LSO/ゲルギエフ:マーラー9番と10番2011/03/03 23:59

2011.03.03 Barbican Hall (London)
Valery Gergiev / London Symphony Orchestra
1. Mahler: Symphony No. 9
2. Mahler: Symphony No. 10 (Adagio)

この曲目を最初に見たとき、当然10番アダージョが先で9番がメイン、と何の疑いもなく思っていましたが、数日前に無料プログラムのpdfをふと見てみると、9番が先で休憩後に10番となっていました。9番はそれ1曲だけでも演奏会が立つ長大な曲なので、この曲順は聞いたことがありません。ただよく考えると、CDでこの2曲がカップリングされている場合はこのような順番になっていることが多いし、作曲の時系列で言ってもこの順で聴くのが正しいという理屈も成り立ちます。まあ、前日の演奏会ではショスタコのチェロコンが先、マーラー9番がメインという順番でしたから、コンセプトは特にないのかもしれませんが。

9番は冒頭こそ非常にデリケートに入っていきましたが、ヴィオラの6連符はちっとも粘らず、速めのテンポでさらさらと進んで行きましたので拍子抜けしました。「タメ」のほとんどない演奏で、ディナミークも細かくいじらず、オケの鳴るがままにまかせている感じです。ラトルなら多分この10分の1まで音量を下げるだろうと思う箇所でもそのままで流すのですが、音量が上がるところは「さらに大きい音を出す」ということで解決し、しかもLSOはちゃんと期待に応えて、もの凄い音圧が出せるからたいしたもんです。

あらためて見ていると、ゲルギエフの指揮はヘンですね。まず、まともに拍子を取ってません。両手で不器用に空間を引き裂くような振り方は、非常に個性的です。指をぴらぴらとさせつつ腕を下に構えてぴょんぴょん飛び跳ねている姿は、一歩間違えるとドリフのコントかと思ってしまうくらい。変わった人ですね。指揮棒を使わないので余計にはちゃめちゃに見えます。もちろん、素人には破天荒に見えてもプロの奏者には必要にして十分な指示は出ているはず、と思いますが。

第2楽章ではフレージングに多少のタメを作る場面がありましたが、やはりどこか淡々としていて、一歩引いて見ている印象です。あっさり、という感じではなく、デリケートにいじらないので、音はむしろ野暮にも思えました。質感は上品な磁器よりも田舎の手作り陶器のようなイメージでしょうか。第3楽章も、音量こそ出ていますが、血の通った息づかいというものが感じられません。多くの指揮者が怒濤のアチェレランドをかけてくる終盤も、動かざること山のごとし。

ところが、終楽章からようやくエンジンに火が入ってきたかのように、弦楽器が彫りの深いアーティキュレーションになっていきました。ゲルギエフのうなり声を、必死の形相で血を絞り出すような弦の音が追いかけます。前の3楽章はここまでの前振りだったのか。しかし、つかの間のクライマックスを超えた後はまた急速に音に表情がなくなっていき、最後は彼岸の境地に達した神々しさで、冒頭に回帰するようなデリケートさのままに音が消えて行きました。終ってみると、全体のフォルムをしっかり捉えて道を見失うことなく計算ずくで進められていった、たいへんしたたかな演奏でした。はちゃめちゃに見せかけといて、たいした人だよゲルギーさん。

気分的にはもう十分お腹いっぱいの演奏の後、休憩を挟んで10番アダージョが始まりました。冒頭の無調っぽいヴィオラの旋律からしてすでに彼岸の音楽で、9番の終わりとしっかり繋がっているんだなと再認識しました。もはやさっきの絞り出すような弦の音は聴かれず、体温が上昇しそうな気配はありませんでした。ある意味燃え尽きた灰のような彼岸の雰囲気が持続され、終盤の金管コラールのクライマックスでさえ、ビロードの向こうで響いてような距離感がありました。ゲルギエフはこの先の展開もちゃんと見通してハンドリングし、ピークはまだまだここじゃないよと言いたいかのようでした。10番のアダージョはあくまで長大な交響曲の序章に過ぎない、という事実もまた再確認しました。ただし、9番を演奏した後でオケがちょっとお疲れモードだったのも一つの要因かもしれません。実際、コンマスのシモヴィッチがあくびをかみ殺すところを見てしまいました。しかし、もっとあり得る可能性として、単に聴き手である私のほうが燃え尽きた灰になっていただけかもしれません。多分半年後くらいですか、CDが出たら是非聴き直してみたいと思っています。

