ロンドン響/ラトル/カンペ(s)/デション(ms):「神々の黄昏」ハイライト2026/05/24 23:59



2026.05.24 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / London Symphony Orchestra
Anja Kampe (Brünnhilde/soprano-2,5)
Elizabeth DeShong (Waltraute/mezzo-soprano-2)
1. Wagner: ‘Götterdämmerung’ - Dawn and Siegfried’s Rhine Journey (Prologue)
2. Wagner: ‘Götterdämmerung’ - Waltraute’s Plea to Brünnhilde (Act 1, scene 3)
3. Wagner: Siegfried Idyll
4. Wagner: ‘Götterdämmerung’ - Funeral Music (Act 3, scene 2)
5. Wagner: ‘Götterdämmerung’ - Immolation Scene (Act 3, scene 3)

サー・サイモンはLSOの音楽監督を退任後も終身名誉指揮者として毎シーズン客演してくれて、ありきたりではなく概ね私好みのコンセプト志向プログラムをいくつも披露してくれるので、そのチャンスはできるだけ逃すまいと追いかけていますが、今日のワーグナーはあまり得意分野ではないのでだいぶ躊躇したあげく、バンクホリデーの週末に特に他にやることもなく、結局聴きにいくことにしました。

「ニーベルングの指輪」の最終夜「神々の黄昏」は過去に2回、2007年のハンガリー国立歌劇場、2017年の東京・春・音楽祭(演奏会形式)で観ています。「リング」シリーズは単発でつまみ食いしてもあまり面白くなくて、どうせ観るならやっぱり4作通して見たいので、個々の楽劇の長さ以上に、体力の消耗を覚悟しなければならない仕事になりますねー。そんな中、ワーグナー名曲集、リング・ハイライトのようなプログラムは世の中にありがちですが、今日のようにがっつりと「神々の黄昏」にフォーカスしたプログラムはなかなか貴重です。「夜明けとジークフリートのラインへの旅」「ブリュンヒルデとヴァルトラウテの対話」「ジークフリートの葬送行進曲」「ブリュンヒルデの自己犠牲」といったオペラの主要場面を抽出し、間には箸休めのように「ジークフリート牧歌」を置く、ある意味ゴージャスなプログラム。

ソプラノのアニヤ・カンペは、58歳になる今でも現役バリベリのブリュンヒルデ歌手で活躍中だそうです。2011年のロイヤルオペラ「さまよえるオランダ人」のゼンダ役で一度だけ聴いていますが、備忘録を辿ると、恰幅の良い美人顔で、狂気の歌唱がインパクト大だったとの記録でした(すっかり忘れていました…)。15年の歳月が経って現在の見た目はすっかりスリムで、だいぶイメージが違いました。ちょっといただけないなと思ったのは、メガネをかけてらしたこと。演奏会形式だから問題ないと言えばそうなのですが、メガネで歌うオペラ歌手というのは、役どころの必要性がある場合を除き、やはりかなり違和感を覚えました。楽譜を立てていたのでメガネがないと見えない、という事情は理解するものの、現役バリバリのブリュンヒルデなんだから楽譜要らなくね?という素朴な疑問もよぎり。そういう瑣末なことが気になってしまうのは、今日の席の選択を間違えたことに起因します。とにかく聴ければよいかと思ってバルコニーの最後列というステージから一番遠い、歌物を聴くには全く適していない席を選んでしまったのが敗因でした。ともすればオケにかき消されてしまうくらいに声が届きにくい距離で、それでも断片的ながらこれだけ鋭く聴こえたのだから、おそらくストールの正面で聴いていたら、その現役ブリュンヒルデの圧巻の歌唱に大満足だったことでしょう。今後の教訓にします(でも喉元過ぎれば熱さを忘れ、また後悔するんだよなー)。

一方、ヴァルトラウテのエリザベス・デションは初めて聴く人ですが、メゾソプラノという音域もあって、こっちのほうがまだよく声が届いていました。こちらはいかにもワーグナー歌手の恰幅で(失礼)、ただよく見ると太っているわけではなく、カンペと横幅はさほど変わらず、引き締まったがっしり系という感じでした。こちらも歌唱は正々堂々として感情豊かなヴァルトラウテで、ストール正面で聴きたかったところです。

本日一番の期待は、おそらく普段のレパートリーにはないであろう「神々の黄昏」の特にフィナーレで、LSOがどれだけの馬力を振り絞り、圧巻の音響空間を満たしてくれるのか、ということでしたが、期待ほどにはオケがピリッとしていませんでした。先日のマーラー4番のときから感じているのですが、金管特にホルンがどうも不安定になりがちで、結果として演奏の思い切りがわるくなり、音圧が上がりきらない中、弦の美しさで何とか乗り切ったという感じでした。

話を遡りますが、休憩後の「ジークフリート牧歌」、有名な曲ですが実演で聴くのは初めてでした。ワーグナーが二番目の奥さんになるコジマの誕生日サプライズで自宅で演奏するために作曲した小編成の曲。フルオーケストラのレパートリーとしてはなかなかプログラムに入れにくい曲でしょう。演奏はLSOの精鋭トップ奏者13人(Fl、Ob、Cl 2、Fg、Hr 2、Tp、弦各1)による精緻なアンサンブル、と言いたかったところですが、ここでもホルンが足を引っ張り、これで明確に、本日ピリッとしない原因がホルンにあると確信しました。

ロンドン響/ラトル/クロウ(s):マーラー交響曲第4番と、4つの最後の歌2026/05/21 23:59



2026.05.21 Barbican Hall (London)
Sir Simon Rattle / London Symphony Orchestra
Lucy Crowe (soprano-2,3)
1. Roberto Gerhard: Symphony No 3, ‘Collages’ for orchestra and tape
2. Richard Strauss: Four Last Songs
3. Mahler: Symphony No 4

マーラーとシュトラウスの親和性は言うまでもありませんが、それにスペインのロベルト・ジェラールを組み合わせたプログラムは何とも不思議な感じです。そのジェラールですが、実は不勉強ながら初めて聞く名前で、作品も全く知りませんでした。年代で言うと、同い年の作曲がいなくて、ヒンデミットの一つ下、コルンゴルドの一つ上という生年なので、世代的に現代音楽作曲家のカテゴリーとは言えない人なのですが、曲は全くの、典型的と言ってもよい「現代音楽」でした。元々はカタルーニャ出身のスペイン国民楽派としてアルベニス、グラナドス、ファリャのフォロワーとしての道を歩んでいながら、シェーンベルクに弟子入りして以降、時代のトレンドも相まって前衛的な作風に傾倒していったそうです。この短い単一楽章の交響曲も「テープ音楽」としては最初期の1960年に書かれた先駆的な作品で、大管弦楽との組み合わせは珍しいです。見ていると、今どきのテープ音楽は、打楽器奏者の一人が楽譜をめくりつつMacBookで音源を制御するんですね。他の打楽器奏者はというと、目を引くのがシロフォン、マリンバの4台の木琴に加えて、小ぶりの和太鼓が2つ。しかしこの和太鼓、特に日本風、アジア風リズムを刻むでもなく(そもそも撥を使ってないし)、素直にタム(トムトム)でいいんじゃね?と思うような使い方でした。あとはティンパニが気持ち悪いくらいにグリッサンドを使いまくり、普段からペダルワークを必要以上に駆使する芸風のナイジェル・トーマスさんは嬉々として技を披露していました。

