BBC響/ビエロフラーヴェク:模範的なマーラー2011/02/02 23:59

2011.02.02 Barbican Hall (London)
Jiří Bělohlávek / BBC Symphony Orchestra
Lars Vogt (P-1)
1. Mozart: Piano Concerto No. 16 in D major, K451
2. Mahler: Symphony No. 6 in A minor

ロンドンのローカルオケで聴くマーラー6番シリーズ、と自分で勝手に命名しておりますが、第3弾はBBC交響楽団。今日はラジオのライブ中継があるのできっかり7時に開演でした。女性司会者の前口上に続き、独奏のラルス・フォークトとビエロフラーヴェクが登場。1曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第16番、快活でシンフォニックな曲です。モーツァルトのピアノ協奏曲は時々聴く機会がありますが、私は全く思い入れがないので、集中力を持って批判的に聴くのではなく、いつもその音楽の中に無心でゆったりと身を置くことにしています。要は、心に引っかからないので聴き流してしまっているんです。今日もそんな感じでして、我ながらまことに失礼な態度だと思います。フォークトのピアノは硬質でちょっとクセがありそうですが、まあコロコロとモーツァルトらしい軽やかな演奏でした。

休憩後、7時50分くらいにマーラーの演奏が開始されました。ちょっと遅めのテンポで始まった行進曲風の第1楽章は、なかなか抑制が利いた冷徹な進行で、不必要に鋭い音や大きい音は各楽器で注意深く排除されています。意表を突かれましたが、実はこの冒頭はAllegro energico, ma non troppo(力強く快活に、しかしやり過ぎないように)でさらにドイツ語でHeftig, aber markig(激しく、しかしきびきびと)という分裂気味だけれども含蓄深い指示なので、この演奏のようなやり方がまさにマーラーが意図した模範的解答なのかもしれません。パートバランスが非常に丁寧に整えられており、第2主題のアルマのテーマも決して感情に流されず節度ある甘さで奏でられます。木管がまたスフォルツァンドやベルアップの指示を逐一、涙ぐましいほど忠実に守っていたのには感心することしきりでした。展開部の「遠くから響くカウベル」は、本当に遠くから(多分バルコニー席で叩いていたと思いますが私の席からは確認できず)聴こえてきました。行進曲が戻ってくる再現部になると、テンポはあくまで節度を保ちつつ徐々に音量を開放して行き、最後は圧倒的な音圧でピークを迎えてガツンと終了。思わず拍手をしてしまいそうな説得力ある盛り上げ方でした。

本日の中間楽章は最近の主流に倣いアンダンテ→スケルツォの順です。アンダンテは、これがまた情に流されない枯れた味わいの弦が実に心地良い。元々このアンダンテは好きな音楽なのですが、今日の演奏は大げさに甘く歌うことなく、むしろそうしないが故に逃げ道なく追い込まれた私の心を容赦なく打ってきました。これはまさに虚飾を排した音楽自体の力です。ヤラレタという感じです。この楽章の中間部のカウベルは他と違って「オーケストラの中で」というスコアの指示がありますが、打楽器奏者はステージ上に並べられたカウベルを、多分客席後方のカウベルと音量を合わせるためでしょうか、多少遠慮がちにコロンコロンと叩いていました。ここでもスコアへの忠誠は変わりません。ただし、大小6〜7個のカウベルを吊るしていて、実際に鳴らしたのは3個だけでしたので、リハで最終判断をしたのかもしれません。

次のスケルツォ、今度は早めのテンポでさっそうと始まりましたが、これもスコアのWuchtig, 3/8 ausschlagen ohne zu schleppen(力強く、引きずらない3/8拍子で)という指示を思い出せば、全くストレートな演奏です。ちまたのマーラー演奏で不自然に歪曲されたものがいかに多いか、思い知らされました。この楽章はこまめにテンポが動きますが、普段からきっちり信頼関係を築いているんでしょう、あれだけゆらしても節度を忘れず、指揮者とオケの呼吸が抜群に合っていました。

問題の終楽章、形式上は古典的ソナタ形式の構成ですが、内容は破天荒なので極めて難物、ヘタに触れれば火傷をします(笑)。ここでもあくまで冷徹さを失わず心憎いくらいに節度を持って進行しますが、もはや音量のキャップは被せず、金管は遠慮なく爆発します。オケが実に上手いです。さすがにトランペットが多少上ずる場面は2度ほどありましたが、このレベルで鳴らしながら破綻なく息切れもせずにやり抜いたのは生半可な実力ではありません。先日のロンドンフィルもかなりがんばってはいましたが、BBC響は完全にその上を行ってます。ハンマーは2回、「ズガァァァン」というインパクト抜群の重低音で、私が今まで聴いた中で最も理想に近い音だった、と言ってもよいかも。全体を通して節度を守り、要所でしか爆発させなかったおかげで、ラストの一撃も効果極大。どこを切ってもしっかりと練られた、私的にはかゆいところにいちいち手が届いた、理想的な名演でした。

