてあげなよ…)。文字通り「身体を張った」熱演は素晴らしいものでしたが、歌は、先のネトレプコ達と比べてしまうと、抜群とは言えず。ハンガリー語の発音がちょっと不自然なのも気に触りました。対する青ひげ公のミハイル・ペトレンコは名前からしてロシア人。この人も熱唱度では負けてないものの、ちょっと熱入りすぎで、キャラクターがミスマッチです。とは言え「青ひげ公の城」単独で評価しても歌手は粒ぞろいでお金がかかった舞台なのは疑いなく、どんなオペラを持ってきてもゴージャスに仕上げてしまうMETの財力はやっぱり凄い。いつの日かMETの劇場の良席で、珠玉の生舞台を見てみたいものだという、人生の目標がまたできてしまいました。