とにかく、この曲に馴染みもなく造詣も深くない私としては、1960年作曲と聞いて、ああなるほどね、と思うようないかにもその時代のゲンダイオンガクのイメージを裏切らない、不協和音と極端なクレッシェンド(減衰の逆、うーむ、専門用語がわからない)のてんこ盛り音楽に聴こえました。もちろん私にも、この時代の現代音楽の中で気に入って何度も聴きたくなる曲とそうでない曲があり、私の場合は好みが大抵邦人作品に偏っています。何でだろうと考えてみると、日本人だから単純に邦人作品に接する機会が多いという理由も大きいと思いますが、再び聴きたくなる曲にはそういう感情を呼び起こす「官能」があり、自分にとってそれは多くの邦人作品が根底に持っている日本的、アジア的なセンスに惹かれるからではないか、という仮説に辿り着きました。そういう意味では、ジェラールのこの曲に、自分にとっての官能は感じなかったです。

続くリヒャルト・シュトラウスの最晩年の名曲「4つの最後の歌」は、長らく実演で聴いた記憶がないので備忘録に当たってみると、21年前の2005年にアシュケナージ/N響のブダペスト公演(ソプラノはソイレ・イソコスキ)で聴いて以来でした。備忘録にもこの曲の感想は書いておらず、全く忘却の彼方です…。本日のソプラノ独唱ルーシー・クロウは、2009年のロイヤルオペラ「ばらの騎士」でゾフィー役を歌ったのを観て以来、こちらも17年ものインターバルです。余談ながら、何とこのときの「ばらの騎士」ではイソコスキが元帥夫人を歌っていたのは意味深で、さらには指揮が後にラトルからベルリンフィルの音楽監督を引き継ぐことになるキリル・ペトレンコという、何か因縁を感じてしまう偶然…。それはともかく、当時の感想では「歌が初々しい上に仕草もかわいらしく」と書いていましたが、当時はまだ30歳そこそこの新鋭スター候補ですから、さもありなん。現在のクロウは、だいぶ貫禄がついてはいるものの美貌は健在で、その美声と、しっかりとした硬派な歌唱はたいへん磨きがかかったものでした。ベテランの懐深さというか、曲を身体の一部にするくらい歌い込んだ熟練を感じました。今日はバルコニーのステージから遠い席で、やはり歌の空気振動がオケのそれほどまでにはここに届いて来ないのが悔やまれました。

メインの交響曲第4番は、マーラーの中でもベスト3に入る好きな曲なのですが、実演で聴くのは10年ぶり。さらに遡ると、2011年に同じここバービカンホールで、ラトル/ベルリンフィルの演奏を聴いています。そのときの演奏はBBC Radio 3で放送されていたのでエアチェック音源が手元に残っており、比較ができるのですが、まず冒頭の鈴がインテンポをキープし、軽くリタルダンドする木管・弦と合わなくなったところで鳴らすのを止めるのは同じアプローチながら、そのあとのテンポがずいぶんと高速になりました。「中庸の速さで、速すぎずに」というマーラーの指示はマル無視するかのよう。しかし譜面台を立てず暗譜で指揮するラトルは当然この曲を完全に手中に収めていますので、自信を持って揺らぎなくサクサクと、音楽の奔流をシームレスに描いていきます。ここでちょっと後悔したのは、予習にと思って先のベルリンフィルの音源を聴きすぎたせいで、それと比べてしまうと、目の前のLSOのちょっとざらつく音がどうしても気になってしまいました。もちろんLSOだって超一流のオケなのですが、個人技もアンサンブルも完璧で極上シルキーなベルリンフィルが比較対象だとやはり分が悪いです。そうは言っても木管、特にオーボエはいつもにも増して気合が入っており、たいへん素晴らしい仕上がりでした。

終楽章で緑のドレスに着替えて再登場したクロウは、先のシュトラウスとは違い楽譜を持ちながらの歌唱。指揮者と独唱者が楽譜を見るか見ないかのパターンが、シュトラウスとマーラーで逆になっていたのが興味深かったです。とは言え、クロウはマーラーに自信がないということではなく(慣れてはいないのかもしれませんが)、シュトラウスのときにも引けを取らない、隙のない安定した歌唱で、表情を含め、感情の乗せ方も説得力があり良かったです。10年以上のインターバルを置いて再びロンドンで演奏会通いをする機会に恵まれ、かつては新興勢力の若手だった人がこうやってベテランの域に達し堂々とした熟練を見せてくれるのは、何とも嬉しいと同時に、嗚呼、時間は躊躇なく流れていくのだなと、しみじみ思います…。


PROMS 2026 ブッキング2026/05/16 23:59

BBCプロムスのチケット購入バトルを久々に体験しましたので記録として残してきます。システムは以前と変わらず、スケジュールが公開されたら(今年は4/21)買いたいチケットのランクと枚数をProms Plannerにあらかじめ入力しておき、販売開始以降にそのデータからスムースに購入を進める、というものです。ただし、チケット代が昔と比べると鬼のように値上がりしており、音響最悪クソホール(失礼)のくせに、格安で聴ける席がもはや存在しません…。

販売開始は5月16日土曜日の9時からだったのですが、8時15分までは準備のためサイトがクローズ、8時15分から「Holding Room」が開くのでそこで待機して、9時ジャストになったら「Waiting Room」へ自動的に導かれる、ただし順番は先着順ではなく抽選で決まる、ということでした。まず、8時15分になってアルバートホールのサイトをクリックしても同じ「準備のためサイトがクローズ」警告ページが出るだけで、何度押してもダメ。結局、Waiting Roomに入るために何度もクリックを繰り返していた昔と状況は変わらず、8時32分にようやくHolding Roomに繋がりました。そこから28分待ってWaiting Roomに移行し、待ち時間が表示されるのですが、12600人超のキュー、more than one hourと出ました…。ウヒョーとのけ反りましたが、後から入った人はキューの最後から並ぶ、とも書いてあったためサイトに繋ぎ直すという手もなく、一般人として最大限努力した結果がこれなら、待つより他ありません。

過去、2010〜2012年にかけてプロムスチケットのブッキング状況をブログに残していたのでそれを見返すと、当時も販売開始時刻からマウスクリックを繰り返していましたが、遅くとも10分以内にはWaiting Roomに繋がっていましたし、そこからのキューもせいぜい1000〜1500人くらいのレベルだったので、30分以内には購入が完了していました。それが今回、キューは9時前から待機していたにも関わらず10倍に伸びているし、チケット購入までたどり着いたのも結局10時30分でしたので、最初の列順を決める抽選で運が悪くほとんど最下位だったのか、それともこの15年の間に何か大きな変化点があったのか…。

・プロムス人気が昨今爆発的に増大した?(でも今年は正直去年より見劣りするラインナップだしな〜)
・AIボットによる高速チケット購入メソッドが存在し、それを使うのが当たり前になっている?(う〜む、だったら太刀打ちできない…)
・Holding Roomのシステムが機能していない?(サイトが落ちたりはしなかったので、まあ現状でこれが最善なんでしょうけど)
・単に今年は運気が最悪だっただけ?(そうかもしれないが、来年はましになる保証は何もない…)