カラヤンみたいに最初はカッコよくガッガッと突き進んだはよいが途中で道を見失ってしまう演奏も多い中、物語性に囚われることなく無心でスコアと対峙し、内在する純音楽的なフォルムを見事にあぶり出して目の前に見せてくれた今日の演奏は、心洗われる気分で心底感動しました。しかし、ビエロフラーヴェクとBBC響がここまでやってくれるとは、正直そこまでとは期待していなかっただけに、こういうのがあるから演奏会通いはやめられない訳だなあと再認識しました。

実は今、BBCのiPlayerでまさにこの演奏を聴きながらこれを書いていましたが、やはり生で聴くほどの感動はよみがえって来ませんね。ハンマーの重低音はもちろんのこと、デリケートに組み立てられた生のオケが奏でる空気はどうしても録音には収まり切らないものですね。仕方がないことですが。

ロンドンフィル/マズア/ムター(vn)/ミュラー=ショット(vc):美男美女の競演に、指揮者の仕事は?2011/02/04 23:59

2011.02.04 Royal Festival Hall (London)
Kurt Masur / London Philharmonic Orchestra
Anne-Sophie Mutter (Vn-1), Daniel Müller-Schott (Vc-1)
Brahms: Double Concerto for Violin and Cello
Brahms: Symphony No. 1

ムターは昨年10月のLSOで聴くはずが仕事の都合で行けなくなり、リベンジとしてこの演奏会をチェックしていましたが、チケットはずいぶん前からほぼソールドアウト状態で、半ば諦めかけていたところ、好みのかぶりつき席ではないもののそれに準ずる好席が前日になって1枚リターンで出ているのを発見、即ポチで買いました。らっきー。

ブラームスの二重協奏曲を前回聴いたのは約6年前。そのときの独奏はケレメン・バルナバーシュとペレーニ・ミクローシュというハンガリーの超スター共演でしたが、席がオケ後方だったので独奏者がよく見えず聴こえずで、印象に残っているのは二人の後ろ姿のみ。今から思うと耳の穴をかっぽじって脳にもっとしっかりと刻み込んでおけなかったものかと悔しく思うことしきりです。

マズアはもう83歳ですか、5年前に見たときよりさらに老人さが増し、足取りが弱々しく、目もしょぼしょぼとして、左手は中風で常にブルブルと震えています。彼が何者か知らなければ、足下のおぼつかないただの後期高齢者にしか見えないでしょう。それでも指揮台に上ると40分ずっと立ったまま指揮棒も使わず腕を降り続けているのですから、たいしたものです(さすがにカクシャクとは行きませんが)。チェロのミュラー=ショットは若くてイケメン、チェロの音が伸びやかで瑞々しいです。多少音が弱いと感じるところもあったものの、正統派のテクニシャンと思います。念願の初生ムターは、鮮やかな緑のドレスに身を包み、さすがスターのオーラが出ています。ビジュアル的にはカラヤンと共演してたころとか、プレヴィンと結婚したころとかのイメージが強いので、もちろん美人には違いないのですが、すっかり中年女性になっちゃったんだなーと、しみじみ。この二重協奏曲はどちらかというとチェロの方が主役に私には聴こえるし、派手なカデンツァがあるわけでもないので、ムターを聴いたという実感がもう一つ湧いて来なかったのが正直なところです。もちろん美男美女ペアには華がありましたが、この曲のチェロとヴァイオリンは男女の愛ではなくて哲学者同士の対話のような音楽ですから、華やかなスターの競演だけでは済まない渋みがあります。それはともかく、ムターのヴァイオリンから特にハッとする音はついぞ聴かれなかったし、弾いているときの表情がずっとしかめっ面で変化に乏しく、私の好みのヴァイオリンではなかったかな。特にヴァイオリンの場合は、楽器と一緒に呼吸するような弾き方をする人が自分の好みだったんだとあらためて気付きました。当然1曲だけでうかつな判断は禁物なので、また次回聴く機会があればと思います。このコンビは来年2月にプレヴィンを加えたトリオで室内楽演奏会をやるようですね。室内楽は正直好んで聴くほうではないのですが、プレヴィンの曲(ジャズなのかな?)もやるみたいなので、要チェックですね。