BBC響/山田和樹/ファウスト(vn):上々のロンドンデビュー2011/03/04 23:59


2011.03.04 Barbican Hall (London)
Kazuki Yamada / BBC Symphony Orchestra
Isabelle Faust (Vn-2)
1. Takemitsu: Requiem for String Orchestra
2. Thomas Larcher: Concerto for Violin and Orchestra (UK premiere)
3. Rachmaninov: Symphony No. 2 in E minor

BBC交響楽団が卓越した技量とアンサンブル力を持っていることはすでによくわかりましたが、問題は私の嗜好の琴線に触れるプログラムが少ないことで、特に家族連れで聴きに行くとなれば、適当な演奏会はますます見つからなくて困ってしまいます。そんな中でこの日は、メインがロマンチックなラフマニノフ2番だし、日本人指揮者だし、これならOKかと妻と娘を連れて聴きに行ってみました。

初めて見る山田和樹は、2009年ブザンソン国際コンクールで優勝した新進気鋭です。32歳と若いですが、見た目はさらに若く、今時のオタク少年風の顔立ち。日本人若手指揮者のロンドンデビューということで、普段は演奏会にあまり来ていなさそうな日本人グループの姿を多く見かけましたが、全体の客入りははっきり言うと冴えませんでした。

BBC Radio 3の生中継があったので開演は7時。司会者の解説に続いて、まず1曲目の武満「弦楽のためのレクイエム」。和洋問わず現代音楽は好んで聴く方じゃないので、武満も実はほとんど聴いたことがありません。ただしこの曲は現代音楽と言っても穏やかな主旋律に和声(不協和音ですが)が絡んで展開して行くシンプルな曲で、あっという間に終りました。うーむ、まだよくわかりませんが、山田はいかにも「コンクール優勝者の日本人指揮者」という感じにぴったりの、型にはまった教科書的な指揮をする人です。ただ、その童顔からは意外なほどに鋭い眼光が確認できました。

2曲目のラルヒャー「ヴァイオリン協奏曲」はUKプレミエとのことで、もちろん初めて聴きます。二部構成で25分、オケの編成は室内楽風の小規模ですが、アコーディオンやカリンバ(アフリカの打弦楽器)といった珍しい楽器が入っています。出だしはマイナースケールの下降音階が続き、調性音楽と思いきや、音量や音程の上昇・下降を繰り返しながら音楽が徐々に崩れていく様が面白い曲でした。独奏のイザベル・ファウストは長身で中性的な雰囲気があります。この曲の初演者ですがさすがに暗譜はしてないようで、大判1枚裏表に詰め込んだ楽譜を見ながら弾いていました。アコーディオンは2ndヴァイオリンの前の目立つ場所に陣取っていたわりには見せ場がなく、何だかよく分かりませんでした。第二部も冒頭は完全な調整音楽で始まって、徐々に音が腐って行くというか、怪しげな音楽へと変貌して行きます。ヴァイオリンの悲痛な高音が延々と鳴り響いて、うちの娘は「泥棒か強盗が来たような感じ」と表現していました。うむしかし、現代音楽は理解が難しいなあ。