全体的にチケットが高く、このホールの演奏会にそんな大枚をはたきたくないので、今回はラストナイトの抽選に参加できる最低条件の5回の演奏会に厳選し、それは何とか確保できたので良かったのですが、高人気が予想された演奏会は希望通りのチケットが取れず、2ランクも上の席になってしまいました。まあ、チートもハックもなしで正攻法で挑んだ結果がこれなので仕方がありませんし、今後も状況が改善されることはないでしょうから、プロムスはお祭りだからこんなもの、と諦めるしかありませんね。

ロンドン響/パッパーノ/コジュヒン(p):鎮魂、不安、悲愴の時代2026/05/10 23:59



2026.05.10 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra & Chorus
Denis Kozhukhin (piano-2)
1. Britten: Sinfonia da requiem
2. Bernstein: The Age of Anxiety (Symphony No 2) for piano and orchestra
3. Tchaikovsky: Symphony No 6, ‘Pathétique’

「交響曲」が3つ並ぶ、何とも暗くて重いプログラムです。最初の「鎮魂交響曲」は、皇紀2600年奉祝曲として日本政府から当時の友好国に向けて発注された委嘱作品になるはずが、様々な理由によりお蔵入りしてしまった曰く付きの曲です。前回実演を聞いたのはちょうど10年前、2016年のインバル/都響で、あらためて気づいたのですがこのときのメイン曲はバーンスタインの交響曲第3番「カディッシュ」でした。ブリテンとバーンスタインのカップリングは今日の演奏会と同じですが、まあこれは単なる偶然かと。さて本日のパッパーノ指揮による「鎮魂交響曲」は、終始繊細かつ大胆でドラマチックな演出が施された、激しいレクイエムでした。フィルハーモニアのアンディ・スミスさん引退後にロンドンのクセ強ティンパニストといったらこの人、ナイジェル・トーマスさんが両手で叩き込むティンパニは相変わらず説得力のある良い音でした。しかしこの曲、編成も大きいしかなりの難曲なので、一定以上のクオリティで演奏するのは作曲された当時の日本のオケに可能だったのかどうか。結局皇紀2600年奉祝曲としては演奏されず、日本初演は戦後1956年になってから、ブリテン本人がN響に客演しての機会だったというのが意味深です。

続くバーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」は、実質的にはピアノ協奏曲として扱われますが、バーンスタインの交響曲に共通する傾向として、彼のミュージカル作品から期待される明るいエンターテインメントからほど遠い、クソ真面目に小難しく地味な曲というイメージが拭えません。特にこの曲は普通の三管編成でそんなに大規模ではなく、意外にもサキソフォーンが先のブリテンでは使われていたのにこちらのバーンスタインでは排除されているという不思議。前回実演を聴いたのは2018年のヴォルコフ/読響、ピアノは河村尚子でした。今日の演奏会、元々はイタリア人のベアトリーチェ・ラナがソリストとしてアナウンスされていたものの、妊娠・出産のため代役でロシア人のデニス・コジュヒンの登場となりました。コジュヒンはちょうど2年前に沖澤/N響の演奏会でラヴェルの「左手のための協奏曲」を聴いていますが、左手の技術が非常に卓越しているのはわかりました(笑)。やっと聴ける両手でのヴィルトゥオーソ演奏はいががなものかと期待したところ、ピアノコンチェルト的性格が強いとは言え派手な見せ場があるわけでもないこの曲で、前面に飛び出ることなくオケと一体化しつつも、ピアノソロの役割を過不足なく果たすかっちりとしたピアノでした。もちろんこれはパッパーノとの競作でもありますし、他の曲だったらどうかわからないのですが、色がないけど安定感は抜群の、音楽家に信頼される音楽家、という感じがしました。終盤に突然ジャズが乱入してくる「仮面舞踏会」は、全然ノリノリではなく、オケもピアノもあえてジャジーな雰囲気を封印し、まるでショスタコーヴィチのスケルツォ楽章のような諧謔性だけ残したように聴こえましたので、ジャズができなかったのではなく、やらなかったのだと理解しました。最後に向けてオケを解放し慣らし切ったパッパーノとLSO、苦悩から始まり救いで終わる充実感を十分に味わえました。コジュヒンのアンコールもやはり地味な曲で、この曲はもしや2年前と同じ曲ではと思ったら、やっぱり同じくチャイコフスキーの「教会にて」という小品でした。よほどのお気に入りなのでしょう。

なお余談ですが、コジュヒンは楽譜にタブレットを使用していました。10年くらい前から特にピアニストで紙の代わりにタブレットを使う人がちらほら増えてきたように思いますが(他のソリストはそもそも暗譜が多い)、一方で指揮者やオケの各奏者でタブレットを見ることはまだなく、電子化までの道のりはなかなか遠いように思いました。いずれは電子化されるとは思いますが、その時はもはやタブレットではなくスマートグラス、あるいは今では想像つかない革新デバイスになっちゃうのかもしれません。

前半の2曲がどちらも暗く陰々滅々と始まり、最後は救いで終わるのに対し、本日のメイン「悲愴」はそのパターンを裏切るチャレンジングな曲(だった、少なくとも作曲当時は)と言えるでしょうか。先の第4番を聴いたときにも感じたのですが、パッパーノのチャイコフスキーはかつてのベルカント的でメランコリックなアプローチが影を潜め、かといって即物的とまでは言いにくい中庸寄りの「いい感じ」な進行になっています。湿度の高い粘りを見せるでもなく、第3楽章までは淡々キビキビと進み、そこにクライマックスを持ってくるかのような造形は、まさに前半の2曲の進行をなぞるような感じになっていて、馬力抜群で機能的なLSOの演奏と相まって大いに盛り上がったのですが、これは危ないぞと思っていたら、案の定、第4楽章が始まる前に拍手とブラヴォー。やはりこの箇所で緊張感を保ったまま継続するのは至難の技のようですが、それにしてもブラヴォーは要らんぞ。気を取り直して開始した最終楽章、ここでパッパーノは突然ギアチェンジして、思い入れたっぷりにきめ細かくフレーズを紡いでいきます。テンポは相変わらず速めですが、歌わせ方がいちいち濃い。ダイナミクスも気にせず、弱音なしで泣きを入れてきます。第3楽章がクライマックスと見せかけて、第4楽章で別世界の極限を見せる、なかなか面白いアプローチだと思いました。死を暗示する終盤近くの銅鑼の弱い一撃、ベテランのニール・パーシーが絶妙の音量、タイミングで鳴らしたのも非常に良い感じでした(たった一発だけの出番ですが、銅鑼という楽器の特性もあり、これとっても難しいんですよ)。

パッパーノの「マカロニ・チャイコ」シリーズと私が勝手に呼んでいる後期交響曲の連続演奏会は、13年前には4番、5番を聴けてこの第6番だけ聴き逃したのですが、今シーズンはすでに第4番を聴いたので、あとは来シーズンの第5番を残すのみです。ただ、他の演奏会と日程が被っていたりして、さてどうしたもんかと思案中です。