メインのブラ1は前回もロンドンフィルで1年くらい前に聴いています(指揮はサラステ)。マズア爺さん、相変わらずよぼよぼと登場しましたが、衣装をブラウンから黒に着替えたもよう、実はお洒落な人なのかも。曲は普通に始まり、早めのテンポですいすいと進んで行きます。提示部の反復はあっさりと無視、あれ、前回のロンドンフィルもそうだったような。最近の演奏はみんな楽譜の繰り返し指定は律儀にやるものだと思っていたので前回も「ほー」と思った箇所でした。しかし聴き進むうち、繰り返し云々に限らずこれって前回のロンドンフィルの演奏とどこに違いが?と思い始めてきました。ブラ1は定番レパートリーですからオケのほうもそれこそ指揮者なしでも完奏可能な曲だと思いますが、それにしてもマズアならではのこだわりやゆさぶりが何も見えて来ず、実はこの指揮者、仕事をしてないんでは、との疑念が晴れないまま、結局コーダまで行き曲は終ってしまいました。これが中庸を行く王道のブラームス解釈なのかもしれませんが、前回サラステが作り上げたブラ1像に、何だかそのまま乗っかっただけのような気もしてなりません。ホルンを筆頭にオケの集中力がイマイチだった分、今回の方がなお悪いかも。両方の録音が手元にあって聴き比べできればいいんですけどねえ、それは無理ですし…。何度か拍手に応えたあと、最後はチェロトップの金髪お姉さん2人の手を握って引き上げるそぶりを見せ、なかなか好々爺ぶりを発揮していたマズアさんでした。

LSO/ハーディング/グリモー(p):音のスペクタクル2011/02/10 23:59

2011.02.10 Barbican Hall (London)
Daniel Harding / London Symphony Orchestra
Hélène Grimaud (P-2), Sam West (Narrator-3)
1. Strauss: Don Juan
2. Ravel: Piano Concerto in G
3. Richard Strauss: Also Sprach Zarathustra

ハーディング/LSOは新婚旅行の最中バービカンで聴きましたが、10年以上経って今度は娘連れで聴きにくることがあろうとは、当時はもちろん夢にも思っていませんでした。妻は、ハーディングは年を取った、髪も薄くなったと言いますが、私はそんなに変わってないように思えます。元々とっつぁん坊や系の顔なので、若そうに見えて実は最初からちょっと老け顔入っていたし。

昔と相当変わったのは、ズバリ「余裕」です。超一流どころの場数を踏み、すっかり人気指揮者の仲間入りをした今では、モーツァルトでもR.シュトラウスでも何でも汗びっしょりに必死で腕を振りまくっていた昔と比べ、必死さが消え超然とした風格がにじみ出ています。振りが大げさなのは変わりませんが、過不足ない力み方で効率よくオケをコントロールし、最大限の音を引き出すのが非常に巧みになったなあと感じます。ハーディングが振るときのLSOはとにかく音がよく鳴っています。というわけで、1曲目のドンファンから、多少のアンサンブルの乱れはありましたが、大音響でガンガン鳴り響いてはピタリと止まる、小気味のいい演奏を聴かせてくれました。この曲にそれ以上の何がありましょうか(決してネガティブな意図はありません)。

次のラヴェルのピアノ協奏曲は、当初モーツァルトの23番と発表されていたものの、2ヶ月前にソリストの希望という理由で曲目変更がアナウンスされました。あれ、グリモーは確か昨シーズンにもこの曲でLSOに登場したはず。彼女にとっては新曲へのチャレンジだったのでしょうが(ラヴェルよりもモーツァルトのほうが新曲というのも珍しい話です)、結局練習する時間が取れなかったんでしょうかね。グリモーを聴くのは6年ぶりくらいですが、前回も直前になってブラームスの2番からシューマンに曲目が変更になり、この人は常習犯かもしれませんね。ともあれ昨シーズンのグリモーは聴いてないし、モーツァルトよりラヴェルのコンチェルトのほうが圧倒的に好きな曲なので、私にはたいへんラッキーな曲目変更でした。

さてグリモー、相変わらずスタイルの良い美人です。前回はその華奢な風貌からは想像できない、男勝りにアタックの強い骨太の演奏に驚きましたが、今回はラヴェルなので多少は力が抜けて軽やかさが出ていました。タッチは相変わらず鋭いですが、音の粒が奇麗に立っていて、ごまかしがなく、指がよく回ること回ること。掛け値なしに技術は非常に上手いです。ハイレベルのラヴェルだったと思いますが、ただしフランスっぽい柔らかさはありません。グリモーはフランス人のくせにフランスものはあまり得意じゃなさそうで、このラヴェルなんか、彼女としては異色のレパートリーなんじゃないでしょうか。それはオケも同様で、もちろん演奏技術は極めてハイレベルですが、シャレた軽さやジャジーな雰囲気はあまり出ていませんでした。あと気になったのは、グリモーが時々発する、地獄の底からうめき声が響いてくるような何とも言えぬ鼻息です。相当の肺活量と、多分あまり状態のよろしくない副鼻腔炎から来ているんじゃないかと想像しますが、おかげで、せっかくほどよく知的で叙情的なピアノで「こんなのも弾けるようになったんだ」と感心した第2楽章も、鼻息のせいで興ざめというか、ちょっとハラハラしました。