メインのラフマニノフ2番は、一昨年にフィルハーモニア管で聴いて以来。昔は冗長で苦手な曲でしたが、数年前から突然マイブームになり、ピアノ協奏曲への編曲版なんて珍盤も買ってしまいました。ようやく馴染みのある曲が出てきて、山田和樹のお手並みを拝見、というところですが、まずこの人の指揮の姿はたいへん明快できびきびとしており、好感が持てました。きっちりと拍子を取り、主旋律をうるさいくらいに追いかけて、金管の咆哮では高らかにこぶしを振り上げ、弱音では唇に手を当てて、実にわかりやすい。昨日ゲルギエフの個性的な指揮を見たばかりですので余計にそう感じます。そういう指揮であったのと、やはり曲がラフマニノフだったので、旋律を追いかけて和声を付けるようなオールドスタイルな音楽の作り方で、何か「仕掛け」を入れてくる余地はなさそうでした。第1楽章最後の一音も、スコア通りにティンパニなし(一昨年のフィルハーモニア管では、いい味ナンバーワンのティンパニスト、アンディ・スミスがここぞとばかりに他の全ての音をかき消す強烈な一撃を打ち込んでいましたが)。

オケはいつものように誠実な演奏で、この若い指揮者を盛り立てます。よくまとまった弦のアンサンブル、滋味溢れた音色の木管(クラリネットも良かったけど、特にこの日はコールアングレが最高)、馬力のある金管(特にホルン)、全てに渡ってハイレベルでした。第2楽章スケルツォはテンポをこまめにいじって躍動感を際立たせてましたが、きめの細かいバトンテクニックに感心しました。有名な第3楽章では逆にオケを解放したような演奏でしたが、BBC響のクールな特質が生きて、旋律はよく歌っていてもベタベタと甘くならず、好ましい節度でした。終楽章は祝典が延々と続くような冗長な音楽ですが、とんでもない大音量でオケを鳴らし切り、前の楽章の旋律が次々と回帰される箇所でもテンションを落とさず朗々と歌い上げて、大らかな起伏を作っていました。

1曲目の後の拍手がちょっと寒かったので少し心配したのですが、全部終ってみれば大喝采で、いやはや、上々なデビューではないでしょうか。「トロンボーン!」「セカンドヴァイオリーン!」などと大声で各パートを一つ一つ呼んで立たせていたのが印象的でした。オケもこの若い指揮者との関係を大事にしている様子がうかがえました。プロファイルを調べると、この日がロンドンデビューですが、それ以前にヨーロッパデビュー(モントルー=ヴェヴェイ音楽祭)でもBBC響を振っているんですね。またすぐに客演してくれるでしょう。

LSO/ラトル:腹を刺し耳を劈くゴング・ショー2011/03/07 23:59

2011.03.07 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / London Symphony Orchestra
1. Messiaen: Et exspecto resurrectionem mortuorum
2. Bruckner: Symphony No. 9

先日のベルリンフィルで充実したマーラーを聴かせてくれたラトルは、さすがイギリスでは非常に人気があって、この演奏会もLSOとしては珍しく早々とソールドアウト。他でLSOがソールドアウトだったのは昨年2月に五嶋みどりが出た日くらいしか記憶にありません。かく言う私も、このチケットはシーズン前には躊躇して買わなかったので、やっぱり聴きたいなと思ってサイトを見たときにはすでに売り切れ。しつこくリターンをチェックして、ようやくゲットしました。しかし今日のプログラムはメシアンとブルックナーという、私にとって全く明るくない作曲家ばかりですので(それが躊躇していた理由ですが)、書けることが少ないので今日は楽です(笑)。

1曲目のメシアン「われ死者の復活を待ち望む」は金管、木管と金属打楽器のための30分くらいの組曲で、全く初めて聴く曲です。弦楽器を欠く編成なので通常弦が座る場所がごっそり空いていて、指揮者がぽつんと一人で完全に奏者と対峙する形になっていました。ひな壇最上段に特大のタムタムから極小のゴングまで10種類のサイズの銅鑼と、50個はあろうかと思われるカウベル、それにチューブラベルが並ぶ様は壮観でした。これは宗教音楽のようなんですが、これのどこがキリスト教教会で演奏されるべき曲なのか、私の理解をはるかに超えています。テイストはものすごくアジアンで、2曲目は日本の高野山祭囃子風だし、4曲目なんかもインドネシアのガムラン風に聴こえてしょうがなかったです。アマチュア打楽器奏者の端くれとして、あんな特大サイズのタムタムがズゴォォンと打ち鳴らされるのを直に腹で受けられるのは、冥利に尽きます。他にもサイズの違うタムタムをデュアルでトレモロ強打など、絶対に録音には収まらない一瞬一瞬にいちいちしびれました。曲の内容はよく理解できませんでしたが、これは本当に生で聴けて良かったです。しかしあのタムタム、ゴングは全部LSOの所有物なんだろうか。