ベルリンフィル/ペトレンコ/G.カピュソン:引き締まった至高のアンサンブル2026/05/02 23:59



2026.05.02 Musikverein, Grosser Saal (Vienna)
Kirill Petrenko / Berliner Philharmoniker
Gautier Capuçon (cello-2)
1. Stravinsky: Pulcinella Suite
2. Tchaikovsky: Variations on a Rococo Theme
3.  Beethoven: Symphony No. 2 in D major, op. 36

同じ日にウィーンフィルとベルリンフィルを連続して、しかも楽友協会で聴くという究極のダブルヘッダー。マチネのマーラー3番がウィーンフィル渾身のパワープレイだとすれば、こちらは引き締まった編成と機能性で聴かせるプログラム。ベルリンフィルは前日の5月1日にエステルハージ宮(アイゼンシュタット)のハイドン・ホールで恒例のヨーロッパ・コンサートを行っており、その勢いのままウィーンへ乗り込んできた形になります。何より、ようやくペトレンコ指揮の新生ベルリンフィルを生で聴けるのが嬉しい。

1曲目「プルチネッラ」組曲は、好きな曲ですが実演で聴ける機会が珍しく、2年前のパシフィックフィル東京でようやく聴けて以来ですが、まさかベルリンフィルで聴けることになるとは夢にも思わず。オーボエ、フルート、ファゴット、ホルンが各2、トランペットとトロンボーンが各1にヴァイオリン3プルトの弦五部というミニマムな2管編成は、アンサンブルの精度は言うまでもなく、磨き抜かれたベルリンフィルの上澄みだけを掬い取ったような極上シルキーの響き。管楽器のソロは一つ一つが驚くほど巧く、フレーズの仕舞い方、音の立ち上がり、ちょっとしたニュアンスまでいちいち神経が行き届いており、小編成だからこそ個々の技量が際立っていました。ただ、トップ奏者の上澄みだけで勝負するなら他の一流オケもそこそこ負けていない気はするので、この段階ではまだ「ペトレンコの仕事」がどこにあるのかは掴みきれず。

続く「ロココ変奏曲」ではヴァイオリンが4プルトに少し増えました。チェロ独奏のゴーティエ・カピュソンは、著名なヴィルトゥオーソ・ヴァイオリニスト、ルノー・カピュソンの6歳下の弟。ルノーは2012年にロンドンで一度聴いていますが、ゴーティエは初めてです。見るからに伊達男然としたイケメンですが、外見だけではもちろん終わりません。チェロの音色が素晴らしいうえに、舞台後方のバルコニー席にも驚くほどよく届きました。繊細に歌う瞬間から、芯の強いフレーズを大きく描く場面まで、変幻自在の表現力。最前列にいた母子連れが、幸福そうな笑みを浮かべながら食い入るように見つめていたのが印象的でした。まさに色気ダダ漏れの「女殺し」チェロ。


アンコールではベルリンフィルのチェリスト4人を従え、祈りを思わせる静かな小品を演奏。スマホの翻訳機能を使ってたどたどしくドイツ語で曲の説明をしていたのですが、もちろん聞き取れず。前日のヨーロッパ・コンサートと同じだとすれば、カタルーニャ民謡「エル・カント・デル・オセルス」をパブロ・カザルスがチェロ合奏用に編曲したバージョンのようです。なおアンコールの最中にパルテレ席で倒れた人が出て、6人がかりほどで運び出される騒ぎがあってちょっと騒然としました。

後半のベートーヴェンではヴァイオリンが5プルトと、編成が徐々に増えました。以前一度だけ本拠地のフィルハーモニーでベルリンフィルを聴いた際の演目が同じ交響曲第2番で、不思議と縁があります。演奏は実にキビキビとして質実剛健。高速テンポでも全く乱れないベルリン・フィルの弦の強さを堪能しました。ピリオド奏法寄りではないものの、贅肉を徹底的に削ぎ落としたスマートなベートーヴェン。この曲でようやくティンパニが登場。若い奏者が手巻き式の楽器を硬いウッドのバチで鋭く叩き込む、その音が実に痛快でした。

見る限り、ペトレンコは終始にこやかな表情で指揮をしているのですが、そこから出てくる音楽は極めてストイック。どこか鬼軍曹のような緊張感があり、オーケストラを一切緩ませない凄みを感じました。今年の1月には、今日のプログラムとは対極とも言えるマーラー「千人の交響曲」を取り上げていて、一体どんな演奏だったのだろうかと非常に気になっております…。夏にはBBCプロムスに出演するので、ロンドンでまた聴ける機会を楽しみにしております。



ウィーンフィル/ネルソンス:渾身のパワープレイ、マーラー交響曲第3番2026/05/02 23:59



2026.05.02 Musikverein, Grosser Saal (Vienna)
Andris Nelsons / Wiener Philharmoniker
Wiebke Lehmkuhl (alt)
Damen des Singvereins der Gesellschaft der Musikfreunde in Wien
Wiener Sängerknaben
1. Mahler: Symphony No. 3

この「ベートーヴェンの散歩道」音楽祭にはサイモン・ラトル、パーヴォ・ヤルヴィ、藤田真央、ロウヴァリ、パッパーノ/LSOなど多彩な顔ぶれが出演していましたが、この日のウィーンフィル&ベルリンフィル・ダブルヘッダーがおそらく一番の目玉だったかと思います。折しもゴールデンウィークなので、楽友協会のロビーには日本人の姿が目立ちました。自分自身ここへ来るのも随分久しぶりで、2012年のちょうど今ごろ、ウィーン家族旅行のついでにリンツ・ブルックナー管を聴いたのが最後です。ウィーンフィルを前回聴いたのは2017年ですが、このときの会場はコンツェルトハウスのほうでした。楽友協会ホールでウィーンフィルを聴いた機会となると、2003年のヤンソンスまで遡らないとなりません。


冒頭、9人のホルンによるユニゾンが鳴った瞬間に、もう完全に持っていかれました。滑らかで艶のある響き、豊かな音量と圧力感、それでいて決して粗くならない音。楽友協会の残響も相まって、「これぞウィーンフィル」と言いたくなる世界が、最初の一撃で現れました。金管がとにかく素晴らしかったです。トランペットのトップは若い奏者でしたが、技術的な不安など微塵も感じさせない完璧な吹奏。トロンボーンも単に豪快なだけではなく余裕をもって歌っているのがニクい。第3楽章の舞台裏からのポストホルンも見事で、終演後のカーテンコールで姿が見えなかった気がしますが、今日イチ拍手ものでした。弦もまた圧巻で、繊細極まりない弱音のコントロールから、全奏で最大音量まで達しても決して崩れない統率感まで、まさに極上のアンサンブルでした。その中でもコンサートマスターの音は突出して輝いており、アンサンブルの中から自然に浮かび上がるソロが至極でした。

ネルソンスの指揮は、師匠のヤンソンス譲りと思わせる、オーケストラに余計な細工を施すのではなく、とびきり上質な楽器を大らかに、存分に鳴らし切る方向の音楽作り。その一方で、この巨大な曲を最後まで弛緩させず、最大音量へ向かうペース配分とバランス感覚はさすがでした。特別に遅いテンポという印象はありませんでしたが、気がつくと演奏時間は優に100分を超えていました。