メインのツァラトゥストラはさらに私の大好きな曲でして、もし自分が指揮者だったらデビューはこの曲で、と決めているくらい(笑)。しかし、何故か巡り合わせが悪く、前回演奏会で聴いたのはもう20年近く前になります。まず最初、ホルンの後ろに座っていたナレーターがやおら立ち上がり、ニーチェのテキスト英訳抜粋を朗読しました。初めて見るスタイルですが、哲学的内容を(成功しているかどうかはともかく)器楽だけで表現するのがこの曲のミソですから、正直、いらんかったかな。有名な冒頭はさすがLSO、トランペットも期待通りの迫力で迫りますが、最後の和音で痛恨の音外し。私の席からはよく見えなかったけど今日のトップはNigel Gommさんだったと思いますが、ラヴェルでは難しいフレーズもスラスラ吹いていたので、油断したか。ちょっとイヤな予感が頭をよぎりますが、後半の鬼門、オクターブ跳躍でも、のっけから豪快にミス。その後はさすがに守りに入ってしまい、音は外さないものの思い切りの悪い演奏になってしまいました。どちらも些細なミスと言えばそうなんですが、この曲に限っては目立ち過ぎるんで、奏者は気の毒です。LSOでもこういうことがあるんですねえ。終演後はもちろん立たされ、満場の聴衆から温かい拍手を盛大に浴びていました。皆さん優しいですね。

今日のコンマスは何となく東洋人っぽい顔立ちのTomo Kellerさん。ビブラートのきつい神経質そうなヴァイオリンを弾く人ですが、今日のソロはリラックスしていてよい感じでした。トランペット以外で不満は鐘の音が控えめすぎたことくらいで、ハーディングのガンガン鳴らすスタイルがこの曲にはたいへんハマっていて、単純に音の洪水に身を任せる快感に浸っていました。精神性とか深みとかのうるさいことは言わずとも、音のスペクタクルを一流の演奏技術で理屈抜きに楽しむという贅沢こそ、実は大好きなのでした。返す返すもLSOらしからぬミスが残念ではあります。

Tangled 3D2011/02/14 00:54

まだやってるのかな?娘が見たいとずっと言っていたので、2週間くらい前に見に行きました。

原作はグリム童話の「ラプンツェル」、本当はかなり「微妙な」お話なんですが、ストーリーは全くディズニーの創作になっているので、子供連れでも安心です。まあ、プリンセスシリーズなので女の子向けではありますが、そこはディズニー、男の子も親も十分楽しめるようによく練られて、作り込まれていますね。そもそもこの映画、最初はストレートに「Rapunzel」というタイトルで製作されていたところ、後になって、男女両方を動員できるようにと、「Tangled」というプリンセス色を消したタイトルに変更された経緯があるようです。ならば「塔の上のラプンツェル」という邦題(日本では3月公開)は、そのディズニーの意向を丸無視なんですかね?

でもまあ、単純に面白かったです。3Dの効果としてジェットコースターのような臨場感もさることながら、空中を無数に浮かぶランタンの中に身を置くような浮遊感も、うまい3Dの使い方だなと思いました。

ザルツブルク2011/02/17 23:59

今週は出張でデュッセルドルフ、ザルツブルク、パリという変則的な移動をしておりまして、けっこう航空チケットの値が張りましたがそれはさておき、ザルツブルクはちょうど7年ぶりでした。前回はクリスマスの時期にブダペストから車で行きましたので、まだ冬のザルツブルクしか見ていないことになります。


繁華街の真ん中にあるモーツァルトの生家。今は博物館になっているようですが、中は入ったことがありません。


Sound of Musicの映画にも出てくる馬洗いの泉。7年前と同じく、カチンコチンに凍っていました。


祝祭劇場にもまだ行ったことがありません。フェスティバルの時期に旅行するのは我々家族にはちとゴージャス過ぎるので、多分行くことはないでしょう。


チェスが置いてある広場には、何やら怪しげなオブジェがありました。巨大な金の玉に直立する男性。うーむ、意味深…。


おまけですが、パリは今回何かを見る全然は時間がなくて、辛うじてパリらしい一枚として、にぎわう北駅前の写真です。やっぱりユーロスターはフライトよりも身体の負担が全然少なくて、その点は良いですね。

Confessions (告白)2011/02/18 23:59

日本で非常に評判が良かったのを聞いていてずっと気になっていたのですが、ちょうど今日からロンドンでも上映されるということで、早速見に行ってきました。

こんなの見に行く人は日本人しかいないだろうと思っていたらけっこう現地の人が多くて、というか、日本語の会話はほとんど聞かれませんでした。(英国人から見て)こんなマイナーな世界の映画にも、ちゃんとウォッチしている人がこれだけいるんですねえ。