ブルックナーは正直、ずっと苦手な作曲家です。鶏が先か卵が先か、興味を覚えないので聴き込むこともなく、従って交響曲もなんだか区別のつかない曲が9曲もあって(0番を入れると10曲か)、しかもどれも長大で冗長なので聞きかじるとっかかりも掴めず、という感じでここまで来ました。同じ長大なシンフォニーでもマーラーはどの番号も(もちろん区別しながら)好んで聴くので、やっぱり音楽自体がまだ自分の性に合わないのだと思います。ということでブルックナーはできることなら避けてきたので実演で聴く機会もあまりない中で、9番は例外的にこれで3回目。そもそも9番以外では、4番を約30年前に京大オケで聴いたのと、3番、7番をウィーンフィルで聴いたので全てです(一応CDは全曲持ってますが。本当は5番が一番好きなんですが実演ではまだ未聴です)。

「ブルックナーらしさ」とか演奏様式の王道なんかも全然要領を得ないので、何と評してよいかいつも困るのですが、ラトルのは「らしい」演奏とはちょっと違うのではないかと感じました。先日のマーラーと同様に、繊細な表現と大音量の咆哮が行き来するダイナミックレンジの広い演奏で、聴き応えは十二分です。「仕掛け」がどのくらいあったのかはわかりませんが、例えば第2楽章のスケルツォで主題のトゥッティが再現される箇所の直前でえらく無理なアチェレランドをかけたり(ティンパニが出だし落ちてしまいましたよ)、そのあとのトリオではやたらと軽く陽気に歌わせてみたり、変化に富んで面白みのある演奏だったとは思います。コントラバスをホルン・ワーグナーチューバの後ろ、ひな壇最上段に置いて、逆にティンパニは舞台上手の端に押しやるなど、楽器の配置に細かい配慮も見られました。かと言っておおらかさがない演奏では決してなく、むしろたいへん朗々としていました。

実はこの9番はデイヴィス/LSOのライブ盤を持っていまして、今までは全然好きな演奏ではなかったのですが、今日の演奏会が終った後にあらためて聴いてみたら、これが結構良いんです。細かい考察ができ切らずうまく言葉にできないのですが、ラトル/LSOの演奏に欠けていたものが、そこにはあったということにすぐ気付いたからだと思います。おおらかさだけでなく、デイヴィスのような「ゆるゆるさ」もブルックナーには必要なのかもしれません。ブルックナーは奥が深い。まだまだその道に迷い込む覚悟ができていません…。

まあしかし、ラトルはラトルでラトル節全開だったと思いますし、LSOであろうともきっちり手玉に取って思う通りに鳴らし切っていたのはさすがです。今シーズンのロンドンではあとOAEがありますので、そちらも楽しみに待っています。

Mangosteen (タイ料理)2011/03/08 23:59

いつも拙ブログにコメントをいただく方々にお声かけして、プチオフ会みたいなものを開催しました。メンツは以下の方々に私を加えた5人でした。

"By The Thames" dognorahさん
"LONDON Love & Hate 愛と憎しみのロンドン" shinrabansyoさん
"ロンドン テムズ川便り" かんとくさん
"Voyage to Art" voyage2artさん

場所はvoyage2artさんオススメのタイ料理。スパイシーで本格的な味付けに、値段も手頃で、どの皿もたいへん美味しかったです。すいません、料理の名前はよくわかりませんが、タイ焼きそばとシーバスのライム蒸し、豚バラ肉の焼き物は特にポイント高かったです。また家族も連れて来たいです。

ロンドン演奏会シーンの話題はもちろんのこと、ヨーロッパやアジア旅行の話、イギリス政治事情など、皆さん話題が豊富で話が尽きなかった食事会でした。また是非集まりましょう。

Mangosteen Soho
23 Ganton St, London W1F 9BW
Tel: 020 7434 9911
http://www.qype.co.uk/place/107758-Mangosteen-London