メゾソプラノのレームクールは2016年の東京・春・音楽祭「ジークフリート」でエルダを歌っていました。野太いが決して濁らない美声で、ホールの隅々までよく届いていました。楽友協会合唱団の女声合唱も舞台後方からオーケストラに美しく溶け込み、響きに自然な厚みを与えていました。一方のウィーン少年合唱団はオルガン前に配置。よく考えると、ウィーン少年合唱団は新婚旅行でミサを見に行ったとき以来かもしれない。今のメンバーは半分近くがアジア系の子どもたちに見え、時代の変化を感じます。対照的に女声合唱のほうはほとんど白人系でした。

全体を通して、腐すところが全く見当たらない好演。ウィーンフィルが本気で繰り出すパワープレイを真正面から浴びた感覚でした。しかし終演後のフライングブラヴォーは、もうちょっと待てないものかねえ。ネルソンスとウィーンフィルはマーラーの交響曲全曲録音を進行中で、この日もいっぱいマイクが立っていましたので、録音が発売されるならぜひ手元に置いておきたいです。

ウィーン国立歌劇場/ヴァイグレ/フリードマン:分身と仮面の「サロメ」2026/05/01 23:59



2026.05.01 Wiener Staatsoper (Vienna)
Sebastian Weigle / Orchestra of the Vienna State Opera
Cyril Teste (director)
Gerhard Siegel (Herodes), Monika Bohinec (Herodias)
Lidia Fridman (Salome), Tomasz Konieczny (Jochanaan)
Daniel Jenz (Narraboth), Isabel Signoret (Page)
Thomas Ebenstein (1st Jew), Andrea Giovannini (2nd Jew)
Carlos Osuna (3rd Jew), Hiroshi Amako (4th Jew)
Evgeny Solodovnikov (5th Jew), Michael Wilder (Cappadocian)
Attila Mokus (1st Nazarene), Jusung Gabriel Park (2nd Nazarene)
Simonas Strazdas (1st soldier), Dohoon Lee (2nd soldier)
Wolfram Igor Derntl (slave), Pablo Delgado Flores (executioner)
Benedikt Missmann (performing videographer)
Katarina Klimaschka (little Salome)
Eliska Smatralova (little Salome - dance/video)
1. Richard Strauss: Salome (music drama in one act)

久々にウィーンへ小旅行でもと演奏会スケジュールを調べていたら、ちょうど4〜5月に楽友協会で「ベートーヴェンの散歩道」と称する音楽祭が開催されるのを発見、スケジュールを見ると垂涎の演奏会が目白押しの中で、特に5月2日はマチネにウィーンフィル、ソアレにベルリンフィルという仰天のダブルヘッダーがありました。その前後の国立歌劇場をチェックすると、ちょうど前日の5月1日に「サロメ」の初日があり、ちょいと詰め込み過ぎとは思いましたが、これはもう行くしかないと即決しました。

ウィーンにはそれこそ30回以上は来ているのですが、前回訪れたのは2018年の出張時なのでもう8年も経ちました。オペラに合わせて旅程を組むのはなかなか難しくて、国立歌劇場の中に入るのは20年ぶり、メインの劇場でオペラを見るのは2003年の「ワルキューレ」以来になります。

元々声楽入りの曲がそんなに得意ではなく、オペラの長さも体質に合わない私にとって「サロメ」は数少ない「好きなオペラ」です。約100分という「サロメ」の上演時間が自分の中の一つの基準になっていて、これより長いオペラ(著名なオペラは大概そうですが)はその長さゆえに観ること自体が苦痛を伴うので、よほど体調を整えて臨まないと心から楽しむことができないのが正直なところ。どこでも毎シーズンやっているオペラではないので、過去はブダペスト、ロンドンでそれぞれ1回ずつ観ただけで、劇場で観るのはこれが3回目です。誰が興味あんねん、と自己ツッコミをしつつ、そういえば過去に3回以上生演をリピートで観ているオペラって(ライフワークとして追いかけている「青ひげ公の城」は除き)何かあっただろうかと記録を探してみると、「魔笛」を5回、「マイスタージンガー」、「ばらの騎士」、松村禎三「沈黙」をそれぞれ3回観ていました。どれも「サロメ」より全然長いオペラながら、家族で観に行って楽しめるというのが共通点かと(「沈黙」はまあちょっと微妙ですが)。

やっと本題、まずは音楽的なところから感想を書きますと、何といってもセバスティアン・ヴァイグレのタクトの下、オケ(ほぼウィーンフィル)の演奏が最高に良かったです。元々が弱音欠如型の指揮者であるヴァイグレは、初日ということもあってか手加減なしでオケを鳴らしまくり、ホール特有の包み込むような残響も相まってウィーンフィルの豊潤な音が常に前面に立ち、歌手勢は割りを食ったかもしれません。弦も管もさすがノーミスなうえに音色がいちいち素晴らしいので、私のようなオケフリークはどうしてもそちらに意識を引き寄せられます。2019年から読響の常任指揮者に就いているヴァイグレさん、2023年と2024年にどちらもロシアもの中心のプログラムを東京で聴いています。読響ではツボを押さえて音厚めにまとめるドイツ職人の手腕を大いに発揮しつつも、野心や冒険はなく、キャリア的にすでに余生を送っているような達観モードに見えたのですが、やはりこの人は生来がオペラ指揮者であり、歌劇場では水を得た魚のようにイキイキとした音楽を導き出す、まだまだ現役バリバリだなと再認識しました。

主要キャストの歌手も総じて文句のつけようがない、素晴らしい歌唱でした。タイトルロールを歌ったロシア人ソプラノのリディア・フリードマンは、まだ30歳という若さながらも落ち着いた歌唱とエキセントリックな絶叫の両方を行き来できる技量を持ち、ちょっとクセあり系ですが恵まれた美貌もあって、サロメはハマり役と見ました。キャストでこれまで聴いたことがあったのは、ヘロデ役のゲアハルト・ジーゲルが過去3回、2006年ギーレン/南西ドイツ放送響のブダペスト公演「グレの歌」で道化クラウス役、2010年ロイヤルオペラの「サロメ」で同じヘロデ役、2016年東京・春・音楽祭の「ジークフリート」でミーメ役と、三カ国それぞれで遭遇していました。ハゲ親父の見た目からは想像つかない美声の持ち主です。あと、ヨカナーン役のトマシュ・コニエチヌイは過去5回、2010年のBBCプロムス・ファーストナイトのマーラー「千人の交響曲」、2013年のハンガリー国立歌劇場「アラベラ」でマンドリーカ役、2014年「ラインの黄金」、2016年「ジークフリート」、2017年「神々の黄昏」、いずれも東京・春・音楽祭のワーグナー・リング・シリーズでは一貫してアルベリヒ役を歌っていました。こちらも三カ国またがって聴いており、あらためて東京・春・音楽祭は第一線級の歌手を集めていたのだなということを認識しました。

「サロメ」はもちろんドイツ語の歌詞ですが、この歌劇場の手元字幕表示は日本語もあったのが非常に助かりました。大きめのフォントで文字数少なく表示された日本語字幕は、だいぶ内容を端折っているとは思いますが、表意文字中心なのでビジュアルの認識だけで速やかに意味が頭に入ってくるのが良いです。これが英語字幕だと「読む」という行為をしないと、なかなかパッと見だけでは意味がつかみにくいことが多いため、注意散漫になってしまうのが嫌で、結局字幕は捨てて舞台上に集中することになるので字幕の恩恵がありません。