子供向け以外で映画館で映画を見たのは久しぶりですが、何だか凄いものを見た、という感想です。冒頭から息を飲み続けて見守りましたので、疲れました。たいへんシリアスでいろいろと考えさせられる内容ですが、いじめ・少年法など落とし穴の要素は多々あったにもかかわらず押し付けがましい主張は一切なく、不思議と見終わった後に重さは残りませんでした。後から考えると不可思議な点や無理な展開も多少ありますが、見ている間は有無を言わさず引き込まれる、力のある脚本と思います。

松たか子の演技が素晴らしかったです。デビューのころキムタクのトレンディードラマに出ていたりしたので軽く見ておりましたが、優れた性格女優になったんですね。修哉君の役者は子役からキャリアを積んだ芸達者のベテランだったらもっと説得力を出せたのかも、とは思いました。

Charing CrossのInstitute of Contemporary Arts (ICA)ほかで3/17までやってます。

LSOディスカバリー・ファミリーコンサート「森の中で」2011/02/19 23:59

2011.02.19 Barbican Hall (London)
LSO Discovery Family Concert: In The Woods
Timothy Redmond / London Symphony Orchestra
Rachel Leach (Presenter)
1. Mussorgsky: Night on the Bare Mountain
2. Dvorák: The Wild Dove (excerpts)
3. Prokofiev: Peter and the Wolf (excerpts)
4. Rachel Leach: Hungry Wolf (audience participation piece)
5. John Williams: 'Hedwig's Theme' from Harry Potter

今回のLSOファミリーコンサートは「森の中で」と題して、ちょっとコワめの曲を揃えました。ただ、ドヴォルザークの「野鳩」は、子供向けにしては内容も曲もちょっと渋過ぎ。聴衆参加のピースもいつもはスタンダード曲なのに、今回は司会者のオリジナル曲だったので(しかも途中でバンバン転調する)、着いて行ける子供は少なかったんじゃないかなあ。司会者のお姉さんも歌って踊って何とか盛り上げようとしていましたが、企画に無理があったのではないでしょうか。

ベルリンフィル/ラトル/シェーファー(s):マーラーは王道の凄み2011/02/21 23:59

2011.02.21 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / Berliner Philharmoniker
Christine Schäfer (S-2)
1. Stravinsky: Apollon Musagète (1947 ver)
2. Mahler: Symphony No. 4

このベルリンフィルのロンドンコンサートシリーズはチケット発売が2009年12月で、ほどなく4つの演奏会は全て完売となっていました。チケット購入から1年以上待たされて、その間去年のPROMSにもしれっとやってきて演奏したりして、この日に至るまでは遠い道のりでした。要は待ちくたびれただけですが。

1曲目「ミューズを率いるアポロ」は弦楽合奏のみのバレエ音楽。新古典主義の聴きやすい曲に見えて、捉えどころのない結構難解な曲だと思います。ベルリンフィルの弦楽部隊は8人のコントラバスと有名な12人のチェリストをずらりと揃えて圧巻です。コンサートマスターは樫本大進君、すっかり板についてきています。私には馴染みの薄い曲なので細かいところまでわかりませんが、まず出だしはチェコフィルかと思うほど素朴で野暮ったい音色で始まり、次の大進君の切り立つようにヴィヴィッドなソロの後は、低弦が金属的な重苦しさを醸し出したかと思うと、突如として花畑に蝶が舞うような光景が目に浮かび、とにかく弦楽合奏だけとは思えないその色彩感の幅広さに感服しました。音色に加えて音量のほうも、消え入るようなか細さとトゥッティの迫力のコントラストが圧巻で、弦楽器だけでもそんじょそこらのフルオケには音圧で勝っていますかからすごいもんです。

メインのマーラー第4番は一昨年LSO、昨年LPOで聴いて、ロンドンではこれが3回目です。面白いのは3回とも独唱はクリスティーネ・シェーファーだったこと。ただしLSOは風邪でドタキャンし、代役のクララ・エクが歌っていましたが。それにしても私のイメージではシェーファーはオペラ歌手で、あまりマーラー歌手という認識ではなかったので、不思議な現象です。シェーファーは好きな歌手ですが、他に人材はおらんのかい、とも思ってしまいました。