パリ・オペラ座バレエ(ガルニエ):コッペリア2011/03/19 23:59


2011.03.19 Palais Garnier (Paris)
Ballet de l'Opéra
Koen Kessels / Orchestre Colonne
Patrice Bart (Choreography)
Mélanie Hurel (Swanilda), Christophe Duquenne (Frantz)
Benjamin Pech (Coppelius), Fabrice Bourgeois (Spalanzani)
1. Delibes: Coppélia

子供が春休みになったのでパリへ小旅行に。念願のガルニエ宮に初めて行きました。演目も「コッペリア」で、これは娘もDVDや昨年のボリショイバレエで何度も見ていますので、安パイと思いきや。このパトリス・バール版はなかなか奇怪な演出で、面食らいました。からくり人形の設計図が描かれた緞帳が上がると、半透明のスクリーンに何だか気味悪い人形の顔が大映しになり、奥では礼服をまとったイケメン若者が麻薬をキメつつ変な踊りを踊っています。横には作りかけの人形と、コッペリウスとおぼしき老人、その横に見開かれた巨大な本には若い女性の絵が。ところが後でパンフレットのあらすじを読んでみると、若者のほうがコッペリウス、老人はスプランザーニ教授というマッドサイエンティストとのことで、これがまず混乱のもとでした。どう見たって老人のほうが典型的なコッペリウスじゃん、こんなのあり?まあ登場人物の名前はともかく、私はてっきり、老コッペリウス(実はスプランザーニ)とその息子(こちらが実はコッペリウス)が自宅で怪しげな人形製作の研究をしていて、息子がスワニルダにちょっかいを出し、スワニルダもまんざらじゃない様子、でもその息子が実はコッペリウスが作った機械だった、というような話かいなと思い込んだまま見ておりました。しかしそれだとスワニルダが落ちていた鍵を拾うのではなく老人からわざわざ鍵をもらって家に入って行くのが不可解でしたが、主従関係は若者(コッペリウス)>老人(スプランザーニ)だったというのをあらすじを読んで初めて理解し、従者が主人に気を利かせて村の人気娘を家に引き込もうとしたんだということが後になってようやくわかりました。プロットへの理解がそんな感じだったのに加え、そもそもこの演出、コッペリアなのにコッペリアが出て来ないし、聴き慣れない曲がたくさん使ってあってスコアもいじっており、わけがわからんかったなあという印象です。繰り返し見たらまたいろんな発見があるでしょうから、DVDが出れば買います。

衣装や舞台装置は奇をてらったものでは全くなく、特に衣装はたいへん洗練されたセンスのものでした。スワニルダを筆頭に村の女の子達はほとんど白だけのお揃いドレスですが、パルテル調のベルトの色が各々微妙に違っていて区別ができるようになっています。おっしゃれー。チャールダーシュを踊る農民たちの衣装も白とエンジ色を基調とした、シンプルながら群舞にはたいへん見栄えのするもので、さすがパリのデザイナーはひと味違いました。

肝心の振り付けと踊りですが、派手なジャンプや回転がなく、細かい足ワザが多かったので素人向きではないような気がしました。ロイヤルバレエでプリンシパルに当たる最高位のダンサーは、パリオペラ座バレエではエトワールと言うそうですが、今回のマチネの配役ではコッペリウスのペッシュのみエトワール、スワニルダのユレルとフランツのデュケンヌはその下のプルミエールです。踊りは皆さん上手いとしか言いようがありません。全編出ずっぱりのユレルはちょっと落ち着いた雰囲気で、女の子9人グループのリーダー役としての貫禄がありました。デュケンヌはいまいち影が薄く、手をつくような場面もありましたが、高く安定したリフトはさすがです。ペッシュは普通のキャラクターじゃないのでよくわかりませんでしたが、機械が暴走するかのようなハジケた踊りがインパクトありました。