フランス人舞台監督のシリル・テステによる演出は、古代イスラエルから第二次世界大戦中くらいに時代が置き換えられており、これは2010年にロイヤルオペラで見たマクヴィガー演出と同じで、まあありがちな読み換えかと思いました。ユニークだったのは、記録フィルムを撮影しているという設定で、手持ちカメラの映像がそのまま舞台後方のスクリーンにライブで大映しされていたのがまさにドームコンサートの巨大ビジョンのように、オペラグラスでも見えない細部がよく見えたので、これは良かったです。

長くカールしたブロンドヘアに純白のドレスを纏ったサロメには、髪型、衣装を寄せた少女の分身が途中出てきて踊ったり一緒に絡んだりします。少女サロメがいろいろ動いている間、サロメ本人は舞台袖のほうでじっとして歌だけ歌っているような時間も多々ありました。上演中は気づかなかったのですが(だってよく似てるんだもの)、カーテンコールの際に分身の少女は二人いたことがわかり、軽くショック。てっきり、現在の狂気のサロメと無垢なころの少女サロメを対比させ、二面性を表現する演出と思ったのですが、ことはそう単純ではなかったようです。うーむ、奥が深すぎて難しい。見せ場の「7つのヴェールの踊り」では、サロメと少女が一緒に踊るのですが、人を楽しませる踊りと言うよりも内面感情の吐露の振り付けで、しかも二人とも身体が硬そうで動きがぎこちないうえに、ダイニングテーブルの上に乗ったりするものだから、危なっかしくてヒヤヒヤしました。実際、テーブル上のホイップクリームを舐める場面で、クリームが吹っ飛んで髪にべったりとついてしまっていたのは、狙ったのではなく事故だったのかなと。

歌わない重要キャストである処刑人は、若くて目つきが鋭いラテン系のイケメン。クライマックスで、エプロンを血に染めて持ってきたヨカナーンの首は、生首ではなく顔だけの仮面になっており、しかも歌手に寄せて作り直している感じはしない、使い回し可能な汎用小道具の扱いでした。サロメがその仮面を処刑人に被せて一緒に踊ったりするのですが、これは初めて見る演出で、なるほどこれなら処刑人がイケメンの必要がありそうです。ただ、この段階でヨカナーンが自分の足で地に立っている意味は何だろうかと疑問です。また、最後は仮面を銀のトレイに乗せて、地面に置いてキスしまくるのですが、ストールからは単純によく見えないのと、それだったらやっぱり生首のインパクトには敵わないなあと感じ、この演出のコンセプトが今ひとつ理解できませんでした。徹底的に血みどろなマクヴィガー演出を、また見たくなりました…・。


フィルハーモニア管/ロウヴァリ:ヘヴィメタルと管弦楽の饗宴2026/04/22 23:59



2026.04.22 Royal Festival Hall (London)
Forged in Sound: Heavy Metal Orchestrated
Santtu-Matias Rouvali / The Philharmonia Orchestra
Zsolt-Tihamér Visontay (solo violin-13)
Mr Lordi (from Lordi, vocal-5, 16)
Alison Mosshart (from The Kills, vocal-7, 10)
Suzi Quatro (vocal-3, 12)
Marzi Nyman (guitar), Pete Friesen (guitar)
Jonathan Noyce (bass), Hayley Cramer (drums)
1. Wagner (arr. Iain Farrington): Ride of the Valkyries from Die Walküre
2. Metallica (arr. Iain Farrington): Orion
3. Suzi Quatro/Mike Chapman & Nicky Chinn (arr. Fiona Bryce): Can the Can
4. Shostakovich: Allegro from Symphony No.10 in E minor
5. Metallica (arr. Fiona Bryce): Enter Sandman
6. Daniel Nelson: Steampunk Blizzard
7. The Kills (arr. Fiona Bryce): Doing It To Death
8. Mosolov: The Iron Foundry
9. Holst: Mars, the Bringer of War from The Planets
10. Motörhead (arr. Fiona Bryce): Ace of Spades
11. Mahler: Excerpt from Adagietto from Symphony No.5
12. Guns N' Roses/Bob Dylan (arr. Fiona Bryce): Knockin’ on Heaven’s Door
13. Led Zepplin (arr. Jaz Coleman): Kashmir
14. Vivaldi (arr. Iain Farrington) Presto from Summer from The Four Seasons
15. Saint-Saëns (arr. Iain Farrington): Finale from Symphony No.3 in C minor (Organ)
16. Mr Lordi (arr. Marzi Nyman): Hard Rock Hallelujah

このコンサート、通常の定期演奏会とはチケット発売日も違っていて、特別演奏会のような位置付けで「Into The Void」という仮タイトルと、ヘビーメタルとオーケストラの融合を目指すらしいということ以外は出演者含め詳細が全く分からないながら、なんだか面白そうなので渡英前からチケットを買っていたものです。「Into The Void」というからにはブラック・サバスを軸にした70年代のハードロック中心の選曲で、願わくばオジー・オズボーンにも登場いただいて、という企画が当初のプランAだったのだと想像しますが、残念ながらオジーは昨年7月に亡くなってしまいましたので、急きょプランB以降をバタバタと調整した結果、Mrローディ、スージー・クアトロ、ザ・キルズのアリソン・モシャートの3ヴォーカルをゲストに迎えて、タイトルも「Forged in Sound」に変更されたのだと思います(これも全く個人の想像ですので事実は知りません)。ヘビーメタルと謳ってはいますが、Mrローディ以外の二人はパンクとかインディーズの文脈の人であって、ゲストの選定にだいぶ苦労の跡が感じられたのと、本人たちの心情としてもヘビメタと一緒くたにされるのはちょっと不本意なのでは、と心配してしまいました。

ホールに入ると照明が暗く、アンプ、PAが設置され、最後段にはアクリル板に囲まれたドラムセット、のっけから違う雰囲気です。客層も、ヘビメタTシャツに革ジャン、ピアスにアクセサリじゃらじゃらといった、いつもとは違う出立ちの人々がやっぱり多いなと思っていたら、登壇したオケメンバーも皆さん同じようにラフな格好。真面目なカタブツだと思っていたコンマスのジョルト氏も、レッド・ツェッペリンのTシャツに革ジャンを羽織り、右目には縦線のピエロメイクをしています。

本日のプログラムは多数の多彩な曲が用意されていますが、合計16曲のうち、純粋なオーケストラのレパートリーは以下の5曲。
・ショスタコーヴィチ:交響曲第10番から第2楽章アレグロ
・ネルソン:スチームパンク・ブリザード
・モソロフ:鉄工場
・ホルスト:組曲「惑星」から「火星」
・マーラー:交響曲第5番から第4楽章アダージエット(抜粋)

以下5曲はオーケストラとバンドの共演のための編曲。
・ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」から「ワルキューレの騎行」
・ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲集「四季」から「夏」第3楽章プレスト
・サン=サーンス:交響曲第3番「オルガン付」からフィナーレ
・メタリカ「Orion」(1986)
・レッド・ツェッペリン「Kashmir」(1975)