第1楽章冒頭、鈴と木管の短い序奏からヴァイオリンの主題へと移行するところで、もう早速その語り口の上手さに引き込まれました。昨年のユロフスキとLPOのように、解体したセグメントを再構築していくようなポストモダン的演奏もそれはそれで面白かったのですが、ラトルのアプローチはもっとストレートで、ある意味王道です。いつものように細部まで彫り込んだ音楽作りで、一つのフレーズは常に次のフレーズの布石になるよう気配りされ、全体の大きな流れを俯瞰して積み重ねて行くような第1楽章でした。雄弁というのとも劇的というのともちょっと違う、適当な表現が見つかりませんが、説得力のある朗読のような演奏でした。また、ベルリンフィルの人々はもう異次元の上手さで、ホルンといいトランペットといいフルートといいオーボエといい、皆がいちいち凄過ぎてホレボレするソロを聴かせてくれます。個人の技量が並外れて優れている上に、アンサンブルも憎いくらい完璧に統制が取れていて、さらに、いつどこで演奏しても集中力を欠かさない芸術的良心を持っている、世界最高峰のオーケストラとの評価が定着するのもよくわかります。この最後の「いつどこで演奏しても集中力を欠かさない芸術的良心」という点で、残念ながらLSOやウィーンフィルはベルリンフィルやコンセルトヘボウより下位のランクに置かざるを得ないと、私の経験からはそう評価しています。閑話休題。

第2楽章は舞踏楽章なので軽やかにジャブで流し、変則調律ヴァイオリンの土臭いソロとくっきり色鮮やかなバックの演奏の対比が新鮮でした。少し呼吸を整えてからの第3楽章はスローペースで始まり、弦楽器がとことん繊細で優しい音を紡いでいきます。ちょっと間延びしたかと思わないでもないですが、ダイナミックレンジをさらに大きく取って最後の爆発への布石を打ち、LPOのときと同じくトゥッティの間に静々とシェーファー登場。切れ目なく終楽章に突入します。今日はずいぶんとシックな黒のドレスに地味めのメイクで、その分クリスタルか何かのキラキラ輝く首飾りがいっそう印象的でした。どこか中性的に感じる天性の美声は健在で、LPOのときよりも声の調子は良さそうでした。ただ前回は前から2列目のかぶりつきで見た(聴けた)シェーファーですが、今回はCircleの端のほうという歌手の声の届きにくい席だったので、前回感じた声の「芯」は少々細く、伸びに欠けるように感じられました。それでも、どちらかというとラトルのリードにシェーファーが着いていくという図式だったと思いますが、振り落とされることなく歌い切り満足げな表情でした。全体を通して文句なしに超ハイクオリティの演奏で、ラトルも大いに満足したのか、終演後は各首席奏者のところまで自分から行って握手を求めていました。こんな、普通は一生もんの演奏会をいくつも聴けてしまうというところに、ロンドンの凄さと同時に空恐ろしさも覚えますね。

それにしても、あまりうるさいことを言いたくもないのですが、よりによって終楽章の静寂に向かうエンディングの最中でカバンからアメを出そうとする人とか、バサッと何かを落とす人とか、咳きこんで止まらない人とか、世の中には本当にいろんな人がいます。あと6小節だけなんだから頼むよ勘弁してよ、とか、せめてハンカチくらい口に当てんかい、とか、せっかくの至福のひとときに興ざめなことが頭をよぎり、これに関してはいつまでも寛容になれないなあと再認識してしまいます。

余談ですがサウスバンクの来シーズン分の外来オケチケットがすでに販売開始になっていますが、ルツェルン祝祭管やシモン・ボリバル・ユース管といった人気楽団はあっという間に残席わずかになっていますね。特にシモン・ボリバルなんか来年6月で曲目未定にもかかわらず、この売れ方はちょっと異常ですね。それにしてもバービカン、サウスバンクともに、外タレのチケット相場がべらぼうに値上がりしていて、手を出すのを躊躇してしまいます。消費税増税と補助金カットのダブルパンチを食らったのかもしれませんが、こんな極端な値上げは、全く足下を見ていると思いますね。

ベルリンフィル/ラトル:マーラー3番、至福のクライマックス2011/02/23 23:59

2011.02.23 Royal Festival Hall (London)
Sir Simon Rattle / Berliner Philharmoniker
Anke Hermann (S-1,2), Nathalie Stutzmann (A-3)
Ladies of the London Symphony Chorus
Ladies of the BBC Singers
The Choir of Eltham College
1. Brahms: Es tönt ein voller Harfenklang, Op. 17 No. 1
2. Wolf: Elfenlied (Mörike Lieder)
3. Mahler: Symphony No. 3

ベルリンフィル最終日です。この日ももちろんソールドアウト、リターン待ちの長い列ができていました。

今日のコンサートマスターは大進君ではなくブラウンシュタインでした。本来今日はマーラー1曲のプログラムですが、後になって短い歌曲2曲の追加が発表されました。プログラムを読んでいないのでこの選曲の意図はよくわからないですが、1曲目のブラームス初期の歌曲は、作曲がマーラーの生年である1860年ごろなんですね。2曲目の作曲者ヴォルフは言わずと知れたマーラーと同い年の人ですから、「1860年繋がり」の選曲だったのかな。歌曲は特にうとい分野なので、2曲とも聴いたことのない曲でした。