指揮のケッセルズはロイヤルバレエやバーミンガムでも振っていて、上品な音作りをする人です。オーケストラは歌劇場のオケではなく、コロンヌ管がピットに入っていました。多少ミスはありましたが、いかにもフランスらしい垢抜けた柔らかい音をしていて好感が持てました。しかし、歌劇場のオケはレコーディングでは「パリ・バスティーユ管弦楽団」と呼ばれるくらいですから、ガルニエでは基本的に演奏しないんでしょうか。

しかしガルニエの絢爛な内装は比類ないですね。今からはもう絶対に作れない建物です。ブダペストのオペラ座も19世紀の古き良き時代の名残がある豪華な劇場ですが、ガルニエは遥かその上を行くゴージャスさでした。シャガールの天井画は私にはちょっと違和感がありましたが、複数の時代様式が交じり合う建造物はいくらでも例がありますし、時間とともに違和感もなくなっていくのでしょう。



バイエルン放送響/ヤンソンス/内田光子(p):顔芸の女帝2011/03/25 23:59

2011.03.25 Royal Festival Hall (London)
Mariss Jansons / Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
Mitsuko Uchida (P-1)
1. Beethoven: Piano Concerto No. 3
2. Richard Strauss: Ein Heldenleben

バイエルン放送響は2003年5月以来ですから約8年ぶりの2度目です。まず最初はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。実はほとんど初めて聴く曲です。内田光子をこれまで聴いたのは全部モーツァルトでしたので、ベートーヴェンは果たしてどうかと思いきや、芸風は基本的に同じでした。タメが多いギクシャクした進行で、エネルギーは常に内向きの凝縮度の高いピアノです。演奏中はもちろん、伴奏を聴いてるときでも顔をくしゃくしゃにしながら音楽に入り込むその姿はまさに「顔芸の女帝」。今日はベートーヴェンなのでモーツァルトのときよりも打鍵が力強く、ドラマチック度が増した演奏になっていました。聴衆大喝采。

前半のオケはピアノを引き立てることに徹した控えめなものでしたが、後半はヤンソンスが得意とするところの大編成曲。リヒャルト・シュトラウスはバイエルン放送響の「ご当地もの」とも言えますので期待度大だったのですが、旅の疲れが残っていてボーっとしてしまい、もう一つ演奏に入り込めなかったのが残念でした。ヤンソンスはいつものように指揮棒を左右に持ち替えながら巧みにオケを操っていきます。突出した何かがあるわけではないですが、アンサンブルはほとんど穴がなく、よくまとまっています。弦はけっこう地味な音で、コンセルトヘボウほどのパンチはありませんが、ドイツものには向いているでしょう。金管、木管も派手さはなく堅実な演奏でした。木管はもうちょっと華があっても良いかなと思いました。ヴァイオリンソロを弾いた若いコンマスは逆に、めちゃめちゃ上手い上に音に芯と華もあって、凄かったです。この人は全くソリストのヴァイオリンですね。

アンコールは「ばらの騎士」のワルツ。ブダペストでコンセルトヘボウを聴いたときもやってくれた曲です。ヤンソンスはだいたいアンコールを2曲くらいやってくれるのですが、今日は1曲だけでした。次は是非、本拠地のヘラクレスザールで聴いてみたいものです。

ロイヤルバレエ:トリプルビル(ラプソディ/センソリウム/ペンギンカフェ)2011/03/28 23:59

2011.03.28 Royal Opera House (London)
The Royal Ballet: Triple Bill

1. Rhapsody (Rachmaninov: Rhapsody on a theme of Paganini)
Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
Frederick Ashton (Choreography-1)
Jonathan Higgins (P-1)
Laura Morera, Sergei Polunin

2. Sensorium (Debussy/Matthews: Préludes)
Barry Wordsworth / Orchestra of the Royal Opera House
Alastair Marriott (Choreography-2)
Philip Cornfield (P-2)
Leanne Benjamin, Marianela Nuñez
Thomas Whitehead, Rupert Pennefather