あとは出演ヴォーカリストそれぞれの持ち歌と、ヴォーカルを取ったカバー曲。
・スージー・クアトロ「Can The Can」(1973)
・ガンズ・アンド・ローゼズ(原曲はボブ・ディラン)「Knockin’ on Heaven’s Door」(1990)
・ザ・キルズ「Doing It To Death」(2016)
・モーターヘッド「Ace of Spades」(1980)
・ローディ「Hard Rock Hallelujah」(2006)
・メタリカ「Enter Sandman」(1991)

今日の席は目の前にPAスピーカーがあって、そのおかげで音がうるさ過ぎた、ということはないのですが、特にオーケストラだけの曲では目の前の楽器の生音と、遠くにあるはずの楽器のスピーカーを通した痩せた音が有無を言わさず至近距離から同時に耳に入ってきて、非常に違和感がありました。PAを通して聴こえる弦楽器の音は実際の生音よりも荒れて汚く聴こえるため、オーケストラの演奏会という視点に固執すればせっかくのフィルハーモニア管の潤いある弦楽が台無しだったと言わざるを得ませんが、まあ今日の趣旨では仕方がないことです。あとは、オーケストラとヘビメタバンドの融合とはいっても、バンドがガッツリ入ってくるとオケのほうは結局あってもなくても大差ない音場になってしまって、やっぱりこの二つは水と油、融合させるアレンジはストレートにやっても難しいなという認識を深めました。そんな中でも最後のサン=サーンス「オルガン付」はパイプオルガンの迫力とブラスの音圧がバンドサウンドに対抗し、相乗効果でたいへん良い感じに共鳴していました。あと、Heavy Metal(重金属)の関連でForge(鍛造する)という聞きなれない用語をタイトルにした都合からか、後から追加されていたモソロフの管弦楽小品「鉄工場」は、まさに鋳造炉の騒音をそのまま楽譜にしたようなソリッドな描写音楽で面白かったです。同時代のオネゲル「パシフィック231」もコンセプトとしては同系列かと思いますが、重工業の隆盛にインスパイアされた、その前の時代にはなかった当時の前衛音楽かと思いました。

ヘビメタ系だとライブハウスでよくあるような耳がジンジンするほどの音量では全くなかったのですが、それでも楽団員の半数近くは耳栓型のワイヤレスイヤホンをしていて、いくらアクリルの衝立があるとはいえ真横でドラムやギターを鳴らされたら繊細な聴力がダメージを受けかねませんので、やはりそのへんはプロの演奏家、ご自身の耳を守る配慮はされているようでした。そういえばLSOの打楽器首席奏者、ニール・パーシーが珍しくトラで加わっていましたが、密閉型のヘッドフォン(多分耳栓代わり)をしながら淡々とシンバルを叩いてたりして、見た限りあまり楽しそうではない様子で、特に複雑な仕事を任されているでもなく、何でわざわざトラを引き受けたんだろうと疑問に思いました。

正直なところ、ローディ、ザ・キルズ、スージー・クアトロのいずれも自分の視野に入ってなかったミュージシャンにつき、思い入れ溢れる感慨はないのですが、皆さんそんなに若くはないはずなのにパフォーマンスはまだまだ現役バリバリの活力とオーラが出ていました。スージー・クアトロなんかもう75歳ですが、ステージに立つと「おばあちゃん感」を見せないしゃきっとした立ち姿で、先月見た同世代にあたる高中正義バンドの人々の元気溌剌ぶりが頭でカブリました。今日歌っていたセカンドシングルの「Can The Can」は1973年、スージーが22、3歳のときの曲ですから、50年以上の時を経て今なおステージでこれを歌っているバイタリティは率直に凄いです。なお、後から追加で発表された「Kashmir」は誰が歌うんだろうと思っていたら、コンマスのジョルト氏が立ち上がり、ヴォーカルの代わりにソロヴァイオリンでテーマを弾くという趣向でした。なるほど、それでツェッペリンTシャツだったのか。

バンドメンバーは、リードギターのハゲ親父、マルツィ・ナイマンが良かったです。プロフィールを見ると、クラシックからジャズ、ロックまで幅広く対応し、作曲も手掛けるマルチ・タレントですが、ギターが本当に好きなんだなと見て取れるプレイは好感が持てました。この人とMrローディはフィンランド人なので、ロウヴァリの同郷人脈から連れてきたのかもしれません。もう一人のギター、ピート・フリーゼンはアリス・クーパーやブルース・ディッキンソンと、ベースのジョナサン・ノイスはゲイリー・ムーアとそれぞれ共演歴があるようで、ドラムのヘイリー・クレイマーもプロバンド活動を続けているミュージシャンたちですが、今日のプレイでは可も不可もなく、まあ普通の演奏でした。長いブロンドヘアのスレンダーマッチョウーマン、ヘイリーには期待していたのですが、残念ながら自分の席からほとんど姿が見えませんでした・・・。

アンコールは(楽譜を覗き込むと)「She Sells Sanctuary」というイギリスのオルタナ系ハードロックバンド、ザ・カルトの1985年の曲を、ヴォーカル抜きのインストアレンジでやりました。渋すぎる選曲ですが、イギリス人には知名度の高い曲なんでしょうか?

このようなある意味イロモノ企画は、クラシックとヘビメタのどちらも通った自分的には非常に興味深く楽しいひとときではありました。と同時に、バンドとオーケストラの共演の難しさもひしひしと感じました。人選、選曲、アレンジ、PAスタッフ等、準備に膨大な労力をかけたと想像されるこのコンサート、同じものは多分二度とない、貴重な体験でした。

以下はローディのインスタグラムから引用。


ロンドン響/パッパーノ:管弦楽と合唱の劇的な融合、「ゲロンティアスの夢」2026/04/19 23:59



2026.04.19 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra & Chorus
Emily D’Angelo (mezzo-soprano)
David Butt Philip (tenor)
William Thomas (bass)
1. Elgar: The Dream of Gerontius

名前だけは知っていたものの内容は全く知らなかったエルガー「ゲロンティアスの夢」は、世界三大オラトリオの一つと言われ(他の二つはヘンデル「メサイア」とメンデルスゾーン「エリヤ」とのこと)、日本で聴ける機会は少ない一方で(というのが通説ですが調べてみると去年は大フィル、今年は読響が取り上げているので最近増えている?)ここ英国では頻繁に上演されているので、声楽曲は苦手ながら今のうちに一度は聴いておこうと思い立ちました。

馴染みがないうえに苦手分野なので薄い感想文になってしまうのはご容赦。冒頭のワーグナーを彷彿とさせる前奏曲から、主人公の老人ゲロンティアスが死の恐怖を切々と語り祈る第1部、死んで魂となったゲロンティアスが天使の導きで悪魔の誘惑を跳ね除け、天使のしもべたちの歌声によって浄化され成仏?するまでを描いた第2部まで休憩なしの90分に渡る長丁場でしたが、パッパーノのドラマチックで飽きさせない渾身の指揮と、終始集中力をもって最後まで気を抜かないLSOの熱演が、相乗効果でたいへん壮大かつ感動的な音響空間を生み出していました。パッパーノは、正直な感想として時折「既に第一線を退いた余生モード」を醸し出していて、通俗名曲をただ流しているだけに見えるときもあるのですが、今日はちょっといつもと違うシリアスさがありました。また100名を超えるシンフォニーコーラスが、とことん美しい弱音と迫力のフォルテのコントラストが非常に素晴らしかったです。