ウォーミングアップも済んだところで、休憩なしでマーラーの開始です。この3番の第1楽章は特に大好きな曲なんですが、冒頭からベルリンフィルのパワフルなホルンと打楽器に早速胸にぞぞ気が走りました。同じ「角笛」交響曲とは言え、テンポが激しく揺れ動く4番とは違ってこれは行進曲ですから、揺さぶりなく淡々と進んで行きます。今日は後ろの方の席だったんですが、音が十分な音圧を保ってしっかり届いてくれるので、やはり超一流のオケは楽器の鳴らし方からひと味違いますね。ラトルは今日はあまり仕掛けて来ないなと思っていたら、展開部のクライマックスの前で珍しく無理めのアチェレランドをかけてオケを煽り、その後の暴風雨のような音楽をうまく導いていきました。再現部になり、行進曲が戻ってきて盛り上がる部分は、私の好みでは大見得を切って「泣き」を入れて欲しいところですが、サー・サイモンは一歩引いてクールにスルーしていたのがまあ彼らしいです。これだけでお腹いっぱいになりそうなこの長大な第1楽章、案の定終った後は拍手がパラパラと鳴っていました。

第2楽章はしかし、弦の甘いメロディを実にロマンチックに響かせて、なるほどここまで「泣き」は取っておいたのだなと納得。第3楽章では中間部の舞台裏で吹くポストホルン(多分トランペットで代用)がなにげにめちゃめちゃ完璧で、さすが裏方まで一流を配置しております。

第4楽章、アルトのシュトゥッツマンが登場し、指揮者の横ではなくて打楽器の前あたりに立ちました。初めて聴く人ですが、美しい声のアルトです。バックでは第1楽章の動機が寡黙に再現される中、オーボエの強烈なポルタメントがたいへん新鮮でした。ここまでポルタメントを強調する演奏は聴いたことがありませんが、どうやら中間楽章でいろいろと仕掛けを盛り込む戦略のようです。ベルリンフィルは、繊細なところはとことん繊細に、高らかに鳴るところはとことん大胆に、ダイナミックレンジの広さはいつもながら圧巻です。

第5楽章は短い曲ですが、25名の少年合唱と100名の女声合唱が加わり、一気に賑やか、華やかになります。オケの音量が大きいからでしょうか、合唱団の人数は普通よりも多めです。面白かったのは少年合唱が要所で、ちょうど大声で遠くの人を呼ぶときのように、手でメガホンを作って歌っていたことです。確かにこの曲のライブでは少年合唱がオケに負けて今ひとつ聴こえてこないことも多いので、ビジュアル的にも少年だからこそ許されて、良いアイデアだと思いました。

切れ目なしに始まった終楽章は、まさに天上の音楽。この長丁場の終盤ですからもはや細かいことを気にする余力もなく、極上の響きにゆったりと身を任せつつ、もうすぐ終ってしまうベルリンフィルとの至福のひとときを名残惜しんでおりました。じれったくてなかなか盛り上がらない曲ですが、最後には4手で打ち込むティンパニの強打に導かれて壮大なクライマックスを迎えます。ラトルはまるでカラヤンのように瞑想しつつ腕をぶらぶら横に動かすだけで、もはや指揮棒で強引に音を引っ張り出さずとも自然な流れでここまで音楽を持っていけるのには、よっぽど良い関係にあるのだなあと、いたく感心しました。エンディングはふわっと力を抜くように終わり、誰もが残響の余韻を噛み締めていたところ、いちびったオヤジが突然のフライング・ブラヴォー、これはちょっといただけない。まあしかし、すぐに聴衆は総立ちとなって指揮者と奏者の健闘を称え、ラトルも団員もさすがにお疲れモードで拍手に応えておりました。

数年前までは、ラトルはベルリンフィルに行ってからかつてのキレがなくなった、というような悪口をよく見たものですが、どうしてどうして、今まで聴いた4回(ブダペストで1回、ロンドンで3回)のこのコンビの演奏はどれもこの上なく充実したものでした。今日の演奏も、全く自分の好みかと言われるとそうでもない部分がありますが、好みを超越してこれほど最上質の音楽に巡り会えることはそうそうありません。機会があれば、画竜点睛として是非とも本拠地ベルリンのフィルハーモニーでこのコンビを聴いてみたいものだと、野望がむらむらと湧いてきております…。