3. Simon Jeffes: 'Still Life' at the Penguin Café
Paul Murphy / Orchestra of the Royal Opera House
David Bintley (Choreography-3)
Sara Cunningham (Ms-3)
Emma Maguire (The Great Auk)
Zenaida Yanowsky (Utah Longhorn Ram), Gary Avis
Liam Scarlett (Texan Kangaroo Rat)
Iohna Loots (Humboldt's Hog-Nosed Skunk Flea)
Edward Watson (Southern Cape Zebra)
Kristen McNally, Nehemiah Kish, Minna Althaus (Rain Forest People)
Steven McRae (Brazilian Woolly Monkey)

ロイヤルバレエのトリプルビルなるものを初めて見に行きました。私はROHのFriendsになってなくてチケットはいつも一般発売で買っているのですが(先日お会いしたブログ仲間の方々は皆さん当然のごとくFriendsでらしたので、私もまだまだ修行が足らんなあと)、狙っていた「フィデリオ」に安くて良い席がもう残ってなかったので気をそがれ、代わりに何かないかなあと探していて目に止まったのがこれでした。バレエもオペラも基本はフルサイズで一貫したものを見たいという志向ですのでこれまでトリプルビルは敬遠していたのですが、妻がファンのマクレー様も出ることだし、家族で行くにはまあ良いかなと。

ただし、コストパフォーマンスを考えて今回は初めてバルコニーのボックス席を買ってみたのですが(1ボックス4席分で1セット)、これはやはり値段なりのものでした。ボックス席は前列2席、後列はハイチェアーで2席となっていまして、当然前列に妻と娘を座らせました。前列はまだよいのですが後列は死角が多くて舞台の半分は見えません。前列にしても身を乗り出さないと見えにくいので皆さんそうするのですが、すると私の隣りのボックスのおばさんの頭がちょうど舞台中央部をがっつり遮り、つまり舞台の半分および中央部がよく見えない状況での観賞となってしまいました。メインキャストの踊りがほとんど見えないのは致命的で、オペラだったらまだ生の歌と音楽を聴くだけでよしと思えますが、バレエで踊りが見えなかったら劇場に行く意味がありません。ブダペストのオペラ座では、前列が3席あって、角度が浅いので舞台がよく見えるし、コートを預けないで済むし、だいたいいつもボックス席を取っていたんですが、ROHのバルコニーボックスを取る時は、まあ家族サービスと割り切るしかないです。惜しむらくは、今日がこのトリプルビルの最終日…。

そんなこんなで最初の2つは、飲み込んで噛み砕いて、というのは最初から半ば放棄して、見える断片を何とか楽しめればよいというスタンスでした。「ラプソディ」はラフマニノフの甘〜い「パガニーニの主題による狂詩曲(ラプソディ)」に振りを付けたもので、オケピット真ん中にグランドピアノが入っていたのがたいへん窮屈そうでした。メインキャストはプリンシパルのセルゲイ・ポルーニンとラウラ・モレーラ。先日「白鳥の湖」でチェ・ユフィと一緒にパ・ド・トロワを踊っていたのを見ています。基本、王子様とお姫様のような振り付けでしたが、あまり息が合ってなかったような。二人とも、ソロで踊っているときのほうが断然活き活きとしていました。ポルーニンは後半の連続ハイジャンプで拍手喝采を浴び、カーテンコールでもダントツ一番人気でした。舞台が進むに従って両腕の筋肉がどんどん赤くなっていき、ダンサーの過酷な稼業をかいま見ました。

次の「センソリウム」の音楽はドビュッシーの前奏曲集で、以下の7曲が使用されています。ピアノと書いていないのは全てコリン・マシューズ編曲の管弦楽版です。

1. 「霧」第2巻1
2. 「枯葉」第2巻2(ピアノ)
3. 「野を渡る風」第1巻3
4. 「カノープ」第2巻10
5. 「交代する三度」第2巻11
6. 「雪の上の足跡」第1巻6(ピアノ)
7. 「夕べの大気に漂う音と香り」第1巻4

ラプソディよりさらにストーリー性のない、抽象画を見ているような雰囲気。遠くから見ていると誰が誰だかよくわからない。せっかくヌニェスがでているのに、彼女の踊りがほとんど見えません(泣)。全体的には普通のクラシックバレエとは異質な、もっとフィジカルに訴えるような踊りでした。受粉をイメージさせ、セクシャルな暗喩を私は多少感じました。ぐでーと退屈していた娘に感想を聞いたら「うーん、でもイモ虫みたいで面白かった」。