ソリストは、主役ゲロンティアスを歌ったテナーのディヴィド・バット・フィリップ、ロンドンと東京で過去に何度か聴いていて、毎回同じ感想を持つのですが、美声と声量を持っているので朗々と歌うときは良いものの、繊細な歌唱にはちょっと弱いんじゃないかと。出ずっぱりなのでたいへんかとは思いますが、この曲の大部分を占める不安な感情を歌う場面で、不安の表現だからという以上に歌が不安定になりすぎる箇所がいくつかありました。対するバスのウィリアム・トーマスとメゾソプラノのエミリー・ダンジェロは、どちらも初めて聴く人でしたが、出番が少ないこともあり余裕を持って文句のつけどころのない立派な歌唱を披露。天使というと普通は「天使のソプラノ」というイメージが蔓延していますが、ダンジェロの天使はゲロンティアス老人に対しても少し大人の「上から目線」で、落ち着いたメゾソプラノがよく合っていたと思います。

今日は久しぶりにバルコニー席で聴きました。バービカンのバルコニーはロイヤルフェスティバルホールのバルコニーよりはステージからの距離も近く音響的に全然マシなのですが、やはりステージからの距離がある分、S/N比は悪くなってしまいます。この場合のノイズは端的に言うと聴衆の出す不要な音で、今日は後ろの席のご婦人が鍵だかアクセサリーだかはわかりませんが、演奏中にもしょっちゅう金属音をチャラチャラと鳴らし、また繊細な場面に限って自分の脛をずっとスリスリと摩っていて、気に触ることこの上なかったです。自分もその席に座っているので言えた義理ではないものの、やはり安い席にはそれなりの安い人々が集まる可能性が高いのは事実なので、民度が低いのに耐えきれなかったら下に降りて高い席を買うべし、と言う教訓があらためて身に沁みました。

ロンドン響/パッパーノ:大国の価値観を表出するエンタメ曲が空虚に響く2026/04/16 23:59



2026.04.16 Barbican Hall (London)
Sir Antonio Pappano / London Symphony Orchestra
Vilde Frang (violin-2)
1. Imogen Holst: Persephone
2. Korngold: Violin Concerto
3. Shostakovich: Symphony No 5

本日はグスターヴ・ホルストの娘イモジェンと、コルンゴルド、ショスタコーヴィチというほぼ同世代の作曲家で、国と環境は全く異なりますが、同時代を生きた人々の作品を集めたプログラムです。1曲目、ギリシャ神話を題材にした交響詩「ペルセポネ」は、イモジェン・ホルストの数少ない管弦楽作品の一つだそうで、にわか勉強ついでに情報を補足すると、代々プロの音楽家を輩出してきたホルスト家の中でも特に著名な父グスターヴの一人娘として生まれたイモジェンは、やはり音楽の血を継いで、生涯独身を貫きつつ献身的に音楽に取り組み、作曲、編曲もさることながら、音楽プロデューサー、及び父グスターヴの伝記作家としての実績を評価されているようです。曲は、もうあからさまにラヴェルの「ダフニスとクロエ」を彷彿とさせる音響で、二番煎じ感が否めないので、悪い曲ではないものの、長らく無視されてきたのも仕方がないかなと思います。

次のコルンゴルドはヴァイオリン協奏曲の中でも特に好きな曲なのですが、前回聴いたのはちょうど10年前のカンブルラン/読響と五嶋みどりの共演で、非常に久しぶりです。ヴィルデ・フラングという人は初めて聴いたのですが、ノルウェー出身で、特に国際コンクール受賞歴等はないながらも10歳からプロオケとの共演で台頭を表して、以後第一線のプロとして活躍している人気ヴァイオリニストとのこと。世代としては庄司紗矢香の少し下、アリーナ・イブラギモヴァ、クロエ・ハンスリップ、ヴェロニカ・エーベルレ、クララ=ジュミ・カン、神尾真由子などと同年代になります。この世代のヴァイオリニストは女性の活躍が目覚ましいですね(あるいは、自分が女性ばっかり追っかけてるだけかも…)。ただ、今日はちょっと席が悪くて、ヴァイオリンはほぼ見えない状態。情感たっぷりに始まったコルンゴルドは、パッパーノのオペラチックな盛り上げ方も相まって、まるでと言うかまさに映画音楽そのもの。決して悪口で言っているのではなく、このようなこけおどし系の曲はまさにLSOの得意分野、完璧に役割をこなします。パッパーノとソリストの掛け合いもまるでオペラのような呼吸感で、歌とドラマの揺さぶりに終始していたエンタメ系爆演でした。自分の席からでは、ヴァイオリンに突き出してくるものがなく埋もれてしまった感じに聴こえてしまったのは残念でした。

メインのショスタコーヴィチ交響曲第5番、通称「革命」とあえて呼びますが、過去に部活のオケで演奏した経験があり、それこそ飽きるほど聴き込んだ曲なのですが、ウクライナ戦争以降は、ロシア(作曲当時はソ連ですが)が苦境を乗り越えて大逆転勝利を高らかに奏でるこの曲の「社会主義リアリズム」的大管弦楽が聴く度に空虚に響き、全く心に染み入ってこない、という心境の変化が否めないです。この曲の成り立ちについては諸説あり、決定的な結論は出ていないと理解していますが、少なくとも作曲家が何か裏の意図や含みを抱いてこの曲を世に出したとは自分は考えられず(真剣に命がかかっているのでそんなリスクを取る余裕はない)、純粋に大衆(=スターリン)が熱狂的に喜ぶことを計算し尽くしたエンタメ志向100%の曲だと私は解釈しています。そうすると、空虚な映画音楽(失礼!でも映画音楽も実は大好きなんです)と割り切って聴けば依然として非常にカッコいい曲であるのは間違いないです。パッパーノはたぶんチャイコフスキーを振るときと同じようなスタンスでこの曲を捉えていて、主旋律はカンタービレで、低弦はアグレッシブに全体を下支えする音作り。LSOの管セクションはここでも安定の音圧をハイクオリティの音色で実現。第1楽章のホルンはちょっと惜しかったですが。全体として、爆演系としては納得するものの、個人的には尖った(人とは違う)解釈がなく、丁寧に掘り下げるでもなく、ちょっと退屈な演奏に思えてしまいました。

あらためて今日のプログラムを振り返ると、センセーショナルな管弦楽法を駆使した先駆者の二番煎じに甘んじたイギリスの曲、まさに映画音楽を再構成して生まれたアメリカのエンタメ曲、全体主義的な大衆を熱狂させる(=独裁者に気に入られる)ことだけに集中して作られたロシアのアンセム、いずれも意図してかせずか、大国の価値観を表出していて、選曲に一貫性を感じます。また、過去の備忘録を見ていて「ほほー」と思ったのは、ちょうど20年前に聴いたブダペスト祝祭管の演奏会が、今日と同じくコルンゴルドのコンチェルトと「革命」の組み合わせで、そういえば以前公演キャンセルで聴けなかったズヴェーデン/ダラス響の演目もこのペアだったかなと思い出し、プログラム的によっぽど相性が良いのだろうなと納得しました。