ロイヤルオペラ:魔笛(最終日マチネ)2011/02/26 23:59

2011.02.26 Royal Opera House (London)
David Syrus / Orchestra of the Royal Opera House
David McVicar (Original Director)
Joseph Kaiser (Tamino), Kate Royal (Pamina)
Christopher Maltman (Papageno), Anna Devin (Papagena)
Franz-Josef Selig (Sarastro), Cornelia Götz (Queen of the Night)
Elisabeth Meister (1st Lady), Kai Rüütel (2nd Lady)
Gaynor Keeble (3rd Lady), Peter Hoare (Monostatos)
Harry Nicoll (First Priest), Nigel Cliffe (Second Priest)
Stephen Rooke (1st Man in Armour), Lukas Jakobski (2nd Man in Armour)
Matthew Best (Speaker of the Temple)
1. Mozart: Die Zauberflöte

今シーズンROHの「魔笛」最終日です。ブダペストで見た「魔笛」は全部ハンガリー語訳のバージョンだったので(ハンガリーでは翻訳オペラもまだけっこう上演されていました)、オリジナルドイツ語の上演を見るのは新婚旅行のウィーン以来、というのに後で気付きました。

Webでは指揮者はずっとサー・コリン・デイヴィスとなっていたのですが、ふたを開けてみるとあたり前のようにデヴィッド・サイラスになっています。プログラムを買って見てみると、何のことはない、19日までデイヴィス、22日以降はサイラスと最初からはっきり分かれていたようで、Webのミスリーディング情報に騙されてサー・コリン目当てにチケット買った人は怒るんじゃないかなあ。他の歌手の交代はちゃんと反映されていたのに指揮者だけ未変更で放置しておいたのは何となく意図的なものも感じますが、私自身にとってはデイヴィスさんちょっと苦手なので、むしろ好ましい交代でした。

満員御礼の会場は、マチネで魔笛ということもあり子供がいっぱい来ていました。日本人観光客の団体や、アジア系の客もいつもより多かったです。サイラスは初めて聴きますが、ロイヤルオペラのHead of Music(音楽部長?)とのことで、オケのメンバーとは和気あいあいと打ち解けているように見えました。出だしの一音からぴしっと決まって、丸みがあるが贅肉はない、引き締まった音できびきびとしたモーツァルトを聴かせてくれたので、サー・コリンだったら全然違ったろうなと思いつつ、私には満足でした。最終日だから気合いが入っていたのかもしれませんが、とにかくオケの音が抜群に良かったです。終演後、すぐに奏者のほうから指揮者を讃える拍手が起こり、サイラスも各パートトップの人と一通りにこやかに握手して回ってから舞台に上がりに行きましたから、演奏者側にとっても会心の出来だったのではないでしょうか。

歌手陣ではパパゲーノのモルトマンがいかにもという芸達者ぶりを見せてくれて、この日一番の拍手をもらっていました。次点はザラストロのゼーリヒ。貫禄のある顔で、声も低音までよく出ていて存在感は抜群。ただ容姿的にはザラストロというよりむしろフィガロという感じで、世俗を感じさせない品位がもっとあればなあと個人的には思いました。

パミーナのケイト・ロイヤルは背が高くてスタイルの良い美人でお姫様役にはうってつけでした。タミーノのヨーゼフ・カイザーはヘルデンテナーっぽいがっしりとした体格ですが、よく見るとこちらもなかなかハンサムボーイ。このカイザー&ロイヤルの「名前は最強」コンビは、二人ともしっかりとした声質の立派な歌唱で、容姿的にも申し分なく、なかなかの掘り出し物でした。

途中降板したジェシカ・プラットの代役、コルネリア・ゲッツは、MET等でも夜の女王を歌っているようですが、そのわりには声が出ていない。どちらの幕のアリアもけっこう苦しくて、オケの伴奏に相当助けられ、辛うじて破綻はしなかったという感じでした。あと、声が幼いのでパミーナとの台詞のやり取りでは完全に貫禄負け。代役で急きょ招聘されたというのを割り引いても、ちょっと看板に偽りありというのが否めません。

あとは、3人の次女はまあまあ。悪くなかったですが、歌がちょっと重かったのと、夜の女王とほとんど見分けがつかない衣装だったので、逆に女王の存在感を弱める結果にもなっていました。パパゲーナはミニスカートでがんばっていましたが、正直、歌はイマイチでした。声が小さいし歌も追いついていなかったです。それにしても、パパゲーナはやっぱりお婆ちゃんから変身しないと、何かイメージが狂いますね。

このマクヴィカーのプロダクションはDVDにもなっているので断片的には見たことがありますが、通して見るのは初めてでした。全体的に闇を強調したダークな舞台設定の中に、第1幕の月、第2幕の太陽の煌煌とした明るさが激しいコントラストになって、けっこう目が疲れました。黒子がたくさん出てきて、この人達は見えないというお約束で堂々と装置を動かしていくのは、どこか歌舞伎と通じるものを感じました。パパゲーノが首を吊ろうと考えたら床下からせり上がって来た黒子がだまってロープを渡すなど笑える仕掛けもあり、万人が楽しめるプロダクションだとと思います。