最後の「ペンギン・カフェ」だけは事前に映像を見ていましたので、身体にすんなりと入って来ました。最初に登場するペンギンはクレジットを見るとGreat Aukとあります。これは日本語では「オオウミガラス」で、人間による乱獲が原因で19世紀半ばに絶滅した海鳥なのでした。本来はこの鳥が「ペンギン」と呼ばれていて、今で言うペンギンは姿形が似ている別の種だったのが、オオウミガラスの絶滅以降ペンギンと呼ばれるようになったそうです。ともあれ、その元祖ペンギンがウェイターをしている「ペンギン・カフェ」に掛かっている静物画(Still Life)から飛び出してくるように、絶滅危惧種の動物が次々とダンスを繰り広げます。これもクラシックバレエというよりはミュージカルのようなショーダンスですが、動物の動きがコミカルに取り入れられていて、単純に楽しめます。

「ユタ・オオツノヒツジ」のヤノウスキーはファッションモデルばりの長身でグラマラス、腰をくいっとひねる動作がいちいちコケティッシュで、セクシーな魅力が爆発していました。前回「白鳥の湖」で見たときはどうしてオカマさんだと思ってしまったんだろう。「テキサス・カンガルーネズミ」は代役の人だったようです。回りながらピョンピョン飛び跳ねて見た目より体力の要りそうな踊りですが、お疲れだったのかちょっと重たい動きでした。「フンボルト・ブタバナスカンクのノミ」は電波人間タックル(古い!)みたいなコスチュームの昆虫がチロル風民族衣装の男性5人とフォークダンスを踊りますが、振り回されて最後はフラフラになってしまいます。「ケープヤマシマウマ」は登場した瞬間からもう異様な雰囲気でインパクトがあります。おそろいのファーをまとった無表情な上流階級風レディ軍団も加わって、威厳のあるゆったりとしたパフォーマンス(もはやダンスとは言えないような)を展開しますが、最後は銃で撃たれて倒れ、レディは無表情のまま一人一人退場して行きます。DVDでショッキングだった血の痕が、今日の舞台ではありませんでした。「熱帯雨林民族」は裸族の両親と幼い娘による叙情的な踊り。子供のメイクが「呪怨」のようで怖いです。「ブラジル・ヨウモウザル」は待望のマクレー様。かぶり物なのが残念ですが、やっぱりこの人はダンスは凄いです。お猿なのでずっとピョンピョン飛んでいるのですが、ジャンプが全然ヘタらないし、終始キープしていたキレキレの躍動感が実に素晴らしい。最後は他の動物たちも加わって全員ダンスでクライマックスを迎えますが、突如として雲行きが怪しくなり、座り込んだダンサーたちがかぶり物を取ると、嵐がやって来ます。逃げ惑う動物たちがいなくなった後、最初のペンギン(オオウミガラス)だけポツンと取り残されますが、舞台後方には大きなノアの箱船が登場し、中には逃げた動物たちが座っています。乗り損ねたオオウミガラスは絶滅してしまいましたが、辛うじて生き延びた絶滅危惧種は何とか後世に残そうというメッセージが込められていますね。テーマは重いですが語り口は決してシリアスではなく、見ている最中は能天気に笑えて、見終わった後でしみじみと考えさせられる演目でした。

演奏はオペラハウスのオケだったはずですが、はっきりってイマイチ。千秋楽としてはひどい出来と言ってもいいくらいでした。トランペットを筆頭に、音を外すとかいうレベルではなくしょぼ過ぎる金管に萎えました。それでもまだラフマニノフはトランペット以外はましでしたが、時間を追うごとに悪くなって行くのはどうしたもんか。みんな早く帰りたいのか?ペンギンカフェの気の抜けた演奏は(特に弦)、正直なめているとすら思えました。格式あるコヴェント・ガーデン王立管弦楽団たるもの、こんなポップスまがいな音楽なんか真面目にやってられっか、とでも思ってるんでしょうかね。